2025年8月12日火曜日

パレスチナ承認

オーストラリアは、パレスチナを正式に独立国家として認め、9月の国連総会でそれを認証するように求める、と発表した。フランス、英国、カナダに続いて、時流に遅れまいと労働党政権のアルバニー二首相が 昨日述べた。ニュージーランドも後を追うという。

先週の8月3日にシドニーのアイコン、ハーバーブリッジに10万から30万人ともいわれる市民によって、「即時停戦、パレスチナ支持」のデモが行われ、同時にメルボルン、アデレード、ブリズベン、ダーウィンと各州の首都でも国を挙げて、それまでなかった空前の規模のデモが行われたことが、政府の決定を後押ししたと思われる。
ハーバーブリッジのデモは、組織動員ではなかった。文字通り市民の意思の表れだった。先頭のウィキリークのジュリアン アサンジ、サッカーヒーローで人権活動家のクレイグ フォスター、前ニューサウスウェルス知事のボブ カーなどの後を続いた人々は、当日気温6度、強風と横殴りの雨の中を、もうこれ以上パレスチナの子供たちがミサイル攻撃と飢餓で死ぬ姿を見たくない、と思って集まったふつうのおじさん、おばさんたちだった。
アルバニー二政権は、パレスチナを1国2政府制度で、それぞれの代表がイスラエルで民主的に政権を共存させるように、求めるという。しかし、その条件は、テロリスト集団ハマスを新政権から排除して参加を認めない、という。

そうだろうか
ハマスはパレスチナのガザの人々、230万人が選挙的正当性をもった政党与党であることを、忘れてはならない。ガザの人々が選んだ政党を、他国のものどもがテロリストのレッテルを張って、代表権を認めず排除することなど、あってよいのだろうか。イスラエル、シオニストの血に飢えた残虐性をすべて、ハマスの責任に押し付けてはいけない。

2022年にネタニヤフが汚職で告訴されていたにもかかわらず政権を成立させ,極右シオニストベングニール国家安全保障相や、スモトリッチ財務相が、正しい方法で選出され、国際法と国連決議に従って、正当な政権だと、主張するならば、その遥か前からガザの民衆から選ばれて政権を維持してきたハマスを尊重せずに、何が停戦か? 先進国がパレスチナ国家を認めるか、認めないか、ハマスを排除するかしないか、とか勝手におしゃべりするのは、「内政干渉」ではないか。ハマスは、自分たちの土地が侵略されてきたので、それに抗して民族独立運動をしてきた。わたしたちは、パレスチナの人々の「声」に耳を傾けるべきだ。ハマスを排除してはいけない。



2025年8月3日日曜日

The biggest protest by 10000people

On Sunday, 3 August, in Sydney, Australia, 100,000 citizens demonstrated on Sydney’s iconic Harbour Bridge in support of Palestine and to protest against what they called Israel’s genocide.
Faced with the devastating situation in Palestine, this became the largest protest in Australian history, the first time so many citizens had gathered. In a country of 25 million people, 100,000 protested in just one city. The demonstration was organised by a civilian group that has been holding weekly Sunday protests calling for a ceasefire from Israel. Initially, the organisers had expected around 50,000 participants, and police, concerned about safety, asked for the protest to be cancelled.
However, the Supreme Court permitted the protest—only for it to swell to 100,000.
Because so many unexpectedly converged on the Harbour Bridge, the original plan—to march from a park, across the bridge, to the Israeli consulate, protest there, then return—fell apart.
The police could not manage the crowd adequately, leading to confusion: some people were stuck on the bridge for hours, while others could only march back and forth across it. YouTube videos filmed from trains running parallel to the bridge showed just how many citizens were there.
In the southern hemisphere’s deep winter, Sydney was enduring relentless rain for three days, with temperatures at 6°C. The previous night had brought thunderstorms, heavy rain, and strong winds, leaving many shivering and causing significant damage. In the Hunter Valley, a few hours from Sydney, it even snowed, while flooding in the north left some people missing. On the day of the protest itself, there were sudden bursts of heavy wind and rain, and even when it stopped raining, it remained bitterly cold and stormy.
Among those who braved the weather to join the protest in support of Palestine and against Israel were Julian Assange, Sydney Lord Mayor Clover Moore, and former NSW Premier Bob Carr.
Their demands were:
An immediate ceasefire
The release of hostages
Official recognition of Palestine as an independent state
Supporting Palestine is not antisemitic, nor is it rooted in hatred of Jewish people. It is a movement for Palestinians to reclaim their rights from those occupying their land, and above all, to stop the genocide and resist Zionism.
In a country like Australia, built by immigrants from diverse ethnic and cultural backgrounds, this massive protest—unprecedented in scale—may well be remembered as historic.



