2025年3月12日水曜日

アンチセミチズム法

豪州のNSW州では、この2月に、アンチセミチズム法という新法が施行された。
アンチセミチズム:反ユダヤ主義という民族差別行為を取り締まり、ユダヤ教信者が安心してシナゴクで宗教行事ができることを目的とする。
ガザでイスラエル政府によるパレスチナ人へのジェノサイトが止めようもなく、5万人の犠牲者が出ている状況で、パレスチナ支援の声が広がっているが、ユダヤ人団体の圧力に負ける形でこのような規制が法制化された。これで豪州のユダヤ人は特別に保護される対象になった。

パレスチナを支援することは決してアンチセミチズム(反ユダヤ思想)ではない。現在の狂信的イスラエル政府によるシオニズムを批判しているのだ。にも関わらずパレスチナへの人道的支援を呼びかけ、イスラエル政府を糾弾する動きに、アンチセミチズムのレッテルを張って規制しようとする動きが急速に進んでいる。
豪州では先住民族アボリジニが、総人口の2%を占めるが、それ以外の、98%は主に欧州からきた移民で形作られた国だ。その中には長い歴史の中で欧州で差別されてきたユダヤ人もたくさん新天地を求めて豪州にやってきた。総人口のうちユダヤ人がどれくらいの比率を占めるかの統計はないが、ユダヤ教を信ずる人口は、豪州の総人口の、0.4%とされる。わずかなそれらの人々を保護するためにアンチセミチズム法が新設された背後には、右傾化する世界情勢と、増えつつあるイスラム教徒の勢力を制したい政府の意思がある。ユダヤ教信者に比べれば、豪州ではムスリム人口は、少なくとも10倍いる。クリスチャンの国だから、ムスリムへの嫌悪感もあるだろう。

法規制ができた切っ掛けは、1月にシドニー東部ドーバーハイツのシナゴクが放火され、ユダヤ人宅の塀に落書きがされ、家の前に駐車した車2台に火がつけられた事件だ。これは3月10日になって犯人が14人逮捕され、アンチセミチズム法とテロリスト法で起訴されるようだ。報道ではムスリムのテロリストによるものとされている。

また2月13日にシドニーの公立病院で、男女2人のナースがソーシャルメデイアでユダヤ人インフルエンサーと会話をしていて、「私たちはユダヤ人はケアしない。そうよ殺すわ。」と軽口をたたいたビデオが大々的に公表され、ナースたちは逮捕起訴された。若者同士の軽口とソーシャルメデイアの影響の大きさを示すものだが、これ以来ナースへのアタック、公立病院への人々の不信と不満で私の職場も影響を受けた。

また政府はこういった事件を機にムスリムへの規制を明らかに強化している。昨年イスラエル政府は、パレスチナガザのハマスをサポートしていたレバノンヒズボラの宗教指導者、ナスララ師を暗殺した。イスラエル軍は、1トン爆弾を、80発投下して彼のいたヒズボラ本部を破壊し彼を殺した。ナスララ師はレバノンの政治リーダーというよりも宗教指導者として人々の信心の支えだったから、彼を暗殺した罪は大きい。2月24日彼の葬儀がレバノンのベイルートで国家行事として行われたが、豪州政府はこの葬儀に参加するために国外に出た人は、二度と豪州に戻ってこられないように、ビザも永住権もはく奪する、と発表した。ムスリムは心の支えだった宗教指導者を悼むこともできなかったのだ。

アンチセミチズム法が出来て、テロリスト法もできて、うっかりユダヤ人をサカナに軽口をたたくこともできなくなった。
こうして社会の監視が強化され、報道管制と言論弾圧が進行していく。
ユダヤ人で冷酷無比の守銭奴、スクルージを皮肉ったデイッケンズのクリスマスキャロルは、アンチセミチズムか?
あくどい金貸し老婆は生きてる価値がないと、ラスコリー二コフに思わせて殺させた、ドストエフスキーはもう読まれないのか????

