2017年1月12日木曜日

映画 「コロニア (デグニダッド)」

       


1973年チリ。理想の社会主義建設を目指して国民から選出されたアジェンデ政権は、ピノチェト将軍を頭とする軍事クーデターによって、暴力的に葬り去られた。クーデターには、裏で米国CIAによる民衆操作が行われていたことが、わかっている。米国CIAは 南米の左極化を恐れるあまり、アジェンデ政権を倒すために、「マルクス主義か、民主主義か?」を、上流中間層に訴えて、彼らを軍事政権を支持する勢力に作り替えた。その動きに対して、労働者は、工場連帯組織、農民組織、労働組合を中心に、アジェンデ大統領を支持したが、圧倒的軍事力による制圧によって、アジェンデの議会による社会主義社会建設は敗北した。アジェンデは、激しい空爆の下、大統領府から、「働く人々に必ず良い社会への道は開けるだろう。」というメッセージを残して、命を絶った。

サンチャゴ ナショナルスタジアムでの大虐殺、何万人という拉致され今だに行方不明の学生たち、目隠しをされパタゴニアの海に沈められた人々、コロニアル デグニダッドで拷問後、埋められた活動家たち、サンチャゴ市郊外のビジャグリマルデイ強制収容所には、現大統領バチェレも収容されていた。

この映画は、アジェンデ大統領が失脚し、ピノチェト将軍による軍事政権下で、血で血を洗う大粛清が行われたころの、一人の活動家のお話。彼は軍によって拉致され、入れば生きて帰ることはできないと言われた秘密監獄、コロニア デグニダッドに連行されたが、彼を追って潜入した恋人によって救い出される。この秘密監獄は、ピノチェトの崇拝者ポール スカフェルという、カルトの宗教的指導者によって作られ、秘密警察の役割を担っていた。活動は、ピノチェトが引退する2004年まで続けられ、軍事政権が崩壊したあと、この敷地からは、虐待と拷問で殺された数百体の死体が発掘された。

タイトル:「コロニア」 ドイツ、スペイン合作映画
監督: フロリアン ガレンベルガ―
キャスト
エマ ワトソン    : レイナ
ダニエル ブリュール : ダニエル
マイケル 二クビスト :ポール スキャファー

ストーリーは
4か月前にドイツからチリのアジェンデ大統領を支持するためにやって来たカメラマンのダニエル(ダニエル ブリュ―ル)と、スチュワーデスの恋人(エマ ワトソン)は互いに愛し合っていた。ピノチェト将軍の軍事政権に抗する運動は、世界中から集まってきた活動家を含めて盛り上がりを見せていた。しかしある日、活動家たちが隠れ住む街の一角では、軍による一斉検挙が行われ、密告を強制された元活動家によって、ダニエルは拘束されて、連行される。レイナは、必死でダニエルの行方を捜すが、活動家仲間は、彼が悪名の高いコロニア デグニダッドに連れて行かれたと言われる。そこには、宗教団体が組織する秘密監獄があり、一旦入れられると、生きて帰ることができない。

レイナは、ダニエルを探し出すために自ら、そのカルト宗教団体に入会し、コロニア デグニダッドに潜入する。過酷な集団生活と、農作業や土木作業が待っていた。レイナは他の女囚たちと一緒に耐え忍ぶ。ある日、アジェンデ将軍が、ポール スカフェルをねぎらう為に、コロニアにやって来た。将軍を迎えるために、収容者全員が庭に集められる。レイナはすっかり痩せて、障害者の姿になったダニエルを見つけて、そばに近寄る。ダニエルは、幾度も繰り返して電気ショックの拷問を受けたために、脳に障害がおきた男のふりをしていたのだった。二人は誰にも気付かれないように、手を握りあう。二人は密かに逃亡する方法を探った。地下道を見つけ、二人はついに脱出を決行する。恐ろしい警察組織の追手と狂暴な犬に追われながら、二人は高圧電流の柵を超えて逃亡。ようやくドイツ大使館に逃げ込むが、大使館までピノチェト将軍の息がかかっていて、二人を拘束しようとする。誰も信用できない。二人は、飛行場の滑走路を走り、レイナの親友だったパイロットが操縦かんを握る飛行機に飛び乗って、脱出に成功する。
というお話。

映画の中で、カルト教主で、ピノチェト崇拝者で、コロニア所長で、変態のペデファイルのポール スカファーを演じたマイケル 二クベストが、その気色悪さで、だんとつに冴えている。この役者はスウェーデンではアイドルで、高倉健のような存在。
彼は、自身が孤児院から弁護士と作家の両親に養子として引き取られた人で、成績優秀なため。17歳のとき交換留学生として渡米。そこでアーサー ミラーの芝居「セールスマンの死」を演じることになって、以来演劇熱に取りつかれ、本格的な役者に道に進むことになったという経歴の持ち主。
2008年にステイング ラーソン著書の「ミレニアム」が大ヒットする。スウェーデン中でこれを読んでいない人は居ないとまで言われた小説、すまわち「ドラゴンタッツーの女」、「火と戯れる女」、「眠れる女と狂卓の騎士」の三部作だ。日本でもこれらはベストセラーになった。これが映画化されたとき、マイケル 二クベストが主役を演じた。以来この人は、ヨーロッパの映画は勿論、ハリウッド映画でも沢山出演するようになった。その多くは、悪役。でかい体に人相が悪くて怖い。救いようのない悪の標本のようなポール スカファーを堂々と演じている。本当のカルト教主ポール スカファーは ピノチェト引退のあと、2005年に逮捕され、33年の実刑判決を受けて、2010年に獄死した。

映画の中で、この教主が、信者たちを陶酔させるシーンが出てくる。マイクを口にぴたりとくっつけるようにして最大ボリュームでハアハアとあえぐ声を会場一杯に流しながら、、「私を信じなさい、神はあなたを愛している、ハアハア、信じなさい、ハアハア、愛して、ハアハア」 とやると、信者たちが次々と酔っぱらって昏倒していく。「女は悪だ、セックスは罪だ、」 と教主がアジると、そうだ女は敵だ、と男達が狂ったように、引き立てられてきた女の顔を殴り、腹を蹴って殺してしまう。恐るべき声の力だ。カール   マルクスの「宗教はアヘンだ。」という言葉は こんなときのためにあったのか。おまけに彼は、ぺデファイル。幼い少年たちをシャワールームに誘ってレイプする。まったく気色悪い、これほど観終わったあとで、胸の悪くなるような、気分がふさぐ映画も珍しい。カルト教主の気色悪さをここまで表現、演技できる役者に脱帽。 こわうま役者。

最愛の恋人のためにスチュワーデスの仕事を捨て、信者を装って、このデスキャンプに潜入するエマ ワトソンが、健気で可愛らしい。小さな細い体に、コロニアの奇妙な制服を与えられ、農作業に駆り立てられる。でも毅然としていて、「わたし、思うけど、ハリーポッターは世界の悪と戦うために自分の命を犠牲にしているのよ。」 などと、今にも確信をもって言い出しそうだ。ラブシーンなど、ぎこちなくて見ていられない。彼女、、あまりにもハリー ポッターのハーマイオニ―役が適役だったので、大人になっても美少女から脱け出られないでいる。次から次へと男をだまして、すっからかんにさせて後は、銃で始末して海に投棄、などという悪女役は絶対に彼女には演じられないし、大人を笑わせるコミカルな役もちょっと難しそうだ。

エマ ワトソンに救い出されるカメラマンを演じているダニエル ブリュ―ルは38歳、スペイン生まれのドイツ人。いわばドイツの人気アイドル、アラン ドロンだ。2003年の「グッドバイ レーニン」、2009年「イングロリアス バスタード」、「ラベンダーの姉妹」などが印象的だ。もっと若い時は、とても綺麗な顔の役者だったが、太ってしまった。王子様役には良いが、秘密警察に追われる反政府活動家という緊迫感がない。「気の強い子供の様なエマ ワトソンに救い出される、おっとり坊ちゃん」 という感じで、なんか役と役者が一致しないような気がするのは、私の思い込みだろうけど、、。 でも、二人の逃走劇には、ハラハラさせてくれた。捕まれば即、殺されるとわかっている。

軍事力を背景にした恐怖政治と、カルト宗教とはよく連動する。救世主と、信じ込み全幅の信頼を寄せる信者を、政治目的に利用することは簡単だ。
チリではアジェンデ大統領による議会政権下における社会主義建設が葬り去られたが、これは1973年の話ではなく、イラクのサダム フセインへの死刑宣告と処刑、リビアのカタフィ大統領の惨殺、シリアのアサド大統領を失脚させようという動き、まさに世界中の「いま」に繋がっている。いつもこうした政権崩壊の裏に、米国が控えていて民衆を操作して煽動してきた。
それがわたしたちの歴史であり、これからの歴史でもある。

いま日本では「日本会議」という妖怪が跋扈している。
彼らは、憲法改正、皇室崇拝、天皇主義、元号法制化などを声高に叫んでいる。南京虐殺も従軍慰安婦強制連行もなかったと強弁し、近隣国に向けてヘイトスピーチを繰り返している。こうしたカルト宗教の信者を、国のトップ、首相の座に置いてい居る日本という国が、秘密裡にコロニア デグニダッドを持っていない、と誰が言えるだろうか。

