2010年10月28日木曜日

「ウィキリーク」と映画「ミレニアム2火と戯れる女」


イラク戦争に関する米軍軍事機密をハッカーして、公表したウィキリークは、現代のヒーローと言って良い。今回 公表された機密事項は 40万点。
米軍が発表したよりも はるかに多くのイラク市民が 米軍とその連合国軍によって殺されていたことも、極めて残酷な国際法で禁止されている拷問を 捕虜に行っていたことも 証拠と共に明らかにされた。
事実を隠蔽して国家としての体裁を保とうとする国と、事実を国民に公表するハッカーとの間で、今後、ますます情報合戦が激化していくだろう。
隠されていた事実が 人々の目にさらされることによって、歴史も変わってくることだろう。
ウィキリークを始めた人は クイーンズランド タウンズビル生まれの38歳、JULIA ASSANGE オージーだ。これからは、新聞を読むよりも 先に、「WIKILEAK」を読む人が増えてくるだろう。

映画の邦題「ミレニアム2 火と戯れる女」、原題「THE GIRL WHO PLAYED WITH FIRE」を観た。コンピューターハッカーの女のお話だ。
スウェーデン映画。ベストセラー小説の映画化で、ミレニアム3部作のうち、2番目の作品。「ドラゴンのタットーをもつ女」の続編。
本で読むほうが、絶対おもしろい。でも映画もすごくドキドキする。2時間あまりの映画の間 心臓がずっと早鐘のように鳴りっぱなしだった。
第1作「ドラゴンのタットーをもつ女」の映画評は、下記につけておく。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1468298751&owner_id=5059993

スウェーデンは北欧福祉社会国家のモデルといわれ、ゆりかごから墓場まで国民の暮らしが 政府のあつい福祉政策で保護されている。その分だけ税金に給料の半分以上をもっていかれ 福祉社会特有のドラッグ アルコール中毒、暴力など社会の秩序を乱す犯罪は多発している。冬が長く、雪に閉じ込められる時間が長いため、精神病の発病や、家庭内暴力も多いが 徹底した個人主義のため犯罪が表に出にくい。

プロのコンピューターハッカー:リスベットと、ミレニアム編集長ミカエルはコンピューターを通じて知り合った。かつて死線を二人して掻い潜ってきた二人の間には 男と女の愛情や友情以上の 強い信頼関係が築かれている。
第1作「ドラゴンのタットーをもつ女」で、リスベットとミカエルは 人種差別に凝り固まった異常性愛の人殺しに 翻弄されたが、第2作では 国際犯罪のセックスワーカーの人身売買組織に狙われる。2つの作品を続けてみることで、リスベットが どんな悲惨な少女時代を送ってきたか なぜ彼女が無口で誰も信頼せず かたくなに孤独を守ろうとするのか、誰が彼女の本当の敵なのかが、わかってくる。

この3部作のおもしろさは パンクなハッカー女と、まじめな正義感あふれるジャーナリストのミカエルとのとりあわせの「不釣合いぐあい」にある。リスベットは一人で生きる女だから 誰も理解者も友達も協力者も必要としない。それを知っていて、ミカエルは リスベットの後を追わずに居られない。結果としてリスベットは ミカエルに助けられたり助けたりするのだけれど、そういったことでべつにリスベットは 嬉しくも何ともない。だ、けれども 居ても居なくても邪魔じゃない。そんな ふたりのコンビネーションが、とても良い「味」になっている。

ストーリーは
ロシアや東欧から送り込まれてストックホルムで働かされている セックスワーカーの人身売買を調査してきた 若いジャーナリストが ミカエルが編集長をしているミレニアムの仲間に入ってきた。若い正義感に燃えた 優秀なジャーナリストだ。
人身売買は、裏の世界で繁盛を極めているが、なかなか表に出てこない。それは 政府高官や 財界の大物が関与しているからだ。何十年も前に存在していた秘密警察まで これに関わっている。この犯罪組織を 告発することはミレニアムにとっても 命がけの大仕事になる。ミカエルは 持ち前の正義感から、熱心に組織の解明に取り組む。
ようやく、記事が仕上がったという連絡を受けたミカエルは、若いジャーナリストの家に 原稿を取りに行く。しかし一瞬の遅れで ミカエルは2人の記者の射殺死体を発見することになる。続いて リスベットの後見人の死体が上がる。死体の横に、リスベットの指紋つきの拳銃が置かれていた。

リスベットは3人の殺人容疑で指名手配される。ミカエルは リスベットの無実を確信しているが 証明することができない。リスベットは自分を破滅させようとしている犯罪組織に自分から近付いていく。なぜ、3人の殺人の罪を着せられたのか、、。巨体で先天的障害のため痛みを全く感じない 異様な殺人者に 追いつ追われつ 細身の一人の女の活躍ぶりに 息をつくひまもない。とても緊張する。
ストーリーは スリラーなので、これから読んだり観たりする人のために 話の筋をこれ以上言うことは出来ない。

映画でおもしろかったので、本を読む人も多いだろう。
パンクなハッカーが 細腕で活躍する しかもスウェーデン語で書かれた小説が どうして世界中でベストセラーになって 映画化されて高い評価をうけているのか。
ひとつには 取り上げている事件が「現代」をよく映し出しているからだと思う。コンピューター、ドラッグ、パンク、人身売買、ぺデファイル、猟奇殺人、何でもありだ。それと、国や大企業という巨大すぎて個人が太刀打ちできない力に対して、薄幸な少女時代を送った女が一人きりで 立ち向かっていく姿に魅かれるからだろう。

男に媚びない女の潔さ。
第1作の映画のなかで 好きな場面がある。リスベットが自分からミカエルのベッドに入り込み関係を持ったあと、何日かして、男のベッドで眠るリスベットの体に手をかけるミカエルに、リスベットは手を払いのけ 歯をむき出して怒る。「じゃあ、どうして自分のべっドで寝ないの?」と聞くミカエルに背を向けながら居座るリスベットを、ミカエルが優しい目ざしで笑うシーンだ。君がいてくれてもいい。居てくれなくていい。邪魔じゃない程度に居てくれるのが快適、というくらいが、理想的な関係だろうか。

男にしか出来ない仕事も、女にしか出来ない仕事も もうなくなってきた。同性婚も、異性婚も 子供を持つにしても実子も養子も そう遠くない将来全く同じ権利を法で守られることになるだろう。そうなれば男と女の結びつきも変わってくる。
あなたなしに生きられない、とか 愛に生き愛に死ぬ などというのは、オペラの世界でしか生き延びられないかもしれない。