2025年3月11日火曜日

腐敗するウクライナ政府とNATO

ウクライナ、ロシア間の戦争が始まり、3年目に入った。
開戦前、もともとウクライナのルハンスク州の3分の1、ドネツク州の半分の市民は、親ロシアでロシア国内のパスポートを持ち、ロシアの国政選挙には、国境を越えて投票しに行っていた。かねてからプーチン大統領は、ルハンスク、ドネツク人民共和国の独立を承認するように、ウクライナに呼び掛けていた。

しかしゼレンスキー大統領は、2021年10月ロシア、ウクライナ間のミンスク合意を破り、親ロシア地域をドローン攻撃し2600人の市民を殺害した。
火種を持ち込んだのは、ブッシュジュニア大統領で、ウクライナを、NATO軍に加盟させようとして内戦を拡大させた。1990年ドイツ統一の際には、米国がロシアに「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない。」と確約した約束を簡単に裏切ったのは、ブッシュからオバマまでの米国大統領だった。
ルハンスク、ドネツク人民共和国のことは、国民投票で独立するのか、ウクライナに帰属するのか、住民の彼らが決めることだ。ウクライナが介入すべきではなかった。

2022年2月にゼレンスキーが国家動員令を発令してから、16歳から60歳までの徴兵が行われウクライナの人口2000万人のうち200万人の国民が参戦している。
EU,米国、豪州からもウクライナには義勇兵が参戦し、純粋にウクライナの領土を守りたいと言う動機の若者もいる。一方雇われてお金のために入隊する兵も多い。コロンビアが最大で、中南米から来た傭兵が最前線に立っている。彼らに払われる給料は、米国とEUの援助金だ。

ゼレンスキーは、国際調査報道ジャーナリスト連合によると、イギリス領バージン諸島にペーパーカンパニーを作り、戦争が始まったばかりの2年間足らずの間に8億5千万ドル蓄財した。現在の資産は18憶ドルだと発表されているが、エジプトの高級避暑地にも、イタリアのトスカーナにも、ヤルタと英国にも豪邸を持ち、キーウには4つのアパートを所有していることを、2017年ウクライナ政府に資産申告している。ほかにもコートダジュールとフロリダに別荘を持っていると言われているが申告されていない。

欧米がお金を出し、ウクライナに戦争を継続させるように充分な兵器を送り込み、ウクライナ人だけでなく最貧国から傭兵を雇って使い捨て、ウクライナのトップは欧米の市民の税金からなる支援金で私財をため込んでいる。 
また新たに英国が米国の代わりにゼレンスキーに送ることを約束した450憶ユーロは、英国が自由にできる資金ではなく、ロシアの凍結されている資産なのだ。これは窃盗罪という立派な犯罪だ。
こういった構造を、腐敗と呼ばずに、何というのだろうか。

ノームチョムスキーは、「人々を受動的にかつ従順に保つ賢明な方法は受け入れられる意見の範囲を厳しく制限しながら、その範囲内では非常に活発な議論を許すことだ。」と言った。トランプに侮辱されたゼレンスキーが可哀そう。味方になってあげて、どんどん武器を送ってあげようーもっともっと殺さなくちゃ、、と言い続ける軽薄な論争を、もういい加減止めよう。
武器を送るな。殺すな。

2025年2月26日水曜日

映画「教皇選挙」

映画「教皇選挙」
監督:エドワード エルガー
2025英国アカデミー賞作品賞受賞作
ロレンス枢機卿:ラルフ フィネス
ベリーニ枢機卿:スタンレィ ツッチ

バチカン教皇の死に伴い、教皇の信認を得ていたロレンス枢機卿が、教皇選挙の指揮を執ることになった。
教皇の死後15-20日のうちに世界から集まってきた120人の枢機卿の中から、選挙で3分の2の得票を得た新しい教皇を選び取らなければならない。世界で14億人の信徒を持つバチカンの元首、ローマ教皇の選出だ。
システイン教会は、選挙のために外部からは閉ざされ、密室で枢機卿だけで協議がなされる。4人の候補者がいる。米国人のベリーニ、カナダのトンブライ、イタリア人のテデスコ、とナイジェリアのナデイミだ。3分の2の得票数が得られないたびに、票は燃やされて黒い煙となって、システイン教会の煙突を見上げている信者たちを落胆させる。候補者同士の陰での争いが始まっている。互いの過去や落ち度が醜いスキャンダルとなって流布される。

