2024年6月27日木曜日

祝!ジュリアンアサンジ釈放!

とうとうウイキリークス創始者ジュリアン アサンジが英国ベルワーシュ刑務所を出て、オーストラリアに帰国した。これほど、うれしいニュースはない。
ケビンラッド元豪国首相,現在米大使、ステイーブンスミス元閣僚、現英国ハイコミッショナーと弁護士に伴われて、オーストラリア政府が用意したプライベートジェットでロンドンから、米国で一番離れたところにあるマリアナ諸島サイパン島の米国裁判所で、米国の機密情報を公開した罪を認め5年実刑を言い渡され、すでに5年以上の刑を済ませていると判断されて釈放された。

彼の釈放のためにエクアドール前政権、キャロラインケネデイ―在豪米国大使、独立党下院議員アンドリューウィルキー、グリーン上院議員ピーターウィルシウィルソン上院議員などなどの助力も大きかったが、エクアドール大使館での7年間と、ロンドン刑務所での5年間を支えた妻と、ジュリアンの親兄弟の努力は並大抵のことではなかっただろう。
ジュリアンの故国到着にあわせて、記者会見に応じたアルバニー二労働党首相は「オーストラリア政府はオーストラリア国民を守る義務があり、私はするべきことをしただけだ。」と述べた。一貫して彼を支援してきたアンドリューウィルキー下院議員は、「ジュリアンはジャーナリストとして事実を伝えると言う当然の仕事をしただけで、酷い犠牲を払ってきた。これを繰り返してはならない。」と述べた。

2006年ジュリアンは、ウィキリークスを始めてから、米国のイラク、アフガニスタン戦争での米国の不正、謀略、違法な暴力を次々と公表、米軍極秘のドキュメントを妨害を振り切って公表し続けた。数万数十万のドキュメントの中でも有名なのは、2016年米国大統領選で、民主党全国委員会が、ヒラリークリントンを勝たせるためにバニーサンダースの選挙運動を徹底的に妨害した事実だ。

またイラク戦争で、2007年7月、米軍がアパッチヘリコプターからロイター特派員2人を含むジャーナリスト14人を含む非武装の人々数十名を銃撃して殺した場面を撮影した映像を公表したことだ。数分前まで子供たちが遊んでいた道で、ロイター特派員らを上空ヘリから、冗談紛れに米兵たちが笑い声と共に狙い撃ちして、やった―やったぜー!と歓声を上げるおぞましいフイルムはたちまちのうちに世界中に拡散された。このときモスクに行く途中だった親子が惨状をみて怪我人を助けようとして、6歳の子の前で殺されてる。その子も後にイラク戦で命を失う。

1968年ペンタゴンペイパーでニクソンを権力の座から引きずり落したジャーナリスト、ダニエルエルスバーグも、ジュリアンのために熱心に支援していたが、彼は昨年亡くなった。
イスラエルによるパレスチナ侵略でもたくさんのジャーナリストが命を落とした。
世界中でいま500人以上のジャーナリストが、事実を報道したことで刑務所に入れられている。
ジュリアンが自分の命を削ってウィキリークスでジャーナリストとしての活動をしてきた姿は、若い人々、とくにジャーナリストを目指す人々の灯となるだろう。