2010年3月29日月曜日
映画 「終着駅 トルストイ死の謎」
映画「終着駅 トルストイの死の謎」原題「THE LAST STATION」を観た。
作品:独 英 露 3カ国共同製作
監督:マイケル ホフマン
原作:ジェイ パリーニ
キャスト
トルストイ: クリストファー プラマー
妻ソフィア: ヘレン ミレン
娘サーシャ: アン マリーダフ
弟子チェルトコフ: ポール ジアマテイ
秘書ワレンチン: ジェームス マカウェイ
マーシャ:ケリー コンドン
2010年アカデミー助演男優賞ノミネイト:クリストファー プラマー
主演女優賞ノミネイト:ヘレン ミレン
レオ トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレーニナ」を 若い日に読んで、影響を受けた人は多いだろう。
ロシアの文豪トルストイは「われわれは他人の為に生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。」と 言った。
彼の人道主義と、徹底した非暴力と自己犠牲の思想に 共鳴したトルストイアン{トルストイ信奉者}は 彼の理想とする生き方を追求し その動きは運動となって ロシアだけでなく世界中に影響を与えた。
晩年のトルストイは ヤースナヤ ポリャーニャーの生家に住まい、近くの農場では、トルストイアンたちが トルストイの思想を生活に取り込んで 自給自足のコミュニテイーを作っていた。そのコミュニテイーを馬で訪ねて行き そこで生まれた子供達を祝福し、和やかな田舎の暮らしを トルストイは楽しんでいた。
世界に名を知られたトルストイの一挙一動は 新聞社によって報道されていたが、厳しいツアーリズムの政権下、彼の一番弟子チェルトコフは 官憲によってモスクワで自宅軟禁され自由を奪われていた。彼は若い秘書ワレンチンをトルストイのもとに、送り込む。
82歳のトルストイには 死が近ついている。彼は遺産も著作権もみなロシアの国民のものに残したいという意志を持っていた。しかしそれを実行するためには 新たな遺書にそういった意志を明記する必要があった。新しい遺書を作らなければ すべてのトルストイの遺産は妻のものになってしまう。それで 自由を拘束されているチェルトコフは 自分の息のかかった秘書ワレンチンをトルストイのもとに送り込んだわけだった。
画面が美しい。
趣味の良い家具、調度品。サモワールや優雅なお茶のセットやテーブル。庭園での夏の午後のお茶。美しい印象画を観ているようだ。
そして、衣装の素晴らしさ。妻ソフィア演じるヘレン ミレンが シーンが変わるごとに美しい19世紀の貴族女性の服を纏って現れる。凝った刺繍の立て襟、裾の長いドレス、美しい帽子いレースの日傘。やがて貴族階級が民衆の力で引き摺り下ろされることを予兆するかのような哀しいほどの華麗さだ。
トルストイアンたちのコミュニテイーで、自給自足の生活に挑戦する知的女性ミーシャら、自由を求める人々の農婦姿と対照的だ。
またトルストイが晩餐と旅行に出る時以外は いつも百姓服なのも、印象的だ。古い習慣に捉われず 飾らず 実直な作家の生きる姿が胸をうつ。
映画の中で はじめてトルストイが画面に登場する場面が 感動的だ。秘書のワレンコフがモスクワから長旅でやっと 彼の家にたどり着く。と、しわくちゃな立て襟シャツにブーツといった農夫姿に 笑顔いっぱいで現れるトルストイの魅力的なこと、、。弟子のチェルトコフが送り込んだ秘書ならば 大歓迎というムードで 若い秘書を抱きしめて 「僕のことは知っているでしょう。君のことを聞かせてくれ。」と好々爺の顔で覗き込むトルストイに、秘書は感激して言葉を失って涙ぐむ。 良いシーンだ。
また秘書ワレンチンが トルストイの妻ソフィアに初めて会うシーン。「あなたは”戦争と平和”を読んだ?」と問われて、彼は「勿論です。何度も。」と答えて、ソフィアに睨まれ、「い、いえ、2回読みました。」と答え、ふたりで微笑する そんなシーンも良い。何度も何度も 簡単に読み返せるような小説では ないものね。
そして、ソフィアは トルストイがこれを書いている時 わたしが清書してあげたのよ、小説の中の女性の会話ではわたしが沢山アドヴァイスしたのよ、だから”戦争と平和”は、わたしたち二人で作ったようなものなのよ、と言ってきかせる。そんなソフィアの言葉に嘘はないだろう。本当に仲の良い夫婦だったのだろう。
しかし、トルストイは 愛人をもつ。自由に羽ばたいて因習や拘束を超えて創造を続ける。嫉妬に狂いトルストイを独り占めしたい妻の心情などおかまいなしだ。トルストイは愛人との性交渉、ベッドの中のことまで隠すことなく秘書のワレンチンに語って聞かせる。若いワレンチンには恋愛経験がないので、理解できずにいて、トルストイに笑われる。
そんなワレンチンも コミュニテイーのなかで生活している女性 ミーシャに出会い、恋に陥る。はじめて出合った愛に有頂天のワレンチン。しかし、ミーシャは刹那の感情よりも、自由を求めて止まない女だ。習慣からの自由、拘束からの自由、婚姻からの自由、を求めてワレンチンのもとを去る。
弟子のチェルトコフが自由になり トルストイのもとに帰ってきた。
遺言の作成が急がれる。時間がない。トルストイの偉業を遺産としてロシア国民のために 残さなければならない。
一方、妻のソフィアは仮病を使ったり 様々な方法で夫の目を自分に向けさせて、遺言状作成の妨害をする。困難を乗り越えて チェルトコフはトルストイを家から離れた森に呼び出して 遺言にサインをさせる。それを知って 狂ったように夫を責めるソフィア、、、安住の場を失ったトルストイは 妻も家も捨てて旅に出る。
しかし、高齢に無理がたたり旅の途中、ロシア南部のアスターポポ駅で肺炎を患って、彼は倒れる。心の平静を求めて妻や家を捨て旅に出た はずのトルストイが 熱にうかされて帰っていく場は、ソフィアのもとだ。ソフィアの腕に抱かれてトルストイはその人生という長い旅を終える。
わがままで嫉妬深く 独占欲のかたまりのようだったソフィアが 長い生涯を共に連れ添った夫が息を引き取る間近に、聴こえないトルストイの言葉を聞きとり、他の誰にもできない会話を交わし 優しく見送ってやった。毅然としたソフィアの顔が光を放つ聖母の顔になる。美しい瞬間だ。
総じて原作「トルストイ死の謎」より ずっと映画の方がよくできている。トルストイを愛する人々の期待を裏切らない。
トルストイを誰よりも愛していながら 真の彼の理想を決して理解することのなかった妻ソフィアと 芸術家として自由を求めるトルストイとの軋轢がよく描かれている。老練のふたりの俳優の演技がみごとだ。
対する 若々しいミーシャの新しい時代を切り開こうとする女の知性と行動力、ケリー コンドン演じるミーシャが きらきら輝いている。
ミーシャの「自由」がまったく理解できなくて 傷つくワレンチン、、、内気な青年。 チェルトコフと、ソフィアとの間で どちらに組することも出来ず 苦しむワレンチンを 今がシュンのジェームス マカォイが演じていて適役だ。この映画、ヘレン ミレンにしても、クリストファー プラマーにしても、英国俳優のなかで一番うまい役者だけを引き抜いて集めてきたみたい。
