2025年5月22日木曜日

フィリピンマニラ マカテイ

 3年間(1987-1990)フィリピンレイテ島オルモックで過ごした後、夫がレイテ島だけでなくサマ
 ール島やマニラで、いくつもの大きなODAのプロジェクトの指揮をとることになり、家族でマニ
 ラに移住することになった。
オルモックではフィリピン人15人に1人を日本軍が殺したことへの、免罪符としてのODAで、仮に命を狙われても仕方がないと夫は思っていた。銀行も郵便局もない、人口2万人弱の町を拠点に、道路工事の技術者を含めて何千人の労働者の給料を、毎月現金で運ぶことは危険極まりない仕事だったと思う。どうやって運んでいたのか、夫は私にも決して言わなかった。ずっと後から、ドライバーだった人に、夫が運転手の服を着て運転し、運転手が夫の服を着て2時間、レイテ島の首都タクロバンから車で往復したこともあった、と聞いた。
オルモックを去ることになり、3年間使用したベッドやソファーや冷蔵庫など、世話になった方々にあげて、私も安全装置を外して息を詰めていた瞬間はあったが、引き金を引くことはなかったコルト銃とお別れした。

マニラでは高圧線の入った高い壁に囲まれて、24時間ガードマンが警備するビレッジと呼ばれる外国人向けの住宅に住み、娘たちはインターナショナルスクールに通うようになった。
ちまたでは商社丸紅の支社長が誘拐されたり、暴力団がフィリピン人ダンサーと偽装結婚しては人身売買したり、スキャンダルがいくつもあったようだが、娘たちは日本人学校には通わずに米国の学校に行ったので、日本のゴシップには関わらずに済んだ。

マニラインターナショナルスクールには、世界各国の大使館職員やアジア銀行職員の子弟が主に通っていた。米国のボストンで試験に受かって採用された教師たちによって、米国製の教科書を使って教育が行われた。学費は年200万円ほどで、高額だが教材は豊富で、何か足りないものがあると、軍の飛行機ですぐに届いた。学業だけでなくスポーツも授業で水泳、サッカー、バレー、バスケット、ホッケー、ラクロス、アスレチックなど習って、音楽教育も、オーケストラが編成できるよう弦楽器、木管楽器が、すべてそろっていた。
生徒のほとんどは12年生(高3)までここで学び、米国の大学に進学する。成績だけでなく、スポーツや音楽など課外活動にどれだけ活躍したかで、受け容れる大学が決まる。その州に家のある子どもは州立大学の授業料は無料だった。また、優秀な子供はインターナショナルバカロレアのコースを取ると、大学に入って1年生を飛び級して大学2年生から専門教育を受けることができる。娘たちが学ぶのに申し分のない学校だった。

マニラに移って1年ほどして私は夫を、娘たちは父親を失った。家族ビザがなくなったので、娘たちの学校の弁護士に相談に行くと、それまでボランテイアでバイオリンを教えていたが、現地採用で学校が音楽教師として雇うので、ビザを発給してくれる、という。肝っ玉お母さんみたいな太っ腹のフィリピン人おばあさん弁護士で、彼女の一言で、入管局に足を運ぶこともなく、ビザ問題が解決できて、娘たちがそのまま学業に専念できたことは、とてもありがたかった。
マニラに移って1年ほどして、レイテオルモックでは災害が起きた。オルモックの山頂には大きな湖があるが、雨で決壊して大量の水が山から落ちて来て海に流され、人口の半分ちかくの人々、8000人が亡くなったのだ。3年間住んだ屋敷は、海辺まで200メートルほどの距離にありメインストリートに面していたから、1年引っ越しが遅れていたら無事ではなかった。
日本で買った2000円くらいの安い時計を、仲良くしてくれた海岸沿いのサリサリストアのおじさんにあげたことがあった。彼は山からの水で海に流されて顔が誰だかわからなくなって引き上げられた。「あなたがあげた腕時計で身元が確認できたんだよ。」と人伝てに聞かされて、大泣きした。
写真はフィリピンの国花 サンパギータ
花の画像のようです

2025年5月20日火曜日

フィリピンレイテ島 オルモック

フィリピンは330年間スペインの植民地だったがその後、米国の統治下に置かれ、太平洋戦争では、4年近く日本の植民地にされた。日本軍と米国フィリピン連合軍との間で行われたマニラ市街戦やレイテ島などの激戦によって、日本軍は111万人のフィリピン人を殺害した。当時の人口1600万人のうちの111万人というと、じつに15人に1人のフィリピン人の命を、日本軍は奪った。

