2024年4月26日金曜日

4国軍事同盟ジョーカスに反対

日本は米国、英国、豪国と軍事同盟を結んだ。
かねてから米国、英国、豪国はAUCUS(オーカス)3国間軍事同盟関係にあったが、これに日本が加わって、JAUKUS(ジョーカス)となった。

米国は世界一軍事予算が高く2022年で8769憶ドル、国のGDP比で3.54%だった。英国2.23%、豪国1.9%、日本1.08%。
日本は2022、防衛費の大幅増額と専守防衛だけでなく反撃能力の保持を含む安保関連3文書を閣議決定し、2023の防衛費は過去最大5兆5947億円を計上、今後5年間の軍事費をGDPの2%に引き上げることを米国に約束した。日本がAUKUSに加わったことで、米、英、豪3国は、日本の高度なロボット工学とサイバーAI技術の成果に大きな期待を寄せている、と報じられた。日本政府が5兆円で購入する装備は、巡航ミサイル、トマホーク、ステルス戦闘機、F35を147機、陸上基地にF35A機 100憶円を105機、おまけに空母用F35B ,140億円を42機、米国から購入する。米国製巡航ミサイル、トマホークは核弾頭を大型発射車両に載せて発射し、1300-2500キロ先を攻撃し、反撃ミサイルが飛んでくる5分以内に移動しながら攻撃するのだそうだ。そのためのミサイル基地が2019には、奄美大島と宮古島に、2023には石垣島に建設された。沖縄に限らず、全国130か所にミサイル弾薬庫ができるという。

日本政府は多数の武器を買い、国会の審議を経ず予算を組んだが、国家防衛には「事項要求」という特別ワクで金額を発表する必要のない別予算がある。武器購入の財源は、所得税、法人税、たばこ税などで足らず、増税を先送りし60年後に償還する。日銀は大量の国債を買い続けてきたが、今後はさらにそれが必要になる。インフレ、物価高、増税は避けられない。
また日本は、本格的な武器開発をし、次期戦闘機や防衛装備品を他国に輸出する予定だ。

私の住む豪国も同様だ。リチャードマールズ連邦副首相兼国防相によると、アルバニー二労働党政権は、海洋進出する中国、ウクライナ侵攻、不安定な中東情勢を理由に、現在2700憶ドルの国防費(33兆7千億円)を今後10年で、3300憶ドルに増額、国防費をGDP比で10年後には、2.4%にする予定だ。

インド太平洋地域の防衛のために、オーストラリアは米国と英国の技術を提供されて、アデレードで原子力潜水艦を建設することになる。5年前には潜水艦を日本から買おうか、フランスから買うかと言っていたのに、核を持たない豪国が急に米国製の原子力潜水艦を買うことになって、いったん契約をしたフランスに多大な契約違反の罰金を払った。原子力潜水艦だけでなく、陸、空軍の充実を図り、宇宙、サイバー空間の電子戦能力を向上させるという。
豪国も日本の「防衛費事項要求」同様に、軍の国家機密に関わるので、政府発表以外の軍備について、詳細はわからない。後ろでどんなことをやっているのか軍の機密は国民からは隠されている。

今後4国軍事同盟JAUKUSは、徐々に強化されていくことだろう。「軍拡」にむかって一直線に突っ走っていく4国の姿は、ただただ醜い。
わたしたちは人を殺すために生まれてきたのではない。他人の物を奪ったり、他人を傷つけるために教育をうけてきたのではない。わたしたちは人より多くのものを自分達だけのものにするように育ってきたのではない。スクリーンタッチひとつで人の命をもてあそんだり消したりするために、テクノロジーを学んできたのではない。わたしたちは少しでも良い人として生きたいと思って生きてきた。
4国軍事同盟に反対。軍縮、核廃絶を!
I am singing [ MOTHER ] written by John Lennon.


