2010年12月16日木曜日
異国の地に暮らして
多感な頃の二人の娘たちを連れて家族で フィリピンに10年暮らした。いろんなことがあったが、忘れられないことのひとつ。
マニラの片側4車線の大きなエドサ通り沿いにあるガソリンスタンドで、私の乗った車のドライバーが、給油しようとしたら 車寄せの給油スペースに 全裸の少年が倒れていた。数人の男たちが 笑ってタバコをふかしながら、うつぶせになった少年の体を蹴飛ばしたり、足でひっくり返そうとしたりしている。皆、笑っていたので、私のドライバーは 「昨夜飲んだくれた 酔っ払いでしょう。」と言って、そこでの給油をあきらめて、そのまま走り去った。フィリピン人にしては 色の白い、髪の短いほっそりした少年だったが、それを取り囲む男たちの 野卑な顔つきが とても嫌な感じだった。その日は それで、あったことをすっかり忘れていた。
翌日 ドライバーから、それが 20歳の女性で 輪姦された末 絞め殺された遺体だったことを知った。朝早く、新鮮な野菜や魚を買いに行く途中だったから、死後4-5時間は 経っていたのだろう。こともなげに、「あ、あれね、、女だったよ。」と言うドライバーの言葉に、平静を装ってはいても、胸の中で ドッと血が流れ 涙があふれるのを止めることができなかった。
どうしてあの時、何があったのか男たちに聞いて 酔った少年ではなく殺された少女だったと知って、シーツなり毛布なりを掛けてやらなかったのだろう、どうしてか、、と。陵辱されて殺されて なお死体をもて遊ばれていた少女を見て ただ通り過ぎてきた自分を責めた。
フィリピンでは いくつも死体を見た。見て 通り過ぎた。余りに死が身近だった。
それから数年して、娘達とシドニーで暮らすようになった。
ある朝、出勤する人々が忙しく交差するテーラードスクエア。オックスフォード ストリートを歩いて、向こう側に渡る時 道路わきに酔っ払いが寝ていた。若いが金色のもつれた髪、汚れた服、強いアルコールの匂い。そのあたりでは 夜でも昼でも路上生活者がいるし、酔っ払いなどいつも居る。ただ、操り人形の糸が切れたような ひしゃげたように、不自然な形で転がっている。怪我でもしているのかもしれない と思ったが 男の足をまたいで 反対側に渡ってバスを待った。見ることもなく見ていると、スーツ姿のハイヒール 書類鞄を持った いかにもビジネスウーマンと言った感じの女性が 足を止め 膝を折って男の横にかがみこんで 男が息をしているかどうか確かめて、それから安心したように歩み去っていった。一髪の乱れも無く装った出勤途中の若い女性と飲んだくれの 意外な取り合わせにびっくりした。すると、その後にもまた、別の若い女性が 男の横にかがみこんで 胸に手をやり 呼吸しているかどうか確認してから、通り過ぎた。驚くことに バスがくるまでの間に3人もの人が 転がっている酔っ払いの生死を確認していったのだ。衝撃だった。
マニラで殺された少女の全裸死体にシーツをかけてやらなかった自分を責めた自分は シドニーで酔って不自然な様子で転がっている少年を 触ることも近付くことも避けて通り過ぎている。生きているかどうかも確認しなかった。
こんなふうにして、いろんな国で 異国者としてただ、通行人として、余り人々と関わらずに生きて来た と思う。
倒れていたのが日本人だったら、通り過ぎることはしなかったはず。
オーストラリアに暮らして15年たった。
オージーのオットと暮らした年数の方が 日本人の最初の夫と過ごした年数よりも長くなったのに、いつまでもオットは他人で、死んだ夫は身内。
人は人種、宗教、文化、信条によって差別されてはならない と信じるが 自分自身の人種差別意識をいつまでも 消すことができない。
そんな自分を肯定も否定もできずに 異国の地で もう長いこと生きて来た と思う。こんなことを考えるって、ホームシックだろうか、、、。
あぶない、あぶない。