シドニーで史上最大のプロテスト

本日8月3日日曜日、オーストラリアのシドニーで、パレスチナ支援イスラエルによるジェノサイトに抗議する10万人の市民がシドニーのアイコン、ハーバーブリッジをデモした。

余りに悲惨なパレスチナの状況をみて、オーストラリア歴史上最大規模、初めて多数の市民が集まった。2500万人の人口の国のたった1つの市で、10万人のプロテストだ。主催者は毎週日曜日に、イスラエルに停戦を呼びかけて抗議デモをしてきた民間団体だが、今回は事前に5万人規模のプロテストになると予想されたので、安全を危惧する警察が中止を求めたが、最高裁判所が抗議デモを許可したばかりだった。それが10万人に膨れ上がった。

予想外にハーバーブリッジにたくさんの市民が押し寄せたため、当初公園から橋を越えて、イスラエル領事館まで行って抗議して、また橋を越えて解散するはずだったが、警察が充分な誘導ができなかったため、市民は何時間も橋から動けなかったり、橋を往復するだけになったり混乱した。ブリッジに並行して電車が走っていて、電車の中から取ったユーチューブを見ると、どんなに沢山の市民が集まったかがわかる。

南半球は真冬の今、シドニーは、3日間降り続けた大雨で気温は6度、前夜は雷と強風と大雨で、凍えるほど寒く、多数の被害も出ていた。シドニーから車で数時間、ワインで有名なハンターバレーでは雪が降ったり、北部では洪水で行方不明者が出たりしていた。当日は、横殴りの強風と雨が突然襲ったり、雨が止んでも寒くて酷いストーミーな日だった。

そんな雨のなかで開催されたパレスチナ支援、イスラエル抗議のプロテスターの中には、ジュリアン アサンジ、シドニー市長のクローバーモア、元NSW州知事のボブ カーも参加していた。
要求は
即時停戦、人質解放、そしてパレスチナを独立した国家として認証することだ。
パレスチナ支援を訴えることは、反ユダヤでもなければ、ユダヤ憎悪でもない。パレスチナ人の生まれ育った土地の占領者から自分たちの権利をもって解放を目指す運動なのだ。とにかくジェノサイトを止めさせ、シオニズムをはねのけること。

民族、文化の多様性をもった移民で形作られたオーストラリアで、史上最大規模の市民によるプロテストが行われたことは、記念すべきことかもしれない。




2025年8月1日金曜日

米国の犯罪

戦後80年とは、戦勝国米国による世界支配によって弱小国が経済的にも軍事的にも、虐め尽くされてきた歴史だったということができる。

米国が、ベトナムを爆撃しなければ、ベトナム戦争は起きず,400万人のベトナム人は死なずに済んで、民族独立を果たしていた。
米国が、チリに介入しアジェンダ大統領を追放し、ピノチェト政権を建てなかったら、フットボール場に集められた2000人の学生たちは殺されなくて済んだ。
米国が、2003年サダムフセインが大量兵器を持っていると言い出さなかったらイラクは、人口の5%,、100万人もの命を失わずに済んだ。
米国が、オサマデインラデインを匿っていると嘘をつかなかったら、アフガニスタンで、17万6千人のアフガニスタン人は死なずに済んで、生きて新しい国家を建設していただろう。
米国が、2011年カダフイ大佐が独裁者で自国民を苦しめているとでっち上げを言い出さなかったら、リビアでカダフイは健在なアフリカ連合を築いていた。
米国が、シリアでアサド大統領を独裁者呼ばわりして国外追放しなかったら、現在のシリアの混乱はなかった。
ソマリアでも、ルワンダでも、コンゴでも、ナミビアでも、アンゴラでも、モザンビークでも、スーダンでも同様だ。

いまパレスチナでジェノサイトを行っているのは、イスラエルだが、ジェノサイトを可能にしているのは、米国から毎日届けられている武器だ。それでいて、トランプの米国はイスラエルを批判してみせて責任逃れをしているという意味で2重の罪を持つ犯罪国家だ。トランプは、パレスチナの人々との飢餓に、食料援助を言うそばから、飢えた子供たちの上に爆弾の雨を降らせている。
仏国のマクロンがG7の中で、初めてパレスチナを独立した政府として認めたことで、人々は英雄扱いだが、米国も仏国も英国も武器をイスラエルに送り、パレスチナの子供たちに爆弾を浴びせて、武器商人は利益をむさぼっている。
日本はイスラエル製のドローン購入を決め、イスラエルの経済を潤わせている。

いま世界中でパレスチナの子供の命を救え、イスラエルは殺人狂だと言っているが、子供たちを死に追いやっているのは誰なのか。 シオニストだけではない、シオニストに武器を供給している米国のトランプを大統領に選んだアメリカの市民なのであり、仏国や英国の市民だ。子供たちを殺しているのは、日本の自民党や極右の党に1票を投じた市民なのだ。

パレスチナの子供たちが無残だ、ニュースを見るのが辛いという前に、6万人パレスチナ人を殺した証明書付きの、イスラエル製の武器を購入し、イスラエル経済を潤している日本政府を批判すべきではないか。パレスチナのジェノサイトは遠い国のことではない。あなたの、あなたのあなたの1票が、パレスチナの子供たちの命を奪うことになったのだということを肝に銘じるべきだ。
偽善者は要らない。



2025年7月30日水曜日

山本満喜子さんとカストロ

1949年に生まれたが、私の時代に中国では毛沢東が居て、ベトナムにはホー叔父さんことベトナム革命の父、ホーチミンが居て、キューバには、ゲバラとカストロが居て、リビアにはカダフィ大佐が生きていた。
ジャイアントな革命家たちが生きて活躍していた時代に、同じ空気を吸っていたことが光栄なことだったと今にしてみれば思える。