幼い2人の娘たちを連れて家族赴任で1987年から1996年まで、フィリピンに滞在した。初めの3年間はレイテ島オルモック市だった。レイテ島は戦争で最も激しい戦闘が行われ日本軍の死者を最も出した土地だ。私たちが赴任したころは、この戦争の生存者で家族を失った人もまだ多かった。ちょっと掘ると日本軍のヘルメットなど沢山出てきた。
また赴任した前年は、1986年2月にエドサ革命が起き、独裁者マルコスの戒厳令に抗して人々が、軍の力をはねのけマルコス、イメルダ夫婦を追放したばかりだった。しかし首都マニラから遠いレイテ島は、イメルダ夫人の出身地でもあったから、いまだ小規模の争いは続いていて、不穏な空気も残っていた。

唯一の飛行場だったレイテ島の首都タクロバンの、ただの原っぱとしか思えない飛行場に小型機がふわりと着地したところから2時間、車で山を越え谷を越え、人口2万人のオルモックに到着。私たちは町で唯一の外国人家庭だった。
夫は第一級建築士と、第一級施工管理士の資格を持つ、建設省のエリート役人だったが、異端児で、現場が好きで、日本の政府開発援助(ODA)の資金でレイテの道路のないところに道路を通すプロジェクトの総指揮をとることになり、現地に派遣されたのだった。まだマウンテンピープルと呼ばれていた共産ゲリラが山を根拠地にしていたから、開発に反対する彼らとの軋轢もあった。赴任に当たって生命保険を掛けようとしたが、どの会社からも断られ生命の保障なしの出向だった。
沖縄生まれの大型犬を連れて来ていたから、私は毎朝1時間ほど海辺を散歩する習慣でいたが、軍によって殺された引き取り手のない死人を収容する小屋の横を、腐臭を我慢して通らなければならなかった。海辺で転がっている死体を発見したことも1度や2度ではない。
住んでいた屋敷は、外観は美しい白壁のスペイン風建物だった。そこで毎月のように市長、町の有力者、工事関係者、隣人たちを招待して大きなパーテイーを持った。そのたびにレチョンという豚の丸焼きが2頭犠牲になった。

国民の15人に1人が日本軍に殺され、ともすれば反日感情が噴き出てくるような状況で、だからこそODAの役割は大きかったはずだが、私たち家族はこうした人々に囲まれて外交的な役割を果たすことに必死だった。まだ小学低学年だった娘たちの笑顔に、どんなに助けられたか計り知れない。母娘3人でバイオリンを弾きまくった。モーツアルトのアイネクライネナハトムジク、バッハのバイオリンコンチェルト第1番、、、小学校で、高校で、パーテイーで、呼ばれるところはどこでも弾いて、音楽好きな現地の人々と交流した。メイドさんたちには、高校に通ってもらった。ドライバーさんたちにはバスケットボールコートを作らせ、チームを作って対抗戦ができるまで支援した。
道路工事が始まり、機材が運ばれても100のシャベルで100人の工夫が働けば、翌日はシャベルは持ち去られ誰も働きに来ない。また別の100人を雇い機材を持たせてもまた持ち去られる、そんなことを繰り返しながら、夫も大変だったと思う。また夫は出張が多く家に帰れないときが多かった。ガードマンを雇っても、夜遊びに行ってしまう。母娘だけで寝ていた夜、ベランダから数人の男たちが侵入して薄いドアⅠつ隔てて震えていたこともある。小さな銃コルトを枕に置いて寝ていた。

111万人のフィリピン人を殺した贖罪として日本政府が提供した、累計4兆6千憶円のODA政府開発援助金を決定した政治家たちや、フィリピン首都マニラのエアコンのきいた高層ビルで政治を語っていた外交官などに、地方に住んで援助資金の最前線で赴任家族が日々奮闘する姿など、想像もしなかっただろう。
当時、娘たちはレイテ島で日比間の外交に携わっているという自覚など全くなかっただろうが、しかし彼女らの邪気のない純真な人々との関りが何よりの優れた外交だったのだ、と今にして思う。あれから40年近い時が経ったが、娘たちには感謝しかない。

2025年5月10日土曜日

母の日

オーストラリアに来たばかりの頃、母の日に菊の花を献花されて、「おい、まだちょっと早いんではないか?」と思ったが、菊は英語でクレサンチマム、最後にマムが付くから、母の日に贈る習慣があると聞いて納得。毎年美しい花を贈ってくれる娘たち、ありがとう。世界中の母親が子供を無くさないで済みますように!!! 即時停戦の母親の願いが天に届きますように!
アマランサス、アガパンサスの画像のようです
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Hiroshigr Mizuno、安西玲子、他32人

