2016年10月23日日曜日

映画 「インフェルノ」とダンテの世界を生きる私達


                                                          


原題「INFERNO」
原作:ダン ブラウン
監督:ロン ハワード

キャスト
ロバート ラングルトン教授: トム ハンクス
シエナ ブロックス女医 : フェリシテイー ジョーンズ
WHO議長エリザベス シンスキー:シセ バベット クヌッセン
ベルナルド ゾブリスト : ベン フォスター
ハリー シムス : イル ファンカン
クリストフ ブルーダー:オマー サイ

ダン ブラウン原作の「インフェルノ」が映画化され公開された。3年前に原作が出版されたときに、すでに映画化されると発表されていたので、予定通りで、待ってましたーという感じ。前回 「ダ ビンチコード」(2003年)も、「天使と悪魔」(2000年)も、ダンブラウン原作、ロン ハワード監督で映画化されてきて、この「インフェルノ」が、彼らの第3作目に当たる。「インフェルノ」の書評は、2013年12月24日に、このブログで書いたが、すっかり忘れているので、ここで映画評の後ろに付け足してみた。

ダン ブラウンの作品は、緻密な歴史的考証をもとにして書かれているので、映画化するのに向いている。でもキャストについていえば、主役のラングルトン教授をトム ハンクスが演じるのは、もういい加減最後にして欲しい。ラングルトンは博識で、紳士で、50代らしいがチャーミングで独身生活を楽しんでいる。毎朝大学のプールで かるーく千メートルは泳ぐことを日課にしていて、英国仕立てのハリスのツイードジャケットが似合う、いわば男の理想像みたいな学者だ。トム ハンクスが役者では、軽すぎる。今回の悪役、ベルナルド ゾブリストを べン フォスターにしたことも、完全にミスキャスト。遺伝子工学の世界的な権威で天才的なドクターでおまけに富豪という役は、もっとカリスマのある人が演じないと映画が生きない。アクション映画の端役ばかりをやってきたベン フォスターにゾブリストでは、荷が重すぎる。

原作では良い人のはずだったクリストフ ブルダー(オマー サイ)や、準主役のシエナ ブロックスが、映画では悪者になってしまったのは驚きだったが、ラングルトンに、ラブロマンスの香りを付け足したり、原作にない暴力シーンが多かったことに、とても驚いている。
ロン ハワードの3作の中で、この映画が最悪の評価をされているらしいが、実際「ダ ビンチコード」や、「天使と悪魔」にはなかった原作のいじり過ぎが目立つ。いつの頃からアメリカ映画には、暴力とセックスが無くてはならないものになってしまったのだろうか。おかしいではないか。誰もがそういった傾向を好ましいと思っているわけではない。映画は芸術だったのではないか。ひまつぶしではないはずだ。原作から脚本を作り、撮影し音楽を作る、その過程は2年も3年もかかる総合芸術を生み出すための制作過程だ。原作をいじって、暴力とセックスを付け加えるのに断固反対。原作は映画よりも上か。勿論だ。特にこの映画は失敗作。トム ハンクスの老いさらばえた顔を見るよりも、原作を読んで知的好奇心を満足させる方が良い。

この作品のテーマは、ゾブリストが命を懸けて人々に問いかけた人口増加問題にある。私たちは、いま正にダンテの時代を生きている。ゾブリストが言うように「ヒトという種は多産すぎる。」 人口は増加する一方だ。水もエネルギーも食糧も足りない。地球の温暖化は止められない。人々は泥船を漕ぎ出して自滅に向かっている。WHOは何をしている。人口抑制のために開発途上国に無料のコンドームをばらまくだけだ。しかしWHOの職員が立ち去った後を、倍の数の宣教師がコンドームを使うことは神の意志に反していると説いて回り、途上国のゴミ箱には未使用のコンドームで溢れかえっている。70億に達した歯止めの効かない世界人口の倍増を前にして 解決策はあるのか。そんなわけで、ゾブリストは今後人々が子供を産まないようになり、徐々に人口が3分の1になるような解決方法を見出した。しかしゾブリストの解決策が誤っているならば、破滅に向かうダンテの時代を生きる我々人類に、生存できる道があるのだろうか。こういった差し迫った人類に課せられた問題について、答えを見つけられないでいる現状を作家は嘆いている。共感できる。だから原作がおもしろい。ハッキリ言って映画を観るよりも原作を読む方が、100倍面白い。



「ダン ブラウンのインフェルノ」を読んで 
2013年 12月24日

ダン ブラウンが大好き。
彼の書くロバート ラングルトンが大好き。
尽きることのない豊富な知識、過去の歴史をそらんじていて、ラテンを含む数か国語に通じていて、難解な暗号を読み解く。ハーバード大学教授だが、象牙の塔にじっとしていられない行動派で、気が付くとインデイアナ ジョーンズなみに冒険の旅に出ている。フェミニストで、謙虚な紳士。いつもイニシャル入りの特注手縫いのハリス ツイードを着てローファーを履いている、男の魅力の塊みたいなロバート ラングルトンを生み出した作家、ダン ブラウンは1961年生まれのアメリカ人。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究者という。

2003年に「ダ ヴィンチ コード」の出版を機会に、世界的なベストセラー作家となり、その前に出版していたが売れていなかった、2000年「天使と悪魔」も 一挙にベストセラー入りした。ロバート ラングルトンシリーズ第一弾の、「天使と悪魔」は、キリスト教のイルミナリティ組織と、聞いたこともなかった科学技術の「反物質」が出てきたし、「ダ ヴィンチコード」では、レオナルド ダ ヴィンチの絵に隠された暗号を読み、イエス キリストの今まであまり語られることのなかった挿話が描かれた。2009年の「ロスト シンボル」では、フリーメイソン組織の秘密性を暴き出した。出版されたばかりの2013年「インフェルノ」は、ラングルトンシリーズの第4作目となる。2013年10月に出版され、11月末に日本語訳で出版された。

2015年には映画化が決まっている。またラングルトンをトム ハンクスが演じるらしいが、原作に描かれているラングルトンは トム ハンクスよりもずっと魅力的な男で、作者ダン ブラウンの姿に近い。作者はハンサムで実にチャーミングな人だ。だから熱狂的なラングルトンファンはそのまま ダン ブラウンファンになって、両者を常に混同する。彼はインタビューで私生活を一切語らないマスコミ嫌いだそうで、そのためファンは一層 想像力をかきたてられてダン ブラウンをラングルトン以上のスーパーマンかバットマンのように思いがちだ。最近のインタビューによると、実際の彼は、毎朝4時にはキーボードに向かって執筆する退屈極まりない日々を一年365日していて、10ページ書いては、1ページを除いて捨てるような地味な作家なんだそうだ。
今回の「インフェルノ」は、ダンテの叙事詩「神曲」第一部の「地獄篇(インフェルノ)」が、謎解きになって、地球の人口増加現象が語られる。ラングルトンは殺人者に追われながら フィレンツェ、ベネチア、イスタンブールを駆け回る。いつもの通り、美人の協力者と一緒だ。おもしろくてドキドキしながら650ページを一気に読める。

ストーリーは
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングルトンは、目が覚めると頭に包帯、点滴でつながれてフィレンツエの病院に居る。どうして自分がイタリアに居るのか全く記憶がない。頭にぐるぐる巻かれた包帯は一体何だ。シエナ ブルックスと名乗る金髪の美しい女医に、自分に何があったのか、事情を聞いている内に、突然外が騒がしくなり病室のドアが開くと、シエナの同僚のマルコーニ医師が、突然闖入者によって撃ち殺される。とっさのシエナの機転で、ラングルトンはシエナのあとについて逃亡。バイクに乗った黒ずくめのプロの殺し屋の追跡をかわしながらラングルトンは、どうして自分が追われなければならないのか理由を考える。ラングルトンが何をしたというのだ。

シエナがラングルトンのジャケットの裏地に縫い込まれた円筒を見つける。ダンテの「神曲」を描いたボッチチェリの「地獄の見取り図」だ。しかし、おかしなことに、この見取り図には、原画にない暗号がついていた。ラングルトンとシエナは暗号が何を指示しているのか、知るためにヴェッキオ宮殿に侵入、ダンテのデスマスクを盗み出す。シエナは驚くべき高い知能を持った女性で、何度も彼女の知恵と機転に助けられながら逃亡、銃口から逃れながら、なぜ自分の命が狙われるのか必死で考える。デスマスクにはさらに謎の暗号が仕組まれていた。それを解くために二人はサンタマリア デルフォーレ大聖堂、ベネチアに飛んでサン マルコ大聖堂を彷徨った末、目的地が、意外にもイタリアではなく、イスタンブールだったことに気が付く。しかし、追っ手によって二人は分断されてしまい辛うじてシエナを逃がしたラングルトンは、敵に捕獲されてしまう。シエナは、先にイスタンブールに向かう。しかし、殺し屋と思っていたラングルトンの追っ手は、実は国際機関WHO議長ドクター エリザベス シンスキーとそのチームだった。シンスキーは説明する。

スイスの大富豪で生化学者ベルトラン ゾブリストは地球上の人類から人口爆発を食い止めるために、生物化学兵器ともいえる病原菌を仕掛けた。ダンテの熱狂的ファンでもあるゾブリストは暗号で病原菌を隠した場所を暗示するだけで、自から死んでしまった。彼は1300年代にペストがヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやったことで、生き残った人々が豊富な食料を得てルネッサンスの原動力になった歴史的事実を、高く評価していた。そして世界人口がこのまま増加すれば 資源も枯れ葉てて世界は滅亡するの違いないので、世界人口を3分の2に間引くため病原菌を仕掛けたという。この科学者の残したダンテにまつわる暗号を読み解いて一刻も早く病原菌を回収しなければ人類の危機に陥る。3日前にWHOからラングルトンは、病原菌を隠した場所を示す暗号を解くように要請されていたが、事故で記憶を失っていたのだった。

ラングルトンらの一行はイスタンブールに飛ぶ。ラングルトンの協力者だと思われたシエナは ゾブリストのかつての恋人で、ラングルトンが解きかけた暗号を読んで、病原菌の隠された場所にすでに向かっている。ようやくのことで、ラングルトンが突き止めた病原菌の場所は、観光客に人気のスポットで、その夜はイスタンブール国立交響楽団がコンサートを開いていた。演奏曲目は、フランツ リストの「ダンテ交響曲」。病原菌がばらまかれるまで数時間しか残っていない。ラングルトンは、、、。
というお話。

ダン ブラウンを読ませる力は「知」への欲求だ。彼の本は、知の集積というか、ハーバード大学の講義を聴いているようなものだ。ラングルトンはいつも追われながら、世界各地にある建造物や美術品の歴史的価値や構造や特徴や現代における価値を説明してくれて、さらに今まで誰も述べてくれなかったような不可解な古代の象徴に秘められた暗号や、本当の意味や価値を読み解いてくれる。旅行者には興味があっても行ったり、触れたりすることができない奥の部屋や、地下や、からくりのあるドアや、天井の作りまで、ラングルトンが逃亡しながら足を踏み入れてくれるので、知ることができて、自分が前に訪れて、見て聞いた観光名所に さらに愛着が増す。

例えば、ミケランジェロのフィレンツエ、ヴェツキオ宮殿のミケランジェロの傑作「勝利」の像は、ローマ教皇ユリウス2世の墓を飾る為に作られたが、同性愛を憎んだユリウスの心情に反して、像のモデルはミケランジェロが長年愛したカヴァエーリという青年だった。ミケランジェロは彼のためにいくつものソネットを書いている。それを知った特注者は、ユリウスの墓からこの像を遠ざけた。というエピソード。
またヴェネチアのサン マルコ大聖堂を飾る4頭の馬は、漆黒のオランダ馬フリーシアン種がモデルで歴史上最も盗難にあった美術品といわれる。無名のギリシャ人によって製作されたがビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持ち出された。その後十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させるとヴェネチアに運ばれて、1254年にサン マルコ大聖堂に設置される。そして500年後にナポレオンがヴェネチアを征服すると、4頭の馬はパリに運ばれて凱旋門を飾り、ナポレオンが破られると再び、ヴェネチアに運ばれた、というようなエピソードは、実際、この巨大な4頭の馬を観て、印象が深かったので、たまらなく興味がわく。

ラングルトンが説明してくれたイスタンブールの「沈んだ宮殿」に上下さかさまに置かれているメヂューサの巨大な大理石でできた頭を一度見てみたい。360年に建造されて、東方教会となりモスクに変わり、いまはキリストも、アラーも、モハメドもいるという「アヤソフィア」も、是非訪れてみたい。こうして、ラングルトンが解説してくれる名所や建物は、本の出版後必ず人気の観光名所になるそうで、各国の観光相からどんなに感謝されてもしきれないだろう。
この本に出てくる、フィレンツエのサンタ マリアデルフォーレ大聖堂、天国の門、サン ジョバンニ洗礼堂、ダンテの家、サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会、ヴァザーリ回廊、、ヴェッキオ宮殿の五百人広間、ポルタロマーノ美術学校、ボーボリ庭園、ヴェキオ橋、ヴェネチアのムラノ島、サンタルチア駅、大運河、水上バス、などなどラングルトンの解説は 月並みな旅行解説本と違っていつも興味を倍増させてくれる。ラングルトンを、「走り回る旅行ガイド」と言った人が居たが、的を得ている。
とにかく面白い。
「ダヴィンチコード」に比べると、驚きは少ないが、充分満足だ。



2016年10月2日日曜日

オーストラリアの野鳥の様に

    


オーストラリアには800種以上の野鳥が生息する。
シドニー北部のノースショアと呼ばれる地域に20年近く住んで、最近そこから30分ほど西に行ったシドニー北西部に引っ越してきて、朝晩聞こえてくる野鳥の声が変わっていたことに気が付いた。以前のアパートはすべての部屋が、遊歩道のある林に面していたので、いつも煩いくらいに鳥たちがさえずってくれた。          

多くの野鳥の名前は 私にはわからないが、一番多かったのがマグパイ(magpie)日本名カササギツエガラス、隊長は20センチくらいで首のまわりを白くした小型カラスみたいな姿。小柄のくせにギャーギャー叫びまわってうるさい。それを大きくしたカラウオン(currawong)と呼ばれるフエガラスは、日本のカラスサイズで、野鳥を虐める人が居ないので全然人を恐れずに歩道橋の手すりなどに止まっている。マグパイは育児中は神経質になっていて、アパートのバルコニーの手すりに来て、バルコニーのソファでせっかく昼寝している我が家の猫クロエに向かって、けたたましい声でギャーギャー声で「ここに敵が居るぞ、あやしい奴がいるぞー!」と100メートル四方に聞こえる音量で警報を発して、クロエがこそこそ家の中に避難するまでそれを続ける。迷惑だ。

手の届く距離の、バルコニーの手すりに飛んできて、静かに地面を見て動く虫がいないかどうか観察しているのは、クッカバラ(kookaburra)日本名ワライカワセミだ。20センチくらいだが体の大きさの割に頭も嘴も大きくて、羽毛がふわふわで愛らしい。ブルーが勝った白色の胸に背は茶色、近所で見かける野鳥の中で一番可愛い。名前の様にカッカッと人の笑い声のような鳴き方をする。

バルコニーで猫と、まったりしていた時に、極採色のレインボーロリキート(rainbow lorikeet)ゴシキセイガインコが普通に飛び交っていて、ボトルフラワーの実をついばんでいったのには驚いた。真っ青な頭、グリーンの背、オレンジの胸というカラフルで美しい鳥が、動物園や東南アジアの森でなく、シドニーの住宅地に普通に生息していることには感動した。

ワイルドターキー(australian wild turky)までも普通の人々が暮らす場に共生していて、どこででも闊歩しているのには、まいった。雄は首に極彩色の袋を持っていて気味が悪い。でかい。こんな奴の肉はクリスマスでも食べたくない。私の腰の高さの身長で、ひょこひょこと歩き回って、私が野良猫に餌をやるのを見ていて、しっかりそのエサを猫の目の前でさらっていく。脅かすと近くの樹に飛んでいって枝に止まって人が去るのを待っている。
だいたいバードウオッチって、日本では小鳥ばかりではなかったか。こちらの野鳥はみな大きいので望遠鏡など要らない。

ノースショアからシドニー北西部に引っ越して来て、前よりもごたごたした下町風の街並みに移った。バルコニーに出ると、相変わらずマグパイが飛んできて、愛猫クロエがせっかく陽の当たる場所で昼寝しようとしているのに、ギャーギャー騒ぎ立ててくれる。それと、マグパイのギャーギャー声をさらにグエ―ギョエーガガーと書いてみると怪獣の様な声で鋭く鳴くコカトウ―(cockatoo)日本名キバタンが、ここではとても多い。30-40センチと大きく真っ白な体に黄色い冠を持っている。寿命は70歳と言うから,うるさいだけでなく貫禄もある。近くにパラマッタリバーと言う大きな河があるので、そのあたりを根城にしているのだろう。うるさくて、全然可愛くないが、日本ではペットとして大事に飼育されているそうだ。

それと前のアパートでは見たことがなかったガラ―(galah)日本名モモイロインコを屋根の上でよく見る。ピンク色の胸にグレーの背をもった大きめのハトかと思っていたら、インコと言う名の付くオウムだそうだ。ピンクとグレーのツートンカラーが美しい。ここでは野生だが、飼育されたものが日本では人気のペットだそうだ。人懐こいので可愛がられるだろう。

テレビでフットボールやサッカー中継を見ていると、緑のグランドに試合中でもたくさんの真っ白なコカトウ―や、アイビス(トキ)がグリーンの上で、虫をねらってたくさんやってきているのがわかる。試合で得点をめぐって緊張が高まっているときに、大きな野鳥や、ワラビー(小型カンガルー)や、大型のゴアナ(オオトカゲ)が試合を邪魔することも多い。こんなときスポーツアナウンサーは、あわてずに「ローカル(地元民)も応援に駆け付けました。」などと言って笑わせてくれる。

引っ越して目にする野鳥の種類も変わったが、住む人間も変わった。以前は北部のスノービーの住むアパートだったから、クラシック音楽愛好者や、ピアノを持つ人も多く、アパートではいつもピアノやフルートの音が聞こえてきた。私も普通に、朝からバイオリンやギターを弾いていた。また、ノースでは道は譲り合い、人とすれ違う時には微笑みを交わすのが普通。老婦人の中には、昔のイギリスからの良き伝統どおりに首飾りに帽子をかぶってデパートに来る人も多かった。最近裕福な中国人が土地を買い占めて、人種が変わってきているが、それでもノースの文化的様相は変わらない。

移ってきたところは基本的にはプアホワイトの土地。昔からオージー保守派の住んできた土地で、地価が安かった時期に大量のインド人など東南アジア人が移民してきたところだ。ショッピングセンターに行くと、若い子連れのインド人ファミリーが多く、あまり身だしなみを気にしないプアホワイトの老人たちばかりに出会う。プアホワイトの顔つきは、ノースのホワイトと全然違う。人と会っても笑わない。だいたい移ってきて8か月経ったが、クラシック音楽の音が聞こえてきたことがない。
日曜日にバイオリンを弾いていたら、翌日となりのインド人のおばさんに興味津々と言う顔で、「あなたギター弾くのね。」と話しかけられたが、そのついでに「お金貸してくれる?」と請われた。こわい。
楽器の音が全然聞こえてこない場所で、すこしだけ遠慮っぽくバイオリンとギターを弾いている。ギャォーギャーンゲャーと、100メートル四方に届くボリュ―ムで遠慮なく鳴きさけぶコカトウ―やマグパイがうらやましい。

写真はオーストラリアワイルドターキーと、コカトウ―

2016年10月1日土曜日

映画 「はじまりへの旅」キャプテンファンタステイック




原題:「CAPTAIN FANTASTIC」
「キャプテン ファンタステイック」
監督: マット ロス
キャスト
父親ベン:  ヴィゴ モーテンセン (指輪物語のアラゴン役だった役者)
母親レスリー:  トリン ミラー

ストーリーは
ベンとレスリーは、ノーム チョムスキーを信奉する(詳しくはアナルコ サンジカリスト)でヒッピー。現代社会から離れ山深い森の奥地に家を建て、自給自足の生活をしながら6人の子供を育てている。7歳から18歳までの3人の男の子と3人の女の子たちは、学校に行かずベンとレスリーから教育を受けている。
ところが 母親のレスリーは、バイポラ躁うつ病と精神分裂症を併発し、治療のため、山を下りて実家に帰ったところで、自ら壁に頭を打ち付けて死んでしまった。実家の母は、レスリーの葬儀は、教会で5日後に行われるという。ベンは子供たちに事実を告げるが、年少の子供達は、自分たちの母親の死を「理解」できずに居る。ただただママに会いに行きたいと主張する子供たちを前に、ベンは自家用バスに子供たちを乗せて、妻の実家近くの教会に向かう。五日間あれば、バスでたどり着けるだろう。レスリーは遺言で、自分が死んだら火葬して、その火の回りで子供達は歌を歌い踊って楽しく過ごして見送って欲しいと書き残していた。ベンは、妻の意志を尊重して教会での葬儀と埋葬を、是が非でも中止させなければならないと思っている。

バスで移動中6人の子供たちは、初めて森の生活から下界に下りてきて、何もかもが驚きの連続だ。街では肥満体の人々ばかりなのを見てあきれ、ホットドックを食べさせるレストランのメニューに驚愕し、(犬を食べるのか)、18歳の長男はテイーンの女の子にナンパされて、思い余ってプロポーズしてしまうし、てんやわんやだ。レスリーの兄弟家族の住む家に寄っていくと、子供たちと同じ年頃のいとこたちが、知性のひとかけらもなく凡庸な事を恥じることもなく、グダグダとビデオゲームに夢中になる姿に、カルチャーショックを受ける。とうとう五日かかって、たどり着いた教会では、今まさにレスリーの葬儀が行われ、墓地に埋葬されるところだった。そこに6人の子供たちを連れたベンが闖入して、レスリーの棺に手をかけて、教会での葬儀はレスリーの遺志に反すると主張する。しかし、ベンと子供達は、たちどころにガードマンによって教会から締め出され、レスリーは彼女の両親、親族の意向通りに教会から墓地に移されて埋葬されてしまった。