キューバでは、カストロが米国を後ろ盾にしたバテイスタ政権を倒し、圧倒的な農民の支持を得て、米国農園主たちを追放し、小作農をなくし農地改革を行い、キューバを独立させた。
何度も執拗にCIAが反独立分子を送り込み、政権を転覆させようとしたが、チェ ゲバラとフィデロ カストロは独立を守った。
のちに、ゲバラはキューバのみならず、ラテンアメリカすべての国を、米国、スペイン、ポストガルなどの植民から解放しようとして、ボリビアに向かって発ち、そこでCIAに暗殺された。

大学1年のとき、キューバのカストロ大統領の事実上の「妻」であった山本満喜子さんにお会いする機会があった。75年間生きてきたが、この方ほど素晴らしく魅力のある女性に会ったことがない。日焼けした健康的な輝く肌、漆黒の良く動く大きな目、宝石一つ身に着けていないのにエレガントで、フラットな靴で足を組む姿は、ほれぼれする美しさだった。指の動き、しぐさの一つ一つが気品に満ちていて、その場にいた学生たちみんなが魅了された。
大学は、幼稚園から大学まで当時2,000人足らずの小さな学園で大学は、経済学部と文学部だけ。私はマスコミを学んでいた。1年上に青木書店の青木富貴子さん、円谷プロダクションの息子さん、4年生には役者の田村亮、万年留年の田村正和なんかがいて、同級に桐島洋子と結婚して離婚した勝見洋一がいて彼とは仲が良かった。
山本満喜子さんはたまたま日本に来ていて、日本の企業とキューバのウナギの稚魚を輸入する交渉のために来日していたのだった。それを機会に「日本キューバ文化交流研究所」を設立された満喜子さんに「キューバの文化」をタイトルにレクチャーを依頼したのだった。レクチャーを聞きに来ていたのは、多くは南米の音楽に関心のある学生たちだったと思う。

2時間のレクチャーが終わっても、私を含む6,7人の仲間は満喜子さんが名残惜しくて、離れがたかった。心臓の強い奴がいて、図々しく「お茶でも、、」と声をかけて、成城パン喫茶室にお誘いして、、ところが空き席がなく、喫茶室はでかいソファーをレジ横に持ち出してくれて、学生たちに小さな折り畳み椅子を用意した。私たちは白雪姫を囲む7人の小人達のように、満喜子さんを取り囲んで、美しく足を組んでソファーに座った満喜子さんからお話を伺った。暗くなるまでたくさんの質問をした。
キューバ革命戦士たちの暮らしぶり、それを支える女たちのたくましさ、カストロの願望など、革命までの道のりやゲバラとの友情。刑務所に収監されている活動家たちは、1キロも先から自分の妻が会いにやってくるのが臭いでわかるという。乾いた砂塵が渦巻き、熱い太陽が照り付ける中を、鈴を鳴らしながら裸足で夫に会いに来る女たちの姿が目に浮かぶようだった。
自分の夫を「フイデロがね、、」と愛情をこめて語る口調は柔らかく、満喜子さんの語りは自分の弟や妹の語って聞かせるように親愛に満ちていた
もう50数年前のことだが、いまだに満喜子さんが親しげにフィデロの話をしてくれた姿が忘れられない。立派な革命家とそれを支える女性の姿に限りない憧憬の念を覚えた。
それから何年もして、満喜子さんはフィデロカストロの死後、メキシコで亡くなったそうだ。
キューバは、いまも米国による経済封鎖にもかかわらず、カストロの遺志を継いで、独自の道を歩んでいる。いま、キューバの若い人々は、満喜子さんのことなど興味も関心もないだろう。
ついでにこのころ大学で一緒だった人たちがどうしているか、グーグルってみたら、ほとんどの人が,もう亡くなっていた。時の経つのが早い。



2025年7月23日水曜日

BRICSに期待


戦後、地上戦を経験することのなかった米国は、世界中の金の80%を所有し、世界のGSTの半分を占める経済力を持っていた。そのため戦後の経済は米国による主導で、米国ドルを基準に動いてきた。1971年米国は、金本位制を放棄してもなお、ドルを主要通貨として世界経済を思うように動かしてきた。

また、豊かな米国とEUは、IMFを使って経済的に困窮した国にドルを貸し、利子を奪い取ることにより、貧しい国の富を奪ってきた。おまけに民主主義国家ではないからと、理由をつけては南米各国、リビア、イラク、アフガニスタン、イエメン、シリアなど多数の国に軍事介入までしてきた。
このように戦後一貫して、米国は世界の警察、世界の暴力団として思うまま陸、空、海、宇宙全域にわたる支配を維持してきた。ついでに日本は米国の思惑通りに、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東、北アフリカの戦争に米国の兵站として協力してきた。現在米国は、国際法を無視して、恥じらいもなくイスラエルとウクライナに武器を送り、ジェノサイトを続けている。

