2024年3月5日火曜日

被害者を装う加害者シオニスト

この2月29日ガザで、救援トラックが運んできた食糧を待っていた人々が、イスラエル軍の発砲によって112人もが撃ち殺され、数百人が負傷した。
調査によってイスラエル兵の自動小銃と、戦車両方から人々が殺されたことが分かった。
イスラエル政府によると、イスラエル軍は銃撃したことは事実だが、「食料に群がる飢えた人々が互いに殺到したため踏みつけられ、そのためにたくさんの人が死亡した。」また、「兵士たちはトラックに群がった人々に対して、兵士たちが脅威を感じたから銃撃した、と説明した。さらに、イスラエル国防相は、飢えて、「危険な群衆を殺したイスラエル兵士達の英雄的行為は賞賛されるべきである。」また「このような危険な事態を繰り返さないためにガザへの食糧援助という危険行為を一切中止すべきだ。」と述べた。

そうだろうか?
私たちは、22万人ものパレスチナ人が囲われて避難していたガザで、10月7日から5か月余りの間、水道も電気もガスも燃料も止められ、パレスチナの人々を故意に飢餓に追い立てているのはイスラエル政府である事実を見てきた。やむなく人々が生活必需品を密輸入するために掘った地下トンネルを、イスラエル軍が次々と爆破し、コンクリートを流し込んで破壊する様子をニュースで見てきた。国連からの援助物資を積んだトラックが、イスラエル軍によってガザの手前で止められ、なすべくもなく延々と道路をふさいでいる映像を見てきた。
飢えた人々が援助物質を積んだトラックを取り囲んで何が悪いか。完全武装した兵士が自動小銃を構え、周囲は戦車で囲まれたキャンプで、5か月も水,電気ガス、燃料を絶たれた避難民が、どのようにしてイスラエル兵に脅威を与えられるのか。
イスラエルと米国などの西側メデイアは、作り話が好きだ。

君は覚えているか
1960年6月15日、東大生22歳、樺美智子さんが安保反対のデモの中、国会前で警官隊との衝突で亡くなった日のことを。マスメデイアは彼女の死を、デモ隊によって踏み殺された圧死だったと発表した。このときの悔しさを覚えているか。
君は覚えているか。
1967年10月8日、京大生18歳、山崎博昭さんが、佐藤栄作首相が戦火にある南ベトナムを訪問する事態を阻止しようと、羽田空港に向かう途中、機動隊の警備車に踏み殺されたときのことを。
2人とも死因は脳挫傷。樺美智子さんはデモ隊の踏み殺されたのではなかったし、山崎博昭さんは仲間の車に踏み殺されたのではない。

権力はいつも一体となってマスメデイアを使って創作する。
昨年10月7日にガザ市民の代表組織ハマスが、イスラエルを攻撃したから、22万人のガザ市民が酷い目にあって当然か? だから無防備のガザの市民が、2万人以上、命を奪われて当然か。
否、75年前に暴力的に故郷を奪われ、国際法を無視して16年間封鎖された地域に囲い込まれ、産業基盤を破壊され、農地を追われ,自治区と名ばかりで日々入植者に迫害されてきたパレスチナの民が、自由を求めて起こるべくして起こった10月7日を、記憶にとどめておく必要がある。
いま世界の指導者たちが、「6週間の停戦」を呼びかけて空っぽの頭を突き合わせて悩んでいる。
しかしパレスチナの人々の人権と、その生活が、イスラエルの人々と同等になる日まで、アパルトヘイトが無くなり、2つの民族が同じ人間として1つの国を持つ日が来るまで、平和はない。

On February 29,at least 112 Gazans were killed and hundreds more injured after Israeli forces opened fire on people who were waiting UN aids trucks. Israeli and western media reported [ The crowed was fired by Israeli defense force and by Israeli tanks. But actually the Palestinians stampeded and trampling each other which cause them harm.] Also Israeli soldiers felt threatened by the Palestinian crowd that's is why they began firing on people.
Then, Israeli Minister of National Security Itamar Ben Gvin took opportunity " to praise the Israeli Defense Force for heroically fighting off the dangers Palestinians." Also said " the incident proves it's too dangerous to allow aid trucks into Gaza. It's should be stopped all humanitarian aids into Gaza."
People who lived in Gaza 220000 people has been suffered with no water, no food, no electricity, no gas and their lives are threatened by bombs, and guns every day, every time, in every where, in Gaza for 5 months. More than 30000 have been killed and the number of death is rising every day.
The genocide and demolition of Gaza are alerting people to face the real fact in the world.
the truce is Israeli and US allied are killing innocent Palestinian refugee in Gaza with strong racism :Zionism and media is a lie with extremely egregious journalistic malpractice.
The world leaders are talking about 6 WEEKS CEASE FIRE right now. But, in reality, there can not be peace until Israel ceases to be an abusive apartheid ethnostate, to the Palestinians until all wrong of the past are made right.
I do not forget AARON!


