オットと一緒に「初めて日本を訪れる外国人のためのツアー」で、日本を訪れ、11日目に無事シドニーに戻ってきた。 良い旅行だった。日本で会えた人たち、みんなみんな、オットに優しくしてくれて、嬉しかった。本当に感謝している。 オットは、念願のニッポンに行くことが出来て良かった、日本のどこもかしこも素晴らしかった、人はみなエクストリーム親切だった、こんな楽しい旅は今まで無かった、本当にニッポンに行くことが出来て嬉しい、と、繰り返し、繰り返し言う。で、、知ったかぶりをして、職場の人たちに、日本旅行のアドバイスなどしている。
たくさんの病気を抱え、旅行にあたって医師から簡単に、オーケーが出なかった。が、行ってみると予想通り、ツアーのほとんどを、若い人たちと一緒に着いて行けたし、団体旅行が終わっても、東京に4泊して滞在を楽しんだ。楽しければできるのだ ということがわかって、オットもとても嬉しかった。
シドニーに帰ってきて、オットの宝、ニコンD5000でオットが写した写真を現像してみたら、ほとんど全部、ぼやけていて何が写っているのかわからなかった。オットの目はこれほど悪くなっていたのか。私の姿も何もかも オットの目では、もうこんなふうにしか見えていなかったのか、と思うとちょっと悲しい。
写真をみて、「このカメラ壊れてる。」と、かんしゃく起こして、オットがカメラを投げつけようとする。まったく、単純なんだから、、ブツブツ。単純な男は扱いやすい。「ニコンはプロの使うカメラだから、ちゃんと先生について使い方を勉強しないと写せないんだよ。今度、ふたりで市民講座を申し込んで、写し方を勉強しようね。」と言って、なだめる。今度ね。また今度、、、これがキーワード。オットにも私にも まだ時間があるはず。きっと、あるはず。
シドニーにもどって、かかりつけの眼科の専門医に行くと、オットはそのまま眼底血管造影検査をされて,眼底出血が確認された。片方の目は、黄班部変性でほとんど視力が無いが、良いほうの目の黄班部のふちで、出血しているという。出血が広がって黄班部を塞いでしまうと、完全に失明することになる。眼底の膜が他の人よりも薄くなっているから、出血が始まると注射をしても、レーザーを使ってもうまく止血できない。旅行をしても、しなかったとしても、出血は起きた。限られた時間で、できるだけのことをしても、それでも悪くなっていくのは 避けようが無い。いずれオットの両目は見えなくなる。それが早いか遅いかだけの違いだ。しかし、今は治療が効を奏することを願うばかりだ。
年をとれば、いろんなことがある。ひとつひとつ、辛抱強く乗り越えることだと思う。
関係ないけど、思い出したことを、ひとつ。
父は、リベラリストだったから一般家庭でやっているような、家庭教育や躾に関心がなかったが、食事の時は、みんな食卓にそろってから、父が「いただきます」を言うまでは、誰も食事に手をつけなかった。ごく自然についた習慣だった。だから、オットを一緒になったとき、食卓で待っていたオットが、私が自分の分を食卓に運んで座る前に、待たずに食べ始めたとき、思わず言ってしまった。「あなたが猿以下にしか見えないわ。」と。そういうとき、オットは悲しい顔をして、下を向くだけだ。言いたいことを その場で全部口に出さないと気がすまない私と、いつも静かで穏やかなオット。
これからは、物静かで穏やかな妻になりたい。
できるかどうか、わからないけど。