このように米国ドルとドルに連動するEUが、弱小国から植民地的搾取をしてきたことに対して、「脱米ドル」の動きが出てきたのは、当然だ。
今週、BRICSの国々が、リオ二ジャネイロで、年次首脳会談を行った。BRICSは、16年前ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの国々で発足したが、その後イラン、インドネシア、エジプト、エチオピア、アルジェリア、マレーシア、アラブ首長国連邦が加盟し、サウジアラビアが加盟申請中だ。これらの国々は世界経済の3分の1にあたる。彼ら連合体は、「脱ドル化」を進めようとしている。
これに対してトランプ米国大統領は「脱ドル」だけは許さないとして、BRICSの国々には関税を 100%掛けると恫喝している。トランプは前ブラジル大統領だったボルセナロが、トランプの信奉者だったこともあり、以前彼を使ってクーデターを起こさせようとして失敗している。そして、現ブラジル大統領、ルラ ダシルバにゆさぶりをかけるため, 50%関税をかけるとずっと攻撃してきた。それがいま100%にすると言い出した。
トランプによる圧力にもかかわらず、BRICS首脳会議は、独自の「脱ドル化」経済を模索する。
今まで、幾度もリビアやマレーシアなど、「脱ドル化」と、「独自通貨」を持った国々の連帯を目指した指導者がいたが、ことごとく潰されてきた。BRICSの動きを、今後も注目していきたい。

2025年7月16日水曜日

参議院議員選挙に投票

日本領事館に行って第27回参議院議員選挙の投票をしてきた。

領事館のあるシテイまでは、車で10分、駅に車を置いて電車で30分ほど。平日の午前中、領事館には他の人はおらず、4人の担当者がひとつひとつ記入する用紙の説明をしてくれて、8つの目に注視されながらの記入であったから、間違えようがない。
東京を離れて沖縄に3年,フイリピンに9年、オーストラリアに30年経っていて、むかし私が育った日本では自民党と社会党と共産党しかなかった。いま投票用紙を見て、見たこともない聞いたこともない政党がたくさん並んでいて驚いた。
日本は戦後80年のうち、そのほとんどを自民党1党独裁国家だったのであり、それは日米安保条約と日米地位協定を背景に米国属国に甘んじてきたがゆえだ。戦後の朝鮮人学友らの運動も、60年代安保条約反対運動も60、70年代の三里塚、ベトナム反戦運動も、その後の気候変動に抗する市民運動なども広がりを見せているが、反対に欧州と米国の極右化に押されて「いま極右がトレンド!」とばかり日本でもトランプの真似をする輩が出てきたのは驚きだ。

しかし極右を批判する左翼陣営が「移民」は日本の漁業、農業、医療などで日本人より安い賃金で働いてくれて、なくてはならない存在なので移民を排除するな、人種差別反対、と主張する人の言い分にもあきれる。
オーストラリアに来てみれば、働く人の最低賃金は、時間最低$24、10ドル(2506円】週給915、90ドルだ。移民であろうがなかろうが、ワーキングホリデイの学生であろうが、パートのおばさんであろうが、民間企業や公務員であろうが、労働者はすべて同じ最低賃金以下で働かされたら雇用主が罰せられる。性別、年齢、国籍に関係ない。
そのうえ給料の12%分のお金を雇用主は、その人の年金として積み立てておく義務がある。仕事をやめて他に移ったりオーストラリアを去るとき、人は働いた分の積み立てられたお金を受け取って自分の国に帰ったり、他国に移動したりする。最低時給と積立貯金は、すべての労働者の権利だ。
そういったスタンダードを持った人が、日本に来て働くことになって、最低時給も定まっておらず、日本人より安い賃金で働かされて、右翼からは「移民反対、自分の国に帰れ」と叫ばれて、左翼からは「移民は安くてきつい仕事をしてくれてありがとう。人種差別反対」などと言われたら面食らう。何が差別反対か!移民は安くてきつい仕事をする労働力ではない。ほかの日本人と何ら変わりのない人間で、あなたもあなたも同じ労働者なのだ。移民の待遇の悪さや低賃金を、まず怒らなければいけない。

投票の後、シテイの紀伊国屋で頼んであった本が届いていて、とてもうれしかった。
チョンヒョンジョンさんの、「木下直江その生涯と思想」平凡社、出版されたばかりの、ほやほや。
木下尚江の少年時代からのエピソードが語られるごとに終わりに彼の詩歌がしたためてあって、イマジネーションが広がる。あたかもそこに彼が居るかのようだ。文章が木下尚江への敬愛に満ちていて、読むとあたたかい気持ちがじんわりと、染みわたっていく。美しい日本語だ。まだ25ページしか読んでいないが、感動している。