第3作「眠れる女と狂卓の騎士」が楽しみだ。日本ではもう限られた劇場で公開されているらしい。
3作目のシドニーでの公開が待ち遠しい。

2010年10月18日月曜日

女性総督、女性首相、レズビアン閣僚




オーストラリアは世界で初めて女性に参政権を与えた国だが、それから116年もたって、今年になってやっと 女性の首相を迎えた。
労働党内部に対立があり、ケヴィン ラッド前首相との確執があり、連邦下院選挙では、与党労働党:74議席に対し、野党自由党:73議席という、たった1議席差で 辛うじてジュリア ギラード首相の首がつながった。74議席といっても 内容はグリーンの1議席と 無所属議員2人を含めての 与党主流派だから、今後も労働党だけで突っ走ることはできず、波乱ずくめだろう。
それにしても、ようやく女性首相が誕生したことを嬉しく思う。

オーストラリアは 英国国王エリザベスを元首とする 立憲君主国家だ。
憲法では英国国王の代理である「連邦総督」が 議会の開会,休会,解散、議会を通過した法案の承認、拒否、修正要求。行政の執行権、閣僚の任命、解散権、国軍の指揮権をもっている。現在の連邦総督は 初めて女性が選ばれた、クエンテイン ブライス(QUENTIN BRYCE)。彼女は、女性かくあるべしという女性の見本のような 人だ。教養高く、気品のある容姿、立ち振る舞い、身に纏っているカラフルな美しいスーツ、、、彼女の趣味の良さと、気品あふれる姿は、ダミ声、どかどか歩きのエリザベス女王とは比べものにならない。月とスッポンだ。本当に素敵な女性。

国の連邦総督が女性、首相がジュリア ギラード、そして加えて、ニューサウスウェルス州の知事が クリステイーナ カネリ、二人の男の子のお母さん、オーストラリア育ちのアメリカ女性だ。そしてまた、シドニーシテイー市長が これまた女性のクローバー モア(CLOVER MOORE)だ。

シドニーに住む私は 女性がボスの政治機構の中で生活していることになる。
連邦総督:クエンテイン ブライス
首相:ジュリア ギラード
NSW州知事:クリテイイーナ カネリ
シドニー市長:クローバー モア。
これって、すごいことかもしれない。日本だったら、女性天皇、女性首相、女性東京都知事、女性区長のもとで生活するのと同じことだ。こういうことは、今後実現しない。アメリカでも実現しない。女性大統領、女性州知事、女性町長。

そのジュリア ギラード首相が 第2次ギラード内閣を正式に発足させたが、任命式が連邦総督府で行われた。
任命された首相をはじめとする14人の閣僚が それぞれ奥さんとかパートナーとかを連れて 次々と車で総督府に到着して 式に向かう様子が ニュースで映し出された。ジュリア ギラードは独身だが、長年のパートナーがいる。仲良く、手を繋いで式場に向かった。

前環境相のペニー ウォンは 今回 「予算、規制緩和相」になったオーストラリア生まれの中国女性だが、ガールフレンドを連れて式場に入った。大勢のカメラマンのフラッシュに 驚きながらもペニーの後をついて式場に向かうオージー女性の姿を見ながら こういう光景を 日本で見ることはまずないだろうと思った。同様に、アメリカでも まず同じことは起こらない。
レズビアンの閣僚が 就任式にガールフレンドと共に式場に現れる ということが、当たり前に行われて、それを誰一人として オーストラリアでは注目しない自然さが、とても快かった。

そういえば先ジョン ハワード首相政権下で 野党だった3党の全部:労働党、グリーン、国民党の党首が3人とも ゲイだったことがある。いまでも、グリーンの党首 ボブ ブラウンはゲイだが、とても人望がある政治家だ。彼なしに、ジュリア ギラード政権は発足できなかった。
こうしてみると、オーストラリアは 改めてジェンダーに優しい 新しい国だということができる。それが とても自然だ。
そんな国に住んでいる。そのことが とてもうれしい。

写真は
連邦総督クエンテイン ブライス
シドニー市長クローバー モア
予算相ペニー ウォン

2010年10月14日木曜日

映画「リミット」、原題「BERIED」



こんなに おもしろい映画 近年観なかった。すごい。
低予算。出演者一人。95分の間 たったひとりの役者が ほとんど身動きのできない状態で棺桶に入れられたまま どう救出してもらうか格闘するというお話。

邦題「リミット」 原題「BERIED」。
スペイン人監督:ロドリゴ コルテス
キャスト:ライアン レイノルズ

襲われて気を失った記憶がある。
気がついてみると手足を縛られて 猿ぐつわをかまされて棺桶の中に押し込まれ土に埋められている。暗闇のなかで、何も見えない。これでパニックに陥らない方がおかしい。最低の状況だ。

可能な限り手足をばたつかせて 両手を自由にする。猿くつわを外し 足の紐を外す。手探りでポケットの ジッポライターを取り出して 棺桶の中を見渡してみる。押しても引いても棺桶の木箱はびくともしない。大声で叫んで助けを求める。しかし帰ってくるのは 漆黒の闇だけだ。

突然、足元に転がっていた携帯電話が鳴る。恐怖で全身がケイレンする。狭い箱の中で 苦労して それを足で蹴って 手元まで持ってくる。アラビア語表示の携帯電話だ。応答すると、落ち着いた男の声が、この携帯電話で自分の姿を ヴィデオを撮って、身代金を出すように米軍に懇願しろ、と言う。彼は500万ドルの身代金の為に誘拐されたのだ。携帯電話の電池は半分しか残っていない。時間がない。

彼はポール コンロイ(ライアン レイノルズ)、民間企業に雇われたトラック ドライバー。イラクで 物資運送中に襲われた。彼は携帯電話を使って 991緊急呼び出しに電話するが、電話交換手は冷たく、アメリカ国内以外の緊急には対応できないと すげなく電話を切られる。所属する会社に電話するが留守番電話でメッセージ対応。自分が住んでいたオハイオ警察に電話する。また、FBIに電話する。助かるために 次々と電話するが、どの電話も自分の陥っている緊急事態をわかってもらえない。自宅に電話するが またしても留守番電話。さんざん電話を使っても 助けが来ないと 思い込んで 認知症になって もう自分のことを憶えていない老人ホームにいる母親に さよならを言う為に電話したりもする。

