公立病院でも、ICU勤務でもない、年寄りばかりの施設でのんびりしているから71歳のナースでもフルタイムで働けるんだろうと、思われるかもしれないが、となりに建つ北部最大の公立病院から急性期を越えたばかりの患者や、リハビリ期にある患者や、障害者も送られてくるし、精神病院の入院患者よりも悪化したアルツハイマー患者も送られてくる。特にこの1年半のあいだは、公立、私立ともに病院がコビッドに振り回されているので、こちらも多忙を極めた。
ワクチンが政府からリリースされてすぐ50人の患者と40人余りの職員は全員2回のワクチンを受け、施設は厳しいロックダウンとし、患者への家族面会禁止、職員のうちホットスポットと言われるコビッド陽性者が出た地域から通ってきている職員には3日に一度PCRテスト、2か所以上の職場で働く職員には1か所だけで働くようにさせ、とにかく50人の患者をコビッドから守ることに専念してきた。オーストラリアで昨年のコビッド死者100人(1000人ではない)のうち80%が、メルボルンのあるビクトリア州の老人ホームから犠牲者が出たことから、その二の舞はしてはならないと考えてきた。
冬に年寄りは亡くなる。いくつも既往歴をもっていて免疫の弱い年寄りは、軽い風邪や尿路感染で冬になるとあっという間に亡くなる。しかしコビッドが流行し始めてから肺炎で亡くなる人はいなくなった。毎日まめに検温し、熱発や風邪っぽい人はすぐに 隔離してPCR検査をして抗生物質などを投与して処置したからだ。そうして、50人の患者をコビッドから守ってきた。
自分がコビッドをは運んではいけないから、この1年半の間、どこにも行っていない。休暇で日本旅行する予定はキャンセル、海のリゾートで家族そろって過ごす予定もキャンセル、愛するマゴたちには毎日でも会いたいのに、1年半の間に会えたのは、6回だけ。シドニーのロックダウンと再びロックダウンされる僅かな隙間を縫うように、何とか工夫をして去年のクリスマスとマゴの誕生日に会うことができただけ。日々成長が激しく、会うたびに身長の伸びに驚愕する。そんな子供たちの成長を見届けることができないのは、何よりも悲しい。
この間、親しくしている若い職員が二人も脳出血で倒れた。一人は救命できたが障害が残り職場復帰できない。ストレスが原因だ。医療従事者は、みな喜んでこれほどのストレスにさらされる現場に居るわけではない。病気で休職中や、辞めて行った職員も多い。
自分も、大学でマスコミを学び、大学卒業後、新聞社に勤めた。その後、夫の赴任先のフィリピンではインターナショナルスクールでバイオリンを教えていた。医療現場以上に興味のある職場があったら、そこに行く。ナースが天職だなどと思ったことは一度もない。そう言いながらこの職場にもう15年も務めてきた。いま、コビッドで健康な若い職員が脳出血で倒れるほど激しいストレスのもとで働かなければならないのは、コビッドの悪魔性もあるが、人々の無理解にあると考える。
感染症の感染を止めるには、人と人との接触を止めるしかない。
自分の住むシドニーのあるニューサウスウェルス州では、デルタ型コビッドが入ってきてからロックダウンとなり、すでに14週間それが続いている。州人口の80%が、2回のワクチンを済ませないとロックダウンは終わらない。それを州知事は14週間言い続けてきたが、なかなか80%に達しない。
世界人口の44%という膨大な数の人口が、すでにワクチンを打っているというのに、ワクチンで死んだ人の方がコビッドで死んだ人より多い、とか、ワクチンは毒だ、とか、製薬会社の陰謀だ、などと言う者がいまだに居る。
ワクチンは集団免疫を作らない。そんなことはわかっている。小説に出てくるような強力な警察国家が人口99%に、大人にもに子供もワクチンを強制しなければ集団免疫などつかない。しかしワクチンは、感染重症化を予防する。ワクチンは自分がウィルスを運んで、ワクチンが打てない、免疫不全の人や、子供や、障害者に感染することを最小限に止める。自分がウイルスを運ばないように、弱い人々の命をまもることが大切なのだ。
ワクチンを打つかどうか、ロックダウンを守るかどうかは、個人が選択すべき「自由」だという人がいる。自分が赤ちゃんの時に母親が、予防接種を受けてきたゆえに、結核にもならず、小児麻痺で障害も受けず、百日咳で呼吸困難にもならずに生きてきたことを忘れている。自分が恩恵だけ受けて、ワクチンを打たずにマスクもせず、ロックダウンも守らず「自由」に出歩いて叫びたて、デモで警官にツバを吐いた男が、翌日救急車で運ばれてコビッドで病院で治療を受けている。「自由」は、単なるわがままや、子供じみたエゴイズムではない。自由の概念は、そんな安っぽいものではない。
政府は12歳から16歳の子供にワクチン接種を勧めている。「自由」に判断して自分だけでなく自分の子供にもワクチンを打たせない母親たちは、ドクターの予約を取り、子供がきちんとワクチンについて医師と話し合い、学校の先生とも話し合ったすえにワクチンを打つかどうか、自分で選択する自由を与えて欲しい。子供を私物化しないでもらいたい。
自分はコビッドには感染しないからルールを守れないと言う人は、是非、ENDURING GUARDIANS(自分が意識不明や昏睡状態になった時に、どうして欲しいのかを明記する書類)にサインして、自分はコビッドに感染しても救急車の世話にも病院の世話にもならない、と約束してからワクチン拒否、マスク拒否、ロックダウン拒否をしてもらいたい。
守るべきは、州知事が言ったことや政府が罰則を布いて、決められたことにただ従うことではない。自分が考えて自分の倫理に従って、弱者は誰なのか、誰を自分が守らなければならないのか、考えることが倫理なのだ。
きちんとした科学知識を持ち、にも拘らず自分の信念 信心をもってワクチンに反対する医療従事者もいる。それはそれで仕方がない。今年の12月には、ワクチンを打った人も打たない人も、ワクチン人口が80-90%に達したら、「自由」に出歩けるようになる、と宣言した州知事の決断には賛成だ。
「平等」に人々が苦しんでいるのだから。