2010年7月6日火曜日

五嶋みどりのモーツアルトを聴く


ニューヨークを中心に音楽活動をして、南カルフォルニア大学ソートン音楽学校で主任教授を務める 五嶋みどりが2日間だけ、オーストラリアに立ち寄り、モーツアルトを弾いてくれた。とても楽しみにしていて、聴きにいってきた。

五嶋みどりは シドニーシンフォニーオーケストラをバックに、モーツアルトのヴァイオリンコンチェルト第5番と、シューベルトのロンドを弾いた。期待にたがわず 本当に深い 済んだ音。宝石のように1音1音が光り輝いている。誰にも真似ができない。天才の紡ぎ出す音というものは、こういうものなのだろう。音あわせで、開放弦を弾いた時点で、もう他のヴァイオリニストと音がちがう。
モーツアルト ヴァイオリンコンチェルト第5番、トルコ風。とても有名な曲で美しい。シューベルトのロンドは 難曲。どちらも、とても良かった。コンサートが終わって、日がたったいまでも、最初に彼女が出したときの音が 耳に残っている。

残念なことは、音響の悪いオペラハウスでコンサートが行われたことだ。オペラハウスにはコンサートホールとオペラシアターがある。程よい大きさのオペラシアターに比べて、コンサートホールは2700席、箱が大きすぎる。席数に対して建物が大きく、音がむき出しの木の天井に、拡散して やわらかい音が充分響かない。100人のオーケストラに対して、ソロイストには 高い天井から吊り下げられたマイクロフォン1本だけ。
おまけに、残念なことに シドニーシンフォニーを指揮したのが イタリア人の若い アントネロ マナコルダという人だ。僕が僕が、、、と主張しすぎた。彼の華麗なフォーム、舞うような派手な指揮のスタイルに違和感を感じる。この指揮者の経歴を見ると もともと室内楽団のヴァイオリニストだったようだ。指揮者としては10年足らずの経験。イタリアでオペラの指揮を主にしてきた人。今回のコンサートが 彼の初めての シドニーシンフォニーのデビューだそうだ。ソロイストの演奏するコンチェルトには、オーケストラの皆さんに大声で叫んでもらっては困る。お客はソロイストの演奏を聴きにきているのだから。音を控えめに 指揮はソロイストが合わせるのではなく、ソロイストにオーケストラをあわせるのが彼の役割だ。出過ぎてはいけない。

それでいてシドニーシンフォニーだけで演奏した モーツァルトの交響曲40番の音は死んでいた。何てことだろう。モーツアルトの数ある交響曲のなかで一番 輝かしいジュピターが、、、。もっと歌え もっと輝け、、、。どうして、このオーケストラが演奏してこの指揮者が指揮すると退屈な曲になってしまうのだろう。
せめて、シドニーシンフォニー常任指揮者 アシュケナージに指揮してもらいたかった。あるいは シドニーシンフォニーではなくて、実力一番のオーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)にやってもらいたかった。ACOに比べて シドニーシンフォニーは 国と自治体から団員に給料が出ている。明日、良い演奏をしなかったら客が入らず 収入なくして路頭に迷う立場に自ら追い込んで演奏活動している芸術家集団ACOとは まったく立場が異なる。30年間 ルーチンで演奏して定年退職して年金暮らしできるシドニーシンフォニーに、生きた音は 出せない。現に、この日、25年間ヴィオラを弾いてきた70歳を越える団員が、これが最後の舞台です といって花束をもらっていた。こんなことではアシュケナージを 引っ張ってきてもシンフォニーの空気を入れ替えることはできない。毎年オーデイションをして 新しい団員を入れ、古い順から首を切っていくくらいのことをしなければ良い音は出ない。

