2012年6月26日火曜日

映画 「スノーホワイト」

映画「スノーホワイト」原題「SNOW WHITE AND THE HUNTSMAN」を観た。

1800年にグリム兄弟によって書かれた童話「白雪姫」のハリウッド バージョン。
「アリス イン ワンダーランド」を監督したルパード サンダースの作品。イギリスで撮影されたアメリカ映画、2時間10分の長編、アクションドラマ。「アリス イン ワンダーランド」と同じスタッフによって作られたそうだが、アリスのときは、アリスに、当時の結婚がすべてだった女の生き方を拒否させて、冒険魂をもった仕事する女として描いたところが とても斬新だった。今回も、同様、現代版白雪姫は 男には目もくれず、敵と戦い、自分の城と領地を守る戦う女として描かれている。肌の色が雪のように白いかどうかは、あまり問題ではないみたい。

キャスト
スノーホワイト :クリステイン スチュワート
悪の女王ラベンナ:シャーリーズ セロン
狩人エリック  :クリス ヘムズワース
ウィリアム   :サム クラフリン

ストーリーは
スノーホワイトは、王と王女に可愛がられて姫として育った。しかし王が病死した妻に代わって、ラベンナという女と再婚すると、ラベンナは王を殺し、城や領地を奪い、幼いスノーホワイトを城の牢獄に幽閉した。悪の女王ラベンナは 魔法の鏡を持っている。そしてこの鏡が宣言するこの世で一番美しい女王でありたいと、願っていた。牢獄につながれたスノーホワイトは冷たい石の監獄のなかでも日々、成長し美しくなっていた。ある日、魔法の鏡はこの世で一番美しいのはスノーホワイトだと言う。怒った女王は弟に スノーホワイトを連れてきて殺すように命令する。

スノーホワイトは 女王の弟が油断した隙を見て逃亡する。追っ手から逃れ、暗黒の森を彷徨ううち、スノーホワイトは、悪の女王がよこした狩人エリックに出会う。もともとエリックは自分の妻を悪の女王に殺されている。スノーホワイトを殺さなければならない理由はない。エリックは、スノーホワイトが持つ 邪悪な怪物を手なずけてしまう不思議な力に魅了されていた。追っ手から逃れながら、狩人エリックとスノーホワイトは、森の7人の小人の力を借りながら、暗黒の森を脱出する。遂に、殺された王の家臣たちが避難している城に到着。スノーホワイトは 騎士たちを組織化する。そして、戦士の先頭に立って、悪の女王が立て篭もる城を攻めて、落城させ、ついに女王ラベンナとスノーホワイトとの一騎打ちとなって、、、。
というお話。

ここでは、スノーホワイトは、父の仇を討つ戦う女で、全然色っぽくない。王の腹心の息子だったウィリアムとは幼馴染で、互いに魅かれあっていたが、スノーホワイトはウィリアムなしで成長し、再び出会った後は共に闘い、自力で女王の地位を奪取する。
追っ手だった狩人エリックとは、暗黒の森を脱出するための協力相手で、妻を失ったエリックに心を寄せるが、しょせん彼は狩人。スノーホワイトは、男に頼らない。最後にケリをつけるのは、スノーホワイト自身だ。
現代版白雪姫では、女の価値は 顔の美しさや若さからくる華やかさではない。信念を貫く、自分を曲げない強さが女の美しさだ、と映画は語っている。と思う。

大流行した「トワイライト」シリーズで、ずっと吸血鬼に恋をした女を演じた、クリステイン スチュワートは、確かにこの世で一番美しい女ではないが、戦う女の役を好演している。
さて、この世で一番美しくなくては気の済まないシャーリー セロンの怪演、、これはピカイチだ。36歳。この世で一番美しいモデルだ。そして、この人の演技力は秀逸だ。悪の女王が 若い女の首根っこを押さえて口を開けさせる。そして、自分もアゴが外れるほど口をシャー、、と開け、若さを吸い取るシーンなど、おばけの映画よりも怖い。ボロボロの肌が ツルツルとして若い女の肌になり、一方、見る見るうちに若い女が老女になっていく。CG技術もここまでできるようになった。迫力がある。

ところで、シャーリー セロンが主演した2本の映画が どちらも素晴らしく良くて忘れられない。ひとつは 「スタンドアップ」2006年、原作「NORTH COUNTRY」、ゴールデン グローブ賞受賞作で、全米で話題になった、実際にあった訴訟事件。
シャーリー セロンの美しい顔が 酔って暴力をふるう夫のために、見るも無残なアザだらけの変形した顔になったところから映画が始まる。女が夫の暴行に耐えられなくなって、16歳の息子を連れてミネソタの炭鉱の街にある実家にたどり着く。やっと見つかった仕事は炭鉱現場。男と肩を並べて働こうとすると、仕事を女なんかに奪われたくない男達が、徹底して嫌がらせをする。ここまで卑劣なことをやるか、と信じられないほどの暴力とえげつない虐め。しかし、彼女は訴訟を起こして 会社と組合員を相手に闘い勝利する。男の職場、炭鉱で女が働ける場を確保した と言う意味で画期的な事件で、実際にあったことを映画化したもの。もう彼女のいじめられ方がものすごくて、観ていて 何度も悲鳴をあげそうになった。

