2026年2月26日木曜日

最近読んだ本2冊

最近読んだ本2冊
「愛犬王 平岩米吉」日本を代表する犬奇人と呼ばれた男:片野ゆか著
江戸時代から続く竹問屋、上総弥6代目の父親甚吉の息子、平岩米吉は東京江東区亀戸の裕福な家庭に生まれ、「家を継がず好きなことをしていい。」と言われて成長した。6歳の時、滝沢馬琴の「椿記弓張月」、源為朝の活劇ドラマを乳母から聞かされて、それが彼の一生を決定してしまう。
お話というのは
為朝は親のない狼の子を引き取り,可愛がって大事に育てるが、ある晩その狼が激しくほえたてて眠っていた為朝に吠えかかる。可愛がっていた狼だが、やはり犬と違って野生の血が勝って、自分に襲い掛かってきたのかと思って、刀を振り下したその瞬間に頭上から落ちてきたのは鮮血にまみれた樹の幹ほどある大きなうわばみだった。その喉元には首だけになった狼がしっかり噛みついていた。主人の命をうわばみから守ろうとした狼が主人に首をはねられたのだった、という狼のお話で、狼の忠誠心が泣かせる。
元来犬好きだった米吉は、成人すると自由が丘に屋敷を構え、土地をフェンスで囲い「犬科生態研究所」を設立。多数の犬と狼を放し飼いにして、ついでにジャッカルやハイエナ、タヌキ、ジャコウネコまで手に入れて動物たちの生態を観察し、記録した。
動物と一緒に暮らしながら研究するのは「ソロモンの指環」で知られるコンラートロレンツ同様の方法で、彼はノーベル生理学、医学賞を授与されるが、その40年以上も前に、平岩米吉はそれを実行していた。
延べ60頭の犬、数十頭の狼と暮らし、時として添い寝までして考察したところ、犬と暮らす狼はその独特の吠え方を止め、犬と同じような声で食事をねだり、主人に甘えるようになったという。ただ主人が外出すると悲壮な遠吠えを繰り返し、その声だけが犬とは違っていた、と彼は記録する。
1934年に月刊誌「動物文学」を刊行し、シートンの「シートン動物記」と、ザルテンの「小鹿物語」の翻訳を日本で初めて掲載し、出版活動を成功させた。室生犀星、中西悟堂、古賀忠道、柳田國男、折口信夫、長谷部言人、徳富蘇峰、まどみちお、小川未明、堀田守、南方熊楠などなどの著名人がこの雑誌に´寄稿した。
また愛する犬たちの命を奪ったフイラリアの研究で、日本獣医生命科学大学の黒川和夫とともに貢献した。著書は、雑誌「動物文学」のほかに「犬の行動」、「私の犬」、「犬と狼」など。
有り余る財力で動物たちと生きた究極の愛犬家の一生、、、うらやましい限りだ。
私も宝くじに当たったら、彼のように自由が丘に800坪の池と1000坪の庭を持つ家は無理だとしても、どこかの田舎で犬と猫のホスピスを作りたい。

それともう1冊
千早茜著の「雷と走る」
子供だった自分が親の仕事の都合でローデシア(と思われる)に家族赴任する。治安が悪いので高い壁とガードマンが常駐する屋敷で、人間ほどの大きさで、人にはめったに慣れないガードドッグを飼うことになる。赴任早々ガードドッグの子をもらいに家族で出かけて父の犬、弟の犬、と選んでいくが自分は母親犬から見捨てられた小さくてをミルクを飲む元気もない子犬を選んで、大事に育てる。この犬はやがてほかの犬より一回り大きく育ち、犬たちのリーダーとなり、自分には誰よりも忠実さを示す。どこに居ても体をぴったりつけてきて片時も離れない。学校から帰ると庭の芝生でこの犬にもたれて、おやつを分け合い幸せな時を過ごした後、家族は犬を残して日本に帰ることになる。犬との一体感、犬との共感、犬との完璧な信頼感を経験したため、結婚するはずの男を前にして逡巡する自分に罪悪感を感じるが、いま一歩前に踏み出せずにいる。
犬との絶対愛と、人間との不確かな愛。
その気持ちがとてもよくわかる。犬は特別だ。
主人が危ないとき、助っ人は自分より強い相手にどう立ち向かうか考え、妥協の余地はないか、武器は、、などと考える。しかし犬は瞬時にもう走り出して主人をレスキューしようとする。人間と全然ちがう。主人を助けようと雷のような速さで飛び出していく犬を誰も止めることができない。読んでいて、自分のむかしの犬がフィリピンでの9年間、どうれだけ私たち家族を守ってくれたか、その幸せだったころを思い出して大泣きしてしまった。



