2024年7月27日土曜日

大内兵衛のオリンピック感

パリオリンピックが始まった。1936年8月に大叔父、大内兵衛がオリンピックについて書いたものが見つかったので引用してみる。この人らしくお茶目で、ユーモアもアイロニーもシニカルも込められていて、おもしろい。

「8月に入って保田の海岸の払暁の光景は一変した。小学生のラジオ体操がなくなって若い男女の学生がたくさん森永のキャンプストア前の砂上にうずくまって物静かなラジオを聞いている。ベルリンの伝えるオリンピックの鼓動を彼らの若い血潮の心臓において再生産するのだと言う話だが、私見によれば走ることにおいては人は馬に敵わず、飛ぶことにおいては鳶にかなわない。だから本来西洋に発達したスポーツに日本人が負けたとして悲しむには及ばず、勝ったからとてそう喜ぶことはないはずで、僕はこの目前の現象がどうしてこうあるかについて全く理解するところがない。
ただ先頃の議会において外国人の真似をせぬ方が良いという理由でメーデーの挙行を阻んだ広田総理が、この外国にオリジンを持つオリンピック東京招致に驚喜し、そのうえ巨額の国幣さえ投じようとしている点から考えるとオリンピックというものは何らかの非常時的ないし国民神話的な効験を持つものではないかと察せられるのである。」(大内教授演習室 夏休の便りから)

オリンピックと別に英国連邦に属する国々の間でコモンウェルスゲームというのがあって、私の住むオーストラリアも参加して4年に1度、56か国の間でスポーツ競技が競われてきた。2022年は英国バーミンガムだったが、2026年はオーストラリアのビクトリア州で開催される予定だった。それを州のアンドリュー首相が辞退する、と発表した。理由は最も理解しやすい理由「金がない」だ。
スポーツなら何でも何より優先する国民、子供から足腰立たなくなった年寄りまでスポーツの奨励ははんぱではない。うちのマゴたちも生まれてやっと歩けるようになったとたんにスイミング、走れるようになったらサッカー、テニス、ラグビー、クリケット、乗馬と、あっというまに何でもこなすようになった。

それだけ全国規模でグランドもプールも充分充実しているはずだが、コモンウェルスゲームのように外国勢が大挙してやってくるようになると、グランドも観客席も大きく作り替えなければならない。2年半のCOVID禍のあと、州のお金でできることは限られている。2026開けてみれば、たくさん人が来て経済効果もあるかもしれないが、それを予想して借金で開催する冒険はすべきではない。開催州の辞退は賢い選択だ。

オリンピックもいい加減、毎回別の国で開催するのを止めてもらいたい。オリンピックはその起源地、ギリシャで4年に1度行う。ヒットラーのベルリンオリンピックが、国威高揚に利用されたことを反省するなら、スポーツを国大表者がするのでなく、個人代表が競い合うべきだ。ギリシャで、個人が競い合い、世界中が応援する。
世界一速く走る人、世界一遠くまで飛ぶ人、世界一美しく舞う人、世界一強い人、世界一速く泳ぐ人、世界一強いグループ、、、それがどこの国の人でも良いではないか。



2024年7月23日火曜日

米国大統領選挙まで108日となった今、バイデンが選挙戦から降りてカメラ ハリスに交代、黒人票と女性票が期待される、とマスメデイアは言うが、トランプは大喜び、ハリスが相手なら、もう勝ったようなものだと豪語している。
今後民主党が、トランプの共和党と選挙戦を互角に戦えるとしたら、副大統領候補によほど強い人を立てないと歯が立たない。

一方トランプは強力な副大統領候補を指名した。若干39歳の、VD バンス。アパラチア山脈出身、極貧家庭で育ち高卒で海軍に入隊しイラクで戦い、奨学金を得てイエール大学で法律を学んだ。かつてはトランプのことを、アメリカのヒットラーとののしっていた。以前貧しい白人票の支持で大統領になった大富豪のトランプだが、バンスは本物のヒルビリー(山から来た田舎者)であり、レッドネック(首筋が日焼けした白人労働者)であり、ホワイトトラッシュ(白いゴミ)で、ラストベルト(さびついた工業地帯)出身だ。
彼の著作「HILLBELLY ELEGY」(ヒルベリー哀歌)は、彼がアルコール中毒、家庭内暴力、シングルマザー、失業と言った破壊家庭で育った経験を描いた作品だが、2020年にベストセラーになり、映画化もされた。

アパラチア山脈は北はニューヨーク州、オハイオ州、南はアラバマ州、ジョージア州にまたがる広大な地域で、スコッツアイリッシュが住む独特な文化を持った地域だ。WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)ではないアメリカ人、もともと貧しかったスコッツアイリッシュが住みつき、石油、石炭、鉄など地下資源が豊富なため炭鉱夫としてアメリカの経済を支えてきた。しかし炭鉱が閉鎖されてからは、失業、貧困、家庭内暴力、薬物中毒の土地に転落した。このようなラストベルトに生活する「南部の普通の人々」は、かつての豊かだった米国を自分たちが経済を支えてきたという誇りを持っていて、過去の栄光を取り戻したいと思っている。北部や、ニューヨークなどに住むインテリには、彼らの低力がわからない。

何故貧しい人々がトランプに期待を寄せているのか、それはトランプが「銃弾を浴びても倒れなかった」強いアメリカを代表し、「民主主義」と「自由」を重んじ、停滞した経済を持ち直し、かつての「輝けるアメリカ」を実現してくれる、と人々が信じたいからだ。その78歳の男を支える、全米の中で一番貧しく失業と薬物中毒と貧困と犯罪と暴力の極悪の環境の中から躍り出た、39歳の若き天才に期待をかけるからだ。
トランプは「GOD CHOOSED ME」わたしは神に選ばれた、と高らかに宣言し銃弾を受けても拳を掲げた。

