「揚子江は海のような大きな河だからね。イルカもいるし、鯨もくるんだよ。潮を吹きながら川面から飛び上がったり 沈んだりする姿は それはそれは美しい光景だったよ。」と叔父から子供のときに聴かされた。そんな大きな河を見ながら育った叔父は なぜか他の 東京で育った叔父や伯母達に比べて 心の大きな、広い知識をもった 雄大な人だったような気がする。
長江は 揚子江とも言うが、中国で一番長い大きな河だ。その上流地域で四川省奉節県から延びる3つの峡谷を、三峡という。長江をはさんで、両岸が切り立っていて 景観が良い。この地方に生息していた猿は、独特のつんざくような激しい鳴き声をたて、それがこだまして幾重のも重なる山々の間を縫っていったという。
李白
早発白帝城
朝辞白帝彩雲間 朝に辞す 白帝 彩雲の間
千里江陵一日還 千里の江陵 一日にして還る
両岸猿声啼不住 両岸の猿声 啼いてやまざるに
軽舟己過万重山 軽舟 すでに過ぐ 万重の山
朝早く 朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて 三峡を下り
千里も離れた江陵の地に たった1日で帰って行く
その途中、両岸の猿の鳴き声が絶え間なく聴こえていたが、
その声を振り払うように私の乗った 小船はもう
幾重にも連なる山々の間を通り抜けていた。(石川忠久 訳)
25歳の李白が始めて故郷を出るときの 感傷的な歌だ。
世界最大の水力発電所が この長江(揚子江)を堰き止め、三峡をつぶして造られている。200万人の家庭が 水の底に沈んだ。プロジェクトは1994年に始まり、2011年に完成する。すでに200万人の家や土地やその生業を失った人々は 政府の指導に従い 移住先に移っていった。政府はそれを、沢山の人の為の 小さな犠牲と称した。
せき止められ沈んでいく3つの美しい渓谷は、李白のいた昔から景観地だ。今や、ダムのために沈んでいっていって、失われていく「古き良き中国」を見せる為に、観光客が呼び寄せられている。10人程度の観光客を乗せた 手漕ぎボートから、バーやレストラン完備の豪華客船まで、海外からの観光客を乗せて遊覧している。その客船の名は、「FAREWELL CRUISE」昔の中国への「お別れ航海」だ。澄んだ水、山々の美しさ、、、にも関わらず、すでに、水からは 白い靄が湧き上がり、遠くの空は かすんでいる。開発によるスモッグだ。 中国の近代化は 世界への均一化であり、3000年の歴史も伝統も人々の優しさも すべて飲み込んで 何の特徴もない都市造りに向かっている。
映画「UP TO THE YANGTZE」を観た。邦題は、まだわからないが、「揚子江を上る」か。 このドキュメンタリーフィルムは カナダ生まれ モントリオールとニューヨークで映像を学んだ中国人、YUNG CHANG監督によって 作られた。サンフランシスコ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞。カナダバンクーバー国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲った。ナレーションといい、人々の表情を捉えるカメラワークといい、会話も自然で秀逸。 二人の若者の姿を通して、自分達の住んでいたところが沈んでいく様子と、中国の近代化のありようが よく描かれている。
16歳のYU SHUIは 文化大革命のときに下放されて何の教育も受けられなかった文盲の両親から生まれた3人兄弟の長女。両親は沈んでいく川岸の小屋を建て とうもろこしを植えて 出稼ぎの土木作業をしている。水道 電気のない小屋での生活は不潔極まりない。それでも沈みつつある家は子供たちにとっては スイートホームだ。政府の役人に裏金を渡すことの出来ない彼らに 約束された移住先はない。YU SHUIは身一つで、観光産業の花形である豪華船の皿洗いの下働きとして雇用される。あいさつひとつできない無学の家庭から来た貧しい娘に 職場は決して暖かい受け入れ先ではない。しかし 序じょに彼女は仲間から学んで、一人前のサービスガールになっていく。
一方、同じ時期にボーイとして雇われたBO YUは 一人っ子政策の行き渡った中流家庭に一人息子として育った。背が高くハンサムで英語も話せる、おまけに両親親戚から猫のように可愛がられてきた。アメリカ人が落としていくドルのチップに狂喜して、世界はもう自分の為にある と思い込む。しかしチームワークで仕事が出来ないとして、解雇されていく。
船のなかでの マネージャーによる英語教育、、、まじめな顔で、「オールドとか、ぺイル(青白い)とか、ファット(でぶ)とか 言ってはいけません。」などと言っているのが笑える。しかし、急ごしらえの外見だけ豪華で 内容の貧しい中国側のサービスに気がつかないまま 豪華船で豪華な食事に舌ずつみをうって満足している外国人観光客の姿も かなり笑える。
沈み逝く景観、すでに沈んでしまった300万人の人々の生活のありよう、こういった 愚かな政策に泣く人々の心の痛みと嘆き、失って二度と取り戻すことの出来ない自然への挽歌を、若い監督が 冷静でかわいた視線で映像化することに成功した。たぐいまれな、優れたドキュメンタリーだ。