2024年4月25日木曜日

米国軍事援助予算 議会を通過

戦争が行われていて、それに大国が一方を加勢して1時間に1人の子供の命が失われることが日常化している。
1480億ドルの軍事援助予算が数か月の論議の末、米国議会下院を通過した。
940憶ドルがウクライナへ。400憶ドルがイスラエルに。180憶ドルが台湾の軍事力強化のために送られる。940憶ドルの兵器がロシア人を殺し、400憶ドルの爆弾がパレスチナ人民を殺し、180憶ドルの兵器で中国人民を殺すのか。

細かい軍事予算の内容は国家の機密事項に関わるのでわからない。しかし軍事予算は国が認めたことで、その資金は米国市民が収める税金だ。武器を生産して売ることで利益を得るのは、米国の武器産業と、政権指導層だけ。ロッキードマーチン、レイセオンテクノロジーズ、ボーイング、ノースロップグラマン、ゼネラルダイナミックスの5大軍需産業が、米国の経済を支えている。そろってユダヤ資本でオースチン米国国防長官はレイセチン社の幹部、ウクライナのゼレンスキーも、米国大統領バイデンの息子も軍需産業の役員だ。彼らの支持なしには大統領になれない。政権と武器産業との密接な癒着は明白だ。

その資金のもとになる米国市民の生活はどうだ。日本並みの健康保険はなく病人が公的医療施設で治療を受けられないでいる。街にあふれるホームレス。地下鉄駅に路上に凍える人々の群れ。ドラッグフェンタニールで2023年は、100万人が命を落とした。週に1500人の割合だ。また4万3千人が2023年が銃による暴力で命を落とした。米国という国に正義はない。
わたしたちは、ショーヘイ オオタ二と、テイラースウィフトに夢中になっているうちに、気付かぬうちに地獄の入り口にたっているのではないか?

I am singing [ Black bird ] written by Paul McCartney and John Lennon.


2024年4月16日火曜日

ボンダイジャンクション無差別殺傷事件

オーストラリア シドニーのボンダイで、先日の土曜日、無差別殺傷事件が起こった。
テロやヘイトクライムではなく、精神分裂病者の犯行だった。土曜の午後買い物を楽しんでいた6人の人々が命を落とし、犯行者は、駆け付けた婦人警官に撃たれたが、30センチ刃渡りのナイフで刺された乳児を含む重体患者は、未だに病院で治療を受けている。亡くなった6人のうち5人は女性で、1人の海外留学生以外はみな職業を持った社会人だった。 
事件の起こったボンダイは、海にもシテイ中心にも近く、オーストラリアに来たことのある人はほとんど訪れたことのあるだろう、居心地の良い場所だ。ニュウーサウス大学にも近く、私たちも昔は近くに住んでいた。

事件から2日経った現場の路上には、駆け付けた人々が持ち寄った花束がうず高く山になっている。2000人余りの人々が現場を訪れた。オペラハウスも黒いリボンで飾られた。人々は何故、どうして、こんな悲惨なことが❓、という疑問と、悲しい気持ちを表現するために集まってきていた。思いがけないことが起こると、その衝撃と心の傷を共有するために人々は花束をもって集まってくる。首相や政治家や、モスリム団体、ユダヤ人団体、学校の子供たち、事件に無関係だった人々も、被害者たちと関係のあった人々も、自分の気持ちを他の人々と共有し、死者を尊重し、追悼するために、やってきて肩を抱き合う。その追悼の列は時間が経っても止まないでいる。

2014年シドニーで、モスリムの男がカフェに立てこもって、中でお茶を楽しんでいた客とカフェのマネージャーを殺害した事件があった。テロと全く縁のなかったオーストラリアで事件が起こって、誰もが驚いたその翌日、私は仕事でシテイの現場近くを通りかかったが、平日だったので、近くの高層ビルから背広を着た人々が、続々と花束をもって出て来て、現場に花を供える姿を目撃した。そこはマーチンプレイスと言い、日本でいう霞が関オフィス街で、上はオフィス、階下がお洒落なカフェやクラブが並んでいる場所だ。そのオープンプレイスを、無表情に押し黙ったオフィスワーカーたちが、やってきて次々と広場を花で埋め尽くした。誰に言われたのでもない。それぞれが哀悼の気持ちを花に託して、事件の現場にやってくる、その姿に心を動かされた。

