2021年9月16日木曜日

ポールマッカートニーの「ヘイジュード」

「ヘイジュード」1968 ポールマッカートニー作詞、作曲を歌ってみた。
ジュードとは、ジュリアンの愛称。ジョンレノンとシンシアが離婚して、ジョンがオノヨーコのもとに走った時、ジョンの息子ジュリアンは、5歳だった。ポールはジュリアンのことを赤ちゃんの時から可愛がっていたので、事態を知るとすぐにロンドンからジュリアンとシンシアのところに飛んで会いに行って、ジュリアンを慰め、力になろうとしてこの歌を作った。

ジューと言えば、独語でユダヤ人のことだが、それをポールは知らなかった。一般的にジューと、ユダヤ人に限らず誰でも気軽に「きみ」と呼びかけるときに使われることもあるので、自分もこの歌は、気弱な男の子が、好きな彼女に言い出せないでいるのを、叱咤激励している恋の応援歌かと思っていたが、あとで前妻のシンシアの書いたものを読んで、ジュリアンのことだったんだと知った。
5歳の子供に向かって、がっかりするなよ、君のお母さんはお前が夢中になるほど素敵な人じゃないか、何でも分かってくれるよ、君はやせ我慢なんかせず泣いてもいいけど、お母さんが一緒だぜ。元気出せよ。と言っている。

ジョンレノンは、レノンでアイドルグループから第一線を走るアーチストとして生きるために、オノヨーコが必要だった。オノヨーコの美術展に行ったことがあるが、キューレーターから説明を受けなければ訳のわからない作品が多かったが、それでも彼女のほとばしる才能と、独特の宇宙観に手触りを感じた。
ニューヨークで、ヨーコの白い壁に釘が沢山あって、どこに釘を打ってもいいと、かなずちが置いてあった作品の前で、ジョンが釘を打ちつつ初めてヨーコと出会い、会話して、その時からジョンがひきずり込まれるようにヨーコに惹かれていった、というエピソードがとてもわかるような気がする。ジョンはこのときミュージシャンではなく、本物のクリエイターになりたかったんだと思う。

何か新しい局面にぶち当たった時、どうすべきか。一番弱い立場に居る人の側に立ってみる。被害者、突き落とされて傷つき悲嘆にくれる人、自分に何が起こったのか分からなくなって混乱し、言葉を失っている人、そうした弱い立場に立っている人と同じ側に立って物を見るということが大切だと思う。

今でこそロンドンニューヨーク間は、直行便で8時間で飛べるが、60年代ではその倍もかかっただろう。ジュリアンの気持ちを思って仕事を放り出して、ジュリアンに会いに行ったポールの気持ちを思うと、胸の中があたたかい思いでいっぱいになる。
I am singing [Hey Jude]1968 、written by Paul McCartney. Jude is nick name of Julian, son of John Lennon and his wife Cynthia. After John left his family for Yoko Ono, Paul came from London to visit Cynthia and Julian. Then he wrote [Hey Jude] as way of consoling little Julian...." And anytime you feel the pain, hey Jude refrain, Don't carry the world upon your shoulders".... poetic words sing to a confused and hurt 5 years old little boy and some of the most empathetic lyrics ever written. Cynthia later wrote that Paul was the only person who dared anger John, by visiting her and Julian in their time of need.