メルボルンで自称「ヒットラーソルジャー」と名乗る25歳の男性に1か月の実刑と罰金の判決が出た。本人は「控訴する、民主主義のこの国で言論と表現の自由は守られなければならない。裁判で戦うが自分は恐れず監獄にでも行ってやる」と息巻いていた。彼とその支持団体は、「WHITE MAN FIGHT BACK」(白人の男は戦う)という旗をかざし、歴史的事実であるヒットラーによるホロコーストを否定し、中国代表のシージンピンの写真を焼いて、気勢を上げている。ヒューゴボスがデザインしたドイツ軍の制服とチョーカーで一糸乱れず行進するナチの姿を夢見ていたのかもしれないが、それに比べようもなく、20人たらず黒ずくめの服にサングラスの男たちで行進というよりはショボくって、オージーっぽく朝の散歩といった感じで歩きはじめたとたんに警察に規制、解散させられていた。
それにしても、ローマ時代でなく、太平洋戦争中でもない現在に、ヒットラーソルジャーと自称し、自分が選ばれた特別な存在だと思いこむ幼児性にはあきれる。ヒットラーのまねっこするのも勝手だが、他の人を攻撃したり口頭やデモストレーションで攻撃することはヘイトクライムで、立派な犯罪だ。「反共、移民排除、白人、男だけ」が優れているという選民思想は、社会の規範に沿わない。鍵十字やナチ式敬礼を禁止するのは公益にかなっていて正しい。
しかしそれよりも、ナチズムより強い民族意識と優生思想を持ったシオニズムとは、本当の差別主義でユダヤ人だけのものだ。ヘブライ人だけが神に選ばれた民族で救済されなければならないという選民意識は、他民族を差別し、他宗教信者を人扱いしなくても良いと理解されている。ナチの「ゲルマン民族純潔主義」の裏返しで、自分達だけが他とは同化できない「ユダヤ純潔主義」に固執する。ネタ二ヤフ政権は、ガザでジェノサイトを続け、ヨルダン川西岸を完全に侵略し、ゴラン高原を占拠し、レバノンを侵攻し領土を広げている。
政権をトランプに引き継ぐ前に、米国民主党政権は最後の大判振る舞いで最大限の武器をイスラエル軍に送っている。シオニズムというユダヤ人選民思想に基ずく他民族排除と、その攻撃的で暴力的な憎しみを、取り締まることができるのは、何なのだろうか。法でも、人の良識でもなく、やはり力しかないのだろうか。
「つきのさばく」を歌ってみた。
I an singing [ The desert under Moonlight]