もうひとつの映画は、「モンスター」。これでシャーリー セロンは、2004年のアカデミー主演女優賞を受賞した。2002年に、実際あった連続殺人事件、アイリーン ロノスという娼婦が7人の男を殺した事件を映画化したもの。セロンは10数キロ体重を増やして、入れ歯を入れて、顔にシミを沢山つけて連続殺人犯を熱演した。これも、男の暴力に耐えかねて、まともに生きようとしても どんなにあがいても暴力から逃れられない。殺すことによってしか生き延びられない哀れな女の役で、私をたっぷり泣かせてくれた。本当に良い映画だった。

「スタンドアップ」も、「モンスター」も、「スノーホワイト」でも、セロンは、ものすごく壊れた怖い顔になったが、実際の顔が ゆがみひとつ無い完璧に美しい人だから ひどい顔になる役ばかり楽々とできるのだろう。南アフリカ生まれ。16歳のとき、アル中だった実父を実母が銃で撃ち殺す。自己防衛で無罪になった母親の力で バレエダンサーを夢見てニューヨークに出てくるが、膝の故障で断念。このころ母親の細々とした仕送りで生活していた彼女が、銀行でお金を引き出せない と言われ泣き喚いているところを、映画人に認められて、ハリウッドで成功することになったという。
実生活の様々な体験が、自分を捨てて役になりきることを求められる役者の実力をつけるための栄養素になっているに違いない。自由自在に変化する美しい顔の中にも 物語がたくさん秘められている、魅力のある女優だ。

2012年6月25日月曜日

映画 「デリカシー」


   
原題:「DELICACY」

監督:デビッド&ステファン フォーンキノス
原作:デビッド フォーンキノス

キャスト
ナタリー:オードリー タウトウ
マルコス:フランシス ダミアンズ
テーマソング:エミル サイモン「フランキーナイト」

ストーリーは
パリで出会い、愛し合い結婚したばかりのナタリーは、幸せの絶頂にいたときに、その愛する夫を交通事故で失くす。それ以降、ナタリーは まわりの人々に心を閉ざしたまま、仕事に熱中して時を過ごしている。職場では 皆から仕事の鬼と呼ばれ、嫌がられている。上司はこのときとばかり、妻子がありながら,ナタリーを誘ってものにしようと口説くが、ナタリーの防護壁は厚く 全く歯が立たない。ナタリーは仕事がすべて、、、それで、何年かが過ぎていった。

そんなナタリーが何とスキャンダラスなことに 突然職場で部下にあたるスウェーデン人の全く冴えないマルコスという男に、自分から近付いていって、激しいキスをした。マルコスも、前からあこがれていたナタリーに突然キスされて、嬉しくて嬉しくて有頂天。職場では、噂が噂を呼んで 大騒ぎになってしまう。ところが、当人ナタリーは、自分が他人にキスをしたことも、マルコスとのやりとりも何も記憶にない。マルコスに問い詰められて、
「私がもし、あなたにキスをしたならば、謝罪します。それは適切な行為ではありませんでした。」と、まったく素っ気無い。納得できないのはマルコスだ。彼はナタリーにすっかり恋をしてしまったのだ。しかし、この冴えない 禿げかかってくたびれた独身男、、、果たして、ナタリーの心を摑むことができるのだろうか、、、。
というお話。

オードリー タウトウが主演でなければ、全く観るに値しない映画だったろう。タウトウの、いつまでも大人になりきれないような、か細い首、少女のような体つき、いつも真剣な眼差し、大きな目、頼りない仕草、、、。独特の雰囲気を持っていて、他の女優に真似できない。映画「アメリー」で、大ブレイクした女優だが、何年たっても彼女は、アメリーのままだ。アメリーがタウトウで、タウトウがアメリーのよう、どちらが本物かわからない。

ここち良い音楽と、美しいパリの情景ばかり。夫を失くした女の心の情景が映し出される。何事も起きない。大した会話もない。ストーリーもドラマも起きない。ただ、美しい景色を背景に、タウトウが歩いたり、運転したり、立ち止まったりするだけだ。それだけで絵になっている。いかにもフランス映画だ。
ストーリーやドラマを求めている人には物足りないし、何を言いたいのか よくわからない映画だった、ということになる。

雨上がりのパリの夜。歩道に街の光が照らされて、二人して歩いてくる恋人たちがいる。突然、男がひざまずいて、女の薬指にリングを差し入れて、「結婚しよう」と言う。そのリングは 男の住むアパートのキーホルダーのリングなのだけれど、、。大写しになる オードリー タウトウの驚いて、男を真剣に見つめる顔、、、。このシーンが とても切なくて美しくて忘れられない。
フランステイストの、トリュフォーの映画みたい。 観ていてとても 心地よい。

2012年6月19日火曜日

映画 「ロック オブ エイジズ」


  

1987年、アメリカ。

歌手になることを夢みてオクラホマの田舎からハリウッドにやってきた女の子シェリーと、ライブハウスで働く青年、ドリューとのラブロマンスミュージカル。ブロードウェイで成功したミュージカルの映画版。 ロック オブ エイジズは、ロックの歴史と言うような意味。ロック オブ エイジドで、最後が、SでなくてDだったら、年寄りのロックという意味になってしまうから、注意が必要。ははは。

監督:アダム シャンクマン
キャスト
ステイシー ジャック   :トム クルーズ
ヘイ マン(チンパンジー):ミッキー
ドリュー ボレイ     :デイゴ ボネタ
シェリー クリスチャン  :ジュリアン ハー
ロスアンデルス市長夫人  :キャサリン ゼタ ジョーンズ
ロス市長         :ブライアン クラストン
ライブハウス主デニス   :アレック ボールドウィン
デニスの恋人       :ラッセル ブランド
ステイシーのマネージャー :ポール ジアマテイ