しかしトランプが政権を取れば、貧富格差はさらに広がり、人種差別や女性差別を制止するタガが外れて差別が激しくなり、LGBTIQは居場所がなくなり、国民健康保険は廃止され、病人は医療を受けられず、妊娠中絶が禁止され、レイプされた女性がその子供を育てなければならなくなり、家庭内暴力も増える。自由も民主主義も平和もない。
米国は建国以来、戦争を止めたことがない暴力国家だ。戦後はベトナムから始まって、湾岸戦争、イラク侵攻、アフガニスタン、シリア、ウクライナ、イスラエルでも米国製の武器が、毎日人々を殺戮している。トランプは核兵器も使うだろう。
日本は、対米追従を止めなければいけない。



2024年7月17日水曜日

チボー家の人々

宣戦と同時に即時ゼネストを! フランス人よ、ドイツ人よ、誰もかれもが兄弟なのだ。諸君はおなじ人間だ。そして犠牲者たることに変わりないのだ。諸君は同じ勤労者の弾丸に身をさらそうと思って好んで妻を捨て子らを捨て、家を捨て工場を捨て、店を捨て畑を捨てたのではないだろう。殺すことは誰でも嫌いだ。命の重さはだれしもそれを疑わない。いっせいに立て。戦争を拒絶せよ。各国に対し平和の即時樹立を要求せよ。いっせいに立て。あした日の出とともに。
「チボー家の人々」マルタン デイユガール、山内義雄訳 全5巻

ジャック チボーは、このような独語、仏語のアジビラを120万枚刷って、仏独両軍の上空を飛行機から蒔こうと飛び立ったが独軍兵に撃ち落されて死んだ。
新潮社出版のこの本は、父が若かったころ出版されるごとに買いそろえた本だ。子供の時に父の書庫から持ち出して、そのまま大人になって私が家庭を持っても、持ち歩いてきた。家族で沖縄、レイテ島、マニラ、豪国と、移動してきた今も持っていて、5冊とも箱から出すと、表紙の角からボロボロと紙が崩れ落ちてくる。

原書は大戦中に出版されたが、ジャックがドイツ軍に打ち殺される最終巻は、フランス軍の戦意高揚を削ぐと言う理由で戦後しばらくしてから出版されたという。
父は子供の時に自分の父親に死なれ、その弟の大内兵衛に育てられた。実の息子の大内力に比べると、学力に格段の差があるうえ、星を数えて過ごすような夢想癖のある子供だったと思う。父の2人の弟も、大内家の男はみな東大で学ぶのが自然だったのに、ひとり父は早稲田で小説、それもセンチメンタルなロマンスものばかり書いていた。全然生活能力が無くて、兵衛叔父の一番弟子だった宇佐美誠次郎の妹と結婚して貧しい所帯を持ってからは、叔父の紹介で早稲田で教壇に立った。

大學では自分もいつまでも学生のように、何時も学生たちとつるみ、千葉の上総湊では、漁師にねだって土地を借り自分たちの力で釣り小屋を建てた。毎年夏の間中、その小屋で学生達と秋になるまで過ごした。私の幼いこの頃の記憶は、海と自由とで太陽のように輝いている。
父は自分には父親が居なくて、3男2女の長男で、弟の娘を養女にしたり、下の弟がアル中で死ぬまで世話をしたり、それでも教員の安給料で、何時も食うや食わずの貧乏学生達までかかえて、かつかつの生活していてもまだ、沢山の学生たちを家や研究室に呼んで世話した。
父は寂しかったのだと思う。
晩年はひとりきりだった。
2人の娘をつれて豪国から毎年クリスマスには会いに行ったが、行くね、というと、もうその日から、それが10月であっても、毎日ベランダから下を見下ろして、いつ来るかと待っていたとケアラーから聞かされた。
年を取るのは寂しいことだ。
わたしも父がひとりになったころの年に近ずいてきた。
むかし読んで感動した本を、また読み返してみよう。



2024年7月15日月曜日

ダニエルトランプ暗殺未遂

残念ながら、次期米国大統領はこれで決まってしまった。
ドナルドは、いま世界中の「平和を愛する」人々からシンパシーを集めた。政敵ジョーバイデンは、銃撃後すぐにお見舞いの電話をかけてドナルドを気使い励ましたそうだ。全米のアメリカ国民は、政治的暴力やテロリズムの暴力を憎み、それに抗う「強いアメリカ」の象徴となったドナルドを改めて支持する。政治の流れは単純だ。

私の住む豪国でも公営テレビは、アルバニー二首相が暴力はあってはならないと言いドナルドに励ましのエールを送る姿を報道した。どこの国のリーダーも同じようなことを言って、テロを許さず、民主主義を守る、と決意表明していた。しかし、TVではついでに、「テロ」があってはならない、と言うそばから、どこかの国の限りなくアラブ人と思われるゲリラが銃を構えているフイルムをちょっとだけ見せた。これにはびっくりした。明らかに情報操作ではないか。
このような幼稚で違法な情報操作が、もう公然と行われている。マスメデイアがそれを許している。なぜゲリラ戦が行われるのか、なぜテロリズムで訴えなければならないのか、国による暴力、正規軍に対する反乱勢力とは何なのかと言った考察が全く抜け落ちている。大統領候補暗殺行為から、テロ撲滅―民主主義擁護ー軍事優先―武力増強の流れが止まらない。

現実に日本製の武器が米国の軍隊を補強し、豪国製の武器がウクライナで使われ、イスラエルに輸出されている。
イタリア、フランス、オランダでは極右勢力の台頭が進んでいて、世界は「強い国家」に向かっている。
こんなことを許してはいけない。
時間は余りない。