埋葬の後、6人の孫たちに初めて会った、祖父母は、「このヒッピーくずれが、社会と縁を切って、祖父母とも親戚とも合わせずに、森に入り、子供達を私物化しているのは児童虐待で、立派な犯罪だ。警察を呼ぶ、弁護士を呼んでベンが子供たちと会えないように法的処置を取る、」と怒り心頭でベンを非難しまくる。一方、次男は、母親の死を受け入れられずにいて、その悲しみと怒りから、おじいさんの言うことに共鳴して、さっさとおじいさんの家に移って来る。祖父母は子供たち全員を引き取って、きちんと教育を施して責任を全うしたい、と申し出る。大きな屋敷、広い安全な環境、生活するのに何の心配もない裕福な家庭。ひととき、子供たちが祖父母に大切にされて、楽しむ様子を見てベンは、子供達を手放して一人で山に帰る決意をする。長い髪を切り、ひげを剃りたった一人になったベン。自分の教育方針は間違っていたのか。
しかし、6人の子供達は、バスの床下に隠れていたのだった。戻ってきた子供達とベンには、しなければならないことがある。墓地から「ママを取り返す」のだ。墓地を掘り返し、棺をバスに乗せ、子供達はママをしっかり抱きしめてお別れを言って、遺言通りに火葬した。ママの言った通りにママが灰になるまでみんなで歌を歌い、ギターをかき鳴らし、踊り、詩を読んでママを見送って灰を’空から撒くことができた。
というお話。

ニュージーランドを旅した時、オークランドから2時間ほど車を走らせた海岸沿いに、ベトナム戦争の嵐が吹き荒れた時期に、アメリカから兵役を拒否して逃れて来たヒッピーたちが移住してコミュニテイーを作っていた地域を通ったことがある。海に向かって無限の広がりをもった、小さな島々が散らばる美しい土地だった。当時アメリカは徴兵制があったから兵役拒否は、国辱者の「極悪犯罪者」だった。彼らを受け入れる側も、逃げてくる側も「反社会的、凶悪犯人」として弾圧された。今では信じられないだろうが、この時期、長髪にするというだけで過激派レッテルが貼られ、社会は徹底的に排除した。今でこそヒッピーは長髪、ひげ、奇妙なゆるい服を着て、花束を機動隊に差し出したり、素裸になって抱き着いたり珍妙な光景ばかり面白おかしく話題にするが、彼らとて銃を持った国家店力を前に命懸けの反戦活動をしていたのだ。
心から尊敬する作家、シオニール ホセは、著書「民衆」の書き出しで、「ぼくの名はサムソンだ。ぼくは長髪だがそのこと自体、別に何のシンボルでもない。ジェス神父に注意された時、ぼくはキリストも髪を長くしていた、と言い返した。」 といっている。初めて、この本を読んだとき、マルコス戒厳令下で、出版禁止、執筆の道も弾圧で絶たれた闘士 シオニール ホセの言葉に、思わず涙が込み上げた。長髪は明らかに反体制反政府を表示する意味を持った時代だったし反戦活動家は孤立していたのだ。

この映画は、国の教育システムも、社会の規律も、市民としての義務も権利も放棄して、6人の子供を自分のルールで育てている無政府主義者でヒッピーの家族のお話だ。ベンとその子供達は、キリスト教を完全に否定する。クリスマスを祝わずに、ノーム チョムスキーの生誕日が祝日だ。お祝いに子供達は父親から特別なプレゼントが与えられる。一人一人が父親ベンから手渡されて感謝感激する贈り物は、弓矢だったりよく切れるナイフだったりする。キャプテンであるベンは子供達にエスペラントを含む4か国語を教えた。森の中で狩猟に行き、獲物を弓矢とナイフで殺し解体して食べ、皮を服や靴にする。山を開墾し畑を作り自給自足の生活をする。生き残るのに必要な体力の基礎をつくる為、朝から山を駆け巡り、岩登りを学び、泳ぎを覚える。幼いうちから読書の喜びを体験し、常に学んだことを言葉で表現できるようにし、言葉で表現するだけでなく絵画に描き、詩を読み、音楽にして表現する楽しさを家族全員で分かち合う。
10歳に満たない子供が、4か国語を駆使し、議論が白熱すると思わず皆がエスペラントでやりとりしていたり、アメリカ合衆国憲法を諳んじて言えて、ノーム チョムスキーを引用しながらファシズムを批判するかと思うと、自分で殺した小動物の毛皮を剥いで帽子にして、おまけにバッハを愛好する。なんとも なまいきでくすぐったい。

それにしても、どこまで子供は親のものだろうか。
子供は親のものでも親のペットでもない。現実には親が子に教えられることはそんなに多くはない。親がどんなに優れていても、子供にすべてを伝えることはできないし、子の方でも親の限界を早くから気付いて自分から親を乗り越えていくものだ。
人間は社会的動物だ。アーノルド ロレンツは、他の哺乳動物は生まれてすぐに立ち上がり乳を飲むのに比べて、人は未熟児状態で生まれて、親だけでなく社会によって育てられて成長する特殊な動物であると説いた。私たちは子供を産み、保育園、幼稚園、学校などで集団教育を受けさせ、社会の中でスポーツや音楽を楽しみ、子供の成長を見守る。子供達は親からよりも同じ子供達や、社会の大人たちから多くを学んで大人になる。親は子供の教育のほんの一部に関与するだけだ。子供が親の私物でも、ペットでもあってはならないのだ。

ママなんかもう要らない。うるさい、あっちに行って。と子供が言ってくれるようになることを、親は喜ばなければならない。親の介在を必要としなくなるまで子が成長してくれたと理解して、心から喜び、子を祝福しなければならない。そして、できるだけ子供をそっとしておいてやることだ。次に、ちょっとママ手伝って、と自分から言ってくるまで、辛抱強く黙って待つことだ。これが子育ての極意だ、などと言うことは間単だが、実行は難しい。現実には、反省することしきりだ。
子供が2歳の頃、自分で散らかしながらでも食べようとする子供を制して、後かたずけが簡単だからと言うだけの理由で、スプーンを奪って食べさせてしまわなかっただろうか。  子供たちが5歳の頃、危ないからと、止めたのに走って転んで怪我をして泣く子が、自分で立ち上がりこちらに来るまで、愚痴めいた事や批判がましいことを言わずに、じっと見守ってやっただろうか。  子供が7歳の頃、バイオリンの練習時間なのに楽器のケースを開けようとしない姿を見て、黙って待ってやっただろうか。  子供が中学の頃、いじめっ子に酷いことをされたのを見て、本人と解決方法を話し合わずに腹立ちまぎれに相手の家に怒鳴り込みに行かなかっただろうか。  子供が高校の頃、本人が何をしたいのかではなくて、大学に医学部には入れると先生が言うんだから行かなかったらバカだよ、みたいなことを言い選択肢を奪わなかっただろうか。  子供が大学生の頃、学校に送り迎えを申し出る献身的ボーイフレンドを、あいつは20点、こいつは3点、とか言って品定めしなかっただろうか。  子供が結婚するころ、ねえ、あなたみたいな完璧で素敵な人が、あんな奴がダンナで良いの?あんな60点男で良いの?と幾度もしつこく問わなかっただろうか。
全部自分のことだ。子育てより子離れのほうが難しい。親はいつも子供を手助けしたいと願い、子供が転べば走って行って助け起こし、子供に良いと思うことを押し付け、輝かしい将来を実現させてもらいたいと願う。あふれる愛情を止めることができない。でも、だからこそ、肝に銘じて子供は親のものではないことを常に認識していなければならない。

父親が一人で6人の子供達を人里離れた森の中で学校に通わせることを拒否して、すべての学問を教えることはできない。また、そんなことをしてはいけないのだ。
この映画は、おとぎ話と言える。
お伽噺として見れば、この映画はとても楽しい。6人6様の知的で個性的な子供達が、実に生き生きしていて魅力的だ。実際、映画撮影に入る前に、森でみな共同生活をして、本当に家族の様に互いがすっかりなじんでから、映画を撮り始めたという。アメリカ、カナダ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリアから集められて役を演じた選りすぐりの子役達が、キラキラと輝いている。




2016年9月26日月曜日

映画 「スノーデン」

     


原題:「SNOWDEN」
監督: オリバー ストーン
キャスト
エドワード スノーデン : ジョセフ ゴードン レビット
リンゼイ ミルズ     : シャイリー ウッドリー
ドキュメンタリー作家ローラ ポイトラス: メリッサ レオ
ガーディアン・グレングリーンウオルド : ザーカリー クイント

ストーリー
エドワード スノーデンは2004年、大学を離れると、ごく普通のアメリカ合衆国市民としての愛国心から、軍隊に志願する。日本のアニメやコンピューターゲームにはまって、オタク少年時代を過ごし、インターネット上で新しいゲームのソフトを開発するなどに時間を費やして高校も大学も中退してきた。ここで 軍人になって心身ともに鍛え直してみたい、という訳だ。しかし彼は、軍事訓練中に事故で両足を骨折して、軍人になる夢を捨てざるを得なかった。
そこで彼は米国中央情報局(CIA)に面接に行く。CIAは9.11のあと、局員を大幅に増員する必要に迫られていた。運よくスノ―デンは採用される。新人として訓練を受け始めて見ると、スノーデンのコンピューター技術が、ずば抜けて優れていることがわかり局長から目をかけられてシステムエンジニアとして重宝されるようになる。

彼はCIAと、NSA(国家安全保障局)で、コンピューターセキュリテイーの業務に就いて、スイスのジュネーブや日本の横田基地に派遣され情報収集業務に携わる。日本では中国からのサイバーアタックから防衛するための技術を開発 指導していた。優秀な仲間たちに恵まれ、私生活では、カメラマンの恋人と一緒に暮らすようになり、技術者として公私ともに順調だった。高額のサラリーも保証されている。アメリカ合衆国大統領選挙が行われ、グアンタナモベイ収容所の閉鎖、核兵器縮小を提唱するバラク オバマが大統領選挙で勝ち抜いた。スノーデン自身は共和党支持者だったが、尊敬するジョン マケインがオバマを支持するならそれが良いと考えていた。

しかし、すべてが順調という訳にはいかない。CIAとNSAの情報網は、とどまることなく拡大されて、テロの要注意者だけでなく全世界の普通の人々まで監視する体制が出来上がっていた。フェイスブック、ツイッター、アップル、マイクルソフト、ヤフー、グーグル、パルトーク、ユーチューブ、スカイプ、AOLなど、すべての民間通信企業がNSAに協力していた。これでは世界中に使用者の信頼を裏切っていることになる。CIA,NSAの盗聴システムの前では、個人の秘密など何も許されない。自分が上司に提供した情報によって、親しくなった友人がCIAの罠にはまって、家族を失うなどの不幸に陥る姿を目の当たりに見て、徐々にスノーデンはCIAとNSAの存在そのものに疑問を抱くようになる。
疑問を口にしただけで、今度は自分が恋人との友人関係や家の中での会話までがボスによって盗聴の対象になっていることを知って、スノーデンは、世界中の人々が自分たちが知らずにいるうちに私生活が盗聴され情報収集されている事実を公表しようと決意する。

休暇を取り、恋人を実家に帰し、ドキュメンタリー映像作家ローラ ポイトラスと、英国ガーデアン紙記者のグレン グリーンウオルドに連絡を取り、香港で合流、CIAとNSAのやっている膨大な秘密情報を暴露する。

という事実に基ずいた半ドキュメンタリー映画。社会派の監督オリバー ストーンが制作した。
事実、スノーデンの2013年5月のCIAの実態暴露は、世界中を震寒させた。CIAは世界中のインターネット民間企業の協力を得てインターネットと電話回線を通じて個人の情報を個人の了解なしに盗聴、情報収集していただけでなく、各国大使館と 同盟国であるフランス大統領やドイツ首相の個人パソコンデータや携帯電話の盗聴までハッキングしていた。これをはじめのうちは、オバマ大統領も知らなかった。あきらかに国家犯罪だ。
スノーデンは米国から拘束されることを避けるため、香港から脱出、アイスランドに政治亡命を求めるが拒否され、ベネゼイラのチャンドス大統領による亡命受け入れ、エクアドル政府の亡命申請受持、などを経て、ロシアに向かう。この間のスノーデンの命を懸けた逃走劇には本当にハラハラし通しだった。毎日、ニュースにかじりついていた記憶がある。スノーデンはモスクワ空港のトランジットというロシアの司法権力が及ばない場で、アメリカのスノーデン拘束要求にも応じず、ジュリア アサンジのウィキリークの援助と支援、弁護士のアドバイスを受けながら、ロシアとの交渉を続けた。

私たちは、いまウィキリークのジュリアン アサンジに対して米英豪諸国がどんな卑劣な方法で、彼をロンドンのエクアドル大使館に幽閉させて、彼の口を封じようとしているかを知っている。アメリカ軍事情報を公表したとして、秘密軍事裁判と秘密軍事監獄で、いまもチェルシーマニングがいかに厳しい懲罰で苦しんでいるのか知っている。だから、スノーデンがCIAの手に落ちたらどんなことになるか、子供でも先が読める。国家犯罪を暴露した、勇気ある人に安全で安泰な一生は保証されない。

映画ではスノーデンが秘密情報をマイクロチップにコピーして持ち出すスリル満点のシーンと、ドキュメンタリー映像作家ローラ ホイトラスとガーデアングレン グリーンウオルド記者と合流して、記事が発表されたあと、香港を脱出するまでの、スパイ映画的ドキドキハラハラシーンが、見所になっている。初めて、ことの細部を映画で知らされて、なるほどと、頭の良いスノーデンに舌を巻く。世界中から集まって選りすぐりのスパイ養成所と化したCIAで働く優秀な仲間たちは、数か国語を操るなど、当たり前。そんな彼らの職場を、これまた上部機関が盗聴しているが、仲間と手話で会話するなど、スノーデンは、自分の多才な能力を発揮する。CIAオフィスには入る時も出るときも全身スキャンで口の中から肛門まで調べつくされる。厳戒ゲートからいかに、秘密情報をコピーしたマイクロチップを持ち出したのか。小さなミス、ちょっとした不自然さがあったとしたら、今日の私たちが知らされたCIAの国家犯罪は、知らされることなくスノーデンの命は闇に葬られていた。勇気あるスノーデンは現代の英雄といって良い。

さて、私たちはいま毎日使用しているインターネットと携帯電話を通じて「まるはだか」にさらされていることが分かった。CIAの検閲システムで、電話をすれば通信者の名前、住所、相手の名前、住所、居所、通信内容の録音、通話に利用されたカードなどを、たちどころに知られる。インターネットメール、チャット、通話ヴィデオ、写真、ファイル転送、ヴィデオ会議の録画、スカイプ、そこから割り出された親族、友人たちの住所、職業、銀行口座、給料、ホリデーの予定まで すべての情報を把握されている。おまけに、自分だけでなく、自分が会ったこともない遠い親戚が どっかの国で浮気性の男に騙されてお金をむしり取られていることや、友達の友達がテロリストの友達に繋がっているかもしれないことまで、ハッキングされている。私が知らない私まで敵は知っているわけだ。

映画のなかで、こんなシーンがある。スノーデンは恋人に、国がすべての私生活をハッキングしている、と打ち明ける。恋人にはその「意味」が解らない。なぜそれがいけないの?私には秘密なんてないわよ。あなたを本当に愛しているから疑ったりしないで。わたしたちは幸せじゃないの、と。スノーデンは、説得をあきらめる。 言ってもわからない。
国によって「まるはだか」にされた人々が、秘密なんてないから見られても大丈夫、と言って声を上げないでいると、おとなしいヒツジの群れは兵器産業の意向通りに意味のない戦争に駆り立てられ殺されていく。国は国をテロから守るためと言っているがそれは口実に過ぎない。国がハッキングして掌握した情報は、人々をコントロールするために使われる。情報を沢山持つ国が、世界を掌握する。社会全体が情報収集されることによってコントロールされる。私たちが私生活を侵害され「まるはだか」にされていることが問題なのではない。そういった人々の情報を、国が収集することで国によって社会全体がコントロールされて、方向付けられることが問題なのだ。

スノーデンは、もともとは共和党支持者でアメリカ合衆国憲法の基本理念である「リバテイ」自由を自分の信条としていた。個人の自由が守られる国でなければならない。国は個人の了解なしに個人の私生活を脅かしてはならない。強い個人の自由なしに、それを支える国はありえない。そういった強い信念がいまに至ったのだと思う。
現在スノーデン本人のツイッターアカウントを、世界中のフォロワーが見守っている。彼の出す情報は瞬時に世界中の支持者の間に広まる。私たちにできることは、スノーデンやジュリア アサンジやチェルシー マニングを支持し、国による情報収集。盗聴、ハッキングの監視システムを壊すこと。マスコミの垂れ流す情報をうのみにせず、草の根の情報を大切にすること。国による特定秘密保護法を廃棄させること。など、たくさんある。
とても良い映画だ。

https://www.youtube.com/watch?v=X41bfQa7xFQ

2016年9月3日土曜日

大内姓が嫌いだ


                  
大学1年の頃、会う男会う男に「ねえ 結婚してくれない?」と聞いていた。大内の名前が嫌で嫌で、どんな男でもいいから結婚してもらって苗字を変えたかった。
父は早稲田大学政治経済学部で教務主任をしていて、大口昭彦早大全学連委員長を退学させたばかりだった。伝説になるほどやぼい学生服にゲタ姿の大口さんは正義の味方ヒーローだった。

ベトナムの民衆は何十年も独立戦争を戦っていた。米国軍の北ベトナム爆撃は激しさを増し、ナパーム弾でベトナムの山林を焼きつくし、ベトコンなどと共産主義者のレッテルを張り付けて女子供を殺しまくっていた。沖縄の米軍基地はベトナム攻撃への出撃基地だったし、東京の王子には野戦病院が建てられ、新宿を米軍爆撃機のための燃料を運ぶ列車が通過し、佐世保には原子力潜水艦が入港し、国内の米軍基地では、ベトナムで戦死した手足や頭のない米軍兵の死体がきれいに作り直されて、ジェット機で米国に帰っていく。日本も戦場だったのだ。
私が初めてデモで逮捕されたのが大学1年、1967年11月だったが、悪いことなどしていない。こんな悪い米国大使館に石を投げて何が悪いか?
18歳で未成年だったから未決釈放になって、父が警察署に迎えに来てくれた。「ごめいわくをおかけしました。」と、頭を下げたら父は無言でチョコレートを差し出して、ニッと笑ってくれた。その前、高校時代も何度か父は学校に呼ばれていた。フォークソングのレコードを貸し借りしたり、校長のお話の時間に屋上でギターを練習していた、とかいう人畜無害、清廉潔白のなんでもない事で、親を呼びつける、とんでもない学校だった。ろくでもないことで私のために父は呼ばれ、自分が大学で教えた昔の教え子に頭を下げることになって、口惜しかったのかもしれない。

結局大学1年の時に家を出て、同棲希望者にはたくさん出会ったが、結婚してくれる人はいなかった。早く結婚して名前を変えたかったのは、父に迷惑がかからないようにしたかったのだ。
父の父親は父の子供の時に亡くなっていて、その弟だった大内兵衛が父には親代わりだった。当時学生運動がらみで兵衛の大叔父さんの動静が話題になることも多かったので、ともかく私は大内姓が、嫌で嫌で捨てたくて仕方がなかった。

父は学者としては凡庸で何も冴えた研究成果は残さなかったが、若い人達が大好きで良く世話をした。父の仲人で結婚した教え子は数えきれない。卒業後も父を頼って、家に飲みに来るもと教え子が多く、いつも家には若い人、若かった人たちがたくさん居て賑やかだった。
長男だった父とその母親は、亡くなった満鉄の幹部だった父親、大内要が残してくれた阿佐ヶ谷の100坪以上ある大きな屋敷に住んでいた。その後、母親が亡くなり父は、大内兵衛の弟子だった宇佐美誠次郎の妹ふみと結婚した。戦争が始まり、片目が弱視だった父は徴兵を逃れ、教師が足りなくなった両国にある安田学園で教鞭をとることになった。このときの学生たちを、結婚したばかりだった父も母も特別に可愛がった。自分たちとそれほど年の違わない学生たちは、クラスの全員が、毎週日曜日には阿佐ヶ谷の家に遊びに通ってくるほど父を慕ってくれて、それは父が死ぬまで続いた。

戦争が長引き、父の愛した高校生たちまでが特攻隊の順列に並ぶようになり、父と母は千葉県飯岡に疎開する。そこで一緒に疎開した宇佐美誠次郎は、疎開先でお世話になっていた旅館の娘と結婚した。この旅館に大内家と宇佐美家、総じて世話になっていたのに、無学無教養の旅館の娘が嫁に、、と実に親戚は冷ややかだったようだ。ようだというのは、私はまだ生まれていないが、母や叔母たちが後年、誠次郎の嫁の話が出るたびにグジグジ言うのを聞かされていたからわかる。私は宇佐美誠次郎の叔父さんも叔母さんも、宇佐美正一郎の叔父さんも叔母さんも大好きだった。この人達が私にお古のバイオリンくれて、父に余裕がない時でもレッスンを続けるように言ってくれた。
このころどさくさの中で、父は東京中が焼け野原になるという確信から、阿佐ヶ谷の屋敷を父親代わりだった兵衛の叔父さんに差し上げてしまう。戦時中のことで金銭のやりとりや土地の登録がどうなっていたのかわからないが、父に聞いてもこの件に関しては決して口を開かなかった。父は自分の父親が自分のために残した100坪余りの阿佐ヶ谷の屋敷を叔父さんに譲った。父は何があったのか決して言わなかったが、自分は親不孝者だった、と死ぬまで言っていた。
母は私が高校の頃、自分が昔住んでいた阿佐ヶ谷が今はどうなっているのか見たい、と言うのでそのあたりを連れて歩いたことがある。近所だったという大工の家がまだあって、嬉しそうだったが、どこからどこまでが屋敷だったのか皆目わからないまま帰って来た。

兵衛の大叔父さんは、亡くなる数年前から認知症が出てきてベッドの前のテレビをつけ放しにしていて見るでもなく見ないでもなく過ごしていたと父は言っていた。
亡くなって、お通夜に続く葬式からいったん帰ってきた父は ひどく怒っていて叔父の通夜でずっと付き添っていたが、丸一日水も飲めず食事も出されなかったというのだ。一人息子の大内力は、父が親族なのでお客様ではないからと言う理由で、訪ねてくる人々には食事や酒を出すのに父にはいっさい何も出そうとしない、と。「ああいう奴なんだ。」、「昔っから心の狭い、ケチな嫌な奴なんだ。」と、憤懣やるかたない。父はウイスキーで心が静まるまで、亡くなった方の一人息子をなじっていた。
兵衛の大叔父さんは92歳で亡くなったが、父が93歳になった時、実に嬉しそうに「私は叔父さんに勝ったぞ。」、「叔父さんよりも長生きで勝ったぞー。」と言った。余程嬉しかったのだろうが、なんで勝って嬉しいのかちょっと解釈不明ぎみ。