ストーリーは
オクラホマの田舎からロスに、歌手になることを夢みてやってきたシェリーは ロックで有名なライブハウス「バーボン」の店に前で 大切なレコードを入れたスーツケースを盗まれてしまう。そこで シェリーを助けようとしたライブハウスで働く青年ドリューに出会う。スーツケースを失って 途方にくれるシェリーを放っておけなくて、ドリューは「バーボン」の経営者デニスにシェリーを紹介する。運良く、シェリーはウェイトレスとして職を得ることが出来、ドリューとシェリーはすぐに愛し合い 一緒に暮らすことになる。ドリューも、ライブハウスで下働きをしているが、いつか舞台の上で自分の作った歌を歌って成功する日を 夢みていた。二人は共に励ましあいながら 自分達で詩を書き曲を作って練習を重ねていた。

ライブハウスに、ロックのスーパースターのステイシー ジャックが歌いにくることになった。彼はロックのカリスマ。約束の時間は守らない、酒を浴びるほど飲み、女達を従えて、屈強の用心棒達をかかえ、凶暴なチンパンジーを唯一の親友として常に連れ歩いている。強力なオーラを放ち、過度に露出と、セックスを連想させるパフォーマンスで女性ファン達のセックスシンボルになっている。彼の背中には天使の羽、左胸にはハート、乳輪に蛇、両腹に二丁のピストル 肩にナイフの刺青を彫り、全身レザーの服に身を包む。ステイシー ジャックの行くところ、見つめられた女はみな失神する。

現に シェリーもライブ前にドリューの前で失神。シェリーはウィスキーを持ってくるように言われて、ステイシージャックの舞台裏の小部屋に入る。そこでウィスキーのビンを割ってしまい、謝りながら部屋から飛び出してきたシェリーと、部屋の外で、皮ズボンを直すジャックの姿を見て、ドリューは二人が関係を持ったと誤解してしまう。ドリューに責められて シェリーは意味が分からないまま、怒って店を辞めて出て行ってしまう。
後を追うように、ドリューも、ステイシー ジャックのマネージャーの甘言に乗って、歌手の道が開けることを期待して、ライブハウスをやめてプロの所属歌手になる契約をする。

店を飛び出したシェリーに仕事は簡単には見つからない。行き倒れていたところを 拾われてストリップダンサーとして生きていくしかないことを悟らされる。ドリューもマネージャーの意向で ボーイズバンドのヒップホップを歌うことになって、自分の歌が歌えないことに希望を失っていた。
ある夜、ドリューが思い出の場所、ハリウッドの丘の上で、夜景を眺めていると、そこにシェリーがやってくる。短い会話の中で、ドリューが ジャックとシェリーか関係を持ったのは自分勝手な思い違いだったことを知って、深く後悔する。そして、ストリッパーとして生活の糧を得ていたシェリーのもとに、シェリーがむかし失った彼女の宝物だったレコードを探し出して送り、謝罪する。

再び ステイシー ジャックがライブハウス「バーボン」にやってきた。彼の前座を勤めるのは、ドリューの属する、ボーイズバンドのヒップホップだ。店の観客は一斉に、子供だましのボーイズバンドにブーイングを送る。ここに駆けつけてきたシェリーが、舞台に上がってドリューと二人で作った歌を歌いだし、ドッリューにロックにもどるように促す。ドリューは、シェリーを見て燃える。ロックバンドに戻った彼の歌に、観客は大喜び 熱狂する。これを機会に やがて二人はステイシー ジャックが出演する大きな舞台で、彼と共演できるまでに人気が出て、、、。
というハッピーエンデイング。

出てくる歌は
ボン ジョビの「ウォンテッド デッド オア アライブ」
デフ レパードの「POUR SOME SUGAR ON ME」
スコロピオンズの「ロック ユー ライク ア ハリケーン」
フォーリナーズの「I WANNA KNOW WHAT LOVE IS」
ジャーニーの「DON"T STOP BELIEVEN」
誰のか知らない「I WILL BE WITH YOU」
ボン ジョビの「I AM A COW BOY」などなど

デイゴ ボネタと ジュリアン ハーが演じる、ドリューとシェリーのカップルが、可愛い。デイゴ ボネタはまだ21歳のメキシコ人。あまいフェイスでパワフルに歌う。
ライブハウスの主、デニスとゲイの恋人関係も、可愛い。デニスを演じたアレック ボールドウィンは、54歳、ふだんは、弁護士とか刑務署長とか、シリアスな役ばかりに出ていたいたナイスな中年だったが、ヨレヨレのジーンズでロックを歌って踊るのには驚いた。恋人役のラッセル ブランドはイギリス人のコメデイアンだが、彼もまたパワフルに歌っていた。
キャサリン ゼタ ジョーンズがせっかく出ていたのに、彼女に充分踊らせなくて残念。最後にみごとな黒タイツ姿をちらっと見せてくれたけど。「シカゴ」で見せてくれたダイナミックなダンスが忘れられない。もう子育ては充分しただろうから、ミュージカル映画に復帰して欲しい。出演者みな 歌も踊りもうまい。良く聴く曲ばかり出てきて、歌唱力のある人たちが ストーリーにそって、歌って踊ってくれて とても楽しい。