2025年7月3日木曜日

ゲイの輸血解禁

この7月14日から世界で初めてオーストラリアで、ゲイが献血できることになった。

へえ、だから何?と言われそうだが、長年ゲイ差別と闘ってきたLGBTQにとっては朗報だ。
この決定によってこの国では、約62万6500人の人が新たに献血リストに加えられる。献血による血液の確保は、近代医療にとって無くてはならないものだ。献血の事前検査で、献血できるという証明書をもらうことを、自分の健康診断の代わりにしている人も多いことだろう。オーストラリアでは大きな事故や災害が起こるたびに、献血場に列ができる。さすがクリスチャンバックグランドがある国だ。
献血ができるためには、たくさんの条件がある。16歳以上、体重50キロ以上、糖尿病、貧血,高血圧、性病にかかっていないこと以外に、タットーを入れて3か月以内の人や、ドッグや売春を3か月以内にした人は除かれる。それに加えて、今までは男のパートナーを持つ男は献血できなかった。
大学のクラブ活動や、職場からボランテイアで献血しようという言うとき自分だけが拒否されるのは辛いものだ。自分の親や、愛する人が事故で瀕死状態、一刻も早く血液が必要な時に自分の血液を使ってもらえないというような事態ほど悲しいことはない。

これからは献血するにあたって、ゲイもバイセクシュアルも差別なく献血できる。HIVエイズの予防薬を飲んでいる人でもプラズマを献血できる。精密なリサーチと実験、研究の結果、ゲイが献血できないのは「科学的ではない」という根拠が証明された。
LGBTQではない人にとっては、関係ないことのように思うかもしれないが、そうではない。「科学的根拠のない差別」が今まであったことを、私たちは怒らなければいけない。
人は生まれながらにして男が好きな人も女に惹かれる人も、どちらにも魅力を感じる人もいる。生まれて持ってきた性器が、両性具の人もいれば、大きなクリトリスを持った人も、小さなクリトリスとペニスを両方持った人も居る。みなそれぞれ、人は人柄に惹かれ合い、それぞれの愛の形を作っていく。そこに異常とか、普通じゃないとか,マイノリテイといった価値観は通用しない。人みな異なり、「普通」も「標準」などないのだ。

そして、
LGBTQ で’あろううが、そうでなかろうが、男であろうが女であろうが、どちらの性も認めない人であろうが、どのような愛の形であっても、それぞれの人が愛の前では平等であることが大切だ。
小さな差別を見逃さないで、それを自分のこととして捉えるべきなのだ。そうしないと差別は強いものに定規を合わせて他を差別するように、様々な局面で増殖していく。

だから、
今回の決定をたくさんの人たちと一緒に喜びたい。

2025年6月25日水曜日

イランとイラク

「ない」ものをあるでしょう、あるはずだ、と執拗に言い爆弾を落とす。そのあとでオイルを奪い取る欧米諸国。
この道は、いつか来た道、ああ、そうだよー。QとNが違うだけ。
IRAQ 
IRAN
6月13日にイスラエル軍は、事前にイラン国内に密かに入国し忍び込ませたドローンを、遠隔操作でイランの対空防御システムを破壊した上で、大規模な空爆を開始、就寝中のホセインサラミ革命軍防衛司令官、ゴラムアリラシド将軍、モハメドバゲリ参謀総長らをアパートごと吹き飛ばし暗殺、核施設を含む200ヵ所を攻撃した。
その8日後
6月21日、米軍は、カタールのアルウデイド米国空軍基地から、イランの3か所のウラン濃縮施設を含む核物質施設を、B-2 爆撃機、バンカーバスター地中貫通爆弾で攻撃、18時間の攻撃で215トンの爆弾を投下し、3か所の核施設を破壊した。現在までに、イラン市民の死亡者は、1000人を超えている。
イランは核拡散防止条約(NPT)に署名しているが、イスラエルはイランよりもたくさんの核を持っているにも関わらず、核拡散防止条約に署名していない。核施設への攻撃は国際法で禁じられている違法行為だ。核兵器を持っているとして、イスラエルと米国はイラン政権を潰そうとしている。

2003年
ジョージWブッシュ大統領は、イラクが大量兵器を持っているとい理由で、イラクのサダムフセインを倒すために、英国とともに侵略、攻撃した。結果として100万人、じつにイラクの人口の5%の命が失われた。
自国防衛を叫んだサダムフセインは、米軍に捉えられ、半裸にされて首に荒縄をかけられて、さらし者にされた上、西側マスメデイアによる写真撮影が行われたあと、絞首刑で命を終えた。それを「これで独裁者が倒された、自由と民主主義ばんざい。」と報じられ、サダムの像が倒され、足蹴にされる姿をフィルムに収め、悪者フセインが主役のオペラまで出来て上演された。西側メデイアに踊らされ、ひとつの独立国の国民の5%、100万人の死を祝い喜んだ鬼、それは私たちだったのではないか。 サダムフセインは、イラクという国を独立させ善政を敷いたモスリム民族の英雄だったのではないか。
大量兵器などイラクにはなく、イラクへの爆撃は米国、英国による領土侵略とオイルが目的だった。すでに2003年3月の時点で、英国情報網は「イラクのフセイン大統領から差し迫った脅威はなく、イラク参戦は不当だ。」と報告されていたが、ブレアは米国に同調した。この事実を英国では2016年7月イラク調査委員会が国会で、改めて発表され、時のトニーブレア首相は責任を追及された。
ワシントン調査ジャーナリスト、チャールズルイスは「もしメデイアが粗雑な政府のプロパガンダを広めるのではなくブッシュ大統領とラルズフェルドに真剣に彼らの主張を調査し異議を唱えていたら、ジャーナリストが仕事をしていれば、イラク戦争はなかった。」と述べ、また当時のBBCイラク特派員だったラゲオマールは、「ジャーナリストが仕事をしていれば100万人のイラク人は今も生きていた。スンニ派とシーア派の宗教戦争も起きなかったし、イスラム国も存在しなかっただろう。」と述べている。
しかし、
イラクに大量兵器はなかったことについて、米国も英国も明確に謝罪したことはない。

