2012年2月26日日曜日
ACO定期公演でポリーナ レスチェンコを聴く
http://www.youtube.com/v/78QC1X-xD7w&hl=ja_JP&feature=player_embedded&version=3%22%3E%3C/param%3E%3Cparam
今年最初のオーストラリア チェンバー オーケストラの定期公演に出かけていった。リチャード トンゲテイ団長の率いる室内弦楽奏団、今年も年間7回の定期公演をする。
リチャードが愛用しているヴァイオリンが、1743年 カロダスという名のついたグルネリで、パガニーニが愛用したヴァイオリンと同じ樹から作られた名器だ。チェロのテイモ ベッキが使用しているのも リチャードのヴァイオリンと同じ1729年、ジョセッペ グルネリが作ったチェロ。コンサートマスターのサトゥ ヴァンスカが演奏するのは1728年のストラデイヴァリウス、そして、第二ヴァイオリンコンサートマスターのヘレン ラスボーンが貸与されているのが、1759年のガダニーニだ。これだけの世界の宝を このオーケストラのメンバーが貸与されている。とても名誉なことだ。それだけの実力と、日々の努力があってこそだ。素晴らしい楽団。彼らの演奏を 10年あまり聴き続けてきた。いつも新しい、そして、いつも聴いて良かったと思う。
プログラム
「カプリス オン カプリス」パガニーニ
「ピアノコンチェルト 第1番」 ショパン
「ピアノコンチェルト」(作品40) ゴレッキ
「ピアノと弦楽8重奏曲」(作品20)メンデルスゾーン
ゲストピアニストは ポリーニ レスチェンコ。
ベルギー生まれのロシア人で、マルタ アルゲリッチの秘蔵っ子。まだ20代の若い美しい女性だ。
アルゲリッチとレスチェンコとの二重奏は、CDになっているし、彼女の超技巧的演奏は、話題で大人気になっている。実際は、どんな人かと思って見ていたら、漆黒のドレス、小柄で飾りのない まるで女学生のような清楚な姿で登場した。可愛らしい。
ショパンは、耳によく聞きなれた曲。期待を裏切らない華麗な演奏でとても良かった。ショパンは、いつも聴く耳に直接聴こえてくる。ショパンは 沢山の人が 沢山集まっているところで演奏されるために作曲したのでなく、たった一人の人のために作曲し、たった一人の人のために演奏される。だから、ショパンを聴くと、いつも泣きたくなる。何て繊細で華麗な曲だろう。
ゴレッキのコンチェルトの、ダンパーペダルを踏み抜くかと思うほど 強烈な強音の連続には、驚愕。そして、メンデルスゾーンの弦楽8重奏との演奏は ハイスピードで技巧的、それがとても完成されていて、美しい音の掛け合いだ。
ポリーニ レスチェンコの演奏、とても良かった。
若くて、華奢な体で パワーがみなぎっている。
とても満足した。
2012年2月21日火曜日
映画「マイウィーク ウィズ マリリン」
英国BBCフイルムが作った映画、「マイウィーク ウィズ マリリン」を観た。そのまま訳すと「マリリンと過ごした一週間」という邦題になるだろうか。
マリリン モンローをミッシェル ウィリアムズが演じて 3つのゴールデングローブ賞とアカデミー賞にノミネートされている。
http://myweekwithmarilynmovie.com/
監督:サーモン カーテイス
キャスト
マリリン モンロー :ミシェル ウィリアムズ
コリン クラーク :エデイ レッドマイン
ローレンス オリビエ;ケニス ブラナン
アーサー ミラー :ドウグレイ スコット
全く期待しないで観たのに、とてもよかった。すごく得をした気分。良い映画を観た後の余韻が残っている。
マリリン モンローは 私が映画を見るようになった頃には もう亡くなっていて過去の人だった。ケネデイ家とのスキャンダルや、「寝るとき身に着けるのはシャネルナンバー5だけ」とか、ヘンリー ミラーと結婚するとき、「世界一の美女と世界一頭の良い男が結婚するから 世界一美しくて頭の良い子ができるわね。」と、言ったら、「世界一醜くて 世界一頭の悪い子供ができるかも。」と返されたという話が残っているだけだった。露出過剰で、セクシーだけが売りもので、ちょっとオツムの弱い女というレッテルが先行していて、、「そうではない」と弁護する人が少なかったと思う。
たくさんの歌を歌い、踊り、映画に出演して、アメリカを代表する大スターとして、死ぬまでトップスターであり続けたのだから馬鹿であるはずはない。
そんな彼女を オージー俳優で、たった25歳で死んだヒース レジャーの妻だったミッシェル ウィリアムズが演じている。「ブロークバック マウンテン」、「マイ ブルーバレンタイン」、「ドライブ」で 彼女の映画を見てきたが、とても良い女優だ。ここでは、完全にマリリンになりきっている。ヒース レジャーがそういう役者だった。一つの役を与えられると、撮影が完全に終わるまで 何ヶ月も完全に その役になりきって、自分には絶対戻らない、という徹底した役者だった。