2026年2月23日月曜日

カダフイ大佐の夢の終焉

2026年2月3日のこと
サイフアル イスラムカダフイが殺された。リビアのムアンマル カダフイ大佐の息子だ。
自宅で4人の覆面男シークレットエイジェントの放つ銃弾に倒れた。彼の「リビア統一国家の復活」の夢は、米国、仏国、英国の差し向けた暗殺団によって葬り去られた。

子供の時からリビアのカダフイ大佐が大好きだった。小学生から新聞の海外ニュースを読んでいた。毎日血気盛んな早大政経学部の学生たちが、子供の私が作った半崩れの中に何も入っていないおにぎりにむしゃぶりつきながら唾を飛ばして政治談議しているような家で育った。父は、叔父の力で政経学部の教壇に立って、教養課程の1年生に英語を教える職に就いていたが、政治学も経済学も財政学にもまったく興味も関心もない人だった。お金がなく食べるにも飲むにも困っている学生たちを連れ帰っては世話していた。
「先生見ててください、天下を取って見せます。」とか「俺はニッポンを乗っ取るぞー。」とか豪語する学生たちを、いつも笑いながら見て居て、彼らが卒業して遠い地方の地元で立候補して落選を伝える新聞を見ては、ため息をついていた。

リビアのカダフイ大佐は、弱冠27歳で王制を倒して政権奪取して、47年間直接民主主義でアフリカ唯一の安定した国家を作った。〈1942-2011)彼は絶大な権力を握っていたが、大統領と呼ばれることも首相に座につくことも嫌ったので、人々は彼の最終的な役職だった軍の大佐で名前を呼ぶしかなかった。権力者にして謙虚。彼の夢は大きかった。
リビアの国土は90%砂漠だが、大規模なダムを造り灌漑、治水事業によって砂漠式農業の基礎を作った。砂漠を緑化させ、自国の国民食料を安価で自給できるようにした。
カダフイ大佐は教育を奨励し、男女とも文盲率をゼロちかくまで下げ、無料の教育を提供することで識字率を上げた。国民の25%が、大学の学位を持つ誇り高い人々の国を作った。
また医療、教育を無料化し、すべての国民に福祉が行き渡るようにした。アフリカで1番幼児死亡率が低く、平均寿命は高い国家を建設した。
カダフイ大佐はアフリカ最大の石油と天然ガス埋蔵量を誇るリビアで、リビアデイナールを「金」に裏付けされた価値を持たせ、米国を中心としたドルに支配されない、ドル決済をしないアフリカ独自の経済体制を構築しようとしていた。国債を持たず、政府は数千億ドルの資産をもっていた。リビアデイナールでアフリカ全体の経済体制を統一しようとしていた。アフリカの統一が彼の夢だったのだ。
だから欧米の国々は、その力が大きくなる前に、カダフイ大佐をつぶすことだけを考えていた。
カダフイのアフリカ統一ナショナリズムが、強権的で反対勢力を粛正する血まみれの独裁政権だったと、批評することは簡単だ。イラクのサダムフセイン、シリアのアサド、ベネズエラのマドーロ、キューバのカストロも、、。言わせておけばよい。経済基盤が脆弱で、政治体制が不安定な政権には強い指導力が要る。それは独裁ではない。歴史を振り返った時、その指導者が何を残したのかを見れば、独裁とは紙一重の民主政治では不可能だった、立派な業績を見ることができる。
2,011年10月、カダフイ大佐が酷い拷問と、性的凌辱をうけたあと惨殺されたとき、息子のサイフアル イスラムは民兵に捉えられて、6年間投獄された。死刑判決を下されたが、2017年恩赦されたあと潜伏していた。そして、2021年の大統領選挙に立候補して、父、カダフイ大佐の夢を引き継ぐ者として政治的名誉回復されるか否か、というときに暗殺された。
リビアのカダフイ大佐の死後15年、そして父の夢を再度実現しようとした息子のサイフアル イスラムの死は、重ね重ねのリビアの死だ。米国、仏国、英国による介入で、いまやリビアは救いようのない無法者たちの巣窟になった。
カダフイ大佐の夢を語るものはもう居ない。



