2011年3月31日木曜日

ピーター ウェヤー監督




ピーター ウィヤーは オーストラリア人の映画監督。
日本で言うと 黒澤明とか、篠崎正浩みたいな存在か。オージー映画の代表作を作っている偉大な そして現役で活躍している監督だ。紹介したばかりの 映画「ザ ウェイ バック」が彼の最新作。シドニー生まれ、シドニー大学卒の67歳。

代表作は
1975年:「ピクニック ハンギンロック」
1981年:「誓い」
1989年:「いまを生きる」
2003年:「マスターアンドコマンダー」
2011年:「ザ ウェイ バック」

「ピクニックハンギングロック」は、
1967年、ジョーン リンジーによる同名の小説の映画化で、ミステリーだ。
1900年 メルボルンの名門 クラウド女学院の生徒達が 恒例のピクニックに、景勝地ハンギングロックに行った。19人の生徒達と教師2人は、昼食のあと、休んでいたが、そのうちの3人の生徒が 岩山に登って そのまま帰ってこなかった。岩のクレーターに落ちて 帰れなくなったのか、誘拐されたのか、山の神隠しにあったのか、、、。地元の人々や警察の懸命の捜査にも関わらず 3人の少女はそのまま失踪してしまった。
美しい山々の景色と、両家の子女達の優雅で美しい白いドレス姿、これにパンパイプの音響効果で、ミステリー効果抜群の怖さだ。山の霧とともに 美少女たちが 音もなく消えていく。山の神秘的な姿と、不思議なパンパイプの不思議な音が とてもとても怖い。画面では殺人も 怖い男も 何も出てこないのに、どの恐怖映画よりも怖い。
いまでも メルボルン方面を旅する人は この景勝地ハンギングロックにハイキングに行くことができる。入り口のハンギングロック博物館に入って、行方不明になる追体験もできる。

「誓い」は、
1981年 原題「ガリポリ」。これはオージーにとって、特別な作品だ。
第一次世界大戦 トルコのガリポリで イギリス軍の判断ミスのためにイギリス軍指揮下にあったオーストラリアとニュージーランドの志願兵が1万人以上 無駄に戦死させられた。当時オーストラリアは 欧州の戦争の どこからも遠く離れていたにもかかわらず 自分達の祖先であるイギリスに忠誠を誓うため 進んで若い人々が志願し参戦した。しかしガリポリでは、トルコ兵が 機関銃で陣地を作って待っている前線を 歩兵が突撃するという誤った作戦のために 1万人余りの兵が ほぼ全滅した。このイギリス軍の命令によって文字通り意味のない戦死を強いられたことが、契機になって オージーのイギリス離れが起き、オーストラリア人としての自覚と愛国心が芽生える契機になった。
毎年4月25日の開戦記念日には、オージーたちは 年よりも若い人も 大きな集団になって戦死者に祈りをささげるために ガリポリまで出かけていく。去年は1万人余りのオージーが トルコもこの小さな岬を埋め尽くした。オージーにとってガリポリは 愛国心の拠り所なのだ。
そのガリポリの戦いを描いたのが この映画で、メル ギブソンの出世作でもある。戦争映画の傑作中の傑作だ。何度観ても 観終わったあとで ふつふつと戦争への憎悪と怒りが湧いてくる。とても優れた反戦映画だ。

でもわたしがピーター ウィアーの映画のなかで 一番好きなのは「いまを生きる」。
1989年、原題「デッド ポエット ソサイテイー」(DEAD POET SOCIETY)。ロビン ウィリアム主演のアメリカ映画。
1959年 ニューイングランドの、名門カレッジであるウェストンアカデミー。この全寮制の男子校は、イギリス式の厳しい校則のもとに 学問を究め、卒業後は政財界の主流を占める優秀な人材を育てる。校則になじめない生徒や 勉強で優秀な結果を出せない生徒は どんどん辞めさせられる。生徒と先生と卒業生は3身一体の強い絆で結ばれている。
そんな高校に ちょっと風変わりな、元卒業生という 国語教師(キーテイング)が赴任していきた。校則を守らない。イギリス近代詩の授業で 定型詩の作り方を述べた部分を破り捨てるように言う。教室の机の上に靴のまま 皆を立ってみさせて、そこから見た視点の違いを大切にするように、と言う。授業中にフィールドでラグビーをして汗を流す。校庭を歩きながら 詩を読ませる。そして自分の心が感じる詩を描けと言う。
生徒達は 驚きあきれながらも キーテイングが来てから 活発で生き生きとした心を持ち始める。

キーテイングに触発された生徒達のグループが「デッド ポエット ソサイテイー」という名前をつけて 寮を抜け出して秘密の集会を持つようになった。森の中の洞穴が集会場所だ。そこで禁止のタバコを吸ったり、雑誌を読んだりする。勿論 見つかれば退学だ。
しっかりもので優秀な二ールは いつもいじめられっ子だったトッドと寮で同じ部屋だ。二人は キーテイングに 強烈な刺激を受けた。二ールは、学期終了前の学内劇で、シェイクスピア「真夏の夜の夢」のパックを演じた。劇が成功して、二ールは 自分を自由に表現することの喜びを知る。そして父親に 将来役者になりたい と申し出る。一人息子が伝統校で学び、将来を政財界で活躍することを期待していた父親は 激怒して、二ールを退学させて 陸軍士官学校に強制入学させた。ニールは、芝居をもう二度と演じることが出来なくなったことを悲観して自殺する。
学校側は ニールの自殺は 教師キーテイングに強く影響されたためだ と断じて過激思想犯のキーテイングを退職させる。デッド ポエット ソサエテイーは崩壊した。
キーテイングが学校を去る日、学校側はキーテイングと生徒達を接触させようとしない。黙って去っていくキーテイングに、尊敬と信頼をこめて いつも弱虫だったトッドが机の上に立った。後に続いて 何人もの生徒達が机の上に立つ。そして去っていくキーテイングを見送った。