しかしこのミュージカル映画、完全にステイシー ジャックこと、トム クルーズが食っている。「トムの、トムによる、トムのための映画」と言ってよい。徹底した奇人 奇行ぶり。羽目の外し方が 並みでない。チンパンジーと手をつないで、二人(?)で、人を食った予想外のことばかりする。アルコール中毒で、目が完全に宙を彷徨っている。そんなロックのカリスマが、いったんマイクを持って 歌いだすと 激しいリズムに 裸の体をのせて歌いまくる。パワーがすごい。49歳のトム、エネルギーパワー全開だ。3万人のアリーナに集まった観衆が 熱狂して絶叫する。
ガンズ アンド ローゼスのボーカル、アクセルローズの教授を受けたそうだが 先生がいても誰にもできることではない。パワーに圧倒された。やはり、トム クルーズは役者として天才的なひらめきと、実力を持っている。

ロックは永遠だ。カントリーミュジックや、ブルースや、フォークや、ヒップホップや、電子音などを取り入れながら時代と共に どんどん変化していく。しかし、ロックはいつも、歌う人と聴く人とのへだたりを最小限に縮めて 一体となって楽しむこのとできる場だ。ロック オブ エイジズは君が、そして君が、継承して、つないで行くものだ。だからやっぱりロックって最高。

2012年6月14日木曜日

イングリッシュ ナショナルバレエ公演

                               
イングリッシュ ナショナル バレエ公演を観た。

シドニー中心からハーバーブリッジを越えた北部に住んでいるが、近所のチャッツウッドに、新しい公会堂ができた。その杮落としに、イギリスからはるばるバレエ団が呼ばれたというわけだ。500席しかない新しい劇場は、大学の階段教室みたいだが、どの席からも舞台が近くて、バレエを観るには丁度良いサイズの劇場だ。

このバレエ団はロンドンを拠点に活動しているバレエ団で、60年の歴史をもつ。現在60人あまりのダンサーを抱えていて、ストリートダンサーと共演したり、現代音楽に挑戦したり、バレエ学校を開催したり、活発に活動しているようだ。芸術監督は、ロイヤルバレエのプリンシパルだった スペイン人のタマラ ロホになったという記載があったが、今回来豪したグループの芸術監督は、ウェイン イーグリングというカナダ人だ。この人は ロイヤルバレエ団で30年あまり踊っていた人でロイヤルバレエのあと、オランダ国立バレエ団の監督を10年ほどしていた人。今回シドニーに来た踊り子は、22人。

プログラム
1)アポロ:ストラビンスキー作曲
2)マノン:マーテイン イェッ編曲
3)ブラックスワン:チャイコフスキー作曲
4)ドンキホーテ :ルドウィグ ミンクス作曲
5)スーツ エ ブランク :エドアルド ラロ作曲

プリンシパルは ダリア クリメトバ(チェコ共和国出身)と、エレノア グルデシドス(ジョージア出身)。男性プリンシパルは ドミトリ グルゾフ(ロシア)とアナオール ベルガス(キューバ)。ソロイストに バデイム ムンタギロフ(ロシア)、アナエス シャレンダート(フランス)、アデラ ラミレズ(スペイン)、ファビアン レイマール(オーストリア)、ヨナ アコスタ(キューバ)、ローレント リタルド(フランス)、マックス ウェストウェル(イギリス)、ジア ザン グ(中国)、アンジェラ ウッド(USA),ヴィッター メンデス双子の兄弟(ブラジル)、テオ ダブレル(イギリス)、これに日本人が4人、ケイ アカホシさん、センリ コウさん、シオリ カセさんとケン サルハシ君。

興味深いのは イングリッシュ ナショナルバレエ団なのに、英国人が二人しか居ないこと。監督もカナダ人だし 団員の国籍が11カ国。バレエ団全体では団員の国籍が、20カ国を越えるそうだ。監督は、メデイアのインタビューに答えて、「最高のダンサーを揃えてきたら、結果としてイギリス人だけでなく外国出身者が多くなっただけだ」と答えている。日本出身のバレエダンサーは、どこの国でも、とても活躍している。オーストラリアバレエ団にも日本人が数人レギュラーメンバーになって踊っている。

若手のバレエダンサーの登竜門といわれるローザンヌ国際バレエコンクールで 今年1位になったのも、菅井円加(まどか)さんという神奈川出身の日本人だ。クラシック部門でも、現代舞踊の部でも 抜群の音感のよさで、審査員達を感心させたという、17歳。頼もしい。

バレエを観ていると 昔のバレエと違って、テクニックが上がってきて アクロバット並みのバランスや、跳躍力を見せてくれる。それに、昔の舞台では余り要求されなかった顔の表情、物語を表現する表現力が加わって とても、パフォーマンスそのものが、難しくなってきている気がする。それだけでもプロとして、大変なのに、どの国でも政府の助成金が 充分得られず、芸術愛好家によるスポンサーシップも減ってきている。悲しいことだ。
ロイヤルバレエでも、アルバートホールの5000席がすべて お客で埋まっても、パフォーマンスにかかる費用の40%にしかならないという。60%は 政府の助成金で 辛うじて公演を続けているのだ。
プロのダンサー達が それぞれのバレエ団に所属して きちんとした給料が受け取れるようにならなければ 質の高いパフォーマンスはできない。

舞台の硬い床をカタカタ、乾いた音でトウシューズが舞うときの音が好きだ。ジャンプした踊り子が コトリと着地する時の音も好きだ。今回のダンサーたちは、みな素晴らしかった。 芸術で生きていくのは大変、、、と子供のときから沢山の人に言われながらヴァイオリンを弾いてきた。それだけに素晴らしい歌い手、夢のような美しい踊り子、立派なパフォーマーには、本当に心を込めて拍手せずにはいられない。

