映画 「THE KITE RUNNER」、邦題「君のためなら千回でも」を観た。ホイッツ映画館で上映中。 日本でも好評で、上映中。
カレド フセイン (KHALED HOSSEIN) 原作の「THE KITE RUNNER」を、スイス生まれ、ニューヨーク育ちの映画監督マルク フォスター(MARK FORSTER)が、映画化した。
この監督、「MONSTER'S BALL」2001、「FINDING NEVERLAND」を作った人。先日28歳で亡くなった ヒースレジャー主演の「MONSTER'S BALL」は、舞台も役者も みんなオーストラリアで チャイナタウンや、私が毎日歩いている町で撮影していて、身近に感じていたが、アクション映画なのに、家族のつながりがよく描かれていて良かった。「FINDING NEVERLAND 」も 大人になっても夢を持ち続けることの大切さを描いて印象的な映画だった。この監督、好きになれそう。
KITE RUNNERとは、凧揚げをしていて、落ちてくる凧を拾うために走る人のこと。凧揚げは アフガニスタンの人々にとって 大人も子供も 夢中になって遊ぶ国民的リクリエーション。空中に高く舞い上がる凧を 他の凧と競って互いの糸を切って勝負をきめる、高度なテクニックを要する遊びだ。
ソビエト侵攻前のアフガニスタン カブールに、二人の少年がいる。アミールとハッサン。中産階級で 西欧的教育を受けた父親をもつアミールは、自分が生まれたときに母を失ったので、母親を知らない。 この家には 父親が子供のときから 世話をしてきた召使がいる。その息子、ハッサンは、アミールの召使でもあるが、親友で遊び友達。アミールが上げた凧を 落ちてくるとき 決まってハッサンが、「君のためなら千回でも、、」と言って 取りに走っていく。
凧揚げ大会でアミールの凧が 他の凧を次々と落として、遂に優勝する。その凧を拾いに行ったハッサンは 妬み深い年上の悪童どもに、陵辱される。 それを目撃しながら、親友を助け出す勇気を持たなかったアミールは、この日を境に 罪の意識と レイプされても凧を守るために反撃しなかったハッサンへの軽蔑心とから、遂に ハッサン親子が家に居られない様にしてしまう。
そのうちに、ソビエト軍が侵攻してきて、アミール親子は カブールからパキスタンへと逃れ、その後、アメリカに移住する。 20年たち、アミールは大学を卒業し、小説家として成功、本を出版できるまでになった。ある日、パキスタンから 友人の電話を受け取る。パキスタンまで会いに行って、友人はタリバン制圧下のカブールで ハッサンが殺されたこと、そしてハッサンはアミールの実の兄だったことを知らされる。アミールは タリバンに誘拐された、ハッサンの息子を取り戻し、アメリカに連れ帰ることを決意する。そのことによって、かつて自分が子供のときにハッサンを裏切った償いをする というストーリー。
カブールの石でできた家々、凧を上げる少年達の真剣な顔、ベールを被る女たち、夕日に映える美しいモスク。 センチメンタルな テーマを 西欧社会で育った監督が 筋を追っていく。
私が、好きなシーンは、アミールが 自分を責めるよりも、レイプされたハッサンに向かって、腐ったザクロの実をハッサンに投げつけて、ハッサンが怒って投げ返したり、卑怯だった自分をぶん殴ってくれることを期待するところ。すると、ハッサンは、大きなザクロをつかんだと思ったら、自分の額に激しくぶつけて 血のように顔中 真っ赤にしてアミールの前にたたずむところ。 二人の少年の心が このような形で 決定的に分かれるシーンが とても印象的だった。
小児性愛はこの世で 一番唾棄すべき、許されざる罪、おぞましい犯罪だが、それにしても どうしてイスラム社会で このように いとも簡単に 小児へのレイプが引き起こされるのか? イスラムの厳格な結婚前までの禁欲、年長者が結婚を決めるしきたりの重さ、強い父権、限りなく無に近い女権、封建的な社会観、こういった、習慣、社会規制が 小児性愛、性暴力という形で頻発するのではないか。全く頭にくる。
いろいろな見方があるだろうが、 この映画のテーマは 人生、やり直しがきくのか?自分の罪を自分の行為で償うことができるのか ということだろう。20年たったあとで 償っても、ハッサンは生き返らない。償いはただの自己満足か、自己ヒロイズムだ。しかし、自分の罪を真正面から見据え 罪を認めるのは 辛い、勇気のいることでもある。
この映画を観た日は火曜日で チケットが半額近いので、平日の朝なのに、結構沢山人がきていて、上映中、あちこちで観ている人が 鼻をかんでいた。 でも、私には、この映画、ちょっと、センチメンタルすぎて、人の心の掘り下げ方と、現実認識が 足りないようにおもわれた。
この映画、同じように、子供を扱った名作のなかで、
ルネ クレマン監督、フランス映画「禁じられた遊び」と、
ヴィットリオ デシーカ監督 イタリア映画「自転車泥棒」と、
マジット マジ監督の、イラン映画「赤い金魚と運動靴」 この3つが、それぞれ100点満点とすると、