とても良い映画で、これを機会にトルストイが好きになって読んでみる人も多いかもしれない。トルストイアンはハンカチを持って行ったほうが良い。
今年観た映画になかで、最も心に残る映画になった。「アバター」、「インヴィクタス」、「ハート ロッカー」が今年のアカデミー賞受賞するといいな、と言っていたけれど、いま、この映画を観た後では これが一番好きだ。
2010年3月27日土曜日
映画 「ミステイック リバー」
翻訳ものの探偵小説にのめりこんで 月に軽く30冊以上、読んでいた時期がある。
パトリシア コーンウェル、ステーブン クーンツ、ジョイス メナード、ジョン カッツエンバック、イヤン フレミング、トム クランシー、メアリー クラーク、ちょっと 違う味だけどダン ブラウンなど。特に、パトリシア コーンウェルは 検視官という職種のドクターが難解な事件を 解決にまで もっていく過程がおもしろく、次の出版を待って夢中で読んでいた。
翻訳ものの良さは その訳者の才能次第だ。よい俳優に イメージそっくりの良い声役を あてはめることが その映画の成功の条件であるように、小説も作家と同じテイストをもった訳者に当たれば ヒットまちがいなしだ。サリンジャーを村上春樹が訳したのは、やるべき人がやるべき仕事をした と言える。
デニス ルへインも 実におもしろい小説を書く。翻訳もすごく良い。スコセッシ監督の「シャッターアイランド」を書いた人だ。彼の小説「ミステイックリバー」で おもしろい表現が無数に出てくる。
たとえば、昔、高校で同級だった2人の男が、昔人気ものだった女のことを話題にしている。
「ああ、今なにしてるんだ?」「売春婦」とヴァルは言った。「ひどい老け方だ。おれたちと同じ年くらいだよな。なのに棺桶にはいったおれの母親の方が 元気そうに見えた。」
銃が撃ち込まれたバーの主人が やってきた警官の質問に答える。
「弾丸はビンを割って あの壁にめり込んだんだ。」「怖かったでしょう。」老人は肩をすくめた。「グラスにはいったミルクよりは怖かったが、この近所の夜ほどは怖くなかったよ。」
「もしも、あの日 デイブの代わりに俺かお前があの車に乗っていたら どうなっていたと思う?俺たちの人生は違っていたと思わないか? ヒットラーの母親が彼を中絶しようとして すんでのところであきらめたと言う話を聞いたことがある。やつがウィーンを去ったのは 書いた絵が一枚も売れなかったから という話も。だが もし絵が一枚でも売れていたら?もし母親が本当に中絶していたら?世界はまったくちがう場所になっていたはずだ。だろ?」
原作者デニス ルへインは「ミステイックリバー」の映画化を はじめ断じて拒否していたそうだ。でもクリント イーストウッドの誠意ある依頼に 承諾せざるを得なかったという。イーストウッドに懇願されて、断れる作家などいないだろう。予想通り この作品は 発表された2004年のアカデミーで 監督賞をノミネイト、ショーン ペンは主演男優賞、テイム ロビンスは助演男優賞を獲得した。映画のできも最高だが、キャステイングが良い。ショーン ペン、ケビン ベーコン、テイム ロビンスの3人が 幼馴染の遊び仲間だったが 殺人事件を契機に再開する。3人3様の役にぴったりの はまり役だ。
当時に話題になった こんなに よくできた映画の映画評を どうして今頃書いているかというと、今ごろ 遅ればせながら初めて観たからだ。どうしてか忘れたが 見逃して そのままになっていてヴィデオも手に入れるのを忘れていた。それを聞いた娘が買ってくれたので、やっと見ることができた、というわけだ。
ストーリーは
11歳のマーカム(のちのショーン ペン)、ショーン(ケヴィン ベーコン)、とデイヴ(テイム ロビンス)は 近所どうしで仲の良い遊び仲間だ。ある日、舗装道路のコンクリーが固まらないうちに、柔らかいセメントにそれぞれ自分達の名前を いたずらに彫り付けた。そこを通りかかった2人の男にいたずらを注意される。ごめんなさいを頑固に言わないマーカム、今にも噛み付きそうで すばしこいショーン、うなだれるデイヴ、、、。2人の男は3人の悪童に説教をしたあとで、デイヴを家まで送ってやる、と言い うながして車に乗せる。しかし、デイヴはそのまま連れて行かれて帰ってこなかった。街中が、大騒ぎになって、大人達はデイヴを探し回る。4日後に憔悴したデイヴが 帰ってくる。何があったのか、人々は口をつぐみ その後この事件について触れる人は居なかった。
3人は大人になり マーカムは表向きは雑貨屋だが、裏では立派な刑務所帰りのギャング、ショーンは刑事、デイヴは腕の良い職人になっていて、もう一緒につるむこともない。
マーカムの19歳になる娘ケイテイが ある夜 友達の家行ったまま 帰ってこない。翌朝 ミステイック川沿いにある森で遺体が発見される。捜査にあたるショーンは 狂ったように娘を捜し求めるマーカムに顔をあわせることになる。
一方、ケイテイが殺された夜 デイヴが血だらけで帰ってくる。妻が理由を問いただしても 酔って けんかをしたとデイヴは言うだけだ。挙動に不信をいだいた妻は ショーンの娘の殺人に夫が関わっているのではないかと、疑い始める。
3人3様の男達。雑貨商のマーカムは幾度も刑務所と娑婆を行き来した末 再婚してやっと家庭を築き上げることができたにも関わらず 唯一無二の宝だった娘を殺される。
刑事のショーンには 頻繁に無言電話がかかってくる。黙って出て行った妻からの電話だということが分かっている。ショーンには、そんな妻にどう対応してよいかわからずにいる。
デイヴは生真面目に働き 妻と堅実な生活をしてきたが、内面に重苦しい傷を抱えている。3人の平穏な暮らしは、一皮むけば たちまち深い傷や弱さが露呈する、あやうい均衡を辛うじて保っている。
ケイテイを誰が殺したのか。
とてもおもしろくて よく出来た小説と映画なので、読んだり観たりする価値はおおありだ。大事なのは、マーカムの言葉に表れている。「もしもあの日デイヴの代わりに 俺かお前があの車に乗っていら、、、」というマーカムとショーンの会話だ。
連れて行かれた子供と いかれなかった子供、この違いが3人の男達の一生に関わっている。連れて行かれなかった子供は 連れて行かれたこどもに一生 返しきれない負債を背負うことになるし、連れて行かれた子供は誰にも想像不可能なほどの深傷を抱えたまま生きることになる。この世は 連れて行かれた子と 連れていかれなかった子とで できている。君も あなたも連れて行かれた子か、連れていかれなかった子かのどちらかなのだ。
事態は急展開する。殺人犯はあがる。事件は解決する。
しかし 連れて行かれた子といかれなかった子は 依然として存在する。決して、何も変わらないのだ。