2025年5月7日水曜日

日米同罪

なぜ米国への世界の信頼が失われたかというと、国の土台となっていた「民主主義」と「法」が機能していないからだ。
トランプは大統領選挙で圧勝し、議会を無視して次々と「大統領令」を頻発してきた。

移民の強制送還、USAIDの資金を凍結し職員を解雇、連邦政府職員を次々と解雇し、大量人員削減し、メキシコ湾を改名し、グリーンランドの自治に介入し、イスラエルへの武器支援とパレスチナ侵略に加担し、ウクライナ停戦案と引き換えに地下資源の強奪を画策し、中国への関税145%を課し、CIAを解体するという。

国際的にも国際法から逸脱して国連を無視してきた。国際司法裁判所(ICJ)に加盟せず、パレスチナの自治政府を認めず、国際刑事裁判所(ICC)に加盟せず、イスラエルのパレスチナ侵略を支援し武器兵器を送り続けている。パリ協定から脱退し気候変動に我関せずと、石油をもっと掘れ、もっと掘れと世界の動きに逆らい、環太平洋パートナーシップTPPを破棄し、各国に高い関税を課し、イラン核合意、中距離ミサイル合意などの国際合意を無視し、イランに圧力をかけ、さらに圧倒的軍事力で一方的に、イエメンを爆撃している。
これらのうち、ひとつでも民主主義的に市民に選ばれた議会で決定したものはない。法的根拠も国民参加による信任もない。1人の人間が勝手気ままに政策を打ち出す間、米国議会は一体何をやっているのか。民主党は生きているか。もう死に絶えているのか。いまや米国には「民主主義」も「法」もない。

そして

日本はなぜ世界から信頼も、尊敬も失ったのか、というと、「民主主義」と「法」が機能していないからだ。「閣議決定」で何もかもが決められ、民主主義が機能していない。
2014年、7月閣議決定で集団自衛権の行使が認められ、憲法を改正するまでもなく、2015年には安保法制ができて、2,022年安保3文書改定が行われ、日本は戦争ができる国になった。

2024年、防衛庁はイスラエル製ドローン爆撃機を導入することを決め、住商エアロシステム、日本エアクロフドサプライなど輸入代理店を通して購入することになった。国際司法裁判所がイスラエルに対して国際法で禁止されたジェノサイトをもって、暫定措置命令をだしている、その当の5万人のパレスチナ人を殺害しているドローン爆撃機を、日本は買う。殺傷効果は実証されている。

2019年から渥美大島、宮古島、2023年石垣島に自衛隊の軍事施設が完成、与邦国島、馬毛島にも自衛隊駐屯基地ができ、広島県呉市にも京都にも弾薬庫が増設される。2023年から5年間で、軍事費を43兆円に増額し、米国製巡航ミサイルも購入して、敵基地攻撃能力を持つ専守防衛をするという。
これらは議会で討議され民主主義的議会を経て決定されたことだろうか。否。「閣議決定」と防衛庁と米国との合意だけで決められて、もはや、憲法などの「法」の力でくつがえすことができない。
「議会民主主義」も「法」も機能していないことでは、トランプ政府も日本も同罪なのだ。なんということだろう!

写真は自由の女神
その台座には1883年エマラザルスの詩が刻まれている。
自己流の意訳は

あなたの苦しみをわたしによこしなさい  重荷を下ろして  息をついて  拒まれたあなたの苦しい思いを  わたしによこしなさい  あなたのために  光を高く掲げて金の扉を開けましょう。



2025年5月6日火曜日

ベトナム戦争終結50周年

先日、ベトナムでは終戦50周年を祝う、国を挙げての祝祭が行われた。
20年にわたる民族解放戦争(1955-1975)のために、300万人のベトナム人、31万人のカンボジア人、6万人のラオス人が命を落とした。米軍の落としたナパーム弾、クラスター爆弾、枯葉剤ダイオキシン散布が繰り返され、ベトナムの土地は焼き尽くされた。

また58220人の米軍兵も命を落とした。そして戦後20万人以上の戦争のトラウマによる自殺者も米国は記録したといわれている。ベトナム戦争当時、米国も連合軍のオーストラリア、ニュージーランド軍、韓国軍にも徴兵制があった。若者は望む望まないに関わらず戦場に送られたのだ。

