2012年1月27日金曜日

スコセッシの映画「ヒューゴの不思議な発明」




2007年に出版されてベストセラーになった、ブライアン セルズニックの小説「ヒューゴ カブレットの発明」を映画化したもの。アメリカ映画、3Dフイルム。
マーチン スコセッシ監督、製作はジョニー デップ、グレアム キング、テイモシー ヘデイントンと、マーチン スコセッシの4人。
早くもゴールデングローブの監督賞、映像賞に、またアカデミー作品賞、監督賞にノミネイトされている。

舞台は1931年 パリ。
12歳のヒューゴは 幼い時に母と失くし、時計作りの専門技師の父親と二人で暮らしている。父はヒューゴに、時計作りや、ぜんまい機械の仕組みや動かし方を教えてくれる。それらは興味深く、特に、ヒューゴは、父が働いている博物館から貰い受けてきた壊れた機械人形を修理するのに夢中になっている。その人形は修理したら、手にペンを持って、絵を描くことが出来る精巧な機械人形だった。父は、休みになるとよくヒューゴを映画に連れて行ってくれた。

そんな幸せな日々が 突然父の事故死によって、壊されてしまう。ヒューゴは アルコール中毒の叔父に引き取られる。パリ駅の中の大時計の管理と修繕を任されていた叔父と一緒に、ヒューゴは、パリ駅の時計塔のなかに住むことになった。叔父は一通り大時計の修理をヒューゴに教えて、仕事を任せてしまうと サッサと自分は飲みに出かけて二度と帰ってこなかった。ヒューゴはそのまま時計塔に住み、駅の売店から食べ物を盗み、公安警察官に捕まらないように逃げて暮らすことになった。捕まったら孤児収容所に送られてしまう。

父から貰った機械人形の修理は完成しつつあり、再び動き出したら何を描いてくれるのか、早く見てみたい。たった一つのハート型の鍵さえ見つかれば、もう完全に修理が仕上がった。そんなある日、ヒューゴはハート型の鍵を首から下げている少女に出会う。
少女イザべラの両親はなく、おじいさん夫婦に引き取られて暮らしていた。少女と友達になったヒューゴは イザべラのハートの鍵を 機械人形に差し込んでみると、人形が描き出したのは、無声映画の「月への旅」のポスターだった。それは月面に人間が乗ったロケットが突き刺さる映画のシーンで、ヒューゴにとっては 父親と一緒に見た思い出の深い映画だった。
その機械人形が どのような経過で父のもとに来たのか、ヒューゴはどうしても知りたくて イザべラと一緒に探索が始まる。
そして、二人がわかったことは、、、。
というストーリー

監督:マーチン スコセッシ
製作;ジョニー デップ
原作:ブライアン セルズニック
キャスト
ヒューゴ   :エイサ バターフィールド
ヒューゴの父 :ジュード ロウ
イザベル   :クロエ グレイス モリッツ
公安警部   :サッシャ バロン コーエン
ジョージ マリエス:ベン キングスレー

映画史を少しでも齧ったことのある人なら、ジョージ マリエスという偉大な映画人が、1902年に製作した「月への旅行」(LE VOYAGE DANS LA LUNA)というフイルムで、人の顔をした月にロケットが突き刺さった有名なポスターを見たことがあるのではないだろうか。今から110年前のことだ。
それまで、フイルムは2分程度のニュース報道しかなかった。その時代に、ジョージ マリエスは 14分の白黒、無声映画を作った。これが、サイエンスフィクションの始まりであり、輝かしい映画史の最初の1ページだった。

舞台俳優で奇術師でもあったジョージ マリエスは 自分でスタジオを作り、役者を集めて 撮影用のカメラを作り、映画監督、製作、指揮をとり、自分も主役を演じ、プロモーションから売り込みまですべて一人で行った。
1902年に人が月にロケットで行き、月の原住民と交流し、拘束されるところを寸でのところで逃げて帰り ロケットは海に墜落、無事にパリに戻ってくる大冒険を、月のことなどまだ 良くわかっていなかった時代に映画化した。彼は 人々の想像力をかきたて、事実ではないファンタジーの世界を映像で描き出した偉大な先駆者だった。人々は彼のフイルムに夢中になって、熱狂した。初めて蒸気機関車が走ってくるフイルムを見ていた人々は機関車が近付いてくると 自分が機関車に轢かれてしまうと思って 劇場で逃げ惑った という。今までになかった 映画という全く新しい娯楽が登場したのだ。
その後、マリエスは 何百本もの映画を製作する。

この映画はジョージ マリエスを描いた映画でもある。ただの少年少女冒険物語だと思って、観たが全然違った。全然子供のための映画ではない。映画が好きで好きで 大好きな人のための映画だ。
「映画は人々の夢をつくるんだよ。」というジョージ マリエスの言葉は、そのままこの映画を作ったマーチン スコセッシの思いだろう。

映像が素晴らしく美しい。セピア色の世界だ。
1931年のパリ駅に交差する人々、大時計の中の巨大なぜんまい、公安警部と花売り娘のロマンス、年寄りとカフェの女との出会い、駅のカフェで演奏するバンドのおしゃれな音楽家たち、犬を連れ歩く女、ジョージ マリエスと役者達、無声映画時代の女優達、、、何もかもがクラシックで美しい。

ヒューゴを演じたエイサ バターフィールドが とても良い。「縞模様のパジャマの少年」で主演した時は、6歳位だったろうか。ナチの将校の息子が、一度は たった一人の友達のユダヤの少年を裏切った為に つらい思いをする。二度と同じ誤りをしないように この友達についていったために自分もまたユダヤ人収容所のガス室に放りこまれなければならなかった。少年の純真な心が、政治の狂信者によって踏みにじられる。大きなブルーの瞳が、曇りのない透き通る美しい心を表していて 適役だった。
その彼も、背が伸びて この映画では12歳の役をやっている。美少年すぎて、怖いくらい。これからどんな美青年になっていくのか、楽しみでもある。

マーチン スコセッシの映画といえば 1976年の「タクシードライバー」が忘れられない。デ ニーロが テロリストに走るか、と思いきや少女を売春から救い出す 街の英雄になってしまう。ほんのボタンの掛け違いで人が犯罪者になったり英雄になったりする「危うさ」を鮮やかに描き出した名作だった。
「ギャング オブ アメリカ」も、「アビエーター」も、忘れがたい良い作品だった。でも彼の作品のなかで、一番好きなのは、「シャッターアイランド」だ。3作とも デ カプリオが主演している。
「シャッター アイランド」で、男が妻を抱いて立っている。その妻の肩からチロチロと火が燃え出してきて、赤く焼けて体全体に燃え広がり、そのそばから灰になってボロボロと崩れ落ちていく。それを抱きながら悲嘆にくれ絶望するデ カプリオの恐ろしくも美しいシーンが忘れられない。こんなシーンを映像化できる芸術家ってすごい。技術力でなく、その美的イマジネーションに感服する。

この映画は、マーチン スコセッシの、映画の先駆者達への賞賛歌だ。110年前に映画を作って、自由なイメージを映像化することを教えてくれた先人達に対する敬意と賞賛に満ちている。改めてスコセッシの秀逸な映画作りの原点を見ることが出来た。
とても良い映画だ。