オーストラリアでは、戦中、戦後1000人余りの孤児達がヨーロッパから戦火や食料危機を避けて オーストラリアに船で送られてきた。そのうち多くの子供達が 教会施設や養父母に引き取られて ぺデファイルの犠牲になった。現在60代、70代のこれらの人々は 精神的にも肉体的にも多大の被害を受けた。このことで、オーストラリア首相、ケヴィン ラッドはつい先日、公式に謝罪したばかりだ。ヨーロッパから孤児を引き取るということが、1950年代まで行われていたという事実に驚かされるが 受け入れていた教会が あたたかいベッドとスープを提供するどころか性的奴隷や労働に使役したという事実には さらに驚かされる。
今年ハイチを津波が襲い チリを地震が襲った。大災害のあとにくるものが大規模な孤児を出現と 彼らを待ちうけている幼児売買などの犯罪グループの跋扈。人々の欲望。なんと浅ましいことだろう。世がどんなに変わっても、連れて行かれる子たちは いっこうに、減ることはないのだ。
この世の嘆きをクリント イーストウッドが冷静な目、クールなタッチで映画化した。良い作品だ。
2010年3月23日火曜日
キャンベラのオルセー美術館絵画展
パリのオルセイ美術館は 世界で最もポスト印象派の画家らの作品を所有することで有名な美術館だが、現在、改築中で閉鎖されている。
その間、作品のほとんどが、オーストラリアに貸し出された。作品数 112点。現在、キャンベラ国立オーストラリア美術館で 4月中旬まで、公開されている。
ヴァン ゴッホ、ポール ゴーギャン、ポール セザンヌ、ジョルジュ スーラ、ピエール ボナード、クラウデ モネ、マリウス デニス、エドアルド ヴイカールなど112作品、、、。
オルセイ美術館改築中 フランスと最も文化交流の深い3国 すなわちオーストラリアとアメリカと日本にその作品のほとんどを貸し出されて公開されることになったのだ。アメリカと日本では いつ到着していつから公開されるのかは、知らない。
これまで、オルセイ美術館では、作品の貸し出しには応じてこなかった。従って、今回 貸し出された作品らの、海外への貸し出しは初めてのことであり、また、オルセイ美術館改築終了後は、今後も2度と海外には出さない と所長は言っている。
今回のキャンベラでの公開には、オーストラリア連邦政府、キャンベラ政府、オーストラリア銀行、カンタス航空、ABCラジオ、キャンベラタイムズが主要スポンサーになった。未曾有の保険と、セキュリテイーシステムが かかっているそうだ。
ヴァン ゴッホの色彩、ゴーギャンのエキゾチズム、セザンヌの風景、これらの新しいポスト印象派の動きがアヴァンギャルトを生み、後の、フォービズム、キュービズム、20世紀の抽象画を生み出す原動力になった。 それまで西洋画では 現実に見えるものをそっくりに描くことが絵画だったが そうではなく人間の 複雑な内面や、感情を取り込んで絵画に命を吹き込んだことが、彼らポスト印象派と呼ばれる画家たちの行った 画期的なことだった。正確な描写やデッサンから 絵画を自由に解き放った とも言える。
クラウデ モネの「日傘をさす女性」の絵など、丘に立つ女性の目がない。有名で 目も覚めるような色取りの美しい絵だ。春風ののって、花々の匂いが漂い、蜂が羽音をたてるのが、聴こえてくるようだ。本当に 素晴らしい絵、、。 長いことデッサンに明け暮れて 正確に描写することが絵画だと信じていた当時の人々の間で、こうした絵の出現は、度肝を抜くような革命的なことだったろう。
現在、キャンベラのホテルはすべて満室で予約を入れることが出来ない。世界中から 絵を愛する人々が この美術館の為だけに 来ている。週末は美術館の外に待つ人の列が 伸びに伸びて4時間待ちだという。
公開が始まってすぐ行けばよかった。終了間近なので、込み合い方も尋常ではない。私のシドニーの家から キャンベラまで車で4時間。フルタイムで働いているので 簡単に行って ホテルがどこも満室であれば 簡単に帰ってこられる距離ではない。
絵を描く娘は 生後5ヶ月の赤ちゃんを連れて 行ってきた。並んで待っても、観たかいがあった と言っている。今後パリにいっても見られるとは限らない。おそらくこの機を逃せば一生観ることはないだろう。
時間がない。
くやしまぎれに オルセイ美術館絵画集を大枚はたいて、買って来た。いつまでながめていても見飽きない。
気に入った絵は
ドガ:階段を登る踊り子達
モネ:日傘をさす女性 (右向き)
モネ:睡蓮の池 緑のハーモニー
スーラ:背後からのモデル
スーラ:STUDY OF FOR BATHERS AT ASNIERES
ピサロ:火を起こす百姓の娘 HOARFROST PEASANT GIRL MAKING FIRE
アングラント:街の夫婦 COUPLE IN THE STREET
セザンヌ:たまねぎの静物画 STELL LIFE WITH ONION
セザンヌ:グスタブ ガブロイ GUSTAVE GFFROY
ゴッホ:ローヌ川の星月夜
ロートレック:赤髪の入浴 RED HEAD BATHING
ゴーギャン:芸術家の自画像と黄色いキリスト像
ゴーギャン:タヒチの女たち
写真は ゴーギャン「タヒチの女達」 ゴッホ 「ローヌ川の星月夜」 モネ 「日傘をさす女性」
2010年3月22日月曜日
映画 「カールじいさんの空飛ぶ家」
PIXAR製作の長編アニメーション映画「カールじいさんの空飛ぶ家」、原題「UP」を観た。今年のアカデミー賞受賞作。
監督:ピート ドクター
声優:カールじいさん:エドワード アスナー
少年ラッセル:ジョーダン ナガイ
妻エリ :ジェレミー リーレイ
ストーリーは、
内気で病気がちな 少年カールにとって、冒険家チャールズ ムンズ氏は あこがれの英雄だ。しかしこの人は ある日飛行船にのって南米に探検旅行に発ったまま行方知らずになってしまった。
夢みがちな少年カールは ある日 とびぬけて元気で活発な 同じ年頃の少女エリと出会う。少女エリも冒険が大好き。二人でいつか、チャールズ ムンズのように、南米に探検に行って、幻の滝 パラダイス滝を見つけに行こうと約束する。エリは、「冒険ノート」を 大切に持っていて、冒険旅行に行くまでの準備を二人で話し合いながら ノートを埋めていくのだった。
月日がたち ふたりは大人になって 結婚する。こどもがないまま、二人は 仲良く年をとり、いつか、二人で南米を旅行したいと願っているが、家が壊れかけたり、車を買い換えなければならなかったり、転んで怪我をしたり、しているうちに、南米行きはチャンスを逃したままだった。やっとカールが南米行きのエアチケットを手にいれたときは すでにエリは病気になっていて あっけなく亡くなってしまった。
独りきりになったカールは 人付き合いのできない、いこじで頑固な年寄りになった。ボーイスカウトのラッセルが お年寄りのために何か役に立ちたい と、申し出てきても すげなく追い返してしまう。カールじいさんは妻との思い出に生きているだけで、幸せだった。
しかしカールがエリとで建てた家も古くなり まわりは新しい高層アパートが林立するようになった。家の立ち退きの催促にも、カールはエリとの思い出の詰まった 家を手放す気になれない。
しかし、78歳のカールが遂に 立ち退いて老人ホームに入居しなければならない日が来た。
その日、カールじいさんは 1万個の風船を家にくくりつけて 空へと旅発った。エリとの約束を果たしに、南米のパラダイス滝に向かって。
