2014年3月30日日曜日
オペラ 「イーゴリ公」
オペラを観ていて眠ってしまった、、、で、目が覚めた時、眠る前と全く同じ情景で、同じ人たちが同じようなことを言いながら歌っていた。すごい。
これがロシアのオペラの醍醐味か、、、。
ニューヨークメトロポリタンオペラ
オペラ「イーゴリ公」: 「PRINCE IGOR」
作曲: アレクサンドル ボロデイン
指揮: ジアナンドリア ノセダ
音楽: ピッツバーグオーケストラ
ホスト: エリック オーウェンズ
イーゴリ公 :アブトラザコフ イルダ (バスバリトン)
妻ヤロスラザブナ:オクサナ デイーカ (ソプラノ)
ガレツキー公 :ミハイル ぺトレンコ (バス)
息子ウラジミール:セルゲイ セミシュクール(テナー)
コンチャクカーン :ステファン コツャン(バリトン)
カーンの娘 :アニータ ラチヴェリシュべリ(ソプラノ)
ストーリーは
プチバルの国のイーゴル公は、息子ウラジミールを連れて、コンチャック カーンの国を亡ぼしに全軍を率いて出陣する準備をしていた。ところが、いざ出陣に段になって、突然日が陰り、太陽が月に重なって日蝕が起きて、あたりが真っ暗になってしまった。人々は突然、暗闇に陥り恐怖に震え、これは、悪い予兆にちがいないと、言い出した。イーゴリ公の妻も、夫をひき止めようと説得するが、イーゴリは弟のガリツキーに後を頼むと、意気揚々と軍を率いて行ってしまった。
しかし戦争では コンチャク カーンの軍に完敗し、イーゴリ公は傷を負って捕虜となった。イーゴリ公の息子ウラジミールも、同じく捕虜になったが、コンチャク カーンの娘カンチヤコバに愛される。自由奔放で美しいカンチヤコバは、ウラジミールに甘い酒を飲ませ、楽しくて甘い生活を提供して、すっかり誘惑で骨抜きにしてしまう。イーゴリ公にもたくさんの誘惑が待っている。コンチャク カーンは イーゴリを敵をみなさずに友情を持って歓待する。しかし、イーゴリはかたくなに誘惑を拒み、沢山の兵隊を失って、自分は生きて敵の捕虜になったことを恥じて、苦しむ。
一方、イーゴリ公のいないプテイバルの国は イーゴリに弟ガリツキーによって規範を無くし堕落と退廃に陥っていた。ガリツキーの取り巻きたちは、このときとばかり羽目を外して酒に酔い、女たちを襲い、イーゴリの妻の権力を奪おうとしていた。そこに、イーゴリ公が捕虜になったという知らせが入る。妻ヤロスラブナが嘆く閑もなく、敵兵が襲ってきて、カーンの兵によって城は包囲されて、攻められ破壊された。ガレツキー公は殺される。
破壊された瓦礫に、傷を負い生き残ったプテイバルの人々が、肩を寄せ合って生きている。そこに、逃亡してきたイーゴル公が、ボロボロになってたどり着く。息子はカーンの娘との甘い生活に溺れて父親も故国も捨てた。イーゴリは一人帰国して、妻と再会する。イーゴリは敗戦も、国破れ、城が瓦礫となったのも、すべて自分の責任だったと自分を責めて、ひとり黙って、黙々と瓦礫を除いて破壊された城の再建に身を投じるのだった。というお話。
12世紀のロシアの英雄イーゴリ公の物語。
ボロデインの曲はロシアというよりも、トルコ系遊牧民族やモンゴルの草原の民の音楽に近い。
このオペラのみどころは、第2幕、幕が上がった途端、、、あっと びっくり、舞台が真紅のケシの花で覆われている。12万本のケシが咲き乱れている中を、流れてくるのが有名な曲、「韃靼人の踊り」だ。このオペラで一番有名な曲、「韃靼人の踊り」。もう ほとんどポピュラーと言ってよいほど有名で、誰でも聴いたことがあるはず。英語では、この曲を「ストレンジャー イン パラダイス」。じつは「韃靼人の踊り」も「ストレンジャー イン パラダイス」も、「韃靼人の行進」も、みな別々の曲だが、オペラの中で、全部をつなげて演奏しているように、ひとつの長い曲のようにバレエの舞台音楽としてよく使われている。曲の一部は、映画にもコマーシャルにも、携帯の呼び出し音楽にも使われている。オペラでは、この曲が果てることなく繰り返し繰り返し、延々と演奏され続け、真っ赤なケシ畑で、裸のような衣装を着た30人もの男女が身をくねらせて踊る。戦に負けて傷を負い、捕虜になったイーゴル公もウラジミールも このケシ畑で途方に暮れるが、やがて陶酔して甘美な世界に身を浸す。ケシは誘惑と陶酔の世界を象徴している。
この12万本のケシ畑を演出したのはロシア人、オデイミトリ チェル二アコフ、43歳で これがメトロポリタンオペラ演出の初デビュー作品になった。優秀な演出家で 主にイタリアで活躍している。またこの「韃靼人の踊り」は、「イーゴリ公」よりも、ブロードウェイミュージカル「キスメット」で使われて有名になった。1954年の「キスメット」は、ボロデインの弦楽四重奏曲と、管弦楽曲をアレンジして使っていて、ミュージカルとして成功し、高く評価されて、この年にトニー賞受賞、ボロデインもオリジナル音楽賞を受賞している。そのころボロデインはとっくに亡くなっていたけれど。このミュージカルは映画にもなっている。