2026年2月20日金曜日

アーロンブッシュネルを忘れない

2024年2月25日のこと
アーロンブッシュネル空軍兵のことを憶えているだろうか。
パレスチナの子供たちを殺すことを拒否して、ワシントンのイスラエル大使館前で、ガソリンをかぶって焼死した、25歳の現役兵のことを。

火が回って燃え尽きるまで、長い長い時間がかかった。
しかし彼は、いつまでも立ち続け、膝を折ることをしなかった。
強い意志を持つ者だけが耐えられる苦しみを、一人で背負い彼は燃え尽きた。最後まで「パレスチナを解放せよ」と叫んでいた。
彼は敬虔なクリスチャンであり、反植民地主義者と名乗っていた。だから、「もはやジェノサイトの共犯ではいられない」と。

彼の死の後、バニーサンダースは、「悲劇だ。しかしガザでの人道的災難をみれば若者たちが希望をなくし絶望に突き落とされる気持ちがわかる。心から共感する。」と述べ、
ハマスは「心を込めてお悔やみを申し上げる。彼は良心ゆえ米国の暴虐に逆らって、人間として一番価値のある命をパレスチナのために差し出して、英雄として命を終えました。」と述べた。
ガザ代表者ハマスを抜きにした、トランプとトニーブレアのガザピースプランは、ガザ植民地計画にすぎない。パレスチナを解放せよ。アーロンブッシュナーを忘れるな!パレスチナを解放せよ!



2026年2月19日木曜日

日本軍ダーウィン爆撃

昨日2月19日、オーストラリアの主要都市、シドニー、メルボルン、ダーウインなどでは、日本軍によるダーウイン空襲84周年記念式典が行われた。
1942年2月19日午前9時58分、日本軍240機の爆撃機が北部中核都市ダーウインを襲って、湾内にいた6漕の大型船舶が沈められた。また市庁舎、市民病院、電報局、警察庁官舎、警察署などは、一瞬のうちに全焼し、人口5千人の街で243人が死亡した。
当時日本軍は、1941年12月8日のパールハーバー以降、フイリピン、香港、ボルネオ、マレー半島などを侵略し、米国英国連合軍と戦闘中だった。すでに日本軍の占領下にあったチモールやパブアニューギニアから日本の軍用機が発信されたものとみられる。
眠ったようなオーストラリア北端の街は、予想もしていなかった出来事に、てんやわんやで豪州軍は機能マヒし、市民と一緒に軍隊も、南部に緊急避難してしまったので、空襲による被害の全容はよくわかっていない。
20年前にダーウィンに住んでいた日本人の友達が、家のドアに「ジャップ、ゴーホーム」と書きなぐられる被害に遭っている。それほど突然の攻撃、豪州のパールハーバーは人々にとって大きな衝撃だったのだろう。街ごと焼失させられたダーウィンでは、いまだに日本人は嫌われている。
ダーウインだけでなく、日本軍は西海岸のブルームの街にも戦闘機で爆撃し、民間人70人が亡くなっている。
いまやハーバーブリッジやオペラハウスで観光スポットになっている、シドニー湾にも、日本軍の3漕の特殊潜水艦が侵入し、魚雷で攻撃し21人が死亡している。その潜水艦はいまだ海の底に沈んでいて、数人の日本軍水兵も84年間、その中で眠ったままだ。
敗戦国、日本にとっては大戦のたびに激戦地での記憶をとどめるための記念行事など、思い出したくもないことかもしれない。しかし、その日本軍から被害をうけた側は忘れない。
2月19日が来ると、当時のフイルムがニュースで流れ、人々は記憶を新たにする。
また日本から豪州に首相や議員などが来迎すると、豪州側は必ず「かつては敵同士でしたが、いまは日本は同盟国です。」という一言が、付け加えられる。
パールハーバーのあった12月8日が何の日だったか、米国や豪州の常識人ならだれでも知っている。昔のことではないのだ。
外交に信頼関係が重要だが、その信頼は過去にあったことの歴史の積み重ねによって培われる。信頼を得ることは簡単ではない。
日本軍は加害者であり、侵略者であったのだ。
過ちを繰り返してはいけない。