2017年1月3日火曜日

映画 新海誠の「言の葉の庭」


                             

映画:「言の葉の庭」
英語題名:「GARDEN OF WORDS」
監督 製作:新海誠
音楽:大江千里 
歌: 秦基博

ストーリーは
15歳のアキズキ( 秋月孝雄)が他の高校一年生に比べて、大人びているのには理由がある。父の居ないシングルマザーの家庭で、母親はひとまわり若い恋人と家出中、兄も近々ガールフレンドと同棲するために家を出ていく。家事は全部自分でやっていて、料理も自然と上手になった。
彼は雨の日が好きだ。子供の時は、空はもっと近くにあった。空の匂いを連れてきてくれる雨が好きで、そんな日 彼は学校に行かず、新宿御苑に行って雨の音を聞く。

ある日、アキズキが雨の新宿御苑の自分の定位置、東屋にいくと珍しく先客が居た。見ると彼女はビールを飲みながらチョコレートを食べている。変な人だ。以降、何度も雨の日にはアキズキの居る東屋に彼女も来ていて、二人は自然と話をするようになる。アキズキの作って来たお弁当を二人で分けて食べたり、家事のできないらしい彼女の作った、出来損ないのお弁当を分け合ったりしながら、二人は互いに会話をすることが楽しくなってくる。ふだんは口の重いアキズキも、この女性ユキノ(雪野百香里)を相手にすると、自分が進学をせず靴を作る靴職人になりたいという夢を語ることができる。ユキノは 喜んでアキズキの靴のモデルになってくれた。彼女は、いろいろあって、社会の重圧から歩くことができなくなっていて、歩く練習をしているのだという。

アキズキは、まだ自分が子供で父親が居て幸せだった頃、父が母の誕生日に宝石のような美しい靴を贈り、母がことのほか喜んだときのことが忘れられない。靴が母を喜ばせたように、自分が将来 美しい靴を作って、人を喜ばせたい。次第とアキズキはユキノが歩きたくなるような靴を作って贈りたいと、願うようになる。雨の日には会える。二人は互いに雨の日を待ち望むようになる。

ある日、アキズキは学校でユキノを見つけて、驚く。ユキノはアキズキの通う高校の古典の先生だった。彼女は学年で女生徒から人気のあった男の先生と関係を持った、という悪意のある噂が流出して、登校できなくなって休職していたのだった。ユキノ先生は、自分のことは、学校で多くの人に知られていたので、アキズキも自分のことを知っていると思っていた。アキズキは、ユキノを不憫に思い、悪意の噂の元になっていた先輩に向かって行って、さんざんにぶちのめされる。

翌日大雨の日に、二人は再び御苑の東屋で出会う。台風が接近していて、突然の豪雨にあって二人はずぶ濡れになる。ユキノは、ぬれねずみになったアキズキを自分のアパートに連れてくる。服を乾かしている間、アキズキはユキノのためにオムレツを作り、ユキノは熱いコーヒーを淹れる。二人して雨の音を聞きながら、二人して自分が今世界一幸せだと思う。
アキズキはユキノに、好きだと告白する。でも、恋愛に臆病になっているユキノはそれをまっすぐに受け止めることができない。拒否されて、傷ついたアキズキはユキノを、激しく責める。アキズキの悲鳴のような言葉を聞いて、ユキノはいままで自分の押さえつけて来た気持ちが爆発してアキズキに抱きついて泣きじゃくる。
というお話。

この映画は、「君の名は」に比べると短編だが、ストーリーも絵も、こちらの方がずっと良い。
15歳の少年が、27歳のちょっと不良で挙動不審な女性に出会って、話をするうちに打ち解けて好きになっていく様子が、とても自然だ。恋をして、恋を失いそうになったときの一生懸命なヒリヒリと痛む少年の心が痛いほど伝わってくる。ポール 二ザンは、「20歳が美しいなどと誰にも言わせない。」と言ったが、若さは美しいどころか、みじめで苦難に満ちたものだろう。好きな人ができて、心が舞い上がり、それがバウンドをつけて突き落とされる恋を、だれもが経験しながら大人になってきたのではないか。アキズキの悲鳴のような叫びをあげ、ユキノの号泣のように大量の涙を流しながら。

アキズキは学校でははぐれ者だったし、自分の話をよく聞いてくれる人が必要だった。大人の女性が自分の靴職人になるという夢に きちんと共感し、支持してくれて嬉しかった。ユキノはユキノで、妻子ある教師との恋愛が原因で、職場でトラブルを起こし、傷ついて生きる目標を失いかけていたが、一つの目標にむかっていくアキズキとの出会いが、何よりの励ましになった。アキズキとユキノは互いを必要としていて、その求心力が愛情を呼び起こした。相手を必要とする互いを求める力は、純粋で自然なことだった。
社会の重圧から、食べ物の味がなくなり、職場に通えなくなり、歩けなくなったユキノのために、アキズキは靴を作り始める。そんなまっすぐな本心を告白するアキズキに、ユキノは、「靴が無くても一人で歩けるように練習していた。」と言って強がってみせる。社会の壁にぶつかり、教師としての制約を思い知らされ、人格を壊されていたユキノには、アキズキの心情をまっすぐ受け取ることができないでいる。泣きじゃくり、泣き続けることでしか自分の気持ちを伝えることができない。
そうすることが、ユキノの魂の再生への過程だった。

最後にアキズキは独白する。「歩く練習をしていたのは、あの人だけでなく僕もそうだったのかもしれない。いつかもっと遠くまで歩いていけるようになったら、あの人に会いに行こう。」 そこまで言える心境に達したアキズキの大人の態度が立派だ。まさに、
「雷神の少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
「雷神の少し響みて 降らずとも我は 留らむ 妹し留めば」

画面の自然描写が例えようもなく美しい。
本当のことを’伝えるために少し嘘を使った方が本当に近くなる、という表現方法の例えがあるが、アニメーションという方法でここまで本当の雨を表現できるということに驚愕する。雨が降りはじめ、水たまりができて、水面に鮮やかな緑が映える。雨の音を聞いていると、雨から匂い立ってくる雨の匂いが呼び起こされ、雨を感じることができる。雨の音が強弱を繰り返し、緑の木々が揺れ、風を感じることができる。空から雨が落ちてくる様子が自然を写した本物のフイルムのように、生き生きしている。高層ビルに囲まれた新宿御苑の緑が雨に濡れ、鮮やかさを増し、生き物すべてに命を与えるように、輝き始める。雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の魂も再生する。雨によって二人の命が生き返る姿が目に見えるようだ。
美しい映画だ。

映画 新海誠の「君の名は」

                          

東宝 日本映画
英語題名:「YOUR NAME」
原作 監督: 新海誠
音楽:RADWIMPS
声役: 神木隆之介:立花瀧
     上白石萌音:宮永三葉
ストーリーは
1000年ぶりに彗星が地球に接近している。
山村地方の小さな村で暮らしている女子高校生、宮永三葉は代々地元で継承されてきた神社の家に生まれ、いずれその神社を、亡くなった母に代わって受け継いでいかなければならない。母の死後、政治の世界に入ったために離縁された父親は、現市長の椅子に収まっている。神社の後継者としての教育は、祖母の宮永一葉によって、厳しく教え込まれている。三葉は、小さな田舎町で暮らし、逃げようのない跡継ぎといった立場に、我慢ならない閉塞感を感じている。

一方東京の団地で父親と二人で暮らす立花瀧は、学校生活とレストランでのバイトに精を出している。成績は良くもなく、悪くもなく普通。バイトの奥寺先輩に恋心を抱いている。
この宮永三葉と立花瀧とが、ある日、何の前触れもなく、眠っている間に、体が入れ替わる。 突然、眠っている間に互いの体が入れ替わるという現象に戸惑いながらも、二人は、互いに日記を携帯電話にデータとして残すことによって、体が入れ替わってもあわてずに対応できるようになっていく。互いに会ったこともなければ、互いに言葉を交わしたこともない。しかし、二人は特別のつながりで魅かれ合い、互いに、いつか会うことがあれば必ずわかるだろうと思うのだった。

彗星が地球に接近すると予測されていた夜は、村祭りがあって三葉は、友達と空を仰ぎ見ていた。ところが彗星は予測を裏切って、落下途中で二つに分かれ、その一つが三葉の住む村を直撃したのだった。被害者数、数千人。街は壊滅した。
瀧はその日から、もう体が三葉と入れ替わることがなくなった。しかし彼女のことが気になって仕方なくなって、夏休みに三葉のいた村に行ってみることにした。住所も村の正確な位置もわからない。瀧の描いた村の写生画だけが頼りだ。行ってみて、その村が3年前に、彗星の直撃によって壊滅した村だったことがわかった。死亡者名簿のなかに三葉の名前を見つけ出した瀧は、その彗星を、自分は東京で団地のベランダからのんきに眺めていて、その美しさに感動したことを思い出して、自分を責める。時間を巻き戻すことができるのだろうか。