30点くらいだろうか。
カレド フセイン (KHALED HOSSEIN) 原作の「THE KITE RUNNER」を、スイス生まれ、ニューヨーク育ちの映画監督マルク フォスター(MARK FORSTER)が、映画化した。
この監督、「MONSTER'S BALL」2001、「FINDING NEVERLAND」を作った人。先日28歳で亡くなった ヒースレジャー主演の「MONSTER'S BALL」は、舞台も役者も みんなオーストラリアで チャイナタウンや、私が毎日歩いている町で撮影していて、身近に感じていたが、アクション映画なのに、家族のつながりがよく描かれていて良かった。「FINDING NEVERLAND 」も 大人になっても夢を持ち続けることの大切さを描いて印象的な映画だった。この監督、好きになれそう。
KITE RUNNERとは、凧揚げをしていて、落ちてくる凧を拾うために走る人のこと。凧揚げは アフガニスタンの人々にとって 大人も子供も 夢中になって遊ぶ国民的リクリエーション。空中に高く舞い上がる凧を 他の凧と競って互いの糸を切って勝負をきめる、高度なテクニックを要する遊びだ。
ソビエト侵攻前のアフガニスタン カブールに、二人の少年がいる。アミールとハッサン。中産階級で 西欧的教育を受けた父親をもつアミールは、自分が生まれたときに母を失ったので、母親を知らない。 この家には 父親が子供のときから 世話をしてきた召使がいる。その息子、ハッサンは、アミールの召使でもあるが、親友で遊び友達。アミールが上げた凧を 落ちてくるとき 決まってハッサンが、「君のためなら千回でも、、」と言って 取りに走っていく。
凧揚げ大会でアミールの凧が 他の凧を次々と落として、遂に優勝する。その凧を拾いに行ったハッサンは 妬み深い年上の悪童どもに、陵辱される。 それを目撃しながら、親友を助け出す勇気を持たなかったアミールは、この日を境に 罪の意識と レイプされても凧を守るために反撃しなかったハッサンへの軽蔑心とから、遂に ハッサン親子が家に居られない様にしてしまう。
そのうちに、ソビエト軍が侵攻してきて、アミール親子は カブールからパキスタンへと逃れ、その後、アメリカに移住する。 20年たち、アミールは大学を卒業し、小説家として成功、本を出版できるまでになった。ある日、パキスタンから 友人の電話を受け取る。パキスタンまで会いに行って、友人はタリバン制圧下のカブールで ハッサンが殺されたこと、そしてハッサンはアミールの実の兄だったことを知らされる。アミールは タリバンに誘拐された、ハッサンの息子を取り戻し、アメリカに連れ帰ることを決意する。そのことによって、かつて自分が子供のときにハッサンを裏切った償いをする というストーリー。
カブールの石でできた家々、凧を上げる少年達の真剣な顔、ベールを被る女たち、夕日に映える美しいモスク。 センチメンタルな テーマを 西欧社会で育った監督が 筋を追っていく。
私が、好きなシーンは、アミールが 自分を責めるよりも、レイプされたハッサンに向かって、腐ったザクロの実をハッサンに投げつけて、ハッサンが怒って投げ返したり、卑怯だった自分をぶん殴ってくれることを期待するところ。すると、ハッサンは、大きなザクロをつかんだと思ったら、自分の額に激しくぶつけて 血のように顔中 真っ赤にしてアミールの前にたたずむところ。 二人の少年の心が このような形で 決定的に分かれるシーンが とても印象的だった。
小児性愛はこの世で 一番唾棄すべき、許されざる罪、おぞましい犯罪だが、それにしても どうしてイスラム社会で このように いとも簡単に 小児へのレイプが引き起こされるのか? イスラムの厳格な結婚前までの禁欲、年長者が結婚を決めるしきたりの重さ、強い父権、限りなく無に近い女権、封建的な社会観、こういった、習慣、社会規制が 小児性愛、性暴力という形で頻発するのではないか。全く頭にくる。
いろいろな見方があるだろうが、 この映画のテーマは 人生、やり直しがきくのか?自分の罪を自分の行為で償うことができるのか ということだろう。20年たったあとで 償っても、ハッサンは生き返らない。償いはただの自己満足か、自己ヒロイズムだ。しかし、自分の罪を真正面から見据え 罪を認めるのは 辛い、勇気のいることでもある。
この映画を観た日は火曜日で チケットが半額近いので、平日の朝なのに、結構沢山人がきていて、上映中、あちこちで観ている人が 鼻をかんでいた。 でも、私には、この映画、ちょっと、センチメンタルすぎて、人の心の掘り下げ方と、現実認識が 足りないようにおもわれた。
この映画、同じように、子供を扱った名作のなかで、
ルネ クレマン監督、フランス映画「禁じられた遊び」と、
ヴィットリオ デシーカ監督 イタリア映画「自転車泥棒」と、
マジット マジ監督の、イラン映画「赤い金魚と運動靴」 この3つが、それぞれ100点満点とすると、
30点くらいだろうか。