ミッシェルが、マリリンを演じると、その肌の輝きに目を瞠る。画面に彼女が登場すると 美しくて場面が輝き始める。本当にマリリンはスターになるべくして成ったスターだったのだ、と納得がいく。
端役として、芸達者なジュデイ デッチや エマ ワトソンが出ていて、華を添えている。
ストーリーは
1956年 初夏。
30歳ンマリリン モンローは 3週間前に劇作家ヘンリー ミラーと結婚したばかり。英国のローレンス オリビア卿は「王子と踊り子」の映画制作を企画して、主演の踊り子にモンローを抜擢しアメリカから招聘することにした。そのときコリン クラークは23歳。英国の由緒ある貴族出身だが、親から自立して映画制作所で仕事を始めたばかりだった。ローレンス オリビエが監督、主演、製作するこの映画の アシスタント製作者として働くことになる。
鳴り物入りで ハリウッドからヘンリー ミラーと共にやってきたマリリンは、最初だけ歓迎される。しかし、撮影が始まると、製作者として自分の思い通りにマリリンを操縦しようとするローレンス オリビエは、短気で腹をたてて当り散らすばかりなので、マリリンはすっかり萎縮してしまう。もともとマリリンは、大スターではあったが、両親に愛されて育ったことがない。片親のもとで育ち、孤児院に入れられたり 幼児虐待にも遭っていて、自分に自信を持てないという心に傷があった。撮影は進まない。せりふの言い方から演技にまで口を出すローレンスのやり方に、マリリンは 不安感から、常用している睡眠薬が手放せない。翌日の撮影が怖くて眠れない。いったん眠ると起きられないので撮影時間が守れない。保護者である夫 アーサーも愛想をつかして帰国してしまう。
コリン クラークは偶然マリリンと夫との諍いの会話を聞いてしまい、マリリンが泣く姿を目にしていて、何とか力になりたいと思っている。ローレンスのメッセージを届けるために、マリリンのもとに通ううち、自然と心が通じるようになって、マリリンはコリンだけには会話ができるようになる。そしてコリンを通じてのみ、映画制作に関わっていくようになる。映画撮影は そんな状態で辛うじて進行していき、、、。
というお話。
舞台俳優で英国の誇り、ローレンス オリビエ卿からみたマリリンは 全くムービースターという別世界の人間だ。自分の思い通り「オツムの弱いセクシーなショガール」を演じてくれれば それで良い。事は簡単。それが 何故出来ないのかが、わからない。褒めておだてて 手のひらの上で踊らせようとするが 怖がって引っ込んでしまったり 泣いたりわめいたりして手がつけられない。アメリカのスターってなんだ? ということになる。妻のビビアン リーがローレンスがマリリンに手を出さないように監視しているのも、気に入らない。もう、ビビアン リーのヒステリーに付き合っていられない。別れ時かもしれない。そんな、ローレンスの状況がよくわかる。
いつでもパワーが人を醜くする。白黒映画の時代のローレンス オリビエ、ビビアン リーの美しさは格別だったが、年をとり、時代が変わったのに、パワーを持つようになってしまうと、もう何の魅力もない。
一方のマリリン。
常に脚光をあび カメラの前でポーズを取る大スターの顔と、自信を失って泣きじゃくる姿のギャップ。撮影所から抜け出しても「あ マリリンだ」と すぐに見つかって人々の群れに追われる。どんな時でも人に捕まれば スターとしての笑顔で、ポーズを取り、ジョークで人を笑わせる。徹底したプロのサービス精神。拍手で迎えられれば プライベートな時間でもカメラサービスをして歌まで歌ってみせる。疲れ果てて、睡眠薬に手をのばす姿が哀れだ。
そしてコリン。
古くから続く貴族の家で生まれて育った若いコリンの何の偏見や思い込みのない澄んだ目が捕らえたマリリンを、傷ついた雛を抱えるようにして、マリリンの側に立とうとする姿が とても良く描かれている。未成熟なその胸に飛び込んだマリリンの再生を見届ける 優しい目差しが 美しい英国の古城や自然とともに、叙情的に語られる。そのようにして、男は一人前の男になっていくのだろう。
その後、コリン クラークは作家でドキュメンタリーフイルム製作者になる。兄は有名な国会議員だ。40年たって、コリン クラークは「王子と踊り子」を製作したときの6ヶ月間の記録を出版した。しかし、そのなかに、1週間分の記録がない。それは今まで、誰にも語られなかった。
誰にも語られることのなかった一週間が この映画になっている。
一人の青年の成長記録として、一人の女優の生き方を表現したものとして、とても良い映画として完成している。小品だが、見て何時までも良い映画だったと思い、心に残る映画だ。
2012年2月15日水曜日
オペアオーストラリア公演 「魔笛」
オペラオーストラリアの公演「魔笛」、(THE MAGIC FLUTE)を オペラハウスで観た。