2026年2月11日水曜日

イスラエル首相訪豪 その2

イスラエル首相訪豪 その2
大地にひれ伏して真摯に祈る人の姿は神聖で近寄りがたい。どんな宗教であっても、どんな民族であっても神に祈りを捧げる人の姿は輝きに満ちている。

夜になって、警官隊と、数千人のイスラエル首相の来豪にプロテストするパレスチナ支援者たちとの間が険悪になり、もみあいが始まった時、その間を割るように、隊列を組む警官隊の前で、15人ほどのモスリムが地べたに膝をつき、一斉に祈り始めた。それは、宗教者による暴力を否定する、整然たる平和行動だった。

しかし
警官隊はこれらの宗教者たちをひきずり起こし、パンチを食らわせ、蹴散らしたのだ。このようなことができる警察権力を、わたしは憎む。
人であることを恥じる。
武器を持つ人々を蔑む。

イスラエルのハーソグ首相が来豪した。
昨年の12月シドニーのボンダイビーチで、アクラム父子による銃乱射事件で亡くなった15人の犠牲者を慰霊するための訪問だという。乱射事件はユダヤ人のお祭りに集まってきた市民を無差別に殺害したことで反ユダヤ主義による行為だったと言われても仕方がない。
しかし事件の背景は言うまでもなく、イスラエル政権によるパレスチナ人へのジェノサイトに対する怒りだ。誰もがパレスチナの惨状を嘆かずにいられない。
また、警官でもユダヤ人でもないのに、捨て身で、自分が撃たれながら犯人の銃を奪ったのが、モスリムのシリアから移民してきた人だった。彼のおかげで死者数が抑えられた。

今日は、パレスチナ人へのジェノサイトの当事者、イスラエルのハーゾグ首相はアルバニー二豪州首相のエスコートで、首都キャンベラに移動した。キャンベラの国会前では数百人のプロテストがこれを迎えたが、彼は豪州連邦総督と会見し議会に招かれた。
一方、豪州外務大臣ペニーウオングは、この時間、2年前にガザで食料支援物資を運んでいたオージー、ゾーイフランケンが、イスラエル軍によるドローン攻撃で殺されたことで、彼女のお兄さんと一緒に彼女の墓まいりをして、この事件のイスラエルからの公式の説明と謝罪を要求した。

アルバニー二首相は、また昨日イスラエルのスモトリッチ財務相、国防省大臣が、ヨルダン西岸のユダヤ人入植を、もっと拡大し、もっとパレスチナ人を殺さなければならない、と発言したことを取り上げて、遺憾を表明したそうだ。
ヨルダン川西岸は、パレスチナ人の領地であるにもかかわらず、今まで30万人もの入植者が違法に、土地を奪い住みついて、パレスチナ人の建て物を破壊し、生活の糧であるオリーブなど農地を根こそぎ倒してきたが、いまは80万人ものユダヤ人が、拡大した土地に住み着いているという。582人の西岸に住むパレスチナ人が殺されている。
停戦中と言われ、トランプピースプランとやらのおしゃべりが継続される今も、イスラエル軍による攻撃は休むことなく続いており、毎日死者数が更新されている。このまま帰国させるのでなく、イスラエル首相を国際法廷に突き出せ!



