2016年2月16日火曜日

オーストラリアで年を取る

               

12月の末から1月2月と、無我夢中の毎日だった。
まず、どうトチったのか、フラっと行ったオープンハウスでアパートのひとつが気に入って、生まれて初めて自分の家を買って、引っ越した。娘達が何かとついていてくれたが助言者も、相談にのってくれる人もなく、インスペクション、弁護士を通しての契約書の作成、ク―リング期間の対処、アパート管理会社との契約、政府に払う税金などなど、この年になるまで小切手の切り方も知らなかった世間知らずが、何もかも丸投げに近いやり方で、弁護士に契約から支払いまでお世話になった。

娘たちがそれぞれ結婚して家庭を持ち、オットが高齢で身体障碍者となり、それまで20年住んだアパートを引き払い、アパートを買うなどという大それたことをすることになるとは、考えてもみなかった。人の命は短い。土地は誰のものでもないはずだ。その土地を所有するなどという、とんでもないことを自分がするなんて。猫の額ほどの土地でもカール マルクスに申し訳が立たない。

国境なき医師団に加わりたい。どこか被災地から二人くらい子供を養子にして、もう一度お母さんをやりたい。田舎に土地を借りて犬の猫のホスピスをやりたい。たくさん、たくさん、やりたいことが まだある。何より孫たちの成長をそばで見届けたい。こま鼠の様に忙しく働き、子育てしている娘たちのそばで、少しでも力になりたい。それができずに来た。
過去2年以上のあいだ、病気のオットに縛り付けられてきた。フルタイムで働きながら、オットを一日おきに腎臓透析に連れていき、5時間後に連れ帰って来る。家の中でも3食におやつを作り、歩行に手を貸し、汚しっぱなしのトイレを休みなく掃除しなければならない。週40時間職場でナースとして働きながら、家に帰ってもまだナース。寝る時間が取れない。なんでこんなめんどくさい奴と一緒になってしまったのか。
今まで長い事、住んでいたところは、シドニーの東京で言い換えると成城か田園調布だったが、移ったところは、雰囲気として亀戸とか錦糸町。職場のある成城、田園調布まで運転で30分。仕事が終わったら30分かけて新しい家の錦糸町にもどり、オットをまた車に乗せて30分かけて田園調布の病院に連れて行き腎臓透析をしている間、5時間プールで泳いだり図書館で雑誌を読んで時間をつぶし、またオットを30分かけて錦糸町の家に帰り、またまた30分かけて職場に行って、、、、。いつやすめるんだ。

OECDの調査で日本は先進国の中で貧困率世界第6位という記録を作ったと言う。中でも老人の貧困が深刻だ。バブル後に家、財産、家庭を失った世代では路頭を彷徨う老人も多いだろう。養護老人ホームに入る待機期間も長く、老人ホームで自治体や国が介護すべき貧困老人を、家庭で持て余している家族も多いだろう。

オーストラリアでは、年を取った親を子が世話する習慣がないから、老人は可能な限り自分の家で生活し、自分で身の回りのことができなくなったら、介護者に来てもらい買い物や掃除を頼む。そのうちにトイレまで自分で歩けない、自分でパンを焼いて食べられないというようになったら、老人ホームに入る。老人ホームに入るためには、公立、私立に関わらず、自分の家を持っている老人は家を売ってそのお金を老人ホームに預けて入所する。それをボンドというが、2千500万円から私立だと5千万円くらい。ボンドだから、その老人が死んだら、お金は子供が遺産として受け取る。この制度は去年から始まった。
オーストラリアの税制では遺産相続に税金が取られないので、子供達は遺産をそのまま受け取れる。億万長者はそのまま自分の子供を億万長者にする。バカ息子はバカなまま親の七光りで生きられる。だから家やファームをたくさん持っている人は、それを売って処分してでないと老人ホームに入れない、というシステムになったのは、それなりに理解できる。しかし安サラリーマンがまじめに働き苦労して貯金を作り、年を取ったときに老人ホームに入るために、なけなしの貯金を全額取られて老人ホームに入るのは悲しい。自分が死んでからでないと子供に財産を分けてやれない。

わたしが勤めている民間の長期療養ホームは、50ベッド。病院と同じ3交代で、朝勤務はマネージァーと副マネージャー(看護婦長)、2人の正看護師と9-10人の看護婦助手が働き、全患者のシャワーを浴びさせて、寝間着から平服に着替えさせてからダイニングルームで朝食、モーニングテイー、昼食を介助する。午后勤務では、2人の正看護師と6人の看護助手が夕食介助をして、患者を寝室に連れていく。夜勤は、一人の正看護師と2-3人の看護助手で皆を寝かせて、事故のないように見回りトイレの介助、朝の投薬などする。
ナース以外にダイバージョンセラピストが2人毎日来て、ピアノに合わせて歌を歌ったり、バスで小旅行に患者を連れて行ったり、絵を描かせたりする。物理療法士も定期的に来て、歩けない患者を歩かせる。ポデイアトリストという足の爪を切ったり、足のケアをしてくれる人も来てくれる。毎週木曜日はヘアドレッサーが来て、髪を切ったり、パーマをセットをしてくれる。ほとんどの女性患者は、髪をきれいにセットして化粧も毎日する。ここが日本の老人ホームの患者と違うところだ。オーストラリアの老人ホームは、いろんな職業に人々が出入りしていて、結構忙しい。

ほぼ患者の全員がおむつをしているし、認識障害がある。アルツハイマー氏’病は脳が委縮する疾患だが、これも多い。徘徊もするし、スタッフがどんなに気をつけていても転倒事故も多い。失禁状態だから床ずれもできる。転倒事故や床ずれによる感染症などを起こした患者をみて、怒り狂った家族が訴訟を起こし、賠償金を取られることもある。やれやれだ。
自宅で気ままにやってきた老人が老人ホームに来たばかりの頃は、わがままで頑固で大変だが、日本の年よりよりも扱いやすい。彼らは年をとっても、欧米文化の中で社交性が身にしっかりついているからだろう。どんなに呆けていても、ドアが開けばレデイーファーストだし、一つのテーブルに数人で座ればみな挨拶もするし、会話もする。
脳が委縮して、気短な年よりだから、小さな誤解からナースに殴りかかって来る患者もいる。そんなときは慌てず、「おまえ、女を殴るのか?」とか「わたしは妊婦だぞ。殴ったら卑怯者だぞ。」などと叫べば大抵は、振り上げた腕を下ろしてくれる。それでも暴力沙汰になって警官をよばなければならなくなったこともある。前の病院だったらガードマンがいて、どこからでも333を電話すると、マオリ出身のでかいガードマン達が駆けつけてくれたものだが、今の職場には居ない。
しかし、ほとんどの日々はトラブルなどなくて、スタッフと患者達は ひとつの家族のように仲良くやっている。家族にできない介助を24時間してくれるわけだから、当たり前だけど。家族が差し入れたチョコレートなどを、食べずにとっておいてくれたり、わたしの初孫がうまれたときなど、家族に頼んで贈り物をもってきてくれた患者もいた。わたしが来る時間に、毎日入り口で待っていてくれた人もいた。彼は50代だったが、交通事故で脳に障害を受けて3歳程度の知能しかなくなった。一緒に日本の歌を歌って本当に楽しかったが、あっけなく肺炎で亡くなってしまった。

今の職場で10年働いてきて、悲しいのは治癒して家に帰る人が居ないことだ。みな老人ホームに入った人はそこで死ぬ。見届けることがわたしの役割だ。

(写真は10歳になったうちのクロエ)