日本を離れて30年。両親はとうの昔に亡くなり、嫌で嫌で仕方のなかった大内姓からすっかり自由になっている。今の私には大内姓も死んだ昔の夫の北村姓も何の意味もない。

2016年9月2日金曜日

オーストラリアの年金と老人ホーム

                          
人は年を取れば色々な障害が出て来る。視野は狭くなり、物忘れするようになり、物事の判断基準が狭まり客観的に物を観られなくなって、自分一人の思い込みが強くなり、一つのことに固執しがちになる。五感の感覚が鈍くなり、手足の動きも鈍くなって運動機能が極端に落ちる。高血圧、痛風、糖尿病、関節炎、白内障などの症状が一挙に出てくる。排尿、排便障害が出てきて手当が必要になって来る。やがて、一人で歩行できなくなり、他人の助けなしで、生活ができなくなる。

日本は世界で先駆けて人口の4分の1が65歳を超え、老人国への道を一直線に突っ走っている。国民が働いて積み立てて来た、巨額の年金を抱えていて、その運用にいくつもの腐敗した政治家たちのスキャンダルが暴露されている。

ここにきて、福祉国家に中で、北欧が良い、いやベルギーが一番だ、ドイツも堅固だし、オーストラリアも老後を過ごすのに良い国だ、いやマレーシアが年金で暮らせて安上がり、フィリピンも良いじゃないか、、などと情報が溢れかえっている。
しかし人は自分が生まれた土地で教育を受けて、働き、税金を納め、その見返りとして老後の生活を、その土地で保証されることが、人の営みの基本だ。自分が税金を納めてこなかった場で老後を安泰に暮らそうと願うことは誤りだ。

オーストラリアでは、雇用者は被雇用者の働いて得る収入の9.5%を年金として積み立てる義務がある。私が1000円働いて、給料をもらったら、職場のボスは95円、私の名前でお金を積み立てなければならない。その雇用者が積み立ててくれたお金を私は投資に使ったり、そのまま貯金として持っていて、65歳を超えると全額引き出したり、少しずつ毎月受け取ったりすることができる。私はシドニーで働いて蓄えたその年金から1千万円下ろして、父の遺産を足したお金で、この1月に小さなアパートを買った。
しかしこの収入の9.5%の積み立て年金制度は、オットの時代にはなかった。福祉国家と言っても、オーストラリアはまだまだ底が浅い。

こういった自分が働いて積み立てた年金以外に、65歳以上年を取って働けなくなったら、国から老齢年金が出る。それを受け取るためには、それはそれは厳しい資産評価が、政府によって行われる。オーストラリアでは税務署とすべての銀行と年金を出す政府とは、綿密な情報のやりとりがあるので、国民は1ドルとして隠し金を持つことができない仕組みになっている。移民でできている国だから、外国から受給している年金や送金もすべて厳しく審査される。
老齢年金を受けられるかどうかは 上下する物価やその時の経済状況で変化するが、、概ね自分が住む家以外の、投資のための土地、財産、貯蓄、毎月の定額収入がある人は、老齢年金は受けられない。自分だけでなく自分のパートナーに財産や収入があれば同様に、年金は出ない。
今回、オットの場合は、2014年10月に大病を患ってから働くことができなくなり、週3日腎臓透析を受けなければならなくなり、以来6回入退院を繰り返し、収入が無くなり、莫大な医療費を払わなければならなくなったのに、パートナーの私に収入があり、処分できないオットの会社がネックになって、年金が出なかった。それを2年間の血の滲むようなバトルによって、政府の資産審査を覆し、オットの年金を獲得した。

それでも一月17万円足らず。自分の家がなければ生活していけない。水道、電気、ガスに電話代を払ったら、借家のために払う家賃は出ない。オーストラリアで年をとっても暮らそうとするならば、自分の家も持つことが第一条件になる。

シドニーでナースをしていて、オーストラリアでは老人施設が整っている、老人ケアの先進国だ、と言われて日本から見学者が絶えない。うなずける一面もあるが、老齢年金を受け、動けなくなった老人が老人ホームに入居するのに、いかに厳しい資産評価の審査をパスしなければならないか、事実として認識する必要がある。

オーストラリアでは民間、私立、教会が経営する老人ホームすべてを、政府が管理している。2014年から、一定の財産を持っている人は、その財産を処分しなければ老人ホームに入居できないようになった。家を持っている人は、家を売らなければ入れない。あるいは、2千5百万円から、1億円までのボンドと呼ばれる預け金を政府に納めなければ、老人ホームに入れない。ボンドを払うかどうかの政府による資産審査も、それはそれは厳しい。
資産審査を受けて、ボンドを払わなくて良いという判断が出て、晴れて老人ホームに入れても、毎日のケアに対する支払いが待っている。一日48.25ドル、毎日4500円ほど、月にして14万円くらいのケアにかかる費用が、自動的に老齢年金から差っ引かれていく。老人ホームに入れば、国が面倒を見てくれるが、年金はほとんど全額、老人ホームにかかる費用として差し出さなければならない。政府がやっと受給してくれた老齢年金の入った銀行口座から、政府が勝手に何の断りもなく老人ホームのケア費用を取っていったのには、はじめは驚いたが、しかし国が年寄りの面倒を見るということは、こういうことなのだろう。

年寄りが、なかなか死ななくなって、親が子供のために財産を残す、ということは、これからの老人社会では、夢の夢の話になるだろう。国は福祉国家を実現したいと考えている。誰もが年を取る。誰もが年をとっても快適に暮らせる社会を望んでいる。
しかしその道のりは遠く厳しい。

2016年9月1日木曜日

シドニーで老人介護に疲れて

               

途方もなく長い、真っ暗なトンネルを歩いていた。
今、「地上にたどり着いたんだよ」と言われ、明るい光を顔に当てられ、「大丈夫、まだ飛べるよ」、と励まされても、どうしたら良いのかわからなくなっている。

胃に穴が開くほどのストレスにさらされて、極端に睡眠時間を削られてきた、この2年間。

火曜水曜木曜金曜日と週4日、10時間ずつ病院で夜勤をして、家に帰れば24時間介護を必要とするオットが待っていて、火曜木曜土曜日は、着替えさせて腎臓透析のために病院に連れていく。オットの腕に針を刺し、マシンが動き始めるのを見て、5時間待つ。1時間かけて家に帰り、また1時間かけてオットを拾いに来ると、運転しながら眠ってしまいそうになるので、それは止めて近くの図書館で雑誌を読みながら待つ。5時間後に連れて帰り、着替えさせ、食べさせ、寝かせて、やっと自分も寝られる。3時間後に目が覚めて、オットを食べさせて寝かせて、仕事に飛んでいく。
翌朝仕事から家に帰りトイレに駆け込むと、トイレが汚れていて足の踏み場もない。オットは歩行器を使って、ほとんどカタツムリに速さでしか歩けないので、ベッドからトイレに行くまでの間に排便をコントロールできなくなる。汚れたトイレと、カーペットを洗い、パジャマやシーツについた汚れは洗濯機2回分、洗い流して干して、掃除が終わると、もうお昼。あわててベッドに入り、眠ろうとするが、眠れても眠れなくても夕方には、食事を作りオットに食べさせ、ベッドに入れて、また自分は職場に飛んでいく。
そんな毎日を2年間やってきた。
いつねるんだよ。

老人介護が大変、、、それだけなら良い。
腰痛体操や、ストレッチやヨガをしながら、体力を蓄えて、物理的にがんばる。
しかし
つらいのは、いつまで続くのか。先が見えないことだ。あと1年とか、行く先が分かっていたら我慢できる。オットは何度も死線を彷徨ってきた。あと1年の命、もう駄目かもしれない、と何度も何度も腎不全と心不全を指摘されながら、結構長く生きて来た。私個人で24時間介護ができないので、誰か助っ人が欲しいが、私の給料が基準よりちょっとだけ上回るらしく、コミュニテイーのホームケアが頼めない。コミュニテイーサービスは本当にお金のない人だけのものだ。

私の手に余り介護しきれないので、施設に入れたい。当然の要求だ。オットは17歳のときから80歳の今まで国に63年間高い税金を払ってきた。24時間ケアが必要になったいま、当然施設に入居する権利がある。しかし、オットが元気な時に2つの会社を持っていて、それを処分しない限り、老人年金も出なければ、施設にも入居できない、とセンターリンク(政府)は言う。何の利益ももたらさない名前だけの会社を、政府は1500万円の価値がある資産だと査定した。従って3千万円のボンド(政府に預ける資金で死後家族に帰される)を払わない限り、老人施設に入居させない、と言う。

オットには資産もなければ、老齢年金も出ない。病気で動けなくなった今、政府に3千万円払わないと、老人ホームにも入れない。オットの持つペーパーカンパニーに価値はないのに。私の給料だけではオットを食べさせ、莫大なオットの医療費を支払い続けることはできない。当たり前のことを、政府に訴えて来た。何十通と、数えきれない申請書、嘆願書を政府に送り、政府の「正しい判断」を求めて来た。政府に聞く耳はないのか。
先の見えない暗いトンネルに迷い込んで、ただただ働き、介護を続けてきた。

それにしても20年前に180万円で買った小型車トヨタ エコーが、20年後のいま政府の査定では、125万円の資産価値があるって、、、何だよ。20年前の小型中古車ですぜい。冗談もいい加減にして。わたしは政府に喧嘩売られたのだろうか。

この7月にとうとうオットに政府から老齢年金全額が出るようになった。やっと勝った。ばんざい。この細腕で政府からやっと、ほぼ「正しい判断」を勝ち取ったのだ。正義は強い。
しかし老齢年金全額って、月に17万円足らず。ともかく年金受給者の特権として老人ホームにオットを入れる。年金全額を老人ホームに渡す、ということで何とかボンドなしでやりくりできることになった。
入居したのは、ユナイテッド教会の経営する老人ホームで、運よくオットは個室に入居できて、個室には大型テレビもあるし、食事のメニューも選べる。ぜいたくー! とても満足している。週3回、救急車がオットを腎臓透析するために病院に送迎してくれるようになった。

暗い暗いトンネルから出られたんですよ。そう言われたが体が2年余りのストレスからくる重圧でひしゃげて、ねじまがり、大きな呼吸も出来なくなっている。気が付いたら1日朝から何も食べていなかった、というような2年間だったから、胃袋が何も欲しがらない。寝ても寝ても体が重くて疲れが取れない。

長い事、希望の見えない暗闇の中に居た。
これから太陽の光をあびて浮上しようと思う。

2016年6月10日金曜日

映画 「フロレンス フォスター ジェンキンス」

                          

アメリカ映画 
原題「FLORENCE FOSTER JENKINS」
監督:ステファン フレア
キャスト
メリル ストリープ:フロレンス フォスター ジェンキンス
ヒュー グラント :シンクレア ベイフィールド
サイモン エルべルグ:コシュメ マクムーン

ストーリーは
1940年代 ニューヨーク。
ペンシルバニア生まれのソプラノ歌手、フロレンス フォスター ジェンキンスは裕福で恵まれた生活をする中で自分のサロンを持ち、とりまき達を招待して自分の歌を聴かせていた。年に一度はリッツカールトンホテルでリサイタルを催し招待客を喜ばせていた。その中には、名のある作曲家や演奏家たちも含まれていて、フロレンスは彼らのスポンサーになって音楽活動を支えることを厭わなかった。彼女は舞台に立つとき自分でデザインした派手で豪華な衣装を身に着けた。当時もてはやされたタブロービバント(TABLAU VIVANT)活人画に出てくるような、背中の羽のついた天使のような衣装や妖精、や女王などオペラ顔負けの、ど派手な衣装で舞台を務めた。
それを知って、沢山の音楽ファンがフロレンスのリサイタルやサロンの招待券を欲しがった。人々は、彼女がどんな素晴らしい歌手なのか、立派な音楽家たちのパトロンになっているからには、どんな素晴らしいオペラを歌うのだろうかと、噂し合った。

フロレンスの舞台をマネージするのは、フロレンスの夫のシンクレア ベイフィールド。彼はイギリス出身のシェイクスピア舞台俳優出身で、ブロードウェイで活躍した役者だった。二人はニューヨークマンハッタンのアパートで仲良く暮らしていた。

新しいピアニストが雇われることになった。オーディションが行われ、沢山の応募者の中から若干20歳のメキシコ人、コシュメ マクムーンが採用されることになった。給与は週150ドルという破格の条件だった。意気揚々とマクムーンがフロレンスのスタジオに行き、フロレンスの歌を初めて聴いて、彼は腰を抜かすところだった。フロレンスの夫も、歌の教師も平然としているが、フロレンスは間違いようのない、完全、完璧な「音痴」だったのだ。音程が取れないだけでなく、リズムも数えられない、限られた声域しか持たず、オペラの歌詞を発音することも出来ないひどい音楽音痴だった。

しかしそんなフロレンスのために誠心誠意をこめて、尽くしている夫シンクレアを見て、マクムーンもまたフロレンスのためにピアノを弾き、フロレンス夫婦の良き友人であろうとした。フロレンスは梅毒を患っていたので、夫シンクレアとは寝室を別にしている。彼には若い愛人が居る。ある日、シンクレアが愛人と旅行している間に、フロレンスは自分一人で、カーネギーホールでリサイタルを開く事を決めてしまった。2千枚のチケットは、戦争に行く兵士たちに慰労のために特別招待をする手筈を整えてた。慌てたのは、夫のシンクレアだ。フロレンスのとりまきだけでなく、一般客にフロレンスの声を聴かれてしまう。今まで彼女の歌を酷評しそうな人には招待券を渡さないように用意周到に準備してきた。仮に酷評されてもそれが彼女の目に触れることはないように処理してきた。
ピアニストのマクムーンは、カーネギーホールで伴奏するのを断る。将来のあるピアニストが、歴史あるカーネギーホールで音痴の歌手の伴奏をするわけにはいかない。

しかしシンクレアの熱心な懇願に負けて、マクムーンは覚悟を決める。どんなに聴衆に笑われても耐えるしかない。戦場に向かう若い兵士たちを含めてカーネギーホールは満席になった。固唾をのんで衆人が見守る中、きらびやかなドレスに天使の羽を背中につけ、羽の扇をもったフロレンスが優雅に檀上に立った。歌が始まりフロレンスの抑揚の無い声が会場に響き渡る。長い聴衆の沈黙のあと、会場は爆笑に包まれる。
しかしフロレンスは、舞台のそでに居る夫シンクレアの笑顔に励まされて全く動じない。聴衆は嘲笑にびくともしないフロレンスに、しまいには感動して拍手、ブラボーを連発する。かくしてリサイタルは大成功となって終了した。

翌日、どの新聞もシンクレアの手が回っていてフロレンスのリサイタルを褒めたたえる批評ばかりだった。一誌の除いて。シンクレアの賄賂が効かなかった唯一の正統派の新聞は彼女を当然のことながら酷評した。シンクレアは、マクムーンと共にこの新聞がフロレンスの目に入らないように買い占める。しかし、ちょっとした隙に、フロレンスはこの酷評を読んでしまう。
フロレンスの死が伝えられたのは、その一週間後のことだった。
というお話。

史実をほぼ忠実になぞって製作された伝記映画。実際に存在して敬愛されたり、嘲笑われたり、あきれられたり、ののしられたりしながらも、自分の愛する音楽のために生きたソプラノ歌手のお話。彼女の名を検索すると実際彼女がレコードに吹き込んだ、大きく音の外れた抑揚の無い声を、聴くことができる。
ペンシルバニアの山々を所有していた裕福な法律家の父をもち、そんな父親が音楽留学をさせてくれなかったからと言って、家出して18歳で医師のもとに駆け落ちし、父の死後は、財産を相続して何不自由のない裕福な生活を送った。そのうえ彼女は死ぬまで大きな包容力で支え尽くしてくれた7歳年下の立派な夫を持った。財政的には幸運だったが、18の時に駆け落ちした相手に梅毒を感染させられて、当時の治療に水銀が使われた為、中枢神経を患い、左手が利かなくなってピアノが自由に弾けなくなってしまった。76歳で亡くなったが、往診に来た医師に、こんなに長生きした梅毒患者を初めて見た、などと言われている。自分でピアノが弾けなくなっても音楽をあきらめず、自分には歌があると使命感に燃えて歌い続けて、一人でも多くの人を元気つけたいと純粋に願っていた。

フロレンスがピアニストの家を訪れて、両手でショパンのピアノコンチェルトを弾こうとする。が、左手が動かない。何度も弾こうとするが自分の手が思うように動かず、泣き出しそうになった時 静かにフロレンスの横に立ったマクムーンが左手で伴奏を弾き始める。ショパンを二人で弾くシーンがとても良い。しんみり。良い曲だ。これをランランが弾いている。ソプラノ歌手とピアニストとの本当の心の交流が生まれる大切な場面だ。

映画の中でオペラ「魔笛」の夜の女王のアリアが歌われる。コロラトゥ―ラの難しいアリアで、このオペラの成功がこの歌にかかってるというような大切な曲だが、フロレンスは、フロレンス風に歌って、しっかり「げんなり」させてくれる。なんてひどいんだ。
他にもモーツアルトのオペラも、シュトラウスも、ベルディの「リトルカーネイション」も、「よせばいいのに」歌ってくれる。

彼女がオーディションでピアニストを選ぶとき、他の誰もが難曲をガンガン弾いて見せたのに、このときコシュメ マクムーンが弾いたのはサンサーンスの「白鳥の湖」から白鳥の舞いだ。これですっかりフロレンスに気に入られたマクムーンは、最後フロレンスが死の床に居る時に再び、これを弾いて聞かせる。フロレンスは「瀕死の白鳥」を思い描きながら静かに死んでいく。このシーンも美しい。これもランランが弾いている。

映画の中で歌っているのは本当のメリル ストリープだ。「思い切り気持ちの悪い高音の裏声」で、オペラの名曲の数々を歌っている。すごい役者だと思う。音を外して歌うのは外さずに歌うよりも難しい。役者になる前はオペラ歌手志望で、声楽訓練していた彼女は歌える女優だ。ミュージカル「マンマミア」(2008年)でも気持ちよく歌っている。
とても耳の良い女優で、彼女のまたの名前は、「訛りの女王」。役柄に合わせてその役の人がどこの言葉でどんな訛りを話すのかを研究して、それをマスターしてから台詞を覚えると言う役者の中の役者。クイーンズイングリッシュや、アイリッシュ訛りなど、お茶の子さいさい、「アウトオブアフリカ」ではデンマーク語訛りの英語を話し、「ソフィの選択」では、ドイツ語のポーランド訛りを自在に使っていた。アメリカ英語に中でも、役によってニューヨーカーの英語と他の地域のアメリカ語と、ちゃんと使い分けているのだろうが、私には違いがわからない。

メリル ストリープ主演の映画の中では、「ソフィーの選択」が、一番好きだ。原作を読んで感動し、映画を観て感動した。戦争を生き残ったユダヤ女性が、戦後になってそのトラウマから壊れていく姿があわれで哀しい。カメラの視線によっては、ものすごく美しい女になったり、すさまじく醜く見えたりする彼女の表情の変化に性格俳優としての神髄を見る思いだ。
「ジュリア」(1977)、「デイアハンター」(1978)、「クレイマークレイマー」(1979)、「フランス軍中尉の女」(1981)「ソフィーの選択」(1982)、「愛と哀しみの果て アウトオブアフリカ」(1985)、「激流」(1994)、「マデイソン郡の橋」(1995)初期の作品であるこれらは、みんな大好き。
「プラダを着た悪魔」(2006)、「マーガレットッサッチャー」(2011)などでアカデミー賞に、19回ノミネートされて、ゴールデングローブ賞に29回ノミネートされていることで、俳優として最多記録を持つ。今年67歳。今回の役は実際の彼女の年齢の役をのびのびと演じている。

音痴は脳がもともと正しい音を捕えられない聴覚機能不全と、聴いた音を正しい音程で伝えられない運動性機能不全とがある。フロレンスの場合、前者であって治療の方法は、当時はなかっただろう。運動性音痴は、腹式呼吸をマスターし、ピアノと共に歌ったり、太鼓やメトロノームを使って歩きながらリズム感を鍛えれば、音を外さずに歌えるようになる。はずだ。

自分を素晴らしいオペラ歌手だと思い込んで、歌をレコードに吹き込んだり、リサイタルで華々しく活躍して、真に音楽を楽しんで死んでいったフロレンスの生涯も興味深いが、彼女をしっかり支えた夫シンクレアという人物に興味が湧く。
映画の中でフロレンスに資金援助してもらっている音楽家が、君もフロレンスによくしてもらってるだろう、と言われているシーンがある。俳優として鳴かず飛ばずだったシンクレアは、フロレンスとマンハッタンの高級アパートで贅沢な暮らしをしていたが、パトロンと若い燕の関係でなく、二人は36年間フロレンスが死ぬまで仲良くいつも一緒だった。互いに互いの「芸術性」を尊重し合い支え合っていた。フロレンスの死後、シンクレアは ピアニストと再婚し、91歳まで生きたそうだ。彼が死の床で聴いたのはどんな音楽だっただろうか。すっかり年を取ったオックスフォード大学卒の英国俳優、ヒュー グラントが、とても良い味を出している。
とても心が温かくなるような良い映画だ。

2016年5月29日日曜日

日本映画 「あん」


         

原作:ドリアン助川
監督:河瀨直美
キャスト
樹木希林 :徳江
永瀬正敏 :千太郎
内田伽羅 :ワカナ

ストーリー
喧嘩の末、刃物で相手に重篤な障害を負わせてしまった千太郎は、刑務所から出所した際、多額の借金を知り合いに肩代わりしてもらった。借金を返済するために、その人が所有するどら焼き屋の雇われ店長として働かなければならない。家族も親しい人もなく、千太郎は、来る日も来る日も、どら焼きを焼く。店には学校帰りの女学生が常連でやって来る。中にいつも一人で来るワカナがいる。彼女は母親と二人でアパートに住んでいるが、母親には若い恋人が居る。いつも一人ぼっちのワカナの話を聞いてくれるのは、小さな籠のカナリアだけだ。