アレクサンドル ボロデインは人物紹介されるとき、いつもロシアを代表する作曲家だが、化学者で医師でもあった、と言われる。1833年生まれ。貴族出身でサンクトぺテルスブルグ大学医学部を卒業し、化学者としてイタリアピサ大学をはじめヨーロッパの各地で研究に励み、有機化学の分野で大きな業績を残した。26歳のときに結婚した妻がピアノを弾くのに魅かれて、音楽に興味をもち、作曲を勉強し始める。二つシンフォニーを完成させており、1880年にフランツ リストがドイツでカレのシンフォニーを紹介したのが契機でヨーロッパでも彼の名前が知られるようになった。
オペラ「イーゴル公」は、ボロデインが、本職が忙しくて生前、完成できなかったが、彼の死後、ニコライ リムスキーとコルサコフ アレクサンドル グラズノフによって完成されて、上演されるようになった。ロシアでは、ロシアの誇りとして、ひんぱんに上演されて、ボリショイバレエ団の踊りとともに大人気の作品。ロシアでは多数のコーラス隊と、多数のバレエダンサーの出演を得て、規模の大きな、どでかい舞台に仕上がっている。それだけにヨーロッパではあまり上演されてこなかった。今季、メトロポリタンオペラでは、100年ぶりの「イーゴリ公」上演だそうだ。100年!!!
主役のイーゴリ公を演じたのは、若いロシア人、体格も良く、顔も良い。しっかりしたバスバリトンで、戦に敗れ、捕虜として辱められ何もかも息子さえも失って故国に帰ってきた苦悩する男の役を立派に演じている。インタビューで、このオペラを子供の時!!!から観て育ってきた、と語っている。すごい。4時間半の本格的なロシアのオペラを、ロシア人に歌わせて成功している。
貞淑な妻を演じたソプラノ、オクサナ デイーカはウクライナ出身で格調ある、とても美しい声をしている。メトロポリタン初デビューだそうだ。声は、素晴らしい高貴な声をだすが、演技のほうは堅くて重い。
バスの悪役イーゴリ公の弟も、息子のウラジミールのテノールも、とても良かった。コンチャク カーンのバリトンもすごく良い声だった。
コンチャク カ-ンの娘役で、ウラジミールを誘惑してすっかり骨抜き男にしてしまう自由奔放な娘を演じたアニータ ラチヴェリシュヴェリは、いま主役級の人気ソプラノ歌手だ。ジョージア出身。この人の主演した「カルメン」を見たことがある。腰まで長い黒髪をなびかせて、豊かな胸をさらけ出し、大胆で野性的。オペラ界の新しいセックスシンボルになりそうな感じ。のびのある美しいソプラノを歌う。
第1幕の出陣を前に、イーゴリ公が妻や弟や100人近い兵士たちを前に、あれこれ言っているシーンが延々と続くので思わず寝てしまったが、良いオペラだった。久しぶりお金を使い放題の大規模な重い本格的なオペラ、出場役者が200人以上に加え、30人のバレエ団、とびぬけて贅沢な舞台、こんなロシアオペラも良いものだ。4時間半、ライブフィルムを堪能した。
フィルム開始直前、暗闇の中で、となりの席に滑り込んできた小柄な女性が、ニューサウスウェルス州知事のマリー バシェール教授だった。ニュースでしか見たことのなかった人が、幕間に気軽に話しかけてくれたのが、なんか、とっても嬉しくてすっかり彼女のファンになってしまった。そんな のんびりした日曜の午後。
2014年3月22日土曜日
映画 「ミケランジェロ プロジェクト」
http://www.imdb.com/video/imdb/vi1176348697/
よく言われることだが、ヒットラーがもし若いときウィーン美術アカデミーに入学を許されていたら、そして沢山の芸術家仲間たちと制作に励み、熱い友情を育んでいたら、ドイツの歴史は全く異なった道を歩んでいたことだろう。大学の同期には、エゴン シーレがいたはずだ。そして、もし彼の絵に才能を見出した裕福なパトロンが付いて、画が良く売れていたらヒットラーは軍人にならず、世界を銃で支配する夢などは持たなかったのではないだろうか。
しかし、そうはならなかった。ヒットラーの絵は評価されず、彼はウィーン美術アカデミーに入学を許されず、失意のうちに軍人になった。そして、たくさんの世界的価値の高い美術品を、ヨーロッパの国々から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して収集した作品を展示するつもりでいた。しかし、もし、ヒットラーが戦争で連合軍に負けていたら、すべての略奪した美術品を隠匿していた岩塩抗ごと爆破して処分する命令を下していた。実際、6万点の美術品を隠していたオーストリアの岩塩抗には、1100ポンドの爆弾が隠されていた。
ベルギー、ヘントにあるシントバーフ大聖堂の正面を飾る12枚の「ヘントの祭壇画」は、「神秘の子羊」とも呼ばれ、1430年にオランダ人、フーベルト ファン エイクによって描き始められ、彼の死後は弟のヤンによって完成された。受胎告知、マリアとイエス、神の子羊、洗礼者ヨハネや、歌う天使たちなど、100人以上の人が描かれているフレスコ画で、北ヨーロッパの絵画の最高傑作と言われている。この絵は、フランス革命ではナポレオンによって奪われてパリのルーブルに展示されたり、プロイセンのフリードりッヒ王によってベルリンの絵画館に持ってこられたり、ナチに略奪されたりしてきたが、戦後再びヘントに返還された。