しかし 上空で、予想外のことが起きた。年寄りの役に立ちたいといっていた ラッセル少年が家にしがみついていたのだ。やむを得ず、カールじいさんはラッセルを家に招き入れる。暴風雨や雷を経験しながら 二人の冒険は続く。
ラッセルは 根からの陽気で天真爛漫の少年だ。お母さんと暮らしているが、出て行ったお父さんが恋しくてたまらない。小さかった頃、お父さんは 何でもできて、キャンプにも 冒険にも、どこにでも連れて行ってくれる英雄だった。そんなお父さんが居なくなったことに、傷ついているが、頑固なカールじいさんとの冒険には、驚きがいっぱいで、興奮し放しだ。あと一歩で 夢にまでみたパラダイス滝というところで、風船がしぼんできて、地上に降りたふたりは、浮かんでいる家をロープで引っ張って行かなければならなくなった。
ジャングルの中でカールとラッセルには 人なつこい極楽鳥と 言葉を話す不思議な犬の仲間ができた。ところが 彼らの動きをジャングルで監視している男がいた。何十年も前に冒険旅行にでたまま行方不明になったチャールズ ムンズだった。彼は密林の中に ハイテクの基地を持っていて、言葉を話す犬を沢山 手下に持ち、極楽鳥を生け捕りにしようとしていた。遂に極楽鳥が捕らえられ、それを助けに行ったラッセルが捕まってしまった。
カールじいさんが 空の旅をしたのは、それがエリとの約束だったからだ。子供の時から書き溜めてきた「冒険ノート」をエリのために完結させることが目的だった。 それがかなった今、カールじいさんは レインボー滝のよこに、思い出の家を据え付けて 静かに思い出の中で生きること それが望みだった。
カールじいさんは 再びエリの「冒険ノート」を、レインボー滝の横で開く。そこには、カールとの結婚、カールとのピクニック、カールと二人で見た美しい景色、カールと一緒に年をとってゆり椅子に揺れる二人の幸せな写真がはってあった。これがエリの冒険だったのだ。二人して生き生きとした日々を送り そして年老いて行く旅 これがエリにとっての冒険旅行だったのだ。そして、最後にエリの字で、「これからはカール、あなたの冒険の番よ。」と書いてあった。それを読んで、カールは初めて 自分が冒険ノートを続けていくために何を しなければならないのかに気が付く。
ただちに家中の家具を捨て、家を軽くして 再び空に飛び発ってラッセル少年と、極楽鳥を救出に行くのだった。
大活躍のカールじいさんのおかげで 鳥は助けられて野生のジャングルに戻っていった。そして、ラッセル少年と もと暮らしていた場所に戻ってきた。それからは、ふたりの友情は 本当のおじいさんと孫のように、ずっと、ずっと、後々まで末永く続きました とさ。
というお話。
心あたたまる 誰もが観て良かった と思うような映画だ。画像が美しい。ストーリーも アニメーションも とても良くできている。1万個の風船のきれいなこと、、。
人は年をとる。年をとるということは 醜くなるということだ。
心が偏狭になり、きらいなものが増え、過去の良かったことだけに しがみつきたくなる。
カールじいさんの一生は エリとの冒険旅行だった。その冒険を完結させるのは二人で住んだ古い家を守り、思い出を守ることだけで良かったはずだ。それを 家を捨て、老人ホームに入るくらいなら と、南米旅行に向かった彼は そこで家を捨てることで 本当にもっと大きなものを手に入れた。かけがいのない少年ラッセルという心の通じる 孫とも言える「友達」だ。生きる希望と喜びをもたらせてくれる存在。
人はいくつになっても 希望と喜びがなかければ 生きていけない。冒険を通して それを手に入れたカールじいさんを思って 心が あたたかくなる。
2010年3月18日木曜日
オペラ オーストラリア「真夏の夜の夢」
ベンジャミン ブリトン作、オペラオーストラリアの「真夏の夜の夢」を観た。
台詞は英語で歌われるが 英語の字幕が舞台の上につく。
指揮者:アレクサンダー ブリガー
監督 :バズ ルーマン
キャスト
妖精のパック :テイラー コピン (テナー)
妖精オべロン王:トビアス コール (テナー)
妖精の女王 :レイチェル ダーキン (ソプラノ)
ボトム :コナル コード(バリトン)
ハーミア :シーン ペンドリー(ソプラノ)
ライサンダー :ジェームズ エグレストン(テノール)
デミアトリス :ルーク ガバデイ(テノール)
ヘレナ :リサ ハイパー ブラウン (アルト)
もともと「真夏の夜の夢」は、1590年にシェイクスピアによって書かれた戯曲だ。アテネを舞台に 貴族達を描いた喜劇だ。
このストーリーにインスパイヤされて、メンデルスゾーンが 楽曲「真夏の夜の夢」を作曲したのが 1826年、彼が17歳の時のことだ。この中で、すごく有名な結婚行進曲が出てくる。
これらをもとに、ベンジャミン ブリトンが 全3幕もののオペラを作った。3時間15分の 楽しいオペラだ。
ストーリーは
背景は16世紀のアテネではなくて、19世紀のインドだ。森に住む妖精の王様 オーべロンと女王タイタニアは、養子になる子供のことで、諍いをしている。
人間の世界では 貴族の娘 ハーミアはライサンダーと恋人同士だが、ハーミアの父親は、娘をデミトリアスと結婚させたがっている。その友達のヘレナは デミトリアスと結婚するつもりだ。
一方、侯爵シーシアスと、ヒッポリタとの結婚式のお祝いの日が近付いている。6人の職人が 結婚式のお祝いの席で、芝居を演じなくてはならない。
バーミアとライサンダーは、親に隠れて密会するために、森に入っていく。6人の職人達は 芝居の練習のために、森に出かける。デミアトリスを追って、ヘレナも森に行く。
妖精の女王は 森でぐっすり眠っている。そこにいたずらもののパックが現れて、全員に媚薬をふりかけて眠らせてしまう。パックによって、目の上に媚薬をふりかけられた者は、目を覚ましたときに 初めて見た人に恋をする。ついでにパックは6人の職人にひとり、ボトムをロバに変えてしまう。
女王は目を覚まし ロバに変わったボトムと愛し合うようになり、ハーミアは、ライサンダーからもデミトリアスからも 求愛される事態になってしまった。怒ったヘレナとハーミアは 諍いを始める。追いつ追われつのドタバタ劇の末、すべての混乱は、パックのいたずらが原因とわかり、妖精の王様によって事態が収拾する。
シシアスとヒッポリタの結婚式が 予定通りおこなわれ、ヘレナはデミアトリスと、ハーミアは ライサンダーと結婚することが許された。妖精の女王はロバと愛し合ったことを恥じて、王様のところに帰る。めでたしめでたし。そして、妖精の住む森の長い夜は終わり 朝を迎える というおはなし。
「真夏の夜の夢」は 何と言っても 主役のパックが魅力的かどうかで、良さが決まる。パックのいたずらに引き回されて 翻弄される男女を大いに笑う喜劇だ。
今回のオペラでは 背景がインドの森で、そこにイギリス人たちが迷い込んでくるという設定。6人の職人は、イギリス兵だ。
妖精たちは インド衣装を身にまとって 男はターバンを巻いている。インド独特のあでやかなピンクに ふんだんに金銀を散りばめた派手で美しい衣装だ。ターバンを巻いたボーイズ コーラスがたくさん出演していて、可愛い。