1975年4月30日サイゴン陥落に伴い、米軍連合軍撤退後、豪州のマルコムフレイザー首相は、9万人のベトナム人難民、12万8千人のカンボジア人を豪州に移民として迎い受けいれた。
オペレーションベビーリフト(operation baby lift) という言葉がある。米軍撤退によりベトナムに残された米国人との混血児の赤ちゃんが3200人余り、小さな靴箱に入れられて、軍用機に載せられて、米国と豪州に送られた。そのうちの1人、リーダイ氏は、豪州でいま下院議員になっている。

1968年に大学に入って、大学入学1日目からまっすぐ街に出て敷石を割りアメリカ大使館に向かってぶん投げる日々を送った。それはアジアの市民として、ベトナム解放戦線に連帯する、ごく当たり前の行動だった。デモで逃げ遅れ機動隊に囲まれて蹴られ、殴られ、盾でぶっ飛ばされたり、毎晩鉄筆でアジビラを書いたり、小さな諍いで停学をくらったりしたが、この世代の誰もが同じような経験をしていたと思う。
30年前に豪州に移住して、ベトナム戦争時、反戦運動で逮捕され収監されたことのある同年輩の人と話したが、日本で学生が受けた警察権力による弾圧など比べられないほどの弾圧を彼は受けていた。徴兵拒否は、即「国賊」扱い。国民として許されない反政府で卑怯者として警察署でも、監獄でも権力者からもおなじ受刑者からも暴力を受けたそうだ。釈放された後も国賊、共産主義者のレッテルを張られ、尾行され、電話盗聴され、手紙や交友関係までずっと監視され続けたそうだ。
国はそれほど共産主義者に寛容ではなかった。
マルコムフレイザーのような、ベトナム難民や混血児受け入れに積極的でも「国防」とは別の話なのだ。

この5月3日豪州では下院総選挙が行われた。現、労働党党首アンソニーアルバニー二首相が再選された。定数150のうち現在カウントされたところで89議席を確保して労働党単独政権をもつことになる。
対する保守連合の自由党は40議席、党首ピーターダットンは警察出身で、なにをとち狂ったか、原子力のゲの字も関係なかった豪州にクリーンエネルギーのためと称して原子力発電所を全国7か所に建設してエネルギー消費に備える、と言い出した。豪州歴史上今まで誰も言わなかった、何の根拠もない原発を言い出した自由党に、国民が正気に戻って「NO」を投票で示したことは、全く正しい。もし自由党が選挙で勝っていたら、この男が首相になっていた、と思うとぞっとする。2度と豪州で原発などというタワゴトを言い出す輩が出てこないことを祈っている。