この祭壇画が一枚一枚取り外されて、神父たちの手によって丁寧に梱包されて、ナチの軍人たちに引き渡されていくところから映画が始まる。
そしてベルギー、ブルンジの教会では、ミケランジェロの大理石でできた聖母子像「マドンナ」が、粗末な毛布を掛けられて持ち去られていく。かつて16世紀の頃から貿易で栄えていたブルンジの水路で容易に交通できる美しい街は、ミケランジェロに聖母子像の制作を依頼するほど豊かだった。イタリアを離れて外国で、ミケランジェロが唯一製作した彫刻だ。「マドンナ」は、イタリアのシステイン教会にある「ピエタ」の像に似て美しい大理石でできている。マリアが、慈愛に満ちた優しい眼差しで幼児のイエスを抱く彫刻だ。
これらの世界的な遺産、ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメールなど、6577点の油絵、2300点の水彩画、954点の印刷物、137点の彫刻、など、6万点の美術品が各地の美術館や個人からナチの手によって奪われた。ヒットラーはこれらの美術品をオーストリアのリンツに美術館を建設して収納するつもりでいた。連合国首脳部は米国のアイゼンハワーを中心に 戦争の終結に先立って、いかにして、これらの美術品を奪い返すかを考えていた。
1944年12月、第一次世界大戦の退官軍人でハーバード大学付属の博物館に勤務していたジョージ ストークス教授(ジョージ クルーニー)に打診がくる。ストークスは、ヨーロッパ戦線でヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に運搬して保護するための特別班を編成する。美術品探しでは、探し出した美術品が本物か偽物、鑑定できる専門家が居なければならない。博物館の館長、美術鑑定士、美術史家、などの7人が選ばれた。
彼ら特別班は、危険の多い前線に行かなければならない。今更のように、全員が厳しい訓練を受け、ノルマンデイー上陸を果たす。8人は班3班に分かれて盗まれた美術品の後を追う。彼らは「モニュメント メン」と呼ばれた。
ジェームス グレンジャー(マット デーモン)は、パリで失われた美術品の追跡調査を始め、美術館に勤務するローズ ヴァルランドという美術館に勤務する女性に出会う。彼女はアメリカから来た下手なフランス語を話すジェームスに、持ち去られた美術品がどこに隠されているのか言おうとしない。彼女はナチがパリから持ち去った美術品をすべて書き留めて、自分のノートに記録していた。そのノートはその後、ジェームスに渡されて、美術品発見の助けになる。
前線で、大量の美術品がかくされた岩塩抗が発見されたのは、ほんの偶然からだった。ウオルター ガーフィールド(ジョン グッドマン)の歯痛がひどくなって、歯医者に美術品探しの話をしたら、歯医者の従妹夫婦がパリから帰って来たばかりで美術に詳しいという。訪ねて行ってみると、彼はパリで美術館の館長をしてたビクター スタールだった。この男はローズ ヴァルランドの勤務する美術館の館長だったが、自分の家にセザンヌ、ルノアールといった有名な名画を、盗んで飾っていた。モニュメントマン達は、さっそくこの男を拘束して美術品のありかを問いただし、遂にオーストリア アルプスの高地で、大昔に掘削された岩塩抗に行き着く。美術品はニエット ワンステイン城にも隠されていた。
一方ベルギーのブルンジでは、ドイツ軍がミケランジェロの「マドンナ」を持ち去るところに出くわしたモニュメントマンの一人、英国人のドナルド ジェフリー(ハー ボネヒル)は、交戦して銃撃に倒れる。またフランス人のジーン クラウド クレモント中尉(ジーン ドジャルダン)も命を失う。モニュメントマン達は、岩塩抗で発見した何万点もの作品は、一年くらい時間をかけて収容してそれぞれ持ち去られたもとの美術館や教会に返還するつもりでいたが、ドイツ軍の敗走と同時に、ロシア軍が戦線に加わり、岩塩抗に肉薄してきた。美術品を再び奪われる危険がある。急きょ、すべての美術品を運び出すことになった。隊員たちは、犠牲者を出しながらもナチの略奪から人類の遺産ともいうべき美術品を守ったことで、英雄として人々の記憶に残ることになった、というお話。
本当にあったことで、原作は、ロバート M エドセル「モニュメントメン」。また、ケイト ブランシェットが演じたローズは、実在の女性、リン H ニコラスで、このときのことを、自書「レイプ オブ ユーロップ」(THE RAPE OF EUROPE)に書き残し、1994年に出版されている。また、同名の映画が2006年に製作された。ナチからフランスの美術品を守った功績によって、彼女はフランス国家名誉賞、レジオン ドヌールを受賞している。
米英合作映画
原題:「THE MONUMENTS MEN」
邦題:「ミケランジェロ プロジェクト」
監督: ジョージ クルーニー
キャスト
ジョージ クルーニー: フランク スト―クス中尉
