文京区千駄木には2人の娘たちが生まれた家があった。木造2階建ての古い家で、車が入れないような細い道の行き止まり、歪んで建っていて木造3階建ての今にも崩れそうな家や長屋や、乾物屋、畳屋などに囲まれていた。大学が成城で世田谷に長く住んでいたから、下町住まいは、珍しいことばかりだった。歩いて行ける距離に根津神社、須藤公園、森鴎外記念図書館、などがあり、自転車の前と後ろに娘たちを載せて、不忍池、東大三四郎池、上野動物園、後楽園までもビュンビュンとばして遊びに行った。
田端から団子坂を登る坂の途中に、菊見せんべいと佃煮屋があって、その向かいに小さな甘い物屋があった。おばあさんと息子が毎朝作る草餅がおいしく、小腹がすいた時にはお稲荷さんと海苔巻きがちょうどよいおやつになった。
30年近く豪国に暮らしていて、この店のお稲荷さんがモーレツに食べたくなることがある。甘すぎないで、中に何も入っていない、上に何も載っていない2口で食べられる小ぶりのお稲荷さん。
日本食大好き国なのに、日本から進出した吉野家牛どん、千房お好み焼き、丸亀製めん、ミスタードーナッツ、モスバーガー、ロイズの生チョコ、などなど、全部商売にならなくて撤退した。最近進出して来た北海道パイ、もちドーナッツ、キリンバーアイスクリームも、人が入っていないので撤退近しか。若い子供たちはマックのソフトアイスが60セントで食べられるのに。キリンバーの7ドルもするほうじ茶アイスクリームなど食べない。なかなか日本の味が外国では生きのびられない。
日本人のデリケートでセンシテイブな味覚は、春夏秋冬の季節の変化によって花や草が変化し、自然の移ろいが体感できる自然条件と、食のしきたりが礼儀として家庭で伝えられる文化によるものだろう。