2009年1月26日月曜日

映画「ワルキューレ」







かつて日本軍は 第二次世界大戦時 オーストラリアを何度も攻撃して多大の被害を与えている。わかっているだけでも、1942年2月19日のダーウィン攻撃で約250人の死者、2月29日のブルーム爆撃で民間人約70人の死者、同年5月31日には 特殊潜航艇がシドニー湾に侵入、魚雷でフェリーを沈めて21人死亡、6月8日潜水艦がニューカッスルを砲撃している。 それ以外にも シンガポール陥落などにより日本軍に捕虜になったオージー兵を日本軍はビルマ鉄道建設などの労働を強制し8000人の捕虜が炎暑と厳しい強制労働で亡くなっている。

戦後のオーストラリアにとって 日本人旅行者は 一時は年間80万人にも達し、日本人は 気前良くお金を落としてくれる上客だ。しかし、この国の人々は 被害者側だから、日本人をいまだに好戦的な軍人国家のイメージで捉える人は多い。歴史の浅い この国の人々にとって 国を守る為に 戦争に行ったベテランと呼ばれる退役軍人は 国の誇りだし、国のアイデンテイテイーの元になっている。

仕事先で ゴリゴリの保守国民党支持の年配看護婦に 戦争中わたしの家族は何をしていたのか 聞かれたことがある。私の父は病弱な大学院生だったから学生をしながら、高校生のために教壇に立っていたけど、大叔父と叔父は リベラリストだったので政治犯扱いで刑務所に入っていた、と答えたら、看護婦は「日本にも戦争に反対する人は居たのか、信じられない。」といって、とても驚いていた。
どの国にも どんな状況でも 立場、職業、年齢、男女の別なく 戦争に反対する人々はいた。当たり前だ。

トム クルーズの映画「ワルキューレ」を観た。原題「VALKYRIE」。英語読みだと「ヴァルカリー」。
ワルキューレとは、ワーグナーのオペラの題名だ。芸術に広い知識をもっていたヒットラーが ナチの さらなる対外膨張政策のために 予備軍を前線に送り出す為の作戦につけた名前だ。この作戦の予備軍を利用して 軍隊内でクーデターを起こし SSを拘束し、戦争を終結させようとしたのが クラウス ボン スタフェンベルグ陸軍少佐だ。あれだけ強力な権力を欲しいままにしたヒットラーを爆死させようとして、失敗、銃殺された。ドイツの国民的英雄といっても良い。

ストーリーは
スタフェンベルグ陸軍少佐は、アフリカのチュニジア戦線で、爆撃にあい負傷し、片目と右手の指を失って、前線から帰ってくる。時に36歳。呼び戻されたベルリンでは 連合軍によって 空爆が始まっており、妻や3人の子供達と会っている余裕もない。

ヒットラーはワルキューレ作戦によって、戦争を拡大させようとしていた。これの歯止めをかけようと、トレスコウ陸軍少将を中心に秘密組織ができていた。スタフェンベルグもメンバーとなり、ヒットラーの暗殺を計画する。彼らは、SSの拘束と解体、アウシュビッツなどユダヤ人強制収容所の閉鎖、ユダヤ人の解放、連合軍との停戦交渉を、考えていた。入念に準備をしてヒットラーの主催する戦略会議場を爆破するが、爆弾の威力に欠けた為 ヒットラーの暗殺は失敗する。爆破が一応成功したため、暗殺が成功したと思い込んで、クーデターを起こした新軍指導部は、ことごとく処刑された。映画は 彼の銃殺刑による死で終わる。

スタフェンベルグは、ロイヤリストで愛国者の軍人だったが、ヒットラーの一党独裁に反対した。彼らの計画したヒットラー暗殺が、成功していたら、第二次世界大戦は もっと早く終結していただろう。ナチ独裁政権に反対して殺されたドイツ人1万6千人。軍法会議で死刑と言い渡され処刑された ドイツ人レジスタンス3万人。このなかには、ミュンヘンのハンス ショールとゾフィー ショール(1943年処刑)も居る。ゾフィーについては、ここで、2006年8月17日の映画評「白バラの祈り」で、述べたことがある。
これらの記録は ベルリン近郊にドイツ反戦記念センターに保存されている。 センターには 毎年10万人の訪問者があるそうだ。
歴史的事実は私達に、どんなに強力な恐怖軍政を布いても 人々の意志を捻じ曲げることはできない。人々の良識は 暴力の力よりも強いからだということを、教えてくれる。
ドイツ軍というと、悪の権化みたいに 悪魔のように扱われているが、スタンフェンベルグのような軍人もいたし、徴兵の拒否して公開で首をはねられたフランツ ヤゲルスタッターのような純朴な農民もいた。忘れないで居る ということが、とても大切だと思う。
アメリカ版の映画、スタフェンベルグに、ドイツからは、自分達の英雄を ハリウッドアクションとして 扱って欲しくない という批判が集中しているようだが、このような形でも、若い人々が知らないことを知る機会になるならば、良いと思う。トム クルーズは、実際の36歳のスタフェンベルグより年を取っているくせに いつまでも子供みたいで、高い声を出して、貫禄に欠けるけれど。

彼が ワルキューレ作戦の書類のサインをもらいに、ヒットラーを避暑地に訪ねていくが、そのオーストリア ザウスブルグの山荘(イーグルネスト)を 娘とヨーロッパ旅行したときに見てきたばかりだ。山々の頂上に立つ、絶景を観ながら 暖炉の前でジャーマンセパード犬をなでているヒットラーが、実際に見てきた記憶のなかで、一致する。こんなシーンひとつみても、この映画、よく歴史の考証をしているように思える。
観てよかったと思う。