ある日、ひとりの老女がどら焼き屋を訪れる。雇ってほしいと言う。千太郎は彼女の年を聞いて断るが、徳江と名乗る彼女は自分が作ったというどらやきを、一口食べてみて、と言って置いていく。いったんそのどらやきをゴミ箱に放りこんだ千太郎だったが、気になってあとで食べてみて驚いた。甘いものが苦手な千太郎の舌にも美味しいと思う。しばらくして、再び千太郎の店を訪れた徳江に、千太郎はあんの作り方を教えてほしい、と頼み込む。それを聞いて有頂天に喜んだ徳江は、さっそく翌日から千太郎にあんの作り方を伝授する。やがて、美味しくなったどら焼きは評判になり、朝から客が並ぶような店になった。

しかし人気はいつまでも続かない。手指が腫れて変形した徳江の姿を見て、店の所有者は、徳江がライ病療養所に住んでいることを突き止めて、彼女を解雇するように千太郎に言い渡す。徳江は店を辞めた。しかし店の人気は落ち、客はもう戻って来ない。

ワカナは気落ちしている千太郎を誘って、徳江の居る療養所に会いに行く。二人は療養所で歓待されて、おしること、塩こんぶを出されてご馳走になる。千太郎はそこで甘い物に辛みを合わせると、味が引き立つことを教わる。一方客の遠のいた、どら焼き屋の所有者は経営を立て直すため店を改造して、自分の甥を店長にしてお好み焼き屋を始めることにした。
意気消失する千太郎とワカナは再び徳江に会いに行く。しかし徳江は肺炎で3日前に亡くなっていた。徳江が千太郎に残したものは、徳江が大事にしていたあんを作る道具一式だった。
というお話。

タブーだった元ライ病患者を正面から扱ったこの日本映画「あん」は、観終わって感動が波の様にひたひたと押し寄せて、心に染み入るような、良い映画だった。シドニー北部の小さなマイナーな映画を見せてくれる映画館で、一緒に観ていた沢山のオージー観客も感動して観終わった後拍手していた。
過失致死で罪を問われ刑期を終えて、何もかも失って、さらに借金を返さなければならない。喜びも悲しみも、希望も未来もない、そんな「ぬけがらのような男の魂」が、無垢な老女によって救済されていく様子が描かれている。またカナリアだけが話し相手だった中学生の少女の孤独も、邪鬼のない老女によって救われていく。70代の老女と、中年にさしかかった男と、中学生の女の子の3人が、強い絆で結ばれていく。3人が3人とも虚飾もなく、言い訳もなく、言葉少なく本心だけを吐露することによって、強い求心力によって結び合っていく様子が、せつない。

映画の中で、一度も笑顔をみせたことがなかった千太郎が、最後に晴れ晴れとした笑顔で、徳江の残した道具で作ったどらやきを、公園で作って客の呼び込みをしている姿が、とても良い。笑顔は、良いものだ。映画を観ていて痛んだ心が、ここで一気に解放される思い。また、ワカナは中学で学校をやめて家を出るつもりでいたが、高校に通う決意をする。みすぼらしい母親などに寄りかからずに生きていくために、自分の基礎をしっかり作らなければならない。
徳江の残したものは大きい。「生まれて来たからには、無駄な命なんてない。」「人は自然の美しさを観て、自然の声を聴くために生まれて来た。」という徳江の言葉がすべてを語っている。療養所から出て自由な人生を歩んだことのなかった徳江の言葉だけに重い。

満開の桜で、映画が始まりドラマが展開して、満開の桜で終わる。画面いっぱいに桜の花が咲き誇る並木が、次々と映し出されるごとに、映画館の中がオージー観客の溜息と、ビューテイフルとささやき合う声が繰り返された。ソメイヨシノの淡い、もうほとんど白といって良いほどの桜が、本当に美しい。オーストラリアは人口が少なく、日本映画を上映してくれるような映画館がごく限られる。この映画が見られたのは、幸運だった。監督の河瀨直美は、「もがりの森」で、映像の抽象画家のように自然を美しく描く彼女の映像画面が印象的だった。日本のルノアールか。

ライ病差別は日本に限らない。オーストラリアも隔離政策による’犠牲者を沢山抱えている。無知による差別の歴史は、良心の痛みの歴史でもある。
感染症ライ病を一般社会から完全に隔離することを目的とした悪名高き 「らい予防法」は1996年になって、やっと廃止された。その後、隔離されていた患者の救済を目的とした「らい予防法違憲国家賠償訴訟」は、伝染の恐れがあるとして隔離することを認めたらい予防法は日本国憲法に違反する、として提訴され、2001年になってやっと、原告勝訴を獲得した。当時の小泉純一郎総理大臣が、国として控訴を取りやめたことで、遂にライ病予防法廃絶と、患者救済と保証金支給に関する法が施行されることになった。
1953年に施行された「らい予防法」は、科学的根拠のない差別むき出しの法だった。患者は国の指定した療養所に強制的に入所されられ、外出を制限され、後見人や親権のない患者やその子供達は、療養所の所長が親権を持ち、療養所内で教育を受けた。優性思想によって、患者は断種、子宮除去手術を受け、死後は骨を引き取る人が居ない為、療養所内の納骨堂に収められ、元患者は、死んでからでさえ故郷に帰ることはできなかった。

古くは聖書にさえ、ライ病患者への差別が見られる。ライ病患者は一般社会から駆除されて、自分たちのコミュニテイーを作っていた。旧約聖書物語を映画化した、チャールトンヘストン主演の映画「十戒」でも 差別されている患者達の姿が描かれている。中世においては、ライ病は仏罰、神罰であって、罪ある者が神によって罰を背負わされていた、と理解されて非人扱いされていた。患者の多くは零場への巡礼の旅に出され、寺や神社のまわりに住まい、乞食として放浪した。

90年に及ぶライ病隔離政策は、終止符を打ち患者は一応救済されたが老齢の患者たちは、故郷に引き取り手もなく、今までの療養所にとどまり、そこで死を待つ者が多い。ライ病は皮膚症状からみて、関節リウマチ、サルコイドーシス、全身エリテマド―シスなどと誤診されることも多かった。こうした自己免疫疾患を誤診されて治療の機会を逃した患者たちは、ライ病予防法国家賠償からも、取り残された。
ライ病は細菌感染疾患なので完治するが、早期発見と早期治療がなされないと末梢血管にダメージを受けて手足の指や鼻など変形することが多い。細菌感染は自己免疫能力が落ちていると誰でも感染する可能性がある。決してなくなった疾患ではなく、現に今でも、毎年患者がわずかだが出ている。ライ病問題は、医療問題ではなく、無知なために差別を許してきた社会の問題だ。

深刻な社会問題を、肩の力を抜いて平易な言葉で書いた原作者、ドリアン助川を心から尊敬する。ドリアン助川が、「叫ぶ詩人の会」を主宰していたころから、注目していたが、本当に、人の感覚に鋭敏で、それを表現しまっとうなことを語る人だ。この映画でカンヌ国際映画祭に招待されて、作品の契機になった元患者さんの車椅子を押して、監督も一緒にみんなでカンヌに行ったという。

この作品は読書感想中央コンクールで、中学高校の指定図書だそうだ。差別を語り続け、忘れないために、これからもずっと子供たちの必須図書であって欲しいと思う。


2016年5月28日土曜日

今年のユーロビジョンソングコンテスト

       

今年のユーロビジョンソングコンテストでは、ウクライナ代表が優勝した。
ウクライナ、クリミアに住むタタール人で、ジャマラという若い女性歌手が、自作のおばあさんに捧げる歌を歌って、ヨーロッパ中の視聴者から最高得点を得票した。ユーロビジョンコンテストでは、ヨーロッパ、43か国の参加国のうち、視聴者の誰もが自分の携帯電話を使って、自分の好きな歌手に投票することができるが、自分の国の代表歌手に投票することはできない。
ジャマラの家族は、タタール人だと言うだけの理由で、1944年スターリンによって、迫害されてクリミアから、遠くシベリアまで送られ強制移住させられた。当時、スターリンは、蒙古系のタタール人のような少数民族や、ユダヤ人を徹底的に迫害した。ジャマラは、タタール語でそのときの、住み慣れた故郷を追われた人々の深い哀しみを歌いあげた。

優勝を決めるほどの人々が、彼女の歌に投票したということは、いまヨーロッパでは、かつてない大量の難民が移動していて、故郷を奪われた人々の悲しみが、他人事ではなかったのかもしれない。今年は、中国でも、アメリカでもこのコンテストが実況中継されて、文字通りユーロビジョンコンテストが、世界に発信されて、ユーロだけでなく世界ののコンテストになった。

オーストラリアでは過去30年ものあいだユーロビジョンはものすごく人気があって、年々それも熱を帯びてきている。ヨーロッパからきた移民から成り立っている国だから、自然なことかもしれないが、私がオーストラリアにきたばかりの20年前の頃、オージーたちの異常な熱中ぶりを、不思議に思ったものだ。ヨーロッパから何千キロも離れ、丸一日飛行機に乗っていなければ、たどり着けないヨーロッパは、昼と夜が真逆だし、好きな歌手が出て来ても投票することもできない。それなのに、どうして熱をあげるのか。理解不能。
それが、3年前の2014年ユーロビジョンでは、開催国デンマークで、オーストラリア代表が、特別出場できることになった。その前年の優勝がデンマークだったので、2014年はコペンハーゲンが会場になったが、この国の皇太子フイリップのお嫁さんのマリアが、タスマニア出身のオージーなので、ユーロビジョンコンテストの幕間に特別参加で代表者が歌を披露する栄誉を与えられたのだ。

この時、オーストラリア代表歌手には、アボリジニ出身のジェシカ マウボーイが選ばれてユーロビジョンの舞台で歌った。彼女は音感が優れていて声量もあり、素晴らしい歌手だ。このときは、彼女が歌ううしろを、カンガルーやサーフボードが飛んだり跳ねたりする、愉快な舞台になった。
それがきっかけになって、翌年2015年、オーストリアのウィーン開催のユーロビジョンコンテストに、オーストラリアも他の国々と同様に参加できるようになって、投票もできるようになった。ユーロビジョンは、欧州放送連合の加盟国だけが参加できることになっているが、長年参加を希望してきたオーストラリアが仲間入りすることに、反対する国はなかったそうだ。(何故だ?)
2015年、オーストラリア代表は、マレーシア人オージーの、ガイ セバスチャンが選ばれて、ヨーロッパ代表歌手と同じ舞台に立ち、人気投票も第5位を記録した。

そして今年はオーストラリア代表に、韓国生まれのオージー、ダミー インが選ばれた。小柄ながら驚くほど声量があって朗々と歌う。9歳の時に韓国からオーストラリアに移民してきたそうだが、彼女のパワフルなパフォーマンスは驚くばかりだ。コンテストの結果、オーストラリアは第2位に選ばれた。1位をウクライナのジャマラに奪われたが、1位になっていたら来年はユーロビジョンの開催国がオーストラリアになっていたところだ。

それにしてもユーロビジョンに出場するオーストラリア代表歌手が、始めはアボリジニ、去年はマレーシア人オージー、今年は韓国人オージーが選ばれて、毎年良い結果を出しているところを見ると、オーストラリアが、いかにマルチカルチャー国家かを、宣伝しているかのようだ。アジア人の自分としては、韓国人の健闘が、とても嬉しい。

ユーロビジョンのついでに、、ロギー賞というのがある。ユーロビジョンと同じ5月に、オーストラリアのテレビ界で、一番活躍した人を、一般投票によって選んで表彰する式典だ。普段テレビでおなじみの顔が、アカデミー賞なみに派手に着飾って集まり、テレビドラマで一番活躍した主演女優賞や、主演男優賞なども、同時に選ばれて表彰される。
そのテレビ界で最高のゴールドロギー賞と、シルバーロギー賞の両方を、チャンネル10の報道番組、ザプロジェクトの司会を務める ワリード アリが選ばれた。彼はオーストラリア生まれのエジプト人、イスラム教徒だ。
受賞の席で、スピーチを求められ彼は、自分の本当の名前はモハメッドです。本当の名前を言っていたら誰も雇ってくれなくて就職もできず、今日の自分は無かったことでしょう。と言い、会場を埋め尽くしたテレビ関係者に、軽るーく、カウンターパンチをくらわせて、お祝い気分で浮かれていた人々をシュンとさせてくれた。このスピーチを聞いていて、泣き出したテレビパーソナリテイも居た。注目の場で、本名をカミングアウトした彼は、普段は目に見えないが、依然として、執拗に人々の心に巣喰っている人種差別を指摘してくれた。とても勇気の要ることだが、とても大切なことだと思う。

マルチカルチャー:多民族文化国家に暮らして、ユーロビジョンなどを見ていると、人種差別など乗り越えられているかのように錯覚しそうだ。でも、人種差別の対局にマルチカルチャーを置いて、立派な差別禁止法もあることだし、差別問題がすでに解決しているなどと安易に考えられると困る。差別の根はもっと深い。

(写真は韓国人オージーのダミーイン)

2016年4月29日金曜日

ドキュメンタリフイルム「ダイビングベル」セウォル号の真実 真実は沈没しない

            

監督:アン へ リオン
製作:ファン へ リム

事故は2014年4月16日午前8時48分に起きた。
大韓民国、仁川港を出て済州島に向けて運航していた大型旅客船セウォル号が、済州島の手前18キロのところで、急激に右転回したことによりバランスを失い横転し、沈没した。ダンウオン高校の修学旅行の生徒たち325人、教員14人、一般客108人、乗務員29人の合計476人を乗せていた。救助活動の不備のため、304人が亡くなり、救助活動に携わったダイバー8人も命を落とし、救助されたのは,たった172人だった。

事故から2時間後に教育長が修学旅行のために乗っていた生徒325人は全員救助されたと、生徒の保護者たちに一斉にメールをしていた。其の4時間半後に、事故対策本部は、全乗客476人のうち368人が救助され、約100人が不明だと発表。その3時間後に今度は、海洋警察が300人が不明だと発表していた。
混迷する情報に、保護者達は同校体育館に集まり、海洋警察の説明に苛立った。保護者達は、携帯電話を通して自分の子供達がいまだに船内で救助を待っていることを知っていた。状況を把握していない海洋警察に業を煮やした保護者の一部は、済州島に来て、漁船をチャーターして事故現場に行った。そこで彼らが見たものは、現場には対策本部さえできておらず、「640人の救助隊員、ヘリコプター121機、船舶69艘が救助にあたっている、」という警察発表がまったく偽りだという現実だった。

ドキュメンタリーフイルム「ダイビングベル」の語り部は、ジャーナリスト、GLOBALニュースのリー サン ホーだ。彼は自分の足で取材していて、「640人の海軍を含めたダイバーが救助活動をしている」 という政府発表が、全く事実に反することを知っていた。すでに6月19日となり、事故から3日経っているが、たった8人のダイバーが現場までボートで行き帰って来ただけだった。彼は民間のボランテイアのダイバーにインタビューした。彼らは現場で海洋警察に妨害されて、何の救助活動もできなかったと、証言している。
政府は、海洋警察、海軍、水産庁、独占的に救助を依頼されたオンデイ―ヌ社と結束していて、民間のボランテイアも、日本からの援助も、米軍からの救命ボートのオファーもすべて断っていた。それでいて19日時点でも、「海洋警察は720人の救助隊員、261艘の船、35台のエアクラフトが救助活動をしている」 と公表している。オンデイーヌ社のリー サン ホー社長は、海中から生存者を救出することは大変困難だ、と言っている。政府も警察もオンデイーヌも、すでに乗客を生きて救出など出来ない、と知っていたのだ。

ジャーナリストリー サン ホーは、社から解雇されたが、気にせず海洋事業で海難救助に詳しい人を探し回り、民間会社のリー ジョン インに出会う。彼はダイビングベルがあれば、転覆した船のエアポケットの中にいる生存者を救出できるという。ダイビングベルとは鉄製の釣り鐘型の救命機で、中では4人の人が座って普通に呼吸ができるという’装置。アメリカで沈没した戦艦に閉じ込められて30メートル海中で船内のエアポケットに居た兵士を救助した記録がある。これを使えばダイバーは、20時間も海中で捜査、探索ができるという。リー ジョン インは$150000もするダイビングベルを取り寄せて21日に、現場に向かう。 しかし、大型ボートでダイビングベルとともに、現場に行ったリー ジョン インと彼の仲間たちは、海洋警察に恫喝されて戻って来る。メデイアは、そろいもそろって「ダイビングベル設置できずに失敗」と報道する。ジャーナリストのリー サン ホーと、リー ジョン インは自分たちの前に立ちはだかる「権力」というものの大きさを改めて知らされる。

帰ってこない子供達に思いをはせる保護者達は黙っていない。海洋水産庁長官リー ジュ― ヤングと、海洋警察署長キム スック キョンを前に、「この3日間、救助と言いながら何もやっていないではないか、750人の救助隊員とは、どこにいるのか」と、追及し、怒りを爆発させていた。 その場でジャーナリスト リー サン ホーは、ダイビングベルを試してもらいたいと提起して、海洋水産庁長官と海洋警察署長の承認(オーダー)を取り、保護者達の賛同も得て、リー ジョン インに戻ってきてもらうことになった。
2度目のダイビングベルの登場。しかし当日になってみると、同行するはずのメデイアは見当たらず、船に同船するはずの保護者達も居ない。それでも 「わずかな人は私の失敗を待っているが、ほとんどの人達は成功して奇跡が起こることを望んでいるはずだ。」 と言ってリー ジョン インは港を後にする。そして再びセウォル号に近付くと海洋警察の停められて、「腹を刺されたいか」と恫喝威嚇される。

3度目の強行。ついにダイビングベルはセウォル号に取りつき海底探索を決行する。70メートル海中を2時間近く調査して浮上した。いままでの海洋警察のダイバーがダイビングできたのは11分、海軍が26分、それに比べてダイビングベルでは2時間捜査探索ができる。リー サン ホーと、リー ジョン インは、嬉々として、これで今後は海洋警察と海軍がこのダイビングベルを使って効果的に捜査できるだろうと、小躍りする。
しかし、翌日リー サン ホーとリー ジョン インが受け取った海洋警察の言葉は、「そこをどけ。」「帰れ」だけだった。
という記録。このドキュメンタリーフイルムは釜山映画祭で上映されたが、その執行委員長が更送された。

事故から2年経ち、いろいろな事実が明るみに出て来た。YOU TUBEだけでも、「DIVING BELL」、「NEWSTAPA:KCIJーGOLDEN TIME FOR SEWOL FERRY」、「UNCOVERING THE WEB OF INTRIGUE SURROUNDING THE SEWOL FERRY DISASTER」、「NEWSTAPA SEWOL FERRY ONE YEAR SPECIAL」などなどを見ることができる。亡くなった生徒達が送ったメッセージやビデオも、それを受け取った保護者達が記録として残している。セウォル号が沈没し、多くの死者が救出できなかった原因は。
1) 過剰積載オーバーロードで、積荷は基準の3.6倍もあり、大型車両などの貨物が固定されておらず、極めて不安定だった。
2) 操縦席に船長は不在、船長を含め、乗員全員が契約社員だった。事故当時操縦は入社4か月、26歳の女性三等航海士ひとりに任されていた。
3) 不適切な船体改造で、船体がバランスを欠いていた。過剰積載のバランスをとるための水が4分の1しか注入されていなかった。
4) 船体の公的機関、監査院による安全のための定期検査が行われていなかった。役所との癒着が船の安全を失わせた。
5) 船の機械そのものに欠陥があった形跡がある。
6) 船の引き上げ、乗客救助を民間会社オンデイーヌ一社に不正に独占契約させた。当会社は海洋警察と癒着し海洋警察の天下り先となっている。この独占企業が他の民間企業の協力を拒み、他国からの援助も拒否する結果となった。

時間を追って問題を見てみると
4月16日午前8時49分
セウォル号を船長に代わって操船していた入社4か月の契約社員三等航海士パク ハン ギョルは、この航路での操船は初めてだったが、16-18ノットで航海すべきところを21ノット(時速39キロ)のスピードで航行し、19ノットで急旋回したため、船体が傾き荷崩れが起きた。彼女は5度以上の操船角度で回せば沈没の危険があることを知っていて15度以上の大角変針して船を沈没させ、その後乗客に救護措置をとらずに船から脱出した。

船には大型トレーラー3台、車両180台(245トン)、コンテナ150本(1157トン)など、合計3608トンの貨物が積荷され、それらは固定固縛されていなかった。基準の987トンを大幅に上回った重荷を載せているため、それを隠すため船体のバランスをとるため注入されるべき2000トンの水を、その4分の1に減らしていて、580トンの水しか入っていなかった。またこの船は 2012年に輸入され、客室拡張のため、客室2階部分が増設され船体重心が上昇していた。そのため、船体は極めてアンバランスな状態になっていた。

イー船長は事故発生当時、自室に居たが、船の事故を知ると、9時35分に最初に到着した海洋警察の船で逃亡した。これは大韓民国船員法「船長は緊急時に際して人命救助に必要な措置を尽くし旅客が全員下りるまで船をはなれてはならない」の違反しているため、後に高裁で、殺人罪で無期懲役を言い渡されている。
チョン ヨン ジュン副船長は前日に入社したスタッフで、セウォル号安全設備担当者も同日に入社、事故当時乗っていた船員15人のうち、8人はセウォル号乗船半年未満だった。
乗員たちが、乗客の誘導、救護をせずに、いちはやく逃げ出した理由は、20年以上前の救命ボートが使えないことを知っていたからだと、思われる。錆とペンキの塗り替えで救命ボートも、46個のカプセル状の筏も、下ろせず使い物にならない状態だった。
乗員たちは、みな制服から私服に着替えてから、乗員だけが知っている通路から救助されており、乗員として許されないことをしている自覚が十分あった。船長はズボンを脱ぎ捨てて「救助」されている。 また、のちには、いち早く救助された乗員たち15人は、海洋警察が宿泊しているホテルに滞在し、逮捕されるまで全員で口裏を合わせて罪から逃れるための画策をしていた。
高裁判決では、殺人罪を適用された船長を始めとして、14人は、遺棄致死罪で懲役1年6か月から12年まで言い渡されている。