2025年4月23日水曜日

B-2 スピットステルス爆撃機

米軍は英国領デイエゴガルシア島に、B-2スピットステルス爆撃機を配置した。アフリカとアジアの間にあってインド洋に浮かぶチャゴス諸島のひとつだ。この戦闘機は全翼式ジェット戦闘機で1機20億ドル、同じ重さの金と同価格というほど、高価で高性能な戦闘機だ。
2023年10-7以降、米軍はパレスチナを攻撃するイスラエルを支援するために、紅海に空母を派遣していたが、今回デイエゴガルシア島に、最新鋭の戦闘機を配備したということは、いよいよターゲットをイランに向けて、戦争準備態勢に入ったことになる。
米軍はサウジアラビア、オマーン、UAE、ヨルダン、シリア、イラクに米軍基地を持つ。米国は中東の安全維持のため、と言いながら他国に戦争を仕掛けては、その国の油田の権益を奪い取り、米軍基地を作ってきた。
CIAの誤った情報に従いオサマデインラデインを匿っていると理由を付けて、米軍は2001年9月にアフガニスタンに空爆を開始し、2021年まで実に20年もの間、傀儡政権を作り戦争を続行し、17万6千人のアフガニスタン人を殺害した。また2400人のアメリカの若者を戦死させ、3800人の米国民間軍事会社の傭兵を戦死させた末、みじめな米軍撤退という名の戦線逃亡をした。そして何万ものアフガンの米軍協力者や米軍が訓練した政府軍を置き去りにした。ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデン大統領は、この戦争犯罪人だ。
2003年にはイラクに大量兵器があると言う理由で、サダムフセインを倒すためにイラクを爆撃し、100万人のイラク人を殺戮、イラクの総人口の5%を失わせた。英国イラク調査委員会は、2016年、イラクへの参戦は不当だった、と結論した。米英軍によってサダムフセインは殺されるべきではなかった。
2011年カダフイ大佐をリビアから追放するために、オバマ大統領下の米軍はリビアを9700回爆撃し、カダフイ大佐を殺害し数十万人のリビア人を難民しし、国を2分してリビアの世界で最も良質だったオイルと天然ガスの基地を奪った。独立の英雄として優れたリーダーだったカダフイ大佐は決して殺されるべきではなかった。
2011年オバマ大統領下の米軍は、シリアでもアサド大統領を失脚させるためシリア内戦に介入し、国を2分して主要な油田を占領した。ダマスカスが陥落し、アサド大統領が失脚したのち、モハメドアルシャウラが暫定政権を取ったが、一方で米軍に支援されたイスラエル軍は危機に乗じて、ゴラン高原を占拠しユダヤ人の領土を拡大している。アサド大統領を失脚させるべきではなかった。
2015年から、オバマ大統領下の米軍は、イエメンでサウジアラビア主導の連合軍に関与しイエメンを空爆、この時の攻撃だけで50万人のイエメン人が命を失っている。現在は、イスラエルの組するフーシ派が、紅海で商船を攻撃している、という理由で米軍は直接イエメンに空爆を繰り返している。
2024年9月には、レバノンのベイルートで、イランの宗教指導者ハッサンバスララを空爆で殺害し、米軍を後ろ盾にしたイスラエル軍によるレバノン地上侵攻戦で、数千人の死者を出した。卑劣な通信機器の一斉爆破では、37人の死者、4500人負傷者を出した。これに米国のCIAが関与したことを認めている。10月にはレバノンへの地上侵攻が始まり戦闘が続いている。ハサンナスララはイラン人の心の支えであり、殺されるべきではなかった。
米軍はアフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イエメンで、200万人を超える殺人を行ってきた。その土地で戦争を仕掛けて殺しまくって米軍基地をつくり、油田を強奪する。米国は一時として戦争を止めたことがない。武器製造会社が国の経済を支えている。地中海沿岸にはまだ手つかずのオイルと天然ガスが埋まっているからだ。
サウジアラビア、オーマン、UAE、ヨルダン、シリア、イラク、そしてデイエゴガルシア島の米軍基地が、ぐるりとイランを囲んで、さらなる中東諸国のオイルを奪おうとしている。
日本は、どんなことがあってもこれに加担してはいけない。
殺すな!
(写真は、1機20憶ドルのB-2スピリットステルス爆撃機)



2025年4月9日水曜日

肋骨骨折

人には痛みに敏感な人と鈍感な人が居て、私は鈍感。
その朝は、職場で若い人たちへのトレーニングがあって、とても忙しかった。仕事が終わって、家に帰ってやれやれと、夕食後のニュースを見ようとしたら、少し前から左胸が重かったが、突然ひどく痛くなって呼吸ができない。心臓をわしずかみされている感じ。浅い息を吸うが息が吐けない。鉄の腕でで心臓が掴まれて、痛くて両手で強く抑えていないと、胸から背中に放射する痛みが強くて立っても座っても居られない。血圧を測ってみると上が200近く、脈も信じられないほど速い。
これって心筋梗塞だよね。じゃなかったら急性肺炎か気胸か。浅い息で地面を這うような姿で車に辿り着き、へろへろ運転で2ブロックほど先の救急病院に到着。受付で胸痛を訴えた。
オーストラリアでは、死因の第1番がハートアタックなので、私のような老人が胸痛を訴えると、トリアージナンバーワン、すぐに心電図、血液検査、レントゲン検査に回される。
救急室はあっちでもこっちでも血を流したり、吐いている赤ちゃんや、鼻が折れて変形した顔の人や、泣いている救急患者に挟まれて、待つこと3時間。

結果は何にも悪くない。けれどお家に帰れない。以前、私が病院の心臓外科病棟に勤めていたことがあるのを知っている若い女性のドクターは、何故かわからないけれど、胸痛が収まらない患者は、家に帰したがらない。その胸痛は前兆に過ぎなくて、家に帰したとたんに大発作が起こって翌日死んで見つかるかもしれないからだ。再検査で再び2時間待つが、結果は良し。救急室で5時間待って、検査結果が良いのに痛みが治まらない。
どうしてだろうねーと、検査結果の画面をドクターと二人で眺めながら不思議不思議。ところで、その顔のアザは何なの?と聞かれて、ウーム、思い出した。今朝、職場に向かって入り口で蹴つまずいて転んだのだった。硬いコンクリート道路で倒れて左側の頬と、肘と手と膝小僧と腰を打った。でも忙しくてすっかり忘れていた。