魂が自由であることの大切さが描かれている。
伝統、良家の子弟 全寮制といった制約のなかで、自由な心をもって芸術を愛することを教えた ひとりの教師の意志と 不幸な結果がただただ痛ましい。型破りな教師を最後まで慕う生徒達の澄んだ目が美しい。ラストシーンで 泣かずにいられない。
昔のことだが、この映画は、死んだ夫がどうしても見たいと言い出したので フィリピンに赴任中だったが里帰りして 東京で観た。ふたりの娘達は 当時10歳と11歳。映画館に慣れていなかったので最後まで見てくれるかどうか心配したが、誰よりも娘達が熱心に この映画を観た。10歳なり11歳なりに 感じるところがあったのだろう。そのことが、とても嬉しかった。
ホイットマン、キース、ゲーテ、シェイクスピアの 美しい詩が 映画のなかで いくつも読まれた。

「マスター アンド コマンダー」は
あまりよく憶えていないので 映画の説明はしないが、船のキャプテン、ラッセル クロウと船医のポール ベタニーが 長い航海のあいだの退屈しのぎに ヴァイオリンとチェロで二重奏するシーンが何度も出てきて それがとても良かった。エリート貴族の気品あふれる格調高い雰囲気のなかで、楽器を介して 男同士の友情が確かめ合う姿がまぶしい。美しい映像に バロック音楽が合わさって とても贅沢な映画だった。

ピーター ウィラーの作品のそれぞれに類似性はない。ひとつひとつの作品が独立した趣をもち、全くそれぞれが異なったテイストで仕上がっている。
監督として多作とはいえない。でも、こんな才能豊な監督が 居てくれて嬉しい。まだ若い。これからも 良い作品をみせて貰いたいと思っている。

2011年3月28日月曜日

映画 「ザ ウェイ バック」




ナショナル ジェオグラフィック協賛の 実話をもとにして作られたイギリス映画。原作は 1956年に発表された サルボミール ラビチェスの自伝的小説「THE WAY BACK」。

1940年 シベリア グラグ流刑地。
ポーランド軍士官、ヤヌスはロシア軍に捕らえられ 拷問を受ける。スターリン独裁政権下、ドイツ侵略によって分断されたポ-ランド人、政治犯、ロシア国内の極悪犯罪者、ユダヤ人などが、次々とシベリアに送り込まれた。ヤヌスは コミュニストのスパイをしていた嫌疑で逮捕されたが、証言台に引き出された妻の証言によって、シベリアに送られた。シベリアで流刑者たちは 森の木々を伐採し、鉱山で石炭を掘る強制労働を強いられた。宿舎の劣悪な環境と、過酷な自然環境の中で、流刑人の死は日常のことだった。

ヤヌスは シベリアに着いた その日から脱走する計画をたて、信頼できる仲間を探し始めた。収容者たちは 食料を隠し持ち、タバコを密輸し、博打もする。収容者の中でも 極悪犯罪者のギャングの力が大きく支配していた。
強制労働に就いて ある日、森の木の伐採に出かける途中 激しいブリザードに遭い、行進させられていた流刑人たちが、次々と低体温で道端に倒れて死んでいく。このままでは 全員が凍死するしかない という生死の際で、 アメリカ人の流刑人スミスが 警備陣が止めるのを聞かず 隊列から出て、森の中に避難する。残りのヤヌスや警備員達も スミスに従って森の木々をかき集め ブリザードをやり過ごして延命することが出来た。これを機会に スミスとヤヌスを中心に 信頼できる仲間が結束する。

収容所の電気を供給するジェネレーターは いったん止まると 回復するまでに10分かかる。この10分間は収容所を囲む外柵の電流も止まる。電灯も止まるから 監視は収容者の姿を監視することができない。この10分に 柵を越えて どこまで逃げられるかに、脱走が成功するか、失敗して銃殺されるかの 生死がかかっている。激しいブリザードの夜、ジェネレーターが止まり7人の男たちが脱走した。

アメリカ人で技師のスミス(エド ハリス)、ポーランド軍士官だったヤヌス(ジム ストラジェス)、ロシア人極悪犯罪者バルカ(コリン フェレル)、コサック兵だったヴォス(グスタフ スカースガード)、ちょっと頭の弱いカバロ(マーク ストロング)、料理人で絵がうまいゾーラン(ドラゴス ブカー)、最後のひとり ポーランド人は逃亡に成功したものの凍死する。ヤヌスは その墓に立ち、収容所で死ぬのではなく自由になって死んだ青年に 祝福の言葉を捧げて 皆は逃亡の旅を急ぐ。一行の食料は少ない。バイカル湖に向かって、先を急がなければならない。

