ドイツが誇るリチャード ワーグナーのオペラ「タンホイザー」を観た。シドニーオペラハウスにて、オペラオーストラリア公演、11月2日まで。指揮者 RICHARD HICKOX. 正式の名前は、「TANNHAUSER UND DER SANGERKREIG AUF WARTBURG 」(タンホイザーとヴァルドブルグの歌合戦)
べヌスベルグの官能の国で、女神ヴィナスと愛欲に耽っていた騎士タンホイザーは、そんな生活に飽きて ヴィナスに逆らって 地上のヴァルトブルグの国に戻る。昔の仲間達、ヴォルブラムにもむかい入れられて、恋人エリザベスにも再会を果たす。時に、ヴォルトブルグの国では領主主催で 騎士達の歌合戦が開かれ、タンホイザーも招かれる。エリザベスに片思いしているボルブラムは、領主とエリザベスの前で清らかな愛を歌ったのに、それい反発したタンホイザーは、官能の愛を讃える歌を歌い、領主、騎士達の怒りを買い、彼が禁断の地 べヌスベルグにいたことが発覚してしまう。それでタンホイザーは赦しを求めるため、ローマに巡礼に行くことを強要される。しかしローマで、タンホイザーに赦しは得られず、苦行に耐え切れず、死ぬ。エリザベスも タンホイザーの帰りを待ち疲れて 命を神に捧げて死ぬ。エリザベスの純愛が奇跡を呼び寄せて、タンホイザーの魂は救われる、と言うお話。
敬虔なカトリックでも、愛欲と官能の世界を全否定してしまう倫理主義者でもない私は 最後には二人とも死んでしまって それでも魂が救われたから良いじゃない というストーリーを良いと思っているわけじゃないけど 楽しいオペラ鑑賞だった。楽しまなくちゃあ損。オペラチケット$180、カーパーク$30、プログラム$15、中で飲むシャンパン$10.これだけ出して 楽しまなかったら、全然損。
ワーグナーのオペラはどれも、重厚、倫理、宗教的、難解、陰湿、悲愴、ねくら、おじいさんっぽい。 反して、モーツアルトや、ヨハン シュトラウスのあの、晴れ晴れとした、空を突き抜けるような明るく、軽快で踊りだしたくなるような楽しいオペラは、どうだ?なんという違い! まあ これがドイツなんだから、仕方がない。歌われる沢山の美しいアリア、そして合唱、どれも言葉がものすごく難しい。哲学的 形而上的な言葉の羅列、歌うほうは、大変だろう。そして歌のうちどれひとつとしてオペラを観た翌日 鼻歌でフンフン歌えるような曲はない。
こういったワーグナーのオペラをダイレクターELKE NEIDHARDT、セットデザイナーMICHAEL SCOTT-MITCHELL,ライトデザイナーSUE FIELDなどが、とても現代的で良い舞台を造っていた。官能の世界の女王ヴィナスに仕えるアモール(愛の天使)が、すごく印象的だった。アモールは歌わない せりふがない、ながら、舞台全体のコマまわしのような重要な役割をもっていて、愛欲の世界にも、地上に世界にも出現して、誰でも人間の心には愛と官能を求める気持ちがあるという このオペラの新しい解釈に手を貸していた。アモールは、巨体で肥満体、はげで 背中に天使の翼をもっている。実に醜いというか、印象的な姿で歌わず語らずして体の動きで表現する、すごく良い役者だった。(MAELIOSA STAFORD)。
ヴィナスに、MILIJANA NIKOLIC(アルト)、タンホイザーに、RICHARD BERKLEY (テノール)、エリザベスに、JANICE WATSON(ソプラノ)。3人とも、特に素晴らしくも 悪くもなく、難曲を次々に美しい声で歌いあげていた。羊飼いの少年も、7歳くらいだろうか、美しいボーイソプラノで歌ってくれた。
特質すべきは、今回のオペラにはワーグナーの重厚 悲愴、根暗をオーストラリア独特の明るい笑いで上手に処理していたことだ。まず、アモールのみごとな出現が笑わせる。背中に翼があるのに反宗教的でいたずらっぽくて、かわいい。彼の一挙一動に観客は笑っていた。
ローマに巡礼に行ってローマ法王に謁見されて帰ってきた司祭達がみんなカトリックの黒いガウンを着て、おそろいの「アイローマ」と書いたビニールバッグをもって行進する姿なども、観客は大喜びで手をたたいていた。このオペラ、他のオペラに比べてコーラスシーンが多く、28人の男性合唱、14人の女性合唱がとても良かった。
それと、官能の世界で堕落した人々が乱れているところを、10人位の踊り子が編みタイツ、娼婦スタイルでタンホイザーと戯れるシーンでは、ラリアの定番、黒タイツ、ブーツに黒ブラジャーに、ムチをもった踊り子が タンホイザーが地上に帰りたいと 悲愴な決意で美しいアリアを歌っている最中、「帰る」という言葉が出るたびに、彼の前に出て、脅かそうとするところも 観客はワーっと沸いていた。編みタイツにムチ姿が出てくると 俄然喜んでしまうラリア人って何なの?
純愛のエリザベスがタンホイザーを思って、歌うシーンでも 6人位のダンサーが蝙蝠になって、アクロバットみたいな危ない姿でバタバタ、エリザベスを邪魔して 愛の行方に影を落とすところも、おもしろい演出だった。 8匹の本当の犬まで出てきた。
総じて、舞台芸術がとても良くできていて、優れた舞台を 堪能することができた。 ワーグナーなのに、よく笑った。意表をつかれる、楽しい舞台だった。つまらない娯楽が多いなかで、本当に、オペラは、舞台で本物を観る価値がある。
2007年10月28日日曜日
2007年10月22日月曜日
洞窟のなかのコンサート
どうしても行きたかったブルーマウンテン ジェノランケイブのコンサートに 遂に行くことになって、嬉しくて思わずふるえた。二年がかりで、念願のコンサート。
ブルーマウンテンの数々の洞窟は、何千年もの時間をかけて形造られたられてきた。なかで、ジェノランケイブが一番有名。近くに山小屋が出来てから旅行者でいつも、いっぱい。なかで、ルカスケイブから、54メートルほど中に入った洞窟に、自然が形作った小さな部屋があり、教会になっている。そこが、コンサート会場。
洞窟のなかは、一年を通じて気温15度、人工的な音のない 風の音さえない、静寂そのもの。ひとつの音が8秒鳴り響く、自然のエコー。沈黙の深さ、音の増幅、拡大が、強力で豊か、より純粋な音が 自然の音響効果で、聴くことが出来る。 そこで長いこと ドイツ人のチェリストが 定期コンサートを催しているのを知って、いつか聴きに行きたいとずっと思っていた。
コンサートは 土曜の夜。洞窟まで 4-5時間、昼間なら慎重に運転すれば運転できないことはないが、コンサート後、夜道を、切り立った岸壁、厳しい山道をヘッドライトの明かりだけで山から 下りてシドニーに帰れる自信は全くない。無謀というものだ。シャトルバスで行き帰りを 頼むことにした。仕事を一日休暇とって、長距離電車のチケットを予約し、シャトルバスの運転手と打ち合わせして、やっと、やっと、夢にまでみた念願のコンサートにいける!
夫はケンタッキーフライドチキンの店に立ってるおじいさんの体型。腹の出ぐあいサンタクロース型、甘いものが大好きで、喘息もちなのに、タバコを止められない。そんな夫をつれていったのが間違いだった。洞窟のなかのコンサートに向かう途中、洞窟までの階段が、狭いうえに 急で 手すりをつかまえてやっと 体をもちあげて先に進む冒険旅行。私でも、息があがって、やっとのことで、前に進む。さあ、コンサート会場までもう一歩、、、 ふと後ろも見ると、夫が、真っ青な顔で、喘息発作をおこして、アップアップ、、、水のない金魚のような、苦しみ方。吸入器を ポケットから出す力も残ってない。あわてて駆け寄り、救命。「一人で、コンサートを聴いてきなさい」、と、背中を押してくれるが、誰もいない洞窟の真ん中で、こいつ、置いていけるか?
というわけで、チェロを聴くことが出来ずに シャトルバスで帰ってきた。予定外に、2時間早く帰る事になったシャトルバスの運転手さん、私の肩に手を置いて、「またくればいいよ、ね。」と。 ボロッと、おおきな涙が私の目から落ちた。
ブルーマウンテンの数々の洞窟は、何千年もの時間をかけて形造られたられてきた。なかで、ジェノランケイブが一番有名。近くに山小屋が出来てから旅行者でいつも、いっぱい。なかで、ルカスケイブから、54メートルほど中に入った洞窟に、自然が形作った小さな部屋があり、教会になっている。そこが、コンサート会場。
洞窟のなかは、一年を通じて気温15度、人工的な音のない 風の音さえない、静寂そのもの。ひとつの音が8秒鳴り響く、自然のエコー。沈黙の深さ、音の増幅、拡大が、強力で豊か、より純粋な音が 自然の音響効果で、聴くことが出来る。 そこで長いこと ドイツ人のチェリストが 定期コンサートを催しているのを知って、いつか聴きに行きたいとずっと思っていた。
コンサートは 土曜の夜。洞窟まで 4-5時間、昼間なら慎重に運転すれば運転できないことはないが、コンサート後、夜道を、切り立った岸壁、厳しい山道をヘッドライトの明かりだけで山から 下りてシドニーに帰れる自信は全くない。無謀というものだ。シャトルバスで行き帰りを 頼むことにした。仕事を一日休暇とって、長距離電車のチケットを予約し、シャトルバスの運転手と打ち合わせして、やっと、やっと、夢にまでみた念願のコンサートにいける!
