2010年10月5日火曜日

キンバリー12日目ダービーからブルームへ




人口1500人のフィッツロイから ダービーを通過する。
ダービーはキンバリーのは一番古い町。港町として羊毛と鉱石を輸出するための港だった。鉱石を運搬するためのトラックは 50メートルの長さ、84のタイヤがついている。こんな大きなトラックが鉄や亜鉛を満載して船に載せるために 右左折したり 方向転換できるように道路も驚くほど広い。なにもかもが ジャイアントな町だ。
真珠の養殖も 漁業も盛んで バラマンデイー、サーモン、泥カニがとれる。

このダービーの町には 有名な「プリズン トリー」がある。
囚人の木とは、アボリジニーの囚人を 繋ぎとめておいたバオバブの木のことだ。よくオーストラリアの観光ガイドブックに 写真があるので、見覚えのある人も多いだろう。
これは、130年も前の頃、白人入植者たちが クヌヌラやホールスクリークやフィッツロイからアボリジニーの若者を誘拐して、ここまで歩いて連れてきたところで、鎖でつないだ木だ。こうして奴隷としてつれてこられたアボリジニーの若者達は ここからボートに住まわされて、真珠を取る為に強制労働させられた という。こうしたアメリカ南部の奴隷制度と同じことが ここでも1880年代まで行われた。首に縄を巻かれ、何十人ものアボリジニーの若者達が数珠繋ぎにバオバブの木につながれている 痛ましい写真が木の横に展示されている。

入植者がやってくる前のオーストラリアには 100万人のアボリジニーが住んでいた。それが 過酷な入植者たちの「開拓」と「文明化」のために アボリジニーの人口は6万人にまで減少した。現在人口は35万人にまで回復したが、アボリジニーが 入植者と同等の人権を認められ、公民権を持ったのが1962年。アボリジニーの平均寿命は ノンアボリジニーの平均寿命より「17年」も短い。この差がなくなるまで、この国に平等はない。

ダービーからブルームに向かう。
その途中で 携帯電話がメッセージ受信のベルを鳴らす。感激。
ダーウィンを過ぎてから 12日間旅を続けてきて携帯電話もインターネットも通じなかった。したがって、娘達の消息もわからないが、私たち老夫婦がどこで彷徨っているかを 娘達に伝えることが出来なかった。険しい山々のキンバリー地区から 一挙に観光地ブルームに到着したのだ。携帯電話にたくさんのメッセージが届いていた。何という文明の恩恵、そのありがたさ。
自分の家から私のところに留守番に来てくれて 猫のめんどうを見てくれている娘の報告を聞く。我が家の気難しい 家出経験のある黒猫クロエと、他にアパートの軒下に住み着いた2匹の捨て猫たちを4月から面倒見てきたが これら全部の猫たちを、仕事で忙しい娘が世話してくれている。みんな元気と聞いて ほっと安心。
地の果てのようなキンバリーまで来て、雄大な自然に感動しながらも 携帯電話なしに 生活することが不安な自分のちっぽけさ。

ブルームは人口15000人。真珠の街だ。
日本と最も縁のある場所。ミキモト真珠はみんな この島からきている。世界中の真珠の85%がここで取れる。真っ白な砂の海岸、インド洋に沈む大きな太陽。10キロも続く白い砂のケーブルビーチには 年間250万人の観光客が訪れる。
世界のトップ5ビーチのひとつだそうだ。
長旅に 咽喉が渇いた。
今日もビールが美味しい。

写真1,2は囚人の木。3はブルームの真珠産業に貢献した日本人の記念像