湖まで数百キロ。飢えと寒さを乗り越えて 湖に着く。そこで一行は一人の少女が 後をつけてきていることに気がつく。飢えて彷徨っていた少女の名はエレーヌ(サイオアス ロナン)、彼女はポーランド人で コミュニストだった両親を殺され、孤児院に入れられ そこで性的に虐待を繰り返されるのに耐えかねて逃亡してきたのだった。エレーナが加われば 彼女に乏しい食料を分けなければならない。それは、6人の男たちの生死に関わることだった。しかしエレーナを振り切って男たちは 立ち去ることができない。幼い少女がたどってきた過酷な境遇を知ったからだ。しかしエレーナの軽い足取りや、小鳥のように男たちの間を飛びまわって語りかける姿は 男たちの心に、忘れていた安らぎをもたらせてくれた。
一行7人は バイカル湖を後に ロシアとモンゴルの国境をめざして歩く。モンゴルに入れば自由になれるはずであった。

しかしスターリニズムはモンゴルにまで波及していた。中国共産党勢力は モンゴルにまで及んでいたのだった。国境で、ロシア人バルカ(コリン フェレル)は ひとりロシアに残ると主張して 皆と別れる。重罪犯とは言え、ロシアへの愛国心を捨てることができなかったのだ。

6人は モンゴルから万里の長城を越えて、タクラマカン砂漠を横断して、チベットを経てインドまで逃れる。これがヤヌスの道程だ。あわせて6500キロメートル。これを徒歩で行かなければならない。 
タクマカラン砂漠で エレーナが倒れる。飢えと乾きの果てに、エレーナは男たちに見守られながら死んでいく。料理屋で絵のうまかったゾーランも死んでいく。残った4人の男たちは 何度も死線を彷徨いながら 砂漠を徒歩で越え、チベットに至る。
ここで チベットから中国に入りアメリカ軍に合流するというスミスを置いて、残りの3人は ヒマラヤを越えてインドに入り 占領国のイギリス政府によって、保護される。1年かけて、男たちは自由を求めて、徒歩で6500キロメートルを走破したのだった。
というお話。

監督:ピーター ウィアー
キャスト
ヤヌス:ジム ストラジェス
スミス:エド ハリス
バルカ:コリン ファレル
カバロフ:マーク ストロング
ゾラン:ドラゴス ブカール
ヴォス:グスタフ スカルスガード
エレーナ:サオイアス ロナン

自然の映像が素晴らしい。ナショナル ジェオグラフィック協賛だけのことはある。黒々として深いシベリアの森、ブリザード、そしてバイカル湖の大きさ。360度黄土の広がるタクラマカン砂漠、チベットから見るヒマラヤの山稜の輝き。
ヒマラヤが雄大に空に聳える その岩山を 粗末な衣類を身にまとい、履き古した軍靴で足を踏みしめていく。自然の大きさのなかで豆粒のような大きさに見える男たちが 一歩一歩 助けあって進んでいく姿が感動的だ。カメラワークが素晴らしい。

「ラブリーボーン」で、変態男に殺されてしまう小さな少女を演じたサオイアス ロナンが 暗い男ばかりの映画で 花をそえている。可憐で 涼しげで可愛らしい。この一輪の花のために 飢えて生き延びることしか頭になかった男たちのなかに、急に人間らしい感情が流れ出す。無口で 自分のことを決して語らなかったアメリカ人、おそらくスパイだったと思われるスミスの冷たい目が、少女に出現で目に優しさがもどってくる。そういった男たちの心の変化が画面で 巧みに表現されている。さすが、ピーター ウィラーは うまい。

ヤヌスはどんなことがあっても 妻の待つ家に 帰らなければならない。自分は拷問を受けても罪を認めなかったが 妻の証言によって 政治犯としてシベリアに送られた。妻は一生 夫を権力に売り渡したことで 自分を責めるだろう。恐らく妻も拷問されて 夫を裏切らずにいられなかった。だから、自分が妻のところに戻って 自分が受けた罰など 何とも無い、妻は許されている、私たち夫婦は何ひとつ壊されてはいないのだ ということを 伝えてやらなければならない。そう信じて帰ろうとする 信念の強さに感動する。

この映画は、6500キロを歩いて強制収容所から自由を求めて脱出した勇敢な男たちの物語。観終わった後に 過酷な戦争への怒りにふるえ、それを乗り越えようとする人間の力強さに、心打たれる。

2011年3月25日金曜日

スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」




スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」を観た。
日本ではずっと前に 3部作全部が一緒に 公開になって、もうブルーレイも出ているようだが、シドニーでは 一つずつ公開されて、第一部、第二部を観てから 1年近く待って第3作をやっと いまやっと劇場で観ることが出来た。

「ミレニアム」3部作の最後の作品。第一作「ドラゴン タトゥーの女」と、第2作「火と戯れる女」に続く第3作だ。
世界中で 1000万部以上売れに売れたベストセラー小説を 映画化したもの。残念なことに この作家ステーブン ラーソンは 作家として油の乗り切った時に 若くして2004年に亡くなった。
映画でマイケルを演じたマイケル ナクビストは スウェーデンで人気の 日本で言えば 高倉健のような人だったが 映画のおかげで 世界のマイケルになったし、主役のノーミ ラパスは ハリウッド女優なみの扱いを受けるようになってしまった。スウェーデン作家によるスウェーデン映画であるところが良い。しかし、この3部作の映画での成功を見て、ハリウッドが 別の俳優を使って同じ映画を作るようだ。2番煎じもいいところ。ハリウッドが そんなオリジナリテイーに欠けることをしてはいけない。
キャスト
リズベット サランダー:ノーミ ラパス
マイケルブロンクビスト:マイケル ナクビスト