舞台が斬新。舞台に3階建ての建物が デーンと、できている。2階にオーケストラが全員、赤い ナポレオン軍隊みたいな制服を着て 黒いベレーを被って、同じ服装をした指揮者のもとに、演奏をしている。ふだんは、舞台下のオーケストラボックスに引っ込んでいる奏者たちが、オペラのあいだずっと舞台の中央でライトをあびている。
そのまわりを 歌手達が走ったり、飛んだり跳ねたりしながら、恋人を追いかけて、ドタバタするわけだ。
階下は森。幻想的な青い夜の森で、湖ができていて、沢山の妖精たちが 潜んでいる。いたずらもののパックが その舞台を所狭しとしたから3階まで駆け上がったり 2階からぶら下がったり 曲芸まがいに大活躍だ。とてもおもしろい舞台。
ロバに恋する女王をやったレイチェル ダーキンのソプラノと、ロバのコーナル コードのバリトンが特に良かった。
悲劇で女が死んでばかりいるオペラも 大いに泣けて良いが、楽しくて笑えるオペラも良いものだ。
今年は この2ヶ月で3つもオペラを観た。「椿姫」、「トスカ」、「真夏の夜の夢」。年末はいやでも、コンサートが増えて 出かけることも多くなるので、今年は早いうちに、観たいオペラを観てしまおうと、考えたのだ。だけど、ちょっと、胃にもたれている。半年前にオペラのチケットを買うので、半年後にその頃が忙しいかどうか わからないまま予定を作ることになる。
フルタイムで看護婦の仕事をしながらだから、金曜日の夜勤を終えて 土曜日の朝家に帰ってきて、少し横になって お昼にはオペラハウスに向かう。マチネで「椿姫」を観た土曜日は 夜 チェンバーオーケストラの定期公演が重なっていたので、モーツアルトを聴いて堪能した。
「トスカ」を観たときは そのあと娘達とレストランで食事して そのまま彼らを伴って友達の誕生会に参加して 深夜まで飲んだ。「真夏の夜に夢」を観た日の夜は、友達がサルサで ドイツに行ってコンペテイションに出るので 応援のため、ダンスを見てきた。日本人看護婦の友達が グループ部門のサルサダンスで、オーストラリアで1位になったのだ。そんなこんなで、オペラをマチネで観たあとは、夜もイベントがあって忙しかった。
帰宅しあたとは、36時間ぶりのベッドで死んだように眠る。こんな忙しい土曜日が続いたのは、ひさしぶり。ちょっと、休むことにしよう。
2010年3月15日月曜日
スコセッシの映画 「シャッターアイランド」
マーチン スコセッシ監督は 1976年に「ラスト ワルツ」を撮った。(完成は1978年)
カナダ出身のカントリーロック 「ザ バンド」の解散コンサートの模様と、メンバーへのインタビューを編集した映像だ。スコセッシ自身が インタビューをして、ザ バンドの生い立ちから解散に至るまでの歴史が、それぞれのメンバー一人一人によって語られる。
その後、メンバーだったリチャード マニュエルは自殺、ロビー ロバートソンは方向変換する。
映像が素晴らしい出来栄えなのは、当時の超一流のカメラマンの映像をもとに、編集した成果だ。ラズロ コバックス、ビルモス ジグモンド、マイケル チャップマンなどがカメラをまわしている。
また、70年代のオールスターが 一同 舞台に出演している。ボブ、デイラン、エリック クラプトン、ヴァン モリソン、二ール ヤング、ジョニー ミッチェル、ポール バターフィールド、二ール ダイヤモンド。そして、最後に 全員そろってで高らかに歌ったのが、「アイ シャル ビーリリースト」(いつの日か自由に)。
この時代の熱が凝縮している。「ラスト ワルツ」永遠の名作だ。
彼らの歌を聴きながら 連日デモに向かった世代。ボブ デイランを口ずさみながら シコシコしょぼい火炎ビンなど作ったり、ベトナム戦争を止めさせる運動のなかで 自分が世界の若者達とつながっている幻想で 熱に浮かされていた。
マーチン スコセッシは他に「タクシードライバー」、「レイジングブル」、「カジノ」、「ギャング オブ ニューヨーク」、「アヴィエーター」、「デイパーテッド」、などを監督している。
彼の最新作「シャッターアイランド」を観た。原作「SHUTTER ISLAND」。
監督:マーチン スコセッシ
原作:デニス ルへイン
キャスト
連邦捜査官テデイ:レオナルド デイカプリオ
相棒 チャック :マーク ラファエロ
病院 医長 :ベン キングスレー
ストーリーは言えない。
言ってしまうと 見る価値がなくなる。その意味は見た人だけが わかる。
だけど、さわりだけを紹介してみると
ボストンから船で数時間、小さな孤島は 島ごと犯罪を犯した精神病患者のための収容所になっている。断崖絶壁に囲まれた島には 唯一開かれた小さな波止場があり、厳重な警備下にある。
1954年 連邦捜査官テデイは、相棒チャックとともに、この島に送り込まれる。逃亡不可能な島の収容所で 殺人犯のレイチェルという女囚が 失踪したというのだ。テデイとチャックは ただちに島に上陸、捜査を開始することになる。
大きな嵐が向かっている。豪雨のなか 到着したテデイとチャックを 完全武装の警備員達が取り囲む。島には島のルールがあるので 銃を持ち込むことは違反になるといわれ、無理やりテデイらは 銃を取りげられてしまう。患者たちは 足に鎖を取り付けられて、二人の捜査官らに、秘密めいたサインを送ってくる。病院長と医長は、島の中央にある古い城に住んでいる。二人の医師とも、テデイら連邦捜査官に協力的な態度を示さない。
失踪中のレイチェルの主治医 ドクター シーハンは、テデイらが来るのと 入れ違いに休暇に出てしまったという。電話もつながらない。激怒するテデイとチャック。
レイチェルの部屋には 靴が残されている。彼女は素足で 豪雨の中を逃亡したらしい。床板の隙間から、テデイは 意味不明の数が書かれた紙切れを見つける。難航する捜査。
テデイは連邦捜査官になる前、第ニ次世界大戦では連邦軍としてポーランドに派遣されていた。そこで見たものは るいるいと並び重ねられた強制収容所のユダヤ人の死体だった。このときの記憶がトラウマになって 彼を苦しめている。そのうえ、戦後 妻を火災で失っている。言葉少なに 過去を語るテデイに、チャックは深く同情するのだった。そして、、、。
というおはなし。
どでんがえしがすごい。
スコセッシ みごと、というしかない。
初めは、あまりこの映画に期待していなかった。クリント イーストウッドの「アルカンタス」、古くは「大脱走」、脱走サバイバルの冒険物。まあ、ちょっと ドキドキハラハラの スコセッシ版アルカンタス を見るつもりでいたが、全然ちがった。けど、ドキドキハラハラだ。とってもおもしろい。
すぐ感情的になるし、いつまでも子供みたいな可愛い男 レオナルド デイカプリオと 大人っぽいマーク ラファロのコンビネーションがとても適役だ。それと、ナイトの称号をもつシェイクスピア俳優のイギリス人べン キングズレーが もったいぶった医師役で、とても生きている。この人 昔映画「ガンジー」をやった。とても良い役者だ。