箱だけ大きくてシドニーのアイコンになっているオペラハウスは観光で一度だけ訪れて写真を撮る分には良いが、演奏を聴きに行くには世界で最低な設備だ。
オペラオーストラリアを支えてきたのは60代、70代の年寄りだ。なのに、階段転落事故が相次いで死者まで出て やっとエスカレーターがつけられたのが今年になってからだ。リフトは舞台用大道具を載せるリフトが1機あるのみ。開演前と休憩時間の 女性用トイレは ドアの外まで長い列ができる。手荷物預かりカウンターは 今回コンサート終了後40分たっても まだ引き取る人の列が並んでいた。終わっても、会場出口まで タクシーが入れないので、長い距離を歩いてサーキュラーキーまで出て タクシーを拾わなければならない。車で来た人は 駐車する前に料金を支払って入るのにも拘らず 出口が1本しかないため ノロノロ運転で駐車場からでるのに 大変時間がかかる。おまけに駐車料金が $32とは、高すぎる。なぜ、$150のコンサートを聴く為に $32の駐車料金を払わなければならないのか。 こんなオペラハウスに 10年あまり 月に一度は来て演奏を聴き オペラを観て来ている。オペラハウスの欠点をあげればきりがない。噴飯ものだ。
総じて、今回のコンサートでは 自己主張の強すぎるイタリア人指揮者と、シドニーシンフォニーの活力不足が残念だった。

しかし、五嶋みどりの独奏は本当に良かった。彼女の輝く音、ひとつひとつが よみがえってくる。本当にきれいな音だ。
みどりは11歳でズビン メタ指揮のもと、ニューヨークフィルハーモニーをバックに バルトークを弾いてデビュー 世界的センセーションを起こした。14歳のときに、タングルウッド音楽祭、レナード バーンスタイン指揮で、ソロを弾いている最中 ガット弦が切れたのに、演奏を止めることなく コンサートマスターのヴァイオリンを受け取り 演奏を続行、また弦が切れても あわてず またコンサートマスターから受け取ったヴァイオリンで独奏を弾き終えた。この英雄的武勇伝は、語り継がれ 現代の奇跡みたいになっている。

その頃、私たちは沖縄でヴァイオリンを弾いていた。幼稚園にはいったばかりの長女と、1歳年下の次女に、毎日毎日厳しい練習をさせる鬼の親だった。ヴァイオリンレッスンが厳しすぎて 小学校1年になった娘のノートに「いえでするときの もちもの」として「ハンカチ、ちりがみ、えんぴつ、おやつ、、、」とか あって、なかなか帰ってこない。逆上して探し回り、隣の家の庭に隠れている2人の娘を引きずり出して練習をさせたこともある。何で、あんなにムキになったんだろう。他にすることがなかった、、。友人も知人もいない沖縄で、本土人が孤立にあえいでいた、、。馬鹿な母親だった。娘達には どんなに謝っても 謝りきれない。

東京から沖縄へ、沖縄からレイテ島へ、レイテ島からマニラへ、フィリピンからシドニーに。いつも母娘3人 ヴァイオリンを抱えて移動してきた。しかし幼いとき習熟したヴァイオリンを 娘達が10代が終わるまで弾き続け、いろんな人に会い それなりに楽しんでくれたことが嬉しい。度重なる引越しで私たちは 環境が変わるごとに たくさんのものを失ってきた。しかしヴァイオリンを弾くという 誰もが簡単にできることではないことを持っていたことは、アイデンテイテイにも、自信のもつながったことだと思う。

五嶋みどりの母 節が育児書というか、天才ヴァイオリニストをどう育てたか、、、というようなものを書いた本を出している。弟の龍もいて、母として誇らしいだろう。しかし、その母がネックになって みどりが拒食症にどんなにか苦しんだか、ということは 本にはなっていない。

バネッサ メイも、ヴァイオリニストの母から、魔球を編み出した星投手の父親みたいな天才教育を受けて 世界的なヴァイオリニストになったが いまではお互いに憎しみ合い 楽屋に豚の生首を投げ込んだり 殺し屋を雇うほどの深刻な仲になっている。 

母と娘、、、強い絆は、互いを傷つけあう。ちょっと、ゆるいくらいの ほどほどが良いのだ。