2003年に米国によって罪のない100万人のイラク人が殺され、イラクには米軍基地ができ、いま、イラクの自治政権は破壊されている。
イラクに起きたことが、再びイランで起きている。同じ犯罪者によって、20年の時が経ち、今また同じ歴史がイランで繰り返されている。私たちは、いつまでも米国の掌の上で踊っていて良いのか。
I am singing [ Don't look back in anger] by Oasis.



2025年6月21日土曜日

豪州イスラエル閣僚にビザを出さず

米国とイランは核処理について話し合いの途中だったにもかかわらず、6月13日金曜日に、一方的にイスラエル軍がイランへのミサイル攻撃を始めて、今日で9日目。報酬攻撃を始めたイラン軍との交戦で連日100人単位の犠牲者が出ている。

豪州は移民国家なので世界中のどこにでもオージーがいるが、現在、里帰りや親戚を訪問中で、イランに滞在している500人ほどのオージーと、イスラエルに居る2,000人のオージーを無事に帰国させるために豪州軍が派遣されることになった。とりあえずテルアビブにいる1200人のオージーを救出すると、外務大臣ペニーウオンが発表した。どのようなルートで救出するかは秘密だろうが、武器を持たない数千人の人命救出部隊が出発する。

犯罪国家、イスラエルはイラン空爆を始めて戦線を拡大しながら、連日ガザでは避難民を追い立てて、何キロも歩かせて食料配布をするといっては集まった飢餓状態にある市民にむかって銃撃を繰り返している。米国が毎日武器を供給しやめることをしない。胸がつぶれるような報道ばかりのなかで、少しだけましなニュース。

イスラエルから豪州に入国しようとした閣僚2人が、豪州政府がビザを発行しなかったため、彼らの予定していた後援会やユダヤ人コミュニテイー訪問がキャンセルになった。極右のスモトリッチ財務相と、ベングビール国家治安相の2人だ。彼らシオニストは国際法に違反してパレスチナ西岸地区に軍を送り、新たな占領地を拡大している。国連総会でパレスチナの民族自決権は、170各国で採決決議されている。イスラエル政権の中でも、この2人の超右翼のシオニストはパレスチナの存在そのものを否定して、ネタニヤフ政権を右から圧力をかけてきた。豪州にもユダヤ人は沢山住むが、2人の閣僚が豪州に入国して、彼らの軍資金を集め回るような野蛮な行為を止めることができただけでも良しとしなければならない。

2025年6月18日水曜日

米国はイスラエルへの武器支援をやめろ!

70年間、他民族の土地を侵略し、人々を避難民にしておいて高い塀で隔離し、テロリストのラベルをつけて水、電気、ガス、医療品、食料を止め、病院、学校を爆撃し5万5千3百人の市民を殺し、飢餓に直面させUNの食糧配給をする、と人を追い立てて銃撃する。わずかな食料支援が始まってから400人余りの命が奪われた。殺された多くの市民は頭を撃たれて死んだ、という。

6月13日にイスラエルはイランへ空爆を始め、テヘランのアパートで就寝中だった軍のトップコマンダーと、核物理学者を暗殺し、核施設を爆撃したため、240人の市民が犠牲になった。イランは一貫して核の軍事目的化を否定し、イスラエルはイランが持つ核以上の核を所有している、にもかかわらずイランへの攻撃を続けている。

米国大統領トランプは6月14日に79歳の誕生日と米国陸軍記念日のお祝いに、7千万ドルかけて大規模なパレードを行って、得意満面だ。いま彼は「イランはいますぐ無条件降伏をしろ。」と言い、「イランの最高指導者ハメネイ師を殺せ、殺せ、殺せ。」と恥も外見もなく叫んでいる。
人としての良識も、宗教も、法も、この暴力を止められない。米国は武器をイスラエルに送るのをやめなければならない。戦後70年間の米国の血に汚れた歴史をいつまで続けるのか。米国は武器をイスラエルとウクライナに送るのをやめろ!

ダニーボーイを歌います。
意訳は
ダニーボーイ 愛する息子よ
バグパイプが鳴り響き  山の谷間では夏が終わり、花も枯れ    そしておまえは戦争に行かなければならない   おまえがまた夏になって帰ってくるときまで  山も谷も雪で覆われる時まで  晴れの日も曇りの日も  待っているよ
でも
薔薇の花がみんな枯れるころまで   きっと  わたしは待てない   おまえが帰ってきたら   土の下でわたしが眠っているところを見つけておくれ   ひざまずいて優しい言葉をかけておくれ   わたしにはちゃんと聞こえて   わたしの墓はやさしく温まるだろう   帰ってきて  わたしを愛しているといっておくれ   それを聞いて私は  心安らかに静かに眠ることができるだろう。