瀧は三葉の神社の御神体が祀られている山に奥深く入っていく。この世とあの世の境目を超えて、三葉の命の半分といわれていた御酒を飲む。御酒の力で気を失った瀧は、3年前に戻っていた。彗星が村を襲う、あの夜だ。未来を知った三葉は、友達のテッシーとサヤカの協力を得て、村祭りに集まっている人々を高校の校庭に集めて避難させる。
たそがれどき、、、昼でも夜でもないいっときの間だけ、三葉には瀧が見える。二人は互いに初めて会うことができた。二人は互いに忘れないで、思い続けることを誓う。しかし 日が落ちて夜になると二人は世界で一番大切な人、忘れないと誓った人の名前がもう思い出せない。

数年後、瀧も三葉も高校の時に起こった不思議な体験を覚えてはいない。でも二人はともに何か、とても大切なことを忘れているという思いが強く記憶の底に残っている。誰かをいつも探している。誰かわからないが、出会えばきっと互いにそれがわかるはず。そう強く思っていたある日、二人は、、、、。
というお話。

日本で2016年の8月に公開されてからとても人気のあるアニメーション映画だったそうで、シドニーのアジア人が多く住むチャッツウッドの映画館で上映された。日本の映画が映画館で観られるのは、とても嬉しいことだ。行ってみると面白いことに、オージーでオタクっぽい日本漫画ファンの男連れが、たくさん来ていた。日本の漫画は物語性が強く、技術的に優れているので世界中で高く評価されている。「明日のジョー」、少年サンデー、少年マガジン、ジャンプで育ってきた団塊世代が、日本の漫画文化を 広めて大衆化してきたその原動力 恐るべし。
日本に休暇で帰国するごとに宿泊するのが新宿南口のルミネ前にあるサンルート新宿ホテル。宿泊中散歩するのが新宿御苑。買い物、食事もすべて新宿周辺という、暮らしかたを30年もやっているので、日本は知らない場所ばかりだが、自分が知っている新宿あたりの風景が実録フイルムのように鮮明に描かれていて嬉しかった。あれ知ってる。これ知ってる。わー。日本人であることが嬉しい。

瀧と三葉は不思議な出会いをするが、確かにこの世には科学で説明できない出来事に遭遇することが沢山ある。私も本物のお化けに出会ったことが何度かあって、そのときの音や空気とともにはっきりとした存在感があったことが忘れられない。また、人が死ぬときに、魂が体から抜けて離れていく姿も、実際体感したことがある。人の命の深遠さを、すべて科学で解明することはできない。だから不思議な体験をした人の話は、笑って済ませないで、ちゃんと聞いてあげたほうが良いと思う。
瀧と三葉には、いまは覚えていないけれど、以前に確かに会っていて、互いを世界で一番大切な人だと認識していた記憶が残っている。いつもその人を探している。顔も名前もわからない。でも会えば必ず互いにわかるはず。そんな人生の本当の片割れに出会えたら、どんなに幸運なことだろう。
だけど哀しいことは、ほとんどの人はいつも誰かを探している。でも、まあこれでいいか、と妥協してずっとは探し続けないことだ。

この映画を観て、とても良かったので次にこの監督、新海誠の「言の葉の庭」(「GARDEN OF WORDS」)を観た。 出だしの処で高校生に「たそがれどき」という言葉の意味を教えている古典の先生が、雪野先生だったのが あとでわかって嬉しかった。この監督は芸が細かい。

2017年1月2日月曜日

映画 「マリアンヌ」


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ロマンテイック アクション アメリカ映画。
日本では2月10日公開。
邦題:「マリアンヌ」
原題:「ALLIED」
監督:ロバート ゼメキス
キャスト
ブラッド ピット  : マックス バタン
マリオン コテイヤール : マリアンヌ ビュセジョール

ストーリーは
1942年 フランス領モロッコ。
カサブランカも事実上ドイツ軍占領下にあった。フランス人レジスタンス活動家のマリオンは、カサブランカの社交界に深く侵入して、ドイツ軍上官たちの信頼を得ていた。そこにカナダ人で連合軍秘密情報部に所属するマックスが、送り込まれる。二人は新婚夫婦を偽装して、ドイツ軍高級官僚たちに近付き、ドイツ大使以下、占領政府の要人たちを殺害する。作戦は成功。首尾よくモロッコを脱出したマリオンに、マックスは結婚を申し込み、二人はロンドンで再会し、結婚する。

ドイツ軍による爆撃下にあるロンドンで、二人はそれぞれの仕事を続けながらも、幸せな家庭を持ち、マリアンヌは女児を出産する。ところがある日、マックスは連合軍秘密情報部に呼び出される。告げられたことは、全く信じ難いことだった。マリオンは、じつはドイツ軍の秘密情報員で、マックスが受け取っていた情報がマリオンを経てドイツ軍に漏洩している。モロッコのカサブランカでマックスとマリオンが殺害したドイツ大使らは、ヒットラーが処分する予定だった人物に過ぎない。マリオンと言う名のフランス人レジスタント活動家はすでに、前の作戦で亡くなっている。マックスは、72時間以内にマリオンと名乗るスパイを出頭させるか、処分しなければならない。というものだった。

マックスに与えられたのは72時間。マックスは、マリアンヌが出合った時から自分がマリオンに裏切られていたということが信じられない。マリアンヌの無実を72時間以内に証明しなけば、マリアンヌの命も、自分の命もない。
マックスは、懸命に昔のマリアンヌの同胞だったレジスタンス活動家を探し出す。ドイツ占領下のパリに飛んで、マリアンヌが、ラ マルセイーズをドイツ軍将校の前で、臆せず誇り高くピアノを弾きながら歌ったという過去の逸話を聞かされる。愛しい妻が本当のマリアンヌなら、ピアノが弾けるはず。ロンドンに帰ったマックスは、マリアンヌを酒場に連れて行き、ピアノの前に座らせる。すると、、、。
というお話。

美男美女のメロドラマというのは、良いものだ。
ブラッド ピットが何が何でも大好きという人とか、マリオン コテイヤールがどんな役でもいいから大好きという人のために作られたメロドラマ。

1940年代のカサブランカ。パリから来たレジスタンス活動家が、肩パッドのついた美しいシルクのドレスをまとい、真紅の口紅を差す。そんなマリオン コテイヤールの美しさ。 仕立ての良い3ピースの背広にネクタイをきちっとつけた立派な男が、歩きながら無造作にタバコをくわえる。真っ白なシャツに燕尾服で現れたかと思うと、連合軍空軍の制服を少しの隙もなく着こなして登場、美しい男とはこういう男を言う。53歳のブラッド ピットの無駄のない若々しい動きと、美しい着こなしに目を見張る。 砂漠から見る日没と夜明け。ひたひたと迫る恐怖政治の時代を背景に夢のようなメロドラマが繰り広げられる。

これらの映画の雰囲気は、古典名作映画の「カサブランカ」でおなじみだ。ハンフリー ボガードと、イグリット バーグマンの二人が醸し出した時代の郷愁、センチメンタルな甘い匂いが漂う。「カサブランカ」は今思えば、黒白映画だったが、この映画は独特のカラーで、この時代の一時の豪華、豊饒さ、艶やかな人々の姿がきらめく色彩で表現されていて、見事だ。画面が美しい。
ブラッド ピットも マリオン コテイヤールも良い役者だ。音楽も良い。

しかし内容は、、、困ったことに無内容。真実性に欠け、人としての誠実さが欠落して、愛とはいったい何なのか、と根本的な疑問が湧き上がる、何とも評価がクエッスチョン。
マリアンヌは、ドイツ国愛国者。殺されたレジスタント活動家に成り済まし、敵軍の男と結婚しても夫に送られてくる情報を、逐一ドイツ軍に送っていた。そのために命を失った連合国側の兵士は、数知らず、情報が漏れたために失敗した作戦も多数あっただろう。妻は、自分の名前も出生も、スパイとしての仕事も秘密にして、黙々と情報を収集していた。夫は、自分を通じて秘密情報が漏れていたことに気がつかず、うかつにも妻の思いのまま情報を垂れ流していた。その夫の軍人としての責任はどこにいったのか。まんまと騙されていたことの帳尻はどう取るのか。夫の持ってくる情報を盗み出すことによって成り立っていた夫婦関係では、家庭は妻にとって職場でしかなかったし、夫婦関係は仕事のための手段でしかなかった。

素性がわかった、事実が分かった、でも愛し合ってるから二人で手に手を取って外国に逃げて、幸せに平和に暮らしました とさ。というのはお伽噺です。
人には自分なりの信念というものがあり、達成したい目標をもち、仕事に就き、自分なりの仕事の仕方に少しばかりの誇りをもち、自分を育ててくれた社会や尊敬する人に囲まれ、自分の生き方に共鳴してくれるパートナーを持ち、ともに家庭を持って、そして老いていくものではないか。人を愛するというのは、そういったその人の信念や仕事やその人を取り巻く環境を含めて愛するということだ。その意味で、この映画は、真実性に欠けている。内容はペケです。