2012年6月10日日曜日

映画 「メン インブラック 3」

                         
製作総指揮:スピルバーグ
監督  :ハリー ソネンフェルド

キャスト
J :ウィル スミス
K :トミー リー ジョンズ
若いK:ジョシュ ブローリン

ストーリーは
地球に生息するエイリアンを監視する極秘組織「MIB」のエージェント捜査官「J」と「K」の活躍するサイエンスフィクションコメデイー。
良いエイリアンは、地球の人と協調して生活しているが、とんでもなく悪いエイリアンも居る。それを取り締まる「J」と「K」は、長い間組んできた相棒同士。二人そろってブラックスーツにサングラス、口数少ない「K」は、のべつ幕なしにしゃべっている口数の多い「J」に全幅の信頼を寄せている。

ある日「J」が目が覚めてみると「K」が居ない。「MIB」の署長は、「K」は40年前にエイリアンに殺されたと言う。時に、凶悪犯片腕のモンスターが脱獄して、宿敵「K」を殺そうと狙っていた。「J」は、過去に遡って「K」の命を救わなければならない。「K」がいなければ、40年後の今の自分はないことになる。「K」に生きてもらわなければ。かくして、「J」はタイムマシンに乗って 1970年代に戻って、「K」を取り戻す。人類の夢である月へのアポロの打ち上げが、カウントダウンされていた。エイリアンは、人類の夢アポロに、、、。というお話。

SFだから「MIB」のオフィスが、超近代的で3Dで映像をみせるコンピューターを駆使して捜査官たちが立ち働くマシンの数々に目を瞠る。こんなマシンがあったら、いいな と思うような 着想の良さ。 また、おもしろいのは びっくりするような姿や形のエイリアンが 当然のように地球人と一緒にオフィスで働いていたり、街を歩いていること。普通の人には、それがわからない。見える人にしか、見えないのだ。結構 有名な芸能人が実はエイリアンだった、などの「おふざけ」も、普通に画面に出てくる。下半身が魚だったり、頭が体より大きかったり、腕の中に飛び道具を備えたエイリアンがいたり、「ちょい悪」もいれば、徹底して極悪なエイリアンもいる。中国街では、カンフー使いの中華風エイリアンが牛耳って違法行為を働いている などなど、とても笑える。

「J」が40年前にタイムスリップしてみると、1970年代はまだ アフリカ系アメリカ人への差別が強い時代。黒い人はエレベーターに入ってきただけで 嫌な顔をする人が多い時代だ。「J」が話しかけても 返事もしない人が多いのに、まったく構わず誰彼と無く平気で、ラップな感じで話しかけ ジョークを飛ばす「J」の姿が、またまたおかしい。差別社会の冷たい反応に反応しないことで、現在の地位を勝ち取ってきた 差別される側の対応をサラリと、見せてくれる。エデイ マフィが、一分間に5つも6つも、立て続けのジョークを言って、差別白人から苦笑、そして、ついに本物の笑いを勝ち取ってきたように。ウィル スミスは、独特のスマートな態度で、差別白人との間隙を埋める。なかなか、芸が細かい。

現在66歳のトミー リージョンズが40年前の役を 42歳のジョシュ ブローリンが演じている。本当は26歳の設定なのだけれど、40年前も今も「K」は地味で老けていた。ジョシュ ブローリンは 若いころのトミー リージョンズにそっくりに変身していておかしい。それだけでも笑える。
トミーリージョンズは、年をとってさらに渋くなった。ハーバート大学卒、学生時代はフットボールの花形選手だった。クリントン元大統領のもと、副大統領だったアル ゴアと同級生で親友、今も交流があるという。アル ゴアは、クリントンのあと大統領候補として選挙戦を闘いジョージ ブッシュに敗れて政界を去り、環境保全、自然保護運動でフイルム「不都合な真実」を作って アカデミー賞を受賞した。
トミー リージョンズは「逃亡者」でジェラード警部役でアカデミー男優助演賞を取り、「ノーカントリー」では、偏執狂の殺人者が狂いまくる画面のなかで、ひとりだけ人間味のある刑事の役を演じていた。とても良い役者だ。その彼が今回の映画では余り出てこなくて、彼の代わりに、若いころの彼をブローニンが渋く決めている。

ウィル スミスはスマートだが口数の多い、動きの大きい、ひょうきんなエージェント。どうして自分がベテラン捜査官「K」の相棒に抜擢されたのかわからなくて、ずっと疑問に思ってきた。その二人の結びつきの以外な契機が 今回の映画で明らかにされる。ふむむ、そうだったのか。だから、「K」は「J」をピックアップしたのだったのか、という訳。ホロリとさせられる。

細かいデテイルを見ていると 笑えるところはいくらもある。テンポが速いので、気がつかないで見逃した笑いも沢山あると思う。楽しい映画。同じ笑うなら 現実社会のドタバタを笑うより、SFのコメデイで笑うほうが楽しい。
でも、テーマソングくらい、タミー エルフマンに歌わせないで、ウィル スミスに歌わせればいいのに、と思ったのは私だけではないのではないかしら。

2012年6月6日水曜日

映画「ザ レデイー ひき裂かれた愛」

              