この船会社では、緊急避難教育が全くなされていなかった。船員教育費年間:54万ウオン、広告費:2億3千万ウオン、接待費:6060万ウオンという記録がある。オーナーの楡氏に対して警察は、彼の国外逃亡を阻止しようと、彼が創設したキリスト教団体クムス院を6000人の機動隊を動員して捜査し、全国指名手配、情報提供者に5千万円の謝礼が約束された。彼はカナダとフランスに亡命申請していた。しかし2か月後に彼の変死体が見つかる。

事故後、9時24分に船は45度に傾いている。9時45分に船は62度に傾いていて、それまで船内放送で、「救命胴着を着用して待機するように、動かないように」 と幾度も念を押されていた生徒達も自分たちの客室で待っていることに、疑いと極度の不安にかられていた。傾斜した客室で落ちて来た家具などで死者、けが人も出ている。
9時43分に息子を会話をした父親が 「、言われたように待機していなさい。かならず救助されるから。」と言って携帯電話を終えた。その父親が、自分を責めて、ジャーナリスト リー サン ホーと泣きながら政府に抗議、真相究明の行進に参加している。9時56分の生徒が送って来たビデオには、エアポケットで心理的恐慌状態の沢山の生徒達が写っている。10時15分に生徒の「待て、待てだって」 という言葉が最後。それまで待つように、と放送していたアナウンサーが、同じ時間に、初めて全員脱出するように促したと言われている。しかし、この放送を誰か聞いて実行できた生徒はいない。

驚くべき権力との癒着。
見えてくるのは権力者と企業との腐敗した癒着だ。金権主義に染まっていて、子供達の安全など考えもしない。国と、海洋警察と、海軍、癒着企業の権威を取り繕うことしか考えない政府の公式発表。何事が起きてもすぐに誰かがトップになり、その他は追従する。極端に先の尖った三角形のヒエラルキーが出来上がり、一旦パワーが確保されると、どんなに人々が声をあげようが、嘆こうが、犠牲が出ようが、変えることができない。固定した「堅固な警察社会」。

混乱する現場を強力な権威:海洋警察が独占指揮を執る。民間ボランテイアやダイバー、海軍さえも海洋警察に従わなければならなかった。それはそれとして、しかし、ならば何故 生徒達が船内にとどめ置かれていることがわかった時点で、何故、どうして海洋警察は船内に入って生徒達を誘導、救助しなかったのか。市民国家にとって、ポリス:警察が市民を守らないで信頼できないとは、どういうことなのか。船が横転してから沈没するまでの1時間20分、海洋警察は何をしていたのか。

こういったドキュメンタリーを観るには覚悟が要る。
子供を失った保護者達にとっては事件は終わっていないし、いまだ海の底に沈む船内に居て保護されていない遺体もある。船の引き上げが完了するまで、見届けると言って、船の見える丘に代わる代わる座り込みをしている保護者達も居る。真相究明は、まだこれからだ。
この世で一番耐え難いことは、まちがいなく自分の子供を失うことだろう。子供のために生きて来たのに子供に先に死なれたら親は生きる価値はないと、自分を責めるしかない。今まで、これだけ嘘を重ねてきた政府権力者からの見舞い金など、受け取れるか、と拒否する保護者達の気持ちはよくわかる。

いま私たちは、テイシュペーパーボックスを次々と空にしながら、このようなドキュメンタリーフイルムを見ることが大切だと思う。何年経っても記憶して、いつまでも、こういった不正が行われ、無垢な子供たちが本当に苦しみながら殺されて逝ったのだということを、忘れない。記録を見て、強く記憶にとどめ、権力を憎み続ける。

2016年4月16日土曜日

映画 「ザ ウォーク」

                     
監督:ロバート ゼメキス

キャスト
ジョセフ ゴードンレヴィット: フリップ プテイ
シャルロット ルボン  :アニー
ベン キングスレー  : パパ ルデイ
クレマン ボニー   : ジャン ルイス
ジェームス バッジデール: ジャン ピエール
セザール ドンボーイ : ジェフ
ベン シュワルツ   : アルバート

ストーリーは
1973年 パリ。
フィリップ プテイは,ストリートパフォーマー(大道芸人)としてパリで綱渡りをして生活を始めた。こんなことをしていて定職に就こうとしない息子を、厳格な両親はとっくに見限って勘当してくれた。生活がどんなに厳しくても、フイリップは自分が子供の時からあこがれていた綱渡りを続けられることが、嬉しくて仕方がない。芸は、サーカス芸人のパパ ルデイから教えを受けた。しばらくは彼のサーカス団に加わっていたが、しょせんフイリップは人に使われるような仕事は続かない。たった一人、自由に街を歩き、気に入った所にロープを張って芸を披露して、立ち止まって見てくれた人から小銭をもらう。

ある日、彼の帽子に、小銭ではなくて大きな飴を子供が入れてくれた。それを思い切り噛んだフィリップは歯を傷付けて、歯医者に行く羽目になってしまった。歯医者の待合室で順番を待つ間、雑誌を見ていたフリップは、ニューヨークで建設中のツインタワーの写真を見て、その姿に魅せられる。この二つのツインタワーに綱を張って、その上を綱渡りしたい。この日から彼は憑かれたように、ツインタワーの間を歩いて渡る日を、夢に見る。日常でフランス語を話すのを止めて、英語で会話するようになった。心は、もうとっくにニューヨークだ。そのころ、同じストリート パフォーマーで、歌手のアニーと出会い、一緒に暮らし始める。二人でニューヨークに行って、ツインタワーの最上階で綱渡りを成功させることが、二人の夢になった。アニーは、フイリップの綱渡りを成功させるために、美術学校の友人、カメラマンのジャンを説得して、彼を計画に加える。フイリップは、ノートルダム寺院の尖塔など、次々と高い建物の上に綱を張り、綱渡り芸人として成功し、ジャンはカメラマンとして、綱渡りするフリップを写真に収める。二人は徐々に人に知られるようになり、人気者になっていった。

フイリップンはいよいよニューヨークに渡り、建設中のツインタワーを調査し始めた。最上階までどうやって登るのか、二つのビルの間にワイヤーを張れるような柱があるのか、ガードマンは’夜中どのように巡回しているのか。フイリップは工事現場の職人のように装い、ツインタワーの情報を調べた。そんな彼の変装を見破って話しかけて来た男が居た。ツインタワーの中にある保険会社に勤めるバリー グリーンハウス。彼はノートルダム寺院で綱渡りするフイリップを見ていて、彼のファンになった男だった。その日から彼もツインタワー綱渡りプロジェクトの仲間に加わる。仲間は、カメラマンのジャン ルイス、彼の親友でアーチェリーの達人ジェフ、電気専門家のジャン ピエール、もう一人のカメラマンのアルバート、そしてバリー グリーンハウスと、恋人のアニーだ。もちろんサーカス団長のパパ ルデイも一緒に知恵を絞ってくれる。一方のタワーからアーチェリーでまず縄を渡し、そこからワイヤーを張る。とうとう、ツインタワーの工事が終了し、建物が完成する日が近付いた。チームは決行の日を1974年8月6日の夜明けと決定した。失敗は許されない。成功すれば、世界で初めて、110階、地上411メートルの高所を綱渡りした人として、新記録を残すことになる。

決行前夜、チームはツインタワーに二手に分かれ、首尾よくビルに潜入して屋上に達した。誰にも気付かれないうちにワイヤーをビルの間に渡さなければならない。しかし思いのほか警備が厳しい。ガードマンをやり過ごすために、重いワイヤーを屋上から落下させてしまったり、見回りから姿を隠すために何時間も身動きが取れなかったり、仲間が穴から落下しそうになったり、もう一方のタワーから飛んできたはずのアーチェリーの矢がどこに刺さったのかわからなかったり、予想外のことがたて続けに起こる。何とか障害を克服して、予定から3時間遅れてフイリップは遂に綱渡りを始める。早朝の勤務に急ぐ人々の足が止まる。フイリップの心は平静だ。一方のタワーに着くと、下からハラハラして見上げている人達は大きく拍手する。フイリップは、またもとのビルに引き返し、縄の中央で膝をついてみせ、寝て見せて、歓声をあげている人々を熱狂させた。

そのころには警察官がフイリップを拘束しようと両ツインタワーの屋上に集合している。ヘリコプターまで出動してフイリップを止めさせようと必死だ。それを知っていてフイリップは、6回ワイヤーを渡り、彼のチャレンジを終えた。怒り狂ってフイリップを逮捕する警察官たちを後目に、彼はたくさんの建設工事労働者たちや、見物人たちに盛大な拍手をもって迎えられる。そして階下では、マスコミ報道陣が待ち構えていて、インタビュー責めに会う。
彼は違法で危険なことをした犯罪者であったと同時に、勇気ある綱渡り芸人で、人々の英雄になったのだ。これを機会にフイリップは、ニューヨークで暮らすことになる。
ツインタワーが完成してから、フイリップはタワーの展望台に登るチケットを賞与された。このチケットの有効期限のところは、消されていて、フイリップはいつでも気が向いた時には、「永遠に」、このタワーに登ることが許されたのだった。
というストーリー。

この映画の一番の見所はやはり、ツインタワーに張ったワイヤーを、フイリップが一歩、踏み出す瞬間だろう。朝霧で少し先のワイヤー以外 何も見えない。対岸のビルも見えない。白い霧の世界だ。その一歩先のワイヤーしか見えない世界を足を踏み出す。数歩歩いたところで、魔法のように霧が晴れて美しいグリーンの下界が’くっきり目の前に広がる。突然白一色だった世界から色のある世界が広がっていく、その瞬間がみごとな映像で、感動的だ。

フイリップが子供の時に大道芸人の綱渡りを、初めて見て心を奪われてからというものの、ずっと自分が一流の綱渡り芸人になる夢を捨てずに努力して、夢を実現させるところが偉大だ。子供の時は誰でも夢を見るが、その夢を実現する人は少ない。親に勘当されて、嬉しそうに家を出るフイリップの姿が印象的だ。一見小柄で軟派に見えるフイリップが、いつも頑固ともいえる自分の強い意志を通す。そんな彼に逆らったり、忠告したり、考えを変えさせようとしたり衝突しながらも、彼をしっかり支える友人たちも偉い。始め、街かどでギターを抱えて歌を唄っていたアニーが、綱渡りするフイリップに見物人をみな取られてしまって、文句を言いに行く。しかしアニーは文句を言っているうちにフイリップの熱を帯びた話し方に引き込まれてしまう。そのアニーがカメラマンのジャンを連れてくる。そのジャンがジェフを連れてくる。ジェフがアルバートを、というようにフイリップのまわりに仲間たちが自然と、吸い寄せられるように集まってくる様子が興味深い。フイリップのように強い意志を持った人には、特有の「磁力」とでもいうものが働いて、自然と周りの人を巻き込んで自分の方向に向かせてしまう力があるのだろう。

ただひとりの男が綱を渡る。それだけの映画なのだが、ただそれだけのことのために、それを支える仲間たちが惜しみなく協力する。その懸命さに心を動かされる。

主演のジョセフ コットンレビットは、祖父が映画監督のマイケル ゴードン。芸術家の家系の中で4歳の時から子役で舞台で演技をしていたという。「500日のサマー」(2009)、「インセプション」(2010)、「バットマン ダークナイトライジング」(2012)、「ルーパー」(2012)などでおなじみ。せっかくクリスチャン ベールから引き継いで、次のバットマンで登場するのかと思っていたら、次のバットマンはベン アレックに決まってしまいがっかりだ。
でも、2016年に完成される予定の映画、「エドワード スノーデン」の主役に抜擢されたそうで、映画の完成が楽しみだ。バットマンより、スノーデンの方が彼らしい。
この人も役作りに凝る人で、フイリップ プテイを演じるにあたって、本当の綱渡り芸人について特訓を受けて、スタジオに張られた綱を、平均棒を持って自分で本当に綱渡りをしてみせたそうだ。
フイリップはアメリカに行くと、決めてからパリに居る間も英語で通した。この映画は英語が60%、フランス語が40%くらいの割で会話が進んでいて、どっちも分かっていないと見ていて結構つらい。でも役者のジョセフ コットンレビットは、コロンビア大学でフランス文学を専攻して卒業していてフランス語には困らない人なのだそうだ。こんなとき日本人ってどんだけ語学で損をしているのか、と恨めしくなる。この役者は、英語なまりのフランス語ではなくて、フランス語なまりの英語を話す役を演じるために、プロについて発音を自分のものにしたのだそうだ。なかなかできないことだ。

この映画の前に、監督ジェームス マシューによるドキュメンタリー映画「マン イン ワイヤー」(2008年)という作品がある。ドキュメントフイルムと、フイリップ プテイの関係者のインタビューを編集した映画で、第81回、2009年のアカデミー賞ドキュメンタリーベストフイルム賞を受賞している。彼の行為は法的に罰金や拘留といった結果をもたらす違法行為であるにもかかわらず、常に自己の勇気を鼓舞させ、限界に挑戦していく姿が多くの人に高く評価されることで、賛否両論の的になってきた。
勇気ある人生のチャレンジャーか、ただのウケを狙ったお騒がせ行為か。
人気者か犯罪者か。
揺ぎ無い美意識を持った芸術家か、大人になりきれないやんちゃ坊主か。
英雄か、無法者か。
不可能を可能にした努力家か、社会に貢献しないヨタ者か。
人によって評価は異なるだろうが、そんな彼のために「マン イン ワイヤー」という映画と、「ザ ウオーク」という、2本の映画が制作された。どちらを観ても、同じくらいおもしろい。フイルムがIMAXにも3Dにもなった。これも極端な高所恐怖症でない限り楽しめることだろう。

2016年4月3日日曜日

映画 「スポットライト 世紀のスクープ」とジョージペルなどのオーストラリアのぺデファイル牧師


映画:「SPOTLIGHT」     
監督:トム マッカ―シー
キャスト
マイク ロビンソン:マーク ラファエロ
ウオルター ロビンソン:マイケル キートン
サーシャファイヤー:レイチェル マクアダムス
マーテイ バロン:リーブ シュレイバー
ベン ブラッドリー:ジョン スラッテリー
マット キャロル:ブライアン ダ―シ―ジェームス

第88回今年のアカデミー 作品賞、脚本賞の受賞作品
2003年にピューリッツアー賞公益報道部門で受賞した時のボストン グローブ紙のスポットライトチームについて描いた実話。スポットライトチーム(特別調査報道班)は、教会のペデファイル(小児性愛)牧師を追及することで、カトリック教会が組織的に犯罪者たちを保護し事実を隠蔽してきた事実を暴露した。

ストーリーは
カトリックが住民の大半という保守的なボストンで、ボストングローブ紙は地元紙として住民から強い支持を得て来た。社にはスポットライトチームという調査報道班があって、ひとつのテーマを、数か月かけて内容を深めて報道する役割を果たしていた。ベン ブラッドリー、ウオルターロビンソンを中心に6人の先鋭たちだ。定年退職していった編集長の代わりに、マイアミから新しい編集長マ-テイン バロンがやってきた。革新的な土地からやってきた新編集長の目からは、ボストンで起きた 「ケーガン神父によるペデファイル事件」について、ボストンのどの新聞社も、通り一遍の報道しかしていないことが気にかかっていた。もっと事件を掘り下げて事実上起こったことを住民は、知るべきではないのか。

チームは動き出した。ケーガン神父が子供達をレイプしていた、ということを当時の教会の上司達は知っていた。にも拘らず神父が犯罪行為を繰り返すことが許されたのは何故なのか。被害者たちの弁護士は、証拠をもって裁判に持ち込んでも教会内では警察が動かない。証拠と証言が充分にそろわずにいるため被害を立証できない。加害者がはっきりしているにもか関わらず、納得のいく判決が出ず、損害賠償に持ち込めない。そのうちに加害者の牧師は、他の教会地区に移動していって、罪を問われないまま引退していく。そんなことが許されるのか。様々な壁にぶち当たりながら、チームの記者たちは被害者たちを、ひとりひとり探し出し、彼らの硬い口を開かせて、その声を拾い集める。

徐々にわかってきたことは、同じ教会の上層部にいる司教が、性的虐待をされた少年少女被害者たちが訴え出ても、加害者の牧師を他の任地に移動させ、被害をもみ消していることがわかった。他の任地に移動したぺデファイル牧師は、その土地でまた犯罪を繰り返す。被害は広がる一方だ。ボストンだけでぺデファイル牧師の数は、90人。驚くべきカトリック教会組織内の腐敗と犯罪が見えて来た。調査が佳境に入るころニューヨークで9.11事件が起こる。各新聞社が9.11で浮き立っている中で、スポットライトチームは、しぶとくぺデファイル牧師というカトリック組織内最大のスキャンダルを追っていた。
2002年、遂にチームは、これまでの調査結果を紙上で発表する。衝撃は世界中に広がった。紙上で被害者は恐れずに被害を受けた時の話を聞かせてほしい、とスポットライトチームの電話番号を明記した。グローブ紙が配布されると同時に、出社したばかりのスポットライトチームの各電話が鳴り響いた。続々と被害者たちが自分に起こったことを語り始めたのだった。それは今まで誰にも言えずに隠してきた過去の心の傷を一挙にさらしだして教会に正義を問うことに被害者たちが目覚めた瞬間だったのだ。
というストーリー

ラブシーンもベッドシーンもなければ、家族が笑ったり食べたり喜んだりするシーンもない。地味で記者たちがひとつのテーマを追って仕事するシーンだけでできている映画。そんな映画が今年のアカデミー賞最大の名誉である作品賞を獲った。
最後のスポットライトチームの部屋にある電話すべてが次々と鳴り響くシーンが感動的だ。勇気をもって名乗りを上げようと被害者たちがかけて来た電話のベルが、力強い合唱のように聞こえるところで、映画が終わる。

編集長は犯罪が、いかに教会でシステマチックに行われてきたかを、告発することでしか再犯は防げない。被害をセンセーションに暴露して世に衝撃を与えるのではなく、いかにカトリック組織が、このような犯罪を黙々と許し、世間から隠蔽することによって、教会の権威を守って来たのか、教会の組織的犯罪を告発することを、記者たちに要求していた。かたくなな編集長の姿勢に対して、若い記者たちの、次々をわかってきた被害を、一刻でも早く暴露して報道したい熱意とが衝突する。正義感ゆえに、編集会議で編集長と正面衝突した記者が、行き場がなくなって夜中に仲間の家を訪ねる。自分が子供の時、親に連れられて教会に通った、そんな互いの共通点を語り合うことで荒ぶる心を鎮めようとする。スタッフ同士が言葉少なく、心を通わせるシーンが印象的だ。記者たちにとって、教会に通う「良い子」だった頃のことは、良い時代の良き思い出だ。教会に裏切られるということは、お父さんに裏切られたようなもの、心が傷つく。

被害者たちの代弁をする弁護士のミッチェル ギャラベデイアン(スタンリー トウッチ)は、アルメニアからきた移民。対する記者のマイク レゼンデス(マーク ラファエロ)はポルトガル移民の子だ。二人ともヨーロッパからきた貧しい移民だった背景が、彼らの正義感を裏打ちしている。
また、役者のマスター キートンがとても良い。「バードマン」でブロードウェイをパンツひとつで歩いたうらぶれた姿からは想像できない、切れ者、凄腕のジャーナリスト役に、はまっている。

確かにこのボストンブローブによる報道が世界に与えた影響は大きかった。これが’切っ掛けになってカトリック教会組織のスキャンダルを追及する動きは、大きな波となり、被害者のカミングアウト、警察の介入、裁判、それに続く損害賠償が盛んに行われるようになった。しかし、まだまだ教会組織の膿は出ていないし、バチカンはいまだ秘密に覆われていて、裁判はスローモーションで被害は救済されていない。

オーストラリアでは、2012年に創設された皇室小児性的虐待対策委員会(ROYAL COMMISSION INTO INSTITUTIONAL RESPONSES TO CHILD SEXUAL ABUSE)がこの問題を取り扱っている。今までぺデファイルで実刑を受け刑に服している牧師がたくさん居る。
1997年 26人の被害者に対して50の罪が立証され服役したビンセント ライアン牧師。
2004年 4人の被害者、24の罪で服役、余罪を追及されていた2006年に獄死したジェームス フレッチャー牧師。
2009年 39人の被害者、135の罪で服役したジョン デンハム牧師。
2009年 4つの罪で服役しているジョン ハウストン牧師。
裁判中の、5人の被害者、22罪状のデビッド オハーン牧師。
裁判中死亡した、8歳と10歳の少女をレイプしたデニス マクアリデン牧師。
審議中の 2人の被害者、22罪状のピーター ブロック牧師。
また、これらの牧師達を保護隠蔽した罪でパトリック コター神父、トーマス ブレナン神父、フィリップ ウィルソン大司教が罪に問われている。

これらのカトリック組織犯罪の中でも、オーストラリアで一番出世しているジョージ ペル枢機卿バチカン経済省主席が、最も犯罪的と言える。彼はバチカンで次のローマ法王の候補にあげられるようなカトリック教会の最高地位に登る場にいるが、彼は多くの牧師によるレイプを見逃して、隠蔽してきた。彼はメルボルンで1996年-2001年まで準大司教を務め、2001年から2014年までは、シドニーの大司教を務め、現在バチカンの大役を任されている。彼がメルボルンに居た頃に、部下のジェラルド リステル牧師は、1993年から2013年までの間に4歳の子供を含む54人の子供に性的被害を与え8年の実刑を受けて服役している。この恐るべき犯罪者と、当時同じ家に住んで居た、ジョージ ペル枢機卿は、「何も知らなかった」 と証言し、14歳の少年を毎晩自分のベッドで寝かせてレイプしていた犯罪者を、自分は、「何も見なかった」と言っている。ジョージ ペル枢機卿自身も、1961年に12歳の少年をレイプした罪で、2002年6月に訴えられているが、なぜか審議中に訴えが取り下げられたため継続審議されていない。


