へえ、だから何?と言われそうだが、長年ゲイ差別と闘ってきたLGBTQにとっては朗報だ。
この決定によってこの国では、約62万6500人の人が新たに献血リストに加えられる。献血による血液の確保は、近代医療にとって無くてはならないものだ。献血の事前検査で、献血できるという証明書をもらうことを、自分の健康診断の代わりにしている人も多いことだろう。オーストラリアでは大きな事故や災害が起こるたびに、献血場に列ができる。さすがクリスチャンバックグランドがある国だ。
献血ができるためには、たくさんの条件がある。16歳以上、体重50キロ以上、糖尿病、貧血,高血圧、性病にかかっていないこと以外に、タットーを入れて3か月以内の人や、ドッグや売春を3か月以内にした人は除かれる。それに加えて、今までは男のパートナーを持つ男は献血できなかった。
大学のクラブ活動や、職場からボランテイアで献血しようという言うとき自分だけが拒否されるのは辛いものだ。自分の親や、愛する人が事故で瀕死状態、一刻も早く血液が必要な時に自分の血液を使ってもらえないというような事態ほど悲しいことはない。
これからは献血するにあたって、ゲイもバイセクシュアルも差別なく献血できる。HIVエイズの予防薬を飲んでいる人でもプラズマを献血できる。精密なリサーチと実験、研究の結果、ゲイが献血できないのは「科学的ではない」という根拠が証明された。
LGBTQではない人にとっては、関係ないことのように思うかもしれないが、そうではない。「科学的根拠のない差別」が今まであったことを、私たちは怒らなければいけない。
人は生まれながらにして男が好きな人も女に惹かれる人も、どちらにも魅力を感じる人もいる。生まれて持ってきた性器が、両性具の人もいれば、大きなクリトリスを持った人も、小さなクリトリスとペニスを両方持った人も居る。みなそれぞれ、人は人柄に惹かれ合い、それぞれの愛の形を作っていく。そこに異常とか、普通じゃないとか,マイノリテイといった価値観は通用しない。人みな異なり、「普通」も「標準」などないのだ。
そして、
LGBTQ で’あろううが、そうでなかろうが、男であろうが女であろうが、どちらの性も認めない人であろうが、どのような愛の形であっても、それぞれの人が愛の前では平等であることが大切だ。
小さな差別を見逃さないで、それを自分のこととして捉えるべきなのだ。そうしないと差別は強いものに定規を合わせて他を差別するように、様々な局面で増殖していく。
だから、
今回の決定をたくさんの人たちと一緒に喜びたい。