そうなのだ。悲しい時、悲しさを顔にも体にも言葉にも表して、わかってもらうことは大事なことなのだ。心の傷を受けた時、それに気が付かなかったり、気が付かないふりをしたり、気が付いていても否定したりしてはいけない。病気の時、元気なふりをしたり、病気を否定してはいけない。ありのままを表すことを怖がってはいけない。
私も今、FBにこれを書いている。こんな残念な事件が起こって、ドラッグ中毒や精神医療にもかかわっている医療現場にいるものとして、衝撃を受けている。残念で仕方がない。そのことを書いて、読んでくれる人に話を聞いてもらうことで、それがヒーリングになっている

I am singing [ Hey Jude written by The Beatles.



2024年4月10日水曜日

「パレスチナ解放闘争史」

重信房子さんが「パレスチナ解放闘争史」を書かれて出版された。
私が大学1年の時、封鎖中の明治大学学生会館を訪れたのが、1968の夏。大学教授の父親と衝突して父を傷つけることも、傷つけられることも嫌になっていて、学館が居心地が良かったこともあって、そのまま家出した。3学年上の重信さんと遠山美枝子さんは、良いお姉さんだった。
1969に塩見孝也が赤軍論を引っ提げて関西から上京し、ブント、共産主義同盟の学生組織、社学同は真っ二つに割れた。仲の良かった人はみんな、そっちに行ってしまった。残った人達も、戦旗派、叛旗派、情況派、関西派と次々に割れた。

デモに行くか、ひとりで山に行くか、ばかりしていた。穂高、槍ヶ岳、白馬3山、立山、剣岳、八ヶ岳。谷川。山は良い。夢のようだ。地上はあまりに醜い。遠山美枝子さんが死んだと聞いた翌年、榛名山に彼岸花の鉢植えを買って、山小屋のあったあたりに植えてきた。土が硬くきっと花は根付かなかっただろう。
ともかく重信さんが出所して書き続けてこられた結果が、立派な本になって良かったと思う。

イスラエル国が国際法や、国連による停戦勧告や、南アフリカが提訴した国際法廷など、すべてを無視し、法に違反してパレスチナへのジェノサイトを続けている。3万3千人余りが殺害された。無防備の女子供を完全武装の国家警備隊と、銃を持ったイスラエル市民が加わって殺害している。
南部ハンユニスからイスラエル軍が撤退していることで、エジプトで行われている停戦協定に期待がもたれているようだが、米国がイスラエルへの武器供与が止められるまで、それはあり得ない。米国大統領広報官が停戦を言い、イスラエル政府を批判して見せているが、その背後で全面的に資金、武器援助をして武力攻撃を続けさせている。米国議会で承認された数ミリオンドルで作られた米国製ミサイルは自転車操業で作るそばからイスラエル兵の手に渡っている。供給が続くかぎりやめるわけにはいかないのだ。おまけに米国大統領は、10月の大統領選挙に勝つためには、豊富なユダヤ資金援助なしに大統領になることができない。米国はイスラエルを怒らせるわけにはいかない。
イスラエル人の人質開放はあり得ない。ハマスは人質を解放してはいけない。
無条件停戦、パレスチナ難民への衣食住、医療の回復、ガザのインフラの再建、ジャーナリスト、エイドワーカーの活動保証、イラン、シリア、レバノンへの攻撃中止、ガザ市民の帰還が先だ。ラファに押し込まれている150万人の避難民が、人の住める状態になった家に帰ることができるための具体的計画が提示されて、初めて人質解放が課題に挙げられる。230万人のパレスチナ人の命か、100人のイスラエル人質の命か。2者択一することを許してはいけない。
ヤドリギサボテン、、「パレスチナ 放闘争业 1916-2024」というテキストの画像のようです
すべて

