2018年5月21日月曜日

映画「レッド タートル」

オーストラリアには、NITVというテレビチャンネルがある。
すべて先住民族であるアボリジニ、トーレス諸島出身の人々によるチャンネルで、普通の公営、民間のテレビチャンネルと同じように、一日中番組を提供している。アボリジニの人口がオーストラリア総人口の1%強であることを考えれば、フイルム編集や、番組制作だけでなく、アナウンサーもニュース解説者もコメンテイターも全部彼らによって運営されていることは、実に偉大なことではないだろうか。

ちなみにオーストラリアには、公営チャンネルとしては、日本のNHKに当たるABCがあり、加えて英語以外の言語を使う人々にためのSBS(SPECIAL BROADCASTING SERVICE)というチャンネルがあり、前夜のNHKニュースを朝5時半に放映したり、マンダリン、カントニーズ、コリア、ターキー、ロシア、フランス、スペイン、ドイツなどのニュースをそれぞれの言語で放映している。それに、最初に述べたNITV(NATIONAL INDIGENOUS TV)  が加わって、合計3つのチャンネルを公営放送が持っている。他に、3つの民間放送があって、朝からアメリカのTVショーを真似て、ニュースショーをやって、人気者の男女が面白おかしくゴシップを垂れ流したり、素人ののど自慢合戦を企画したり、フットボールなどのスポーツ実況放送をしている。

オットが歩くことができなくなって施設に入ってから、夜はテイクアウェイのチキンか冷凍ピザにビールという変化の乏しい夕食を、SBSのニュースと、ABCの天気予報を見ながら食べる習慣になって久しいが、最近はそのあとにNITVを見るようになった。アボリジニーの人々による監督、製作、出演によるドラマが、骨太で、深刻な社会問題を扱った内容が多くて、見所がある。歌の番組も驚くほど豊かな音質と音感で、素晴らしい。そんなふうにして、夕食のあと何気なくNITVを見ていたら、アニメ映画の「レッド タートル」を、ノンカットで放映してくれた。ずっと見たかった映画なので、とても嬉しかった。
スタジオジブリが、フランスとベルギーのアニメ会社と合同合作で作ったアニメーションフイルムだ。高畑勲が、アーテイストプロデューサーとして製作に関わっている。

監督: マイケル デュドック ド ヴィット
制作: 鈴木敏夫、ヴァンサン マラヴァル、パスカル コシュトウ、
    グレゴワール ソレラ、ベアトリス モーデュイ
製作会社:スタジオ ジブリ
     プリマ リネア プロダクション(フランス)
     ベルビジョン(ベルギー)
公開: 2016年5月

この作品は、スタジオジブリにとっては、初めての国外との共同制作による作品。第89回(2016)アカデミー賞アニメ部門ベストアニメフイルム候補作。2016年カンヌ国際フイルム祭で、視点部門特別賞受賞。
総監督を務めたマイケル デユドク ド ヴィットは、スタジオジブリ本社のある東京都小金井市に一時転居して、じっくり腰をすえてジブリの面々とシナリオと絵コンテを完成させて、高畑勲らの同意を受けてから、フランスに戻って本格的な製作に着手したという。彼は「人間性を含めた自然の深い敬意、そして平和を思う歓声と生命の無限への畏敬の念を伝えたい。」と語っている。

ストーリーは
男が乗っていた船が難破し、漂流した末、無人島に流れ着く。男は島に湖を見つけて渇きを癒し、木に登り果実を取って飢えをしのぐ。やがて枯れ木を集めて筏を作り、島から脱出しようとする。しかし、やっと海洋に出たと思うと、筏が何かにぶつかって壊れてまた元いた島に泳ぎ着く。再び、今度は強化した筏で海洋に出るが、筏が何か障害物に当たって壊れてしまう。3度目に男が筏を組んで海洋に出て、筏がまた壊されたとき、男は赤い大きな亀を見つける。男は悔しさと怒りで一杯になって浜に上がって来た亀をひっくり返して灼熱の太陽で焦がして死なせてしまう。
しかし驚いたことに、翌日亀の甲羅のなかには美しい女が眠っていた。男は女に水を飲ませて世話を焼く。女は目を覚まし、やがて二人は恋に陥る。男はもう島を脱出することを考えない。二人は仲好く島で暮らして、元気な男の子が生まれる。男の子は泳ぎも潜水も上手で、大きな亀たちを友達にして成長する。年月が経ち、男の子は一人前になって、外の世界に出て行く。そして、男は年を取り、女に看取られて静かに死んでいく。女は愛する男を亡くしてひとり、海に帰っていく。その姿は大きな赤い亀にもどっていた。
というおはなし。

