2014年10月24日金曜日

その後のオット




                                 
17日間公立の救急病院に入院していたオットは、水から這い上がってきた子猫のように、すっかりしょげてしまって、食べない、飲まない、聞かれても返事をしない、床をうつろな目で見つめて動かない、口を利かないといったウツ状態に陥ったため、病院からリハビリ呼吸センターに移送されるところを、ドクターに頼み込んで家に連れて帰ってきた。
オージーはもとは英国人だから、ちょっと具合が悪くても、ハウアーユーと聞かれれば、にっこり笑ってファインと答える。紳士の会話はアイムファインで始まり天気の話で軽く仕上がり、自分の体のことなど絶対に話に出さないで、親しさよりも礼儀が優先される。現にオットがICUで治療中で、6リットルの酸素マスクを着けていた時も、携帯にクライアントから税金の相談がかかってきたが、オットは丁寧に答えていたし、オペラオーストラリアから2度も、来年のオペラの通し券をまだ申し込んでいないようだが、どうするのかと問われて、まだ決めてないんだよ、とのんびり答えていた。オットはもうオペラハウスの駐車場から劇場までの長い通路を歩けない。もうオペラに行くことは叶わないのに。

そんな「礼儀正しい」オットが、はじめのICUにいた7日間と、4日間の集中心臓治療ユニットに居たときは良かったが、病状が少々落ち着いて、呼吸器病棟に移されてから、みるみるうちに元気をなくして、盛んに食べていたものも口に入らず、シャワーも面倒、着替えも面倒、動くのも口をきくのも面倒になってしまった。ここまで急激にウツになったら、うかうかしていられない。本物の鬱病になる前に家に連れ戻さないと。ということでドクターたちとの交渉が、退院するその日の夜7時までやりとりが続いて、大変だったが、とうとう連れて帰ってきた。真っ暗な家に、二人で帰ってきて、猫が盛大に迎えてくれたときは、オットは涙目で猫を抱いていた。
肺炎は完治していない。心臓も24時間モニターは取れたがまだ安心できない。腎臓もクレアチニンが400で少しも下がらないが、薬物治療で最低限の日常生活が続けられるようにしていくしかない。一日おきに血液検査と専門医受診が義務付けられた。腎臓が働かないので、体内の毒物が捨てられない。腎臓透析を拒否するからには、薬で毒物を中和するしかない。毎食後に23粒の薬を服用し、一日おきの血液検査の結果次第で薬を増やしたり、減らしたりする。そうしているうちに、回復してくれることを願っている。3か月後には、こんな薬の山を、あんなこともあったっけと笑い飛ばせるようにしたい。

それにしても今回のオットの入院で、救急室、ICU,心臓集中治療ユニット、呼吸器一般病棟と、移動してきたが、移動ごとにそこで働くナースたちの質が、順番に落ちていくのには驚いた。この先、リハビリセンターなどに送られたら、どんなナースが待っているのか、想像するだけで恐ろしい。ナースはみなオールマイテイーではないから、専門以外のことは知らなくても恥ではない。しかし「できるナース」と「できないナース」との差は、見る人が見れば一目瞭然だ。
ICUでは基本的に一人の患者に一人のナース、24時間モニター付きの心臓ユニットでは、25ベッドに昼間13人のナース、夜7人のナースが、それぞれ12時間勤務に当たっていた。どちらも優秀な、よく訓練されたナースたちが、過酷な12時間労働を担当していた。そういった救急医療を希望して来ているナースたちに、「できないナース」は居ない。

しかし呼吸器一般病棟に移ってからは、そうはいかない。呼吸器病棟では病棟自体の空気の圧力が外気とは変わっていて、外の汚い空気が病棟に入らないようになっている上、病棟内でも空気が還流しないようになっている。18ベッドのうち10ベッドは、感染対策が徹底していて個室で二重ドアになっていて、4ベッドずつの大部屋が2つ、これを昼のナース6人、夜のナース4人が診ている。施設は素晴らしいが、ナーシングはいまいちだ。派遣できているナースも多い。ナースたちは決して患者の体を触らない。シャワーが浴びられる患者にはタオルやガウンを渡すだけ。ベッドが平らなため、呼吸できない患者のために、リモコンでベッドの頭部を上げたり、ベッドの角度を変えるだけ。体が重いので傾斜するベッドから患者がずり落ちてくるが、「はい1、2の3で上に上がって」と掛け声をかけるだけ、ナースは絶対患者をベッドの上にずり上げたり、体位交換をしたりしない。手伝わない、触らない。ナースの職業病ともいえる腰椎対策が徹底している。

10年前に同じ病院の心臓外科病棟で働いていた。夜中、発熱したり汗をかいた患者や、手術後たくさんのチューブにつながれて自分で動けないので辛くて眠れない患者に、熱い湯で体をふいて、ベッドリネンを変えてた。トイレに行けず、ベッド横に置いた簡易トイレを使わざるを得ない患者には可能な限りお尻を洗ってあげた。それが自分には、誰に言われなくても自然なことだった。患者は、すこしでもよくなってくると退院と社会復帰に大きな不安にさいなまれる。眠れないでいる患者には、温かい飲み物とビスケットを持って行って、となりに座ってよくおしゃべりした。患者とベッドに並んで何度も同じ歌を夜中デユエットで唄ったこともある。同じ人間として、ナースは腰椎対策も大事だが、もっと患者との時間を持つべきではないか。正確に心電図の異常をとらえることも大事だし、自分が腰を痛めないように重い患者を運んだりしないことも大事だが、もっと自分の手を使って患者に触れることを忘れないで欲しい。

かなり強引に連れて帰ってきたオットは、慣れ親しんだベッドや枕があっても依然として呼吸が苦しいし、力が入らないで、数歩しか歩けないことがわかって、自分の病状が理解できたようだ。退院翌日には病院から訪問ナースが来てくれて、服用しなければならない沢山の薬を確認していった。ソーシャルワーカーも来てくれて、失業手当の申請について教えてくれた。立派な体をした若い物理療法士も来てくれて、呼吸の仕方、肺のふくらまし方をよく教えてくれた上、オットと一緒に歩行練習もしてくれた。しばらくの間、一日おきに来てくれるという。ありがたいことだ。これだけのたくさんの人に助けられながら希望通り家に帰ってきたオット、、、良くならなければいけないよ。キミ。