夫はケンタッキーフライドチキンの店に立ってるおじいさんの体型。腹の出ぐあいサンタクロース型、甘いものが大好きで、喘息もちなのに、タバコを止められない。そんな夫をつれていったのが間違いだった。洞窟のなかのコンサートに向かう途中、洞窟までの階段が、狭いうえに 急で 手すりをつかまえてやっと 体をもちあげて先に進む冒険旅行。私でも、息があがって、やっとのことで、前に進む。さあ、コンサート会場までもう一歩、、、 ふと後ろも見ると、夫が、真っ青な顔で、喘息発作をおこして、アップアップ、、、水のない金魚のような、苦しみ方。吸入器を ポケットから出す力も残ってない。あわてて駆け寄り、救命。「一人で、コンサートを聴いてきなさい」、と、背中を押してくれるが、誰もいない洞窟の真ん中で、こいつ、置いていけるか?
というわけで、チェロを聴くことが出来ずに シャトルバスで帰ってきた。予定外に、2時間早く帰る事になったシャトルバスの運転手さん、私の肩に手を置いて、「またくればいいよ、ね。」と。 ボロッと、おおきな涙が私の目から落ちた。
2007年10月19日金曜日
映画 「THE BRAVE ONE」
アメリカ映画「THE BRAVE ONE 」を観た。各ホイッツ映画館で封切りされたばかり。邦題未定。「勇気ある女」または「ブレイブワン」か。アイルランド人二ール ジョーダン(NEIL JORDAN)監督。「THE CRYING GAME 」の監督。
久々の お母さんになった、オスカー受賞女優ジュデイ フォスターが(JODIE FOSTER)主演。男優に、テレンス ハワード(TERRENCE HOWARD)。この人、アカデミー作品賞を取った映画「クラッシュ」にも出ていた 今や アフリカンアメリカ人のなかで一番ハンサムな男優かも。
ストーリーは、 エリカ(ジュデイ フォスター)は 放送局でデスクジョッキーというか、放送パーソナリテイーとして、自分の番組をもっている。マイクロホンを前に、詩を読んだり、インタビューをしたり、音楽を流したりしている。病院に勤務する恋人と一緒に住んでいて、結婚する予定だ。しかし、ある夜、二人で犬を散歩させていたとき ギャングにアタックされる。不運な時に、不運な場所に 居合わせたというだけの理由で、恋人は撲殺され、彼女は3週間 昏睡状態で生死の間を彷徨った末 生還する。しばらくして、職場復帰するが、恋人を失った衝撃から立ち直ることが出来ない。警察に 犯人逮捕の手がかりを問い合わせても、暴力事件が日常茶飯事のニューヨークで、警察の態度は、冷たく、何の希望も見出せない。湧き上がる怒りと、身を守るのは自分しかないという絶望感から、護身用の銃を手に入れる。
そんな、一人きりになって 希望をなくしたある晩、エリカは偶然、家庭内暴力で夫が妻を殺す現場に居合わせてしまい 自分を守るために、やむなく男を撃ち殺す。それ以来、銃を持ち歩き、あえて、夜 出かけては、地下鉄に乗って、ギャングを撃ち殺し、小児虐待の男を待ち構えて、処刑し、また、ポン引きを処分する。そんな行為でしか怒りを静められなくなって殺人がやめられなくなっていく。
捜査を担当する刑事は エリカの不審な行動に、疑問をもち、彼女にはギャングを処刑するだけの動機があることを 突き止める。ギャングに襲われ、辛うじて生き残ったエリカの傷ついた心に共鳴しながらも、刑事はエリカが一連のギャングアタックに関わっているならば それを止めさせなければならない と考えている。知り合い、話をすればするほど、エリカと刑事は心が通い合い 惹かれ合っていくが、エリカは 悪への怒りを押さえつけることが出来ない。最終的に、自分の恋人を殺した3人組のギャングを遂に突き止めて、復讐するための道に突き進んでいく、のだけど、その先は、これからこの映画をこれから観る人のために、言えない。
ジュデイーフォスターが とても良い。やせて小柄な彼女が 思いのほか筋肉質で、泣かずにいられないときでも 歯を食いしばって涙をこらえて、絶対に怒りを忘れず 怒りを生きる糧にして、前に突き進んでいく姿が、とても良い。小さくて可愛いくせに 気味悪いほどグラマーで そこそこ仕事もできるカマトト女が 男にもてる世俗社会ではあるけれど、ジュデイーフォスターの 人工授精で赤ちゃんを産みシングルマザーとして生きる潔さが、今の女性の行き方の最先端を行っているのではないか。
エール大学卒業のインテリ女優、出演作をすごく選んでいる。 彼女のデビュー作が ロバート デ ニーロの、「タクシードライバー」。 これで彼女は14歳で娼婦役、衝撃の登場だった。これで、オスカーにノミネイトされた。その後の「アキューズド」では、 ゴールデングローブ賞と、オスカーを取った。パブで輪姦されて、犯人達が法で罰されるまであきらめずに戦う女の勇気に圧倒された。 「羊達の沈黙」では、彼女以外の女優にできないような難しい役をやって、アカデミー主演女優賞を取った。2作目の、「ハンニバル」を、他の女優が演じたため、アンソニー ホプキンスのレクター博士も、二度目はちょっと冴えなかったが、彼女がやっていたら、もっとずっと、違う作品になっていただろう。
この映画、ジュデイー フォスターと、ハンサムなテレンス ハワードを画面で観ているだけで、私は嬉しかったが、映画の ストーリーに賛成できるわけではない。リベンジは、リベンジでしかない。復讐は なにも、生み出さない。 いつのころからか、9ー11の直後からだろうか、アメリカ人はリベンジを正当化するようになった。イラク攻撃も、グアンタナモ刑務所も、アフガン攻撃も 9-11のリベンジだ。いまだ、アメリカ人の半数以上がジョージブッシュを支持している。 リベンジを、正義 と認めてしまったら、人は人の道を外れる。
久々の お母さんになった、オスカー受賞女優ジュデイ フォスターが(JODIE FOSTER)主演。男優に、テレンス ハワード(TERRENCE HOWARD)。この人、アカデミー作品賞を取った映画「クラッシュ」にも出ていた 今や アフリカンアメリカ人のなかで一番ハンサムな男優かも。
ストーリーは、 エリカ(ジュデイ フォスター)は 放送局でデスクジョッキーというか、放送パーソナリテイーとして、自分の番組をもっている。マイクロホンを前に、詩を読んだり、インタビューをしたり、音楽を流したりしている。病院に勤務する恋人と一緒に住んでいて、結婚する予定だ。しかし、ある夜、二人で犬を散歩させていたとき ギャングにアタックされる。不運な時に、不運な場所に 居合わせたというだけの理由で、恋人は撲殺され、彼女は3週間 昏睡状態で生死の間を彷徨った末 生還する。しばらくして、職場復帰するが、恋人を失った衝撃から立ち直ることが出来ない。警察に 犯人逮捕の手がかりを問い合わせても、暴力事件が日常茶飯事のニューヨークで、警察の態度は、冷たく、何の希望も見出せない。湧き上がる怒りと、身を守るのは自分しかないという絶望感から、護身用の銃を手に入れる。
そんな、一人きりになって 希望をなくしたある晩、エリカは偶然、家庭内暴力で夫が妻を殺す現場に居合わせてしまい 自分を守るために、やむなく男を撃ち殺す。それ以来、銃を持ち歩き、あえて、夜 出かけては、地下鉄に乗って、ギャングを撃ち殺し、小児虐待の男を待ち構えて、処刑し、また、ポン引きを処分する。そんな行為でしか怒りを静められなくなって殺人がやめられなくなっていく。
捜査を担当する刑事は エリカの不審な行動に、疑問をもち、彼女にはギャングを処刑するだけの動機があることを 突き止める。ギャングに襲われ、辛うじて生き残ったエリカの傷ついた心に共鳴しながらも、刑事はエリカが一連のギャングアタックに関わっているならば それを止めさせなければならない と考えている。知り合い、話をすればするほど、エリカと刑事は心が通い合い 惹かれ合っていくが、エリカは 悪への怒りを押さえつけることが出来ない。最終的に、自分の恋人を殺した3人組のギャングを遂に突き止めて、復讐するための道に突き進んでいく、のだけど、その先は、これからこの映画をこれから観る人のために、言えない。
ジュデイーフォスターが とても良い。やせて小柄な彼女が 思いのほか筋肉質で、泣かずにいられないときでも 歯を食いしばって涙をこらえて、絶対に怒りを忘れず 怒りを生きる糧にして、前に突き進んでいく姿が、とても良い。小さくて可愛いくせに 気味悪いほどグラマーで そこそこ仕事もできるカマトト女が 男にもてる世俗社会ではあるけれど、ジュデイーフォスターの 人工授精で赤ちゃんを産みシングルマザーとして生きる潔さが、今の女性の行き方の最先端を行っているのではないか。
