2010年10月4日月曜日
キンバリー フィッツロイのゲイキ渓谷
西オーストラリア キンバリー地区のアウトバック、ホールスクリークからまた別のアウトバック タウン:フィッツロイに向かう。400キロメートルの距離。キンバリー地区は 厳しい気候による土壌の浸食によって 古代から切り立った山岳地帯が多い。北部の峡谷地帯では 無数の岩山が聳え立ち 土壌がラテライトで占められるので雨期には 水がたまり交通不能になる。
一本道のハイウェイの両側に広がるのは 赤い土と青い空。走っていて、行けども行けども サバンナというか、砂漠ともいえる赤い不毛な土壌に、ユーカリの木々、数え切れないほどのターマイト(シロアリ)のアリ塚が続く。そこにバオバブの木が あちこちに立っている。ユーカリの木もバオバブの木も 水のないところに平気で自生する。バオバブは 幹が地面近くの下に行くほど太くなる。たくさんの葉をつけているものもあるし、まったく裸のバオバブもある。来月には、もう雨期になる。雨が降り出したら 新しい葉をつけるのだろう。
ターマイト(シロアリ)の巣はキンバリーの旅行が始まった日から 目に付いていた。赤土が盛り上がって どれもその形が異なるのだが 高いものは1メートルを越す。中では社会性を持ったアリ達が 一匹の女王の為に生き 戦い、子孫を増やしている。新しい巣は赤土の真新しい色をしているが、古い巣はもう白くなっているが ちゃんと中では女王がセッセと働きアリや 兵隊アリや 子育てアリをこき使って大きな女王専制社会を維持しているのだそうだ。
着いたフィッツロイのモーテルは、そのむかしマクシーンという名のシドニーで弁護士をしていた女性が牧場主と恋に落ちて住み着いた家だったという。1886年のことだ。牧場主は スコットランドからの移民ウィリアム マクドナルド氏だ。二人して人里離れたフィッツロイで牧場を始めて事業を成功させ 現在ここ一帯の土地は すべてこの家族のものだ。牧場を始めるにあたって、ニューサウスウェルス州から数万頭の牛を 10ヶ月かけてこの町まで移動させたのが 始まりだそうだ。美しいフィッツロイ河があり、雨期には一帯が洪水になり 後で栄養分の富んだ牧場地になる。フィッツロイのモーテルには ウィリアムとマクシーンの写真や肖像画が所狭しと 飾られていた。
モーテルを出て、ゲイキ渓谷に向かう。フイッツロイ河の豊な水が 切り立った岩山を切り裂いて その間を流れている。350キロメートルの両側ライムストーンの山々に囲まれた渓谷をボートで見る。これで渓谷をボートで見るのは5つ目だ。北部準州キャサリン渓谷、キンバリーのクヌヌラでオード河、エル クエストでチェンバーレイン渓谷とエマ渓谷を、そしていまゲイキ渓谷を見ている。どれもそれぞれ 趣きのある渓谷だ。ゲイキ渓谷が一番おだやかな渓谷といえる。両側の絶壁も岩壁も他の渓谷に比べると それほど高くない。豊かな水、鳥や魚が多く、ヒルギ林が茂って緑が多い。
ダーウィンから旅をしてきて11日目。 ひどい喘息持ちのオットが シドニーでは 吸入器を持ち歩き その肥満体と関節炎と喘息で100メートルと歩けない。それが旅を始めてから 一度も喘息発作を起こさず、他の旅行者と一緒に名所から名所へと、よく歩いている。よくやっていると思うが、褒めると調子に乗るので叱咤激励、鬼の監督を続けている。
モーテルのレストランで 他の旅行者と会話するのも楽しみのひとつだ。ドイツから来ている30代のカップルは アリススプリング、エアーズロックから ダーウィンのカカドウ国立公園を2週間かけて見てきたあと キンバリーをまた2週間旅行している。キンバリーのあとは パースからアデレードまで先を旅行する予定だそうだ。ドイツの「すずしくて ここち良い夏」から いきなりオーストラリアの灼熱の世界に飛んできて冒険旅行に魅惑されている、と言う。
スコットランド人の二組の夫婦は、奥さん同士が中学校で仲良しだったが 片方がオーストラリアに移民してしまった為 数年に一度ずつ 同じツアーを申し込んで 一緒に旅行して旧交を温めているのだという。ウィットに富んだ とても素敵な老夫婦だ。オランダから来ている二組の夫婦、イングランドから 別の2人組、南アフリカからも。
みな「常識」というものが 年寄りの間でしか常識でなくなってしまった現代のなかで、礼儀正しく、何かちょっとした手違いで嫌なことがあったり、待たされたりしても、決して文句を言わず ユーモアで乗り越える 大人の生き方の できる人たちだった。サービスが悪いとすぐ怒ったりする日本人の大人げのないマナーを思い出すと、まことにヨーロッパ人は立派だと思う。
今日もビールが美味しい。
ゲイキ渓谷の はじめの写真で中州の岩の上に、ワニの子供が居る。