ストーリーをおさらいする
リスベットは14歳で 性暴力で自分や母を虐待してきた父親に ガソリンをかけて火をつけ 焼き殺そうとした。その罪で精神病院に送られるが、ここでもベッドに1年以上 拘束されたまま 精神科医によって 性的虐待を受ける。成人してからは またしても後見人からサディステイックな虐待を受ける。エリザベットは 理解者も信頼すべき友人もない中で一人で生きて行かなければならなかった。
彼女はコンピューターハッカーとして天才的 特異な才能をもっていた。企業の秘密を ハッカーして盗み出すプロとして、生活するようになった。
病的なナチ信奉者による連続女性猟奇的殺人事件を追求していたジャーナリスト「ミレニアム」紙の マイケルと、コンピューター上で知り合い、マイケルはリスベットの協力を得て 事件を解決する。マイケルとリスベットの間には 男女の愛情を越えた友情が芽生えはじめた。
ここまでが第1部。

リズベットの後見人が殺された。
死体の横には りズベットの指紋のついた銃が落ちていた。また同じ時期に「ミレニアム」の編集記者とその妻が 残忍な殺され方で殺された。死体から出てきた薬きょうは リズベットの後見人が殺されたのと同じ銃から発射されていた。殺された記者は ロシアマフィアの人身売買について、記事を書いていたが、そのレポートも奪われた。
リズベットは警察から指名手配され、殺された記者の書いたレポートを探し求めるマイケルの身にも危険が及ぶ。そこでわかったことは、ロシアマフィアの大元は リズベットが14歳の時に 殺そうとした実の父親:ザラだった。ザラは スウェーデンの政治家や ビジネスのトップ達に 人身売買で連れてきた東欧の女性を手配したり、ぺデファイルの生贄を供給していた。ザラとその息子は リザベットを消そうとする。警察に追われながら、リズベットは ザラたち、ロシアギャングからも逃げつつ、復讐を試みる。しかし遂に ザラに捉えられ 頭や体に6発の銃弾を受け地中ふかく埋められる。リズベットは 死に物狂いで 穴から這い出して さらにザラにナタで襲い掛かり復讐しようとして 駆けつけたマイケルに救われる。警察は傷だらけで瀕死のリザベットと ザラを逮捕するが、兄を獲り逃す。
ここまでが第2部

病院でザラは スウェーデンの高官から口封じのために殺される。リズベットも、同じ殺し屋から追われるが、マイケルの機転で助けられる。彼女は後見人と「ミレニアム」紙の記者とその妻を殺した容疑に加えて、ナタで父親に襲い掛かり大怪我をさせた容疑で 裁判所に引き出される。自己弁護しなければならない身になって、彼女は自伝を書き始める。マイケルはそれを出版することになった。何故子供のときに 父親にガソリンをかけて殺そうとしたのか、精神病院のベッドで何があったのか、また後見人からどんな虐待を受けていたのか、、、リズベットの過去が明らかになる。マイケルは法廷で 公安警察とともに、ロシアマフィアに汚染されたビジネストップや政府高官たちの 腐敗した姿を明らかにする。
リズベットに判決がおりて、、、
と ここで第3部も終結する。

世界1の福祉国家 スウェーデン。表向き 静かで平和な社会に はびこる腐敗と汚職、汚れた金と異常な性愛、権力者たちの いびつな欲望。スウェーデンの「いま」を映し出している。
何にも恐れず ちゅうちょなく頭から危険に飛び込んでいく リズベットの向こう見ずな行動力と 絶対負けない気力がすごい。
子供の時から これでもかこれでもか と虐待されて、性的に貶められて傷だらけになりながらも 精神は全く打たれない。小柄なひとりの女性が ロシアマフィアや政府高官たち、ビジネスのトップの面々、暴力団、バイクギャング、プロの殺し屋 すべてを敵にまわして 平然と自分の足で立っている。パワフルで、力強い。勇気つけられる。

トサカヘアーにメタルルックス。鼻や唇にいくつものピアス。高いブーツに ぴったりのレザースーツ、「キッス」並みの化粧、アッと驚くパンクファッションに包まれた やわらかい心の傷。触れば血が噴き出してくる生傷を抱えて しかし決して打たれない。そんなリズベットの姿に 女性なら みな共感を覚えるだろう。心から あたたかい拍手を送らずにいられない。

2011年3月20日日曜日

アシュケナージ指揮で庄司紗矢香を聴く



折りしも空前の大地震と津波が日本の東海岸を襲った日の翌日、3月12日、日本の若手のヴァイオリニスト:庄司紗矢香が シドニーオペラハウスでメンデルスゾーンを演奏した。

このときは、まだ 私たちには地震、津波の被害状況が よくわかっていなかった。津波が北東海岸を襲う テレビニュースの様子に胸を痛めながら、東京の父や兄弟の安全は確認できたが、全体の被害状況は ほとんどわかっていなかった。
大地震のニュースに ニュージーランドのクライストチャーチで 救助に当たっていた日本の消防署の方々が急遽帰国し、ジュリア ギラード オーストラリア首相が、日本に60人の災害救助隊を送る約束をしたばかりだった。