2024年2月28日水曜日

パレスチナに自由をと抗議の焼身自殺

昨日2月27日、ワシントンのイスラエル大使館の前で、アーロンブッシュネル空軍兵現役、25歳は、「もはやジェノサイトの共犯ではいられない、パレスチナに自由を」と叫んで自らに火を放ち抗議自殺した。亡くなる前、彼はこう言った。
「私は過激な抗議行動をしている。しかしパレスチナで入植者がやっている過激さに比べれば比較にならない。私たちの支配者にとっては、こういった過激で残酷な行為は当たり前のことなのだ。」「パレスチナに自由を」
彼は、大使館前で立ったままガソリンをかぶり、火をつけて、最後まで繰り返し「フリーパレスチナ」と叫んで亡くなった。

At the Israeli embassy in Washington, an active duty member of the US Air Force, Aaron Bushnell set himself on fire had died. He said he did it in protest of the genocide in Gaza.
He told that, " I am active duty member of the US Air Force and I will no longer be complicit in genocide. I am about to engage in an extreme act of protest, but compared to what people have been experiencing in Palestine at the hands of their colonizers, it is not extreme at all. This is what our ruling class has decided will be normal."




2024年2月15日木曜日

29年目のオーストラリアホーム

オーストラリアデイ(建国記念日、アボリジニ国侵略日ともいう)が来ると感傷的になる。28年前のその日、マニラからシドニー空港に、2人の娘を連れて降り立った。空が真っ青だった。

親戚も親しい友達も何のつてもない国に、シングルマザーが子連れで来るなんて、何というクレイジーと言われたが、全然心配などしていなかった。生活できなくなったら道端でバイオリンを1日弾いていたら、その日に食べるくらい稼げるだろうと思っていたし。

娘たちはインターナショナルスクールで育っていたから、オーストラリアの学級を1級飛び級して大学に入り、それぞれ専門の学問に突き進み専門職に就いてくれて、親として何の杞憂もなくこれまでやってきたが、やはりこれは娘たちの努力の結果だったと思う。ありがたいことだ。
自分は医療通訳をしながら、看護職について公立病院の心臓外科に勤めた後、今のエイジケアに移って18年になる。
大昔の話だが、日本で看護師の資格を取って都立駒込病院に勤めたのは、1977年。給料は1か月9万5千円だった。少したって10万円になったときは嬉しかった。その前、大学の文芸課マスコミを卒業し、業界新聞社で働いていた時の給料は8万円だった。

今オーストラリアの最低賃金は、時間給$23.23(2100円)で、月32万4千円が最低保証される。最低32万円というと高収入みたいに聞こえるかもしれないが、ここから25%税金と、9%健康保険代を差し引かれてみると全然生活は楽ではない。
オーストラリアは移民でできた国で、移民は毎年その数を更新しているが、それに伴う住宅の数が追い付いていない。そのため借家とアパート賃貸が、取り合いの競争になっていて、2ベッドルームのアパートを誰かとシェアしても月に$2800くらいかかる。来豪して働くビザを得ても、家賃、健康保険、電気ガス水道電話代を払ったら、さてどれだけ残るか。

日本では平均サラリーマンの収入が月35万円、手取り27万円だそうで、税金が23%なところは、最低賃金のオーストラリアで25%とあまり変わらない。給料から健康保険、年金保険、住民税などが引かれるそうだが、経済と数字に100%音痴の私が、収入と税金を日豪単純比較してみるとあまり差はないように思われる。生活は楽ではない所が共通している。
しかし、オーストラリアで暮らして良いところは、人は皆イコール、平等意識が高く、差別(人種、性別、LGBTIQ 出身地、宗教、言語、年齢)などで人を差別してはいけないという法律とそれに伴う倫理感が徹底しているところだ。ワーキングホリデイや旅行でこの国に来て過ごした女性が、日本に帰りたがらないのは、若い女ばかりチヤホヤして若くない女をゴミのように扱う浅薄な日本の男尊女卑文化に嫌気を感じてのことだろう。