台詞もナレーションも全くない。あるのは、波の音。波がぶつかり、弾けて水しぶきが上がり、水の泡が砕ける。鳥たちがさえずり、木々が風にゆられ、枝がぶつかり、こすり合い、木の実が落ち、草草がざわめく。男の砂を踏む音。女の髪が揺れる音。子供が岩を走る音。男の溜息。ひそやかな女の足音。
海に沈んでいく太陽が眩しい。美しい画面が詩になっている。

女が自分の体を包んでいた亀の甲羅を海に流しに行く後ろ姿を、男が観ている。しばらくして波の間から女が、砂地に居る男を見つめる。男は、はっと気が付いて自分が着ていた、たった一枚のシャツを脱いで、波打ち際において、島の奥に入っていく。次の画面では、シャツを着た女が、陸に上がり男の後をたどっていく。このシーンが好きだ。男の、ほのかな羞恥心と、期待と、ジェントルマンシップ。とてもやさしい男なのだ。

ジブリのアニメ―ションには、いつも元気で正しいことをする女の子が出てくる。このお話も、赤い亀が男に片思いするところから始まる。赤い亀は男に恋をして、男が島を出て行って、遠くの人間社会に帰って欲しくなかった。だから彼が筏で島を脱出しようとするたびに、筏に体当たりをくらわせて、男を引き留めた。そして自分の思い通りに男の愛を受け、幸せな夫婦になり、自分が愛した男を最後まで看取って、自分の思いを遂げた。強い意志を持った女なのだ。ここまで自己完結した完璧な人生を、彼女は自分で選んで、そして生きたのだ。幸せ者と言わずに何と言おうか。
このフイルムを見た人は、みんな幸せな、優しい気持ちになることだろう。それがスタジオジブリのマジックだ。


2018年5月3日木曜日

日本帰国休暇 その1

10日ほど日本に帰って休暇を過ごしてきた。
長女と次女とその6歳と8歳の子供達、総勢5人の旅行だった。旅の目的はマゴたちに日本を好きになってもらうことだ。学校はイースターホリデイで休みだし。
異国で日本語を学び、身につけることは至難の業だ。子供達は、普通の小学校を英語で学び、友達や両親と英語で会話する。そんな生活の中で、学校のない土曜日は、といえばサッカー、ラグビーやサーフィンで、学校に居るあいだは解きほぐせなかった体と心を全開放して、のびのびするために過ごす。そんなせっかくの土曜日を日本語土曜学校の狭い校舎で堅苦しい日本の先生の言う通りにするなんて、誰が嬉しいか。

週に一度、土曜半日の日本語学習でどれだけ異国育ちの子供達が、日本語を習得できるか、それぞれの家庭によって大きく差が出る。日本人夫婦の子供で、親が熱心に土曜校で学ぶ内容を家でも反復して学習させる家庭では、ある程度成功するだろうが、大多数の子供達はダブルと呼ばれる子供達だ。土曜日の朝、青空グランドと海がまってるぜい、と親に言われて、「いえ、ぼくは土曜学校で漢字の書き取りをします、」と答えられる子供は稀有な存在だろう。
それでも、マゴたちが「おばあちゃん、だいすき。」と、日本語で言ってくれる時の喜びは何にも代えがたい。少しでも日本語に親しんでくれて、日本を好きになって欲しい、そんな気持ちを込めて、マゴたちを連れて日本旅行してきた。
9泊10日、前半は上野、後半は船橋駅にできたばかりの駅ビルホテルに滞在した。

到着翌日から上野科学博物館、三鷹のジブリ博物館、浅草界隈、上野動物園、千葉のマザー牧場、鹿野山イチゴ摘みツアー、大内家家族の集まりと父の7回忌、デイズ二―ランドと、一日としてスケジュールに追われない日はなく、忙しい詰め込みの日程だったが、計画通りに過ごした。子供たちはこれだけ詰め込まれても、少しでも時間が空くと、ホテルを抜け出して近所の公園で走り回っていた。大人たちが付いていくのに、ヨレヨレだったが。それは、とても嬉しい計画外のことだった。

私も時間を作って夜ホテルを抜け出して、昔の友達と会った。
33年間海外で暮らした。沖縄を独立国と考えると、36年間異国暮らしだったことになる。日本に残る友達は少ない。甥も姪も結婚式に出ていないから、記憶は子供の時のままだ。だが父の7回忌で、今回、初めて甥や姪のパートナーや子供達に会うことができた。

昔の友達で会えたのは、沖縄時代からの古い友達、30年ぶりの再会。彼女は半世紀前JALのフライトアテンダンスだったので、横浜のJALのホテルを取ってくれた。彼女に懐石料理をご馳走のなったあと、二人でスーマーのライブを聴きに行った。スーマーはいつも変わらず、マイクなしで声が届く小さな店で、自作の歌の数々を聞かせてくれる。オットのブルースが元気だった時から。帰国ごとにスーマーのライブを聴きながら、そこで懐かしい人々と会うことが習慣になっていたが、今回は場所が横浜だたので、声を掛けられなくて、会えなかった方々もあった。でもスーマーの人柄、あたたかさ、彼の歌う世界が私は大好きだ。ライブの後夜明けまで、ホテルで友人とのおしゃべりは続いた。それでも6時には、シャキっと起き上がり身支度を始める友人を、こころから尊敬。フライトアテンダンスのときからの彼女のプロの姿勢には脱帽した。