エール大学卒業のインテリ女優、出演作をすごく選んでいる。 彼女のデビュー作が ロバート デ ニーロの、「タクシードライバー」。 これで彼女は14歳で娼婦役、衝撃の登場だった。これで、オスカーにノミネイトされた。その後の「アキューズド」では、 ゴールデングローブ賞と、オスカーを取った。パブで輪姦されて、犯人達が法で罰されるまであきらめずに戦う女の勇気に圧倒された。 「羊達の沈黙」では、彼女以外の女優にできないような難しい役をやって、アカデミー主演女優賞を取った。2作目の、「ハンニバル」を、他の女優が演じたため、アンソニー ホプキンスのレクター博士も、二度目はちょっと冴えなかったが、彼女がやっていたら、もっとずっと、違う作品になっていただろう。
この映画、ジュデイー フォスターと、ハンサムなテレンス ハワードを画面で観ているだけで、私は嬉しかったが、映画の ストーリーに賛成できるわけではない。リベンジは、リベンジでしかない。復讐は なにも、生み出さない。 いつのころからか、9ー11の直後からだろうか、アメリカ人はリベンジを正当化するようになった。イラク攻撃も、グアンタナモ刑務所も、アフガン攻撃も 9-11のリベンジだ。いまだ、アメリカ人の半数以上がジョージブッシュを支持している。 リベンジを、正義 と認めてしまったら、人は人の道を外れる。
2007年10月13日土曜日
映画 「僕のピアノコンチェルト」
スイス映画「VITUS 」を観た。邦題「僕のピアノコンチェルト」。クレモンオピウム、各地デンデイー館で上映中。監督、フレデイー ミューラー。ローマフィルムフェステイバルで オーデイエンス賞を取った。音楽雑誌などが、絶賛している。
IQ180の天才的頭脳と、プロ並みのピアノの腕前をもっている少年ヴィトスのお話。 6歳のヴィトスを BRENO GANZ、12歳のヴィトスを、TEO GTHEORGHLYが演じている。
実際に12歳の テオ ゲオルギューは、名門の音楽学校在学中の学生で 映画の中で演奏しているのも、バックグラウンドで流れているピアノ曲も、みな彼が弾いている。映画のラストシーンで コンサートホールで、フルオーケストラをバックに、ピアノコンチェルトを弾き終わり、20分もの、スタンデイングオベイションを 得たのも、実際にあったできごとだそうだ。
ストーリーは、 ヴィトスの父親は機械工学のエンジニア、母親はパートタイムでオフィスに勤めるごく普通の家庭だが、ヴィトスの成長とともに、頭が良くて、音楽の才能に恵まれていることがわかる。7歳で 難解なバッハのピアノ曲を弾けるようになると 両親はそれが自慢でならない。職場で余り評価されていなくて、うだつがあがらない父親は、職場の上司達をパーテイーに招待して、ヴィトスにピアノを弾かせて、びっくりするのを観て日ごろのうっぷんを晴らしたりしている。学校でも、とびぬけて数学ができて、先生方は彼を、12歳で飛び級させて、高校に行かせる。どんどん難しい数学に挑戦して、まわりを 驚愕させるが、ただそれだけ。友達もいなくて、親は期待するばかり、母親はヴィトスのために、仕事を辞めて ピアノレッスンに圧力をかけるばかり、、、次第にヴィトスはそんな日常に耐えられなくなっていく。
汽車で1時間ほど行った田舎に おじいさんが一人で住んでいる。木工作業場を持っていて、家具などを作っていた。ヴィトスは、このおじいさんが大好き。おじいさんは 昔から空を飛ぶ夢を持っていた。飛行士になりたかったという。ヴィトスが7歳のころ、木工細工で大きな翼を造ってくれた。12歳になって 閉塞した日常から、飛び出したくなって、ヴィトスは、ある日 その翼をつけて、高層アパートのベランダから、飛んで身を投げる。全身打撲で、意識不明になって病院に運ばれたヴィトスは、奇跡的に怪我こそしなかったが、検査の結果、180あったIQが、120に落ちて12歳意のごく普通の子供の知能にもどってしまったことがわかる。
失望のどん底に落ちる母親。父親は失業の憂き目にあい,家庭は暗くなるばかり。自然、ヴィトスはおじいさんと一緒に手作業をしたり、散歩したりして過ごすことが多くなり、高校もやめて、小学校に入りなおす。友達もできて、好きな女の子もできる。 ただ、過剰な期待をかけて、圧力をかけてくるだけの両親と違って、ありのままを愛してくれるおじいさんは 本当は ヴィトスが事故でIQが低くなったわけでも、ピアノが弾けなくなったわけでもない事実をあとで知るが、誰にも言わない と約束する。ヴィトスは母親の「管理」や、教師の「指導」のないところで、ピアノが弾きたかっただけなのだ。
おじいさんの古い家の天井が落ちそうだが、資金がなくて、修理ができないとわかって、丁度、失業したお父さんの会社の株の操作をして、ヴィトスはおじいさんを巻き込んで、大金を手に入れる。お金持ちになったおじいさんは、まっさきに ヴィトスに相談もなく、欲しかったものを、手に入れる。飛行機操縦のシュミュレーション機械と、本当の飛行機だ。ヴィトスは自分でアパートを手に入れて、そこで、思い切りピアノを弾いて過ごす。
しかし、本当に、おじいさんの家の天井が落ちてきて、そのときの怪我が原因でおじいさんは亡くなる。最後まで自分が買ったばかりの飛行機で空をかけめぐる夢をヴィトスに語りながら。ヴィトスは、おじいさんの夢を実現すべく、一人で飛行機を操縦して、遂に空を飛ぶ。そして、自分が習いたかったピアノの先生のお屋敷に飛行機を着陸させる。世界中からお弟子になりたい生徒が訪ねてくる先生の家に、突然空からやってきた少年を、先生は笑顔でむかえる、と言うお話。
おじいさんと少年の心の交流がとても良い。いくつになっても子供の心をもったおじいさんと、少年の心が しっかり結ばれている。反して、事故にあった子供が、普通のIQにもどったと知って絶望して、やけっぱちになってタバコを吸ったりしている母親は醜い。飛びぬけて優秀だった息子が誇らしかったが、普通の子供人なって、自慢できなくなった自分が悲しいだけなのだ。こんな親になってはいけない。
仲良しになったクラスメイトと自転車で乗り回すシーンが良い。相手はロックをイヤホーンで聞きながら自転車を乗り回しているが、ヴィトスは、リストのピアノ曲を頭の中で反復しながら乗っている。 そして、もちろん ラストシーンの、オーケストラと、ヴィトスのピアノコンチェルトの大成功のシーンは素晴らしい。この小さな音楽家、演技をしていると言う感じがしない。地で、演奏し、演じている。立派な音楽家に成長するだろう。
IQ180の天才的頭脳と、プロ並みのピアノの腕前をもっている少年ヴィトスのお話。 6歳のヴィトスを BRENO GANZ、12歳のヴィトスを、TEO GTHEORGHLYが演じている。
実際に12歳の テオ ゲオルギューは、名門の音楽学校在学中の学生で 映画の中で演奏しているのも、バックグラウンドで流れているピアノ曲も、みな彼が弾いている。映画のラストシーンで コンサートホールで、フルオーケストラをバックに、ピアノコンチェルトを弾き終わり、20分もの、スタンデイングオベイションを 得たのも、実際にあったできごとだそうだ。
ストーリーは、 ヴィトスの父親は機械工学のエンジニア、母親はパートタイムでオフィスに勤めるごく普通の家庭だが、ヴィトスの成長とともに、頭が良くて、音楽の才能に恵まれていることがわかる。7歳で 難解なバッハのピアノ曲を弾けるようになると 両親はそれが自慢でならない。職場で余り評価されていなくて、うだつがあがらない父親は、職場の上司達をパーテイーに招待して、ヴィトスにピアノを弾かせて、びっくりするのを観て日ごろのうっぷんを晴らしたりしている。学校でも、とびぬけて数学ができて、先生方は彼を、12歳で飛び級させて、高校に行かせる。どんどん難しい数学に挑戦して、まわりを 驚愕させるが、ただそれだけ。友達もいなくて、親は期待するばかり、母親はヴィトスのために、仕事を辞めて ピアノレッスンに圧力をかけるばかり、、、次第にヴィトスはそんな日常に耐えられなくなっていく。
汽車で1時間ほど行った田舎に おじいさんが一人で住んでいる。木工作業場を持っていて、家具などを作っていた。ヴィトスは、このおじいさんが大好き。おじいさんは 昔から空を飛ぶ夢を持っていた。飛行士になりたかったという。ヴィトスが7歳のころ、木工細工で大きな翼を造ってくれた。12歳になって 閉塞した日常から、飛び出したくなって、ヴィトスは、ある日 その翼をつけて、高層アパートのベランダから、飛んで身を投げる。全身打撲で、意識不明になって病院に運ばれたヴィトスは、奇跡的に怪我こそしなかったが、検査の結果、180あったIQが、120に落ちて12歳意のごく普通の子供の知能にもどってしまったことがわかる。
