2026年2月19日木曜日

日本軍ダーウィン爆撃

昨日2月19日、オーストラリアの主要都市、シドニー、メルボルン、ダーウインなどでは、日本軍によるダーウイン空襲84周年記念式典が行われた。
1942年2月19日午前9時58分、日本軍240機の爆撃機が北部中核都市ダーウインを襲って、湾内にいた6漕の大型船舶が沈められた。また市庁舎、市民病院、電報局、警察庁官舎、警察署などは、一瞬のうちに全焼し、人口5千人の街で243人が死亡した。
当時日本軍は、1941年12月8日のパールハーバー以降、フイリピン、香港、ボルネオ、マレー半島などを侵略し、米国英国連合軍と戦闘中だった。すでに日本軍の占領下にあったチモールやパブアニューギニアから日本の軍用機が発信されたものとみられる。
眠ったようなオーストラリア北端の街は、予想もしていなかった出来事に、てんやわんやで豪州軍は機能マヒし、市民と一緒に軍隊も、南部に緊急避難してしまったので、空襲による被害の全容はよくわかっていない。
20年前にダーウィンに住んでいた日本人の友達が、家のドアに「ジャップ、ゴーホーム」と書きなぐられる被害に遭っている。それほど突然の攻撃、豪州のパールハーバーは人々にとって大きな衝撃だったのだろう。街ごと焼失させられたダーウィンでは、いまだに日本人は嫌われている。
ダーウインだけでなく、日本軍は西海岸のブルームの街にも戦闘機で爆撃し、民間人70人が亡くなっている。
いまやハーバーブリッジやオペラハウスで観光スポットになっている、シドニー湾にも、日本軍の3漕の特殊潜水艦が侵入し、魚雷で攻撃し21人が死亡している。その潜水艦はいまだ海の底に沈んでいて、数人の日本軍水兵も84年間、その中で眠ったままだ。
敗戦国、日本にとっては大戦のたびに激戦地での記憶をとどめるための記念行事など、思い出したくもないことかもしれない。しかし、その日本軍から被害をうけた側は忘れない。
2月19日が来ると、当時のフイルムがニュースで流れ、人々は記憶を新たにする。
また日本から豪州に首相や議員などが来迎すると、豪州側は必ず「かつては敵同士でしたが、いまは日本は同盟国です。」という一言が、付け加えられる。
パールハーバーのあった12月8日が何の日だったか、米国や豪州の常識人ならだれでも知っている。昔のことではないのだ。
外交に信頼関係が重要だが、その信頼は過去にあったことの歴史の積み重ねによって培われる。信頼を得ることは簡単ではない。
日本軍は加害者であり、侵略者であったのだ。
過ちを繰り返してはいけない。