2014年11月16日日曜日

その後と、それからのオット


                 

「このまま何もせずに今年中に死にますか。腎臓透析を週3日、5時間ずつ受けて生きますか。どちらか一つを選びなさい。」と、にこやかに笑みを浮かべる腎臓専門医に言われて、あっけにとられるオット。あの、今年中って、もうあとひと月しかないんですけど、、、。

そうだったんだ。機敏な判断と、救急病院による適切な処置で命をつなげたオットに、待っていたのは完全治癒という魔法ではなかった。これからは、1日おきに病院のベッドで5時間ずつ縛られて限りある命を長らえていかなければならない。一か月前に集中治療室で治療を受けていた肺炎も完治せず、いまだに肺に水がたまっている。ハートアタックを起こして、少しだけ悪かった腎臓が一挙に悪化して腎不全となり、体から毒素を尿と一緒に排出できないので、人工の機械で血液を綺麗にする装置なしには生きられない。クレアチニン値が、400から下らない。血液成分もこわされてしまうので、ヘモグロビン値が70と低く、常に貧血状態だ。検査結果だけを見ると、顔色が悪くて青い顔をした、呼吸困難で、皮膚が極端に乾燥して食欲の全くない、いわばイワシの干物のような姿を思い浮かべるが、オットの場合なぜか、よく食べるし、顔色も良い。
家に帰ってくることができて、美味しい料理を作る、賢く聡明な妻のおかげだ。オットは太鼓腹をさして、ぼく、痩せたよ15キロも痩せたよ。痩せた、痩せた、本当だよと、しつこくのたまうが、そういう奴を見守り、管理してきた私は10キロ体重が落ちた。

朝、目が覚めてテントから這い出てみると、や、や、やられた。となりの食糧庫にしていたテントが腹を空かせた灰色熊グリズビーに襲われて見る影もなく破壊されている。食糧をやられて、準備万端に予定していた登山に暗雲がたちこめて、、、、というような毎朝だった。太鼓腹のオットが元気だったころの話だ。朝起きて台所に行くと、夜中オットが食い散らかしたブドウパン、蓋が開いたままのジャム,引き千切られたビスケットの袋、飲みかけのジュース、、、この世と思えない惨状に目を覆いたくなる。食べこぼしを拾い,片付け、ぞうきんがけをしてから、1日が始まる、という毎日だった。16年間だ。ランチボックスにもサンドイッチだけでなく、ロールケーキやカステラのようなお菓子を必ず1つ2つ持って行っていたので、冷凍庫にはいつもお菓子が山ほど凍らせていた。

そんな「グリズビー式食糧庫荒らし」がなくなったのは、いつのころだったろう。2年前に日本を旅行して帰ってきてハートアタックをやった頃だったか。今、肺炎と2度目のハートアタックと急性腎不全をやって、食事の量はごく普通になった。普通とは私が食べるくらいの量で充分になったという意味だ。それで、痩せた痩せたと騒いでいる。平均体重になっただけだ。それにしても足腰が弱った。前から運動不足と肥満で100メートル歩くのが大変だったが、今は、足をひきずり、ヨチヨチ歩きで、時速10メートルくらいの速さで歩く。

オットは、たくさん病気を抱えて体を動かすことが、辛くなった。夫婦には思いやりが大切だ。それが、思いやりでなく思い込みだったり、思い過ごしだったり、思い違いだったりすることはよくあるけれど。悲しいのは、病気になると自分のことしか考えられなくなることだ。オットは、肺炎と喘息で息をするのも大変だったから、ある程度は仕方がないが、思いやりというものがなくなった。
私はオットの入院中、朝7時から夜9時までそばに付き添い、退院後は1日おきにドクターのところに連れて行き、23種類の服用薬を管理し、腎臓専門医や心臓専門医に定期通院させ、物理療法士の訪問に対応し、そうしているうちに、限りある私の年休も、減っていくばかり、いつまでも休んでいられない。フルタイムの職場に復帰した。そうしたら、体は思うように動かないが頭はまだいかれていないオットまで、職場に戻りたいという。オットのオフィスまで車で40分、朝晩の渋滞だと1時間余りかかる。オットを職場に下ろして、1時間かけて家に戻り、洗濯、掃除、買い物、食事の支度をしているうちに、もう迎えに行かなければならない。空腹で死にそうなオットに、夕食を素早く食べさせ、寝かせて、病院夜勤に出かける。10時間の忙しい勤務を終わって帰ると、もうオットを職場に送らなければならない。いつ寝るんだよ。

気が付いたら赤信号で急発進していた。青信号になったとき停まっていたんだ。げー。これはいけない。映画館に入って気分転換する時間はない。そこで、ひとりサッサと寿司屋に入った。おなかいっぱい鮨を食べて、睡眠薬を飲んで、がーっと寝る。オットよりそれを支える自分の体が大切。目が覚めて、時計を見ずに、オットを拾いに行った。暗くなった街並み、オットのオフィス前の小さなベンチに、ちょこんと座って私を待っていたオット。1時間くらい待たせたみたい。でも、だからといって、どうだというんだ。
明日は美容院と、フェイシャルとうなぎで気分転換。オットにはもっと待ってもらうかもね。
自分を大切にして、初めてオットを大切にできる、そう自分に言いきかせている。