持っているものは ジッポライター、携帯電話、鉛筆、ポケット容器に入ったウィスキー、蛍光棒だけ。絶望、焦燥、生への渇望、混乱。

出演者ひとり、撮影場所は 棺桶の中だけ、照明はジッポライターか 蛍光棒、携帯電話の光源だけ。役者が嘆き、笑い、絶望し、期待し、怒る。良い役者だ。最悪の状況になかでの、喜怒哀楽を 限られた動きの中で 巧みに演じていた。
埋められた棺桶の中で 外界と自分を繋ぐ唯一の命綱が携帯電話だ。真っ暗闇の中で聞くと、電話の声から人々の生活する様子が 手に取るようにわかる。自宅に電話して 子供の声から 夫をイラクに送り出した妻の様子や留守宅のありようが ありありと見えてくる。FBIの事務的な対応から FBIが いかに人命救助からかけ離れてた仕事をしているか、が よくわかる。ようやく受信されたヴイデオから、事情がわかって米軍の担当官が出て、説得力のある話し方で、その人の人柄も見えてくる。たったひとつの携帯電話を通じて 驚くほど広い世界の 様々な役割を持った人々に姿が見えてくる。息を殺して、暗闇で聞いていると、今まで見えなかったものまで 見えてくる。実に 効果的な音の使い方だ。

この映画をみて むかし見た怖い映画「激突」、原題「CRUSH」を思い出した。この映画は どういうお話か というと。
都会に住むセールスマンが 仕事で南部に出張することになった。初めての土地を車で走るうち、一本道の退屈なハイウェイ、道を走る車も 余りない。何気なく前を走っていた 大型トラックを追い越す。すると、このトラックは 意地になって追い越してくる。追い越しておいて それでいてわざとゆっくり走って、イライラさせる。そこで、また追い越すと今度は後ろから追い上げてきて ぐいぐいと後ろから車を押してくる。
そんな調子で はじめは車の追い越し合戦のおふざけだと思っていたセールスマンは これは冗談でなく、本気でトラック運転手が 彼を殺すという明確な殺意を持っていることに気付く。

セールスマンは 北部の人間だから知らなかったけれど、北部のプレートナンバーで 南部の道で、南部の車を追い越すようなことは、してはいけなかったのだ。面子をつぶされたトラックドライバーは セールスマンが どこまで逃げても逃げても隠れても 必ず見つけて追ってくる。警察や人に助けを求めても お構いなしにトラックごと襲ってくる。トラックは背が高いから どんな男が運転しているのか 顔が見えない。太い腕が運転席の窓から見えるだけだ。最後まで この殺人者の顔はわからない。顔のない追っ手から 逃げても逃げても逃げ切れないセールスマンのあせりと 恐怖感が伝わってきて 本当に怖い映画だった。子供の時に 汗びっしょりかいて 怖い思いをした映画は忘れられない。

大人になって あとからこの映画を作ったのは スピルバーグだった、とわかって、ウーン なるほど と思った。監督として初めての作品だったのだ。初監督作品。スピルバーグの才能がきらめいている。

最後に気になったのは、この映画のタイトルは、「BERIED」なのに、邦題が「リミット」だ。どうして原題どおりにしないのかわからない。
詩だって、外国の詩の題を翻訳者が勝手に変えたりしないだろう。題名には 監督ひとりだけでなく、映画製作者全体の意志が篭められているのだ。原題「BERIED」「埋められて」または「埋められた」あるいはべりッドで 良いのではないか。
他に 変な例を挙げると 原題「TAKEN」が、「72時間」になって、原題「UP」が「カールじいさんの空飛ぶ家」になって、原題「マイ シスターズキーパー」が「わたしのなかのあなた」になる。原題「コンサート」が 「オーケストラ」になったのは、なんかなあーと、、、。それにしても「リミット」などというタイトルにして欲しくなかった。日本語のセンスを疑う。

それにしても、実によくできた映画だ。
すぐれた反戦映画でもある。反戦へのメッセージが きちんと伝えられている。
この監督の才能に、注目していきたい。

2010年10月12日火曜日

映画 「食べて祈って恋をして」




原作は エリザベス ギルバートの自伝小説。700万部 売り上げたベストセラーを ジュリア ロバーツが演じてヒットしている映画。

女性むき映画ということになっている。
腹立たしい。女なら 馬鹿でもいいということか。
ジュリア ロバーツが美しいことは認める。42歳になって、3人の子供の親になっても なお可愛らしくて笑顔など 大輪の牡丹の花のように美しい。人気なのに 子育てに一生懸命なところが好感をもてる。だから 我慢して2時間余り無内容な 画面を目で追っていた。一言で言って アンリアル。非現実的。

こんな友達 持ちたくない。天上天下唯我独尊、ジコチュー、セルフィッシュ、周りを引きずり回して 精神的未発達児、ないしは ただのわがまま女。世界一物質的に豊な国で、良い仕事に恵まれて 理解ある夫に恵まれた人のお話だ。ドル危機も 10%を越えたアメリカの失業率も、ジハドもテロアタックもイラク、アフガン戦争も4000人を越える戦死者も 全然関係なーい世界のお話だ。

ストーリーは
ニューヨークでジャーナリストとして働いているリズ(ジュリア ロバーツ)は 平凡な教師の夫(ビリー クラダップ)との暮らしも8年となり、もう喜びや 新鮮な感動を感じられなくなっている。一大決意をして、家を出て、友人宅(ヴィオラ デイヴィス)に身を寄せているうちに、若い恋人に出会う。恋人デヴィッド(ジェームス フランコ)は、ヒンドゥー教の信者で、二人して同棲して道場に通うが、リズには どうしても心が満たされない。35歳のリズは、28歳の恋人が止めるのも聞かずに 心の平安を求めて海外旅行することに決断。離婚と恋人との別れで すっかり失ってしまった食欲を取り戻す為に、とりあえずイタリアへ。

手始めにイタリアで 4ヶ月、美味しいワイン、パスタにピッザでしこたま脂肪を蓄えたあとは、インドのヒンドゥー道場へ。リサは 道場で心の平安を祈るが 早起き、道場の床みがき、粗末な食事の日々に 心の平安も望めない。ここで結婚を控えているインド人の女の子と、アメリカ人(リチャード ジェンキンス)と友達になる。彼女の結婚式に呼ばれて 幸せそうな若いカップルをみて、自分が離婚したのは自分が精神的に大人になっていなかったからだと悟って、ちょっと寂しい。リチャードのほうは、自分が妻子を捨ててきたことを リサに涙で語り、アメリカに帰っていく。リサも、これで充分とばかりに、インドネシアのバリ島へ。