日本は、つくずく差別社会だと思う。戦争に敗れてやっと米国の助言で女性に参政権が与えられ民主社会になったはずだが、民主主義の根幹の議会が機能していない。議員は事前にわかっている質問に対して官僚の作った作文を読むだけ、最低限の多数決評議さえも必要とせず、長期政権与党は、自分たちの決議案だけを法にしてきた。そんな与党では世襲議員が多く、国民の税金でパーテイーをやって裏金を作り、私腹を肥やしている。アフリカや東南アジアの国の独裁政権や不正選挙を批判する資格など日本にはない。
国会議員は政治資金造りのためにパーテイーなどしてはならないし、議員としての特権をすべてはく奪すべきだし、世襲を禁止すべきだし、政治家の財産を公表すべきだし、富裕層と議員には年金など支給すべきではない。
議会が機能していないことに加えて、マスメデイアが機能していない。まず記者クラブを廃止し、いつでもどこでも報道陣が直接国会議員や閣僚にインタビューできるようにすべきだ。

議員を含め政治家というものが私財をため込むこともできず、特権も与えられず、いつカメラ実況中でマスコミに追及されるかわからない状態で仕事をしていて、全く楽な稼業じゃない、という民主国家では当たり前のことを、オーストラリアに来て知った。カルチェの時計一つで郵政局の座を追われたCEOや、高級ワイン1本でNSW州の知事を奪われた人を見てきた。

勿論オーストラリアには日本に比べて悪いところも沢山ある。差別禁止法があっても、差別する人は居る。富裕層に年金を渡さなくても、上手に脱税して富を蓄える人も後を絶たない。
しかし日本の長期保守政権の腐敗ぶりは世界の恥じだ。「上に立つものは特権を持ってはいけない。長期にわたって権力をもってはいけない。指導者を常に変えていかなければ。」と言ったのはボルシェビキ革命を指導したレーニン。
格差社会を少しでも民主社会にしていくために、腐敗した長期保守政権を倒さなければ、と思うのは私だけではないだろう。

I STILL CALL AUSTRALIA HOME を歌ってみた。空飛ぶカンガルーといわれるカンタス航空のコマーシャルソング。意訳してみると:

24時間眠ることのない街に行く  ニューヨークからリオ、そしてロンドンの古い街へ  どんなに遠くても  どんなに大きな街に行っても  やっぱり  オーストラリアがわたしのホーム      いつも旅行している   自由を感じることができるから   太陽にも海にも別れを告げて行く  でもやっぱり   オーストラリアが私のホーム    息子たち 娘たち  世界中を駆け回り  親や友達と遠く離れ   だけど寂しくなったら   旅を終えよう    いつかまた   懐かしい人と会って   船が港に帰るように   やっぱり  オーストラリアが私のホーム



2024年2月13日火曜日

米国民主党政権は嘘ばかり

米国民主党政権は、いまガザで子供たちが1時間に1人ずつ殺されていることは、「悲しみに耐えない。イスラエルは1国2政府の基本に戻ってイスラエル軍を撤退させ、ハマスは人質を釈放し停戦を実現し平和をとりもどそう。」と言っている。
彼らが本当にそう思っているのならば、事は簡単だ。今すぐ米国からのイスラエル政府への武器、軍需品の移送を止めて財政援助をやめれば良いことだ。

それほど簡単なことを止めず、あたかも「ネタ二ヤフが強行だから、」とか「イエメンのフチ軍団が船舶航行を封鎖してるから、」とか、「シリア、ヨルダン国境の米軍基地が攻撃され3人米兵が犠牲になったから、」とか理由を付けて米国がイスラエル軍にガザの避難民大量虐殺をやらせている。
ブリンケン国務長官が6度目のイスラエル訪問をして、ネタニヤフと「平和」のための話し合いをした。いかにも停戦への模索をしているポーズをとっていながら、米国は宣戦を拡大し、シリア、レバノン、イランに次々とドローン攻撃を繰り広げている。