マット デーモン : ジェームス グレンジャー中尉
ビル マーレイ : リチャード キャンベル軍曹
ジョン グッドマン : ウオルター ガーフィールド軍曹
ジーン ドジャルデイン: ジーン クラウドクレモント中尉
ボブ バラバン :プレストン サビッツ兵卒
ハー ボニビル :ドナルド ジェフリー中尉
デイミトリ レオ二ダス:サムエピステイン
ケイト ブランシェット:ローズ ヴァルランド
ジョージ クルーニーの監督としての5作目の作品。
善良で誠実で「良い人」の代表のようなジョージ クルーニーと、彼の親友、マット デーモンが、本当に、英雄的な「良い人」を演じている。心温まる良い話を、戦闘とはおよそかけ離れた「美術おたく」 だった男たちが7人、かき集められて戦場に送られて演出する。似合わない軍服、敬礼の仕方が解らない、戦争には年を取りすぎているビル マリーや、歩兵にしては太りすぎているジョン グッドマンや、銃を持つには体が小さすぎて度近眼のボブ バラバンや、フランス人や、イギリス人などが、一堂に会し美術愛好家という一点で一致して、強い結びつきを形成していくところなど、笑いながらも感動的だ。ケイト ブランシェットも、「飯より絵が好き」という感じの、いかにも古い美術館や博物館に勤務して居そうな実直な女性を上手に演じている。
有名な沢山の絵や彫刻が出てくる。
湿っぽい坑道に、粗末な毛布にくるまれて、雑然と放置されたレンブラントや、フェルメールやピカソに心が痛む。撤退するドイツ兵によって、無造作にレンブラントの絵が、火の中に放り投げられて燃えていくシーンなど、叫び出しそうになる。映像の中で、ブルンジの「マドンナ」の彫刻に見とれる。ミケランジェロによってつくられたこの像は、イタリアのシステインチャペルの「ピエタ」が、イエスをかき抱く嘆きのマリアであるのに対して、丸々と太ったイエスに慈愛の眼を注ぐ喜びのマリアだ。暗闇の中で見つけたジョージ スタウト(クルーニー)が、思わず、どんなことがあっても連れて帰るからね、と語りかけ、最後の撤退のときにも一緒に付き添って帰ってきた。彼の愛着のほどがよくわかる。
実は、ブルンジで、この像を6年前に観ている。その時は、この彫刻の価値がわかっていなかった。旅の疲れと二日酔いと空腹とで頭の中から記憶というものがすっかり無くなっていたとしか思えない。マドンナの印象がすっかり抜け落ちている。ミケランジェロさん、ごめんなさい。ジョージ クルーニーさん、ごめんなさい。本当に、どんなに美しいものでもその時の環境や雰囲気や体調やその場の空気など、受け入れ態勢ができていないと感動も起きないという体験をしてしまった。しかし、その数日後には、イタリアで、「ピエタ」を見て感動でひれ伏したくなったし、パリではレンブラントやドラクロアや、ダ ビンチに、心を動かされた。「二ケの勝利の女神の像」には、美術の圧倒的なパワーに立ち尽くして、しばらく動くことができなかった。
芸術作品に触れることで人は心を動かされ、人生を顧みて様々な影響を受ける。芸術なくしては、人々の営みに意味がない。だから、かつての芸術家たちが自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代に受け継いでいくことは、人の義務でもある。
この映画は、善良を絵で描いたような8人の「良いひとたち」が 略奪や焼失から美術品を守るという美談であるうえ、英雄的なストーリーだから、感動せずにはいられないだろう。
しかし、同じ時期に、アメリカ人は、東京のみならず大都市の市民にむけて激しい空襲を繰り返し、広島長崎に原爆を落としたことで、日本のミケランジェロやレンブラントに等しい芸術作品や、二度と復旧できない美術品や木造の寺院や木像や彫刻の数々を一瞬に灰にしたことも事実だ。
いまも引き続いている内戦のためにシリアやアフガニスタンなどで、西洋文化に先立つ誇り高いイスラム文化、ペルシャ芸術が、日々破壊されている。アメリカは他国に介入をして、これ以上芸術と文化を破壊することを止めた方が良い。戦争の愚かさを再確認するためにも、この映画は良い映画だ。絵の好きな人、彫刻の好きな人には、必見の映画かもしれない。
最後にフランク ストークスが年を取った姿で出てくる。ジョージ クルーニーに似ていないのじゃないかと思ったが、この人、ジョージ クルーニーの本当のお父さんだった。息子の監督、主演した映画の最後にチョイ役で出演させてもらって、本人は嬉しかったことだろう。
2014年3月14日金曜日
映画 「トラックス」(道程)
http://www.sbs.com.au/movies/article/2014/03/11/tracks-film-lets-woman-thrive-outback
原題:「TRACKS」
原作:同名のロビン デビッドソン作、1980年ナショナル ジェオグラフィック出版
英豪合作映画
監督:ジョン クーラン
キャスト
ロビン デビッドソン :ミア ワシコスカ
アフガンキャメルファーマー:ジョン ファラス
アボリジニーのミスタ エデイー:ロレイ ミンツマ