「そっか、肋骨を打っていたんだ。なあんだ、肋骨骨折じゃん。」と女医さんと一気に「謎」が解けて大笑い。ハイタッチに、ばんざい。わっはっはと笑いあって、やっとお家に帰れる嬉しさでぴょんぴょん跳ね上がりたい気分。肋骨骨折の診断が下って、大喜びする女医と患者の姿も珍しいだろうが、心臓じゃなくて良かった。肋骨骨折の治療法はない。休めば治る。
嬉々として、でも痛くて空気中をクロールで半分溺れながら泳ぐような姿で帰宅して3日間、何もせず自重していた。食べて寝るだけの3日間。4日後には、娘たちの誕生会ランチのため、家族全員がそろう。家族に迷惑が掛からなくて良かった。
年寄りのひとり暮らしは充分楽しいが、それなり、小さなドラマもあったりしてはらはらする。

LADY GAGA「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」
レデイ―ガガのこの曲は、一緒にバンドをやっていた男の子が死んでしまって、女の子がそれを思い出して歌っている。自己流の訳は以下。

アリゾナの焼けるような太陽に、目が沁みて痛い。 あなたが私を見る目に燃える火を見たい。  カルフォルニアに埋まってる金みたいに 自分で見つからなかった自信を、あなたがくれた。  だから息が詰まって、言葉が見つからない。   いつもサヨナラを言うたびに、とても傷ついた。  陽が落ちる時、バンド演奏が終わる時、いつも私たちのことを思い出す。
夜、恋人たちは詩を口ずさむ  私たちは韻をふむやり方も知らなくて  だけど あなたはどこにも行かないということ   私の一部分だもの   あなたは絶対死んだりしないって
私は息が詰まって言葉が見つからないとき  いつもサヨナラをするとき とても傷ついた   陽が沈むときバンド演奏が終わってしまっても  いつもみたいに  こうやって思い出す。





2025年4月1日火曜日

トランプのロシア、ウクライナ間の停戦案

バイデン前米国大統領が無条件でウクライナに送った、総額1197憶ドルの武器代金を回収するために、トランプ現大統領は、ウクライナの鉱物収益分配協定への調印をゼレンスキー大統領に求めている。
トランプの意向を受けて、スコットベーセント財務長官が、ゼレンスキーに調印を求めている18項目の協定は、ウクライナを米国に売り飛ばすような協定だ。協定には、ウクライナのレアな鉱物だけでなくウクライナ全土の石油、ガス、未開発鉱床を含む全部の鉱物を、無期限に米国が採掘権を持ち、管理するという酷い内容だ。これにゼレンスキーがサインすると、ウクライナは米国の植民地になる。
ここに来て、ゼレンスキーが協定にサインする代わりに、NATOに入れてくれる約束はどうなったのか、トランプに聞いたら、彼はそんな約束はない、と激怒したという。

しかし事実は今年の1月に、英国ストーマ―首相とゼレンスキーとの間で、ウクライナの地下資源を英国と共同で開発し、英国が100%負担して利益を取るが、その代わりにウクライナの安全を保障する、という2国間の合意ができていた。もちろん英国はウクライナを単独で守らない、空約束だ。
安全を保障しないが、今までの武器費用を返済しろと迫る米国と、安全は保障するが鉱物は全部英国の物だと言い張る英国。

トランプは、もう一方のロシアの大統領プーチンにも激怒していて、どうして停戦しないのか、と恫喝している。トランプの停戦案をロシアが飲むわけがない。まず停戦して、NATO 軍を両国の間に平和維持軍として送る、というとんでもない提案だ。EUからの軍の派遣は、そのままEUの参戦を意味する。今までウクライナに武器を送っていたEUが、中立の立場で停戦を維持するわけがない。ロシアに対し開戦することになって、戦線拡大以外の何でもなくなり、EUは国境監視団、平和維持軍という名の攻撃型最先鋭の兵をロシアに送るだろう。仏国、英国、独国の要請を受け、求められたならば、オーストラリア政府まで平和維持のために派兵するとアルバニー二首相は言った。冗談ではない。