忘れられない 美しいシーンがある。テデイが昔焼死した 妻を抱いている。愛を囁いているうちに、妻の背中が真っ赤に焼け始める。序序に体全体に火が回って テデイが嘆くうち、全身が灰になって崩れ落ちる。どんなに妻を愛していたか 哀しくやるせないシーンだ。彼のイマジネーションだが、その長いシーンがマッチした音楽とともに、美しい。
映像と音楽の良さ。さすがスコセッシだなーと思う。みごとだ。
2010年3月12日金曜日
映画「アリス イン ワンダーランド」
映画「アリス イン ワンダーランド」、原題「ALICE IN WONDERLAND」を観た。
監督:テイム バートン
原作:ルイス カロル「不思議の国のアリス」1865年
「鏡の国のアリス」1871年
キャスト
アリス:ミア ワシコウスカ
帽子屋:ジョニー デップ (MAD HATTER)
レッド クイーン: ヘレナ ボンハム カーター
ホワイト クイーン:アン ハースウェイ
笑う猫:(声)ステファン フライ、マイケル シーン
芋虫:(声)アラン リックマン
ストーリーは
6歳のアリスは 夢ばかり見ている子供だった。夢の中には 笑う猫や、青い芋虫が出てくる。それを大好きな父親に話して聞かせると アリスの想像上の生き物の話を父親は静かに 優しく聞いてくれる。そして、もし夢を見ていて 怖くなったら いつでも逃げておいで。そのときは 腕をつねったら 目が覚めて怖いものは みんな無くなってしまうよ というのだった。
19歳のアリスは最大の理解者だった父親を亡くし 領主のお城で行われるパーテイーで領主の息子からの婚約の申し出を承諾することになっていた。たくさんの賓客の前で、アリスは領主の息子から 膝まずいて婚約を申し出られる。でも、アリスはそれを承諾して他の女達のように 貴族の退屈な生活に入る気には、どうしても なれなかった。アリスの一挙一動が注目される中で、進退窮まったアリスは 突然そこに現れたウサギを追って、森に逃げ出してしまう。
その時計をもった奇妙なウサギを追って アリスはウサギ穴に落ちてしまう。落ちた先は 小さな部屋で、そこに小さな小さなドアがあった。テーブルの上の飲み物を飲むと アリスの体は小さくなって キーでドアを開けてみると そこは 不思議な森の中だった。
時計を持ったウサギ、水たばこを吸う青い芋虫、消えてしまう笑う猫、双子のテイードルデイーとテイードルダム、みんな アリスが子供の時に夢で見た生き物だった。山高帽の帽子屋にお茶によばれ テーブルにつくと、見るからに恐ろしげな 専制君主の将軍がアリスを捕まえにくる。帽子屋の機転で アリスは小さくなってテーポットの中に隠れる。
この世界では 暴君 赤の女王が専制政治をしている。彼女の予言書には アリスと言う名のものが 赤の女王の守り神である怪鳥を殺して国を滅ぼす と書いてあるので、アリスを捕まえてその動きを封じようとしていた。アリスは自分を テーポットに 隠してかくまったために 双子や帽子屋が赤の女王に捕まって虐待されていると知って、赤の女王のお城に入りこんで彼らを救い出して、白の女王のところで、保護を求める。 そのために、赤の女王と白の女王は、戦争になってしまった。 アリスはやむなく、剣を手に入れ 赤の女王の守り神の怪鳥の首を落として、戦争を終了させる。
やっと不思議の世界に平和が訪れる。帽子屋との淡い恋、、、。ずっとここに居てもいいんだよ、といわれながら、アリスは城に戻る決心をする。魔法の薬を飲んで 領主の家にもどると、アリスは はっきりと婚約者に わたしは結婚しません。領主の仕事の手伝いをしたいのです と言う。貿易を通じて 海外進出を手がけていた領主は アリスの機転の利く助言を喜んで受け止めて、仕事を任せるようになっていった。アリスは新天地を求めて 新しい仕事を開拓していった。仕事のできる有能な女性が誕生したのだった。
というストーリー。
原作のルイス カロルは、数学者 チャールズ ラトウィッジ ドジソンのペンネームだ。童話のなかでも、彼の作品は難解だ。登場する生き物達の異様さ。チョッキを着たウサギ、笑う猫、タバコを吸う青い芋虫、トランプの兵隊達、これらの生き物達に 形而上的な 特別の意味があり、これらはフランツ カフカの「変身」のような比喩がかくれているのだろうか と考えてしまう。アリスが交わす 生き物達との会話も尋常な会話ではない。ややこしくて難解なクイズ、解答のない質問、何の脈絡もなく突然 アリスを冷ややかに笑ったり 物を破壊したりする、マザーグースがでてきたり、一級の皮肉や、しゃれ言葉がちりばめられている。
もともと作品はドジソンが 8歳から13歳までの少女達と船旅をしたときに、子供達に即興で 話して聞かせた冒険物語がもとだ。数学者が少女達をおもしろがらせようと、彼女達が受けている学校教育への批判や 皮肉で少女達を笑わせ、難解な会話やクイズで少女達の知性をくすぐることで、おおいに盛り上がったであろう、当時のインテリ階級の船旅の様子が想像される。
1865年作「不思議の国のアリス」と、1971年「鏡の国のアリス」二つの童話を、映画監督、テイム バートンが彼の新解釈で、映画にした。とてもわかりやすい。すばらしい。
ルイス カロルの空想世界をこんなふうに解釈できるということが 新しい発見だ。
この映画は ビクトリア時代の ひとりの女性の成長の物語になっている。アリスは 自分が6歳のときに 夢のなかで 創造した生き物達を守る為に 恐怖感を克服して戦いに挑み、勇気を出して その責任を果たした。そのことによって 自信を得て、勇気をもって自分の生きる道を歩む女性になる。おとぎの国での経験が 彼女を一人前の女性の成長させたのだ。
アリスを演じたには、オージー女優、ミア ワシコウスカ、21歳の新人だ。なかなか良い役者だ。全然笑わない。
監督テイム バートンの長年のパートナー ヘレナ ボンハム カーターが コンピューターグラフィックを使って 頭だけ倍の大きさにして赤の女王を演じている。おとぎの世界で、赤の女王の見た目の異様さと、「首をちょん切れ」とさけんでばかりの怖さとで、ピカいちに、光っている。そのとりまきたちの貴族が 媚をうるように鼻を倍のおおきさにしたり、耳や顎をおおきくしたりしている姿が笑える。
白の女王は アン ハースウェイ。この人は目も口を大きくて整った顔の美人なのに何故か ジュリア ロバーツのような華がないのは 大根女優だからなのかもしれない。
そして何と言っても、ジョニー デップ。
素晴らしい役者だ。ファンタジーの世界が、彼ほど似合う役者は他に居ない。
アリスが これは私が子供の時に見た夢の世界なの と帽子屋に言うシーンがある。「え、これは君の夢なの?」「じゃ、ボクもただの夢で本当のことじゃないの?」とアリスに問う哀しい目、、、。最後にアリスが 現実世界の屋敷に戻る決意をしたときに「ここにっずっと居てもいいんだよ。」と言ってみる 傷つきやすい男の目、、、。しんみり。
ジョニー デップが スコットランドなまりで とても良い役を演じている。この映画、彼が見たくて見る人も多いはず。
女が自立することなど考えられなかった時代に、自由闊達な想像力旺盛で正義感の強い 心の優しい少女の 成長の物語だ。とても良い。