ブラッド ピットは長い役者人生を送ってきて性格俳優としても良い役者になってきた。この映画では妻を疑わなければならないという、悲しい夫として、本当に哀しい目で妻の後ろ姿を見る。妻の無実を証明しようとして狂ったように人を詰問する。うそだ。うそだ。うそだ。この映画の見所はといえば、そういった裏切られた男の哀しい姿だろう。そんな役をブラッド ピットは実に哀しい、哀しい姿で演じていて涙を誘う。
だけど、困ったことに、それだけなんだよね。この映画。

2016年11月26日土曜日

映画 「ファンタステイックビーストと魔法使いの旅」


                 
原作 脚本: J K ROWRING
原題:「FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM 」
邦題:「ファンタステイクビーストと魔法使いの旅」
映画監督: デヴィッド イエッツ
キャスト
動物学者ニュート スキャマンダー: エデイ レッドメイン
米国魔法会議職員テイナ ゴールドステイン:キャサリン ウォ―ターストン
テイナの妹クイニ― : アリソン スードル
人間界の工場労働者ジェイコブ コワレスキー: ダン フォグラー
米国魔法議会長官グレイブス : コリン ファレル
米国魔法議会プレジデント、セラフィナ: カルメン エヨーゴ
孤児 クレデンス バルボーン: エザラ ミルナー
孤児 チャステイテイー バルボーン: ジェレ マリー
慈善家メアリー バルボーン: サマンサ モートン

魔法界の動物たち
二フラー: カモノハシに似ている嘴を持った有袋類で、光るものを自分のポケットに収集する
ボウトラックル: 緑の樹の枝のような姿でいつもニュートのポケットに居る
ヌントゥー:トラの様な姿でヘビ様の皮に覆われていて、吠えるとエリマキトカゲのように喉が膨らむ
オカミー : 鮮やかなブルーのヘビ様の生き物
デミグイズ: 白く長い毛を持つ歩くフクロウのような姿
ビリーウィグ : 青い色、ハチのような姿で、音を立てて空を飛ぶ
グラフォーン : 馬の様に大型動物で走るが、口の周りにヘビのようなものが沢山ついている
エランペント : サイを大きくしたような姿で、角が光って高熱を持っている
サンダーバード:巨大なタカを大きくしたような鳥
その他大勢

ストーリーは
ニュート スキャマンダーは、魔法学校ホグワース出身の動物学者で、世界中の魔法界の動物を、収集しながら旅をしている。保護した動物たちを研究した、その成果は、編纂されてホグワースの教科書になる予定だ。ニュートは魔法の世界と人間界とは平和共存できるはずだし、その存在を脅かすようなことをしなければ、どんな動物も 友好的で愛すべき獣たちであると、堅く信じている。彼は動物たちに深い愛情を持っているが、人間同士の付き合いが苦手で、人と上手に付き合うことができない。

1926年冬、ニュートは、アメリカ大陸に住む魔法界の動物を捕獲するために、ロンドンからニューヨークに到着した。ニューヨークでは、原因不明の不可解なビルの倒壊や道路破壊が頻発していた。目撃者によると、光る眼を持った黒い生物が、走り回って建造物を壊しているということだった。慈善家メアリー ベアボーンは、これらの一連の破壊事件は、魔法によるものに違いないと主張して、魔女狩りをしようと人々に訴えていた。彼女は孤児を引き取って、養子として育成していたが体罰を含む厳しい教育は、子供達に恐怖感や憎悪を生んでいた。

ニュートが到着早々、長旅の間ニュートのカバンの中で退屈しきっていた魔法動物の二フラーは、さっそく鞄から飛び出して街に出て行ってしまった。二フラーは光るものなら何でも収集せずにいられない。コインにカバンの口金、靴の飾りから犬の首輪まで、集めては自分のおなかの袋に保管する。あわててニュートは、二フラーを追いかけるが、お構いなしに二フラーは、銀行の金庫に入ってコインを集めようとする。その姿は人間界の人々には見えないが、通りかかった米国魔法議会の職員テイナには見える。米国では、このような動物を持ち込むことは禁止されていた。テイナは、ニュートを逮捕して、議会に連行する。米国魔法議会のプレジデントの前に引き出されたニュートは、動物たちの入ったカバンを皆の前で開けさせられる。ところが鞄の中身はパンだった。ニュートの鞄は、銀行で二フラーを追っている間に、人間界のジェイコブが自分のカバンと間違えて持って行ってしまった。ジェイコブは工場労働者だったがパン屋になることが夢で、資金を融資してもらうために銀行に来ていてニュートに会ったのだった。ニュートとテイナは魔法の鞄をもったジェイコブを探し回る。そして、みごとに破壊されたアパートの一角で、怪我をして倒れているジェイコブを見つける。魔法動物に噛まれた人間は、48時間、何が起こるかわからないので経過観察しなければならない。ニュートとジェイコブは、テイナの申し出に従って、テイナのアパートに、とりあえず落ち着くことになった。テイナには美しい妹クイニ―が同居していて、彼女は人の心を読むことができた。優しいクイニ―に、ジェイコブは一目惚れする。
ニュートはジェイコブを、自分の鞄のなかの動物の世界に連れていく。鞄の中には広い森があり、沢山の動物たちが住んでいた。ニュートは鞄から逃げ出していたエランペントをジェイコブの協力を得て捕まえて、鞄の中に戻してやる。

一方、街では次期大統領候補の上院議員だった男が衆人の前で黒い光る眼を持った動物に殺された。米国魔法議会では、ニュートの持っている動物が、犯人だと断定した。ニュートとテイナは逮捕されて、死刑を言い渡される。しかしニュートのポケットにいつも潜んでいるボウトラックルなど、魔法の動物たちに助けられて二人は脱出する。
頻発する街の破壊や議員の死などの不可解な出来事は、オブスキュラスという魔法界の生き物のせいに違いないが、それを誰が操作しているのか、米国魔法議会長官のグレイブスは孤児のクレデンスに調べるように命令する。クレデンスは、それが同じ孤児で妹のチャステイテイーだったことを知る。孤児たちは養母に暴力で支配され、体罰を受けながら虐められてきて、その恐怖心や憎悪心がオブスキュラスの原動力になっていたのだった。クレデンスは、自分もオブスキュラスになって街じゅうを破壊する。それを知ったニュートとテイナは、クレデンスがオブスキュラスになって、人々を傷つけることを止めさせ、改悛させようとする。しかし時遅く、クレデンスは米国魔法議会の警官に殺されてしまう。クレデンスを後ろから操作しようとしたグレイブス長官は逮捕された。拘束されたグレイブスは、見る見るうちに顔が変わって、実の姿は、闇の魔法使いグリンデルワールドになった。(グリデルワールドは、ハリーポッターでダンブルドア校長先生の親友だった。)

孤児クレデンスは殺され、グリンデルワールドは逮捕されて、破壊されつくした街だけが残った。
ニュートはサンダーバードを呼び寄せる。破壊された街を蘇らせるための魔法の薬を撒きながら、サンダーバードは空高く舞って、街をもとの姿に再生した。
ジェイコブは、記憶を消されて人の世界のもどっていった。彼は、ニュートと一緒に魔法の動物たちに餌をやり世話したことも、魅惑的なクイニ―に恋をしたことも、もう覚えていない、一介の工場労働者だ。

しばらくしてジェイコブは、どこかで見たような鞄を受け取る。中に銀の卵が入っていて、それを資金に彼は念願のパン屋を始める。彼が焼き上げたパンは、なぜか二フラーやエランペントや、ヌントゥーの姿をしたパンで、とても美味しいので、飛ぶように売れるのだった。
というお話。

これはファンタステイックビーストの第1話で、これからハリーポッターみたいに、ずっとニュートの旅は続いて、お話も続いていく。ハリーポッターでは、次々と紹介される魔法学校の魔法の術や、魔法の薬や登場する魔法界の人々が興味深かったが、今度の作品では魔法の動物たちが面白い。ニュートの鞄の中が大きな森のなかの宿舎になっていて、保護された動物たちが、のびのびと暮らしている。動物たちはそれぞれが強い個性と特徴を持っていて、共通して巨大になったり元の大きさに戻ったりできる。ニュートは全員の動物たちの親代わりだ。

仕事に忠実で真面目すぎるテイナに、引きずられっぱなしの人見知りするニュートが面白い。また工場労働者のジェイコブが、夢だったパン屋を開くために銀行に融資を依頼しに行くが、「いまどきパンなど機械で1分間にいくつも焼ける時代に手焼きパンなど誰が食べるか、」と、銀行支店長は取り付く島もない。憎々しい。非人間的な銀行員とその対象的な、人の良いジェイコブが鞄を間違えて持って行ったことで魔法界の人々に関わっていく筋道が、とても自然だ。動物が好きで優しい心を持ったどうしが、魔法界の人であろうが、人間界の人であろうが互いに魅かれ合っていく様子に、心がなごむ。そして、魔法界の動物たちの愛らしい事。