失望のどん底に落ちる母親。父親は失業の憂き目にあい,家庭は暗くなるばかり。自然、ヴィトスはおじいさんと一緒に手作業をしたり、散歩したりして過ごすことが多くなり、高校もやめて、小学校に入りなおす。友達もできて、好きな女の子もできる。 ただ、過剰な期待をかけて、圧力をかけてくるだけの両親と違って、ありのままを愛してくれるおじいさんは 本当は ヴィトスが事故でIQが低くなったわけでも、ピアノが弾けなくなったわけでもない事実をあとで知るが、誰にも言わない と約束する。ヴィトスは母親の「管理」や、教師の「指導」のないところで、ピアノが弾きたかっただけなのだ。
おじいさんの古い家の天井が落ちそうだが、資金がなくて、修理ができないとわかって、丁度、失業したお父さんの会社の株の操作をして、ヴィトスはおじいさんを巻き込んで、大金を手に入れる。お金持ちになったおじいさんは、まっさきに ヴィトスに相談もなく、欲しかったものを、手に入れる。飛行機操縦のシュミュレーション機械と、本当の飛行機だ。ヴィトスは自分でアパートを手に入れて、そこで、思い切りピアノを弾いて過ごす。
しかし、本当に、おじいさんの家の天井が落ちてきて、そのときの怪我が原因でおじいさんは亡くなる。最後まで自分が買ったばかりの飛行機で空をかけめぐる夢をヴィトスに語りながら。ヴィトスは、おじいさんの夢を実現すべく、一人で飛行機を操縦して、遂に空を飛ぶ。そして、自分が習いたかったピアノの先生のお屋敷に飛行機を着陸させる。世界中からお弟子になりたい生徒が訪ねてくる先生の家に、突然空からやってきた少年を、先生は笑顔でむかえる、と言うお話。
おじいさんと少年の心の交流がとても良い。いくつになっても子供の心をもったおじいさんと、少年の心が しっかり結ばれている。反して、事故にあった子供が、普通のIQにもどったと知って絶望して、やけっぱちになってタバコを吸ったりしている母親は醜い。飛びぬけて優秀だった息子が誇らしかったが、普通の子供人なって、自慢できなくなった自分が悲しいだけなのだ。こんな親になってはいけない。
仲良しになったクラスメイトと自転車で乗り回すシーンが良い。相手はロックをイヤホーンで聞きながら自転車を乗り回しているが、ヴィトスは、リストのピアノ曲を頭の中で反復しながら乗っている。 そして、もちろん ラストシーンの、オーケストラと、ヴィトスのピアノコンチェルトの大成功のシーンは素晴らしい。この小さな音楽家、演技をしていると言う感じがしない。地で、演奏し、演じている。立派な音楽家に成長するだろう。
2007年10月12日金曜日
映画 「AWAY FROM HER]
映画で、ジュリー クリステイーに逢えたことが、とても嬉しかった。デビッド リーン監督、不朽の名作 「ドクトルジバゴ」の「ラーラ」だ。
カナダ映画「AWAY FROM HER」を観た。クレモンオルピアン、各地デンデイー館で、上映中。 邦題は未定。「彼女から遠く離れて、」か? 監督サラ ポーレイ(SARAH POLLEY)、若干28歳の女優で監督の 初めての作品。 62歳の妻の役に、イギリス人のジュリー クリステイー(JURIE CHRISTIE)、その夫にゴードン ピンセント(GORDON PINSENTO)。
この映画、これ以上の役者は望めないというほどの 熟練の役者2人が演じたことで、辛うじて映画として成功した、と言える。動きの少ない、難しい役を、二人は、ほとんど出ずっぱりで、表情の変化と、場面場面に合った服装から髪型までの雰囲気造り 役造りに凝りに凝っているのが、わかる。ふたりとも本当の役者のなかの役者だ。 それにしても、ドクトルジバゴのラーラ、、、なんと美しく年をとったのだろう。 これほど美しい60代の女性を 他に見た事がない。何の曇りもない 澄み切った青い瞳。純白の長い髪、知的な容貌、表情の一つ一つが、生き生きしている。ジェーン フォンダが 同じように年をとって、最近の映画「モンスターマザー」に出演していたが、彼女、小柄なだけに 衰えが痛ましいほどだった。 キャサリン ヘップバーンも、昔、死ぬ前 ヘンリー フォンダと、「たそがれ」という映画で老夫婦役をやったが、首から肩にかけての 衰えがあわれだった。ジュデイー クリステイーは若くて 映画界でちやほやされる時期に、人気にこだわりなく リベラリストとして社会運動に関わり、独特の’自分らしい生き方をしてきた。60代になっても、彼女らしい個性的なスタイルをくずさない。素晴らしい女優だ。
ストーリーは、 フィオーナ(ジュリークリステイー)とグラント(ゴードン ピンセント)は、44年間 一度も離れたことがない 仲の良い夫婦だった。アイスランドから移民してきた彼女が、18歳でまだ学生だったときにグラントは結婚を申し込み、そのとき、どんなことがあっても、君から離れないでそばにいる と約束したのだ。夫婦は20年余り、カナダ、オンタリオの国立公園の近く、自然の豊かなところに家を建てて住んでいる。二人で クロスカントリースキーを楽しみ、自然を愛し、毎晩夜になると、夫は妻に本を読んで聞かせる。しかし、フィオーナの、記憶力が衰え、しまったものが、見つからないなど、奇妙な行いをするようになってきた。彼女は 自分で本を読み、自分がアルツハイマー病で、いったん症状が進むと、治療の効果が 期待できないことを知る。遂に、徘徊が始まり、自分の家に帰れなくなったある日、彼女は夫の反対を押し切って ナーシングホームに入ることを決意する。夫は、症状の悪い日があるかと思うと、良い日もあるので、どうしても、あきらめきれない。
自分のところに良くなって戻ってくると思い込んでいる夫を残して、妻は、自分で自分のことを決められるうちに、と、ナーシングホームに入る。入所から初めの30日は、入居者が慣れるように、夫は面会に行くことが出来ない決まりになっている。30日間、結婚してから初めて妻から離れて暮らしたあと 夫が面会に来てみると、妻は同じホームにいる認知障害の男の恋人になっていて、夫が誰だかもうわからない。妻が 別の入居者と肩を並べて、ゲームをしたり、一刻も離れずに世話してやったりしている姿を、呆然をして見つめる夫。もう、夫が毎日来て、本を読んであげても、妻はうわの空。夫が たまりかねてある日 私が夫で44年間一度も君のそばを離れたことがなかったのに、どうしてどうして、他の男の心が移ったのか、、、と、問いただしたときの、妻の困惑。彼女は、「HE DOES NOT CONFUSE ME」私を困らせるのは あなたであって、彼は私を混乱させたり、困らせないでいてくれる、と言って泣く。
はたから見れば、認知障害は、脳が縮小して感覚も鈍くなっているように見えるが、患者本人は、記憶が失われ、自分を確認することができなくなってきて、本当は本人が一番つらいのだ。妻には自分の過去の記憶がない。昔のことを、持ち出して言われると 自分をますます確認することができなくなって 不安が増すばかりだ。夫も可哀想だが 妻のつらさも身にしみてせつなくて、この映画、すごく泣ける。
夫は妻のそばから絶対 離れずにいる、と約束したのに、妻をナーシングホームに入れて 傍にいてやることが出来ないことへの自責の念に苦しみ、妻の心変わりを これは自分の約束を守らなかったことへの復讐なのだと思い込む。 妻は記憶のない自分のよるべのない不安で不確かな自分自身から逃げるように そこにいる男の世話をしてやることで 何とか自分を保とうとする。
どんなに満ち足りた結婚生活にも 必ず終わりがくる。どんなに 喜びに満ちた生活でも、死を避けることは出来ない。
悲しい映画「NOTEBOOK」 邦題「君に読み聞かせるノートブック」も、心に残る映画だったが、この映画も、すごく泣かせる。ジュリー クリステイーの存在感だけで、すごく満足できる映画。それと、カナダの自然の美しさ。雪景色の素晴らしさも、特筆に値する。
カナダ映画「AWAY FROM HER」を観た。クレモンオルピアン、各地デンデイー館で、上映中。 邦題は未定。「彼女から遠く離れて、」か? 監督サラ ポーレイ(SARAH POLLEY)、若干28歳の女優で監督の 初めての作品。 62歳の妻の役に、イギリス人のジュリー クリステイー(JURIE CHRISTIE)、その夫にゴードン ピンセント(GORDON PINSENTO)。