2024年3月25日月曜日

愛すべき職場の仲間たち

ビートルズ発祥の土地、リバプール生まれの仲間と約束するときは注意が要る。「すんだい、あいと あいと、ゆんぐわん ニード ふんどれっど むねー」と言う。青い目、金髪の彼女の前にして、即答できない。スンダイは日曜サンデーのことで、アイトは8時、次のアイトは今月8日のこと。ユングは、若い人のことでフンドレッドは、100だ。通して「8日の日曜日、若い人は100ドル入場料もってくるんだよー。」ということになる。

ドラえもんの瞬間通訳機を使っても、すぐには理解できない。
NHKのアナウンサーの発音で日本語を習った外国人が、九州や大阪のお年寄りと話して、すんなり会話が運ばないのとおんなじだ。
私の働く医療施設エイジケアでは、スタッフが英国、アイルランド、ニュージーランド、チリ、シヲラレオーネ、ガーナ、フィージー、サモア、タイ、フィリピン、バングラデイシュから来ている人々で成り立っていて、マネージャーはネパール人、副マネージャーがオージーだ。いったん職場に入ったら母国語は使ってはならないことになっている。誰もがみんなみんなナマリのある英語を使っている。アフリカの人が怠惰で、アジアの人が几帳面ということは全くない。国籍に関係なく、できる奴はできるし、ダメなナースはダメなままだ。面白いことに、子供の時から英語で教育を受けてきたオージー、ニュージーランド、フィリピンの人ほど、書かせると悪字、文法の間違い、誤字脱字が多いことだ。
でもみんな仲が良い。18年間もこの職場にいる。74歳になった今も辞められない。

言葉が通じなくても、ナマリがひどくてよく理解できなくても、人は仲良くなれる。コツは自分が正しいと思わないことだ。
私が日本語で嫌いな言葉、おそらく東日本大震災くらいから流行ってきた言葉「寄り添う」という言葉だ。「被害者に寄りそう」「障害者の気持ちによりそう」と、高みに立っていわれる方はたまらない。嫌な男に一方的に寄り添われることは、文字通りの「暴力」だし、この上なく気持ちが悪い。他人に寄り添ってやれるほど自分が偉いと、思ってはいけない。

外国人と関わるコツは自分が正しい教育を受けて、正しい英語を使っている、と思い込まないことだ。変な英語を使う人と話すときは、相手も自分を変な英語を使っていると思っているはず。それを踏まえて、臆せずに会話すればどんな外国人とも仲良くなって一緒に仕事ができる。
いま恥ずべき世界一のレイシスト、シオニズムに毒されたユダヤ人が、自分以外の民族を憎み、人として尊重することができないでいる。「唯一正しいユダヤ教以外は宗教ではない」、自分たち「神によって選ばれた民族」以外は人ではない、と断じて平気で女子供を殺害している。5か月で3万人以上の無防備な人々を、完全武装の兵士たちが殺しまくっている。病院を封鎖し、傷病者に銃弾を浴びせ、医師など医療従事者を監獄にぶち込んでいる。

その姿は80年前に日本兵が、韓国や中国やアジアの国々を侵略し殺しまくった姿にそっくりだ。
言語や肌の色や、文化、宗教が異なる人々に残酷になれる人の弱さ。「我は天皇の子」だからと高みに立って他国を侵略した罪は、どんなに反省しても反省し足りない。
誰とでも仲良くなれる人は、自分と違う人を自分と同じように大事にできる人だ。そんな当たり前のことが、マルチカルチャーの国で、マルチカルチャーの仲間と一緒に働いて、すごくよくわかった。それが嬉しい。
写真は職場の大事な仲間たち。

The World Best Nursing Team !!!