原作者が映画の製作に立ち会って、登場人物や登場動物のひとつひとつが彼女のイメージどうりに撮影されているかどうか、厳密にチェックしている。映画監督と原作者の共同制作と言って良い。1920年代のニューヨークの風景や人々の姿などを、明るすぎなくてセピア色に煙っているような画面に仕立てたところが見事だ。キラキラ太陽の下で、明るい画面だったら安っぽくみえただろう。
繊細で、人付き合いが苦手な学者のイメージに、エデイ レッドメインは適役だ。この役者の持ち味の良さで、今後のファンタステイックビーストシリーズを成功させていくことだろう。エデイは歌って、踊ることもできる、舞台俳優だ。アカデミー主演男優賞を受賞した「博士の彼女のセオリー」、「レ ミゼラブル」が代表作になるが、きっとこのシリーズで子供から大人までの幅広い層の人々を、不思議な動物とともに、今後も魅了させてくれることだろう。

マザーグース、グリム兄弟、アンデルセン、各国伝来の民話、デイズ二ー、PX、宮崎のジブリ作品など、数えきれない子供向けのファンタジーが作り出されてきたが、「ハリーポッター」や、「ファンタステイックビースト」シリーズを、読者が、同時代を生きる作者が作り上げる順に、読んだり観たりして堪能できて幸せだ。これらのシリーズがすべて、たった一人の今を生きる1965年生まれの女性の頭の中から生まれた、ということに改めて驚愕する。





2016年11月7日月曜日

映画 「ホークソウ リッジ」良心的兵役拒否者の沖縄戦

原題:「HACKSAW RIDGE」
監督:メル ギブソン               
キャスト
アンドリュ― ガーフィールド
サム ワーシントン
ルーク ブラッセイ
ヒューゴ ウィービング
レイチェル グリフィス
テレサ パルマ―
ビンス ボウグ
成瀬龍三郎 (シドニーで撮影が行われた為、私のギターの先生も日本兵になって出演している)
他、日本人出演者多数

この映画は第二次世界大戦の中で最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに兵役志願した青年が、戦闘の最前線から沢山の傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。反戦映画。
今年9月のベニス映画祭で、初めて上演され、10分間のスタンデイングオベーションを受けた。主人公デスモンド ドス(1919-2006)は、セブン アドベンテイストのクリスチャンとして、自ら兵役を志願したが、敵兵を殺すことも 武器を所持することも拒否して入隊し、グアム、フィリピンのレイテ島、沖縄戦に参戦した。
沖縄上陸後の地上戦で、75人の負傷者を最前線の戦闘場面から一人ひとり背負って救助した勇気と英雄的人道行為を高く評価されて、トルーマン大統領から、軍人として最も名誉あるメダルオブオーナーを授与された。彼は数々の戦闘に参戦し、結核を患い退役し、87歳で亡くなった。彼の少年時代から沖縄戦に至るまでのドスの半世紀が描かれている。

ストーリーは
ドスの父親は第一次世界大戦でメダルを’受賞された名誉ある帰還兵だったが、親しかった友人をことごとく目の前で亡くして その心の傷からアルコール中毒になって妻に暴力をふるうようになった。父親の暴力に怯えながらも ドスは兄と一緒に、自然豊かなバージニア州リンカベルの田舎で少年時代を送った。成長してから美しい病院の看護師に出会い、恋をして結婚の約束をするが、すでに太平洋戦争が始まっていた。

ドスは、パールハーバーで日起きた日本軍への怒りから、軍に志願して国の為に貢献したいと考えて、入隊する。新兵としての営巣生活が始まり、射撃訓練も始まった。しかしドスは、銃に触れることを拒否する。そのためにドスの所属する部隊は、罰を受けて上司たちからもっと厳しい訓練を科せられたり、新兵虐めにさらされるようになった。怒った仲間たちは、ドスを半殺しの目にあわせる。隊長をはじめ、上官たちは困惑する。
軍組織で上官不服従は、厳罰に値する。精神病医から精神鑑定を受けさせられたり、聞き取りや、カウンセリングが行われ、彼は懲罰房に入れられ、遂に軍規不服従で軍法会議にかけられる。しかし、英国を始め多くの国では、すでに良心的兵役拒否は合法とされていて軍として、志願者を拒否することはできない、という認識からドスは、希望通りに隊に復帰することになった。

1945年3月、沖縄の海はすでに連合軍の艦隊に包囲され、連合軍の沖縄本島上陸によって地上戦が開始されていた。日本軍は本土への連合国軍上陸を阻止するため、沖縄戦を全力をかけて戦闘に臨んでいた。ドスの所属する部隊は沖縄本島浦添の基地から、ホークソウ リッジと呼ばれていた120メートルの絶壁を登って、進軍しようとするが、日本軍の激しい攻撃にさらされ、昨日まで寝食を共にしていた仲間たちは次々と倒れる。余りの攻撃の激しさに、退却命令が出た。
しかし、ドスは目の前で親友に死なれて、どうしても退却することができず、ひとり最前線に戻る。沢山の仲間が傷を受けて動けずにいた。彼らは後で見回りに来る日本兵に、次々と銃剣で刺されて殺される。ドスは敵に見つからないように一人ひとり、けが人を背負って移動し、岸壁からザイルで負傷者に体を固定して120メートル下の基地に下ろした。こうしてドスは、敵兵に追われながら、75人の負傷者を、たった一人で保護、救出した。そんな武器を持たずに戦争に参戦した「腰抜け兵士」と言われてきたドスを、隊員たちは驚きと尊敬の念をもって迎えた。というお話。

ど迫力。
超リアル。
スゲー。
戦闘のリアリテイをこれほど画面で描写された映画を、他に知らない。
ヒューン ドス、ピューン ブスッと撃ち込まれる銃弾によって体に穴があき、みるみる銃創が開いて血が噴き出る。頭を少し上げただけで銃弾がヘルメットを貫通する。バビューンと砲撃を受け、土が跳ね上がり体が宙に浮き地面にたたきつけられた時には手足が吹き飛んでいる。シュッと手りゅう弾が飛び、地面に穴が開き、その土の上をバラバラになったからだの部分部分が落ちてくる。雨のように降って来る銃弾を避けて穴に飛び込んだら、そこは仲間の血にまみれた死体の山。体中に蛆がわき、ネズミが肉を食む。助け起こした男の背中を見ると蛆で真っ白。火炎銃で焼き尽くしても焼き尽くしても、恐れを知らない日本兵は突撃してくる。

映画「プライベート ライアンを救え」の最初のシーンが思い出される。ノルマンジー上陸を前に、海からボートで上陸しようとする連合軍兵が、次々と狙撃されて死んでいくトップシーンだ。敵は見えない。ボート上の兵士たちは上陸ををめざして、ただ前を見ているだけだ。陸はまだ遠い。隣に居た仲間も前も後も、ただ黙ってなすこともなく次々と撃たれて殺されていく。それでも生き残った者は、上陸し死体の山になっている海岸を死体を踏み越えて敵兵に向かっていく。衝撃的な映画の出だしだった。トム ハンクスが良い師団長を演じていた。しかし、このときの衝撃など、この映画の1%程度の衝撃度か。

この映画ほど戦闘場面の激しい描写を、他に見たことがない。何といっても、監督がメル ギブソンだ。うーん、、。彼のリアリズム描写には勝てません。もうお手上げ。
ギブソンの「パッション」、原題「THE PASSION OF THE CHRIST」2004年作品は、キリストの生涯を描いた作品だったが、ローマ人に捕えられてから、彼が死に至るまでの描写があまりにも聖書に忠実で残酷すぎて、暴力的映画だと、世界中のクリスチャンからブーイングされた。むち打ち刑と、十字架を背負ってゴルゴダの丘で命絶えるまで、延々と痛みと乾きと苦しみを画面いっぱい見せられて、そのあまりの長さと残酷さに私もクリスチャンでなくとも死ぬかと思った。

メル ギブソン、1956年生まれ、60歳の映画監督は、アメリカ生まれのシドニー育ち、オーストラリア唯一の俳優養成所NIDA出身だ。敬虔なカトリックで 11人の兄弟の6番目。自身の家庭も子沢山で、超伝統的カトリック教徒として、妊娠中絶も避妊にも反対している。
1995年「ブレイブ ハート」を監督主演して、アカデミー賞監督賞を受賞され、2006年には「アポカリプト」を、その時代のマヤの言語で役者に演じさせて、映画字幕をつけた。2004年の「パッション」も、キリストが居た当時のヘブライ語、ラテン語で映画が制作されていて字幕つきだ。彼の名が世界的に認められるようになったのは、監督として成功する前に、役者として「マッドマックス」1979年、「マッドマックス2」1981年で人気が出てからだろう。でも私は、メルの最も最初の頃の映画「ガリポリ」 が一番好きだ。若くてういういしい少年の、懸命に走る姿が、忘れられない。
メルも その後ハリウッドでたくさんのスキャンダルにまみれて、「パッション」では多くのキリスト教団体やユダヤ人団体から批判の嵐のさらされ、「アポカリプト」ではペルー国民をはじめ、南米現地の人々からこき下ろされて、アメリカに永住することになって、シドニーッ子からはオージー国籍を捨てた裏切者と言われ、いまやハリウッドの頑固者、石頭、偏屈者と呼ばれるオッサンになった。素晴らしい。