2025年6月1日日曜日

犬の話 

 犬は人にとって特別な存在で、飼い主のために一生を捧げ、主人が嬉しいときは一緒に喜び、悲  しみを共有することができる、唯一の動物だ。
沖縄で生まれた私の犬は3年間毎朝、首里の石畳を散策して過ごし、それからフィリピンのレイテ島では海辺を走り回り、マニラでもよく歩いたが11歳で亡くなった。彼は飛行機で家族とともに何千全キロも移動した。

体重20キロを超える大きな犬だったが、1人きり悲しみのどん底にいたとき、ベッドで私の胸の上で腹ばいになり、一晩中泣き明かした私の涙と鼻のぐちゃぐちゃを、朝までなめ取ってくれたことがある。思慮深い顔で、私を見つめながら次から次へと流れてくる涙を一生懸命なめてくれた、その時の彼の真剣な顔は神がかりだ。(ねこの舌だったら顔は傷だらけだったろうが)この犬は私の一生の宝だった。外でも家の中でもいつでも一緒だった。思えば両親は犬を一生鎖でつなぎ、ろくに散歩もさせず死ぬまで番犬係をさせる残酷人間だった。

母の兄、宇佐美正一郎は外国生活に慣れていたから、当たり前のように犬は家の中で飼っていた。大きなポインターとグレートデンがいて、訪ねていくと来客を珍しがって2匹とも争ってくっついて回り、トイレの中まで入ってこようとする。でも食べ物をねだるような無礼は決してしなかった。
その弟の 宇佐美誠次郎は、叔父だけになつき、来客などに話しかけもしない気位の高い雑種をやはり家の中で飼っていた。

父の父の弟、私の大叔父、大内兵衛も犬が好きだった。私は父方の祖父母も母方の祖父母も早く亡くなっていたので、おじいさんと言えば、この兵衛のおじいさんしか知らない。いくつになっても、忙しく動き回っていて、以外な時にひょっこり現れてはみんなを笑わせてサッサと去っていく、「疾風のように現れて疾風のように去っていく、、」月光仮面のような人だった。彼は、戦前ジャーマンセパードを家の中で飼っていた。戦後私の知る大叔父の住む鎌倉には犬はいなかったが、彼のこと書いたものの中に、このセパード犬の話が出てくる。

1938年2月1日、大内兵衛(1888-1980)、有沢広巳(1896-1988)、脇村義太郎(1900-1997)、美濃部亮吉(1904-1984)、大森義太郎(1898-1940)、高橋正雄(1901-1995)は、治安維持法容疑で一斉検挙された。世間を震撼させた学者の一斉逮捕だ。国体変革と、私有財産制度を否認し共謀して無産運動の理論的指導を行い、労農派の勢力の拡大を図り、共産主義運動を行った、という理由だった。東大を出て大蔵省で働き、望まれて東大で教えていた学者らを権力者は、治安維持法で一斉に検挙した。
警察が夜明けに大内家に到着したとき、兵衛大叔父は、自分の部屋から愛犬ジャーマンセパードを、「見かけは偶然だったように見せかけて」巡査らが踏み込んだ部屋に放った。「巡査は5人くらいでしたが、みんな一斉にわっと逃げ出した。僕は一生のうちで、こんなおもしろいことはなかった。」と彼は語っている。大型犬が彼の寝室にいるなどとは夢にも思わなかった治安警察は、この時、彼を強制連行できず、昼になってからトラックいっぱいの巡査がやってきて、そして彼は警察署に連れていかれた。
警察は兵衛大叔父が危険思想を他の学者に吹き込んだという証拠を見つけようと必死だったが、そういった証拠はなく、1944年9月にこの時の学者は全員無罪を勝ち取る。しかし、それまでの長い6年間、彼らは権力者によって醜い沈黙を強いられたのだ。

大叔父も叔父たちもとうの昔に亡くなってしまった今、また亡霊のように学問への政権の介入が蘇ってきた。
日本学術会議を、学者の会員以外の内閣総理大臣の指定する2人の外部の者によって会員を任命するという法案が通りそうになっている。
学問と研究の独立、自立性は、ときの政権の損得のためや、世界状況に左右されてはならない。悪名高い治安維持法でさえ、学問の独自性を’否定できなったのだ。日本学術会議の在り方を変えてしまう改正法案を許してはいけない。
ねこたちも犬たちも、きな臭い世情を嘆いている。

写真は大内兵衛




すべてのリア

2025年5月29日木曜日

パレスチナ

パレスチナの人々それを代表するハマスの戦いは、反ユダヤ主義でもユダヤ人憎悪でもない。
パレスチナ人たちは、自分たちの祖国を占領しているのが、英国人や米国人や、中国人やロシア人であったとしても戦っていた。火星人やクリプトン星人や、キキララ星人やトウィントウィン星人や、月に住む地球外生物体であったとしても戦っていたに違いない。

パレスチナ人が祖国を占領した者たちと戦うのは、彼らがユダヤ人だからではない。占領者から祖国を守るために抵抗しているのだ。占領者から自分たちの国を奪い返すために抵抗しているのだ。これを民族解放闘争という。正義の戦い以外の何物でもない。

イスラエルのネタニヤフは、ユダヤ人だけの民族国家を建設しようとする誤ったシオニズムに凝り固まったレイシストだ。
彼のトチ狂った頭を少しでも正気に戻すには、米国のトランプが武器供給をストップすることが唯一の治療法だ。武器がなくなれば、無防備の飢えた女子供たちを、もう殺せない。トランプはパレスチナの現状を嘆いたらしいが、それを言う暇があったら、STOP と言えばよい。金儲けのためにそれが言えない。諸悪の根源、トランプ。
ひとこと武器供給に「STOP 」と命令しろ。
STOP NOW !

