2010年2月5日金曜日

一握りの灰になったオスカー




台湾で結婚式に参列するため旅行している間に オスカーが死んだ。
18歳の愛猫。
死ぬことが わかっていた。だから、本当はどこにも行きたくなかった。

食べなくなって3週間ちかく。痩せて 辛うじて這って歩くことが出来た。目やにと鼻とで 目と口の周りが汚れて、何度お湯で拭いてやっても 強烈な悪臭を放っていた。食べることを止めてから 便も出なくなり、2,3日おきに排尿すると 以前のように上手に箱の中でできなくて、床や絨毯にたくさんの染みを作った。

骨と皮になって 体が3分の1くらいになってしまって、お気に入りの台所のカーペットの上で、静かに呼吸をしていた。私達が寝室に行くと、ベッドの下まで やっとの力で這ってきた。
起きて、台所で食事の支度を始めると 台所まで這ってきて 足元に横になる。動き回っているから 踏み潰しそうで 危なくて仕方がなかった。

そんな姿になってしまっても、抱き上げて胸の上に寝かせて なでると、ゴロゴロ咽喉をならす。体をなでると毛玉が沢山できていて、ゴツゴツしている。顔を撫でると 硬くなった目やにや鼻がボロボロと落ち どんなに頻繁にきれいにしても すぐに目やにだらけになってしまう。背骨のとんがりが手に痛いほど 骨が突き出てしまった。

それでも私の近くに居たがって、私が動くと這って後を追ってくる。
最後まで一緒に居たい と、意思表明していたのに、どうして私は予定通りに旅にでてしまったのだろう。オスカーは、裏切られた気持ちで、孤独のうちに死んでいっただろうか。オットが仕事から帰ったら、娘の置いていったベッドの下で冷たくなっていた という。

オスカーが家にきたのは 8歳のとき。
長い毛がふさふさで 顔のまわりはライオンのような たてがみがあった。大きな目で 賢そうな 落ち着いた猫だった。
体は小さくても毛が長くて ふわふわに毛が密集しているので大きくて、太ったタヌキのように見えた。
王室動物虐待防止協会(RSPCA)に行ったとき、沢山の猫のなかでも、ガラスケースの中の、一番高い台の上で 悠然と下界を見下していた。一目で気に入って、連れてきた。8歳で、名前はオスカーといわれたが、昔は、アントニオと言う名前で、イタリア人家族に飼われていたそうだ。一家がイタリアに引き上げるとき、捨てられたのだという。

オシッコ箱を作ってやると オシッコをし終わったとたんに 風のような速さで押入れに隠れてしまう。食事もパクリと口に入れるや否や 飛んで押入れに隠れて小さくなっている。きっと、しつけに厳しい家族に飼われていて おもらしをしたり、食い散らかしては 叱られていたのだろう。
落ち着いて排尿便や、食事ができるようになるまで、ゆっくり時間をかけて、慣らせることにした。そのために猫可愛がりしないで、すこし離れて見守る、触るのも最小限にする、何をしても叱ったりせずに 優しい言葉をかけるようにした。オスカーが自分から私達家族のそばに寄ってくるようになるのに、1年くらいかかった。

いったん甘えるようになると、際限なく甘えん坊になった。自分の食事は済んだ筈なのに、私の皿のものを欲しがる。肉も魚もオスカーの目の前で4分の1を切り取って、分けてやり、一緒に食べるのが習慣になってしまった。食べ終わると、ニュースを見ているわたしの膝に乗ってきて、眠る。 寒い夜はベッドの中に入ってくる。冷たい体で入ってきて、温まると出て行って、又 氷のように冷たいからだで入ってくる。

ベランダから下はテニスコートと公園になっていて遊歩道が出来ている。そこを行き来する人びとを ベランダの椅子から一日中 眺めている。ベランダの安楽椅子も、オスカーの毛だらけで、使い物にならなくなって2台目の椅子になった。

ベランダには緑色のパロットや、マグパイやコカバラらの鳥たちがやってくる。オスカーは届くわけがないのに 獲物を追うライオンのように、身をひくくして今にも飛び掛るような「かっこう」をする。そんなことはお見通しの賢い鳥たちは オスカーを見て ここに敵がいる、、、とばかりに やかましくさえずり始めて 猫をばかにする。そんなときのオスカーの困惑の表情に、いつも笑わずにいられない。

10年間 娘達が成長して家を出て行き、会話の少なくなった夫婦にとって、オスカーの存在は二人の会話をつなぐ大切な「つなぎめ」になっていた。10年間、私達の喜怒哀楽を共有してくれた。オスカーがいなかったら 私達家族はどんなに味気ない日々を送ったことだろう。オスカーのいない日など考えられなかった。

枯れ木が朽ちて 音も立てずに倒れるようにしてオスカーは逝ってしまった。18歳といえば 人でいえば100歳以上。
いま、片手の手のひらに乗る小さな灰になった。金色の袋に入って、私達を見下ろしている。
ありがとう。
オスカー。本当に私達と10年間 居てくれて ありがとう。
愛しているよ。