2024年4月10日水曜日

「パレスチナ解放闘争史」

重信房子さんが「パレスチナ解放闘争史」を書かれて出版された。
私が大学1年の時、封鎖中の明治大学学生会館を訪れたのが、1968の夏。大学教授の父親と衝突して父を傷つけることも、傷つけられることも嫌になっていて、学館が居心地が良かったこともあって、そのまま家出した。3学年上の重信さんと遠山美枝子さんは、良いお姉さんだった。
1969に塩見孝也が赤軍論を引っ提げて関西から上京し、ブント、共産主義同盟の学生組織、社学同は真っ二つに割れた。仲の良かった人はみんな、そっちに行ってしまった。残った人達も、戦旗派、叛旗派、情況派、関西派と次々に割れた。

デモに行くか、ひとりで山に行くか、ばかりしていた。穂高、槍ヶ岳、白馬3山、立山、剣岳、八ヶ岳。谷川。山は良い。夢のようだ。地上はあまりに醜い。遠山美枝子さんが死んだと聞いた翌年、榛名山に彼岸花の鉢植えを買って、山小屋のあったあたりに植えてきた。土が硬くきっと花は根付かなかっただろう。
ともかく重信さんが出所して書き続けてこられた結果が、立派な本になって良かったと思う。

イスラエル国が国際法や、国連による停戦勧告や、南アフリカが提訴した国際法廷など、すべてを無視し、法に違反してパレスチナへのジェノサイトを続けている。3万3千人余りが殺害された。無防備の女子供を完全武装の国家警備隊と、銃を持ったイスラエル市民が加わって殺害している。
南部ハンユニスからイスラエル軍が撤退していることで、エジプトで行われている停戦協定に期待がもたれているようだが、米国がイスラエルへの武器供与が止められるまで、それはあり得ない。米国大統領広報官が停戦を言い、イスラエル政府を批判して見せているが、その背後で全面的に資金、武器援助をして武力攻撃を続けさせている。米国議会で承認された数ミリオンドルで作られた米国製ミサイルは自転車操業で作るそばからイスラエル兵の手に渡っている。供給が続くかぎりやめるわけにはいかないのだ。おまけに米国大統領は、10月の大統領選挙に勝つためには、豊富なユダヤ資金援助なしに大統領になることができない。米国はイスラエルを怒らせるわけにはいかない。
イスラエル人の人質開放はあり得ない。ハマスは人質を解放してはいけない。
無条件停戦、パレスチナ難民への衣食住、医療の回復、ガザのインフラの再建、ジャーナリスト、エイドワーカーの活動保証、イラン、シリア、レバノンへの攻撃中止、ガザ市民の帰還が先だ。ラファに押し込まれている150万人の避難民が、人の住める状態になった家に帰ることができるための具体的計画が提示されて、初めて人質解放が課題に挙げられる。230万人のパレスチナ人の命か、100人のイスラエル人質の命か。2者択一することを許してはいけない。



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