映画では、良心的兵役拒否者の半生が描くことによって、強い反戦へのメッセージが伝えられている。デスモンド ドスが子供の頃、兄とふざけていて取っ組み合いのけんかになって思わずレンガで兄を殴って、殺してしまうところだった。また、飲んで母に暴力をふるう父親に向かって銃をむけて、思わず父を殺してしまうところだった。このことからドスは、自分が人を殺すつもりがなくても、武器を持っていたら、人を殺すことができるということを、身をもって学ぶ。そこから彼は二度と武器は持たない、人を殺さない決意をする。その決意の強さは、軍事裁判に引きずり出されても、仲間から半殺しの目にあっても変わらなかった。その鉄の様な決心の強さが映画のタイトルに重なっている。

映画にアフリカンアメリカ人が一人も出てこない。インデイアン出身の志願兵が、その肌の色でみんなの前で隊長に馬鹿にされるシーンが出てくる。当時のアメリカ社会の差別が しっかり描かれている。

ドスを演じたアンドリュー ガーフィールドがとても良い。イギリス人でシェイクスピア劇団できちんと舞台俳優として教育を受けている役者だ。映画「スパイダーマン」でも感じたが、彼独特の舌足らずな話し方が可愛いけど 映画が聞き取りにくい。映画の中でドスのことを 隊長がスキニーボーイ(やせっぽち)と、愛情をこめて言うが、彼の様に背が高いが痩せた青年が、鉄を切るのこぎり(HACKSAW)のように強い、(RIDGE)背中をもっている。その背中に負傷者を背負ってひとりひとり最前線から運んで救助救命した姿に、心打たれない人は居ないだろう。彼は傷ついた日本兵さえ救助している。

日本軍の牛島司令官の腹切ハラキリ場面も出てくる。沖縄に無数に有るガマと呼ばれる洞窟の中を、はい回るシーンもある。激戦地で連合軍と日本軍との間で、どんな熾烈な戦闘があったかは描かれているが、そのときに女子供をふくむ非武装の沖縄住民がどのように追い詰められていたかについては、まったく触れられていない。

最後に良心的兵役拒否について
良心的兵役拒否は、徴兵制のもとで、個人の信念、信条、宗教的理由から兵役を拒否することを言う。聖書のマタイ26、52では、「あなたの剣をもとのところに納めなさい。すべて剣を取るものは剣によって滅びるのです。」 という教えがある。武器を持たない、人を殺さないことを主張するクエーカー教徒、やエホバの証人の多くは、この教えをもとに兵役拒否をしてきた。現在では多くの国で、徴兵制度が廃止され、良心的兵役拒否者も減ってきたが、過去には米国でも銃殺刑の前例もある、厳罰の対象だった。その後1948年国連の、思想 信条、宗教の自由は人間の権利でありそれを保障しなければならないという考えから、兵役義務のある国において良心的兵役拒否は、人間の権利として認めるようになってきた。英国では早くから兵役拒否が合法化され、第二次世界大戦では6万人のクエーカー教徒が兵役拒否をして、7000人余りが戦闘要員ではない任務にあたっていた。徴兵制が廃止される前のドイツでも、兵役の代わりに代替労働として市民公共サービスに奉仕することが取って代わられていた。
現在170か国のうち、67か国に徴兵制度があり、そのうちスイス、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、オーストリア、台湾では、兵役拒否が合法化されている。しかし他の多くの国では、建前で兵役拒否できても、代替労働が兵役期間よりも長く労役義務に就かなければならなかったり、現実にはイスラエルやトルコといった国では、今でも兵役拒否が審査の段階で認められなかったり、禁固刑に処されたり、就学就職で差別を受けることが多い。
韓国では、兵役拒否は法的に認められておらず、毎年700-800人が兵役拒否で有罪となり禁固刑に服している。その多くがエホバの証人の信者だ。2000年から2008年の間に役5000人の兵役拒否者が実刑を受けたという。今年2016年1月に、実刑判決を覆し、控訴審で無罪になった25歳と29歳のエホバの証人の兵役拒否者が、日本旅行のために来日した際、関西空港の入国審査で入国できず強制的に帰国させられるという事件が起きている。なんてことだ。

良心的兵役拒否は、旧日本軍や、日本社会にとって最も理解され、受け入れられる余地のない思想だったのではないだろうか。社会の中で個人というものが確立され、個人の思想、信条の自由が尊重されている成熟社会でなければ起こり得ない。
赤紙ひとつで戦争に駆り立てられ、有無を言わずに戦場に送られて、上官に従わなければ厳罰が待っている垂直型、縦割り社会の旧日本軍では、個人の自由を尊重し人間としての権利を認めるなどあり得なかった。かの大戦で、日本軍が最も沢山の非武装市民の命を奪った沖縄戦で、連合軍側の良心的兵役拒否者が日本兵を含む、沢山の負傷者を救助したという美談には、素直に感動する。

沖縄上陸後の地上戦では、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人、後方の兵士を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方、日本軍は総勢11万6400人。沖縄出身の軍関係者の死者は2万8222人、一般市民の死者9万4000人に対して、本土から来た軍関係戦死者は6万6千人足らず。
記録されているだけでも800人の非武装の沖縄住民が、日本軍によって殺されている。沖縄県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者で。その数は、軍人の死者数を大きく上回る。非武装の住民たちは、自分たちの生活の場を日本軍に奪われ、連合軍に完全包囲されたあとは戦闘に巻き込まれ、白旗を上げて投降した婦女子は、住民を守る筈の日本軍から、後ろから撃たれて死んでいった。生きて辱めを受けるなと命令し、集団自殺を強いた日本軍人たちの非人間性は、どんなに糾弾しても糾弾し足りない。そんな中を司令官だけが切腹して逃げ切るなど、何の道徳も倫理観もない姿は、滑稽でさえある。何が日本の美だ。醜悪そのものだ。そして日本軍の例えようもない命の軽さ。

その同じ戦闘で、連合軍側では丸腰の救護兵が負傷者をひとりひとり肩に背負い、救出し、そのあと本国に無事送り返していた。何という軍隊の在り方の相違だろうか。
「命どう宝」沖縄の言葉の重さを考えて、ふたたび心の痛みを確認する良い機会だった。
とても良い映画だ。見る価値がある。


2016年10月25日火曜日

映画「シンゴジラ」駆除も捕獲も殺害もなしでゴジラは永遠なり






監督:廣野秀明 樋口真嗣
キャスト
内閣総理大臣補佐官:赤坂 :竹野内豊
内閣官房副長官:矢口蘭堂 :長谷川博己
米国国務省代表カヨコ アン パターソン:石原さとみ
環境庁自然環境局野生生物課長補佐: 尾頭ヒロミ
大河原総理大臣 :大杉蓮

ストーリーは
2016年11月 東京湾羽田沖で突然、大量の水蒸気が海底から吹き上げられると同時に、海底を通る東京湾アクアランドトンネルが崩壊する。何が起こっているのか。政府は緊急会議を開くが、大勢は地底火山の噴火と考えて政府の対策が後ろ手にまわる。内閣官房副長官、矢口蘭堂はネット上の人々の目撃証言や動画から、巨大生物の存在を示俊する。
時を経ずに巨大なこのヘビ状の生物は、東京湾から多摩川を遡上して蒲田に上陸、周辺地域を破壊しながら品川に達し、変態して2本足で歩き始め、また東京湾に姿を消した。そのたった2時間の間に、建物の破壊だけでなく死者、行方不明100人を超える被害が出た。
巨大生物はゴジラと名付けられ、政府は巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)を設置し、矢口蘭堂が事務局長に指名される。

一方漂流中の無人ボートが発見され、それがゴジラの生態を研究していた牧悟郎博士のものとわかった。博士は、「自分は好きにした、今度はお前たちが好きにしろ」、という謎のメッセージを残して姿を消していた。博士が残していたゴジラの遺伝子に関する暗号を解析するために、特殊専門家たちが招集された。ゴジラは驚くことに、体内に原子炉にかわる器官をもっていて、核分裂でエネルギーを供給していた。

その後、再びゴジラは、さらにその体を倍に増強して、鎌倉に現れた。
今度は前回出遅れた自衛隊が出動し、在日米軍の支援も要請し、航空機による爆撃、戦車の出動、米軍の大型貫通爆弾攻撃が行われる。傷を受けたゴジラは、驚くことに、口から火を噴き始め、近辺を炎上させ、避難途中だった総理大臣や閣僚を乗せたヘリコプターも炎上、さらにゴジラは、背中のとげから無数のレーザービームを出して応戦した。しかしエネルギーの大量消耗によって東京駅まで到達して、ゴジラはそこで動かなくなる。