クリミア、ドネツク、ルハンスク共和国の独立を認め、ロシアにもウクライナにも帰属しない自治権を認めることを、ロシアのプーチンは開戦前から主張していた。彼らのことは彼らが決める。ウクライナは手を引くべきだった。また、ゼレンスキーはNATOに入れてもらって米国基地と英国基地のもつようになる夢を見るべきではなかった。
ロシアもヨーロッパ各国も、英国も、みんなみんなウクライナのオイル、ガス、鉱物を欲しがっている。それを武器産業が煽って戦争が起きて、また停戦という名の戦線拡大が起きつつある。

国家とは、国民に安全と平和を守り、それぞれの生活と命を保障する義務があるにも関わらず、、、。
なんということだろう。エイプリルフールでも笑えない。

2025年3月31日月曜日

50年前の日本の職場

日本の学生も、有配偶女性も103万円の年収を超えると、所得税の支払いが発生し、親や夫の会社からの手当の支給が無くなる。また収入が130万円を超えると、収入全体に掛かる15%ほどの社会保険料を払わなければならない。
だから、
税金も社会保険料も払わないで済むように、学生も主婦も、月に10万円程度の給料以上にならないように、時間を調整しながら働いている、という。
また5千人以上の大企業で働く女性の70%が非正職員で、同じ5千人以上の大企業で働く男性の70%が正社員という雇用形態を保っている。女性がいかに優秀でも時給1000円で働け、学生は親に、女性は夫に食べさせてもらえ、ということのようだ。
男女差別の醜い日本。

50年前大学でマスコミを学び、小さな業界紙新聞社に入り、女性の編集記者は初めてと言われ嬉しかったが、醜いセクシャルハラスメントを受けて1年後に退社。ずっと女性が働ける職場と思ってナースになった。悲しかったのは、新聞社に入社したとき、5人の男の新入社員同士で、ものすごく結束して仲が良くて、互いに新米で叱られながらも強い友情で結ばれていた。だけど1年後に社長からハラスメントが起きた時、嘘のように5人の結束が消えてみんな瞬時に離れて行って、孤立無援になったことだ。誰も話を聞いてくれなかった。今思い出しても胸が痛い。

オーストラリアに移住して30年目に入る。いまもナースをやっていて、オージー同僚たちに、日本の自慢話をしている。
実際日本の都立病院に居た頃、美濃部都知事の計らいで、ナースの為には寮も、保育所も確安で用意されていた。大きなナース用のロッカーがそれぞれにあって、その日に着た白衣は、備え付けのエアシューターで地下3階に送ると、翌々日にはパリっとアイロンがかかった綺麗な白衣が届けられた。風呂もシャワーも完備していた。「白衣をドーンとエアシューターで落っことすと、ピューンとアイロンのかかった白衣が届くんだよ。クリーニング代無料だよ。50年前の話だよ!!!」と言うと仲間の誰もが目を丸くして「日本ってすごい」と感嘆してくれる。その病院で2人の娘を持ち、職場の高い窓から下を見ると、よちよち歩く娘たちを含めた幼児らが病院のテニスコートで遊んでいるのが見下ろせた。真冬でも半そで短パンの幼児たち。幸せだったころの話。そんなのをオージー同僚はしっかり羨ましがってくれる。日本も良いことろが沢山あった。
しかし制度的にはこの半世紀、50年もの間、何も変わらず、女性は男性に食べさせてもらわなければ生きてこられないという、なんという差別社会。

オーストラリアでは正社員の時給より、非正職員の時給がずっと高い。非正職員には、年次有給休暇や有休の病欠がないので、当然だ。私は年6週間の有給休暇は絶対きっちり取る。
最低賃金は正職員で時給$24.10(2506円)、非正職員で$30.13(3133円)これはワーキングホリデイで来ている若い人も、バイト学生も共通で、最低賃金を守らない雇用主は罰せられる。
給料のほかに、給料の12%を雇用主は、それぞれの職員の積み立て年金に入金する義務がある。また12%は自動的に国民健康保険に引かれる。税金額も20%くらい引かれる。額面と実際の受取額のすごい違い! だから毎年給料アップを求めてフツーにデモをやる。
こうしてこの国で30年近く働いてきて、職場のセクシャルハラスメントや男女差別は感じないが、パワーハラスメント、ボスからの虐め、管理職のポジション争いの醜いやりとりは、しっかりある。自分が働く目的意識を持ち、常に向上意識をもたないと、蹴落とされるし、職場に留まっていられない。それは、どんな職場にも言えることだと思う。働くと言うことは、生きる事、男でも女でも大変だ。