ネタニヤフは米国のパペットだし、米国は今やりたいことは、ジャンジャン武器をイスラエルユダヤ資本に売りつけて、政敵イランの力を削ぐことだ。数字を比べてみるがよい。
米軍3人の死に対して、ガザのパレスチナ人27000人の死。
ハマスが取った130人人質に対して、7000人のイスラエルの刑務所に人質に取られているパレスチナ人、その大半が子供で、石を投げたなどの軽犯罪で裁判もなく、ただ監収されてる。人命の重さにこれほどの違いを作った、イスラエルのユダヤシオニストと、それの抵抗したパレスチナの人々の差は広がる一方だ。
米兵3人の死に伴い、米軍と英国軍は戦線を拡大し、レバノンとシリアとイエメンとイラクを武力攻撃した。これ以上戦線を拡大してはならない。
マスメデイアは、口先だけネタニヤフを批判してみせて人道主義を見せかけ、武器も資金もバックアップしている米国政権と、その同盟国の偽善を明確に報道すべきだ。イスラエルへの武器援助と資金援助をやめろ。

US. Liberals continue to tell " It's sad and disaster, too many children have been killed in Gaza. Because Netanyahu is crazy, he never listen US advice. Wishing 1 country 2 State solution makes PEACE".
Is it true???
I do not think so.
Israel with genocidal intent is fully backed of the USA. Jewish Zionists dropping bombs on a population trapped in a giant concentration camp can be possible only with US tax dollars and US made bombs and arms.
Peace" without taking action for immediate ceasefire and negotiated agreement is just saying you want Israel to keep doing what its doing until it decides its done enough.
The war was expanded after 3 US soldiers death. Israel has been attacking Syria, and Lebanon constantly. And US and UK commenced bombing to Yemen, Syria and Iraqi.
Compare the number: 3 US soldier's death VS 27000 Palestine people death. Compare the number 130 Hamas hostages VS 7000 Palestine youngsters in prison in Israel, many of them are just threw a stone to Israel army.
Stop talking lip service such a" Peace,', Going back to the status of Oct 6. It would just be returning to the abusive condition which gave rise to Oct 6. So stop only lip service for Peace.
The Biden administration should withdraw Israel government financial and munition support which are the only measures that could bring Israel to its senses.
I am singing [ Wakamonotachi] Written by Sato Masaru, Lyrics by Fujita Toshio.





2024年2月5日月曜日

大統領全員絞首刑

ノームチョムスキーは、「もしニューレンベルグ戦犯裁判法が一貫して公正に適用され続けていたならば、戦後のアメリカ大統領は全員が絞首刑にされていたはずだ。」と言った。

ベトナム戦争1965-1973、米国は南ベトナムに傀儡政権を作り、ベトナムを侵略した。介入の理由は北ベトナムの民族解放戦線を放っておくとアジア全体が共産主義に染まってしまう、という根も葉もない理由だった。米国は1200憶ドルかけて、ベトナム人300万人を殺し、ラオス、カンボジア人数十万人を殺した。そのベトナム戦争を始めたのはケネデイ大統領だったことはあまり語られない。ベトナム戦争が始まる前に、多数のCIAを現地に送り出し情報収集して開戦に備えたのは、「日本人リベラル」の方々が大好きなケネデイだ。暗殺されていなければベトナム戦で米軍が敗退するまで指揮を執っていたかもしれない。

米国は2003にサダムフセインが大量兵器を保有していると言って、イラクを侵攻し150万人、実にイラクの人口の5%のイラク人を殺しまくった。のちにワシントンの調査報道官チャールズルイスも、BBC特派員だったラゲオマールも、「もしジャーナリストがちゃんとした仕事をしていればイラク戦争はなかったし、100万人の子供たちは今も生きていたはずだ。」と言う。 サダムフセインは首を吊られ、未だに米軍基地を持つイラクには、サダムのような英雄的民族主義の指導者は、もう生まれない。

オバマ大統領は2011、カダフィ大佐を追放するためにリビアを攻撃、偉大な建国者カダフイを惨殺し、数十万人の民を難民化し、最良最高水準のオイルを奪い、アフリカで一番生活水準の高かったリビアを最貧国に突き落とした。いまだにベンガジに米軍基地を置き、オイルの利権を国民から奪っている。

またオバマは、シリアのアサド独裁政権を倒す、という理由で介入し、民主的に選ばれたアサド大統領の国の、3分の1の土地を奪い米軍基地を置いて、現在も国の主要油田の利権を独占している。
アフガニスタンも同様だ。オバマ大統領は、米国史上最大規模の爆弾をアフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、イラクに投下し世界で最も貧しい人々を殺害した。ドローン無人機を使って米国から遠く離れたパキスタンやアフリカ、中東の国々に住む「テロリスト」を沢山、自分の手を汚さずに処分した最初の大統領だ

いまバイデン米穀大統領は、ウクライナに湯水のように武器を送り、イスラエルの後支えになって、米軍製武器を世界中に売りまくって利益を上げていて、戦争を続けさせるために時間を引き延ばしながら2国援助している。
米国民主党バニーサンダースはこの1月30日、ABCニュースキャスターの質問の答えて、「イスラエルはテロリストから自国を守る権利がある。2万2千人のガザ住民を殺したイスラエルは、今後変わらなければならないが、米国はイスラエルをひき続き全面サポートしなければならない。」と言った。おまえもか。米国に逆らうものはみんなテロリストか? テロリストは殺されて当たり前か?