最近のことだが2016年2月、皇室審議委員会が審議中の証人としてジョージ ペル枢機卿をシドニーに召還したが、74歳の彼は、パリ旅行から帰ったばかりなのに、「健康上」の理由によって、バチカンからシドニーまで来られないと主張し、審議のために来豪しなかった。そこで証言は、バチカンからビデオを通して行われることになったが、被害者たち15人の一行は彼が証言するところを実際に見たいということで、自費でバチカンに飛んだ。この審議の様子をオーストラリアの公共放送ABCテレビでは、数日間の審議をすべて放映した。ABCは良くやったと思う。おかげでオーストラリアの人々は、当時彼が部下だった加害者牧師に、彼が何をしたのか、どう証言するのかを、ビデオで見て、証人になることができた。誰もが彼の、「知らなかった」、「見なかった」、「全然興味もなかった。」という彼の証言に、改めて怒りを持ったと思う。15人のバチカンに飛んだ被害者たちは、予想通り落胆し、バチカン最高責任者に面会を求めたが、受け入れられず、傷心の帰国をせざるを得なかった。
裁判はいっこうに進まない。犯罪が行われたことは疑いがないにもかかわらず、罪を問うことに時間がかかりすぎる。教会は人を救済するところではないのか。

この世で最も罪が深いのは、無垢な心を裏切ることだ。
神の教えを乞うために教会に来た子供達を、その師たるべき牧師が自分の性的満足のために虐待することは、人間として最も深い罪を犯していることになる。牧師にレイプをされ、信頼を裏切られ、精神的にも肉体的にも傷を負った被害者たちは。成長過程で、自己に自信を失い、人を信じられなくなり、他人との協調性を失う。うつ病や自殺に走る人や、薬物依存症などにもなりやすい。大人になっても普通の結婚ができなくなったり、理解者が得られず孤立していて、彼らの傷が癒えることはない。

ぺデファイルは、「嗜好」であって、病気ではないから治癒することはない。被害者の声によって一時的に反省しても、罰せられ受刑しても、彼らの「嗜好」を変えることはできない。ペデファイルは、「去勢手術」をするしかない。ぺデファイルに限らずレイプによってしか「快感」が得られない犯罪者を一生監獄に閉じ込めておくことはできない。彼らの中にも頭脳明晰で立派な業績を残せるような人もいるかもしれない。しかし彼らを放置して子供達を危険な状態に置くことはもっと許されない。こうした「嗜好」の人には、専門家が辛抱強く説得して、去勢施術を受けさせるべきだ。それが本人にとっても有益な結果を生む。
また、カトリック教会とぺデファイルとは、歴史的に長い事問題となってきた。カトリック教会の牧師も結婚するべきだし、カトリックの女性牧師がどんどん出てくるべきだ。何故って、「今は2016年だから。」(カナダのトルード大統領の弁を借りて。)

2016年3月18日金曜日

今年のアカデミー賞と映画「サウルの息子」


                       


今年のアカデミー賞では、ハンガリーの、ネメッシュ ラスロ監督による映画「SON OF SAUL」(サウルの息子)が、外国語作品賞を受賞した。この作品は、アダム アーカポ監督による「マクベス」とともに、アカデミースポットライト賞というの賞も受賞した。
今年の外国語作品賞候補作は、ヨルダンの「THEEB」、デンマークの「A WAR」、フランスからは「ムスタング」、コロンビアの「EMBRACE OF THE SERPENT」と「サウルの息子」が挙げられ、最終的にこの作品が受賞した。

今年のアカデミー賞は、2か月前に候補作が挙げられた時点で、ホワイトアカデミーと揶揄され、白人の男性ばかりが候補になっているのは人種差別、男女差別の見本だと批判され、一部の黒人俳優が出席拒否をするなど、話題が多かった。いざ蓋を開けてみると、司会者やショーを盛り上げるパフォーマーがみな、ホワイトアカデミーと言う言葉に触れてジョークをかますなど、政治色も強い発言が多くて興味深かった。

レデイーガガが、「TILL IT HAPPENS TO YOU」を何十人ものレイプ被害者、家庭内暴力を生き延びた被害者と一緒に歌って、会場からスタンデイングオベイションを受けていた姿が印象的だった。ーあなたは悪くない、レイプされても自分が悪かったなんて思わないで、ひどい目に遭っても暴力で私の心を曲げることはできない、前を向いて生きていこう、、、そう互いに言えることがいかに大切か。「HOLD YOUR HEAD UP」なのだ。本当にそうなのだ。

アカデミー主演男優賞を遂に手にしたレオナルド デカプリオが、受賞のスピーチで、大企業、エネルギー産業による環境破壊は現実に起こっていることで深刻です。地球上すべての生き物が生き残るために、先住民族を尊重し、弱者を保護し、環境保全のための政策を取らなければなりません。といった自然保護活動家として、まっとうな警告をして、これまたスタンディングオベーションを受けていた。
またドキュメンタリーショートフイルムでは、パキスタンの「A GIRL IN THE RIVER」が受賞した。二度目の受賞になる女性監督SHARMEEN OBAID CHINOY シャ―メン オバイド チノイは、若い女性がシャリアローと呼ばれ、名誉殺人といわれる慣習によって殺されている現実を告発した作品をフイルムにした。パキスタンなどモスリムの一部の地域では、女性が親の決めた結婚に逆らったり、身分違いの男に恋をしたりすると、その女性の兄弟や父親が、当の娘を殺すことが名誉とされる宗教的慣習がある。パキスタンでは毎年1000人余りの女性がこの名誉殺人で処刑されている。監督は受賞の檀上スピーチで、「今年パキスタン政府は、やっと名誉殺人が違法であることを正式に認めた。フイルムのパワーがこうした動きに通じていると考えると嬉しい。」と述べた。
このようにアカデミー賞も今年は、かなり辛口で告発型、政治色の強い、社会性のある賞になったことは、良い事だと思う。単なるお祭りではなく、考えるための集いになったことは、フイルムの本来の目的に沿ったことであるからだ。

サウルの息子
監督:ネメシュ ラスロ
キャスト
サウル:ルーリグ ゲーザ
アブラハム:モルナール レべンデ
ビエデルマン:ユルス レチン
ドクター:ジョーテル シャーンドル
ラビ:トッド チヤ―モント

ストーリー
1944年10月 アウシュビッツ ビルケナウ収容所
サウルはハンガリアのユダヤ人で、アウシュビッツに捕らわれ、同じユダヤ人が殺されたその死体を処理するゾンダーコマンドと呼ばれる特殊班で働かされていた。班の囚人たちは、自分たちも数か月後には、処理される側に送られることを知っていた。
列車で次々と収容所に送られてきた人々に、熱いシャワーを浴びると偽って、衣服を脱がせると、ガス室に閉じ込める。そこがシャワー室でないと悟った人々が、逃げ出そうとして騒ぎ出し、室内は怒号と泣き声で、阿鼻叫喚の様相となる。しかしサウルたちは淡々と、人々が残していった衣類や宝石や時計、財布などを仕分けていく。 それが終わった頃には、ガス室を開け、死体を積み重ねて運び出し、汚物と血で汚れた床を洗い流す。運び出された死体は積み重ねられ、ガソリンで焼かれ、灰は川に捨てられる。休む時間などない。ゾンダ―コマンドは、てきぱきとドイツ兵に命令されるまま仕事をする。

ある日、ガス室で沢山の死体が折り重なっているなかで、一人の少年が奇跡的に生き残っている姿が発見された。少年はすぐにドイツ衛生兵によって窒息死させられ、解剖に回された。それは15歳のサウルの息子だった。
ユダヤ教では死体は火葬しない。燃えて身体がなくなったら魂がよみがえって再生することができない。サウルはせめて自分の息子だけは土葬してやりたいと願う。サウルは解剖を終えた同じユダヤ人の医師に、死体を自分のために確保しておいてほしいと頼み込む。次にラビを探さなければならない。ラビの祈りとともに埋葬したい。
サウルは仲間たちからラビが他のゾンダーコマンドにいることを知らされる。サウルはそのゾンダーコマンドに潜入してラビを探し出す。ついに見つけ出して息子のために祈りを捧げてほしいと頼み込むが、それをラビは拒否する。それでも食い下がるサウルから逃れようとしてラビは、とっさに川に落ちて投身自殺しようとする。サウルは川からラビを救い引き上げたが、ラビはドイツ兵により銃殺されサウルは生き残った。

サウルは息子の死体を自分のベッドに運んできて横たえる。必死でラビを探すことを諦めない。一方で仲間たちの間では、脱獄計画が進行していた。サウルは女子房から、銃に詰める火薬を受け取りにいく任務を指示される。極秘に首尾よくサウルは火薬を手にするが、帰りに新しいユダヤ人たちが列車で到着し、彼らが駅に着くなり銃で殺される現場に居合わせた。銃から逃れようと人々が右往左往する大混乱のなかでサウルはラビを見つけ出す。サウルはラビを自分の部屋に連れて来て、ひげを剃り、自分の囚人服を与え、ゾンダーコマンドの一員に仕立て上げる。

とうとう翌日にはサウルのゾンダーコマンドが、今度は処分されるという情報が入った。時間がない。脱獄計画は突然現実のもにとなった。反乱は一瞬のうちに始まる。圧倒的多数のユダヤ人囚人に比べてドイツ監視兵の数は限られている。サウルは息子を肩に背負いながら、ラビを連れて逃亡に成功し、他の仲間たちと、森に逃げ込む。森で息子を埋めようとして、サウルは今まで自分の体を盾にして、その命を守って来たラビが、偽物ラビだったことを知らされる。ドイツ軍の追手が迫っている。サウルは埋葬することを諦めて、遺体を背負って川に飛び込む。しかし急流に飲まれてサウルは、息子の遺体を手放してしまう。溺れているところを仲間に救い出されて、向こう岸に着いた。十数人の生き残った仲間と共に、山小屋で休息を取る。脱獄計画のリーダーは、森の中でポーランドのレジスタンスに合流する計画でいた。しかし、みな疲れ切っていて、しばらくは動けない。そんな囚人たちを、ひとりの近所の農家に住む少年が、不思議そうに眺めている。サウルは少年を前にして、そこに自分の息子がよみがえって目の前に立っているように思えた。息子は生き返って自分の前に立っている。息子の邪鬼のない目で見つめられて、サウルは自分の心が休まる思いだった。息子は殺されたり焼かれたりせずに、自分の前にいるではないか。
しかし、その山小屋はすでにドイツ兵に囲まれていて、、、。
というお話。

人は悲しいとき言葉を失う。
極端に会話というもののない映画。あるのは音だけだ。鉄格子の錠が下りる金属音。収容所のサイレン。銃弾の音。軍靴の音。ドイツ兵の短い命令、血で汚れた床を洗うブラシの音。断末魔の悲鳴。絶望したすすり泣き。何百人の人々が映し出されて、生と死のドラマが進行しているにもかかわらず、人の会話、人と人が話す音が全く失われていることの恐怖。
この恐怖感と、極度の緊張が、映画が始まってから終わる瞬間までずっと続く。

カメラが焦点を合わせるのは大写しになったサウルの顔だけ。でもそのサウルの後ろでたくさんの、もうたくさんの数えきれない死体が折り重なっていて、それが処分されていく様子が、焦点のないぼやけた背景として映し出されている。

ぼやけている背景が本当に事実だったことで、焦点の当たっている男の顔の方が抽象だ。
背景の焦点をぼかすことによって、より強い事実を表現している。なぜなら、ぼやけた背景では一体どんなことが行われているのか、何が起きているのか、わたしたちは想像力を駆使する必要もなく、事実として知っているからだ。600万人の声なき声を聴いているからだ。圧倒的な暴力の前に沈黙するほかはなかった人々の声が聞こえる。焦点を失ったぼやけたフイルムから、言葉のない人々の姿がはっきりと見える。
フイルムの訴えるパワーを再確認させられる映画だ。優性思想によって蹂躙された人々の沈黙の重さを噛みしめる。70年前にあったことだが、これからのことでもある。言論統制が始まっていて、ジャーナリズムがその機能を果たしていない。人々が沈黙に向かっている。この映画は、昔の話をしているのではない。


2016年2月27日土曜日

映画「リリーのすべて」

         



邦題:リリーのすべて
原題:「 THE DENISH GIRL」
監督: トム ホッパー
キャスト
アイナー べルナー(リリー エルべ):エディ レッドメイン
ゲルダ ウェグナー : アリシア べーカンデル
ハンス アクスジル : マテイアス スーナルツ

1930年に世界で初めて性転換手術を受けたデンマーク人画家のアイナー べルナーの伝記映画。
同性愛が犯罪と見なされていた時代に、アイナー べルナーは、手術を受けリリー エルビーと改名しパスポートも所持した。映画の原作は、デビッド エバーズショフの同名の小説。2015年ヴェネチア国際映画祭で初めて上映され、トロント国際映画祭でスぺシャル プレゼンテーションとして上映された。
主演したレッドメインは、昨年「博士と彼女のセオリー」(THE THEORY OF EVERYTHING)でオスカー主演男優賞を受賞したが、受賞の檀上で、「この受賞を切っ掛けに、筋委縮側索硬化症(ALS)という難病への人々の理解が広まることを願う」とスピーチした。今回この映画で再び彼が、オスカー主演男優賞候補となったので、感想を聞かれて、「話題になったことが契機になってLGBTへの人々の知識が普及し、理解が深まることを願う。主人公は自分に正直な勇気ある人です。」と言っている。

性的マイノリテイーを示す、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと、性同一障害を含むトランスジェンダー(性別越境者)を言う。トランスジェンダーは一般的には、生まれたときに与えられたジェンダーに対して適合できず、それを否定して自身のジェンダーを選ぶ人を指す。外科的手術やホルモン療法する人も含まれる。これ以外に、インターセックスと言い男性性器と女性性器の両方の特徴と器官(小さなペニスまたは大きなクリトリス)をもって生まれてくる人も少なくない。インターセックスを含めてLGBTIという場合もあり、たくさんのバリエーションがあって、人々の嗜好によって10人10様、性の形も、愛の形も多様だ。この映画では、トランスジェンダーで女性になった画家が、常識を打ち破って、自分の魂を解放しようと苦しみもがいた心の軌跡が描かれている。

監督のトム ホッパーは、「レ ミゼラブル」でエデイ レッドメインを起用したが、今回の脚本を読んで、すぐ彼のことを思い浮かべたという。エディは学校劇でシェイクスピアの「十二夜」で、ビオラの役(男装した女性)を演じたことがある。主役がエディに決まるまで、二コル キッドマン、シャーリーズ セロン、グウィネス パルトロー、ユマ サ-マン、マリオン コーテイヤールなども候補に挙がったという。 今回、非トランスジェンダーのエディがこの役を演じたことで、一部のトランスジェンダーのアクテイビストから批判が出ていると報道された。LGBTをテーマに扱うことが、いかにセンシテイッブなことかを裏付けている。

ストーリーは
1926年、デンマーク コペンハーゲン。
アイナー ベイナーとその妻ゲルダは、コペンハーゲン芸術学校で共に学び、ゲルダが18、アイナーが22歳のときに結婚した。子供はなく結婚してから、すでに6年も経つが、とても仲の良い夫婦だ。アイナーは、若き風景画家として評価され、注目をあびていた。彼の描くポプラの並木、湖に映る木々と光、海岸と太陽などのモチーフは、彼の生まれて育った田舎の風景だった。一方のゲルダは肖像画家として、客の依頼に応じて絵を描く。画商が求めるものを画家が描かなければ生活が成り立たない。
ある日の事。絵の完成が遅れていて依頼者から催促されているバレリーナの絵をゲルダは、仕上げなければならなかった。モデルの踊り子が約束の時間に来ないことに業を煮やしたゲルダは、夫のアイナーに、バレリーナの足の部分のモデルになってくれるように頼みこむ。アイナーは、妻に言われるまま絹のストッキングとビーズで飾られた靴を履き、チュチュを身に着けてポーズをとる。やわらかな絹のストッキングの感触、美しい靴、軽やかなチュチュの香しさ。

アイナーの中に眠っていた何かが、突然、稼働し始める。この日を境に、アイナーは次々と女性の服や化粧品を手にする。ゲルダは遊び感覚で、アイナーを女装させては、そのエロチックな姿を絵にした。ゲルダが描いた女装のアイナーの絵は、評判が良く、画商にまるごこ引き取ってもらえるようになった。二人で仲好く女性同士になって、外出もするようになった。二人は、自由を求めてパリに移住する。はじめは、女性の服に身を包んで男達に見つめられたり、誘われたりすることに喜びを感じるようになったアイナーは、次第に女性化していき、妻の肉体的要求に応えられなくなる。こんなはずではなかった。「夫を私に帰してちょうだい。」と泣いて訴えるギルダを前にして、アイナーは、「毎朝、今日はアイナーで居ようと思う。」 しかし彼の決意は長くは続かない。自分に正直であろうとすると、女性の自分しか考えられない。二人の苦悩は続く。アイナーは、何人もの医者のドアをたたくが、精神病者として扱われ、怪しげなラジウム療法や、電気ショックを受け、果てには強制入院させられそうになって、窓から脱出する事態にまで追われる。思い余ったギルダは、アイナーの幼友達ハンスを訪ねる。ハンスは昔、「アイナーにキスをしたことがあった。」ほど仲が良かった。そのハンスをアイナーは、美しく女装して待っていた。それを見て哀しみと苛立ちをみせるゲルダに、ハンスは何もしてやることもできない。

遂に1930年、どうしても女性の体になって子供を産みたいという夢をもったアイナーは、ドイツで性転換手術を受ける。段階的に、まずテスティクル除去と卵巣移植を受ける。術後、回復して次の手術を待つ間アイナーはゲルダがどんなに強く勧めても、絵を描くことをせず、ゲルダのモデルを続け、デパートで売り子になって女たちとの交流を楽しんだ。アイナーは、リリー エルべと改名して、ゲルダとの離婚も成立した。そして、翌年再び、リリーは手術を受け、念願の子宮が移植された。しかし、3か月後に移植臓器拒否反応と感染症を併発してリリー エルべは亡くなる。ゲルダは最後までリリーを支える。
というお話。

こんな難しい役をエディ レッドメインがどう演じるかが、見所。彼は、女性の体になるために極端に体重を減らした。インタビューで、「簡単だよ。朝食を普通に食べて、お昼はちょっとだけにするだけのことさ。」と言っている。 晩メシ抜きで数か月、、。背広姿を横から見ると本当に痩せて細い。彼がバレエスタジオの大きな鏡の前で全裸になるシーンは圧巻。去年アカデミー主演男優賞を取ったとき、ステファン ホーキンス教授になりきるために、彼の家に泊まりこんで、体の動きや表情を何か月も観察したという努力型の役者。体の線が細く、愛くるしい顔、アイドル ビジュアル系、ジュノンボーイと思いきや、なかなかどうしてシェイクスピアを舞台でしっかり学んだ本格派のイギリス人役者なのだ。
バレエのコスチュームを身に着けたことを契機に、自分が本当に望んでいた美の世界ののめり込んでいく姿が、順を追ってわかりやすく、スクリーンの中で語られていく。
映画の始めの頃は、昼夜なく仲睦まじく愛し合い、度重なるセックスをコミュニケーションにしていた仲良し夫婦だったのに、アイナーが女性に目覚めて男として全く反応しなくなってしまったことに、二人してショックを受けるシーンは哀しい。画面いっぱいに顔が大写しになる場面が多いが、、二人が徐々に変化していく様子が、とてもよく表情で表現されている。

ギルダを演じたアリシア べーカンデールが全身全力で夫を愛し、夫の信念を支持して、最後まで看取る、パワフルな妻を演じて素晴らしい。初めて見る女優さんだが、ハリウッドと違ってヨーロッパにはまだ、こんな良い女優がいることがわかった。

アイナー(リリー)の幼友達ハンスは、いわばこの世で最初にアイナーの女性性を感じとった男、として出てくる。彼は、アイナーのこともギルダのことも、しっかり支えるすごく「良い人」役。本当にホロリとするほど良い人ぶりを見せてくれるので、すっかり虜になりそうだ。金髪のオールバックで、美しい青い目はいつも伏し目がち、体がでかいのに威圧感を感じさせない美しい立ち姿、紳士の代表選手みたい。

最後のシーンがとても印象深い。結構長い映画で、ラストシーンなんかない方が良いような映画とか、取って付けたような説教臭いラストシーンとか、どっかで何度も見たことがあるような、お決まりのハッピーエンドとか、ちょっと考え過ぎのラストシーンとかが多くて閉口していた。でもこの映画の最後のシーンは、とてもとてもとても美しい。アイナーの絵の世界を、自然の描写で再現してみせてくれた。見ているだけでアイナーの美的世界に身も心も引きずり込まれそうだ。きっとこのラストシーンは長い事忘れることができずに、記憶に残ることだろう。

2016年2月19日金曜日

映画「レヴェナント」蘇えりし者

         


体重が300キロもある大熊が無防備におなかを上にして、すやすやと眠っている。そのおなかに顔をうずめて熊の匂いを胸いっぱい吸い込んでみたら、どんなに幸せな気持ちになれるだろうか。写真家、星野道夫は、地元の青年たち熊の生態調査のために冬眠中の熊の穴の中に入り、熊の健康状態を調べていた。時として空腹で眠りの浅い熊が目を覚ましたら、大惨事になるところだ。とても危険な調査で一刻も早く仕事を終えなければならない。でもその場で彼は去りがたくて思わず、熊のおなかに顔をうずめて深呼吸する。暖かいおなかから干し草の香りと、柔らかい野生動物の体臭がしたという。その彼の姿がありありと想像できて、もしそんな幸運に恵まれたら、きっと同じことをしただろうと思う。星野道夫のエッセイは、極北の空気のように乾いていて、ブルーがかった氷の色がする。彼はアラスカの写真をいくつも撮影していて、空気に様々な美しい色があることを教えてくれた。アラスカ極北の映画をみていて、星野道夫さんのエッセイと写真集を思い出した。彼は、エスキモーの国、ラップランドが大好きで、たくさんの美しい作品を残したが、熊に襲われて亡くなった。今年は彼の死から20年目にあたる。
映画「レラヴァント 蘇りしもの」は、そんな極北の淡い光と、ブルーに近い冷たい空気が映画の中でよく再現されていた。

大熊と戦って生還した男が、理不尽に息子を殺されて、復讐することに命を懸けるというお話。いつも映画界に新しい話題を提供してきたメキシコ人のアルハンドル ゴンザレス イリャリトウ監督、エマニュエル’ルベッキが撮影監督をしている作品。彼らは撮影技術の壁をいつもぶち破る革命児でもある。
ルベッキは、「ゼロ グラビテイ」で 宇宙空間を作り出すために、照明装置のついた巨大な箱を作り、その中で演技する役者がいっさい影ができない空間を作り出してカメラを回した。そこでリアルな宇宙遊泳を撮影することを成功させた。
「バードマン」では、役者を酷使するカメラの長まわしで、従来のやり直しのきく撮影の仕方をあえて拒否して、限りなく舞台に近い映画を作ってくれた。