この映画、これ以上の役者は望めないというほどの 熟練の役者2人が演じたことで、辛うじて映画として成功した、と言える。動きの少ない、難しい役を、二人は、ほとんど出ずっぱりで、表情の変化と、場面場面に合った服装から髪型までの雰囲気造り 役造りに凝りに凝っているのが、わかる。ふたりとも本当の役者のなかの役者だ。 それにしても、ドクトルジバゴのラーラ、、、なんと美しく年をとったのだろう。 これほど美しい60代の女性を 他に見た事がない。何の曇りもない 澄み切った青い瞳。純白の長い髪、知的な容貌、表情の一つ一つが、生き生きしている。ジェーン フォンダが 同じように年をとって、最近の映画「モンスターマザー」に出演していたが、彼女、小柄なだけに 衰えが痛ましいほどだった。 キャサリン ヘップバーンも、昔、死ぬ前 ヘンリー フォンダと、「たそがれ」という映画で老夫婦役をやったが、首から肩にかけての 衰えがあわれだった。ジュデイー クリステイーは若くて 映画界でちやほやされる時期に、人気にこだわりなく リベラリストとして社会運動に関わり、独特の’自分らしい生き方をしてきた。60代になっても、彼女らしい個性的なスタイルをくずさない。素晴らしい女優だ。
ストーリーは、 フィオーナ(ジュリークリステイー)とグラント(ゴードン ピンセント)は、44年間 一度も離れたことがない 仲の良い夫婦だった。アイスランドから移民してきた彼女が、18歳でまだ学生だったときにグラントは結婚を申し込み、そのとき、どんなことがあっても、君から離れないでそばにいる と約束したのだ。夫婦は20年余り、カナダ、オンタリオの国立公園の近く、自然の豊かなところに家を建てて住んでいる。二人で クロスカントリースキーを楽しみ、自然を愛し、毎晩夜になると、夫は妻に本を読んで聞かせる。しかし、フィオーナの、記憶力が衰え、しまったものが、見つからないなど、奇妙な行いをするようになってきた。彼女は 自分で本を読み、自分がアルツハイマー病で、いったん症状が進むと、治療の効果が 期待できないことを知る。遂に、徘徊が始まり、自分の家に帰れなくなったある日、彼女は夫の反対を押し切って ナーシングホームに入ることを決意する。夫は、症状の悪い日があるかと思うと、良い日もあるので、どうしても、あきらめきれない。
自分のところに良くなって戻ってくると思い込んでいる夫を残して、妻は、自分で自分のことを決められるうちに、と、ナーシングホームに入る。入所から初めの30日は、入居者が慣れるように、夫は面会に行くことが出来ない決まりになっている。30日間、結婚してから初めて妻から離れて暮らしたあと 夫が面会に来てみると、妻は同じホームにいる認知障害の男の恋人になっていて、夫が誰だかもうわからない。妻が 別の入居者と肩を並べて、ゲームをしたり、一刻も離れずに世話してやったりしている姿を、呆然をして見つめる夫。もう、夫が毎日来て、本を読んであげても、妻はうわの空。夫が たまりかねてある日 私が夫で44年間一度も君のそばを離れたことがなかったのに、どうしてどうして、他の男の心が移ったのか、、、と、問いただしたときの、妻の困惑。彼女は、「HE DOES NOT CONFUSE ME」私を困らせるのは あなたであって、彼は私を混乱させたり、困らせないでいてくれる、と言って泣く。
はたから見れば、認知障害は、脳が縮小して感覚も鈍くなっているように見えるが、患者本人は、記憶が失われ、自分を確認することができなくなってきて、本当は本人が一番つらいのだ。妻には自分の過去の記憶がない。昔のことを、持ち出して言われると 自分をますます確認することができなくなって 不安が増すばかりだ。夫も可哀想だが 妻のつらさも身にしみてせつなくて、この映画、すごく泣ける。
夫は妻のそばから絶対 離れずにいる、と約束したのに、妻をナーシングホームに入れて 傍にいてやることが出来ないことへの自責の念に苦しみ、妻の心変わりを これは自分の約束を守らなかったことへの復讐なのだと思い込む。 妻は記憶のない自分のよるべのない不安で不確かな自分自身から逃げるように そこにいる男の世話をしてやることで 何とか自分を保とうとする。
どんなに満ち足りた結婚生活にも 必ず終わりがくる。どんなに 喜びに満ちた生活でも、死を避けることは出来ない。
悲しい映画「NOTEBOOK」 邦題「君に読み聞かせるノートブック」も、心に残る映画だったが、この映画も、すごく泣かせる。ジュリー クリステイーの存在感だけで、すごく満足できる映画。それと、カナダの自然の美しさ。雪景色の素晴らしさも、特筆に値する。
2007年10月10日水曜日
映画 「キングダム 見えざる敵」
映画「THE KINGDOM 」を観た。邦題「キングダム見えざる敵」。各地ホイッツで今週から公開され上映中のハリウッド映画。ピーターバーグ(PETER BERG)監督。
この監督の出世作「FRIDAY NIGHT LIGHT」は、低予算の小さな映画だったが、私の好きな映画のひとつ。小さな町が 高校のフットボール決勝戦で町中が燃え上がり、高揚して死者がでるくらい熱狂の渦にとりこまれている。興奮の嵐が去り、次の朝、まだ町中が眠っている静けさのなかで、フットボールヒーローだった少年が 公園で遊んでいる小さな子供達に 自分のボールを蹴ってやり、背をむけるラストシーンがとても良かった。
「THE KINGDOM 」は同じアクションでもフットボールの肉弾戦に対して、こちらは機関銃、ロケット弾と爆弾の雨。 「ダイハード」、「BOURNE ULTIMATUM」、「ラッシュアワー」と、アクションはもう充分だったのだけど、サウジアラビアのオイルがからんだ政治映画というふれこみだったので、観にいってみごとに裏切られた。しょせんアメリカ人からみたアラブテロリズム。「世界の敵」イコール アラブテロリストという ジョージ ブッシュと同じ視点でみたサウジアラビアだ。真実の一片もない。何が正義かわかっていない。ジョージ ブッシュの「正義」をこんな映画で 押し付けてもらいたくない。だれも、好きこのんで自爆テロで死んでるわけじゃない。サウジアラビアの土地でアメリカ人に[正義]などという言葉を発する資格はない。
映画の筋をいうと、 最大産油国のサウジアラビアの石油会社の外国人居住区がテロのターゲットになりFBI職員を含む、100人余りが死亡、負傷者200人が出た。FBIはサウジ政府との密約で 4人のFBIスペシャリストを、リヤドに5日間だけ 派遣して捜査する許可を得る。しかし、テロリスト組織も、彼らの動向を把握していて、待ち構えている。リアドで爆破跡を捜査する4人のFBI専門家は、イスラム教徒の遺体を損傷してはならない、聞き込み捜査は、サウジ警察官立会いのもとでしか行えないなど、自由のきかないなかでも 爆弾犯のアジトをつきとめ、事前に攻撃を防ぐことができたが、4人のうちの一人が拉致され、その奪還のために、血を血で洗う戦いになる、というお話。
FBIチーフ捜査官に、ジェイミー フォックス(JAMIE FOXX)、化学調査官にジェニファー ガーナー(JENNIFER GARNER)、爆弾専門家に、クリス クーパー(CHRIS COOPER),情報分析官にジェイソン べートマン(JASON BATEMAN).
100人のアメリカ人がサウジで犠牲になったのでFBIがのり出して来たわけだが この4人のFBIが100人くらいのサウジの人を殺し返して 5日後に無事4人そろってアメリカに帰っていくお話。殺されたら殺して良いのか?アメリカならば、ほかの国に行ってその国の警察や軍を無視して、その国のテロリストを始末して洋々とアメリカの帰還して良いのか。
例えば アメリカ人が神戸でヤクザの抗争に巻き込まれて死んだとする。FBIがやってきて、次々とヤクザの事務所にロケット弾を撃ち込んで、ヤクザを並ばせて機関銃で皆殺しにして、で、本国に帰ってもらって良いのか? ビルマで1000人以上の敬虔な仏教徒が殺されているからといって、FBIが介入してアウンサンスーチーを救い出し、刑務所につながれている数万人の民主主義を求める政治犯を解放し、軍の銃を奪い取り市民の渡すことができるのか?ホントにそれ、やっちゃっていいのか?FBIに、それができるなら、今すぐに入りたい。
この映画、ジェイミー フォックスとジェニファー ガーナーが主役だが、二人とも影が薄く存在感がない。そこが、同じアクションでも「ダイハード」のスーパーヒーロー ブルース ウィルス、「BOURNE ULTIMATUM」のマットデモン、「ラッシュアワー」のジャッキー チェンなどと全然ちがう。やはり、アクションには、絶対スーパーヒーローがなければ、アクションはただの殴り合い、殺し合いで 汚いだけだ。
アメリカ人を多数含む市民100人死んだと聞いて泣き出して、ジェイミー フォックスに抱いてもらわなければならなかった ひ弱なジェニファー ガーナーが 現場に着くと20人も30人も平気でアラビア人を撃ち殺し、血だらけになっても飴をなめているのが笑える。この女に自分の父や兄弟を撃ち殺されて、怖がってふるえている小さな女の子に 飴をさしだして にっこり笑うシーンも笑える。この女一体なんだ?
