この道は、いつか来た道、ああ、そうだよー。QとNが違うだけ。
IRAQ
IRAN
その8日後
6月21日、米軍は、カタールのアルウデイド米国空軍基地から、イランの3か所のウラン濃縮施設を含む核物質施設を、B-2 爆撃機、バンカーバスター地中貫通爆弾で攻撃、18時間の攻撃で215トンの爆弾を投下し、3か所の核施設を破壊した。現在までに、イラン市民の死亡者は、1000人を超えている。
イランは核拡散防止条約(NPT)に署名しているが、イスラエルはイランよりもたくさんの核を持っているにも関わらず、核拡散防止条約に署名していない。核施設への攻撃は国際法で禁じられている違法行為だ。核兵器を持っているとして、イスラエルと米国はイラン政権を潰そうとしている。
2003年
ジョージWブッシュ大統領は、イラクが大量兵器を持っているとい理由で、イラクのサダムフセインを倒すために、英国とともに侵略、攻撃した。結果として100万人、じつにイラクの人口の5%の命が失われた。
自国防衛を叫んだサダムフセインは、米軍に捉えられ、半裸にされて首に荒縄をかけられて、さらし者にされた上、西側マスメデイアによる写真撮影が行われたあと、絞首刑で命を終えた。それを「これで独裁者が倒された、自由と民主主義ばんざい。」と報じられ、サダムの像が倒され、足蹴にされる姿をフィルムに収め、悪者フセインが主役のオペラまで出来て上演された。西側メデイアに踊らされ、ひとつの独立国の国民の5%、100万人の死を祝い喜んだ鬼、それは私たちだったのではないか。 サダムフセインは、イラクという国を独立させ善政を敷いたモスリム民族の英雄だったのではないか。
大量兵器などイラクにはなく、イラクへの爆撃は米国、英国による領土侵略とオイルが目的だった。すでに2003年3月の時点で、英国情報網は「イラクのフセイン大統領から差し迫った脅威はなく、イラク参戦は不当だ。」と報告されていたが、ブレアは米国に同調した。この事実を英国では2016年7月イラク調査委員会が国会で、改めて発表され、時のトニーブレア首相は責任を追及された。
ワシントン調査ジャーナリスト、チャールズルイスは「もしメデイアが粗雑な政府のプロパガンダを広めるのではなくブッシュ大統領とラルズフェルドに真剣に彼らの主張を調査し異議を唱えていたら、ジャーナリストが仕事をしていれば、イラク戦争はなかった。」と述べ、また当時のBBCイラク特派員だったラゲオマールは、「ジャーナリストが仕事をしていれば100万人のイラク人は今も生きていた。スンニ派とシーア派の宗教戦争も起きなかったし、イスラム国も存在しなかっただろう。」と述べている。
しかし、
イラクに大量兵器はなかったことについて、米国も英国も明確に謝罪したことはない。
2003年に米国によって罪のない100万人のイラク人が殺され、イラクには米軍基地ができ、いま、イラクの自治政権は破壊されている。
イラクに起きたことが、再びイランで起きている。同じ犯罪者によって、20年の時が経ち、今また同じ歴史がイランで繰り返されている。私たちは、いつまでも米国の掌の上で踊っていて良いのか。
I am singing [ Don't look back in anger] by Oasis.