2026年2月10日火曜日

イスラエル首相訪豪 その1

スラエル首相訪豪   
きのう2月9日、イスラエル首相アイザックハゾグが来豪した。
2か月前、シドニーのボンダイビーチでユダヤ人のお祭りが行われていたところ、2人の銃撃手による乱射で15人の命が失われる事件が起きた。再びユダヤ人が世界の歴史の不幸を唯一背負って犠牲になった、ということでキャンペーンを張っていたユダヤ人団体が招待したものだ。この事件は、この2年間にわたるイスラエルによるパレスチナへのジェノサイトに密接に関係している。

オーストラリア政府は、4人に1人は外国生まれの多文化国家として、事件には「ユニテイ」という言葉を強調して、ユダヤ人もパレスチナ人も、どの国家も民族も等しく扱うスタンスを事件当初から明らかにしていた。テロリズムは間違っている、だから銃規制を厳しくして、民族同士のヘイトクライムを禁止するためのヘイト禁止法が厳しくなった。犯人は厳しく法によって裁かれるだろう。

かつて、たくさんのユダヤ人がナチス政権によって殺された、その事実は、だから他民族を殺しても良いという免罪符にはならない。昨年12月にボンダイビーチで15人のユダヤ人のお祭りに参加していた人々が殺されたからといって、ユダヤ人が特別に保護され、国際法を違反しても良いという特権があるわけではない。

イスラエル首相は到着早々、ヘリコプターでボンダイビーチに飛び、15人の犠牲者家族をねぎらった。彼はマイクをもって「ユダヤ人は世界から守られ、自ら自分たちの国を守る権利がある。これからも反ユダヤ勢力とは断固として戦う。」と述べ、改めて、パレスチナの土地が自分たちに約束された土地であることを強調した。
このイスラエル首相は、パレスチナを侵略しパレスチナ人のジェノサイトを70年あまりの間継続してきた戦争犯罪者と言える。ネタニヤフ大統領同様の罪で、逮捕して国際刑事裁判所に、突き出すべきだ。

ガザには救援物資が届いていない。
この2年間に米国大統領トランプは217億ドル分の武器をイスラエルに送り、7000トンの爆弾の雨をガザに降らせた。その数は第2次世界大戦で世界中で使われた爆弾総数よりも多い。F35 やステルス戦闘機のような最新兵器が途絶えることなく、停戦中の今も使われて爆弾を落としている。数えられた遺体だけで、73600人が亡くなり、がれきの下には9500人がまだ埋まったままだ。
毎日、女子供の頭上に爆弾を落としながら、ガザの代表者ハマスを抜きに、トランプとネタニヤフは勝手に「ピースプラン」の計画を進めている。

これに対して、昨夜はシドニーのパレスチナ支援団体は、街の中心にあるタウンホールで抗議集会をもって、6000人の市民が参加した。メルボルンでも、他の中心都市でも同じように抗議行動が行われた。それに対して1000人の警察が警備をした。事前に市ではシドニー中心街のオフィスでは混乱が予想されるので、就業時間を早めて、沢山の人がシテイに留まって居ないように、と呼び掛けている。メインストリートのカフェやレストランなどの店も早めに店を閉めるよう通達されている。
この国の抗議集会で驚くべきは参加者がみな個人で参加していることだ。参加団体、組合のようなものの参加はない。みな個人の意志で来て、居られる間だけ居て友達を作り勝手に帰っていく。その自然体が、1949年生まれベビーブームで日本のゲバ棒デモに慣れた目には心地よい。ハーバーブリッジでも1万人パレスチナ支援デモのときも、組織動員ではなく、個人で自然に集まったものだった。
組織は腐敗するが、個人の意思は強い。

イスラエル首相は3日間、滞在するのでジェノサイト反対、パレスチナ支援の動きは連日さらに広がっていくことだろう。戦争犯罪者、パレスチナ人ジェノサイトの当の本人の来訪に抗議することは人として当たり前のことだ。規制するな!