この映画は 政治が絡んでいるわけでも アクション映画でもない。ただ、殺し合いゲームの好きな人向けの、B級の娯楽映画だ。アメリカのジョージ ブッシュのやっていることが 正義だと思っている人、そして娯楽映画で暇な時間をつぶしたい人にお勧めの映画だ。
この監督の出世作「FRIDAY NIGHT LIGHT」は、低予算の小さな映画だったが、私の好きな映画のひとつ。小さな町が 高校のフットボール決勝戦で町中が燃え上がり、高揚して死者がでるくらい熱狂の渦にとりこまれている。興奮の嵐が去り、次の朝、まだ町中が眠っている静けさのなかで、フットボールヒーローだった少年が 公園で遊んでいる小さな子供達に 自分のボールを蹴ってやり、背をむけるラストシーンがとても良かった。
「THE KINGDOM 」は同じアクションでもフットボールの肉弾戦に対して、こちらは機関銃、ロケット弾と爆弾の雨。 「ダイハード」、「BOURNE ULTIMATUM」、「ラッシュアワー」と、アクションはもう充分だったのだけど、サウジアラビアのオイルがからんだ政治映画というふれこみだったので、観にいってみごとに裏切られた。しょせんアメリカ人からみたアラブテロリズム。「世界の敵」イコール アラブテロリストという ジョージ ブッシュと同じ視点でみたサウジアラビアだ。真実の一片もない。何が正義かわかっていない。ジョージ ブッシュの「正義」をこんな映画で 押し付けてもらいたくない。だれも、好きこのんで自爆テロで死んでるわけじゃない。サウジアラビアの土地でアメリカ人に[正義]などという言葉を発する資格はない。
映画の筋をいうと、 最大産油国のサウジアラビアの石油会社の外国人居住区がテロのターゲットになりFBI職員を含む、100人余りが死亡、負傷者200人が出た。FBIはサウジ政府との密約で 4人のFBIスペシャリストを、リヤドに5日間だけ 派遣して捜査する許可を得る。しかし、テロリスト組織も、彼らの動向を把握していて、待ち構えている。リアドで爆破跡を捜査する4人のFBI専門家は、イスラム教徒の遺体を損傷してはならない、聞き込み捜査は、サウジ警察官立会いのもとでしか行えないなど、自由のきかないなかでも 爆弾犯のアジトをつきとめ、事前に攻撃を防ぐことができたが、4人のうちの一人が拉致され、その奪還のために、血を血で洗う戦いになる、というお話。
FBIチーフ捜査官に、ジェイミー フォックス(JAMIE FOXX)、化学調査官にジェニファー ガーナー(JENNIFER GARNER)、爆弾専門家に、クリス クーパー(CHRIS COOPER),情報分析官にジェイソン べートマン(JASON BATEMAN).
100人のアメリカ人がサウジで犠牲になったのでFBIがのり出して来たわけだが この4人のFBIが100人くらいのサウジの人を殺し返して 5日後に無事4人そろってアメリカに帰っていくお話。殺されたら殺して良いのか?アメリカならば、ほかの国に行ってその国の警察や軍を無視して、その国のテロリストを始末して洋々とアメリカの帰還して良いのか。
例えば アメリカ人が神戸でヤクザの抗争に巻き込まれて死んだとする。FBIがやってきて、次々とヤクザの事務所にロケット弾を撃ち込んで、ヤクザを並ばせて機関銃で皆殺しにして、で、本国に帰ってもらって良いのか? ビルマで1000人以上の敬虔な仏教徒が殺されているからといって、FBIが介入してアウンサンスーチーを救い出し、刑務所につながれている数万人の民主主義を求める政治犯を解放し、軍の銃を奪い取り市民の渡すことができるのか?ホントにそれ、やっちゃっていいのか?FBIに、それができるなら、今すぐに入りたい。
この映画、ジェイミー フォックスとジェニファー ガーナーが主役だが、二人とも影が薄く存在感がない。そこが、同じアクションでも「ダイハード」のスーパーヒーロー ブルース ウィルス、「BOURNE ULTIMATUM」のマットデモン、「ラッシュアワー」のジャッキー チェンなどと全然ちがう。やはり、アクションには、絶対スーパーヒーローがなければ、アクションはただの殴り合い、殺し合いで 汚いだけだ。
アメリカ人を多数含む市民100人死んだと聞いて泣き出して、ジェイミー フォックスに抱いてもらわなければならなかった ひ弱なジェニファー ガーナーが 現場に着くと20人も30人も平気でアラビア人を撃ち殺し、血だらけになっても飴をなめているのが笑える。この女に自分の父や兄弟を撃ち殺されて、怖がってふるえている小さな女の子に 飴をさしだして にっこり笑うシーンも笑える。この女一体なんだ?
この映画は 政治が絡んでいるわけでも アクション映画でもない。ただ、殺し合いゲームの好きな人向けの、B級の娯楽映画だ。アメリカのジョージ ブッシュのやっていることが 正義だと思っている人、そして娯楽映画で暇な時間をつぶしたい人にお勧めの映画だ。
2007年10月7日日曜日
電子音とACOコンサート
ヴァイオリンを弾く人ならば、一番やってみたいこと といったら、自分の気に入った先鋭の室内楽団と一緒に ソロイストとしてヴィヴァルデイの「四季」を演奏することではないだろうか。 先鋭というなら 例えば、オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)とか、ブランデンブルグ室内楽団や、オーストラリアン アンサンブルなどだ。
「四季」は4つの季節に分かれ それぞれがまた3つずつの楽章に分かれていて ソロのパートがきわだって美しい曲だ。クラシックの曲にしては珍しく 作曲家自身の曲の説明が 詩になってついているので解釈がわかりやすい。胎教に最も良いといわれており、CD屋さんのクラシック部門の売り上げは 変わることなくいつもトップの座を占めている。
映画「4」は、今年のシドニー映画祭で好評だったが、ヴィヴァルデイの「四季」をテーマにした映画。ドキュメンタリー部門で 優秀賞にノミネイトされた。サンドラ ホール監督。現在も、クレモンオピアンで上映中。好評で上映8週間目に入った。 「春」の部分を 何とか言う日本女性ヴァイオリニスト、「夏」を、アデレートをベースにするオーストラリア人ヴァイオリニスト、NIKI VASLAKISが、「秋」を、ニューヨークの若いヴァイオリニスト、「冬」をフィンランドの奏者が演奏していた。それぞれ、これから世界的に活躍が期待されている若い奏者が どう ヴィヴァルデイをこなすか、各国の季節にからめて丹念に取材したフィルムだった。中で、世界で一番寒い国、ラップランドに住むフィンランドのヴァイオリニスト ペッカ クーシスト(PEKKA KUUSISTO)が、素晴らしかった。クラシックのワクにとらわれないラップランドの民謡や、ソウル、ジャズのリズムを取り入れた独特の音の世界を持っている。
この人の演奏をシドニーで二回、聴いた事がある。オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)のリチャード トンゲッティが 彼を見出してフィンランドから引っ張ってきて、ACOをバックに、彼にソロを弾かせた。このとき、彼は、チャイコフスキーと、バルトークを弾いていた。こんな、稀有な才能を 地の果てから連れてきて、紹介するトンゲテイもすごい人だが、期待にこたえる力をもつペッカも偉い。その、まだ子供のような姿のペッカの演奏を 世界がまだ注目する前に聴くチャンスに恵まれた私も幸運だった。今後も才能をどう開花させてくれるのか、しっかり、見届けたいと思う。
そんな、リチャードトンゲッティの ACO、11月の定期演奏会を聴いてきた。テーマは「ソニック」。作家、マイケル レニグ(MICHAEL LEUNIG)が読む詩に、俳優ドリュー フォーサイス(DREW FORSYTHE)が パントマイムをつけ、それに作曲家のアンソニーパテラ(ANTHONY PATERA)が 曲をつけて、ACOと一緒に演奏する というパフォーマンスだった。ベースは、サンサーンスの「動物の謝肉祭」をもじって「人間のカーニバル」。 合衆国の国歌とラリアの国歌を同時に演奏して その不協和音を聴かせるというような、悪趣味もあって、みな げらげら笑いながら聴いていた。国連の同意なくイラクに軍を送り戦闘を続けている合衆国に 盲目的に追従し 戦力を送っているラリアのハワード内閣への批判でもあろう。