ハマスの戦いは、入植者、侵略者に抵抗する、侵略されている者たちの自由を求める抵抗だ。75年間土地を奪われ、16年間避難民として閉じ込められ、封鎖されてきた230万人の人々の解放を求める声だ。イスラエルは、1国2政府という国連の決議の立ち返れ。

日本は米国の同盟国で、日本の民主主義は、戦後米国の進駐軍によって持ち込まれた。それまで日本の女性には参政権さえなかった。しかし日本の民主主義が、このように世界中に戦争をばらまいて、その血で汚れた手によってもたらされた、と言う事実を忘れてはならない。民主主義とは強いものが武器を売って利益を得ることでもなければ、石油を奪うために他国を侵略することでもない。民主主義とは日本人にとって何なのか、正義とは、、いまほど問われる時はない。

島唄を歌ってみた。


2024年2月3日土曜日

父の思い出 その3

普段、とうの昔に亡くなった父のことを思い出すことなど全くないのに、FBで親しくしていただいている方がその父上のことを語っているのを読むと、突然降ってきたかのように、自分の父親のことが思い出される。

深く考えてみるまでもなく、とても変な家で育った。
こたつで眠くなって、寄りかかって寝たらしい。目が覚めてみると寄りかかって膝枕になっていたのは見たことのない学生さんだった。夜中の2時ですよ。日曜になると、当たり前のように家に来る学生たちが居たし、遊んでもらう相手も普通に家にごろごろしていた学生や元学生だった。

お嬢さん育ちの母はそういった学生を普通に自分の家来のように電気器具の修理をさせたり、力仕事や庭仕事をさせていた。母は爺やと婆やが世話してくれるような家で育ち、2人の兄からはお姫様扱いされてきた東京の人だったから、家事も育児も大嫌い、淡路島で育った田舎者の父との結婚が嫌で嫌で仕方なかったそうな。
父は「東京湾の泥臭い魚など臭くて食えない。」と言い、瀬戸内海で取れた魚の美味を盛んに言っていたが、釣りが好きなので内房の上総湊に釣り小屋まで建てていた。自分と強制的に連れて行ったゼミの学生たちが釣った魚は泥臭くないらしく、魚屋並みに自分で3枚に捌いたり、皮を剥いだりしていた。上手に魚をさばき、美味しいみそ汁を作る学生には「よし!おまえは今期、Aをやる。」とか言って、、。好きでもない釣りに付き合わされ料理、洗濯、掃除に買い物、私の育児まで任された上、成績まで気を使わなければならない学生達は今思えば、気の毒だった。
母は海に来ないから、父と早稲田政経学部の学生達と過ごした夏は楽しいことばかり。山猿なみに飛びまわって、足の着かない深い海に浮かんで溺れかかったり、座れば足の届かない大人用自転車で、器用にこいでビュンビュン猛スピードで走り回って鉄条網に激突したりした。その時の太ももの傷跡はまだ残っている。

父は小説家になるのが夢だった。学生時代からずっと小説を書いていて大学最後の年に雑誌「新潮」の懸賞小説を投稿した。これで受賞したら一生小説家として生きていく覚悟でいて、作品は最後の受賞候補まで残った。しかし最終審査で受賞したのは、新田次郎だった。夢破れ、叔父の大内兵衛に頭を下げて就職を斡旋してもらい早稲田実業高校で英語を教えることになった。
父の夢をすっかり壊してくれた新田次郎の小説を、父は意地でも読まなかったが、私は大好きな作家のひとりだ。自分の若かった時代はデモに行くか、山を歩くかの2つだけだった。穂高、槍ヶ岳,、剣岳、立山、常念岳、白山三山、、、山のことを何でも知っている新田次郎を心から尊敬した。