今回の映画では、照明をいっさい使わずに自然のありのままの採光だけでカメラを回した。撮影装置や設備を効果を出すために使わずに、あえて手間暇をかけて、日照時間の少ない極北の自然光だけでフイルムを撮影した。だからフイルム全体が、くすんだブルーで何とも言えない氷の世界の美しさに満ちている。空気が寒さのために凍って霧が降っている。そんな画面に音楽が実によくかぶさっている。坂本龍一が音楽を担当しているが、音楽だけでなく、雪解けの水の流れる音、風が揺さぶる木々の音、人の呼吸する音などが効果的に使われている。男の荒い呼吸音で映画が始まり、その荒々しい呼吸が止まるところで映画が終わる。

零下数十度の厳しい冬のアラスカ、人の生きることができる極限で、スタントマンなしでレオナルド デ カプリオが好演している。厳しい自然、暴力的な開拓者たち、先住民族の土地への侵略、無法地帯の状況を強い男だけが生き残る。究極のサバイバル。
監督がイニャリトウと、ルベッキで、主演がレオナルド デ カプリオだというだけで、この映画は観る価値がある。このような極地で熊と戦った男だけが、自分が殺した熊の毛皮を羽織ることができる。熊との死闘で生き残った男の、死の床に敷かれるのはその毛皮だ。そしてたくましく生き残った男が身にまとうのもその毛皮だ。うらやましくても横取りなどできない。誇らしく大熊の毛皮を最後まで身から離そうとしない、立派な毛皮を着たデ カプリオが男らしい。ストーリーは単純だが、映像が美しい。

この映画でデ カプリオは、英国アカデミー賞主演男優賞と、ゴールデングローブ主演男優賞を与えられ、オスカーで主演男優賞の候補になっている。この人ほどハリウッドの映画興行に貢献している役者はあまり居ない。1997年若干22歳でジェームス キャメロン監督の不朽の名作「タイタニック」を主演し、ハリウッド前代未聞の興行成績を記録した。数字では全米6億ドル、世界で18億3500万ドルを稼ぎ映画史上最高の世界興行収入を記録して、ギネスブックにも登録されている。作品は11部門でアカデミー賞を受賞したが、デ カプリオに何の賞も与えられなかった。その後、「ギャング オブ ニューヨーク」(2002)、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2002)、「アビエーター」(2004)、「ブラック ダイヤモンド」(2006)、「シャッターアイランド」(2010)、「インセプション」(2010)、「Jエドガー」(2011)、「華麗なるギャツビー」(2013)、「ウオルフ オブ ウォールストリート」(2013)など、次々と映画をヒットさせてきたが、彼は毎年話題になるだけで、一度としてアカデミー主演男優賞を与えられることはなかった。

彼はナチュラリストで環境保護運動に力を注いでいる。ハリウッドで環境運動家は喜ばれない。ましてユダヤ資本でとりしきっているアカデミー映画賞の審査官たちの目を惹かない。環境保護活動家は、大気汚染のガソリン自動車の広告塔にはなってくれないし、武器産業や、原子力エネルギー産業に力を貸すこともしないで、世界を牛耳っているユダヤ資本に無縁だ。だからデ カプリオは、日本では人気があるがアメリカではそれほどのことはない。サイエントロジーに凝っているトム クルーズも、宗教に感心のない日本人の間では人気があるが、アメリカでは変人扱いだ。人権活動家のバネッサ レッドグレープなど、極左コミュニストとあからさまに呼ばれている。

今年のアカデミー賞は、2月28日、ハリウッドのドルビー劇場で発表される。この模様はABCが中継するが、2015年に公開された映画の中で優れた作品に授与されるはずだ。ところが賞の候補作、候補者が選別されたとたん、今年のアカデミーは、「ぺイル、メイル」で「ホワイトアカデミー」だと批判にさらされている。候補者が全員白人一色で、男が中心だったからだ。でもここにベンゼル ワシントンや、ナオミ ハリスや、渡邊健や、ジャッキーチェンが混じっていたら、どうだというのか。「白だけでなく少ししだけ茶色や黄色や黒が混じっていたほうが安心」、という白色側のバランス感覚というのもおかしなものだ。
アカデミーでは優れた作品が高く評価され、優れた役者が選ばれれば良い。賞というものは、公平か、不公平か、差別的か、おそらくすべて当たっている。アカデミー賞の審査は公平ではないし、世の中はすべて公平ではない。人の好みはそれぞれだし、人は差別の中で生きなければならない。そんなことを論議するよりも、ハリウッドのアカデミー賞から、もっとベネチア映画祭や、シド二ーのマルテイグラ映画祭とか、英語圏でない国々のローカルな作品に授与される賞に、目を向けた方が良い。
でも日本の映画がアカデミーの外国映画部門でもアニメーションの部門でも候補作にあげられなかったのは残念だった。


2016年2月16日火曜日

オーストラリアで年を取る

               

12月の末から1月2月と、無我夢中の毎日だった。
まず、どうトチったのか、フラっと行ったオープンハウスでアパートのひとつが気に入って、生まれて初めて自分の家を買って、引っ越した。娘達が何かとついていてくれたが助言者も、相談にのってくれる人もなく、インスペクション、弁護士を通しての契約書の作成、ク―リング期間の対処、アパート管理会社との契約、政府に払う税金などなど、この年になるまで小切手の切り方も知らなかった世間知らずが、何もかも丸投げに近いやり方で、弁護士に契約から支払いまでお世話になった。

娘たちがそれぞれ結婚して家庭を持ち、オットが高齢で身体障碍者となり、それまで20年住んだアパートを引き払い、アパートを買うなどという大それたことをすることになるとは、考えてもみなかった。人の命は短い。土地は誰のものでもないはずだ。その土地を所有するなどという、とんでもないことを自分がするなんて。猫の額ほどの土地でもカール マルクスに申し訳が立たない。

国境なき医師団に加わりたい。どこか被災地から二人くらい子供を養子にして、もう一度お母さんをやりたい。田舎に土地を借りて犬の猫のホスピスをやりたい。たくさん、たくさん、やりたいことが まだある。何より孫たちの成長をそばで見届けたい。こま鼠の様に忙しく働き、子育てしている娘たちのそばで、少しでも力になりたい。それができずに来た。
過去2年以上のあいだ、病気のオットに縛り付けられてきた。フルタイムで働きながら、オットを一日おきに腎臓透析に連れていき、5時間後に連れ帰って来る。家の中でも3食におやつを作り、歩行に手を貸し、汚しっぱなしのトイレを休みなく掃除しなければならない。週40時間職場でナースとして働きながら、家に帰ってもまだナース。寝る時間が取れない。なんでこんなめんどくさい奴と一緒になってしまったのか。
今まで長い事、住んでいたところは、シドニーの東京で言い換えると成城か田園調布だったが、移ったところは、雰囲気として亀戸とか錦糸町。職場のある成城、田園調布まで運転で30分。仕事が終わったら30分かけて新しい家の錦糸町にもどり、オットをまた車に乗せて30分かけて田園調布の病院に連れて行き腎臓透析をしている間、5時間プールで泳いだり図書館で雑誌を読んで時間をつぶし、またオットを30分かけて錦糸町の家に帰り、またまた30分かけて職場に行って、、、、。いつやすめるんだ。

OECDの調査で日本は先進国の中で貧困率世界第6位という記録を作ったと言う。中でも老人の貧困が深刻だ。バブル後に家、財産、家庭を失った世代では路頭を彷徨う老人も多いだろう。養護老人ホームに入る待機期間も長く、老人ホームで自治体や国が介護すべき貧困老人を、家庭で持て余している家族も多いだろう。

オーストラリアでは、年を取った親を子が世話する習慣がないから、老人は可能な限り自分の家で生活し、自分で身の回りのことができなくなったら、介護者に来てもらい買い物や掃除を頼む。そのうちにトイレまで自分で歩けない、自分でパンを焼いて食べられないというようになったら、老人ホームに入る。老人ホームに入るためには、公立、私立に関わらず、自分の家を持っている老人は家を売ってそのお金を老人ホームに預けて入所する。それをボンドというが、2千500万円から私立だと5千万円くらい。ボンドだから、その老人が死んだら、お金は子供が遺産として受け取る。この制度は去年から始まった。
オーストラリアの税制では遺産相続に税金が取られないので、子供達は遺産をそのまま受け取れる。億万長者はそのまま自分の子供を億万長者にする。バカ息子はバカなまま親の七光りで生きられる。だから家やファームをたくさん持っている人は、それを売って処分してでないと老人ホームに入れない、というシステムになったのは、それなりに理解できる。しかし安サラリーマンがまじめに働き苦労して貯金を作り、年を取ったときに老人ホームに入るために、なけなしの貯金を全額取られて老人ホームに入るのは悲しい。自分が死んでからでないと子供に財産を分けてやれない。

わたしが勤めている民間の長期療養ホームは、50ベッド。病院と同じ3交代で、朝勤務はマネージァーと副マネージャー(看護婦長)、2人の正看護師と9-10人の看護婦助手が働き、全患者のシャワーを浴びさせて、寝間着から平服に着替えさせてからダイニングルームで朝食、モーニングテイー、昼食を介助する。午后勤務では、2人の正看護師と6人の看護助手が夕食介助をして、患者を寝室に連れていく。夜勤は、一人の正看護師と2-3人の看護助手で皆を寝かせて、事故のないように見回りトイレの介助、朝の投薬などする。
ナース以外にダイバージョンセラピストが2人毎日来て、ピアノに合わせて歌を歌ったり、バスで小旅行に患者を連れて行ったり、絵を描かせたりする。物理療法士も定期的に来て、歩けない患者を歩かせる。ポデイアトリストという足の爪を切ったり、足のケアをしてくれる人も来てくれる。毎週木曜日はヘアドレッサーが来て、髪を切ったり、パーマをセットをしてくれる。ほとんどの女性患者は、髪をきれいにセットして化粧も毎日する。ここが日本の老人ホームの患者と違うところだ。オーストラリアの老人ホームは、いろんな職業に人々が出入りしていて、結構忙しい。

ほぼ患者の全員がおむつをしているし、認識障害がある。アルツハイマー氏’病は脳が委縮する疾患だが、これも多い。徘徊もするし、スタッフがどんなに気をつけていても転倒事故も多い。失禁状態だから床ずれもできる。転倒事故や床ずれによる感染症などを起こした患者をみて、怒り狂った家族が訴訟を起こし、賠償金を取られることもある。やれやれだ。
自宅で気ままにやってきた老人が老人ホームに来たばかりの頃は、わがままで頑固で大変だが、日本の年よりよりも扱いやすい。彼らは年をとっても、欧米文化の中で社交性が身にしっかりついているからだろう。どんなに呆けていても、ドアが開けばレデイーファーストだし、一つのテーブルに数人で座ればみな挨拶もするし、会話もする。
脳が委縮して、気短な年よりだから、小さな誤解からナースに殴りかかって来る患者もいる。そんなときは慌てず、「おまえ、女を殴るのか?」とか「わたしは妊婦だぞ。殴ったら卑怯者だぞ。」などと叫べば大抵は、振り上げた腕を下ろしてくれる。それでも暴力沙汰になって警官をよばなければならなくなったこともある。前の病院だったらガードマンがいて、どこからでも333を電話すると、マオリ出身のでかいガードマン達が駆けつけてくれたものだが、今の職場には居ない。
しかし、ほとんどの日々はトラブルなどなくて、スタッフと患者達は ひとつの家族のように仲良くやっている。家族にできない介助を24時間してくれるわけだから、当たり前だけど。家族が差し入れたチョコレートなどを、食べずにとっておいてくれたり、わたしの初孫がうまれたときなど、家族に頼んで贈り物をもってきてくれた患者もいた。わたしが来る時間に、毎日入り口で待っていてくれた人もいた。彼は50代だったが、交通事故で脳に障害を受けて3歳程度の知能しかなくなった。一緒に日本の歌を歌って本当に楽しかったが、あっけなく肺炎で亡くなってしまった。

今の職場で10年働いてきて、悲しいのは治癒して家に帰る人が居ないことだ。みな老人ホームに入った人はそこで死ぬ。見届けることがわたしの役割だ。

(写真は10歳になったうちのクロエ)


2016年1月16日土曜日

2015年に観た映画 ベストテン

第1位: 「愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ」
第2位: 「ウオーターデバイナー」
第3位: 「アンブロークン」
第4位: 「博士と彼女のセオリー」
第5位: 「バードマン」
第6位: 「ブリッジ オブ スパイ」
第7位: 「ミッションインポッシブル ローグネイション」
第8位: 「エベレスト」
第9位: 「ジュラシック ワールド」
第10位:「ザモスト バイオレンス イヤー」      


第1位: 「愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ」
監督:バーナード ローズ
ヴァイオリンを弾く人で二コロ パガニーニが嫌いな人は居ないだろう。彼が作曲した複雑で技巧的で高度なテクニックを要する曲の数々は、魅力に満ちていて嵌り込むと容易には出てこられない危険性に満ちている。彼は沢山作品を作曲したのに、他人にコピーされるのが嫌で自分で、楽譜を焼却処分してしまったり、謎に満ちた人生を送り、正しい評価を受けることもなく、悪魔扱いされて孤独と貧困に責められながら短い生涯を終えた。こんな伝説に満ちた天才パガニーニの半生を描いた作品だから哀しみに満ちている。

パガニーニの数々の作品を演奏するデヴィッド ギャレットが、華麗で繊細な演奏をたっぷり見せてくれる。ギャレットは、パガニーニの底なしのような孤独が良く似合う、魅力的なヴァイオリニストだ。この気鋭のヴァイオリニストがものすごいスピードで難曲をこなす様子は、まるで魔法をみているようだ。 長髪で背が高く美しい顔をしたギャレットが、ジョン レノン風の丸い黒メガネをかけて、長いコートを着ていると、それだけで「悪魔」の様相をおびてくる。
映画の中で、ギャンブルも、女遊びも、ドラッグも大好きな破滅型パガニーニが、カードで負け続け、無造作にストラデイバリウスを賭けて、それを失ってしまうシーンに胸がつぶれる思い。処女に恋をして、想いが届かない傷心の思いのたけをヴァイオリンにぶつけるシーンも、印象深い。産業革命でロンドンが大気汚染のスモッグに覆われていて、それに慣れないパガニーニが咳き込むシーンが痛ましい。晩年の車椅子に座り、背を向けてうなだれる姿も忘れ難い。光と影、明と暗を、効果的に映像化するカメラワークが古典映画に風格を与えていて、秀逸だ。バックに流れるパガニーニの作品を演奏するギャレットの澄んだ音の連なりに心を奪われる。

モーツアルトを描いた映画「アマデウス」、シューベルトを描いた「未完成交響曲」、偉大な音楽家を描いた作品は、どうしてこうも哀しいのだろうか。後からきてその偉大さが理解され、正しく評価されるまで、何と音楽家たちは前衛として苦しみの多い生を生きなければならなかったのだろう。
                    
第2位:「ウオ―ターデヴァイナー」
監督主演:ラッセル クロウ
作品の詳しい紹介と映画評は2015年1月11日に書いた。
オージーを代表するラッセル クロウが主演監督したこの作品を観ると、オーストラリアへの理解が深まる。第一次世界大戦でトルコ軍と激戦になった、ガリポリがテーマ。オーストラリアからはるばる母国英国に忠誠を示すために英国軍として出兵していたオーストラリア軍が、英国軍の誤った作戦のために大きな被害を受けた。これが英国からオーストラリアが真に独立して、自分の国のアイデンテイテーを築く切っ掛けになった、このガリポリの激戦を描いた作品。ガリポリで3人の息子を全員亡くした農夫が、妻の自殺を契機にガリポリに息子の遺体を探しに行くお話。内容の悲惨さに反して、映画は明るくユーモアがあって、トルコの色彩豊かな風景と人々の明るさに満ちている。

無骨で無口なもっさりしたオージー農夫を演じるラッセル クロウが、とても良い味を出している。この泥臭さは、アメリカ人やイギリス人には出せない。全くもってのオージーマッチョの味だ。とても良い映画だ。灼熱下、青い空のもと、堅い赤土を掘り起こし井戸を一心に掘る男を、賢そうなブルーヒーラー犬が、横でじっと見つめている。その印象深い最初のシーンから、この映画が大好きになってしまった。
                      
第3位:「アンブロークン」  
監督:アンジェリーナ ジョリー。 
作品の詳しい紹介は、2015年1月24日に書いた。 
第2次世界大戦にシンガポール陥落後、日本軍が、外国兵捕虜を残酷に扱ったということで、いったん日本では上演されないことになったが、後で限られた劇場で上演されたことで、話題になった作品。一人の男の、スポーツマンとして折れることのない精神を描いたヒューマンな作品だ。実話だが、映画のモデルとなったマラソンオリンピアンが、映画の完成を楽しみにしながら、完成前に高齢で亡くなったことを、交流があったアンジェリーナ ジョリーが嘆いていた。
同じように南京虐殺を描いた、チャン イー モー監督で、のクリスチャン ベイルが主演した映画「フラワー オブ ワー」も、日本での上映が止められたが、とても良い作品なので残念。このような映画は、日本でこそ上映されて、若い人々に観られるべきだと思う。

第4位:「博士と彼女のセオリー」
監督:ジェームス マーシュ
作品のストーリーと映画評は2015年2月28日に書いた。
現役で、しかも常に脚光をあびている天才的物理学者を演じるというのは、とてもチャレンジなことだ。この映画の良さは一にも二にも、エディ レッドメインが演じたことによると思う。本当にチャーミングな役者だ。

第5位:「バードマン」
監督:エマニュエル ルベッキ
映画評は、2015年5月31日のブログに書いた。
気鋭の監督による実験的な作品。長廻しカメラで役者を追廻し失敗の許されない舞台で演じるようなプレッシャーをかけまくって作られた、斬新な作品。実験としては成功している。とてもおもしろい映画だった。主演のマイケル キートンが良い。

第6位:「ブリッジ オブ スパイ」
監督:ステイブン スピルバーグ
脚本:コーエン兄弟
1963年に実際あったことを映画化した作品。ハリウッドの「良心」を代表する役者、トム ハンクスを主演にして、彼の良い味を引き出している。ひとりの弁護士が、アメリカ国内で逮捕された東側スパイの弁護をひきうけたことを契機に、冷戦下の米ソ間の政治にかかわることになってしまう。一方東側にスパイ容疑で拘束されているアメリカ軍パイロットの釈放を求めて、捕虜交換の交渉をするために弁護士は、冷戦下のベルリンに飛ぶ。無力でごく普通の家庭人の弁護士が、スパイであろうが人は人権を守られるべき存在だという信念を、ときの流れや世論に逆らってでも曲げないでがんばる姿に、思わず声援を送りたくなる。当時のアメリカに、こんな骨のある弁護士がいたことに、驚かされる。政治権力や、銃を持った人達に対して、それを持たない一介の弁護士が、自分自身の恐怖心を戦いながら、弁護士として何ができるのか。人間には、武器を持たずに どんなことが可能なのか、するどく訴えかけてくる。とても良い映画だ。ベルリンの東西を分断していたグーリ二カー橋上での捕虜交換のシーンは緊張が張り詰めているが、美しいシーンで忘れ難い。

第7位:「ミッションインポッシブル ロークネイション」
監督:クリストファー マッカリー
映画紹介は、このブログの2015年8月22日の日記で書いた。
ダニエル クレイグの007シリーズ「スペクター」の方が、このトム クルーズの「ミッションインポッシブル」よりも観客動員が多くて興行成績も良かったそうだが、私はこちらの作品の方が好きだ。まず残酷シーンで首が飛んだり、血しぶきを浴びたり、拷問シーンでじっとり悪い汗をかいたりしないで済んだし。終始ポップコーンを食べながら観られたし、、。こういう大型アクション娯楽映画は、子供と並んでワーとか、ギャーとか言いながら楽しんで見られなければいけないんじゃないかと思う。
                    
第8位: 「エベレスト」
監督;バルタザール コルマウクル
映画評は2015年11月29日に、このブログで書いた。
過酷なエベレスト登山の挑戦するからには、ひとつの間違いも許されない と言う見本をみせてくれた。たくさんの有名俳優を使って、危険な現地撮影に成功している。撮影隊の苦労を思うと、高い評価をしてあげないと可哀想だ。
                  
第9位:「ジュラシックワールド」
監督:コリン トレボロウ
ジュラシック シリーズの4作目。1993年、1997年、2001年、2015年と、ジュラシックものが続いてきたが、いつも同じテーマで、同じ内容を繰り返しているだけの様な気がしてならない。ステイブン スピルバーグの第1作目の意表を突いた発想、冒険と恐怖感、そして興奮が、あまりに抜きんで優れて居たので、それ以降の作品がみな2流に見えてしまう。役者や新しい車や施設を出して来ればいいと言うもんじゃない。3頭の孤児の恐竜が、仲間を殺されて復讐するところも、気丈で美女の経営者と荒くれ男との関係も、はじめから先が読めてしまってつまらない。続作をいくつも観るより1993年作、リチャード アッテンボロウの第1作を繰り返して見る方が余程面白い。

第10位: 「ザ モスト バイオレント イヤー」
監督:J C チヤンド―ル
1981年のニューヨークのお話。抑えた色調、1930年代風のマフイアの親分といった強面だけど、よくみるとイケメンの男が苦労しながら自分の富を築き上げていく。たくさんの裏切りに出会うが微動もしない。確固とした自分のビジネスへの自信とゆるぎない経営戦術、畏れない身構え。小さな裏切りに会っても諦念と愛情でしっかり妻を支える男気。
バイオレントとタイトルにあるので、いつ銃撃戦が始まるのか、彼がどんな目にあうのか、美人の奥さんがどんな酷いことをされるのか、可愛い無防備な子供に何が起きるのか、どきどきしながら映画を観終わるまで緊張が解けない。上手だと思う。映画作りに長けた監督の手法に脱帽。




2015年12月12日土曜日

マキシム ヴァンゲロフ シドニー公演を聴く




ヴァイオリニストのマキシム ヴァンゲロフが、初めてオーストラリアに来た。メルボルンで1度、シドニーでたった一度だけの公演。もちろん仕事を放り出して公演を聴いてきた。ヴァンゲロフは、わたしにとって神様みたいな存在。ヨーロッパから20時間以上の飛行で、シドニーまで足を伸ばしてくれて、涙が出るほど嬉しい。