ACOはサンサーンスを沢山演奏したが、なかでも、チェロのソロ「白鳥の踊り」は、だんとつに良かった。チェリストは、ACOのメンバーテイモ ビヨッコ バルブ(TIMO-VEIKKO VALVE)。リチャードトンゲッティは、国宝級のヴァイオリン、ジュゼッペーグルネリが作った、10億円の価値のヴァイオリンを貸与されているが、このチェロも、同じグルネリで、アメリカの億万長者がACOに貸与を申し出た名器だ。大学をでたばかりのスエーデン出身のチェリストには 荷が重いだろうが、良く弾きこなしていた。
作曲家、アンソニーパテラは コンピューターの電子音も使いながら、ACOの音と、作家による朗読と、俳優によるパントマイムを よく監督し統合していた。音を立体的に捉えて見せる。クラシック音楽を 電子音に合わせて総合的なパフォーマンスに仕上げる といった試みに挑戦している。今後の コンサートのありようを、垣間見せるような、コンサートだった。
「四季」は4つの季節に分かれ それぞれがまた3つずつの楽章に分かれていて ソロのパートがきわだって美しい曲だ。クラシックの曲にしては珍しく 作曲家自身の曲の説明が 詩になってついているので解釈がわかりやすい。胎教に最も良いといわれており、CD屋さんのクラシック部門の売り上げは 変わることなくいつもトップの座を占めている。
映画「4」は、今年のシドニー映画祭で好評だったが、ヴィヴァルデイの「四季」をテーマにした映画。ドキュメンタリー部門で 優秀賞にノミネイトされた。サンドラ ホール監督。現在も、クレモンオピアンで上映中。好評で上映8週間目に入った。 「春」の部分を 何とか言う日本女性ヴァイオリニスト、「夏」を、アデレートをベースにするオーストラリア人ヴァイオリニスト、NIKI VASLAKISが、「秋」を、ニューヨークの若いヴァイオリニスト、「冬」をフィンランドの奏者が演奏していた。それぞれ、これから世界的に活躍が期待されている若い奏者が どう ヴィヴァルデイをこなすか、各国の季節にからめて丹念に取材したフィルムだった。中で、世界で一番寒い国、ラップランドに住むフィンランドのヴァイオリニスト ペッカ クーシスト(PEKKA KUUSISTO)が、素晴らしかった。クラシックのワクにとらわれないラップランドの民謡や、ソウル、ジャズのリズムを取り入れた独特の音の世界を持っている。
この人の演奏をシドニーで二回、聴いた事がある。オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)のリチャード トンゲッティが 彼を見出してフィンランドから引っ張ってきて、ACOをバックに、彼にソロを弾かせた。このとき、彼は、チャイコフスキーと、バルトークを弾いていた。こんな、稀有な才能を 地の果てから連れてきて、紹介するトンゲテイもすごい人だが、期待にこたえる力をもつペッカも偉い。その、まだ子供のような姿のペッカの演奏を 世界がまだ注目する前に聴くチャンスに恵まれた私も幸運だった。今後も才能をどう開花させてくれるのか、しっかり、見届けたいと思う。
そんな、リチャードトンゲッティの ACO、11月の定期演奏会を聴いてきた。テーマは「ソニック」。作家、マイケル レニグ(MICHAEL LEUNIG)が読む詩に、俳優ドリュー フォーサイス(DREW FORSYTHE)が パントマイムをつけ、それに作曲家のアンソニーパテラ(ANTHONY PATERA)が 曲をつけて、ACOと一緒に演奏する というパフォーマンスだった。ベースは、サンサーンスの「動物の謝肉祭」をもじって「人間のカーニバル」。 合衆国の国歌とラリアの国歌を同時に演奏して その不協和音を聴かせるというような、悪趣味もあって、みな げらげら笑いながら聴いていた。国連の同意なくイラクに軍を送り戦闘を続けている合衆国に 盲目的に追従し 戦力を送っているラリアのハワード内閣への批判でもあろう。
ACOはサンサーンスを沢山演奏したが、なかでも、チェロのソロ「白鳥の踊り」は、だんとつに良かった。チェリストは、ACOのメンバーテイモ ビヨッコ バルブ(TIMO-VEIKKO VALVE)。リチャードトンゲッティは、国宝級のヴァイオリン、ジュゼッペーグルネリが作った、10億円の価値のヴァイオリンを貸与されているが、このチェロも、同じグルネリで、アメリカの億万長者がACOに貸与を申し出た名器だ。大学をでたばかりのスエーデン出身のチェリストには 荷が重いだろうが、良く弾きこなしていた。
作曲家、アンソニーパテラは コンピューターの電子音も使いながら、ACOの音と、作家による朗読と、俳優によるパントマイムを よく監督し統合していた。音を立体的に捉えて見せる。クラシック音楽を 電子音に合わせて総合的なパフォーマンスに仕上げる といった試みに挑戦している。今後の コンサートのありようを、垣間見せるような、コンサートだった。
2007年10月2日火曜日
映画 「ラッシュアワー」
終末医療に従事している私の仕事に希望はない。1日をベッドで過ごす患者達に笑いはない。今日、一日、なにか生きていることが嬉しくなるような喜びが見出せるように、、、きょうは特別 風が生暖かいとか、空が一段と高くなったようだとか、出回り始めたぶどうがおいしいとか、赤ちゃんの声でさえずっていたヒナの声が大人になってきたとか、窓から蝶がとびこんできたとか、そんなつまらないことでも患者と一緒に笑えるように接している。笑いは 人になくてはならないものだ。
人を笑わせるために作られた映画「ラッシュアワー3」を観た。各ホイッツ映画館で上映中。ブルースウィルスの「ダイハード4」でも54歳の活躍ぶりに感心したが ジャッキーチェンの若さにも吃驚。ジャッキーチェンと、クリスタッカーのコンビ 3作目。
彼の映画に筋立てと言った筋もないのだけれど。 中国大使のボデイーガードとしてジャッキーチェンはロスにやってきた。弟分のクリス タッカーとは4年ぶりの再会。中国を根城にした国際犯罪組織について、大使が国際会議で重大発表をしようとした矢先 大使は狙撃され銃弾に倒れる。美しい大使の娘に頼まれてジャッキーとクリスは、この犯罪組織を解明し、事件を解決することになる。追うジャッキーとクリスのアクション。ここまでやるか?と思う派手な追いつ追われつが、本当はものすごく危険なアクションとわかっていて、笑わずにはいられない。
逃げ遅れたギャングの一人を捕まえて 組織のボスの名前を白状させるんだけど、相手はフランス語しか話さない。急遽 来てもらった通訳はフランス人修道女。ジャッキーの方もギャングのほうも 汚い言葉の応酬と罵りあいばかりで、通訳に四苦八苦する。ここがすごく笑える。笑いすぎておなかの皮が痛くなること請け合い。
悪の本拠がパリとわかり、二人してパリに向かうが、着いたとたん出迎えるパリ警察庁署長が、あの、映画監督のロマン ポランスキー(ROMAN POLANSKI)。ここで、また、知ってる人は 大笑い。本当の彼は、未成年の子と関係を持った疑いで告訴されており、華々しい監督としてのキャリアを捨ててアメリカから逃亡中。 組織のボスが パリのキャバレーの踊り子とわかり、舞台で歌い踊りながらギャングとの たちまわり、狙撃を回避するためのカムフラージュなのに、キャバレのお客たちは大はしゃぎで、笑いっぱなし。
日本人俳優のサナダヒロユキ(どういう漢字かわからない)と、工藤という(下の名が思い出せない)女優の立ち回りもすごい。刀や短刀を持っての早い立ち回りは ゆっくりやってフイルムを早く回しているのだろうか、それにしても、すごい迫力。家具が50個くらい壊れて、ガラス窓が100枚くらい割れる。何人ものギャングをぶちのめして 戦う相手がみな延びているのを見て 人質の大使の娘がエッフェル塔からつるされているのも忘れて、思わず踊りだしてしまうクリスにも、笑い。アメリカ人嫌いのパリタクシーの運転手も、いかにも こんな人いそうですごくおかしい。
もっと、すごいのは、エッフェル塔でのたちまわり。夜空にそびえるエッフェル塔で、刀をもっての決闘シーンは すごく怖くて すごく笑える。よくフランス政府がこんな危険なシーンの撮影を許可したと、感心。見下ろせば人が豆粒ほどの大きさにしか見えない高さで 幅50センチほどの鉄筋を滑り降りたり、バランスをとりながら日本刀で切りあうシーンなど、カメラの特殊効果もあるだろうが、全部、ジャッキーはスタントマンなしで演じたそうだ。こんなこと、他の俳優がやったら、何人死人がでるかわからない。それでいて、笑わせるサービス精神を忘れない。2時間弱のこの映画で、5分おきには笑っていた。ときとして怖くておかしくて、悲鳴をあげながら笑ってたと思う。
ジャッキーチェン、本当にすごい人だ。徹底した役者。いくつ命があっても足りない。映画を、単なるエンタテイメントとして捉ええるならば、ここまでお金をかけて人を本当に笑わせ楽しませて本望だろう。