ウラジミール アシュケナージが NHK交響楽団のあと、シドニーシンフォニーオーケストラの常任指揮者になって3年目になる。今年も彼がいくつものコンサートで棒を振る。現役のピアニストとして活動を続けながら オーケストラの指揮をしていて、彼の包容力のある人柄が オージーたちを魅了している。去年と今年にかけて、彼は精力的に シドニーシンフォニーで マーラーの交響曲全曲を公演して、収録している。

プログラム
メンデルスゾーン ヴァイオリンコンチェルト ホ短調
マーラー交響曲第7番 ホ短調「夜の曲」

この日 シドニーオペラハウスは 満員、3000人余の席が埋め尽くされていた。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト ホ短調は とてもよく知られた曲で、ヴァイオリンを弾く人なら一度は弾いたことがある 美しい曲だ。演奏したのは 地震と津波被害のあったばかりの日本から来た、可愛らしいお嬢さん。オージーの標準体格からすると中学生くらいにしか見えない小さな女の子が 驚くほど大きく 豊かな音を出してオージー達を感動させてくれた。
演奏が終わると オージーは 熱狂的に拍手をした。10分くらい 拍手が止まらなかった。庄司紗矢香は、何度も舞台を引っ込んだり 出てきたりしてお辞儀をして去って行った。
ちょっと あっけなかった。観客の大歓声と 鳴り続く拍手に対して、なにか一言 あるいは短いアンコール曲があっても良かった。

庄司紗矢香は、1999年パガニーニ国際コンクールで日本人初 史上最少年で優勝したバイオリニスト。現在28歳。
ズビン メタに見出されイスラエル ハーモニックでパガニーニのCDを収録している。独逸ケルン音楽大学を出て、主にヨーロッパを根城に音楽活動をしているそうだ。
この日のコンサートのチケットを手に入れたのは 去年の9月。
日本の25年住んでいないので、若手の音楽家のことは知らないが、彼女のことは映画「4」で知っていて、是非聴きたいを思っていた。

映画「4」とは、ヴィバルデイの「四季」を4人の若手のヴァイオリニストに弾かせて それぞれの奏者が住む国の季節を捉えるという映画だった。このときの「冬」を弾いたのは フインランドのペッカ グスト。ペッカが大好き。好きで好きでたまらないので、この映画を何度も観た。フィンランドの深い雪のなかを音楽仲間達とふざけて走り回る彼の姿と、彼の透明なフィンランドの空気が透けて見えてくるような 滑らかで艶のある 豊かな音色に 心を奪われずにいられない。
映画の中で 庄司紗矢香は 「春」を弾いた。少し前のものだが 彼女のメンデルスゾーンを 貼り付けておく。
http://www.youtube.com/watch?v=dskvPJdRDoE

さて、休憩をはさんで第2部 マーラー。
交響曲の中でも 一番長くて、色彩が豊かで いろいろな表情をもった曲、第7番「夜の歌」。
第5楽章まである。
とても楽しいシンフォニーだ。彼の曲には物語りがあり、曲の経過とともにストーリー性があって、テンポも曲想も変わっていく。最初にしっかりした構造があって、そこにメロデイーが入っていく古典派とは全く異なった構造を持っている。シンフォニーになかに、声楽が入り 歌曲とシンフォニーとの境目など全く無視している。シンフォニーオーケストラの音に まったくそぐわない音:マンドリンとギターを組み入れる。転調がめまぐるしくあって、テンポも自由自在に代わる。多調、無調というか、転調を繰り返し 緩急自在にテンポを変化させた。それが楽しい。

マーラー(1860-1911)オーストリア人は 作曲家としてよりも指揮者として有名だった。ライピチッヒオペラハウスを始めとして、ウィーン宮廷オペラハウス、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニックなどで常任指揮者だった。10のシンフォニーを書いたが 最後のシンフォニーは未完のままで亡くなった。彼のような 前衛的なロマン派の作品が演奏されるようになったのは 1970年以降だ。
指揮者にとっては マーラーのように 自由で古典的制約のないシンフォニーは、それを生かすも殺すも指揮者次第になるので、とても棒の振りがいがあるだろう。
アシュケナージは、ヨーロッパの歴史ある重厚で慇懃で暗いオーケストラでマーラーをやるのでなく、あっけらかんとして明るくて、順応性のあるシドニーシンフォニーに出会って、マーラーを取り組みたくなったのだろう。とても楽しいマーラーだった。
14のヴァイオリン、13のセカンドヴァイオリン、10のヴィオラ、10のチェロ、7のコントラバスに 30人のフレンチホーン(5)を含む金管木管吹奏楽器、それと6人のパーカッションがいて、様々な音を作っていた。コンサートマスターは デイーン オールデイング。彼独特の少し金属的な でも優しい音がよく響いていた。

マーラーは シンフォニーは世界を祝福するものであるべきだ と信じていたそうだ。その言葉どおり明るくて高らかに鳴り響き 聴いている人を幸せな気分にさせてくれる。

地震、津波、そして被爆と、悲しいニュースばかりで、音楽は それらに対して何の力ももっていない。
しかし、音楽は心をひとつにし、人間らしい情感を取り戻す力を持っている。こんなときに音楽、、、でもこんなときだからこそ音楽に耳を傾けたい。 

2011年3月16日水曜日

地震 津波 そして被爆

わたしたちは 充分原子力発電所設置に反対してきただろうか?
圧倒的な死者の葬列にむかって
何も言うべき言葉が見つからない

活断層の上に立つ55基の原子力発電所
世界第2位までに登りつめたことのある日本の経済力をささえた
日本の35%の電力を賄った原子力発電に
わたしたちは いつもNOを言い続けてきたはずだった
それが未来のクリーンエネルギーだと誰も信じていなかったはずだ