帰国ごとに必ず会う山田修氏は、10年間フィリピンで暮らしていた時からの友人。彼は 岩波書店の雑誌「世界」を頼みもしないのに、几帳面に、毎月毎月シドニーの私のところに送ってくださっている。私と日本とをつなぐものは、毎月送られてくる「世界」だけといっても良い。   
アートギャラリーを主宰する大学の先輩が友人を連れて根津の割烹から呼んでくれた。この友人とは半世紀ぶりの再会。化粧をしたこともなかった18歳の一年生が、いまどう化粧しても隠し切れない衰えた姿になっても、むかしのようにアコちゃんアコちゃんと呼んでくれて、心からもてなしてくれることが嬉しい。
最後の日に中学高校と同級生だった女友達と夕食を共にした。穏やかな方で、人の為に何かをしてあげることが大好きなので、いつも何かをしてもらいたい晩年の父が。いつも甘えて頼りにしていた。元気で再会できることが、この年になるととても嬉しい。
10日間の短い滞在に合わせて、時間を作ってくださった方々には、本当にありがたい思いで、感謝の言葉もない。で、、、、マゴたちの日本語は上達したか、というと、、、そこがなんとも、もごもご、、、、、。






日本帰国休暇  その2 奇跡みたいな再会

倍音ケイイチさんに初めて会ったのは、20年くらい前かしら、シドニーのクリニックの待合室だった。彼は交通事故で膝を痛め、膝はとても悪い状態だった。交通事故は、高速道路で100キロ以上のスピードで前を走る車が、突然スピードを落としUターンするという、あり得ないような相手の違法行為の結果だった。弁護士を雇わないまでも、医療費も慰謝料も当然取れる状況でありながら、ビザの期限が切れるため、彼は痛む膝を抱えながら帰国しなければならなかった。シドニーで医療通訳をしていて、こんな時ほど限界と無力感を感じることはない。ワーキングホリデイで来ている沢山の青年達が、同じような目に遭っている。正義よりも、法律よりも「ビザ」のパワーは強い。ビザは人を殺すことも生かすこともできるのだ。

始めて会った時から、ケイイチさんはどこから見ても魅力的な人で惹き込まれた。長身で、知的な広い額、ベトナムの地染めシャツとダブダブパンツに、網を編んで原石を入れた手造りネックレスをしていた。ドクターの診察を待つ間、ビョーンビョーンと唇に当ててリズムを刻む、ジュィシュハープの音の出し方を教えてもらった。

彼は一旦帰国して、数年後に訪ねて来てくれたときは、ベトナムから手織りの美しい布を持ってきてくれた。50センチ四方の布は、信じられないほど細かい手織り模様が織り込まれており、これは織った人の家の歴史が物語になって織ってあるとのことだった。

彼は、ベトナム、ネパール、インド、中国各地で音楽活動をするとともに、帰国しては珍しい楽器を集めて、都内で「謎の楽器」を紹介したり、ジュ―イシュハープを売ったりしていた。いくつもいただいた彼のCDは、パッケージが芸術作品のように美しい。今は福岡を拠点に、音楽活動をしている。

このケイイチさんは、福岡に居るはずだったから、私が10日間帰国していても、日本で会えるわけがなかった。それが、シドニーに帰るために空港に向かう電車の中で、彼が目の前に居たのだった。奇跡みたいな再会。彼の元気な姿をみて、どんなに嬉しかったことか。東京でライブをして、福岡に帰るところだった。
いただいたベトナムの布の上には、オスカーの骨壺が乗っている、と 言ったら、「ああ、オスカー」と、憶えていてくれた。8年前に死んだ愛猫。オスカーは人見知りせず訪ねてくる人にはいつも愛嬌を振りまいていた。8歳のときにうちに来て、17歳で死んだ。ケイイチさんのくれた貴重な文化財、ベトナムの家族が何か月もかけて手織りしてくれた布の上で骨になって、居間にいる私を見下ろしている。

画像に含まれている可能性があるもの:倍音 ケイイチさん、演奏、オンステージ
ケイイチさんは同じ日、福岡に帰って音楽活動を続けている。この20年間で私が日本にいる時間など、本当に僅かで、圭一さんも同じだろう。偶然に会えたと言うことは、本当に奇跡に近い。こんなふうにして、人は、会いたい人には、どっかでなにかが通じて会うことができる、ということがあるのかもしれない。
彼のライブの様子はFBでも、ユーチューブでも見られる。