バリではヒンドゥーの高僧の家に通って 教えを得る。好々爺とした高僧は リサに優しく、バリヒンドゥーは、インドのヒンドゥーのように厳しくない、自分らしく心を平静にもっていれば良いと。リサは 瞑想とヒンドゥーを学ぶ日々。リサが怪我をした時に世話になった 民間医師が 身寄りのない子供を育てていることを知り、ネットを通じて 友達から募金を集めて その子に 一軒家をプレゼントする。そんなある日 島のガイドをしているブラジル人(ハビエル バルデム)に出会って恋をする。しかし、その男に一緒にバリで暮らすことを提案されて、そんな急なことを、と、逆上。アメリカに帰国する決意をして、最後の日。お別れに行った高僧に、心の平静はいつも保てるわけじゃない。時として恋で平静でいられなくなっても、それでよいのだ、と言われて、恋人のところに 飛んでいく。というお話。

夫に満足できず、恋人にも飽き足らず、別れてしまって 仕事を1年休暇とって豪華な海外旅行。場所が変われば、もっといいことが あるかもしれない と旅に出る。数ヶ月セックスレスの生活をしたあと バリでちょっとセンチメンタルで大人の男に出会って恋をする。しかし、これでハッピーエンドなわけがない。こんな女はじきに「心の平安が得られなくなって」つまり、飽きてしまって別れるに決まっているからだ。

この映画のアンリアル
1)働き盛りのアメリカ人が10%以上の失業率に泣いている現状で ニューヨークのジャーナリストが1年の休暇を取ったあと復職できるのは 非現実的。

2)友達にネットで 可哀想な家のない子のために基金を募っただけで すぐに5万ドル:500万円集められる と思わない。何度もチャリテイーでお金を集めたことがある。無条件で1万円の小切手を切ってくれる友達が500人、、すぐにそれを送ってくれることは あり得ない。

3)バリのヒンドゥー高僧は、りサの手相をみて予言する。?。ついでにカード占いでも やったらどうか?

4)欧米人にとって ヒンドゥーは安直な癒しでしかない。座禅を組めば 心の平静が得られるか。

5)インドでは英語が公用語。アメリカ人は会話に不自由ないはず。どうして現地の人とまったく交流しないのか。

世界遺産の60%がイタリアの集中している。文化発祥の地、芸術の国イタリアで、リズは、ただ英語を話せる限られた友達と食べるだけ。これではイタリア人も落胆するだろう。インドでは祈って 結局同じアメリカ人男から 涙の告白を聞かされただけ。そんな後では、バリで1年ちかく 干されていた「LOVE」に、どんな男も良くみえるだろう。

「鎌倉!!!流行のミニワンピでスウィート探し。かくれアンテーク見つけちゃった!!!ちょっとオシャレなフレンチも!!!見ーつけた!!!ビタースウィート。ミニ知識サイチョー クーカイってなあに?」というような ヤングの女性週刊誌を見せられたような感じ。

だいたいリサは 何が欲しいんだ。何が問題なのか、まったく初めから正そうとしない。物事の本質を全く追求しようとせずに、場所だけ変えて 男だけ変えて それでよしとする。何も変わらない。いい女だから 「自分へのご褒美」に「自分探しの旅」というわけだ。
いつまでも「自分自分」と叫び回りながら まわりを引きずり回しながら 心の平静を主張しまくっている。ところが、最後には 平静でなくてもいいんだ、、と言われて、サッサと1年間の修行を忘れて男の胸に飛び込む。知恵も心もない。そんな程度の心の平静で良かったのか。女ってこんなもんだよ、という男の声が聴こえてきそうで腹立たしい。
彼女の生き方に共鳴 共感し、感情移入できたりする女って、何なんだろう。場所を変えても、男を変えても 何も変わらないのですよ。一生 青い鳥を探して夢を見ていてもいいけど、私の周りには来ないで。

この作者は 「本当に自分でこの男のために今 死んでもいい」と決意できるような本当の恋をしたこともなければ、「この仕事 どんなことがあっても他の誰にも取られたくない」と しがみつきたくなるほどの本当の仕事をしたこともなければ、「神様、この人のために心の平安を下さい」、と真に神に祈ったことも したことがない人に違いない。なぜなら、このストーリーに それらが何ひとつ ないからだ。

2010年10月7日木曜日

ブルームの真珠養殖場



シドニーの家を出て、北部準州ダーウィンから西オーストラリア キンバリーを 2週間かけて旅行している。オーストラリアのなかでも アウトバック、秘境といわれるところばかりを旅行してきて、やっと、観光地ブルームについたところ。この旅の終わりが近ずいている。

ブルームの街を歩く。
街には真珠を売る宝石屋が ひしめいている。海岸沿いに広がった海辺の リゾートタウンには 宝石屋とパブと食べ物屋くらいしかない。ガソリンスタンドの横に ATMがあるのを見て、開けた街まで やっと来たことを実感する。いままで、アウトバックにいて、現金を使う機会もなかった。
せっかくだから、宝石屋を見てみる。お客がある程度 入ると 主人が真珠ができあがるまでの 説明をしてくれる。やはり、高いものは良い。とても手がでない。宝石屋もピンからキリまであって、ちょっと遊びに来て 友達や家族にお土産を、と思って手がでるくらいの値段の真珠は みんなブルームで獲って加工したものではなく 中国製だ。

街から 白砂の海辺が広がる ホテルのあるケーブルビーチまで バスで10分。ケーブルビーチクラブリゾートというホテル。ファイブスターだ。
そこからバスを出してもらって 真珠養殖場を見物に行く。バスで30分あまり 赤土のでこぼこ道を揺られて 小さな養殖場に港に着く。砂は真っ白なサンドストーンで、海は白濁したミルキーなエメラルドグリーン。カルシウムが多いために海の色が透き通ったグリーンでなくて、ミルキーな優しい緑色になっている。遠浅の海には アシやヒルギが蔽い茂り、ワニも海鳥も たくさんいる。陸には野生の馬までいた。鳥では、シラサギとトビが目立つ。足の長い優雅な鳥たちが 魚を獲り 巣を作っている。