2024年3月22日金曜日

再び映画「オッペンハイマー」

今年のアカデミー作品賞と監督賞も、ゴールデングローブ作品賞と監督賞も、「オッペンハイマー」が獲得した。
原子爆弾を世界で初めて開発した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた作品だ。
彼は実験を成功させたが、ヒロシマ、ナガサキの被害の甚大さを見て、以降の水爆開発に関わることを拒否したので、国からは裏切り者、コミュニスト、ソ連のスパイだというレッテルを張られて「国賊」として半生を生きた。日本では原爆への拒否反応が強く、映画公開が1年近く遅れた。私がこの映画を見て紹介記事をFBに書いたのは、去年の8月9日だ。
この映画について、すでに2回、記事を書いたが、やっと今月の26日から日本で初公開される、というので、再び書く。

子供の時から「反核」平和運動に関わってきた。外国に居て日本のことを話して、、と言われると、いつも、日本は原爆でヒロシマ、ナガサキに被害を受けたにも関わらず、50基以上の原子力発電所を持った火山と地震の国だと説明してきた。それは今でも変わらない。被爆国であり、被害者への補償がまだ未終了であり、フクシマの地震と放射能被害から13年経っても、いまだに3万人の被害者が避難しているにも関わらず、原子力発電所を世界に輸出し、国内でも再開している政府など、信頼に値しない。

日本は敗戦間際だったのに、原爆を落とされて壊滅的な被害を受けた。人道的立場に立って米軍に謝罪させるべきだ、と言う人がいる。しかし日本はナチス同様、多国侵略の無謀を繰り返した。日本軍の攻撃性を、原爆投下によってやっと戦争を終らせることができた、というのが世界の定説になっている。異論もあるだろう。しかし、原爆投下の前、1945年7月26日、その前から何度も米国から進言されていたポツダム宣言を、天皇はもとより、鈴木貫太郎首相は「ポツダム宣言は黙殺する。戦争邁進せよ」と発表している。
この時点で、ニューギニヤでは第18軍10万人の日本兵氏のうちの9万人が戦闘ではなく「餓死」して亡くなっていた。この時点で沖縄では6月23日に戦闘は終結、牛島満司令官は捕虜になるのが怖くてサッサとハラキリ自殺していたが、住民は敗戦を知らされず、白旗を上げて投降すれば日本兵に後ろから撃ち殺され、洞窟に隠れていた住民は米軍の火炎放射器で焼き殺されていた。南洋の島々やフィリピンのジャングルで兵士は餓死するか、武器なしで万歳攻撃を強制されていた。
日本軍は中国人を、軍民合わせて1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアで800万人の人々を殺した。敗戦間際と言うが、7月26日の時点でだれ一人降伏する、敗戦だと言っていない。ポツダム宣言黙殺、戦争邁進の命令は原爆が投下されたあと、8月15日大本営天皇が、玉音放送するまで続いたのだ。原爆投下は、繰り返し勧められた無条件降伏を拒否し、戦争を長引かせた天皇にある

いつまでも原爆被害者を主張するだけで、加害者であったことを都合よく忘れる日本の気風には我慢ができない。原爆で家族を殺された命への痛恨は、ナパーム弾で焼き殺されたベトナム解放軍兵士や、クラスター爆弾で殺されているガザの女子供たちや、白色リン弾で焼かれる子供たちや、酸素を止められて死んでいくガザの未熟児たちの痛みと、その死の重さは同じだ。
自分にとって原爆とは何だったのか。日本人としてそれを外国人にどう説明するのか。それを考えるきっかけになるのなら、この映画は見る価値があると思う。



