「愛犬王 平岩米吉」日本を代表する犬奇人と呼ばれた男:片野ゆか著
江戸時代から続く竹問屋、上総弥6代目の父親甚吉の息子、平岩米吉は東京江東区亀戸の裕福な家庭に生まれ、「家を継がず好きなことをしていい。」と言われて成長した。6歳の時、滝沢馬琴の「椿記弓張月」、源為朝の活劇ドラマを乳母から聞かされて、それが彼の一生を決定してしまう。
お話というのは
為朝は親のない狼の子を引き取り,可愛がって大事に育てるが、ある晩その狼が激しくほえたてて眠っていた為朝に吠えかかる。可愛がっていた狼だが、やはり犬と違って野生の血が勝って、自分に襲い掛かってきたのかと思って、刀を振り下したその瞬間に頭上から落ちてきたのは鮮血にまみれた樹の幹ほどある大きなうわばみだった。その喉元には首だけになった狼がしっかり噛みついていた。主人の命をうわばみから守ろうとした狼が主人に首をはねられたのだった、という狼のお話で、狼の忠誠心が泣かせる。
元来犬好きだった米吉は、成人すると自由が丘に屋敷を構え、土地をフェンスで囲い「犬科生態研究所」を設立。多数の犬と狼を放し飼いにして、ついでにジャッカルやハイエナ、タヌキ、ジャコウネコまで手に入れて動物たちの生態を観察し、記録した。
動物と一緒に暮らしながら研究するのは「ソロモンの指環」で知られるコンラートロレンツ同様の方法で、彼はノーベル生理学、医学賞を授与されるが、その40年以上も前に、平岩米吉はそれを実行していた。
延べ60頭の犬、数十頭の狼と暮らし、時として添い寝までして考察したところ、犬と暮らす狼はその独特の吠え方を止め、犬と同じような声で食事をねだり、主人に甘えるようになったという。ただ主人が外出すると悲壮な遠吠えを繰り返し、その声だけが犬とは違っていた、と彼は記録する。
1934年に月刊誌「動物文学」を刊行し、シートンの「シートン動物記」と、ザルテンの「小鹿物語」の翻訳を日本で初めて掲載し、出版活動を成功させた。室生犀星、中西悟堂、古賀忠道、柳田國男、折口信夫、長谷部言人、徳富蘇峰、まどみちお、小川未明、堀田守、南方熊楠などなどの著名人がこの雑誌に´寄稿した。
また愛する犬たちの命を奪ったフイラリアの研究で、日本獣医生命科学大学の黒川和夫とともに貢献した。著書は、雑誌「動物文学」のほかに「犬の行動」、「私の犬」、「犬と狼」など。
有り余る財力で動物たちと生きた究極の愛犬家の一生、、、うらやましい限りだ。
私も宝くじに当たったら、彼のように自由が丘に800坪の池と1000坪の庭を持つ家は無理だとしても、どこかの田舎で犬と猫のホスピスを作りたい。
それともう1冊
千早茜著の「雷と走る」
子供だった自分が親の仕事の都合でローデシア(と思われる)に家族赴任する。治安が悪いので高い壁とガードマンが常駐する屋敷で、人間ほどの大きさで、人にはめったに慣れないガードドッグを飼うことになる。赴任早々ガードドッグの子をもらいに家族で出かけて父の犬、弟の犬、と選んでいくが自分は母親犬から見捨てられた小さくてをミルクを飲む元気もない子犬を選んで、大事に育てる。この犬はやがてほかの犬より一回り大きく育ち、犬たちのリーダーとなり、自分には誰よりも忠実さを示す。どこに居ても体をぴったりつけてきて片時も離れない。学校から帰ると庭の芝生でこの犬にもたれて、おやつを分け合い幸せな時を過ごした後、家族は犬を残して日本に帰ることになる。犬との一体感、犬との共感、犬との完璧な信頼感を経験したため、結婚するはずの男を前にして逡巡する自分に罪悪感を感じるが、いま一歩前に踏み出せずにいる。