船に乗り込み しばらく沖にいくと、海中に網が張り巡らされていて ひとつの網を引き上げて見せてもらうと 大きな真珠貝が6つずつ きれいに収まっている。真珠貝の大きさは15センチ四方くらい。2年かけて、真珠貝を大きく育てるのだそうだ。
真珠貝は上皮から唾液のような内分泌液を分泌する。貝の生殖器に核を埋め込むと その分泌液で核を大きく育てる。いったん、核入れのために貝をこじ開けられて 核入れをされた真珠貝は また6個いりの網に収まって 海に戻され波にゆられて 何度も位置を変えられ転がされて約1年 丸い形に育つように工夫されながらで育つ。 

核入れをする技術が一番難しいそうだ。優れたテクニシャンは1日に1000の核入れをするという。このへんのところを ミキモトは特殊な技術を持っていて、マル秘中のマル秘らしくて、日本のテクニックを盗もうとする 業界スパイが暗躍しているらしい。プロの潜水士を雇って 日本の真珠養殖場のサンプルを盗んだり そのへんは もう007の世界らしい。
でも、私が見物したノーテンキの真珠養殖場では、真珠貝をこじ開けて 核入れするところも見せてくれたし 見学者の中から やりたい人にもやらせてくれた。これがうまい人は85%の核の定着率だそうだ。ということは、15%は無駄になる訳だけど、、、。

核入れスペシャリストは とても良いお金で雇われて 短期の間にちょっとしたお金持ちになれる。説明してくれたお兄さんも その一人で、「ぼく85%の成功率」と自慢する。「3ヶ月で 1年分の稼ぎをもらってしまったたあとは どうするの?」と聞いたら 3ヶ月フィージーでサーフィンやって、3ヶ月カジノで遊んで、3ヶ月メイト(友達)とパブでビール飲みながらフットボールみるんだよー。と言っていた。じつにオージーらしい 国民平均的模範解答だ。

というわけで真珠貝の核入れの成功率が85%。その後 同じ貝に2度目、3度目の核入れをする。それごとに貝は成長して大きくなっていくから、できる真珠も大きくなる。しかし貝も若くはなくなるので、4度目のときには 成功率は落ちていって 5%くらいまでになる という。直径10ミリくらいの真珠は3回目の核入れでできたもので、成功率40%というから、やはり大きいものほど高価になる。直径15ミリくらいの 今人気の真珠は 一粒300ドルとかいう値段になるそうだ。

養殖場を見学してからボートを降りて 港にある養殖場の経営する店の中を見て回る。ここで見学者達は お茶とケーキを ふるまわれて 安楽椅子で休んだ後は、店の宝石を見せられて ついつい買い物をしてしまうことになる。
うっかりして私も 娘達にイヤリングを買ってしまった。一緒にボートに乗った人たちは、一粒15ミリの大きさの真珠のネックレスを思わず 何を血迷ったことか ついつい買ってしまっていた。良い商売だ。
ミキモトも こんなことをやっているのだろうか。そちらにも行ってみたかった。

真珠養殖場から帰って、ケーブルビーチを歩く。インド洋に沈む太陽を見ながら フィッシュ アンド チップスを食べる。ラクダに乗って海辺を歩く人たちが一列になって、ゆっさゆっさと進んでいく。一日 すっかり日焼けして ほってった体にビールが美味しい。

今日で旅を始めて2週間。
明日は最後の日。朝、海岸を散歩して 荷物をまとめて飛行期に乗る。ブルームからパースに飛んで、そこで乗り換えて、パースからシドニーへ。着くのは夜だ。明日の夜は 2週間の旅行を終えて、なじみのある枕で眠ることができるはずだ。
オーストラリアの北の先 ダーウィンから キンバリーを見てブルームまで下りてきた。
良い旅だった。
明日もビールが美味しいだろう。

2010年10月5日火曜日

ブルーム日本人墓の破壊と捕鯨



年間250万人の観光客で賑わい、日本人にも人気のあるブルーム。
目線を変えれば 別のブルームが現れる。
1942年、3月3日 この港に日本軍が爆弾を落として70人あまりの人々が亡くなった。
日本軍は ダーウィンを空襲して243人死亡者を出し、ブルームでは70人、シドニーにも特殊潜水艇が侵入して 魚雷でフェリーを攻撃して21人死なせ ニューカッスルにも潜水艦が市内を砲撃して 建物や住居に被害を出している。タウンズビルにも ラバウルを基地とする飛行艇が空軍基地を爆撃している。こういう事実は 攻撃した方は忘れているし、今の日本の若い人は知らない人のほうがずっと多い。
しかし 日豪間に起こった歴史の中で 本当に起こったことは 知っていれば知っているほど良い。決して無視してはいけないのだ。なぜなら戦争は過去に起こったことでも、現在に通じている道だからだ。

たとえば ブルームには日本人墓がある。
昨年8月に映画「COVE」(邦題「入り江」)が上映された直後、ブルーム市議会は 姉妹都市だった和歌山県との姉妹都市関係を継続しない決議がなされた。それと同時に、この日本人墓が荒らされて、墓石が割られ、破壊された。
映画は和歌山県大地町の イルカ追い込み漁のドキュメンタリー作品で、アカデミードキュメンタリー賞を受賞した。この映画については 何度も言及してきたが、またアタッチする。
http://dogloverakiko.blogspot.com/2009/08/blog-post_25.html

映画は、ブルーム市議会の決議、日本人墓の破壊と いろいろな波紋を投げかけた。いかに、オーストラリアでは海洋保護の立場から 日本の捕鯨、イルカ漁に否定的な立場に立っているかがわかるだろう。墓荒らしというのは、西洋では死体を焼かずに そのまま埋葬するだけに、とても重い罪になる。にも関わらず ブルームに貢献して亡くなった何の罪もない日本人の墓を荒らすということが起きた。簡単には犯せない罪なのに それが行われた ということを日本人は深刻に捉えなければならない。
墓荒らしは、大地町でイルカをつきん棒で殴り殺す日本人、世界中の批判をあびながら なおも調査捕鯨という名の商業捕鯨を続けている日本に対する「報復」なのだ。野生動物保護の立場から いま、沿岸イルカ漁も 調査捕鯨も中止するべきだ。

707基、919人の 日本人の墓が葬られている。
グループツアーから離れて、個人で日本人墓を訪ねる。ブルームの街から20分。バス停留所から10分歩いて、着いた墓は よく整備されていた。古いものは 1880年代から 130年も前から真珠業に携わっていた日本人の名と出身地が 墓石に彫ってある。沢山の人が溺れたり、潜水病やサイクロンで亡くなった。30代 40代で亡くなった人が多い。入り口にある記録によると もとは小さな墓地だったものを 1983年に 日本船舶振興会の笹川良一氏の基金と 参議院議員玉置和郎氏の努力によって、修復されて、現在の墓地になった と書いてある。事実、墓石は御影石が多く、日本風の石が使われて立派なものが多い。つい最近の真新しい墓もある。今年 亡くなった人の墓もあった。