リック スモラン写真家 :アダム ドライバー
人は旅に出る。
理由は個人的なものだ。
今の自分にそれが必要だったから。思い立って、なんとなく、、、。
1977年2月、ロビン デビッドソンは、犬を連れて旅に出た。理由は、「WHY NOT ?」
気が向いたから、理由なんてない。あとから人々は理由をつける。きっと、彼女は自分を見つけたかったんだろう。自分の可能性を、どこまで行けるか試してみたかったんだろう。それに、自由になりたかったろう。心をとき放ち、たったひとりの信頼できる仲間の犬、デイゲテイを連れて、、。
まだ、若い20代の女の子、幼い時に母親が自殺して、親戚に預けられて育った。そのときまでいつも一緒だった愛犬は一緒に親戚に引き取ってもらえなくて、仕方なく安楽死させられた。それが一生の心の傷になっている。
それから時間が経って、大人になって、いまは信頼できる友達も、父親もいる。でも、孤独感は変わらない。人との会話が続かない。日常がわずらわしい。
いままで、それをやった人が居ないならば、やってみても良い。日常のわずらわしさ、人々との関係を継続していくことの苦痛。ひとり旅に出てみたら何かが変わるかもしれない。それならば、やってみても良い。大したことじゃない。海に向かって、ただ歩くだけ。愛犬デイゲテイを連れて。
そう心に決めてロビン デビッドソンは、オーストラリアのヘソの部分、エアズロックのあるアリス スプリングから西オーストラリアの砂漠を横断して、インド洋までの2700キロメートルを9か月かけて単独走破した。4匹のラクダと愛犬を連れて。
20歳代の若い女性が たった一人でコンパスを頼りに徒歩で砂漠を横断した前代未聞の偉業は、すぐに世界的なニュースとなって、彼女の到着を待って世界中からマスコミが殺到した。ロビン デビッドソンは、そんなマスコミから、隠れて身をひそめ、泣きながら逃げ回る。脚光をあびるために、やったことではない。旅はいつも、個人的なものだ。
この映画は実在のロビン デビッドソンが、アリススプリングから、西海岸のジェルトンまで砂漠を単独走破したときのことを再現した記録だ。人との関係をつなぐことが得意ではなくて、本当に心が通じ合えるのは、黒いラブラドール犬だけ、という若い女性が、1977年2月に、ひとり思い立って2700キロメートルの距離を歩いた。その前に、彼女はアリス スプリングのラクダのファームで働きながら、ラクダの飼いならし方を学ぶ。オーストラリアでは、19世紀にアフガニスタン人が、交易のために、たくさんのラクダを連れて入植していた。そのときのラクダが野生化して繁殖し、今では オーストラリアは世界で一番沢山のラクダが生息する国になった。アフガニスタンに逆に輸出してもいる。ラクダのファームでは 野生のラクダを、ヘリコプターやジープで追って捉え、飼いならして馬のように砂漠を移動したり、物を輸送するのに使う。オーストラリアの20%は、砂漠で、海岸地帯以外、国土のほとんどが乾燥地帯だ。ラクダによる移動は必須だ。
いくつかのラクダの農場を移動しながらロビンは、ラクダの習性を学び、何か月もの労働の報酬として、3頭のラクダを貰い受ける。出発まじかに1頭のラクダが 野生のラクダに襲われて子供を出産する。4頭のラクダに食糧やテントを積み込んで、さあ、出発だ。
しかし先立つものがない。ナショナル ジェオグラフィック本社に資金のサポートを依頼していた。本社から待ちに待った返事がきて、資金をあてにできることになった。しかし、彼らは、プロンカメラマンを送ってきた。リック スモランという如何にも軽薄そうな男だ。カメラマンはロビンが砂漠を横断する要所要所で、ロビンを待っていて、写真を撮って本社に送るという。ロビンは写真を取られることが嫌で嫌で仕方がないが、写真の一枚一枚が、砂漠での自分の飲む水代になる。やむを得ないこととして、受け入れる。
まずアリス スプリングからエアーズロックまで歩く。アボリジニの部落に宿泊させてもらう。ここはアボリジニの聖地なので、決められたところしか立ち入ることができない。カメラマンは、その夜、アボリジニの聖なるセレモニーがあることを聴きつけて、眠ったふりをして深夜に行われたアボリジニーの秘儀をカメラに収めた。怒ったアボリジニーの長老は、ロビンが予定していた道を通る許可を取り消した。大事にカメラを抱いて、ジープと飛行機で都市に向かうカメラマンを背にして、ロビンは自分の予定していた砂漠の横断路から、大きく迂回したルートを、歩かなければならなくなった。
ひとり旅を続けるうち、アボリジニのグループに出会う。そこで、ひとりの年よりが親切に案内役を買って出てくれた。ロビンはこの ミスターエデイから、火の起こし方や、ウサギを解体して料理する方法や、薬草の採取の仕方を学ぶ。こんな優秀な砂漠の案内役も、お礼の猟銃を手にしてしまうと、サッサと自分の部落に帰ってしまう。
再びひとり歩くうち、野生のラクダに襲撃されたり、4頭のラクダが勝手に遠くに行ってしまったり、コンパスを無くして、探しに戻ったり、様々なアクシデントに見舞われる。ひとつひとつのトラブルを乗り越えながら それでも旅は続く。