人を笑わせるために作られた映画「ラッシュアワー3」を観た。各ホイッツ映画館で上映中。ブルースウィルスの「ダイハード4」でも54歳の活躍ぶりに感心したが ジャッキーチェンの若さにも吃驚。ジャッキーチェンと、クリスタッカーのコンビ 3作目。
彼の映画に筋立てと言った筋もないのだけれど。 中国大使のボデイーガードとしてジャッキーチェンはロスにやってきた。弟分のクリス タッカーとは4年ぶりの再会。中国を根城にした国際犯罪組織について、大使が国際会議で重大発表をしようとした矢先 大使は狙撃され銃弾に倒れる。美しい大使の娘に頼まれてジャッキーとクリスは、この犯罪組織を解明し、事件を解決することになる。追うジャッキーとクリスのアクション。ここまでやるか?と思う派手な追いつ追われつが、本当はものすごく危険なアクションとわかっていて、笑わずにはいられない。
逃げ遅れたギャングの一人を捕まえて 組織のボスの名前を白状させるんだけど、相手はフランス語しか話さない。急遽 来てもらった通訳はフランス人修道女。ジャッキーの方もギャングのほうも 汚い言葉の応酬と罵りあいばかりで、通訳に四苦八苦する。ここがすごく笑える。笑いすぎておなかの皮が痛くなること請け合い。
悪の本拠がパリとわかり、二人してパリに向かうが、着いたとたん出迎えるパリ警察庁署長が、あの、映画監督のロマン ポランスキー(ROMAN POLANSKI)。ここで、また、知ってる人は 大笑い。本当の彼は、未成年の子と関係を持った疑いで告訴されており、華々しい監督としてのキャリアを捨ててアメリカから逃亡中。 組織のボスが パリのキャバレーの踊り子とわかり、舞台で歌い踊りながらギャングとの たちまわり、狙撃を回避するためのカムフラージュなのに、キャバレのお客たちは大はしゃぎで、笑いっぱなし。
日本人俳優のサナダヒロユキ(どういう漢字かわからない)と、工藤という(下の名が思い出せない)女優の立ち回りもすごい。刀や短刀を持っての早い立ち回りは ゆっくりやってフイルムを早く回しているのだろうか、それにしても、すごい迫力。家具が50個くらい壊れて、ガラス窓が100枚くらい割れる。何人ものギャングをぶちのめして 戦う相手がみな延びているのを見て 人質の大使の娘がエッフェル塔からつるされているのも忘れて、思わず踊りだしてしまうクリスにも、笑い。アメリカ人嫌いのパリタクシーの運転手も、いかにも こんな人いそうですごくおかしい。
もっと、すごいのは、エッフェル塔でのたちまわり。夜空にそびえるエッフェル塔で、刀をもっての決闘シーンは すごく怖くて すごく笑える。よくフランス政府がこんな危険なシーンの撮影を許可したと、感心。見下ろせば人が豆粒ほどの大きさにしか見えない高さで 幅50センチほどの鉄筋を滑り降りたり、バランスをとりながら日本刀で切りあうシーンなど、カメラの特殊効果もあるだろうが、全部、ジャッキーはスタントマンなしで演じたそうだ。こんなこと、他の俳優がやったら、何人死人がでるかわからない。それでいて、笑わせるサービス精神を忘れない。2時間弱のこの映画で、5分おきには笑っていた。ときとして怖くておかしくて、悲鳴をあげながら笑ってたと思う。
ジャッキーチェン、本当にすごい人だ。徹底した役者。いくつ命があっても足りない。映画を、単なるエンタテイメントとして捉ええるならば、ここまでお金をかけて人を本当に笑わせ楽しませて本望だろう。
2007年10月1日月曜日
映画 「ワンス ダブリンの街角で」
10代のはじめの頃 ギターをナイロン弦に張り替えて 自分で作った曲を 自分で歌っていた時期があった。でも知っているコードが 5つしかないので、その和音の中でしかメロデイーが作れない。声も1オクターブしか出ない 限られた範囲の中でも やっていたときはとっても楽しかった。
映画「ワンス ダブリンの街角で」原題「ONCE」を観た。クレモンオピアム デンデイーなどで上映中。アイルランド映画。監督ジョン カー二ー(JOHN CARNEY)。 主演 グレン ハンザード(GLEN HARSARD) と、マルケタ イルグローバ(MARKETA IRGLOVA)。この映画、2007年サンダース映画祭で特別鑑賞賞を獲った。
本当の、グレンハンザードは アイルランドではバンド「FRAMES」のボーカリストで、地元では人気のシンガーソングライターだそうだ。 相手役の女性、マルケタ イルグローブもチェコの 歌手。二人のプロのミュージシャンが この映画のために、沢山曲を作って歌っている。
ダブリンの街角で、男が毎晩 ギターを弾きながら自作の歌を歌っている。 昼間は掃除機修理の仕事をしながら,別れた恋人のことを思い、夜になると、心のたけを叫ぶように歌わずにいられない。
通りかかる女がいる。去っていった夫を 思う切ない思いが、男の歌に重なる。孤独どうしの二人が出会い、歌って時を過ごす。女の励ましをうけて、男は自分のCD を作り、ロンドンに旅立っていく。見送った女のもとに、ずっと欲しくて買えなかったピアノが届けられる。恋にいたらなかった、しかし強い友情で結ばれた男からの、贈り物だった。
心をこめて自分で作った曲を本当に心をこめて歌うシーンが続くだけの シンプルな映画だが それがとても良い。男は男の恋をどれだけ大切にしてきたかがわかる。この映画、ちょっとMTV ミュージックビデオみたい、歌ってばかりいるんだけど どの曲も良い。なかでも「FALLING SLOWLY」が 心に残っていたみたい。映画を観た後、1週間はたっているのに 自分が気が付くとこの曲を鼻でフンフン歌っていて、自分でもびっくりした。映画を観ていたときは それほどすごく惹かれていると思っていなかったのに、なぜかずっと後まで いい感じが残っている、、、良い曲ってそんなものかもしれない。
主演して、曲もこの映画のために作ったという2人は映画が予想外にヒットしたので、当初の予定になかったことだが、「SWELL SEASON」というバンドを作って 海外に遠征して公演もすることになったそうだ。日本にも、来るそうだ。「FALLING SLOWLY」という曲、I DON’T KNOW YOU BUT I WANT YOU ,,」という奴、聞いてみて欲しい。
映画「ワンス ダブリンの街角で」原題「ONCE」を観た。クレモンオピアム デンデイーなどで上映中。アイルランド映画。監督ジョン カー二ー(JOHN CARNEY)。 主演 グレン ハンザード(GLEN HARSARD) と、マルケタ イルグローバ(MARKETA IRGLOVA)。この映画、2007年サンダース映画祭で特別鑑賞賞を獲った。
本当の、グレンハンザードは アイルランドではバンド「FRAMES」のボーカリストで、地元では人気のシンガーソングライターだそうだ。 相手役の女性、マルケタ イルグローブもチェコの 歌手。二人のプロのミュージシャンが この映画のために、沢山曲を作って歌っている。
ダブリンの街角で、男が毎晩 ギターを弾きながら自作の歌を歌っている。 昼間は掃除機修理の仕事をしながら,別れた恋人のことを思い、夜になると、心のたけを叫ぶように歌わずにいられない。
通りかかる女がいる。去っていった夫を 思う切ない思いが、男の歌に重なる。孤独どうしの二人が出会い、歌って時を過ごす。女の励ましをうけて、男は自分のCD を作り、ロンドンに旅立っていく。見送った女のもとに、ずっと欲しくて買えなかったピアノが届けられる。恋にいたらなかった、しかし強い友情で結ばれた男からの、贈り物だった。
心をこめて自分で作った曲を本当に心をこめて歌うシーンが続くだけの シンプルな映画だが それがとても良い。男は男の恋をどれだけ大切にしてきたかがわかる。この映画、ちょっとMTV ミュージックビデオみたい、歌ってばかりいるんだけど どの曲も良い。なかでも「FALLING SLOWLY」が 心に残っていたみたい。映画を観た後、1週間はたっているのに 自分が気が付くとこの曲を鼻でフンフン歌っていて、自分でもびっくりした。映画を観ていたときは それほどすごく惹かれていると思っていなかったのに、なぜかずっと後まで いい感じが残っている、、、良い曲ってそんなものかもしれない。
主演して、曲もこの映画のために作ったという2人は映画が予想外にヒットしたので、当初の予定になかったことだが、「SWELL SEASON」というバンドを作って 海外に遠征して公演もすることになったそうだ。日本にも、来るそうだ。「FALLING SLOWLY」という曲、I DON’T KNOW YOU BUT I WANT YOU ,,」という奴、聞いてみて欲しい。
登録:
投稿 (Atom)