一度 破壊され、割られた墓石を いくつもいくつも見る。無残だ。修復されているが、いったん割られた石だということが一目瞭然だ。哀しくて 写真にとることができない。日本とオーストラリアの交流に貢献し、この地で真珠業を助け、命を落とした人々を、せめて、静かに休ませてあげられないものだろうか。
国と国の摩擦のために、亡くなって 土になってもまだ蹂躙される。もの言わぬ 707基の墓。
こんなときほど異国に暮らす者として、孤独感、寂寥感を感じることはない。

日本人にとっては 戦争も終わっていないし、捕鯨問第も解決していない。現在は過去に しっかりとつながっている ということを再認識させられて、ブルームの墓地で ひとり悄然とする。
ホテルに帰って ビールでも飲もう。

キンバリー12日目ダービーからブルームへ




人口1500人のフィッツロイから ダービーを通過する。
ダービーはキンバリーのは一番古い町。港町として羊毛と鉱石を輸出するための港だった。鉱石を運搬するためのトラックは 50メートルの長さ、84のタイヤがついている。こんな大きなトラックが鉄や亜鉛を満載して船に載せるために 右左折したり 方向転換できるように道路も驚くほど広い。なにもかもが ジャイアントな町だ。
真珠の養殖も 漁業も盛んで バラマンデイー、サーモン、泥カニがとれる。

このダービーの町には 有名な「プリズン トリー」がある。
囚人の木とは、アボリジニーの囚人を 繋ぎとめておいたバオバブの木のことだ。よくオーストラリアの観光ガイドブックに 写真があるので、見覚えのある人も多いだろう。
これは、130年も前の頃、白人入植者たちが クヌヌラやホールスクリークやフィッツロイからアボリジニーの若者を誘拐して、ここまで歩いて連れてきたところで、鎖でつないだ木だ。こうして奴隷としてつれてこられたアボリジニーの若者達は ここからボートに住まわされて、真珠を取る為に強制労働させられた という。こうしたアメリカ南部の奴隷制度と同じことが ここでも1880年代まで行われた。首に縄を巻かれ、何十人ものアボリジニーの若者達が数珠繋ぎにバオバブの木につながれている 痛ましい写真が木の横に展示されている。

入植者がやってくる前のオーストラリアには 100万人のアボリジニーが住んでいた。それが 過酷な入植者たちの「開拓」と「文明化」のために アボリジニーの人口は6万人にまで減少した。現在人口は35万人にまで回復したが、アボリジニーが 入植者と同等の人権を認められ、公民権を持ったのが1962年。アボリジニーの平均寿命は ノンアボリジニーの平均寿命より「17年」も短い。この差がなくなるまで、この国に平等はない。

ダービーからブルームに向かう。
その途中で 携帯電話がメッセージ受信のベルを鳴らす。感激。
ダーウィンを過ぎてから 12日間旅を続けてきて携帯電話もインターネットも通じなかった。したがって、娘達の消息もわからないが、私たち老夫婦がどこで彷徨っているかを 娘達に伝えることが出来なかった。険しい山々のキンバリー地区から 一挙に観光地ブルームに到着したのだ。携帯電話にたくさんのメッセージが届いていた。何という文明の恩恵、そのありがたさ。
自分の家から私のところに留守番に来てくれて 猫のめんどうを見てくれている娘の報告を聞く。我が家の気難しい 家出経験のある黒猫クロエと、他にアパートの軒下に住み着いた2匹の捨て猫たちを4月から面倒見てきたが これら全部の猫たちを、仕事で忙しい娘が世話してくれている。みんな元気と聞いて ほっと安心。
地の果てのようなキンバリーまで来て、雄大な自然に感動しながらも 携帯電話なしに 生活することが不安な自分のちっぽけさ。

ブルームは人口15000人。真珠の街だ。
日本と最も縁のある場所。ミキモト真珠はみんな この島からきている。世界中の真珠の85%がここで取れる。真っ白な砂の海岸、インド洋に沈む大きな太陽。10キロも続く白い砂のケーブルビーチには 年間250万人の観光客が訪れる。
世界のトップ5ビーチのひとつだそうだ。
長旅に 咽喉が渇いた。
今日もビールが美味しい。

写真1,2は囚人の木。3はブルームの真珠産業に貢献した日本人の記念像

2010年10月4日月曜日

キンバリー フィッツロイのゲイキ渓谷




西オーストラリア キンバリー地区のアウトバック、ホールスクリークからまた別のアウトバック タウン:フィッツロイに向かう。400キロメートルの距離。キンバリー地区は 厳しい気候による土壌の浸食によって 古代から切り立った山岳地帯が多い。北部の峡谷地帯では 無数の岩山が聳え立ち 土壌がラテライトで占められるので雨期には 水がたまり交通不能になる。

一本道のハイウェイの両側に広がるのは 赤い土と青い空。走っていて、行けども行けども サバンナというか、砂漠ともいえる赤い不毛な土壌に、ユーカリの木々、数え切れないほどのターマイト(シロアリ)のアリ塚が続く。そこにバオバブの木が あちこちに立っている。ユーカリの木もバオバブの木も 水のないところに平気で自生する。バオバブは 幹が地面近くの下に行くほど太くなる。たくさんの葉をつけているものもあるし、まったく裸のバオバブもある。来月には、もう雨期になる。雨が降り出したら 新しい葉をつけるのだろう。

ターマイト(シロアリ)の巣はキンバリーの旅行が始まった日から 目に付いていた。赤土が盛り上がって どれもその形が異なるのだが 高いものは1メートルを越す。中では社会性を持ったアリ達が 一匹の女王の為に生き 戦い、子孫を増やしている。新しい巣は赤土の真新しい色をしているが、古い巣はもう白くなっているが ちゃんと中では女王がセッセと働きアリや 兵隊アリや 子育てアリをこき使って大きな女王専制社会を維持しているのだそうだ。