目的地のジェラルトンに近付いて、9か月にわたった旅も終盤に入り、ロビンの人生にとって最大の危機が訪れる。無二の親友、ロビンにとって最高の理解者であり、片時も彼女から離れたことのなかったデイゲテイが、ウサギや野犬などの害獣を殺すために撒かれた毒団子を食べて、苦しみながら死んでしまったのだ。デイゲテイを失ったロビンは 茫然自失となって何もかも投げ出しそうになる。何日間も食べも、飲みもせずにただただ力を失って空を見ていた。ロビンを現実世界に連れ戻したのは、カメラマンのリックだった。底なしの孤独に陥っていたロビンは、人のぬくもりを得て。辛うじて再び歩き始める。そして遂にインド洋に達する。旅は終わったのだ。
彼女の行程と、その時その時で撮られた写真は ナショナル ジェオグラフィックに掲載され、その2年後には、彼女の記録とともに本になって出版された。
360度、どこまでも広がる砂漠が美しい。「アラビアのロレンス」に出てくる、果てしのない砂漠の美しさに重なる。どうして砂漠に留まっているのか、とアメリカ人記者に問われて、ロレンスは「どうして砂漠が好きかって?砂漠は清潔だから。」と答えた。彼もまた人との関わりが得意でない、孤独の海を彷徨う詩人だった。
ロビンは生まれた時からいつも大きなイエローレトリバドッグを遊び相手にしていて、人とのコミュニケーションを必要としていなかった。犬は彼女の親友だったし、唯一の話し相手であり、保護者であって喜怒哀楽のすべてを共有できる相手だった。その犬が、母の自殺を契機に家庭が崩壊し自分が親戚に引き取られることによって、安楽死させられる。そして、再び自分を支えてくれた道連れデイグテイを失って、ロビンは生きる希望を失ったようになる。犬を失うことが、どれだけの痛みか、とてもよくわかる。友達や親や猫を失うのとは全然ちがう。愛した猫を失うのは、悲哀。親を亡くすのは予想された別離であり、解放でもある。友達を無くすのは痛恨。でも、犬を無くすのは自分の手足をもがれるような、自分の体の一部を奪われるような喪失だ。犬を無くす悲しみは、何とも耐え難い。生まれた時から成犬になり、老犬になるまで、本気で犬と付き合い人生を共にした人でないと分からないかもしれない。そうした犬との交流は、一生にただ一匹なのだ。
人と人生を共有していた犬とを一緒に脳のシンチグラムにかけて、同時に同じ音楽を聞かせたり、映像や写真を見せて脳の血流の状態を調べると、人と犬とが顔を合わせているわけではないのに、全く同じところで喜びを感じ、同じところで幸せ感に反応したという実験結果がある。人と犬とは、長く一緒に暮らすと同じものを見ると、同じ感情が流れ、似た者同士となって一体化するのだ。人間が相手では、そうはいかない。
映画を観ながら犬を失ったロビンにとても共感した。カメラマンが要所、要所で待っていて、写真を取ろうとすると、舌打ちしたり、報道陣から泣いて逃げ回るロビンにも好感がもてる。旅を自分のために自分自身で完結させたロビンに心から拍手を送る。本当に立派な女性だと思う。
実在のロビンは まだ60になるかならないかの、とても美しい人だ。湖の底みたいな青い大きな目のブロンズ、立ち振る舞いの優雅な魅力的な女性だ。鉄人レースに出てくるようなキン肉マンではない。彼女の役を演じたミア ワシコウシカよりも、断然本人のほうが美しいという、事実がおもしろい。(ふつうは逆だろう)
プリテイーウーマンのジュリア ロバーツが本当は演じる予定だったのだという。撮影期日の都合で役者が変わって、良かったのか悪かったのかわからない。でも、ジュリア ロバーツにはもう20代前半の冒険者の役は無理かもしれない。オーストラリアの風景に中で、オージー魂を持った、ワシコウシカというオージー女優が、終始怒ったような無表情な顔で演じた。それも良かった。
2014年3月11日火曜日
映画 「それでも夜は明ける」
http://www.imdb.com/title/tt2024544/
「黒人文学」という言葉がある。
20世紀に、黒人が黒人のための小説を書いた先駆者、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンによる、数々の名作を指す。リチャード ライトは、激しい黒人差別の残るミシシッピー州で生まれ、当時の慣習から学校教育を受けられず、貧困から脱出するために、自力で字を習い、ものを書くようになった。彼の小説「ブラック ボーイ」は、白人社会における黒人の苦闘を描いた自分自身の話だ。簡易な英語で書かれているので、難しい単語や難解な言い回しが苦手の外国人が、初めて読む英語の「原書」として、勧められる。ジュニアスクールの教科書にも紹介されている。易しい言葉で、黒人として差別社会を生きる者の怒りを、全身で表現している得難い小説だ。ベトナム戦争が拡大し、マーチン ルーサー キング牧師が市民を率いて黒人民権運動を広げていった時期に 時流に乗って黒人文学は、ひろく世界中で読まれるようになった。しかし、今考えれば、「黒人文学」とは何だ。白人文学という言葉がない以上、特に黒人を強調することによって、人種差別を促す危険を含んでいるではないか、ということになる。時代は変わる。