シドニーオペラハウス
プログラム
1)ジョナサン セバスチャン バッハ
  シャコンヌ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルテイータ2番D マイナー(1720)
2)ルドウイグ バン ベートーヴェン
  ヴァイオリン ソナタ 7番 C マイナー作品30(1802年)

3)モーリス ラベル
  ヴァイオリン ソナタ 2番 Gメジャー(1927年)
4)ユージン イザイ
  ヴァイオリン ソナタ 6番 Eメジャー 作品27(1923年)
5)ハインリッヒ ウィルヘルム エルンスト
  エチュード6番 ヴァイオリン独奏のための「庭の千草」変奏曲(1864年)
6)二ッコロ パガニーニ
  ヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ 作品17 Dメジャー(1823年)
  作品13 クライスラーによる変奏曲(1905年)

アンコール
1)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第2番」
2)マスネ 「タイスの瞑想曲」
3)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第5番」

マキシム ヴァンゲロフはシベリア ノヴォシビルスク出身のユダヤ系ロシア人。40歳。5歳でヴァイオリンをガリーナ トウルチヤニノーヴァに師事、10才でポーランドのリピンスキーヴィエ二ヤスキ国際コンクールで優勝した後、モスクワ、ぺテルスブルグで活躍し、1995年にはプロコフィエフとショスタコヴィチ協奏曲のCDでグラモフォン賞を与えられグラミー賞にノミネートされた。1997年以降アメリカで大ブレイクし、各国で演奏活動を続けるが、2007年の肩を痛め演奏活動を休止。ユニセフ親善大使として若い音楽家への教育に力を入れ、指揮者としても活躍する。2011年から再び精力的に演奏活動を再開して、現在に至っている。ベルリンフィルハーモニック、ロンドンシンフォニーオーケストラ、BBCシンフォニーオーケストラなどで指揮をし、2013年からは日本ではヴァンゲロフフェステイバルが毎年開催されるようになり、今年で4年目になる。昨年は上海シンフォニーホールのオープニングで、ロン ユーやピアノのランランと共演した。現在はスイスのインターナショナルメニューヒン音楽アカデミーと、ロンドンロイヤルアカデミーオブミュージックの教授。

ヴァンゲロフは、世界各国でソロのヴァイオリニストとして公演する先々で、マスタークラスを開催して、若い生徒の教育に積極的に取り組んでいる。マスタークラスでは希望者に個人レッスンをして、一般に公開している。生徒の演奏を聴いて、矢継ぎ早に問題点を指摘しては技術的なアドバイスや的確な指示をする。そんな彼の教師としてのあたたかい人柄と包容力には定評がある。

わたしが初めてヴァンゲロフを知ったのはテレビでBBCのドキュメンタリーを放送した時だ。家でニュースのあと、片付けをしていて消し忘れていたテレビから、今まで聞いたことのなかった「深い溢れるような豊かな音」が聞こえて来て思わず息を止めた。今までどんなヴァイオリンからも、そのような深い音を聞いたことがなかったので、ヴァイオリンでこんな音が出せるものなのか、と心底驚いて、心惹かれた。それは、ユニセフ親善大使ヴァンゲロフが、アフリカの子供たちと音遊びしたり、一緒に歌を歌ったりしているレポートのバックグランドに流れる彼の演奏によるものだった。若いヴァイオリニストが、子供達のちょっと兄貴分といった風に子供に混じって無邪気に遊んでいる。その人のヴァイオリンは深い深い人の心が満ち溢れてくるような豊かな音色に激しく心を奪われた。

それはシドニーにきたばかりのころの話だ。その前まで10年間フィリピンに滞在していて、娘たちがマニラのインターナショナルスクールに通っていた間、半ばボランテイアのような形でヴァイオリン教師をしていた。毎日4クラスのジュニアスクールのヴァイオリンの授業と、課外活動の弦楽オーケストラ指導と、年4回の定期コンサートの準備と、自宅にやってくる生徒の個人レッスンとで目が回るほど忙しく、ヴァイオリンの「本当の音」など聴く暇がないような状態だった。ヴァンゲロフの名前も知らなかったし、彼が、華麗な技術と豊かな表現力とで、日本で最も人気のあるヴァイオリニストだというのも知らなかった。日本にヴァンゲロフフェステイバルというのがあって、毎年彼の訪日を待って音楽祭が行われるというのも全然知らなかった。

ヴァンゲロフは、マスタークラスに来る若い生徒達に向かって、もっともっと表現をして、ヴァイオリンでオペラを歌うように歌いなさいと、繰り返し言っている。オペラのようによく訓練された音でしっかり表現する、、まさに初めて聴いて心から感動した時の、彼の深みのある音だ。音楽はその人の心の表れだから、その人の心に音楽がなければ表現できない。ヴァンゲロフの心には豊な音楽がいつも流れているから、音合わせでさえ他の人と音が全然ちがう。豊かに滔々と流れ満ち溢れるバイカル湖の水のように深い澄んだ音だ。

プログラム
1)バッハのシャコンヌ
2時間余りのコンサートでこれを最初に演奏する演奏家を初めてみた。いつもカジュアルマナーというか、クラシックを聴くためのマナーのできていないオーストラリアで、ヴァンゲロフが一人挌闘と言う感じで、すごい集中力で、力強く弾き始める。ヴァイオリンを弾く人ならば誰もが挑戦してみたい、永遠の名作で、難曲。重音奏法を多用して、重音で低音を演奏しながらメロデイーを弾く、和音が低音で響いている間にそれを伴奏に、ハイテクニックの旋律を重ねるといった高度なテクニック。ボーイング(弓使い)の力強さとしなやかさに感動する。アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーク、シャコンヌの5つの舞曲を続けて演奏する15分間の最高傑作。この曲には哀しみが満ちていて、演奏されている間中、なぜか身動き出来なくなる。ヴァンゲロフの演奏は、ただただみごとだ。

2)ベートーヴェンのソナタ 7番
ベートーヴェンはバイオリンとピアノのためのソナタを10曲作曲している。5番の「春」と、9番の「クロイツエル」が有名だが、今回演奏された7番は、ロシア皇帝アレクサンダー1世の献上されたのでアレクサンダーソナタとも呼ばれている。重厚で輝きのある曲だ。
ピアニストは、現在フランス在住のロシア人、ローステイム サイトコロフ。ベルベットのスーツに白い蝶ネクタイをつけた長髪で線の細い華奢な人。そんなショパンみたいなピアニストが、彼を10才若くしたようなもっと線の細い感じの譜めくりの少年をつれてきていた。ヴァイオリンとピアノの掛け合いの楽しい曲目だ。ヴァンゲロフはパワフルに演奏する。弓使いの美しさに見とれる。

3)ラベル ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
これほど自由にジャズやブルースを組み入れた曲を楽々と演奏されると、もううれしくなる。クラシック音楽なんて、どこかにふっとばされていく。むかしはラベルもドビッシーも苦手で、フランス人って何を考えているんだろう、と不思議に思っていた。だって、リズムが刻めない。何分の何拍子なの?と聞いてもわからない。そんな訳の分からないラベルやドビッシーが、フェイスブックで知り合ったフランス在住のピアニスト、バルボット成江さんの演奏ヴィデオを聴き、彼女の穏やかで優しい人柄に惹かれるうちに好きになって来た。聴くのは良いが演奏するのは、とても難しいことも分かってきた。高度な技術を駆使してヴァンゲロフはラベルを聴かせてくれた。
4)ユージン イザイのヴァイオリンソナタ
ベルギーの作曲家でヴァイオリニストの作品は初めて聴いた。ヴァンゲロフの独奏。ロマン派の作曲家だが、とても斬新な曲だった。

5)「庭の千草」とその変奏曲
パガニー二と同時代を生きたチェコ生まれの作曲家でバイオリニストだったエルンストの作品。この人はパガニーニが大好きで彼がパリにいる間は、自分もパリで競って演奏活動し、技巧的な難曲を好んで演奏したという。アイルランド民謡の「庭の千草」の単純なメロデイーが、いろいろなバリエーションで演奏される。ものすごい重奏の連続で、ダブル、トリプル重奏が続く。とくに左手で重奏を弓でメロデイーを演奏しながら、同じ左手でピッチカートで伴奏を入れる、というテクニックには、聴いていたシドニーっ子達が夢中になって、曲の途中なのに拍手したりワーワー言いながら興奮していた。こういう風景は、お行儀の良い日本のクラシックコンサート会場では絶対みられない。オージーはクラシックコンサートで、第1楽章が終わって拍手してはならないところでも、自分が感動したら大拍手するし、驚くようなテクニックに出会えば曲の途中でも大声を出す。足もガタガタ踏み鳴らす。
この変奏曲の、ヴァンゲロフが弾いたのではなくて、もっとずっと簡単な変奏曲を中学生の時、発表会で演奏した。今度のコンサートで何を弾くの、と聞かれて、アイルランド民謡のこの曲の名を言うのが恥ずかしくて、とても嫌だった。簡単な曲しか弾けない初心者に思われると思ったのだろう。今になって、そうじゃない、難曲だったんだと、わかった。選曲が悪いと思い込んで恨んだ小野アンナ先生、村山雄二郎先生ごめんなさい。

6)パガニーニのヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ
情感豊かな静かで美しい曲。表現者のヴァンゲロフは、本当にヴァイオリンで声高らかに歌っていた。オペラ歌手の様に。

アンコールで演奏されたブラームスのハンガリアンダンスでは、ヴァンゲロフは、きわめて早いパッセージをダブルストップさせる奏法や、観客が大喜びして騒いだ左手のピッチカートを多用して何度も観客を夢中にさせてくれた。ピッチカートが出るたびに観客が沸く。ハーモニックスの重音を繰り返すなんて、すごいテクニックだ。彼はサービス精神のかたまりのような人。これほど自由自在に高度なテクニックを使えるようにするためには、どれだけの練習と苦労があるのか、聴衆には決してわからない。

アンコールの2番目に演奏されたマスネの「タイスの瞑想曲」は、自分が2週間前の友人達とのクリスマスパーテイーで演奏したばかり。ああ、わたしの為に弾いてくれたんだ、と勝手に思い込みながら、心に染み入る美しいひとつひとつの音を受け止めた。美しくて泣けてくる。
最後にヴァンゲロフは、ビバ、ムジカプロジェクトの招待で、初めてオーストラリアに初めて来られて嬉しいと挨拶し、じゃあビバ ムジカのテーマソング(?)を最後に演奏します、と言って「ハンガリアンダンス第5番」を、すごいスピードで弾き始めて皆を笑わせてくれた。何て素敵な演奏家なんだ。

プログラムは、古典の古典:バッハに始まって、ロマン派、そしてラベルのジャズやブルースに触発されて作曲されたラベルと、パガニーニのヴァイオリン曲、それにアイルランド民謡、アンコールで弾かれたハンガリア民謡という風に、すべての時代と曲想をカバーしている。
コンサートでは、楽章ごとに拍手したり、ひとつの楽章が終わると咳ばらいする人も多く、演奏中でも自分が好きなところでワーワー声を出したり、お行儀の悪いオージー観客だったが、ヴァンゲロフの高度な演奏テクニックにみな魅せられて拍手、足踏みブラボーの連呼で終了した。わたしは念願の彼の生の演奏を聴くことができて、本当に嬉しかった。
シドニー公演の翌日、彼は日本に向かった。日本で、今度はお行儀の良い観客を前に、すばらしい演奏を見せていることだろう。
  

2015年12月11日金曜日

映画「007スペクター」

監督:サム メンデス           

キャスト
ダニエル クレイグ:ジェームス ボンド
フランツ オベル ハウザー:クリストフ ウオルツ
マンデリン スワン:レア セドウ
M :ラルフ フィネス
Q: ベン ウイシャウ
ミスターヒンクス :デイブ バウテイシャ

ジェームスボンドシリーズ24作目。ダニエル クレイグにとってはボンド役4作目。撮影は、メキシコシテイー、ローマ、ロンドン、ウィーン、モロッコのタンジール、エルファドなど。製作費用$245ミリオンで、今まで製作された、他のどの映画よりも高い費用をかけて製作された。

ストーリーは
爆弾を使ったテロが世界各地で頻発している。英国女王陛下機密機関では、主要国9か国の間で共通の情報システムを作り情報を共有することを、各国の秘密機関に提案していた。この案を進めるために、新しく「C」が仲間として、派遣されてきた。
一方、ジェームス ボンドは、殺された前任者の「M」(ジュデイー デインチ)が、亡くなる前に送ったと思われるメッセージを受け取る。「マルコ シエラを殺してその葬儀に参加せよ」、という短いメッセージだ。ボンドはメキシコシテイーに飛び、街が「死者の祭り」で、ごったがえす中、ギャングの親玉マルコ シエラを殺す。ロンドンに戻ったボンドは、上司「M」(ラルフ フィネス)に呼び出されて命令もしていないのに、勝手にギャングを殺し、メキシコシテイーを大混乱に陥らせ、祭りを楽しんでいた数千人の観衆を危険な目に合わせ、巨大ビルデイングを爆破で崩壊させたことで、厳しく叱咤される。しかしボンドは、懲りず上司Mの命令に背いて、ローマに向かいマルコ シエラの葬儀に参加する。そこで、ボンドはマルコの妻(モニカ ベルッチ)を通じて、マルコが世界規模の犯罪組織スぺクターにかかわっていたことを知る。

組織の詳細を調べるために、まずボンドはオーストリアに飛ぶ。しかし組織のカギを握るホワイト氏は、ボンドに向かって、娘だけは守って欲しいと言い残して目の前で自殺してしまう。ボンドが訪ねて行ったホワイト氏の娘マデリン(レア セドウ)は、彼を信用せず全く相手にしないでいたが、犯罪組織スペクターによって拉致され、ボンドが決死の争奪戦ののちマデリンを助け出したことで、やっと信頼するようになり、組織を解明するためにモロッコにいくことを提案する。マデリンが子供の時に組織の幹部だった父親と過ごした小屋に滞在して調べるうちに、二人はやっとスペクター組織の本部を突き止めることができた。そこは、モロッコから東に向かうサハラ砂漠にあった。
スペクターの秘密基地は驚くべきハイテクニックな組織を持ち、全世界の動きがモニターで手に取るようにわかる機能を持っていた。そこでボンドは自分の属していたイギリスの国家安全秘密組織が提案していた9か国共通のプログラムは、このスペクターが操作することを知らされる。今や世界の情報網のプログラムをスペクターが握ろうとしていたのだった。ボンドの新しい仲間「C」は、スペクターから送られてきたスパイだった。
おまけにスペクターのリーダー、フランツ オベル ハウザーは、ジェームス ボンドにとっては兄のような存在の男だった。幼いうちに両親を失ったボンドは、フランツ オベル ハウザーの父親に引き取られて、二人は兄弟として育った。父親は孤児のボンドを可愛がり、実子の兄はボンドを憎むようになっていった。
スペクターに捕らわれたボンドとマデリンは、逃亡に成功し、基地を爆破する。しかし辛くも生きて基地から脱出したハウザーは、ロンドンでマデリンを再び誘拐する。ボンドは決死の覚悟でマデリンを救い出しに向かうが、、、。
というお話。

ボンドシリーズ24作目で初めて、孤児だったというボンドの過去が一部明らかにされる。養子ボンドと実子フランツとの宿命の確執だ。
シリーズの始めから一貫して変わらないのは、「M」と「Q」の存在だ。「M」の初代はジュデイ デインチで、いまはラルフ フィネスが引き継いだ。いつも勝手なことばかりしているボンドに怒って、叱咤してばかりいる。ジュデイ デインチが怒ると怖いが、ラルフ フィネスが怒って見せても、彼は顔に気品があって上品で、声が優しいので全然怖くない。
「Q」は、天才的にコンピューターのソフトを開発したり、腕時計時限爆弾とか、空飛ぶ車とか、水陸両用スポーツカーとか、ボールペン銃とかを発明する。いかにもオツムが良いですという顔に眼鏡をつけてベン ウィシャウが演じているが、彼はシェイクスピアをやれる舞台俳優出身の良い役者だ。第一かわいい。毎回まばゆいばかりの新車をQが作ってくれて、今回はアストンマーチンDB10で、心臓が早鳴りするくらい素敵だが、ボンドがやっぱり一番好きなのはボンド始まって以来の愛車アストンマーチンDB5だ。

映画のロケーションがどこも素晴らしい。ボンドの映画を見ると世界中が旅行できる。メキシコシテイーの祭りに集まった人々の美しい衣装、祭りの絢爛豪華なこと。ローマでは、コロシアム、ポンテシスト、ローマンフォーラム、ドームが出て来て、バチカンを正面に見ながらのカーチェイスが、すごい迫力。静まり返ったローマの夜の街を、ハイスピードで車が走り抜ける。あー!!!世界遺産が、、、と心配で、カーチェイスのドキドキハラハラも倍増だ。そして、オーストリアの美しい山々の景観には溜息がでる。雪に覆われたアルプスの荘厳さ。そうかと思うと、今度はモロッコに飛んで、美しい砂漠をコーランを読む心地良い響きに合わせるように、ラクダが優雅な姿で歩く。砂漠の真ん中に建てられたプールがあって、ふんだんに水を使った豪勢な館。画面の景色を見るだけで楽しい。

筋書はめちゃくちゃだ。どうしてさ?のつっこみどころ満載。完全武装のガードマン達が守備を固め、世界を乗っ取ろうとしている悪い組織の秘密基地に、丸腰でハイヒールを履いた彼女を連れて正面から堂々と入っていき、片手で女性の手を引きながら敵を全部やっつけて、基地を爆破して無傷で二人して逃げてこられるって、、、何てボンドは強いんだ。何百人ものガードマンは紙ででも出来ているんですか。手錠をかけられたボンドが、エイヤと両腕を広げると手錠の鎖が切れて両手自由になれるって、北斗の拳じゃあるまいし非現実的。

それにしてもよくいろんなものが壊れた。今までに作られた映画になかで一番製作費にお金をかけた映画だそうだが、ボンドは、爆弾でメキシコでひとつ、ロンドンでひとつ、サハラ砂漠の真ん中でもうひとつ大きな建物を完全崩壊させた。007の「殺しのライセンス」は、最悪のテロリストか? 小型飛行機で拉致された彼女を救うため、飛行機を操縦しながらオーストリアの森で、両翼もぎ取られ道路に緊急着陸して飛行機を完全に破壊。メキシコで1台、ロンドンウェストミニスター橋で、もう1台ヘリコプターをずたずたにぶっ壊して燃やし、ローマで2台の新車をカーチェイスの末ぼろぼろにして川に沈めてしまった。他にも何台の車が破壊されたのか、乱闘で壊れた家具とか特急列車の内部とか、すさまじい破壊と暴力。
殺人の仕方も残酷だ。大男が両手で無抵抗の男の両目をつぶして殺したり、葬儀から帰った未亡人を後ろから撃ったり、一人の男を殺すために建物全部を爆破して崩壊させたり。人を虫のように簡単に殺しまくってくれる。こういうのを見て、「スカッとしたぜい」、とか、「胸がすくような気持ちです」とコメントできる人達って、精神的にかなりヤバいのではないか。

イヤンフレミングのボンドを読むと、ボンドは女王陛下お抱えのスパイ組織の一員だが、確かオックスフォードを出ていたような、、ブランデーを口にすると、何年作でどこの畑で作られたか直ちに理解し、話題によどみなく絵画にも音楽にも古典にも精通し、社交的で、知的な趣味人の紳士だったはず。そこが、アメリカのCIAスパイとは違って、成熟したヨーロッパの文化を身に着けたスパイだったと思うが、今回の映画でボンドは一挙に孤児にされてしまった。何だか、話に兄弟との近親憎悪がとびだすと三流ストーリーになってしまう。イアンフレミングだったら、こんな筋書にはしなかっただろう。

トム クルーズの「ミッションインポッシブル ローグネーション」では、アメリカCIAスパイのトムが、モロッコの水力発電所に潜ったり、ウィーン国立オペラ劇場で「トランドット」を見ながら乱闘したり、カーチェイスや、飛行機チェイスや、バイクチェイスでドキドキハラハラさせてくれたが、ひどい人の殺し方をしたり、世界各国の観光名所を破壊したり、血が流れたり、手足がもぎれたり、首が飛んだりしなかった。珍しく血の流れない大型アクション映画に仕上がっていて、とても好感がもてた。そしてこれからは、これが新しいアクション映画の流れになっていくのだと思っていた。ところが、007の方は、依然として残酷無比な殺人、暴力のてんこ盛り、暴力に満ちた映画だった。運転中に襲われて生きるか死ぬかと言うときに、新車の秘密兵器ボタンを押すと、バックグランドミュージックの選択ボタンだったり、といった英国風のユーモアもあったが、まだウィットが足りない。ボンドシリーズ、ボンドを、ちがう役者に替えればいいと言うもんじゃない。全然斬新さがない。

ボンドガールは相変わらず胸の大きく開いたドレスにハイヒールで、男の腕に捕まって逃げ回る。男は強くて無敵、どんな拷問を受けても死なないで女を守る。どうなってるんだよ。キミは何世紀もの間、男が強くてか弱い女を守って来たとでも、まだ信じていたいのか。現実世界の日常では、暴力があふれている。人々は怒りと憎しみでいっぱいだ。時として女はハイヒールと胸の開いたドレスで、少しでもまともな男、強く賢く少々たりともマシな男を捕まえようとするが、普段は男と並んでしっかり学び、しっかり働いて社会を形造っているのだ。

雌のシジミチョウはいったん卵を抱えると、あの小さな羽で、空高く舞い上がる。それを待ち構えていた何百羽の雄のシジミチョウはそれを捕えようと、雌を追って空に向かって飛び上る。そして一番高くまで飛んで、雌に追いついた一羽の雄だけが生殖行為を許される。強い遺伝子の子孫を残すための雌の本能だ。高く飛べなかったけど、それなり良い相手だからとか、体は弱いけど心が優しいからとかの妥協なんて期待しないで。

アクション映画では、ヒーローが派手に車や飛行機や建物を破壊し、残酷な殺しがライセンスでまかり通り、着飾ったセクシーな女がしなだれかかるというパターンは、もう時代遅れだ。いつまでも男女差別の激しかった時代に始まった007シリーズにこだわっていると、ジェームスボンドは時代に取り残されて、誰にも見向きされなくなる。