まず女性問題でナイジェリアの枢機卿が候補を落とされ、次に金銭の横領でカナダの枢機卿が落とされる。おりしも,教会付近でイスラム教徒による爆破事件が起こり,怒ったイタリアの枢機卿が取り乱し、これは宗教戦争だとイスラム教信徒を侮蔑する差別発言をして人格を疑われる。
そこで立ち上がった、アフガニスタンのカブール出身の枢機卿がクリスチャンの原点に立つ感動的な発言をして、彼が新教皇に選ばれる。人格的にも彼は申し分ない。
しかし降ってわいたように、彼の秘密が暴かれる。秘密を追及するロレンスに向かって、彼は自分が神によって生まれ、神によって作られた人であると言いロレンスを説得する。
というストーリー。

一貫して選挙を取り仕切るロレンスの苦悩が描かれる。新事実が現れるたびに事実を追求し候補者を一人ひとり落としていく。そのたびに苦悩する。正しい判断をきちんと出していくロレンスは、まるで映画の中でキリストのようだ。ラルフ フィネスは苦悩する男を演じる適役と言える。
俗に、人は「セックス」と「金」で堕落するものだが、映画でもそれだけでなくむき出しの人種差別意識まで、崇高であるはずのバチカンの枢機卿の世界でも存在する俗っぽい姿が描き出されていて、残念極まりない。現実では、こんなであって欲しくない。

しかし現実に、ドイツ出身の前教皇も、小児性虐待に関与していた過去がずっと囁かれていた。また、
オーストラリア人で現教皇から全信頼を得て、バチカンの財務長官まで勤めていた、ジョージ ペル枢機卿も、2019年小児性的虐待で逮捕され、6年の禁固刑を言い渡され、実刑に服していたが2020年最高裁で逆転無罪となり釈放された。彼がレイプした少年の1人は自殺し、生存者が訴訟を起こした。
バチカンは公式に、被害者に謝罪すべきだった。
また、世界でも最も豊かな財政を持つバチカンの財務に常に不正が囁かれている。それを止めたいなら財政を公表すべきだ。

ここで、カトリック聖職者が男性ばかりで、結婚は許されないという何百年の歴史に終止符を打つべきではないのか。このまま男だけをトップに立たせるのか。
このまま聖職者による少年少女へのレイプを許すのか。
子供の従順さを利用して個人の欲望を果たすことで、子供を裏切ることは何よりも重大な犯罪だ。
また、このまま教会は、トランプ大統領と同じに「世界は男と女しかいない。」と断言するつもりか。間違っている。この世には男でも女でもない人が沢山居る。数万人に一人の割に、子宮も精巣も持って生まれる人がいる。多くは普通に生活し問題なく結婚する。あなたのとなりにも、そのような人が居て、知らないだけであなた自身がそうした人であるかもしれない。だから差別をしてはいけない。世の中は男と女しかいなくはないのだ。神はそのような人を、人として造られた。

カトリック教会は、変わらなければいけない。それを映画の最後でラルフ フィネスが、穏やかな笑顔で空を見上げ、やっと煙が上がって人々が喜び歓声を上げるシーンで語り掛けている、と私は解釈した。



2025年2月23日日曜日

映画「ブルータリスト」

映画「ブルータリスト」
上映時間200分、途中で15分の休憩が入る長編映画。
監督:ブラデイ コーベット。2024年ベネチア国際映画祭、銀獅子賞受賞、主演のエドリアン ブロディは、今年の英国アカデミー主演男優賞を受賞し、アカデミーでも候補作になっている。
美男とは程遠いワシ鼻、「八」の字の眉毛、これほどユダヤ人の典型的な顔の男優はほかになく、「戦場のピアニスト」では忘れ難い優れた作品を主演した。今回もピアニストに続いて、ホロコーストから生還した男の役を演じている。

映画はナチの嵐を生き延びて、難民としてアメリカに渡ってきた人々が、運ばれた船から自由の女神に迎えられ、喜び涙して激しく抱き合うシーンから始まる。しかし、彼らが船底からみたのは、逆さの自由の女神だ。行く先の困難を暗示しているかのようだ。

ポーランドのワルシャワで図書館や市庁舎などを設計、建設したキャリアを持つ建築家ラズローは、戦直後の混乱の中で妻と離れ離れになってしまった。到着したアメリカで富豪の実業家ハリソンに出会い、彼の妻を探し出しアメリカに呼び寄せる事を引き換えに、ハリソンの望む母親の名を冠した礼拝堂を建設することを約束する。