人間社会は、いずれ「黒人文学」ということばも、「白人社会」という言葉も無くなっていくだろう。黒人が学校教育を拒否され、白人と同じ電車やバスに乗り、同じレストランに入ることを拒否された時代は、「恥の歴史」として過去に葬られる。同じようにして「男尊女卑」、「男性優位」とか「父兄会」とかいう言葉は過去のものになり、人のことをMENといっていた時代は去り、MEN AND WOMENに言い換えられるようになった。
そのようにして、さらに進んで、「MAN」でも「WOMAN」でもない、そんなものは書く必要がない時代が、すぐに来ることだろう。結婚証明書や、戸籍謄本や、身元証明書に「男」とか、「女」とか書く必要がない。男も女もトランスジェンダーも、自分を男と認める人や、自分を女と考える人や、性転換をした人など、すべてを含めて雇用や結婚に際して、すべて差別してはならない、という時代が来る。「黒」でも、「白」でも「黄色」でもない、また「男」でも「女」でもない、すべて等しく人間であることを認め合う平等社会に向かって行くことだろう。ただし、きわめて、ゆっくりのペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、、。
映画「それでも夜は明ける」は、150年前にソロモン ノーサップによって書かれ出版された。自分が、ニューヨークで自由の身であったにも関わらず、誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷にされていた自身の記録だ。ソロモンの経験を描いたこの本は、その後のアメリカ市民戦争に大きな影響与えた。また、翌年の1854年に、ハリエット ビーチャー ストウ夫人が「アンクルトム キャビン」(1854年)を書いて出版しているが、彼女のフィクション小説の多くの部分でソロモン ノーサップの実際の経験との類似点がみられる。
ストーリー
1841年、ニューヨークで大工として働き、ヴァイオリンの名手でもあったソロモン ノーサップ(キエテル イジョホー)は、妻と二人の子供を持ち、市民として地元では信頼、尊敬されていた。ある日彼は、ヴァイオリンの腕を見込まれて、サーカス団の一行とともに演奏旅行する仕事を依頼され、ワシントンに向かう。そこでソロモンは 紹介された男たちに歓待され、泥酔する。目が覚めてみると、彼は鉄の鎖につながれていた。自分が自由の身であることを叫びたてても、鞭で打ち据えられるばかり、獣のような白人の奴隷売買に引き立てられて、南部に船で送られる。
最初の主人は、テキサスのウィリアム フォード(べネデイクト カンバーバッチ)で、コットンファームの大土地所有者だった。ここで、ソロモンは大工だった経験を高く主人に評価されて、大事にされる。しかし、それが読み書きもできず、建設技術にも無知な白人マネージャーたちに憎まれる結果となり、ルイジアナの別の主人へと売られていく。最後の10年間は、最も冷酷な主人、エドウィン エップス(マイケル ファスベンダー)のプランテーションで酷使される。逃亡すれば極刑、隠し事をすれば鞭打ちの日々、理由もなく鞭打たれる毎日に希望を失いかけたころに、小屋の建設を手伝っていて、カナダからきていた技術者、サミュエル バス(ブラッド ピット)に出会う。ソロモンは彼に、自分の数奇な運命を語り聞かせる。話に感銘を受けたサミュエルは、南部に居ては自分の命が危険にさらされることを悟って、ニューヨークに向かい、ソロモンの救出のために奔走する。そして、ついにニューヨーク市の法律にのっとって、ソロモン救出のための行政官が、ルイジアナまで来て、ソロモンを家族のもとに連れ帰る。
というお話。
今年のアカデミー作品賞受賞作。
奴隷たちが、敬虔なクリスチャンである姿が悲しい。奴隷たちは、この世で苦しむのは、神が与えた試練であって、苦しめば苦しむほど、あの世で美しい来世がくると信じて熱心に信仰している。苦しすぎるので、死を願って、盗みを働いたと嘘の告白をして自ら極刑に身をさらす少女や、泣くことを止めない女、逃亡を試みる少年の姿が哀しい。生きる希望を次々と絶たれていく残酷さ。
原作は150年前の作品だが、今日もまだ、新しい。現実にソロモンのように鞭で打たれはしなくても、弱いものは肌の色やジェンダーゆえに 不理屈に解雇されたり虐待されたりしている。ソロモンのように誘拐されて奴隷にされてはいなくても、いまだに学校や職場で弱いもの虐めが、幅を利かせている。時代を超えて、ソロモンの痛みは 私たちの痛みでもある。
よき社会、差別のない社会への道は まだ遥かに遠い。そこまでの変化は、きわめてゆっくりしたペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、。
邦題:「それでも夜は明ける」
原題:「TWELVE YEARS A SLAVE」(12年間奴隷だった)
原作:1853年 ソロモン ノーサップによる同名の回顧録