数日前、国会議員に選出されたアウンサンスーチーが、24年ぶりにビルマ国外に出て、タイを訪問した。かつて戒厳令下のビルマでは、民主化運動が圧殺され 多くの活動家達や、軍政によって迫害された人々が、国境を越えてタイに逃れた。この何万人もの避難民は、今でも生活難から難民キャンプに留まっている者も多い。自宅軟禁を解かれたアウンサンスーチーが 24年ぶりに自由に国外に出られるようになり、最初の訪問先、タイで、自国の人々に熱い言葉をかけて回った。

わずかではあるが、ビルマ軍事政権の民主化、アウンサンスーチーの国会への参加を認めるなどの動きに対して 米国政府は 長年にわたる金融制裁を解除、ビルマ駐米大使任命などの動きを見せている。オーストラリアも英国と共にEUの経済制裁を1年停止することに合意した。
しかし、ビルマの国会議員のほとんどは、制服軍人であり、立法司法行政すべてが軍が掌握している。国民会議の補欠選挙でアウンサンスーチーは議席を確保したが、民主化への道のりは、いまだ遠い。

原題:「THE LADY」
監督:リック べッソン 
キャスト
アウンサンスーチー:ミッシェル ヤオ
マイケル アリス :デヴィッド シューリス

この映画は、英国人の夫と二人の息子とロンドンで暮らしていたアウンサンスーチーが 母親の病気見舞いのためにビルマに帰国する1988年から 夫と死に別れることになる1999年までの、彼女の家族に焦点を合わせた姿を映画化したもの。

ストーリーは
ビルマ独立運動を主導して、建国の父と慕われるアウンサン将軍が まだ幼い一人娘のスーに物語を語り聞かせているシーンから映画が始まる。
美しい湖に面した古い洋館。迎えの車がやってきて、将軍は娘を抱きしめて、仕事に出かけていく。そこで 将軍は反対勢力に暗殺されて、娘のもとには二度と戻っては来なかった。

その後、スーは イギリスでオックスフォード大学で学び、チベット研究者マイケル アリスと結婚、ロンドンで二人の息子達と暮らしていた。しかし、1988年4月、ラングーンに住む母親が病に倒れたという知らせが入り、急遽スーは母親の見舞いのために帰国する。家族には1週間で戻ると言い残してきたが、そのまま二度とスーは、ロンドンの自宅に戻ることは出来なくなった。

この年、1988年は、学生を中心に反政府、民主化運動が盛り上がってきた時だった。スーは、母親が入院している病院で、軍と衝突して傷つき病院に収容された学生達が、片端から連れ去られて虐殺される様子を目撃する。武器を持たずにデモをする無防備の学生達が、武器を持った軍人達に無造作に殺されていく。軍政府は 暗殺された将軍の娘スーの動きをスパイし、彼女が活動家達と接触するのを警戒していた。しかしスーには、殺されていく学生たちを目撃して、すでに選択の余地はなかった。病院から退院した母親を連れて、自宅に戻るとスーの家には 活動家達が続々と集まるようになる。とうとう家は、民主化運動の事務局の様になってしまった。活動家達が望むように、ビルマ独立の父アウンサン将軍の娘スーが 民主化運動の代表者になるのは自然の成り行きだった。

同年7月、軍事クーデターにより独裁政権を布いていたネ ウィン将軍が辞任するに伴い、大規模な民主化運動が広がり、スーは、50万人の聴衆に向かって民主化を進める決意を表明する。夫も二人の子供達も駆けつけて、スーを応援する。しかし9月には国軍が再びクーデターを起こし、ソウ マウンを議長とする軍政権が誕生、民主化運動は徹底して弾圧される。スーの夫や息子達は国外排除され、活動家たち、数千人が虐殺されて犠牲となる。
スーは1990年に予定されている総選挙に出場するため 国民民主連盟を結党、全国遊説をはじめたところで 1989年7月、軍政権によって自宅軟禁された。1990年5月の総選挙では、国民民主連盟が圧勝した。にも関わらず軍事政権は、スーの自宅軟禁は解かなかった。夫と息子達は 幾度も幾度もビルマ入国を申請するが許可されず、夫も息子達もスーに会うことが出来なくなった。電話も、軍事政権の妨害電波のために、思うように家族で話しをすることも出来なくなる。

そんな中で1991年ノーベル平和賞が授与されることになった。国外に出ることのできないスーの代わりに、夫と二人の息子が授与式に出席、長男のアレックスが受賞の挨拶をする。スーは自宅軟禁されて、仲間とも家族とも連絡不通になっている中でノーべル賞受賞の様子をテレビで見ようとすると 軍は停電の嫌がらせをする。玄関先に軍人が立って、監視し、スーは徹底的に孤立させられる。

ビルマ入国を要求する夫の申請を、軍は繰り返し却下し、1999年、夫は遂に前立腺癌で亡くなる。死の直前まで 夫のか細い声とスーの声を繋ぐ電話線は妨害を繰り返される。弱弱しい夫の声にスーはとうとう居たたまれなくなって「わたし帰ろうかしら。」と問う。いったんスーがイギリスに帰れば二度とビルマに入国できない。ビルマの民主化運動の火は消えてしまう。夫は気丈に最後まで、「僕は大丈夫、君はビルマから出てはいけない。」と言い続けて 遂にホスピスで亡くなる。

2007年9月、仏教僧侶達が立ち上がる。国会にむかう道を何百何千という僧侶達が埋め尽くす。人々が拍手をしながら僧侶達のデモを守るように取り囲む。というシーンでこの映画は終わる。