金曜日の午後 日本を地震と津波が襲い
政府は 最初の記者会見で 死者3名 原発に被害はない と公表した
いま日本政府が記者会見をするたびに、ABCやSBS記者たちは、「日本政府の発表にどのくらい信憑性があるか疑問です」という言葉を付け加えることを忘れない

各国大使館が、東京から大阪に避難移動する という
大阪なら大丈夫か と誰もが疑心暗鬼だ

メルトダウンした福島原発第1、第2、第3、第4は 永遠に封鎖されなければならない と識者は言っている
すべての原発をシャットダウンさせるべきだ
株が急落して円を支えることが出来ない
日本経済はどん底まで落ちる
再生への道は 原発すべてを封印することなしにあり得ない

2011年3月11日金曜日

オペラ 「カルメン」を3Dで観る




イギリスロイヤルオペラシアターのオペラ公演「カルメン」が、ハイデフィニションフィルムに収められて、それを3Dで立体的に観ることが出来た。
「なに、それ?」「アバターやシュレクやアリスワンダーランドなら わかるけど どうして古典オペラを 3Dで観なくちゃならんのか?」と言われそうだが、実際行って見て これがとても良かった。

日本でも 映画配給会社がこのような舞台ライブのフィルムを 映画館で公開しているようだ。オペラだけでなく、歌舞伎や文楽のフィルムもあるようで、うらやましい。
地の果てのような 南半球のオーストラリアに暮らしていて、ニューヨーク メトロポリタンオペラや、ロンドンのロイヤルオペラシアターのライブを観ることが出来る贅沢が とても嬉しい。映画館の大画面で観られるだけでなく、幕間の休憩時間に 舞台裏で働く人を カメラが追って見せてくれるサービスも嬉しい。時として 出演者にプラシボ ドミンゴが インタビューするのを見せてくれたりもする。大サービスだ。

3Dで観たのは ビゼーのオペラ「カルメン」。本物の オペラオーストラリアが演じた舞台は ひと月ほど前に観たばかりで 報告を2月10日の日記に書いた。これが2006年 コベントガーデンで初めて好演されて大好評だった舞台を基にしているので 3Dで観た ロンドンの舞台と ほとんど同じだった。でも お金のかけ方が 2倍も違う。ロンドンの舞台の方は、少年合唱団など 40人以上 使っているが オーストラリアの舞台では、12人だった。出演者の数が断然 ロンドンの方は多い。衣装や道具も ずっとお金がかかっている。やっぱ、本家は違うんだ、、と 再認識させられて、ちょっと くやしい。

3Dフィルム というのは 右目用と左目用の映像を高速で交互にスクリーンに映し出して 特殊眼鏡をかけて 片方ずつしか見えないようにすることで 映像を立体的に感じさせる技術だ。初めの頃は きれいな色が出せないとか、立体的と言われれば 立体的かな?というくらいで、あまり特別な感じは しなかったが 序序に画面の質が良くなってきている。
3Dしか見られない 大型の3Dテレビが売りに出されて、自宅で3D映画が楽しめるようになったが 学校関係者や幼児専門医療関係者は 子供の目の成長に良くないので 3Dテレビは買わないように というキャンペーンをしていた。確かに 幼児に距離感がわからなくなるような映像ばかりを見せていたら 危険だし良くないだろう。

さて、オペラの舞台を3Dで観ると どう見えるのか。
自分の目から舞台までの距離が 無くなる。自分の手の届くような近さでオペラが繰り広げられる。舞台が私だけのためにある、よう。舞台を独り占めしている感じだ。
接写カメラのおかげで、表情はよく見えるし、カルメンの涙が 頬を伝い 鼻水が落ちそうなところまで見える。ドン ホセのひげの剃り残しまで はっきり見える。
特殊眼鏡をかけているから、隣や前の人が見えないので、他人が居ないも同然。ふつう、舞台を観ていると 前の人の頭が邪魔だったり 咳やクシャミをする人がいて 腹が立つが、そんなことは 見えないので全く気にならない。
舞台では フランス語のオペラを英語字幕が舞台の上に出てくるので 見上げて字幕を読みながら 舞台を観るので 首が疲れるが フィルムだと 映画のように 画面下に字幕がつくので観やすい。
普段の舞台では、オーケストラは 舞台下に隠れていて暗いので 指揮者の頭くらいしか見えないが、序曲のときは、オーケストラの奏者達を ひとりひとり しっかり写して見せてくれて、どんなに質の良い音を出しているかが ちゃんと見られる。指揮の指揮の仕方が華麗で とても感動的だった。

監督:ジュリアン ナピエール
キャスト
カルメン :クリステイン ライス
ドン ホセ:ブライアン ハイメル
ミケーラ :アリス アリギリス
エスカミリオ:メイヤ コバレスカ

カルメンのメゾソプラノを歌ったクリステイン ライスは黒髪の美女。素足でタバコ工場で働く姿は、野性的で実に魅惑的、最後のころエスカミリオの恋人になって闘牛場に向かう正装した姿は貴婦人のようだ。とても魅力的でパワフル。一頭の馬に エスカミリオと二人で乗って登場する姿は 立派で美しい。
エスカミリオのバリトンが とても通る 太い声で、堂々として力強い。何度も馬に乗って舞台に出てきて しっかり演技もして、歌も歌う。満足度95%のエスカミリオだった。
肝心の ドンホセ。ブライアン ハイメルの よく伸びてよく通るテノールが とても良かった。
 