映画プロデユーサー:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
ソロモン ノーサップ :キエテル イジョーフォー
ウィリアム フォード :べネデイクト カンバーバッチ
エドウィン エープス :マイケル ファスペンダー
サミュエル バス :ブラッド ピット
http://www.youtube.com/watch?v=6LpiwM4yGDk
2014年3月4日火曜日
シドニーで讃岐うどん
和食が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になったという。
それと関係があるかどうかわからないけど、シドニー北部チヤッツウッドに、讃岐うどん屋「丸亀製麺」釜揚げうどんが、初めてオープンした。シドニーで本物の讃岐うどんが食べられる日が来るとは思っていなかった。とても感激している。むふふ、むふふ の日々なのだ。
チャッツウッドのメイン通りで、店の前を通りかかった人々は、ガラス張りのカウンターで若い職人さんが粉をこねてうどんを打つ様子が見られる。ダイナミックに、どたんばたんと、うどん粉を叩きつけて、こねる音も聞こえる。大きな釜で麺をゆでたてる様子も見られる。通行人の目はうどんをこねる様子よりも、木でできたうどんを入れる桶が、たくさん積み重なっているのにびっくりしている。自然志向の強いオージーの間では、釜揚げうどんを入れる丸い木目鮮やかな木の器に目を奪われている。中に入ると、カウンターの中には驚くほど若い人たちが立ち働いていて、うどんを作ったり、天麩羅を揚げたりしている。
釜揚げうどん4ドル90セント。中に入ると、大きな釜でゆでたてのうどんを手際よく桶にいれて、つけタレとともに、お盆に乗せてくれる。それを自分で選んだ天麩羅などと一緒に食べる。天麩羅はエビ、白魚、イカや野菜で、ひとつ2ドル50-90セント。どんぶりに入った肉うどん、カレーうどん、豚骨うどんや稲荷鮨もある。刻みねぎや、天かすや生姜やゴマは無料。学食みたいな手軽さと、食事が10ドル以下で済む安さは、貴重だ。どれもとっても美味しい。
ハワイのワイキキの中心、クヒオ通りにも同じ「丸山製麺」があって、昼でも夜でも行列ができているという。日本を含めてこのチェーン店のなかでは最高の売上を誇っているそうだ。客はハワイを訪れた観光客が8割、客のほとんどがアメリカ人と中国人で、日本人は1-2割だという。辛抱強く1時間も列に並んでアメリカ人がうどんを食べる図は、2-3年前には考えられないことだったろう。
シドニーでも同じようなものだろう。客のほとんどは、オージーと中国人だ。オーストラリアの人口の3%は、中国人になった。日本人の人口そのものが少ないから自然と、日本食レストランの日本人客は圧倒的多数の中国人に押され気味になる。それにしても、オージーと中国人のあいだで、「日本ブランド」が健在だということは、なかなか嬉しいことだ。
オージーやオーストラリア生まれの若い中国人は、トヨタに乗り、レクサスを買いたいと思い、ソニーで音楽を聴き、キャノンを持ち、ニンテンドーで遊び、ジャパニーズマンガを読み、無印の下着にユニクロを着て、資生堂で肌を整え、DHCの化粧品を持ち、御木本で首元を飾り、週末は恋人と寿司バーで一杯やり、家族のバースデイパーテイーはスシのケータリング化、鉄板焼き屋だ。そういったオージーと中国人の「日本ブランド好き」が、いつまで続くものか、心配している。
いつか日本の捕鯨船がオーストラリアをかすめて南氷洋にまで来て捕鯨を繰り返し、オーストラリア政府が国際法廷に日本の違法性を訴えた4-5年前、日本の捕鯨船がクジラを殺すシーンが連日ニュースで流れた。そのために、私が日本人だとわかると、見ず知らずの人に、すれちがいざまに「クジラ食うなよ。」と脅されたり、唾を吐かれた人も出た。ことほど左様に国外にいる日本人の立場というものは国際情勢に左右されるものだ。日本に居る人にはわからない。
阿部政権は、秘密保護法を通過させ、政府に都合の悪い情報を隠匿、しジャーナリズムの独立的立場を挫き、札束で沖縄普天間基地の移転を強行し、いったん謝罪し決着がつきつつあった慰安婦問題を見直すといって蒸し返し、武器輸出三原則を見直し、靖国神社参拝して中国、韓国だけでなく米国も怒らせて、国民の70%が反対している原発を再稼働させ、ベトナムにまで輸出し、東電の刑事責任を不問にし、東京オリンピックのために、日々ふりかかる国民の放射能被害に目をつぶっている。
驚くばかりだ。これほど人権無視、人命無視の自民党政権が、かつてあっただろうか。世界の人々の間で「日本ブランド」が通用しなくなるとき、世界の人々が「日本ブランド好き」を捨てるとき、、、こぞって日本に背を向け、日本食レストランを襲い打ちこわし、日本人に唾を吐く日が来ないと、誰が言えるだろうか。阿部政権の暴走は、大変に危険なことだ。
郷愁をそそる美味しいうどんを食べながら、考える。
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