2018年5月3日木曜日

日本帰国休暇  その2 奇跡みたいな再会

倍音ケイイチさんに初めて会ったのは、20年くらい前かしら、シドニーのクリニックの待合室だった。彼は交通事故で膝を痛め、膝はとても悪い状態だった。交通事故は、高速道路で100キロ以上のスピードで前を走る車が、突然スピードを落としUターンするという、あり得ないような相手の違法行為の結果だった。弁護士を雇わないまでも、医療費も慰謝料も当然取れる状況でありながら、ビザの期限が切れるため、彼は痛む膝を抱えながら帰国しなければならなかった。シドニーで医療通訳をしていて、こんな時ほど限界と無力感を感じることはない。ワーキングホリデイで来ている沢山の青年達が、同じような目に遭っている。正義よりも、法律よりも「ビザ」のパワーは強い。ビザは人を殺すことも生かすこともできるのだ。

始めて会った時から、ケイイチさんはどこから見ても魅力的な人で惹き込まれた。長身で、知的な広い額、ベトナムの地染めシャツとダブダブパンツに、網を編んで原石を入れた手造りネックレスをしていた。ドクターの診察を待つ間、ビョーンビョーンと唇に当ててリズムを刻む、ジュィシュハープの音の出し方を教えてもらった。

彼は一旦帰国して、数年後に訪ねて来てくれたときは、ベトナムから手織りの美しい布を持ってきてくれた。50センチ四方の布は、信じられないほど細かい手織り模様が織り込まれており、これは織った人の家の歴史が物語になって織ってあるとのことだった。

彼は、ベトナム、ネパール、インド、中国各地で音楽活動をするとともに、帰国しては珍しい楽器を集めて、都内で「謎の楽器」を紹介したり、ジュ―イシュハープを売ったりしていた。いくつもいただいた彼のCDは、パッケージが芸術作品のように美しい。今は福岡を拠点に、音楽活動をしている。

このケイイチさんは、福岡に居るはずだったから、私が10日間帰国していても、日本で会えるわけがなかった。それが、シドニーに帰るために空港に向かう電車の中で、彼が目の前に居たのだった。奇跡みたいな再会。彼の元気な姿をみて、どんなに嬉しかったことか。東京でライブをして、福岡に帰るところだった。
いただいたベトナムの布の上には、オスカーの骨壺が乗っている、と 言ったら、「ああ、オスカー」と、憶えていてくれた。8年前に死んだ愛猫。オスカーは人見知りせず訪ねてくる人にはいつも愛嬌を振りまいていた。8歳のときにうちに来て、17歳で死んだ。ケイイチさんのくれた貴重な文化財、ベトナムの家族が何か月もかけて手織りしてくれた布の上で骨になって、居間にいる私を見下ろしている。

画像に含まれている可能性があるもの:倍音 ケイイチさん、演奏、オンステージ
ケイイチさんは同じ日、福岡に帰って音楽活動を続けている。この20年間で私が日本にいる時間など、本当に僅かで、圭一さんも同じだろう。偶然に会えたと言うことは、本当に奇跡に近い。こんなふうにして、人は、会いたい人には、どっかでなにかが通じて会うことができる、ということがあるのかもしれない。
彼のライブの様子はFBでも、ユーチューブでも見られる。