ラスローは依頼に合わせて巨大な街のコミュニテイ全体に貢献できるような、図書館やジムやプールを備えた教会の図を描く。建物の上の窓からは、正午と夜明けの光が差し込むと、教会の教壇に十字架の光が現れるような工夫を凝らしてある。
ラズローはナチから生還してきたが、深い傷をもっていて、生きることを渇望している。彼の激しい性愛も、絶望と苦渋の性愛も、アルコールやドラッグで踏み外さないと正気を保っていられなくなる精神の弱さも、ただただ痛々しい。

題名のブルータリストは、残酷な人の意味だが、この映画では建築様式を言う。フランス語で生のコンクリートを(BETON BRUT )というが、ロココ調などの装飾を凝らした様式ではなく、コンクリートを打ちっぱなしにして壁にペンキを塗らない、モダンで無駄のない建物のことを言う。このようなヨーロッパから来たスタイルや知的なラスローに、アメリカ人の依頼者は、優位性と同時にコンプレックスを持っている。

監督は若干36歳、今後が楽しみだ。映画の初めから終わりまで音楽の使い方が秀逸。不協和音の連発と、同時に流れる音楽に工事現場のくい打ちの音か製鉄所の雑音のような音が、低音に流れていて不安感を呼び起こす。楽しい映画じゃない、と主張しているようだ。

ナチズムによるユダヤ人迫害の歴史は、これまでも数々の優れた映画を生み出して生きた。
エドリアン ブロディの「戦場のピアニスト」、メリル ストリープ主演の「ソフィーの選択」、ケイト ウィンスレット主演の「愛を読む人」、ロベルト ベニーニ監督主演の「ライフ イズ ビューテイフル」、どれも忘れ難い名作だ。
600万人の殺された人々にはそれぞれ600万の「語り」があっただろう。600万人のユダヤ人の悲劇を言うなら、いま、このときに5万人のパレスチナ人はどうか。5万人の語るべきストーリーがある。自分たちの祖父や祖母が過去に痛みを受けた人々が、なぜパレスチナ人の痛みを自分の痛みとして感じられないのだろうか。



2025年2月17日月曜日

USAIDシャットダウン

米国大統領就任式で、新設された政府効率化庁のイーロンマスクが、スピーチのあと人々に向かって異様な敬礼をした。この日、トランプ大統領が矢継ぎ早にサインした沢山の大統領令の内容に、度肝を突かれた世の人々は、マスクの行状などに大して驚かず、話題にならなかったが、そのまま気にせずに通り過ぎてしまいたくない。
豪州では公共の場でナチのシンボルの鍵十字や、ナチ式敬礼をすることは刑法で禁じられている。違反者は1年の実刑と罰金230万円ほどが科される。

右手を胸に当て、腕を伸ばし手のひらを下に向けてから右上に掲げるナチス式敬礼の起源は、ローマー帝国のカイサルにある。 
カイサルは、ルビコンを超えアジア、北アフリカにヨーロッパのほとんどの国々を支配下に置いて、ローマに凱旋した時に、熱狂するローマの人々にこの敬礼で応えた。凱旋パレードは、背中に高く松明の火が燃える象の行列に導かれ元老院議員、楽隊、戦利品を陳列した馬車、捕虜になった敗者を載せた馬車があとに続き、兵士や市民にはボーナスが与えられ、祝宴は4回続いたという。コロシアムではテビレ河の水が引かれて海戦ショーや、剣闘士の剣技、400頭のライオン狩りを人々は楽しんだと伝えられている。

で、、、カイサルの真似をしたマスクだ。就任後、彼の最先鋭の
部下を連れてUSAIDに乗り込み、そのメインコンピューターの情報にアクセスして内容を検討ののち、大統領にシャットダウンするようにアドバイスしたという。
USAIDは1961年、ケネデイ大統領が393憶ドルを計上して創出された組織だ。1961年11月に人類学者を装った(確認できるだけで)12人の米国人スパイが南ベトナム中部山岳地帯に入った。彼らは200万人の文字を持たない山岳民族でベトナム政府に不満を持っていた。それを組織化して低地に住むべトコンと戦わせてベトコンを全滅させてべトナム政権を乗っ取る、というケネデイ大統領による分裂支配の実験だった。1962米国は南ベトナムに宣戦なしの戦争に入った。米国はこんな汚い手で、傀儡の反共サイゴン政府を作ったが、結果は散々たるものだった。ベトナム人によるベトナムは、他国がどんなに資金と武力をを投入しても民族独立の志を奪うことはできなかった。