「YOU RAISE ME UP 」
を歌ってみた。
自己流日本語訳は以下
あなたが育ててくれた  わたしがしょげて、失意にあるとき  困難ばかりで心が重く沈んでいるとき  静かにじっとあなたが来てくれるのを待つ 
あなたが育ててくれたから   わたしは山の山頂に立てる   あなたが一緒に嵐を乗り越えてくれたから  わたしは強い  あなたがいてくれるから  あなたがわたしを強く育ててくれたから。


2025年5月22日木曜日

フィリピン パガサ島のいま

 1990年に私たち家族はフィリピンの首都マニラに移り住んだ。レイテ島に住んでいた頃よりも、   ずっと人々の貧困が目に見えて悲しい。

 当時フィリピンの国会議員の20%以上が、米国のグリーン カードを持っているということだっ  た。いつでも自分の国から逃げ出せる連中が1国の政治を司っていたわけだ。
娘たちが通っていたマニラインターナショナルスクールは、幼稚園から高校までの生徒数が2000人足らずの学校だったが、世界各国から来ていた外交官やアジアバンク、商社などの外国人子弟が通ってきてた。そして現地のフィリピン人を生徒数の7%だけ受け入れていた。その7%の子供たちが、どれほどお金持ちの家から来ているかは、まったく驚くほどだった。

追放された独裁者マルコス大統領が所有する島にアフリカから連れてきたライオンなどの猛獣を放して、家族が狩猟を楽しんでいた、という話は聞いていたが、この学校の子供たちも金曜日授業が終わると、パパが所有する島に、友達を連れて小型飛行機で飛んで週末を別荘で過ごした後、月曜の朝、学校の校庭に飛行機を着陸させて授業に出る、というようなことをやっている家庭がいつくもあった。
私はオーケストラを指導していたが、弦楽器と木管楽器全員で80人くらいの生徒と教師を大型バスに乗せ、地方の海べの別荘に連れていき宿舎と食事などすべて世話をして数日後に送り返してくれるような屋敷を所有する家庭がいくつかあって世話になった。
フィリピン現地採用のコーラスを教えていた女教師の父親は医師だった戦時中に「バタンガス死の行進」の生存者だったが、招かれて屋敷に行ってみたら、常時料理人を8人抱えた大きな屋敷で素晴らしい料理が出てきて、帰りは6台のメルセデスを持っているので、どれでお送りしましょうか、といわれて耳を疑った。
バイオリンの個人レッスンで行った屋敷では、驚いたことに玄関から居間までのスペースに飾り立てたジープニー(乗り合いバス)が飾ってあったことだ。普通玄関には花瓶に生けた花などかざるものだが。それほど大きな屋敷だった。
また、娘の同級生は、毎年ウィンブルドンに家族でテニスの観戦に行って有名選手からテニスの手ほどきを受けていた。
ピープルズパワーで独裁者マルコスを追放したあとに大統領となったアキノも、出身コファンコファミリーは、自分たちの領地には私兵軍隊も銀行も学校も教会もあり、中に電車が走っているような大きな領地をもった大領主だった。

少し私たちが住むビレッジを出て街に出れば、どぶに死体が浮かんでいる。うつぶせになった死体の顔を見ようと、両岸にいる子供たちが頭に向かって石を投げつけている。
交通事故でフロントがつぶれて運転手も乗客も死んだか気絶していて動かない。通行人がドアを開け乗客のポケットから財布を抜き取っている。
用があって出かけたとき、反対側のエドサ通りにガソリンスタンドがあって、給油するところに全裸の少年がうつぶせで横たわっている。ドライバーに聞くと、酔っ払いでしょう、と笑っている。この子の周りを男たちが、その体を蹴飛ばしたりあざ笑っていて、体のすれすれを車が止めて給油している。心残りのまま通りの反対側なので通り過ぎたが、あとでそれが暴行され、捨てられた10代の女の子だったと聞いて悲鳴を上げずにいられなかった。 貧富の差というものを、これほど見せつけられたことのない数年間だった。

いま南シナ海に37.2ヘクタールの、たった300人の住民が住む小さな島、「パガサ島」が注目されている。中国、台湾、ベトナム、フィリピンが、領有権を主張していて互いに譲らない。
今年に入りフィリピンが米国の力を借りて、軍港と滑走路を建設し始めた。いままで平和に自給自足で暮らしていた地元の人々の思惑に関係なく軍の力が先行している。1986年に独裁者マルコスを追放し米軍基地すべてを撤退させたフィリピンも、再びマルコスジュニアを迎え米軍基地を受け入れて、戦闘態勢に入ったのだ。
写真はパガサ島


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