着いたフィッツロイのモーテルは、そのむかしマクシーンという名のシドニーで弁護士をしていた女性が牧場主と恋に落ちて住み着いた家だったという。1886年のことだ。牧場主は スコットランドからの移民ウィリアム マクドナルド氏だ。二人して人里離れたフィッツロイで牧場を始めて事業を成功させ 現在ここ一帯の土地は すべてこの家族のものだ。牧場を始めるにあたって、ニューサウスウェルス州から数万頭の牛を 10ヶ月かけてこの町まで移動させたのが 始まりだそうだ。美しいフィッツロイ河があり、雨期には一帯が洪水になり 後で栄養分の富んだ牧場地になる。フィッツロイのモーテルには ウィリアムとマクシーンの写真や肖像画が所狭しと 飾られていた。

モーテルを出て、ゲイキ渓谷に向かう。フイッツロイ河の豊な水が 切り立った岩山を切り裂いて その間を流れている。350キロメートルの両側ライムストーンの山々に囲まれた渓谷をボートで見る。これで渓谷をボートで見るのは5つ目だ。北部準州キャサリン渓谷、キンバリーのクヌヌラでオード河、エル クエストでチェンバーレイン渓谷とエマ渓谷を、そしていまゲイキ渓谷を見ている。どれもそれぞれ 趣きのある渓谷だ。ゲイキ渓谷が一番おだやかな渓谷といえる。両側の絶壁も岩壁も他の渓谷に比べると それほど高くない。豊かな水、鳥や魚が多く、ヒルギ林が茂って緑が多い。

ダーウィンから旅をしてきて11日目。 ひどい喘息持ちのオットが シドニーでは 吸入器を持ち歩き その肥満体と関節炎と喘息で100メートルと歩けない。それが旅を始めてから 一度も喘息発作を起こさず、他の旅行者と一緒に名所から名所へと、よく歩いている。よくやっていると思うが、褒めると調子に乗るので叱咤激励、鬼の監督を続けている。

モーテルのレストランで 他の旅行者と会話するのも楽しみのひとつだ。ドイツから来ている30代のカップルは アリススプリング、エアーズロックから ダーウィンのカカドウ国立公園を2週間かけて見てきたあと キンバリーをまた2週間旅行している。キンバリーのあとは パースからアデレードまで先を旅行する予定だそうだ。ドイツの「すずしくて ここち良い夏」から いきなりオーストラリアの灼熱の世界に飛んできて冒険旅行に魅惑されている、と言う。

スコットランド人の二組の夫婦は、奥さん同士が中学校で仲良しだったが 片方がオーストラリアに移民してしまった為 数年に一度ずつ 同じツアーを申し込んで 一緒に旅行して旧交を温めているのだという。ウィットに富んだ とても素敵な老夫婦だ。オランダから来ている二組の夫婦、イングランドから 別の2人組、南アフリカからも。
みな「常識」というものが 年寄りの間でしか常識でなくなってしまった現代のなかで、礼儀正しく、何かちょっとした手違いで嫌なことがあったり、待たされたりしても、決して文句を言わず ユーモアで乗り越える 大人の生き方の できる人たちだった。サービスが悪いとすぐ怒ったりする日本人の大人げのないマナーを思い出すと、まことにヨーロッパ人は立派だと思う。
今日もビールが美味しい。

ゲイキ渓谷の はじめの写真で中州の岩の上に、ワニの子供が居る。

2010年10月3日日曜日

キンバリー10日目 ホールスクリーク




アーガイルダイヤモンド鉱山から350キロメートルの距離を走る。着いたところは ホームズクリーク、アボリジニーの町だ。
1885年に金が発見されて 牧畜ばかりでなく鉱山として栄え、ゴールドラッシュで、一挙に人口が増えた。今は人口4000人。


町に行く途中に、「チャイナ ウォール」という奇観をほこる名所がある、と言うので行ってみた。なるほど1000メートル近い岩壁の先端だけが白くギザギザになっていて、切り立っている。それが見ようによっては、中国の万里の長城に見える。岩岩の白い先端は、クオートストーンで、自然に山の侵食をくりかえすうちに、露出したものだという。カメラに収めて 険しい岩壁と砂漠のなかの ちいさな町に戻る。

ホールスクリークの町は よく整備されていて、学校も職業訓練校もある。小学校には25メートルプール、病院、スーパーマーケットもあるし、パブも2軒ある。
公園は広々としていて、ヴィンセント イヤーリの銅像が誇らしげに立っている。彼はアボリジニーの英雄。アボリジニーの公民権獲得のために大掛かりなストライキを戦いとって、キャンベラまで行って アボリジニーの人権抑圧を訴えた人だ。となりには、金鉱で、昔使われていた掘削機や蒸気によるピストンなどが、展示されている。木陰には アボリジニーの老人達が座り込んで のんびりしている。

今までオーストラリアの北端ダーウィンから西オーストラリア州キンバリーをリ旅行してきて、ホールクリークは いちばん「アウトバック」といわれる 文明のどこからも一番遠い、田舎の過疎地だ。しかし、ここのモーテルで出された食事が一番 本格的な料理で、それが今までに無く とても美味しかった。オーストラリアはイギリス人の移民で出来た国だから、料理には何も期待できない、と言う事実が常識だ。肉は焼くだけ、野菜はクタクタに茹でるだけ。生ぬるいビールと砂糖の乗った馬鹿でかいケーキのデザート、これが典型的なオージーデイナーだ。

このモーテルのレストランは、まず外見からしてファンシー。赤一色の壁と椅子とテーブル、テーブルナプキンまで深紅。壁にはジェームス デイーン、フランク シナトラ、マリリン モンロー、サミーデイヴィス ジュニアなどの写真が一面に飾られ、ジュークボックスには、プレスリーが、、、。
ビュッフェの料理は チキンのパイ皮包み、薄切りビーフのレバーロール、ビーフストロガノフに、ポトフー、野菜もサラダが5種類選べる。ケーキは昔々おばあちゃんが焼いてくれた硬いパンプキンケーキの砂糖乗せ とかいうのじゃなくって、柔らかくて甘すぎない上等のマンゴーケーキとチョコレートケーキだった。久しぶりの料理された料理に 大満足。どんな田舎にも、ハリウッドファンは居る。そしてファンシーな趣味、良いテイストをもった人たちはいるものなのだ。

翌朝、職業訓練学校を覗かせて貰う。
40人の若い人たちが ここで職業訓練を受けている。ビジネスコースと鉱業コースとがあって、将来ダイヤモンド鉱山や その他の鉱山で働く人を育成している。アートコースもあって、見学を許された。たくさんのアボリジニーの絵画や 壁飾り、ガラス細工などの作品が無造作に積み上げてある。3-4人の生徒が キャンバス ペインテイングを製作中だった。
作品を交渉次第で購入することもできるかもしれない と聞かされていた。若い生徒達に絵画を教えている年配の女性の説明を聞いて 彼女自身の作品を見せてもらった。なかで、赤い土色に、湖を描いた絵が とても気に入った。絵の値段を聞いてみたら 300ドルという。財布を探ってみると 手持ちは200ドルとコインだけ、、。失礼を承知で、「あなたの絵が欲しいけれど これしかない。」と言って財布を見せると 彼女 優しい笑顔で、持って行きなさい と絵を包んでくれた。