コンサートはCDを買わず コンサートホールで聴く。映画はDVDを観ないで 映画館で観る。オペラは 舞台でしか観ない。そう決めている。
しかし、優れたオペラを 質の良いフィルムで よく編集された画面で しかも3Dで観ることが、こんなに楽しいことだった とは知らなかった。
新しい発見だ。誰にも邪魔されず 自分だけの舞台を独占して、至上の時を過ごした。

2011年3月5日土曜日

ヒラリー スワンクの映画 「コンヴィクション」

劇場で映画が始まる前に 近いうちに上映予定の映画の前宣伝をいくつか見ることが出来る。それを見ていると 是非観たい作品と、もう宣伝フィルムだけで内容も感触もわかってしまったからもう充分、という作品とに分かれる。 宣伝用のフィルムを見ただけで 涙があふれて仕方がなくて、公開を心待ちにして、観たのが この映画「コンヴィクション」だ。原題「CONVICTION」、有罪宣告という意味。実話を映画化したものだ。

ストーリーは
兄ケリーと 妹べテイアンとは とても仲の良い兄妹だった。マサチューセッツの田舎で、二人は 泥まみれになっていつも遊んでいた。母親はシングルマザーで6人子供を産んだが、その父親が全部ちがう父親だった というような生活環境。妹思いのケニーは 妹が悪いことをしても いつも叱られたり 責められたりするのは兄の役割だと思っている。ケニーは どんなことがあっても 小さな妹を体をはって守り通してくれた。 小さな町で二人は成長し、それぞれ家庭を持ち、子供をもった。そんな二人の兄妹の関係に 転機が訪れる。

1983年、静かな小さなこの町で、強盗事件が発生する。未亡人が殺され、家が荒らされた。 寝耳に水のケニーの逮捕。物証が何もないのに、二人の女の証言だけで ケニーは 殺人犯として、終身刑を言い渡される。 そんなことがあって良いはずはない。べテイアンは、どんなことがあっても 監獄から兄を救い出す決意をする。

まず、べテイは高校卒業の資格を取り、大学に入り 法学を勉強し始める。小さなバーで働きながら、昼夜なく働き、彼女は勉強を続ける。兄の無実を証明したい一念だ。夫が去り、二人の子供達は 母親の不在に不満のやり場がない。 べテイアンは 遂に弁護士の資格を取り、兄のケースを再審に持っていくための仕事にとりかかる。18年たっていた。時に DNAテストが 警察で事件の証拠として認められるようになり 殺人事件当時の証拠とされていた血痕が ケニーのものではないことが証明された。べテイアンは、協力者を得て、ケニーの無実を立証していく。あとは、二人の当時の証人を探し出し、証言をひるがえさせることだ。そして、二人の証人の偽証が明らかになる。
人生の一番幸せだったときに 逮捕され、終身刑を言い渡されたケニーに 遂に無罪が、、、
というお話。

監督:トニー ゴールドウィン
キャスト
べテイーアン ウォーター:ヒラリースワンク
ケニー ウォーター   :サム ロックウェル
ナンシー テイラー警部 :メリッサ レオ
友人弁護士       :ミニー ドライバー
友人弁護士       :ピーター ガラシャー
ケニーの娘       :アリ グレイノール

本当のお話だけに迫力がある。「ヒラリー スワンクのがんばり」に終始する映画だが、彼女が演じる「強い女」はピカイチだ。涙をこらえて キリッと前方を見据えて しっかりした足取りで歩く。勇敢だ。 彼女は クリント イーストウッド監督の「ミリオンダラーベイビー」で、アカデミー主演女優賞を取った。ハングリーで自分の決めたことは 絶対に譲らない。他の女優には演じられない。この映画は この女優なしには成功しなかったと思う。

汚い手で 女達に偽証をさせて、自己保身にはしる女警官役を演じた、メリッサ レオは、「ファイター」で、クリスチャン べイルの母親役で、つい先週発表された今年のアカデミーで、助演女優賞を取った。カメレオンのように どんな役にも自分を合わせて 器用に演じることのできる女優だ。

感動的な実話なので その強烈な事実に引きずられて、心動かされるが 映画としては 人物の心象風景の描き方や ケニーとべテイアンの心理に立ち入って描かれていない。子供時代の回想シーンも、クリント イーストウッドが監督していたら もっと子供達の生き生きとした世界が描けていただろう と残念に思った。いろんな場面で、何かが足りない気がして仕方がなかった。

しかし、事実の重みに心動かされ 勇気つけられる。18年間の彼女の努力。自分は家族のためにこれだけのことが出来るだろうか。 映画に感動して、涙を枯らしたあとで、映画の最後のテロップを読んで、観ていた人はもう一度 泣く。
泣かずにいられようか。
事実は 残酷だ。

2011年3月2日水曜日

リアン ニルソンの映画 「身元不明」



映画「身元不明」、原題「UNKOWN」を観た。

アクションスリラー映画 アメリカ ワーナーブラザーズ製作。
監督:ジャゥメ コレット セラ
キャスト
ドクターマーチン ハリス: リアン ニーソン
妻 リズ        : ジャヌアリー ジョンズ
ジーナ タクシードライバー:ダイアン クルーガー
マーチン ハリス その2: エイデン クイン