日本で、職場や地域社会にセクシャルハラスメントを受けた人が、駆け込めるような場がないことは間違っているし、、、非正職員の時給がが正職員の時給より安いなんて絶対、間違っているし、、、シングルマザーが保育園や学童保育に子供を任せて働けないような地域社会は、間違っているし、、、仕事の悩みで自殺者が出るようなことは全くもって、間違っている。
性別に関係なく、年齢に関わりなく、学歴に関りもなく、熱意を持った者が快適に職場で働きながら、結婚したり、子供を持ったり、離婚したり、定期的に旅行したり、職場の仲間と誕生日を祝い合ったり、年を取っても大学で学びなおしたり、趣味を楽しんだりできる社会が、ぜんぜん間違ってないのだ。

2025年3月12日水曜日

アンチセミチズム法

豪州のNSW州では、この2月に、アンチセミチズム法という新法が施行された。
アンチセミチズム:反ユダヤ主義という民族差別行為を取り締まり、ユダヤ教信者が安心してシナゴクで宗教行事ができることを目的とする。
ガザでイスラエル政府によるパレスチナ人へのジェノサイトが止めようもなく、5万人の犠牲者が出ている状況で、パレスチナ支援の声が広がっているが、ユダヤ人団体の圧力に負ける形でこのような規制が法制化された。これで豪州のユダヤ人は特別に保護される対象になった。

パレスチナを支援することは決してアンチセミチズム(反ユダヤ思想)ではない。現在の狂信的イスラエル政府によるシオニズムを批判しているのだ。にも関わらずパレスチナへの人道的支援を呼びかけ、イスラエル政府を糾弾する動きに、アンチセミチズムのレッテルを張って規制しようとする動きが急速に進んでいる。
豪州では先住民族アボリジニが、総人口の2%を占めるが、それ以外の、98%は主に欧州からきた移民で形作られた国だ。その中には長い歴史の中で欧州で差別されてきたユダヤ人もたくさん新天地を求めて豪州にやってきた。総人口のうちユダヤ人がどれくらいの比率を占めるかの統計はないが、ユダヤ教を信ずる人口は、豪州の総人口の、0.4%とされる。わずかなそれらの人々を保護するためにアンチセミチズム法が新設された背後には、右傾化する世界情勢と、増えつつあるイスラム教徒の勢力を制したい政府の意思がある。ユダヤ教信者に比べれば、豪州ではムスリム人口は、少なくとも10倍いる。クリスチャンの国だから、ムスリムへの嫌悪感もあるだろう。

法規制ができた切っ掛けは、1月にシドニー東部ドーバーハイツのシナゴクが放火され、ユダヤ人宅の塀に落書きがされ、家の前に駐車した車2台に火がつけられた事件だ。これは3月10日になって犯人が14人逮捕され、アンチセミチズム法とテロリスト法で起訴されるようだ。報道ではムスリムのテロリストによるものとされている。

また2月13日にシドニーの公立病院で、男女2人のナースがソーシャルメデイアでユダヤ人インフルエンサーと会話をしていて、「私たちはユダヤ人はケアしない。そうよ殺すわ。」と軽口をたたいたビデオが大々的に公表され、ナースたちは逮捕起訴された。若者同士の軽口とソーシャルメデイアの影響の大きさを示すものだが、これ以来ナースへのアタック、公立病院への人々の不信と不満で私の職場も影響を受けた。

また政府はこういった事件を機にムスリムへの規制を明らかに強化している。昨年イスラエル政府は、パレスチナガザのハマスをサポートしていたレバノンヒズボラの宗教指導者、ナスララ師を暗殺した。イスラエル軍は、1トン爆弾を、80発投下して彼のいたヒズボラ本部を破壊し彼を殺した。ナスララ師はレバノンの政治リーダーというよりも宗教指導者として人々の信心の支えだったから、彼を暗殺した罪は大きい。2月24日彼の葬儀がレバノンのベイルートで国家行事として行われたが、豪州政府はこの葬儀に参加するために国外に出た人は、二度と豪州に戻ってこられないように、ビザも永住権もはく奪する、と発表した。ムスリムは心の支えだった宗教指導者を悼むこともできなかったのだ。

アンチセミチズム法が出来て、テロリスト法もできて、うっかりユダヤ人をサカナに軽口をたたくこともできなくなった。
こうして社会の監視が強化され、報道管制と言論弾圧が進行していく。
ユダヤ人で冷酷無比の守銭奴、スクルージを皮肉ったデイッケンズのクリスマスキャロルは、アンチセミチズムか?
あくどい金貸し老婆は生きてる価値がないと、ラスコリー二コフに思わせて殺させた、ドストエフスキーはもう読まれないのか????