2週間はゴジラは動けない。その間に対策を立てないと、日本の存続にかかわる。
ゴジラの尻尾から剥がれ落ちた組織や血液からゴジラは、人の遺伝子の8倍の遺伝子を持った完全体であり、無性生殖で自己増殖することができ、進化も早く、小型化、有翅化することもできることがわかる。ゴジラは日本だけの問題ではない。国連安全保障理事会の緊急決議で ゴジラを核攻撃で完全抹殺駆除する案が決定される。
東京都360万人の住民が立ち退き命令によって緊急避難した。日本の地に再び核兵器が使用されるのか。矢口蘭堂は、牧博士が残したゴジラの細胞進化を止めるための化学薬品を突き止めて、これを血液凝固剤と共にゴジラに注入することでゴジラの動きを止めることができるはずだと主張する。被爆国として、再び核兵器が使用されることを、何とか止めたい。彼の専門チームの熱い説得で、自衛隊と米軍が共同で動き出した。

弱ったゴジラに向けて、爆弾を積んだ無人新幹線をゴジラに激突させてゴジラの動きを止める。米軍による無人戦闘航空機によってゴジラは火を噴きレーザー光線を出し尽くし、力尽きて倒れる。横になったゴジラの口にポンプ車が何百キロもの血液凝固剤と冷凍薬品を注ぎ込む。ゴジラは何度も立ち上がり、抵抗するが遂に、立ちはだかって尻尾を振り上げる姿のまま凍結した。
というストーリー。

シドニーの大型劇場の最前列の真ん中で観た。30年あまりも外国に居て日本語の日本映画が見られるのは、とても嬉しいことだ。ここでもゴジラは人気ものなんだ。
暴れるだけ暴れると消耗して2週間ピクリともせず動けなくなるゴジラが可愛い。海から上がって来たばかりの幼生ゴジラのウツボとも、蛇とも、ウーパール―パーとも、深海魚ともいえない目がくりくりした姿も愛らしい。ドバー ビシャ―と エラから赤い海水か体液を噴出させながら蒲田や品川を破壊しまくった幼生ゴジラ自身に罪はない。
最後も歌舞伎役者が大見えを切るように、勇壮に尾を振り上げた立ち姿で、凍り付いた姿も忘れ難い。ゴジラの動きは狂言師の野村萬斎が監督したそうだ。さすがだ。

ゴジラは、米軍によって繰り返し行われたビキニ環礁水爆実験によって誕生した。米軍は実に1946年から1958年までの12年間に23回も原子爆弾を使った。とくに1954年の実験では、第5福竜丸など1000艘の漁船が死の灰を浴び、この船長は亡くなり、近隣の島民たちに大きな被害をもたらせた。いまだに放射線が強く、島民は帰島することができないでいる。この実験ではヒロシマ型の原爆1000個分の爆発が起こされ、海底には2キロ幅、73メートルのクレーターができた。
自然界を破壊した人間の奢りに対して、放射能をもろに浴びた海底生物は その遺伝子を破壊され、再生された時にはヒトの遺伝子の8倍の遺伝子を持つ完全個体になっていた。その細胞組織は無限に再生増殖することができる。寿命のない完璧な生物の誕生だ。ゴジラは神か。

今回の映画で嬉しかったことは、映画で一度も「怪獣」という言葉が使われなかったことだ。この巨大海中生物は、核分裂をエネルギーにして、えら呼吸をし、核分裂から起こる放熱を火炎射出や、背中からのビーム放熱で発散させて、海水で体を冷やしている。元素変換装置を持っているから細胞が壊れても再生も進化もできる。こんな発達した体をヒトは欲しかったのではないか。

ゴジラは、米軍による武器開発過程で生まれた 原子爆弾の副産物と言える。核分裂をエネルギーとして、生きる新生物だ。ヒトをできるだけ効率よく殺傷し、人類が何世紀もかけて築き上げてきた文化を破壊するために核兵器が開発され、兵器産業がゴジラを生み出した。ゴジラ自身にはヒトを傷つける意志などないし、ヒトを攻撃や戦闘する理由もない。
凍結されたゴジラは、放射能汚染水の流出を、地下水凍結で止めようとして失敗した東電のフクイチの姿に重なる。日本政府は、対策を練ることもなく、毎日900トンの汚染水を太平洋に流出させながらそれを止める技術も才覚も、指導力もなく世界の顰蹙をかっている。

文明の発展と経済活動を進める上で核開発は避けられなかった。私達はウランを掘り、ラジウムを医療に利用し数々の治療薬や検査薬を生み出し、核分裂させてエネルギーを作り出し、核の破壊力を利用して兵器を作って来た。もう後もどり出来ない。

核の使用前に人類全体として核をどう扱うか世界的な管理、倫理協定を持つことができなかった。その結果として世界は核によって滅び、地球は死滅するしかない。
わたしたちは凍結したゴジラを横に見ながら、より破壊力を持ったゴジラが再び動き始める、その日まで、何もなかったようにメシを食い、仕事を淡々と続けるだけだ。

+写真は、ゴジラが飲み残した急速冷凍凝固剤を、うちのアルちゃんが、ストローでちゅるちゅる飲んでいるところ。

2016年10月23日日曜日

映画 「インフェルノ」とダンテの世界を生きる私達


                                                          


原題「INFERNO」
原作:ダン ブラウン
監督:ロン ハワード

キャスト
ロバート ラングルトン教授: トム ハンクス
シエナ ブロックス女医 : フェリシテイー ジョーンズ
WHO議長エリザベス シンスキー:シセ バベット クヌッセン
ベルナルド ゾブリスト : ベン フォスター
ハリー シムス : イル ファンカン
クリストフ ブルーダー:オマー サイ

ダン ブラウン原作の「インフェルノ」が映画化され公開された。3年前に原作が出版されたときに、すでに映画化されると発表されていたので、予定通りで、待ってましたーという感じ。前回 「ダ ビンチコード」(2003年)も、「天使と悪魔」(2000年)も、ダンブラウン原作、ロン ハワード監督で映画化されてきて、この「インフェルノ」が、彼らの第3作目に当たる。「インフェルノ」の書評は、2013年12月24日に、このブログで書いたが、すっかり忘れているので、ここで映画評の後ろに付け足してみた。

ダン ブラウンの作品は、緻密な歴史的考証をもとにして書かれているので、映画化するのに向いている。でもキャストについていえば、主役のラングルトン教授をトム ハンクスが演じるのは、もういい加減最後にして欲しい。ラングルトンは博識で、紳士で、50代らしいがチャーミングで独身生活を楽しんでいる。毎朝大学のプールで かるーく千メートルは泳ぐことを日課にしていて、英国仕立てのハリスのツイードジャケットが似合う、いわば男の理想像みたいな学者だ。トム ハンクスが役者では、軽すぎる。今回の悪役、ベルナルド ゾブリストを べン フォスターにしたことも、完全にミスキャスト。遺伝子工学の世界的な権威で天才的なドクターでおまけに富豪という役は、もっとカリスマのある人が演じないと映画が生きない。アクション映画の端役ばかりをやってきたベン フォスターにゾブリストでは、荷が重すぎる。

原作では良い人のはずだったクリストフ ブルダー(オマー サイ)や、準主役のシエナ ブロックスが、映画では悪者になってしまったのは驚きだったが、ラングルトンに、ラブロマンスの香りを付け足したり、原作にない暴力シーンが多かったことに、とても驚いている。
ロン ハワードの3作の中で、この映画が最悪の評価をされているらしいが、実際「ダ ビンチコード」や、「天使と悪魔」にはなかった原作のいじり過ぎが目立つ。いつの頃からアメリカ映画には、暴力とセックスが無くてはならないものになってしまったのだろうか。おかしいではないか。誰もがそういった傾向を好ましいと思っているわけではない。映画は芸術だったのではないか。ひまつぶしではないはずだ。原作から脚本を作り、撮影し音楽を作る、その過程は2年も3年もかかる総合芸術を生み出すための制作過程だ。原作をいじって、暴力とセックスを付け加えるのに断固反対。原作は映画よりも上か。勿論だ。特にこの映画は失敗作。トム ハンクスの老いさらばえた顔を見るよりも、原作を読んで知的好奇心を満足させる方が良い。

この作品のテーマは、ゾブリストが命を懸けて人々に問いかけた人口増加問題にある。私たちは、いま正にダンテの時代を生きている。ゾブリストが言うように「ヒトという種は多産すぎる。」 人口は増加する一方だ。水もエネルギーも食糧も足りない。地球の温暖化は止められない。人々は泥船を漕ぎ出して自滅に向かっている。WHOは何をしている。人口抑制のために開発途上国に無料のコンドームをばらまくだけだ。しかしWHOの職員が立ち去った後を、倍の数の宣教師がコンドームを使うことは神の意志に反していると説いて回り、途上国のゴミ箱には未使用のコンドームで溢れかえっている。70億に達した歯止めの効かない世界人口の倍増を前にして 解決策はあるのか。そんなわけで、ゾブリストは今後人々が子供を産まないようになり、徐々に人口が3分の1になるような解決方法を見出した。しかしゾブリストの解決策が誤っているならば、破滅に向かうダンテの時代を生きる我々人類に、生存できる道があるのだろうか。こういった差し迫った人類に課せられた問題について、答えを見つけられないでいる現状を作家は嘆いている。共感できる。だから原作がおもしろい。ハッキリ言って映画を観るよりも原作を読む方が、100倍面白い。