ストーリーは
科学者ドクターマーチン ハリス(リアン ニーソン)は 学会に参加するために 妻のリズ(ジャヌアリー ジョンズ)を伴い ベルリンにやってきた。ベルリンは初めてだ。
二人は 曇り空、雪がちらつく寒い空港から タクシーに荷物を積み込んで ホテルに向かう。しかし、ホテルに着いたときに マーチンは パスポートや 学会で発表する原稿の入った一番大事なアタシュケースを タクシーに積み残して、空港に残したまま来てしまったことに気がついて、あわてて、別のタクシーで 空港に戻る。

気が動転しているマーチンは、女性のタクシー運転手(ダイアン クルーガー)に 無理を言って 空港への近道を走るように頼み込むが、運悪く交通事故にあって 車は河に転落、マーチンは命は助けられるものの 昏睡状態で病院に運び込まれる。3日後、マーチンが昏睡から覚めたときには、自分が誰であるのか思い出せない。自分を証明するものは 何ひとつ身につけていない。不思議なことに ホテルで自分を待っているはずの妻や アメリカ大使館やベルリン警察から 行方不明の届出が出ていない。自分を探している人はいない。自分は 一体誰なのか わからない。

病院のベッドで テレビを見ていると、学会が開催されるニュースが報道された。これを見て にわかに 自分が学会のために来ていた事と、妻を残してきたホテルの名を思い出す。ドクターが止めるのも聴かず、マーチンは 病院を抜け出してホテルに急行する。
しかし5年余りの間 愛し合ってきたはずの妻は、マーチンを見て 知らない人だ と言う。そして妻に寄り添っているのは、見たこともない男だ。その男は ドクターマーチン ハリスだと名乗り、パスポートを見せる。パスポートの横には 妻を抱いた男の写真が貼ってある。
全く同じ所で撮影した妻を抱いた写真を マーチンは自分のパスポートケースに持っていた。しかしパスポートは アタシュケースとともに、失くしてしまった。マーチンは自分を証明することができない。

混乱しているマーチンに、プロの殺し屋が追ってくる。病院に戻ったマーチンのところにも 殺し屋が追ってきて、次々と自分を保護してくれる職員が殺されていく。安全なところは どこにもない。マーチンはジーナ(ダイアン クルーガー)という 事故にあったときに 乗っていたタクシードライバーに助けを求める。彼女は ボスニアから違法難民で、ベルリンでは不法労働者だった。二人は、年老いた私立探偵に出会う。彼はむかしのヒットラー時代のSSの生き残りだ。強力な この探偵の裏コネクションで調べた結果、マーチン ハリスが他の男に取って代わられた裏には、巨大な組織があることを突き止める。マーチンはジーナを伴って 逃げ回りながら、自分は誰なのか、殺し屋は何を狙っているのか、突き止めなければならない。

ことの真相がわかりかけてきた私立探偵は 消される。ジーナの友達も まわりにいる人たちも次々と殺されていく。追われながら 自分が誰なのか探し求めるマーチンに わかったことは、、、
というお話。
スリラーなので、その先は言えない。入り組んだスパイ劇なので、ちょっと考えなければストーリーが読めなくなる。それだけに おもしろい。

「シンドラーのリスト」、「72時間」(原題TAKEN)、「Aチーム」のリーアン ニルソンが大活躍する。彼の巨大な骨格、鼻筋が通った高い鼻と うすい唇、、外観からすると怪力ロボット、殺人マシーンのような役柄が ドクターマーチンの役に似合う。
私生活では 長年連れ添った奥さんの ナターシャ リチャードソンを 2009年のカナダモントリオールでのスキー事故で亡くしたばかり。
「72時間」では、誘拐された娘を取り戻す為に、刑事から情報を得ようと、好意的で親切にしてくれる刑事の妻を ちゅうちょなく平気で撃つシーンには驚いた。彼に笑顔は似合わない。無表情に じゃんじゃん敵をやっつけていく。アクション映画は、どんどんスピードを増し、残酷さを上回っていく。息つくひまもない。沢山の人が死に、たくさんの建物が壊れ、車も家も燃え上がる。

ダイアン クルーガーが可愛い。罪もないのに、たまたま男を助けた為に 複雑な事情に巻き込まれ 友人を殺され 自分の命まで狙われて 何度も何度も死線を潜り抜けなければならない。クロアチア難民という役柄なので ぎこちないアクセントで英語をしゃべる舌足らずが可愛い。

オーストリアの人気テレビ番組「インスペクター レックス」で ストックナー刑事を演じている役者カール マルコビックが リーアン ニーソンが入院した病院のドクター役で出ている。これが嬉しかった。ドイツ人の とても良い役者なのだ。インスペクター レックスでは、レックスという立派で賢い警察犬に いつも命を助けられるドジな刑事役だけど、彼が主役のドイツ映画「ヒットラーの贋札」では、彼の役者としての良さを証明してくれた。
この映画では ちょい役というか端役。こんなとき「カール マルコビックがカメオだった、、」という英語の言い方をする。カメオは小さな貝殻や象牙に彫刻を施した芸術品で 指輪やネックレスになる。そんな小さくて よく手をかけた宝石のような存在。彼がこの映画に出ていたために映画全体が引き締まって良くなったので 彼はカメオみたいだった。

この映画 スリルとサスペンスに、ミステリー謎解きが加わっておもしろい映画に仕上がっている。
日本公開は5月7日だそうだ。