2010年3月5日金曜日
映画 「しあわせの隠れ場所」
ハリウッド映画「しあわせの隠れ場所」、原題「THE BLIND SIDE」を観た。
主演のサンドラ ブロックがアカデミー賞の主演女優賞にノミネイトされている。45歳のサンドラ、良い女優で「スピード」、「ザ インターネット」、「クラッシュ」、「デンジャラス ビューテイー」、「あなたはわたしの婿になる」など 沢山の映画でハリウッドに貢献しているのに 今までアカデミーに一度もノミネイトされたことがなかった。今度 受賞を逃したら 全く賞には縁のない不運な女優だった ということになる。
映画は本当のお話。マイケル ルイスの同名のノンフィクションを ジョン リー ハンコックが映画化した。アメリカンフットボールのNFLのボルチモア レイベンズの花形スター マイケル オハーがフットボールに出会うまでの テイーン時代を描いた作品。
監督:ジョン リー ハンコック
キャスト
アン リー トゥホイ:サンドラ ブロック
マイケル オハー:アーロン クレイトン
ストーリーは
アメリカ南部メンフィス。人々は保守的で豊かな白人層の住む郊外と、スラムを形作る黒人層とは 完全に分かれて生活している。
そんなスラムのなかで、ドラッグ中毒の母親から生まれたマイケルは 幼い時から暴力に脅えながら育った。母親は12人もの子供を 父親がわからないまま、次々と産んだ。自動車修理工の男に引き取られたマイケルは 運動神経が抜群だったことから、クリスチャンの高校に紹介される。その後 高校のフットボールコーチに認められ、裕福な子弟ばかりが通う私立の高校にスポーツ優待生として受け入れられる。巨大な体、小心で恥ずかしがりやのマイケルは 16歳になるまで きちんと教育を受けたことがなかったので 学校では完全に浮いていた。
リー アンは裕福な家庭のインテリアデザイナー。二人の子供をクリスチャンスクールに通わせている。ある真冬の夜 凍りつく夜道を車を走らせていると 娘と同じクラスのマイケルが 半そで半パンツの姿で学校に向かって歩いている姿に出くわす。学校の体育館をねぐらにしている という。リー アンは 家もお金もないテイーンエイジャーに出会ってしまった。理屈もへったくれもない。マイケルを自分の家に連れて帰り 暖かい寝床を与える。
翌朝、休日なのに マイケルは一晩寝かせてもらったカウチに 使ったシーツをきちんと畳んで 学校に向かって歩いて帰ろうとする。
リー アンは 一晩マイケルを泊めるだけ と思っていたがこの高校のスポーツ優待生は 寝場所も食費さえもないことを知って 放りだすことができなくなる。
学校に問い合わせても、マイケルの家庭の事情や 両親の名や 正確な生年月日さえもわからない という。学校の教師達に会って、わかったことは、マイケルのIQは80、知恵遅れというわけではなく 勉強しさえすれば学習の成果は期待できるし、セルフデイフェンスに関しては優れた身体機能をもっているということだった。
口数少なく 従順で穏やかな性格のマイケルを リー アンはクリスチャンとしての信念から、母親代わりになって親身に世話をする。小学校低学年の息子も、マイケルの親友になり、テイーンの娘も、学校で馬鹿にされて のけものにされているマイケルの肩を持つようになっていく。
リー アンをはじめ、家族のあつい声援に応えて、マイケルは フットボールの選手としてチームで活躍する。高校を終える頃には 沢山のプロのフットボールチームから勧誘され、多くの大学から奨学生の申し出がくる。リー アンファミリーは鼻高々だ。マイケルは最終的には 自分で選んだ大学に入り、その後は、オールアメリカンNFLチームに抜擢される。
というストーリー。
印象的なシーンは、休日のブランチで、夫も子供達も食べたいものをそれぞれの皿にとって、フットボールのテレビ中継を見ながら食べようとしていた時、皆に背を向けてマイケルはひとりテーブルに就いて食事する。そんな姿を見て、リー アンが決然とテレビを消して、家族をテーブルにつかせて お祈りをしてから食事を始めるシーンだ。マイケルの出現で 忘れていた家族の良い習慣が戻ってきたのだ。マイケルが ただこの家族のオマケなのではなく 相互の関係で互いに変わっていく契機になっていることがわかる。
リー アンの息子、マイケルの腰までも背丈が届かない小さな男の子が自分の体の何十倍もある マイケルをコーチする姿が 笑えて、観ていてとても幸せな気分になる。フットボールのルールを一から教え、走る瞬発力をつけさせるためにマイケルに走らせたり 筋肉トレーニングをさせるところなど、一人前のスポーツコーチになった気でいる この息子が可愛くて 天真爛漫で なまいきで頼もしい。とても良い役者だ。
リー アンの夫を カントリーシンガーのテイム マッグロウが演じている。事業家で 郊外に大きな家を持ち、美しい妻に二人の子供達、、、という典型的な南部アメリカの中流家庭のお父さん。妻の決めた事 子供達のわがまま、寡黙でちょっと知恵の足りない巨漢のマイケル すべてを笑顔で許容する 心の広い理想的なお父さんだ。
リー アンのクリスチャンとしての使命感、母性本能、仕事も家庭も
きっちりやって、友達付き合いもボランテイアもやる 頼りがいのあるお母さん姿がとても良い。
彼女の一番良いシーンは 初めのうちマイケルはフットボールのルールがよくわかっていない上、人が良いので攻撃をすることができず チームに全然貢献していないことを見て取った彼女が、つかつかとフィールドに出てきて「マイケルあんた ママが襲われたら あんたどうするの?やっつけてくれるんでしょう?そいつがママを追いかけてきたら あんたがちゃんとブロックしてくれるんでしょう?おなじようにこの子にボールがいくようにあんたがブロックして、あの子にボールが行くように つぎをブロックするのが あんたの仕事なのよ。」と、実に的確に、マイケルにわかるように彼の役割を指示するところだ。こんなシーンで サンドラ ブロックの良さが生きている。
場面が変わるごとに 次々と変わるサンドラのファッションを、見ていて楽しい。エルメスのワンピース、ルイ ヴィトンの靴とバッグ、バーバリのセーター、シャネルのガウン、、、みな、ごく自然に身についていて好ましい。20代の頃の はじけ飛ぶようなサンドラと違って 体の線がくずれていないのに、程よい40代の美しさを保っている。
アメリカンフットボールはアメリカ人にとっては「マッチョ=アメフト=命」みたいなもので、日本人の野球熱を遥かに超えた熱狂の世界だ。アメフトの映画もむかしから沢山あるがバート レイノルズの「ロンゲストヤード」、トム クルーズの「ザ エージェン」(JERRY MAGUIRE)、「プライド 栄光への絆」(FRIDAY NIGHT LIGHT)などがある。私は「プライド 栄光への絆」が好きだ。街中が地元高校のアメフト試合に興奮していて、それが時間がせまるごとに序序に高まっていき、はちきれそうな緊張感の頂点で試合が始まり、人々のエネルギーが爆発する。並みの恐怖映画やスリラーよりもスリルがあった。この映画にも マイケル役のアーロン クレイトンが選手の一人として出演していた。