2024年3月11日月曜日

映画「君たちはどう生きるか」

3月10日に開催された2024年、第96回アカデミー賞授賞式で、長編アニメーション映画賞を、宮崎駿の「少年と鷺」(君たちはどう生きるか)が受賞した。
沢山の人が見守る中でステージに上がってオスカー像を受け取る人が、居なかった。前代未聞のことで、受賞式のオルガナイザーにも知らされていなかったらしく,オスカ―ベテラン司会者ジェンミーキンメルは、「The Boy and The Heron」の「ボーイは来れなくってもヘロン:鷺だけでも、飛んできてくれればよかったのにね。」と会場を笑わせた。

宮崎駿の作品は世界で愛されている。ジブリの名はデイズニーくらい有名だ。またアカデミー賞は映画界にとって歴史も古く、受賞歴が映画関係者のキャリアに直結する重要な賞だ。沢山の人の厳しい選考を経て選ばれた作品は、世界中で繰り返し上映される。受賞した役者は、「オスカー俳優」と呼ばれ出演契約金が跳ね上がるだけでなく、後々まで名前が尊重される。
授賞式に来られないならメッセージを送り、ステージで司会者に読んでもらえばよいし、アカデミー賞自体に批判的ならば、なおさらそれを声明で発表すべきだ。この賞も昔は、「白人だけ、男だけ、ユダヤ人サポーター向け」と批判されたが、随分と改革されてきた。受賞したのに、「黙って背を向ける日本人、何を考えているかわからない日本人」という典型的な日本人評価を上塗りした。すぐれた作品なのに、とても残念だ。

「THE BOY AND THE HERON 」(少年と鷺)
宮崎駿が引退してジブリでの活動を終えて、会社も解散してもう誰も新作を期待しなくなって数年,、、彼が最後の作品で描ききれなかった「最後の最後の作品」は、実際のところ準備に2年半、実作業に5年、合計7年半の時間をかけて制作された。
最終作品と言われた「風立ちぬ」で表現しきれなかった戦争が再び、ここで描かれる。「風立ちぬ」ではWW2で日本軍で活躍したゼロ戦の設計をした技師が主人公で、実際飛行機の設計技師だった監督の父親がモデルになっている。この技師にとって戦争による「喪失」とは、戦争で命を落とした300万人の日本人でもなければ、火炎放射器でガマに避難した沖縄の子供達が焼き殺されることでもなければ、ニューギニアのジャングルで人肉を貪り食った兵士達でもない。結核で徐々にその命の灯を消していく妻の溢れるほどの美しさだ。失われる貴族社会のお嬢様、三島由紀夫的な耽美的世界、それを技師は戦争で失った。

新作は神戸大空襲で街に入院していた母親が亡くなるシーンで始まる。少年とその父親は母の入院先に駆け付けようとするが、空襲による猛火で、街に近付くことができない。母親の手を握ることも、最後を見守ることもできずに少年は一番大切な人を失う。この世から忽然と消えてしまった母親の死を、少年は受け入れることができない。
戦争が終わり父親は再婚し、新しいお母さんとなる人を受け入れることはできるが、そうして始まった実生活と、影も残さず消えてしまった母親への喪失感は両立しない。
少年は1羽の鷺を道案内に、古い屋敷の朽ち果てた古城で、母親と邂逅する。母親は自分が思っていたような結核で弱弱しい姿ではなく、彼女が子供だった頃の元気で活発な女の子だ。そんな少女に少年は命を救われ、「サヨナラ」を言われて初めて、少年の母親がもう亡くなって、この世に居ないのだということを悟る。
この物語は、ギリシャ神話のオイデップス王の物語であり、少年も、あなたも、誰も、みんなが通過しなければならない「親殺し」物語だ。親との決別をして、関係を切って初めて独り立ちしていく成長物語だ。誰もが人は親に見切りをつけ、あきらめたり、憎んだり、尊敬したり、軽蔑したりしながら成長していく。そんな少年の沁みて痛む魂と、その歩みが美しいアニメーションで描かれている。
とても印象深い作品だ。
世界のゴールデングローブ賞、アカデミー賞に値する。