絵は赤土の大地に5つの湖がある。ここがわたしの生まれたところなのよ と、穏やかな笑顔で説明してくれた。年のころなら60くらいだろうか。THELMA MOGINTY という彼女の名前が表の絵の下にサインされている。アイリッシュの苗字を持っている。アボリジニーの子供達の多くは キリスト教育を施すために 子供の時に白人家庭や教会施設に入れられて 実際の親と引き離されて育った。そのためイングリッシュネイムをもつアボリジニーが多い。
とても細かい 手の込んだ 時間をかけて描いた作品だ。アボリジニーの絵を その本人から手に入れることができた、ということが とても嬉しかった。一緒に見学した人たちから 買ったばかりの絵を見せて、見せて と請われて、うらやましがられる。他の人たちは アートクラスのマネージャーを通して絵や作品を買おうとしたが 高価な値を言われて 買うことが出来なかったそうだ。わたしが、クラスに中に入っていったとき、絵を売ってくれた人と目が合って、自然と彼女と会話ができたのだったが、そうして絵を買うことが出来たのは 幸運だったようだ。とても嬉しい。うちの家宝ができた。
きょうもビールが美味しいはずだ。

写真は、1)購入した絵:オイルペインテイング 2)バオバブの木の実に彫刻:アボリジニーアート3)チャイナウォール

2010年10月2日土曜日

キンバリー アーガイルのダイヤモンド鉱山




西オーストラリア州キンバリー地区のエル クエストで2日間 渓谷を見て遊んだあとは、4輪駆動のコーチに乗ってアーガイルに向かう。グレートオーシャンハイウェイを320キロメートル。世界中のダイヤモンドの35%を採掘している アーガイルダイヤモンド鉱山を見る為だ。このアーガイル ダイヤモンド鉱山は リオ テイントが所有している。そしてリオ テイントの最大株主は エリザベス女王だ。

鉱山の3時間見学コースと いうのに 50人の見学者とともに入った。 皆オージーだが、鉱山の見学に興味深々だ。厳重な警備をしている山の入り口で、案内役のアボリジニーの青年が 私たちの乗ったバスに乗り込んできて、案内してくれる。
とんでもなく大きな敷地に7台の大型トラックが 山を削って掘って採掘した鉱石を運び出している。ダイヤモンドは 16億年も昔 火山によって、噴火して急速に冷却した鉱物が固まったもので、1980年から掘り始めて、もうすでに7千800万トンのダイヤモンドを掘ってきたそうだ。現在400キログラムの掘った岩にひとつの割合でダイヤモンドが採掘されている。20キロから30キロほど 地下を掘って 出した鉱石をテニスボール大に砕いて ベルトコンベアーに乗せ センサーを通じてその硬度から、ダイヤがあるかどうか 調べるのだそうだ。年間7トンのダイヤモンドが採掘されている。

働く人は皆 1日12時間 シフトワークで、それを2週間続けて、2週間休むことが出来る。鉱山が人里離れたところにあるので、ワーカーは みな寮住まいだ。2週間1日12時間労働をしたワーカーは 寮を出て、2週間実家に帰って休養する。
2020年には この鉱山は操業を止めて 掘ったところは人口湖にして、土地を自然に返すのだそうだ。
採掘されるダイヤモンドのうち 75%は産業用で、残りが宝石になる。この鉱山では シャンパンカラーといわれるイエローダイヤモンドと、世界でも極めてまれなピンクダイヤモンドが採掘される。装飾用イエローダイヤモンドは インドに送られ、ピンクダイヤモンドはパースに送られて、削ったり カットされたり磨かれたりするという。いまは、ピンクダイヤモンドが一番人気があって、価値も高いそうだ。

見学と説明が終わると どうぞご自由に、と職員食堂に通される。ホテルのビュフェスタイルの食堂でセルフサービスだ。コールドサラダはローストビーフやチキン、シーフードサラダなどがきちんと並んでいるし、メインの肉も魚も何でもある。コーヒーは エスプレッソもカプチノもあって、果物も豊富。みんなはしゃいで、さっそく食べ始める。オットは 脂ぎったベーコンや肉に齧り付いている。肉食人種だなあ。
アイスクリームが 20種類も並んでいるのを見つけた。「わー、ヴァニラもクッキー入りアイスも チョコレートクラッシュも、ラム入りも、ナッツ入りも、カフェオーレ味も、イチゴシャーベットも、メロンも、バナナも、レモン味も、わー、マシュマロ入りも、わーわーわーマーブルチョコをトッピングできるよー。」と、思わず うれしくて叫んで、全部の種類を大きなどんぶりに一口ずつよそっていたら、他の人たちも寄ってきて、同じことをする人の群れで 長い列ができた。50人の見学者たち、全然可愛くない、お菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルになっってしまった。

こうして設備の整った寮、申し分のない食堂、清潔な職場を見学すると とても良い職場だな、と思うが 働いている間中 モニターで監視され、自分の自由がない2週間ごとのシフトワークは 私には無理かもしれない。セキュリテイーガードは 6ヵ月毎に 全く新しい人に入れ替わるそうだ。癒着とか汚職とかをなくす為らしい。
24時間操業、12時間シフトということは、今でも この建物で、誰かが寝ている訳です、と言われてしまうと 宝石展示室を見ても、あれがいい、これがいいとか、大騒ぎ できなくなってしまった。食べ終わったあとの見学では、急に静かになる私たち、、、。

いま旅行しているキンバリー地区のキンバリーは、南アフリカのダイヤモンド産地のキンバリーに地形や景観が、似ているから ついた名前だそうだ。見せてもらったダイヤモンド鉱山は 2020年に閉山されるそうだが、探せば まだまだ近くからダイヤが出てくるだろう。近くの油田からは 原油が採掘されているし、沖合いからは天然ガスの採掘も見込まれている。ニッケル、亜鉛 ウランなど キンバリーには探せばいろいろまだ出てくる可能性に満ちている。キンバリー地区は 古い大陸だけに、宝ものでいっぱいだ。
今日もビールが美味しいだろう。