その後、USAIDは、米国が仕掛けたすべての戦争に、CIAとともに、CIAの手足となって関わってきている。
1999セルビア攻撃、2003イラク攻撃、2011アフガニスタン侵入ではケシ栽培に関わった。2011リビア政府崩壊、ベネズエラの反チャベス運動、ブラジルのボルセナロ支援、中国武漢に生物研究所に出資してコロナ研究に力を入れ、2014ウクライナでマイダン革命を主導し、2021アゾフ連隊を支援した。

USAIDが、難民支援で救った命は数えきれないとしても、組織自体が望む望まないに関わらず、「世界で他国の政権転覆」と「内政干渉」に利用されてきたことは事実だ。最貧国を援助すると言うことは、それぞれの国の特殊性、国内事情やそれを握る経済構造に精通する必要がある。そういった情報は、軍や帝国主義者が最も欲しい情報でもある。良かれと思って援助することが、腐敗した新たな権力者を作り出す。また、どんな組織も大きくなって、豊富な資本がつくと腐敗する。組織というものが、必ず大きくなると腐敗するものだと言う事実を忘れてはならない。

ワシントンでのトランプの就任式に、アマゾンのジェフべゾズも、メタプラットフォームのマークザッカーバーグも、トランプに100万ドル寄付した後、式に同席していた。この2人の男たちのトランプへ忠誠を誓う態度の豹変は、ただの損得勘定だけではなかった、と思う。
カイサルも、ローマで暗殺されたあとは、しばらくはその死体を放置されたのである。

写真は都庁の建物に映し出されたゴジラ。会えて嬉しかった。



2025年2月7日金曜日

日本旅行 その3

上野のホテルから新宿のホテルに移ったら、フイリピンに滞在していた教授こと、山田修さんがマニラから着いたその足で会いに来てくださった。

私のたっての願いで新宿の長崎ちゃんぽん皿うどんで、家族全員と会って、旧交を温めた。彼とのなれそめは、とマゴに聞かれて35年前のこと、すっかり忘れていたがようやく思い出した。娘たちがマニラインターナショナルスクールで学んでいた頃、そこでわたしは午前中は中学生、午後は高校生にバイオリンを教えていた。マニラで日本語の新聞を発行して編集記者だった彼が、音楽室にインタビューに来たのだった。音楽の話をロクにせず、「なぜ塩見孝也がブンドを割って赤軍を作ったことが間違いだったのか。」とか「新左翼がコケたのは当時の党派が子細な戦術の違いで分裂したことに全責任がある。」とか、しっぽり2-3時間話した記憶がうっすら。彼は何でも知っている。わからないことがあって調べるのがめんどくさかったり難しい時、聞くと何でも教えてくれる。わたしの百科事典だ。

翌日は6人で明治神宮におまいりした。神道と仏教の違いが良くわからない義理の息子スコットに、神道がいかにかつての大戦で現人神天皇が300万の国民の命を奪ったかを言及し、神宮の森は残すべきだが、神道は過去の遺産でお伽話にすぎないと説明。その足で原宿、竹下通りに出て、ドーナッツを買って公園で食べ、古着など見た。15歳のマゴが気に入ったジーンズをみつけられて良かった。女子組が買い物にうつつを抜かしている間、男子組は自転車を借りて代々木公園を走り回り、それでもエネルギー持ち甘してバッテイングセンターで大汗をかいていた。スコットは毎朝みんなが寝ている間、退屈しのぎにひとりで遠出の散歩で新宿御苑を何周もしている。

次の日、次女家族は新宿からバスで富士急ハイランドで1日中遊んできた。天気に恵まれ富士山がよく見えたようだ。遊び疲れて夜暗くなってやっと帰ってきた。私と長女は新宿散策、紀伊国屋、世界堂、伊勢丹、追分団子,高野フルーツパーラー、カフェでカニの身が沢山入ったパスタをやっつけた。
翌日は銀座に出て、新しいビルのGSIX, ソニービル、和光、三越、よしのやの靴、MUJIホテルなどなど見たのあと、銀座4丁目の「ライオン」でビールとジャーマンソーセージを食べた。むかし大学でマスコミを学び、当時銀座5丁目にあった新聞社に勤めた。昼飯はいつもライオン、仕事帰りには一緒に採用された5人の新人仲間で上司の悪口を肴に飲んで食べた。1年後セクシャルハラスメントを会長から受けて退職し、女性がずっと働ける職業を、と思って大内兵衛のアドバイスに従って美濃部都政が作ったばかりの看護学校に行きナースになった。今も75歳現役ナース。人生わからないものだ。
娘たちはマゴ達をホテルに残して夜、西口夜店通りからゴールデン街まで足を伸ばして焼き鳥とビールを楽しんでいた。

