2008年7月8日火曜日

映画「シルクロードの子供たち」




映画「CHILDREN OF THE SILK ROAD 」を観た。
オーストラリア中国合作映画
監督:ロジャースポッツウッド(RPGER SPOTTISWOODS)
俳優:ジョージ=ジョナサン リース マイヤーズ(JONATHAN RHYS MEYERS)    
    チェン=チョー ユン ファー(CHOW YUN FAT)    
    マダム=ミッシェル ヤオ(MICHELL YEOH)    
    リー=ラダ ミッシェル(RAHDA MICHELL)

ストーリーは、
1937年の中国。
日本軍の占領下にある中国に、オックスフォードを卒業したばかりのイギリス人ジャーナリスト、ジョージ ホッグ(ジョナサン リース マイヤーズ)が、赴任してきた。
当時、戦時下にあっても、外国人と一部富豪家だけの租界と呼ばれる退廃した上海(シャンガイ、SHANGHAI)の空気に飽き飽きした、ジョージは、本当の、戦争の姿を報道しようと決意して、前線の医療品を運ぶ赤十字のトラックを運転して、単身、南京(ナンジン、NANJING)に入る。

南京では日本軍による住民大虐殺が行われている最中だった。ジョージは 瓦礫となった元新聞社ビルで、隠れて記事を書き、虐殺の模様を写真に撮る。そこを、日本軍に逮捕され、写真を撮った罪で 処刑されるところを、コミュニストのゲリラに救命される。隊長のチェン(チョー ユン ファ)に出会い、ジョージとチェンとは、親友となる。

日本軍の圧政下、国民軍勢力と、チェンらのコミュ二スト紅軍とが入り乱れ、行き場のないジョージは、紅軍と行動を共にしていたオーストラリア人の赤十字看護婦 リー(ラダ ミッシェル)に紹介された孤児院にたどり着く。破壊された古い学校には、60人の男の子ばかりの孤児が住んでいた。ジョージはたった一人の大人として、孤児たちのシラミだらけの体からシラミ退治をし、学校をきれいに整頓し、清潔な服を着るように指導する。執拗に反抗を繰り返す年長の孤児を巻き込んで、畑を耕す。

町に住む富豪マダム ヤンは(ミッシェル ヤオ)は大規模な貿易商を経営しているが、麻薬の売人も している。彼女のささえによって、孤児たちが作った野菜を、米に替えることができて、やっと生活の基礎ができる。壊れた発電機を修理して電気を点し、ジョージは英語を少年達に教える。

しかし、ここにも日本軍が町にやってきて、学校を兵舎として接収し、少年達を兵として受け渡すように 要求されて、ジョージは 夜の闇にまぎれて、60人の少年達を連れて 安全な避難先を求めて、出発する。 数百マイル先の 四川省を越えて、ゴビ砂漠を越えて、重慶(ションクイン、CHONGQING)の先、LUZHOUというところまで、避難して、古い寺院に落ち着く。しかし、ジョージはここで、小さな怪我から破傷風にかかって、亡くなる。と言うお話。

本当にあったことだそうだ。
地図で見ると なるほど雪の山々を越え、ゴビ砂漠を越えて、万里の長城の西の果てまで、大変な距離だ。 これを、歩いて、少年達と、走破した努力は並みではない。ジョージが死ぬ前に、破傷風患者独特の硬直した口で、ふりしぼるように、僕は運が悪かった、本当に運が悪かった、と、言う姿が哀れだ。本当にジョージは死を前にして、無念だったろう。 オックスフォードを卒業したばかり、戦争の現場から、戦争の本当の姿を世界の伝えたい真正直で エネルギーにあふれた青年の生と死の物語だ。60人のシラミだらけで、無法化した孤児院で、まともに攻撃してくる年長グループに、傷だらけにされながら、年少者のために シラミを退治し、黙々と部屋を整頓し、畑を作る。若いが教育者そのものだ。

ある意味で、イギリス人でオックスフォード出身でなければできなかっただろう。昔から、イギリス階級社会では、エリートのケンブリッジやオックスフォード出身者は 国の中枢機関に直接入るか、インドなど国外で外交を経験することが出世の道だった。イギリス人の冒険家 探検家精神は、7つの海、6つの大陸を支配下に入れたいイギリス人のエリート意識の表出、一種独特の国民性といえる。

それにしても己の正義感に従ったために、日本軍圧政下の中国で、60人もの孤児を連れて避難先を求めて、中国の西の果て、国境近くまで徒歩で走破することになった青年の志は、本当に死ぬまで変わらなかった。立派な人だ。

監督は述べている。 この実際にあった出来事を映画にしようと、6ヶ月、撮影場所を探して旅をしている間に、ジョージ ホッグのことを、しっかり憶えている 沢山の当時の孤児達に出会った。これが映画をどうしても仕上げなければならない、という決意を固めるきっかけになった。

2時間20分の大作。
中国奥地の山と河が例えようもないほど 美しい。カメラマン:ZHAO XIAODING.
映画の最後に出てくる、当時の孤児たちの笑顔がとても良い。