「ダン ブラウンのインフェルノ」を読んで 
2013年 12月24日

ダン ブラウンが大好き。
彼の書くロバート ラングルトンが大好き。
尽きることのない豊富な知識、過去の歴史をそらんじていて、ラテンを含む数か国語に通じていて、難解な暗号を読み解く。ハーバード大学教授だが、象牙の塔にじっとしていられない行動派で、気が付くとインデイアナ ジョーンズなみに冒険の旅に出ている。フェミニストで、謙虚な紳士。いつもイニシャル入りの特注手縫いのハリス ツイードを着てローファーを履いている、男の魅力の塊みたいなロバート ラングルトンを生み出した作家、ダン ブラウンは1961年生まれのアメリカ人。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究者という。

2003年に「ダ ヴィンチ コード」の出版を機会に、世界的なベストセラー作家となり、その前に出版していたが売れていなかった、2000年「天使と悪魔」も 一挙にベストセラー入りした。ロバート ラングルトンシリーズ第一弾の、「天使と悪魔」は、キリスト教のイルミナリティ組織と、聞いたこともなかった科学技術の「反物質」が出てきたし、「ダ ヴィンチコード」では、レオナルド ダ ヴィンチの絵に隠された暗号を読み、イエス キリストの今まであまり語られることのなかった挿話が描かれた。2009年の「ロスト シンボル」では、フリーメイソン組織の秘密性を暴き出した。出版されたばかりの2013年「インフェルノ」は、ラングルトンシリーズの第4作目となる。2013年10月に出版され、11月末に日本語訳で出版された。

2015年には映画化が決まっている。またラングルトンをトム ハンクスが演じるらしいが、原作に描かれているラングルトンは トム ハンクスよりもずっと魅力的な男で、作者ダン ブラウンの姿に近い。作者はハンサムで実にチャーミングな人だ。だから熱狂的なラングルトンファンはそのまま ダン ブラウンファンになって、両者を常に混同する。彼はインタビューで私生活を一切語らないマスコミ嫌いだそうで、そのためファンは一層 想像力をかきたてられてダン ブラウンをラングルトン以上のスーパーマンかバットマンのように思いがちだ。最近のインタビューによると、実際の彼は、毎朝4時にはキーボードに向かって執筆する退屈極まりない日々を一年365日していて、10ページ書いては、1ページを除いて捨てるような地味な作家なんだそうだ。
今回の「インフェルノ」は、ダンテの叙事詩「神曲」第一部の「地獄篇(インフェルノ)」が、謎解きになって、地球の人口増加現象が語られる。ラングルトンは殺人者に追われながら フィレンツェ、ベネチア、イスタンブールを駆け回る。いつもの通り、美人の協力者と一緒だ。おもしろくてドキドキしながら650ページを一気に読める。

ストーリーは
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングルトンは、目が覚めると頭に包帯、点滴でつながれてフィレンツエの病院に居る。どうして自分がイタリアに居るのか全く記憶がない。頭にぐるぐる巻かれた包帯は一体何だ。シエナ ブルックスと名乗る金髪の美しい女医に、自分に何があったのか、事情を聞いている内に、突然外が騒がしくなり病室のドアが開くと、シエナの同僚のマルコーニ医師が、突然闖入者によって撃ち殺される。とっさのシエナの機転で、ラングルトンはシエナのあとについて逃亡。バイクに乗った黒ずくめのプロの殺し屋の追跡をかわしながらラングルトンは、どうして自分が追われなければならないのか理由を考える。ラングルトンが何をしたというのだ。

シエナがラングルトンのジャケットの裏地に縫い込まれた円筒を見つける。ダンテの「神曲」を描いたボッチチェリの「地獄の見取り図」だ。しかし、おかしなことに、この見取り図には、原画にない暗号がついていた。ラングルトンとシエナは暗号が何を指示しているのか、知るためにヴェッキオ宮殿に侵入、ダンテのデスマスクを盗み出す。シエナは驚くべき高い知能を持った女性で、何度も彼女の知恵と機転に助けられながら逃亡、銃口から逃れながら、なぜ自分の命が狙われるのか必死で考える。デスマスクにはさらに謎の暗号が仕組まれていた。それを解くために二人はサンタマリア デルフォーレ大聖堂、ベネチアに飛んでサン マルコ大聖堂を彷徨った末、目的地が、意外にもイタリアではなく、イスタンブールだったことに気が付く。しかし、追っ手によって二人は分断されてしまい辛うじてシエナを逃がしたラングルトンは、敵に捕獲されてしまう。シエナは、先にイスタンブールに向かう。しかし、殺し屋と思っていたラングルトンの追っ手は、実は国際機関WHO議長ドクター エリザベス シンスキーとそのチームだった。シンスキーは説明する。

スイスの大富豪で生化学者ベルトラン ゾブリストは地球上の人類から人口爆発を食い止めるために、生物化学兵器ともいえる病原菌を仕掛けた。ダンテの熱狂的ファンでもあるゾブリストは暗号で病原菌を隠した場所を暗示するだけで、自から死んでしまった。彼は1300年代にペストがヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやったことで、生き残った人々が豊富な食料を得てルネッサンスの原動力になった歴史的事実を、高く評価していた。そして世界人口がこのまま増加すれば 資源も枯れ葉てて世界は滅亡するの違いないので、世界人口を3分の2に間引くため病原菌を仕掛けたという。この科学者の残したダンテにまつわる暗号を読み解いて一刻も早く病原菌を回収しなければ人類の危機に陥る。3日前にWHOからラングルトンは、病原菌を隠した場所を示す暗号を解くように要請されていたが、事故で記憶を失っていたのだった。

ラングルトンらの一行はイスタンブールに飛ぶ。ラングルトンの協力者だと思われたシエナは ゾブリストのかつての恋人で、ラングルトンが解きかけた暗号を読んで、病原菌の隠された場所にすでに向かっている。ようやくのことで、ラングルトンが突き止めた病原菌の場所は、観光客に人気のスポットで、その夜はイスタンブール国立交響楽団がコンサートを開いていた。演奏曲目は、フランツ リストの「ダンテ交響曲」。病原菌がばらまかれるまで数時間しか残っていない。ラングルトンは、、、。
というお話。

ダン ブラウンを読ませる力は「知」への欲求だ。彼の本は、知の集積というか、ハーバード大学の講義を聴いているようなものだ。ラングルトンはいつも追われながら、世界各地にある建造物や美術品の歴史的価値や構造や特徴や現代における価値を説明してくれて、さらに今まで誰も述べてくれなかったような不可解な古代の象徴に秘められた暗号や、本当の意味や価値を読み解いてくれる。旅行者には興味があっても行ったり、触れたりすることができない奥の部屋や、地下や、からくりのあるドアや、天井の作りまで、ラングルトンが逃亡しながら足を踏み入れてくれるので、知ることができて、自分が前に訪れて、見て聞いた観光名所に さらに愛着が増す。

例えば、ミケランジェロのフィレンツエ、ヴェツキオ宮殿のミケランジェロの傑作「勝利」の像は、ローマ教皇ユリウス2世の墓を飾る為に作られたが、同性愛を憎んだユリウスの心情に反して、像のモデルはミケランジェロが長年愛したカヴァエーリという青年だった。ミケランジェロは彼のためにいくつものソネットを書いている。それを知った特注者は、ユリウスの墓からこの像を遠ざけた。というエピソード。
またヴェネチアのサン マルコ大聖堂を飾る4頭の馬は、漆黒のオランダ馬フリーシアン種がモデルで歴史上最も盗難にあった美術品といわれる。無名のギリシャ人によって製作されたがビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持ち出された。その後十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させるとヴェネチアに運ばれて、1254年にサン マルコ大聖堂に設置される。そして500年後にナポレオンがヴェネチアを征服すると、4頭の馬はパリに運ばれて凱旋門を飾り、ナポレオンが破られると再び、ヴェネチアに運ばれた、というようなエピソードは、実際、この巨大な4頭の馬を観て、印象が深かったので、たまらなく興味がわく。

ラングルトンが説明してくれたイスタンブールの「沈んだ宮殿」に上下さかさまに置かれているメヂューサの巨大な大理石でできた頭を一度見てみたい。360年に建造されて、東方教会となりモスクに変わり、いまはキリストも、アラーも、モハメドもいるという「アヤソフィア」も、是非訪れてみたい。こうして、ラングルトンが解説してくれる名所や建物は、本の出版後必ず人気の観光名所になるそうで、各国の観光相からどんなに感謝されてもしきれないだろう。
この本に出てくる、フィレンツエのサンタ マリアデルフォーレ大聖堂、天国の門、サン ジョバンニ洗礼堂、ダンテの家、サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会、ヴァザーリ回廊、、ヴェッキオ宮殿の五百人広間、ポルタロマーノ美術学校、ボーボリ庭園、ヴェキオ橋、ヴェネチアのムラノ島、サンタルチア駅、大運河、水上バス、などなどラングルトンの解説は 月並みな旅行解説本と違っていつも興味を倍増させてくれる。ラングルトンを、「走り回る旅行ガイド」と言った人が居たが、的を得ている。
とにかく面白い。
「ダヴィンチコード」に比べると、驚きは少ないが、充分満足だ。