最後の夜は都庁のビルのゴジラ放映を見て、寿司よねがみでコース料理を食べ、翌朝ホテルにスーツケースを預けて「渋谷スカイ」に行った。素晴らしい眺め。しかし、東京を上から眺め、これから大地震や原子力発電所の事故が起きたら人々はどこに逃げたら良いのだろう、東京の緑の少なさに唖然とした。

空港行のバスを待つ間、吟遊詩人スーマ―さん(Masaaki Sudo)さんがわざわざ横浜から飛んで会いに来てくれた。自分の作った歌をマイクを通さずに伝えられる距離で語り弾きをしている稀有で貴重な人。「寒弾」というエッセイを毎月書いて印刷して全国、全世界の根強いファンに郵送している。画家たちとも交流があって「寒弾」の表紙はいつも斬新な絵だ。彼と話していると、声そのものに優しさと思いやりが籠っていて、心地よい。以前は帰国ごとに彼のライブで、他の友人達を集めて会っていたが、今回はスケジュールが合わなかった。
会いたくて会えなかった方々、Green Design Work の平山さん、村松ゴン、父のお弟子さんたちなど会えなくて残念だったけど、こんどまた。
写真は渋谷スカイ



2025年2月6日木曜日

日本旅行、その2

今回の日本旅行は1にも2にも長女が半年かけて、情報収集や計画を作ってくれたおかげで、事故もなく18万円の旅行保険を使うこともなく最小限の時間で最大限の観光旅行ができた。プロの旅行コーディネーター並みにホテルや新幹線、レストランの予約もシドニーでやっておいてくれて、選ばれた店で食べた食事や、おやつに「ハズレ」はなかった。感謝だ。

ナスパ新潟越後湯沢でスキーと温泉三昧をしてから、新幹線で上野のホテルへ。上野は、娘たちが生まれた文京区千駄木に近く、昔は幼い娘たちを自転車の前と後ろに載せて、上野動物園や不忍池、松坂屋や博物館に行き、1日遊んできた場所だ。私たちの裏庭のようなものだった。

アメ横で買い物を楽しんで、もんじゃ焼きやウナギや日本風洋食を食べ、私が子供の時から親しんできた西洋美術館に行ったら人がいっぱいでチケットが売り切れと。モネ特別展をしていたらしいが、そんなにモネ、日本人の間で人気者だったっけ。拒否されてびっくりしながら次女は浅草へ。釜浅で料理包丁を買い名前を彫ってもらって満足。
次の日は東京駅切手ビルの花丸寿司に直行、北海道でしか取れない新鮮で実のしまった魚介類の美味しいこと。動けなくなるまで寿司を堪能した。

それから沖縄時代からの古い友人森さんに銀座「ろくさん亭」で美味しいローストビーフをご馳走になった。料理の鉄人何とかいう人の店だそうだが、これほど美味しいローストビーフを生まれてから食べたことがない。感激だ。JALのアテンダンスを長いことされた経験で美味しい店を良く知っている。50年前女子のあこがれだった当時の花形スチュワーデス、狭いところで制服から振袖に着替えて食事をサーブするなど厳しい訓練を受け、それをリタイヤ後も仕事にしてきた人だけあって、立ち振る舞いも食べ方も早くて美しい。

次の日は新豊洲に足を運び、チームラボプラネッツで美術体験.水、光、森を体で感じる美術館、これは楽しい体験だった。
そのあとは新豊洲市場で1日中食べ歩き。魚のスープで作ったラーメンがとても美味しかった。1万5千円の茹でた冷凍のタラバガニを市場で売っているので食べたくて、でもホテルでどうやって?と未練心いっぱい、、立ち去りがたい気持ちに揺れ動きながら、ゆりかもめで帰ってきた。そして上野のホテルから、新宿のホテルに移動する。
写真はチームラボプラネッツ