夫の赴任について3年間暮らした沖縄で、この日は、幼稚園も小学校も休みなので、バスに乗って慰霊の碑を回り記念碑の前で祈り、戦争体験者の話を、膝を折り姿勢を正して聞かせてもらう、それが私たちの慰霊の日の過ごし方だった。ヤマトンチュがウチナンチュにどんな過酷なことを強いてきたか。4人に1人の犠牲者を出した沖縄戦で、ヤマトはどんなに謝罪してもしきれない。
沖縄ほど子供を大切にするところは他にない。5歳と6歳の娘を連れて移住したその日から幼稚園で一緒になるはずの近所の男の子は、自分の家のように家に入ってきて何かと子供たちの世話を焼いてくれる。おとなりは4人も元気な男の子が居て、午後になるとサータアンギ―(ドーナッツ)の揚げたてをもってきてくれる。子供たちが遠くに遊びに行っても、どこの家でも大事にしてくれるから心配しなかった。子供は閉じられたドアのなかで育てるものではない、子育ては両親だけのものではない、ということを生活の中で教わった。
娘たちはバイオリンを習い始め、私は沖縄交響楽団に入った。楽団の練習は夜からなので、娘たちを連れて行き床に毛布を敷いて遊ばせておいて、横でバイオリンを弾いていた。いまでも娘たちは楽団のトランペットのおじさんや、コントラバスのお兄さんに囲まれて、床でおままごとをしていたのを思い出すと言う。交響曲は50分くらい、クリスマスにはヘンデルのメサイヤ、2時間の演奏、子供にはとてつもなく長い時間を飽きずに静かにしていなければならないが、そんな経験がじっくり集中力を持って本を読んだり勉強する下地を作り、人格形成に役立ったのではないかと思う。2人とも すごくよく勉強して、立派な専門職に就いてくれた。
私自身もこの時の経験がなかったら、夫の沖縄の次の赴任地フィリピンで夫を無くしても、学校でバイオリンを教えて自立していくなどということはできなかっただろう。
沖縄では6月23日は慰霊の日。20万人もの人の命が失われた鎮魂の日。沖縄でお世話になった方々に感謝をこめて、心を込めて祈りたい。
「島唄」を歌ってみた。