2025年5月6日火曜日

ベトナム戦争終結50周年

先日、ベトナムでは終戦50周年を祝う、国を挙げての祝祭が行われた。
20年にわたる民族解放戦争(1955-1975)のために、300万人のベトナム人、31万人のカンボジア人、6万人のラオス人が命を落とした。米軍の落としたナパーム弾、クラスター爆弾、枯葉剤ダイオキシン散布が繰り返され、ベトナムの土地は焼き尽くされた。

また58220人の米軍兵も命を落とした。そして戦後20万人以上の戦争のトラウマによる自殺者も米国は記録したといわれている。ベトナム戦争当時、米国も連合軍のオーストラリア、ニュージーランド軍、韓国軍にも徴兵制があった。若者は望む望まないに関わらず戦場に送られたのだ。

1975年4月30日サイゴン陥落に伴い、米軍連合軍撤退後、豪州のマルコムフレイザー首相は、9万人のベトナム人難民、12万8千人のカンボジア人を豪州に移民として迎い受けいれた。
オペレーションベビーリフト(operation baby lift) という言葉がある。米軍撤退によりベトナムに残された米国人との混血児の赤ちゃんが3200人余り、小さな靴箱に入れられて、軍用機に載せられて、米国と豪州に送られた。そのうちの1人、リーダイ氏は、豪州でいま下院議員になっている。

1968年に大学に入って、大学入学1日目からまっすぐ街に出て敷石を割りアメリカ大使館に向かってぶん投げる日々を送った。それはアジアの市民として、ベトナム解放戦線に連帯する、ごく当たり前の行動だった。デモで逃げ遅れ機動隊に囲まれて蹴られ、殴られ、盾でぶっ飛ばされたり、毎晩鉄筆でアジビラを書いたり、小さな諍いで停学をくらったりしたが、この世代の誰もが同じような経験をしていたと思う。
30年前に豪州に移住して、ベトナム戦争時、反戦運動で逮捕され収監されたことのある同年輩の人と話したが、日本で学生が受けた警察権力による弾圧など比べられないほどの弾圧を彼は受けていた。徴兵拒否は、即「国賊」扱い。国民として許されない反政府で卑怯者として警察署でも、監獄でも権力者からもおなじ受刑者からも暴力を受けたそうだ。釈放された後も国賊、共産主義者のレッテルを張られ、尾行され、電話盗聴され、手紙や交友関係までずっと監視され続けたそうだ。
国はそれほど共産主義者に寛容ではなかった。
マルコムフレイザーのような、ベトナム難民や混血児受け入れに積極的でも「国防」とは別の話なのだ。

この5月3日豪州では下院総選挙が行われた。現、労働党党首アンソニーアルバニー二首相が再選された。定数150のうち現在カウントされたところで89議席を確保して労働党単独政権をもつことになる。
対する保守連合の自由党は40議席、党首ピーターダットンは警察出身で、なにをとち狂ったか、原子力のゲの字も関係なかった豪州にクリーンエネルギーのためと称して原子力発電所を全国7か所に建設してエネルギー消費に備える、と言い出した。豪州歴史上今まで誰も言わなかった、何の根拠もない原発を言い出した自由党に、国民が正気に戻って「NO」を投票で示したことは、全く正しい。もし自由党が選挙で勝っていたら、この男が首相になっていた、と思うとぞっとする。2度と豪州で原発などというタワゴトを言い出す輩が出てこないことを祈っている。