2014年5月25日日曜日

映画 「ベル」(BELLE)

                   


イギリス映画:「BELLE」(ベル)
監督:アマ アサンテ
キャスト
ダイド ベル マンスフィールド      :ググ ムバサ
ウィリアム マリー マンスフィールド伯爵:トム ウィルキンソン
マンスフィールド伯爵夫人         :エミリー ワトソン
ジョン ダヴィ二エール           :サム レイド
レデイーエリザベス マリー        :サラ ガドン

ストーリーは
18世紀、ロンドン。
1761年英国下院議員であったジョン リンゼイ卿は、海軍の軍艦の艦長として西インド諸島に赴任していたが、スペインの奴隷船から略奪されてきた黒人女性を救出して愛した。しかしこの女性は、リンゼイ卿の子供を出産した際に命を落とした。子供の父親は残された形見の娘、ベルを引き取るが自分が赴任中で居所が定まらないため、ロンドンに住む大叔父のマンスフィールド伯爵ウィリアム マレーに養育を依頼する。伯爵夫婦は、色の黒い娘を連れてきた甥の訪問に驚くが、彼らに子供はなく、丁度亡くなった姪の子供エリザベスを養育していたので、彼女の遊び相手にベルを引き取ることにした。ウィリアム マレー マンスフィールド伯爵は、法務長官で、裁判所長官として、政治的には当時のイギリス首相の次に権力を持った存在だった。ベルは、彼の広大な屋敷で、慣習に従い家族に一員として遇され、エリザベスとは実の姉妹の様に仲良く育った。

ベルは高い教育を受け、成長するにつれて利発で法律家としての父親の仕事をよく理解し、彼の下す審議の判定に必要な記録を整備するなど秘書のような役割さえできるようになった。またベルは、ピアノや習い事でもエリザベスに比べて遥かに優れた才能を示した。ウィリアム マレーは、ベルが小さなときから、貴族社会で育つベルに、将来結婚相手は出てこないだろうから自分が死んで一人になっても生きて行けるように毎月彼女のために高額のお金を積み立ててきた。その上に、ベルの本当の父親リンゼイ卿が亡くなって、ベルは莫大な遺産を継ぐ。従って、ベルは、本人や家族の意に反して、肌が黒いだけで、美しく女性として魅力を持ち、多大の持参金つきの貴族として、若い貴族からは、魅力的な存在になっていた。やがて、エリザベスに結婚を前提にしたパーテイーの誘いがくる。相手のアッシュフィールド家とは釣り合いのとれた家柄で、長男との結婚が望まれていた。ところが次男が、エリザベスよりも賢く美しいベルに、結婚を申し込む。ベルは身に余る光栄と、申し出を受けるが、父親に伝言を伝えに来た、爵位を持たない貧しい弁護士ジョン ダヴィにエールに、心を惹かれていた。

折しもゾング事件が起きる。1781年、座礁した船ゾング号が、船の転覆を防ぐために船の重荷を捨てると同時に、142人の奴隷を海中に投棄した。これを大虐殺とみるか、船の安全を第一に考えた保険会社の正しい判断とするか、意見が分かれ、最終に判断は、ウィリアム マレー判事に委ねられていた。若い弁護士ジョンは、保険会社の判断が誤りだったとして、この裁判をきっかけに奴隷売買禁止と、奴隷解放を社会に訴える運動を提唱していた。ベルは、ジョンに会ってはじめて黒人を白人と同じ人間として考える思想にふれて、心を動かされる。そして、ベルはアッシュフィールドとの婚約を解消して、奴隷制の反対をする若い弁護士のもとに走る。若い二人が見守るなかで、父親の下した判決は、、、。
というお話。

1761年―1804年まで実在したダイド ベル マンスフィールドという女性のお話。
1779年に肖像画家ヨハン ゾファー二によって描かれたエリザベス マンスフィールドの肖像画がある。彼女の横には美しい黒人女性が立っている。この絵を所有する現在のマンスフィールド伯爵家は、2007年に奴隷貿易廃止200年を記念して、この絵を公開した。この映画の脚本家はこの絵にインスパイヤーされて、ベルについて調べて、史実をもとにして映画を作ったという。
また、2007年には、ゾング号事件(ZONG)が契機になって、奴隷解放の法的な正当性が与えられたとして、ゾング号が海軍にエスコートされてロンドンタワーブリッジを記念航行した。そのうえゾング号200年記念碑がジャマイカのブラックリバー沿いに建立された。

ゾング号事件の判決を言い渡したウィリアム マリー判事は、当時イングランドとスコットランドは別々の独立した裁判所を持っていたが、同時の双方の裁判所最高判事として奴隷制を明確に否定した。またイギリス国法を近代化した法律家として名を遺した。
保守派の法の守護者だった伯爵が若い奴隷廃止論者の意見に耳を傾け、思い切った改新的判決を出したことについては、自分の育ててきた黒い肌のベルの存在が大きく影響したのではないかと推測される。黒人が劣った人種だと考えられていたこの時代に、自分が育てたベルの利発さに目を見張り、人間としての目を養われた。

初めてベルがマンスフィールド伯爵夫婦の前に連れてこられたとき、夫人は「二グロを育てることなんかできないわ。」と言い放った。しかしベルの成長とともに彼女は頭の良い、父親の秘書的な役割まで果たせる娘になって夫婦にとって大切な娘になっていく。ピアノを弾いても、お見合いをしても、二人そろって鏡の前に座ってみても、どちらが美人で優れているか自ずと明確になってしまう、冴えないエリザベスが可哀想になってしまうが、本人はおっとりしていて、そこがまた可愛らしい。出世も結婚も貴族社会の称号も持参金次第という、イギリス貴族社会の愚かしさを存分に見せてくれる。

ベルが心を惹かれる若い弁護士など、マンスフィールド家では 全然人間扱いされていない。階級の称号を持たない人間なんて教育があろうと弁護士であろうと、貴族に気軽に話しかけたりすることも許されない社会なのだ。圧倒的な権力を握る貴族の下に 大衆がいて、その下に奴隷がいる。彼らは、海が荒れて転覆しそうな船を守るために、鉄鎖でつながれたまま海中投棄されるような存在だ。
ベルは、いったん婚約したアッシュフォード家の次男に どうして婚約破棄したのかと、問われて、自分の黒い肌を示して、「結婚は私自身のことです。」という。莫大な実父から譲られた遺産や、養父が積み立ててくれた持参金や、養父の社会的地位や権力や貴族の称号でなく、奴隷だった母から生まれた黒い肌の自分自身が結婚相手を決めるのだという、この時代の流れに反した強い意志を見せるシーンが感動的だ。
階級社会で階級を否定するほど勇気あることはない。階級が現状を維持していくための基盤なのだから、それに疑問をはさむことは社会の基盤を崩壊させることにつながる。その意味で、法律家として、初めて奴隷解放につながる考察を示したマンスフィールドは、破格の人間としての幅を持っていた人だったといえる。こういった勇気ある人々の生き方が、少しずつ時代を変えて来たのだ。
とても良い映画だった。

監督は英国人アサン アマ。西アフリカガーナからの移民だった両親をもったロンドン生まれの、まだ45歳の監督で脚本家だ。これからの彼女の仕事が楽しみだ。