しかし私達は、2007年の僧侶達の勇気ある反乱を事実として見てきた。素足 素手で軍に向かった僧侶達の抗議行動の激しさ。国民から尊敬され心の支えである僧侶達を、軍は軍靴で蹴散らし虐殺し、見せしめに僧侶の死骸を野にさらした。軍は寺を襲い、破壊の限りをつくした。累々たる僧侶の屍によって、民主化運動は再び圧殺された。

2009年5月には一人のアメリカ人が、スーの自宅に泳いで侵入したことで、スーの関わりある事ではなかったのに、自宅軟禁条件違反、国家転覆の罪状で、彼女は実刑を言い渡された。

このような、明らかな人権を蹂躙してきたビルマ軍事政権は 世界諸国から経済制裁を受け、孤立してきた。2011年6月 政府は遂にスーと話し合いの可能性を示し、政治活動を許可する。そして、2012年4月のビルマ議会補欠選挙に国民民主連盟から出馬して、議員に選出される。軍政のなかで、議員としてのスーにできることは何か。民主化への道は、いまだに、とても遠い。

映画では 中国人のスター、ミッシェル ヤオが、スーを演じた。顔が全然違うのに 映画を見ているうちにミッシェルが、スーの顔に見えてくる。何よりも、たたずまいがそっくり。さすが一流の女優だ。民衆に向かって演説する語調の確かさ。歩き方から顔つき、しぐさまで熱心に研究して、ビルマ語も習得し、スーのなまりまで完全にものにしたそうだ。
カンフーアクション映画では女剣士で飛んだり空中で相手と刀で切りあったりしたかと思うと、映画「さゆり」では、日本の芸者になりきって三味線を弾きながら長唄を歌っていた。役者として、ものすごく努力をする人。ミッシェル ヤオが演じて、とても良かった。また、夫役のデヴィッド シューリスが 素晴らしい名演で、泣かせてくれた。

むかし、ビルマの友達と話していて、無遠慮にミャンマーと言ってしまった時、彼女は、にこやかに、でも毅然として「ビルマと言って」と訂正してくれた。軍事政権が勝手にビルマの長い歴史を否定してミャンマーと国名まで変えてしまったのは ビルマの人々の総意ではない。彼ら軍は、未来都市のような近代的な人工首都まで作ってしまった。私達は誇り高いビルマの人々を尊重してミュンマーではなく、ビルマと言うべきなのだ。
楚々として美しいアウンサンスーチーの映画、とても良い。日本では7月中旬に公開と聞いている。

2012年6月1日金曜日

映画 「カストラート :ファリネリ」


原題:「IL CASTRATO: FARINELLI」              

1994年 イタリア、フランス、ベルギー合作映画
監督:ジェラール コルビオ

キャスト
ファリネリ、カルロ ブロスキー:ステファン デイオニジ
兄、リカルド ブロスキー   :エンリコ ロヴェルソ
アレクサンドラ        :エルザ ジルベルシュタイン

カストラートと呼ばれる去勢されたオペラ歌手、ファリネリ、カルロ ブロンスキー(1705年ー1782年)の半生を描いた映画。1995年のゴールデングローブ賞、アカデミー外国作品賞受賞作。
このフイルムのことは知っていたが、見る機会がなかったので、このあいだ日本に休暇で帰国したとき、日本語字幕つきのDVDを手に入れて やっと観ることが出来た。

ファリネリの愛称で呼ばれていたカルロ ブロンスキーは 1705年、イタリアのナポリで、貴族の家庭に生まれる。父は音楽家、8歳年上の兄は作曲家で、カルロは幼少のころから美声を認められ、教会の聖歌隊で歌を歌っていた。父の死後、兄の意志により、カルロは、8歳の時に睾丸除去の去勢手術を受けさせられ、カストラートとなる。

当時の教会では、女はしゃべったり歌ったりすることが許されていなかった。カトリック教会としては ボーイソプラノの高音を変声期を経たあとも歌える歌手が是非とも必要だった。ボーイソプラノは子供なので 高音は美しいが声量がない上、持久力もない。テナーは声量はあるが 高音が出ない。ボーイソプラノとテナーとの間を埋めるためには 変声期を迎える前の少年に去勢をする必要があった。1599年のローマで 初めてカストラートが登場したと言われているが、16世紀以前から存在していたともいわれる。カトリック教会は これを奨励も公認もしていないが、黙認していた。

その後、イタリア ルネッサンスの到来によって、解剖学や医学の発展がみられ、安全に睾丸除去手術ができるようになる。また、イタリアオペラが誕生し、発展すると、一挙に、カストラートの需要が増加した。「教会音楽」に取って代わった「オペラ」が、各地で爆発的な人気を得たことで、さらに多くのカストラートが 歌うことを期待された。ピーク時には、毎年5千人もの、10歳前後の少年が去勢されたと言われている。

カストラートの多くが 貧困家庭の子供であり、本人の意思に関係なく音楽素養のある子供が家族の犠牲になった。すぐれたカストラートは 王家や貴族のパトロンをもって 贅沢な暮らしをするものも多かった。彼らは中国の例と違って、睾丸のみ切除されたので、性生活には支障なく、子孫を残すことは出来なかったが、恋愛も愛人との性生活も自由に持つことが出来た。

カストラートのための音楽教育は盛んに行われ、べカント唱法、バロック音楽のスピッカートコロラトーラなどが発達した。現在、発声練習に使われているソルフェージュは カストラートの教科書だったものだ。
また、幼少のころのベートーヴェンは、ボーイソプラノの歌い手として才能を認められていたため、カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親が、息子には楽器の名手として育てることを望んだ為 手術をうけることにはならなかった、というエピソードがある。