私には7つ歳上の姉がいる。父の弟の娘だ。東大出の優秀な弟だったが結核で亡くなり、その娘を父が引き取った。実は父はその母親のことがとても好きだった。谷崎潤一郎の弟の血筋の人で、とても美しい人だった。独身だった父は、告白するのを準備中だったが、その間に父の弟がサッサとプロポーズして結婚してしまった。それを昨日のことのように、「先に取られてしまった。本当に綺麗な人だったのに、取られてしまった。取られてしまったんだよ。」とものすごく情けない顔で悔しそうに言う。私としては慰めようもない。
この姉が美しいことは、家に来る学生や元学生の表情でわかった。姉を見ると文字通りパッと顔が明るくなり、声が高くなるのだ。その横で私は相変わらず山猿かヒトか、、と疑われながら飛び回っていた。
年が経ち、その姉も今年80になる。いまだに美しい。その姉が出かけて帰りが遅いと、82になる夫が「浮気して来たんだろう。」と言って責めるそうだ。美人に生まれてくるのも難儀なものだ。



2024年1月18日木曜日

尊厳死法:VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT

尊厳死
発案から20年近くの論議の末、オーストラリアニューサウスウェルス州(州都シドニー)では、1年半の施行までの期間を経て「自殺ほう助法案」が合法化された。
これでオーストラリア6州全州でこの法が合法となったことになる。2017年にはビクトリア州(州都メルボルン)、2019年に西オーストラリア(州都パース)2021年には、南オーストラリア(州都アデレード)、クイーンズランド州(州都ブリズベン)、同年タスマニアでも同法が施行されている。
この法は「VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT」と言い尊厳死を意味する。クリスチャンやモスリムは、自殺を罪と考えるので法に反対の人も多いだろう。ローマカトリック教会フランシスコ教皇は、「自殺ほう助は医療倫理から逸脱していて容認できない。」と言い、アラブの国々では討論することさえタブーだ。
しかしすでにオランダ、イタリア、オーストリア、スペイン、ルクセンブルグ、フランス、コロンビアなどでも法として機能している。

オーストラリアでは尊厳死の条件は厳しい。
1)18歳以上で市民権か永住権を持っていて1年以上その州に住んでいること。(タスマニアでは3年以上)
2)余命6か月と診断され延命が耐えがたい苦痛であること。
3)2人以上の医師の合意
4)医療側からは提案しない。あくまで本人の意志を尊重する。
5)自己投与か、医師又は看護師の手を借りるかは本人の選択。
6)アルツハイマー病と診断された患者には適用されない。
法が施行され尊厳死された方々の集計をみると、47%が女性、平均年齢71歳、77%が癌患者、87%が自宅での死を選んだ。

私は尊厳死法に賛成。人は生きる権利と、死ぬ権利があると考える。私が看護師の資格を取ったのが1976年。半世紀近く資格をもち、日本に居た時はジャーナリズムの世界で編集記者、フィリピンではバイオリン教師をしていたが、オーストラリアに来てからは20年あまり看護師をしている。74歳のいまも医療現場で働いていて、見送った患者の数は数えきれない。
人はどんなに恵まれた贅沢な暮らしをしていても、病気になって痛みを自分でコントロールできなくなったら、専門職のケアを受けて残りの人生を歩むことになる。自分が勤める施設にも沢山の末期癌、MSなどの神経変性疾患、難病、COPD(閉塞性気管疾患)患者がいて、患者と医師と看護師とが一団となって痛みを止めるための長い闘いに挑戦する毎日だ。定期的にモルヒネを打つ以外は、患者はなるべく普通の人と同じ生活をして、朝にはシャワーを介助され、朝食、モーニングテイー、昼食、アフタヌーンテイー、夕食をとり、その合間に体操、ゲーム、映画会、絵画教室、バス旅行などのアクテイビテイに参加してもらう。

法の施行後、入院患者は治療効果のない終末時に自分はどうしたいか、自分の意志を明記するようになった。最後の最後まで病院で近代医療技術を駆使して延命したいか、最大限の鎮痛剤で寿命が自然に尽きるまで痛みと戦うか、あるいは、愛する人たちに囲まれて安らかに旅立つ、尊厳死をするか、と言ったチョイスを明記する。100人100様の生き方があり、死に方がある。患者がどんなチョイスをしようが、最後の最後まで希望をもって生きるように看護する。見送る時は完全に息が止まるまで手を握って語り掛ける。それが務めだ。
生きる権利と死ぬ権利、、、悩み続け、考え続ける事を止められない。
それは誰にでも訪れることだ。