私がこの映画を見る価値があると思うのは これが本当のお話だったこと。それで、今のアメリカでは、こういうことが もう起きないだろう と思うからだ。よき時代のアメリカ。アメリカに 良識と良心があった ちょっと前までの歴史をいま、振り返ってみたらいいのではないか と思うからだ。
日本では戦後 フルブライト奨学金で、日本からおびただしい数の留学生が海を渡った。貧しく、昨日まで敵国だった敗戦国日本からの奨学生を 自分の家にステイさせて 自分の子供のように世話をしたアメリカのお母さん達、彼女らを支えていたのは敬虔なクリスチャン精神と、良心と良識だったろう。
競争社会が良いことのように推進されて 人々は神を捨て、家庭を捨てた。良心も、良識もへったくれもない。また9.11のあとは、どこも敵だらけだ。信じられるものなど何もない。
そんな時だからこそ、こんなよき時代の良識あるアメリカ人の姿を見て失われた過去に じんわり心がぬくめられれば いいな、、と思う。
2010年3月3日水曜日
オペラ オーストラリア「トスカ」
マリア カラスが もう高音が出せなくなったと、言い 最後の舞台となったのが イタリアのスカラ座。ここで カラスは「トスカ」を歌った。歌姫の引退を惜しむ人々が詰めかけ 30回のカーテンコールに彼女が答えても まだ拍手が鳴り止まなかった と伝えられている。
「トスカ」は映画 007シリーズの「慰めの報酬」にも出てきた。世界をまたにかけてマネーロンダリングする犯罪一味が、オペラ会場で 一同に顔をあわせ 交渉するシーンだ。トスカが命をかけて恋人を救おうと声を限りに歌っている舞台に、正装姿の2000人のカップルがエキストラとして出演していて007シリーズの贅沢なシーンに花を添えていた。
マリア カラスが最も得意とした「トスカ」。パバロッテイが 最も愛したマリオ カバラドッジの役。オペラでは、「椿姫」と、「カルメン」と、「トスカ」が 一番良い。
椿姫のヴィオレッタは病死、カルメンは 昔の男に刺し殺され、トスカは男を殺して自分も崖から身を投げる。彼女らの純愛が報いられることなど 一度もない。それがオペラだ。
監督:クリストファー アーデン
キャスト
フロリア トスカ:ニコル ヨウル
マリオ カバラドッジ:カルロ バリセリ
スカルピラ警視:ジョン ウェグナー
ストーリーは
第一幕
1800年 ローマ。聖アンドレア デラ ヴァレ教会の一室。
画家マリオ カバラドッジが マリアの絵を描いている。そこに、同志でナポレオン支持党の アンジェロッテイが 脱獄してくる。マリオは 親友に服と食料を与え 隠れ家に逃がす。
そこに恋人トスカがやってくる。女優で歌手のトスカは気位が高く、嫉妬深い。マリオの描く絵が自分に似ていないといって 嫉妬し、自分と一緒に出かけてくれないマリオに不平をもらす。が、やはり、二人は恋人同士 心から愛し合っている。マリオは トスカをなだめて帰すとアンジェロッテイと一緒に隠れ家に移動する。
第2幕
警視総監スカルピアが脱獄犯を探している。スカルピアは嫉妬深いトスカをたきつけて、恋人マリオの居所を突き止めて、逮捕する。マリオは拷問の激しさに負けて 遂にアンジェロッテイの居所を言ってしまう。アンジェロッテイは 逮捕され、あっけなく処刑されてしまう。マリオにも同じ運命が待っている。
かねてからトスカに惹かれていた警視総監スカルピアは マリオの命を助けたかったら自分のものになれ と取引を持ち出す。
第3幕
トスカは愛するマリオの命を救うため、スカルピアの前に身を捧げようとするが しかし気位の高いトスカは思わず スカルピアを刺し殺してしまう。マリオの処刑時刻になった。マリオに向けられた銃口に本当の弾丸は入っていない約束だった。しかし マリオはすでに 処刑されていた。 トスカは絶望して聖アンジェロ城の城壁から身を投げる。
このオペラの泣き所は、3幕の拷問されて息絶え絶えのマリオと 捨て身でマリオを救うため警視総監のものになる決意をしたトスカとの 愛のデュエットだ。素晴らしく伸びるテノールと ソプラノが二人して、昔愛し合った幸せな頃を思い出して これからも変わらず愛し合って生きる約束をするところ。トスカが恋人を救う為 憎い男のものになる決意を胸に秘めながら 誇り高く愛を熱唱する。じんわり あたたかい涙が滲んでくるところだ。
ところがどうだ。
今年のオペラオーストラリアの「トスカ」は、ブーイングの嵐だ。
アメリカ人 クリストファー アルデンが演出した。初日の公演で拍手する人と ブーイングする人とで 真ふたつの反応に分かれた と聞いてはいたが こんなに飛んでる演出をするとは、、、。
トスカはスラックス ハイヒールにトレンチコート、サングラス姿で現れるし、スカルピア警視総監は 刑事コロンボが着ていたようなヨレヨレのジャケット姿で、出前のピザを食べながら歌う。この男、トスカをおびき出して 無理やり服を脱がせてスリップ姿にしてレイプする。自分はトランクスにランニングシャツだ。暴力に耐えられなくなったトスカがスカルピアを刺して、血が飛び散る。
その部屋の壁には 処刑されたアンジェロテイの遺体が ボロ雑巾のように、つるされている。隅では 刺されて血に染まったスカロッテイが転がっている その横で、血まみれのトスカが 拷問でこれまた血だらけの マリオと愛の歌を歌うのだ。本来 涙なしに聞くことができないような 美しいシーンなのに、壁には死体がつるされ、床には死体が転がっている。おまけに舞台は1幕から3幕まで ずっと同じ 汚れた教会の一室だ。
こんなとき、オーデイア、オーデイア、、、という。おやまあ、やれやれ としか言いようがない。
第2幕のレイプシーンでは 席を立っていく人が結構あった。無理もない。オペラ「トスカ」を愛する人は多い。いろんな理由があるだろうけど、前衛的演出を受け入れられない人は沢山いる。
前衛は世の常として いつの時代でも ブーイングされ、たたかれ、憎まれ 排除される。
たしかに現代は血にまみれた暴力社会だ。オペラだけが 年寄りや金持ちの間だけで 昔のまま 気取った芸術として永らえられる訳がない。200年も前のお話を 時代考証を徹底的にしてプッチーニがやったのと同じように公演してオペラを継承していくのも大切だが、前衛的解釈をした全く別の舞台があっても良い。
しかし、今回の舞台は 下品で悪趣味だ。
トスカが城壁から身を投げて死ぬラストシーンを、この前衛芸術家の演出では、トスカが 警官によってピストルで撃ち殺されてしまった。
気位が高く 自分の男のためには何を犠牲にしても生きていく強い女、トスカが自ら死をえらぶのと、あっけなく男に近代兵器で殺されるのとでは 全然意味が違ってくる。トスカという激しい この時代に稀だった女が 自ら死を選ぶのと、殺されるのとでは 女の生き方に、海と山ほどの違いがあるはずだ。この時代では、トスカが前衛だったのだ。
プッチーニのオペラの筋を変えてしまうのは、ルール違反だ。この演出は とうてい認められない。
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