300年間のカストラートの栄華の歴史が閉じられたのは、フランス革命による女性進出や、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙思想の動きが契機だった。イタリアに侵略したナポレオンは強権的に、カストラートを禁止した。正式に1902年に法王の聖歌隊からカステラートが排除されて、完全にその歴史は終息させられた。

ファネリは、カストラートの中では珍しく貴族出身で、驚くべきことに、3オクターブ半の声域を自由に歌いこなしたと言われる。美声だけでなく容姿にも恵まれ、豊かな女性関係もち、人々にもてはやされた。イタリアから全ヨーロッパの舞台に立ち、スペイン王フェリペ5世に請われて 20年余りスペイン宮廷に仕えたあと、イタリアのもどり、ボローニャで静かに老後を過ごし、77歳で亡くなった。このような数奇な人生を送ったオペラ歌手の半生が、この映画で描かれている。

映画のストーリーは
幼いカルロが教会の聖歌隊で歌っているところから映画が始まる。歌っている少年達の目の前で たった今、去勢された少年が全裸で、最上階から飛んで自殺する。何故、聖歌隊の仲間が 自殺しなければならなかったのか、カルロには理解できない。父親に聞いても 兄に聞いても、みな黙り込むだけ。カルロは恐怖感から歌うことができなくなってしまう。

年月がたち、カルロは美しい青年になった。有名な声楽教師 二コラ ボルボラに執事している。父は亡くなり、作曲家の兄が親代わりになって カルロを世話している。カルロの美しい歌声はナポリで評判になり、貴族アペラ家のマーガレット バターがパトロンとなり、ファリネリの名前で、ヨ-ロッパ各地で興行して、成功する。ファリネリは、美声と恵まれた容姿のために、人々から絶賛され、貴族の女達は 競って自分のものにしようと誘い、彼もそれを断らなかった。豊かで自由奔放な性生活をもつ。

作曲家のヘンデルは、イギリス国王に仕え王立劇場を率いていたが、早くからファリネリの才能を認めて、自分の劇場に招聘していた。しかし、ファリネリだけを呼んで、兄のリカルドは 来てはいけないと、ヘンデルは言う。ヨーロッパ中で大人気となったファリネリの才能に対して、凡庸な兄のリカルドの作曲能力を ヘンデルは軽蔑していた。
ファリネリは ヘンデルが、歴史に残る今世紀最大の作曲家であることに気がついていたが、貴族と国王との権力争いが、泥沼化しており、貴族をパトロンにしていた立場上、ヘンデルのもとには行くことが出来なかった。当時、ファリネリの音楽の師、ニコラ ボルボラとイギリス国王の王立劇場を率いるヘンデルとはライバルで、激しい権力闘争をしていたのだった。

ヘンデルの曲を歌いたいと願っているファリネリのために、恋人のアレクサンドラは、ヘンデルの書き下ろしの曲を盗んでくる。それを ファリネリが劇場で歌ったとき、それを聞いていたヘンデルは激怒して、自分は二度とオペラを書かない と宣言し、ファリネリを、悪し様にののしる。ファリネリはこれを契機に、ヘンデルとの確執や兄の能力の限界に嫌気がさして、密かにスペイン国王のもとに行く。
というお話。

映画では二つのテーマが語られる。一つはファリネリと兄との愛憎。歌手と作曲家の兄弟が手と手を取り合って、共に芸術のために邁進する。しかし、兄は自分の作曲した曲で、弟とともに成功して世に出るために、弟を騙してきた。ファルネリには、落馬事故の結果、睾丸にダメージが起きたと説明してきたのだ。事実をヘンデルから告げられたファリネリは兄を決して許そうとはしない。

もう一つのテーマは、ファリネリとヘンデルとの確執だ。ヘンデルもまた 兄リカルドと同じように ファリネリを自分のものだけにしたいと願っている。高慢で自信家のヘンデルは、悪し様にファリネルの兄の作った曲をこき下ろすのも、ファリネリを自分のものにする為だ。ファリネリも、ヘンデルの王家をバックにした権威主義や押し付けがましい態度に辟易しながらも、ヘンデルを高く評価している。二人のより美しい音を求める芸術家どうしの憎しみと嫉妬と愛情が、とてもよく描かれている。

当時の王家や貴族たちの暮らしぶりや、美しいヨーロッパの自然が古典オペラの調べに乗って映像化されている。劇場にオペラを聴きにくる王侯貴族達のきらびやかで豪華な服装。装飾の多い劇場や建物、家具、調度品が、みな美しい。ふんだんにレースを使った服装、舞台衣装も素晴らしい。馬車で移動するヨーロッパの緑豊かな自然の風景が目に滲みる。美しい抒情詩を聴いて観ているようだ。

ヘンデルのオペラ「リナルド」から、「涙あふるる」を歌うファルネリの姿は迫力がある。美しい高音が響き渡って美しい。映画が終わっても、しばらく耳について離れない。一流の音楽映画として、完成している。映像も音楽も素晴らしい。

 涙あふるる
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を
 どうか泣かせてくれ 求めさせてくれ 自由を
 哀しみよ
 このねじれを 壊してくれ
 この悩みを どうか 壊してくれ
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を

これらの歌詞が ファルネリの魂の絶唱にも聴こえてきて、いつまでも耳について離れない。
美しい映画だ。