1791年、モーツアルトが35歳のときに作曲した彼の最後のオペラ。初演は 1791年9月、ウィーン アウフデア ウィーン劇場。
ドイツ語、2幕、2時間半の作品を、ミュージカル「ライオンキング」を演出したジュリー テイモアーが、メトロポリタンオペラのために作った舞台を基にしたもの。台詞も歌もすべて英語で、英語字幕つき。
作曲:アマデウス モーツアルト
演出:ジュリー テイモアー
指揮:アンドリュー グリーン
演奏:オペラオーストラリア交響楽団
キャスト
タミーノ王子:アンドリュー ブラントン(テノール)
パパゲーノ :アンドリュー ジョンズ(バリトン)
パミーナ姫 :ハイセング クウォン(ソプラノ)
夜の女王 :スザン シェイクスピア(コロラトーラ)
ザラストロ :リチャード アンダーソン(バス)
ストーリーは
森で大蛇に襲われた王子タミーノは、夜の女王の3人の侍女に助けられる。侍女達から女王の娘、パミーナ姫が悪漢ザラストロに誘拐された、と聞いて、パミーナの絵姿を見て一目ぼれした王子は お守りの魔法の笛をもらって、姫を救出に行く。道行く途中で出会った鳥刺し男パパゲーノがお供になって二人はザラストロの館に行く。
館でパミーナは、母のお使いでパパゲーノが助けに来てくれたことを知って、一緒に逃げ出すが、簡単に捕まってしまう。しかしザラストロは悪漢ではなく、実は賢者で悪い母親から娘をかくまって保護していたことがわかる。パミーナ姫を愛するタミーノとパミーナは 二人が互いにふさわしい相手かどうか知るために、ザラストロの試練を受けることになる。「沈黙の試練」、「火の試練」、「水の試練」の3つの試練を無事に潜り抜けて二人はついにザラストロに祝福されて、結ばれる。パパゲーノも、素晴らしく美しいパパゲーナに出会い、結ばれる。
これに怒った夜の女王が襲ってくるが、ザラストロの力で太陽が輝き 夜の女王は撃退される。タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナはそろって 歓びにみちて神をたたえる。
というお話。
このオペラの見所は 天真爛漫な鳥刺し男、パパゲーナのおもしろさだ。真剣に命をかけて姫を救い出そうとするタミーノ王子に付きそう お気楽なパパゲーノが舞台まわし、ストーリーテラーの役割をもっている。パパゲーノが快活で魅力があって何より美しいバリトンで歌ってくれないと舞台が生きてこない。アンドリュー ジョンズのパパゲーノは、とても良かった。
恋人パパゲーナと互いに恋する余り「パパパパ パパゲーノ パパパパパパゲーナ」と、歌い合う場面も とても可愛らしくて良かった。
このオペラの聴き所は、タミーノのテノール、パミーナのソプラノのそれぞれのアリアの美しさだが、やはり、ハイライトは夜の女王のコロラトーラ、超高音のソプラノだ。この夜の女王の鈴を転がすような高音が美しい声で決まるかどうかに、オペラの成功がかかっているといっても良い。スザン シェイクスピアは とてもよく歌った。ものすごい体格だけのことはある。
また王子のテノール、姫のソプラノに対して、賢者ザラストロの超低音で、どっしりした風格ある声も大事だ。リチャード アンダーソンはびっくりするほどの低音をじっくり聴かせてくれた。作曲家のモーツアルトも、ひとつのオペラにこのような超低音と技巧的な超高音を組み込むなど、過酷な人だ。オペラ歌手の誰もが歌えるわけではない。ザラストロの役は 可憐な姫を私物化するエゴイストな母親に対して、親の愛を上回る父性愛で姫を見守る役だ。
むかしアマチュアの市の交響楽団でバイオリンを弾いていた時に、市の公民館でこのオペラをやった。最後のほうの舞台で、姫を取り戻そうと夜の女王がヒステリックに歌い、タミーノとパミーナが嘆いているとき、ザラストロが登場して朗々と歌うとき、突然彼はせりふを忘れてしまった。長いこと、、、本当に長いこと舞台が凍りついた。舞台下からちょっと背を伸ばして覗いてみたが、そのときの舞台の緊張と恐怖感は忘れられない。やがて、彼は歌い出したから その場は何とか済んだが、本当に、舞台で歌う人は大変だなあ と心から思った。
さて、ジュリー テイーモアの舞台演出だ。
たくさんの動物の張子が出てきて楽しい。日本の舞台の黒子のように、全身黒い衣装の者達が、動物たちを操っている。天井まで届きそうな3匹の熊が出てきたときは目を瞠った。バレエオーストラリアの面々によるフラミンゴのダンスや、不思議な鳥達が沢山出てきて楽しい。
「ライオンキング」は、ロンドンのコペントガーデンで見た。舞台の楽しさと若い役者達の豊な声量に圧倒された。歌い、踊るエネルギーに満ちた舞台に魅了された。しかし、ミュージカルの活気と若いエネルギーの爆発をオペラに求めるのは無理だ。オペラ歌手は全力エネルギーを腹にためて歌で表現しなければならない。発声方法そのものも、全く異なる。舞台の演出は成功だったし、とても楽しい舞台だった。しかし、英語でモーツアルトを歌うことには抵抗がある。
魔笛はオペラの中でも古典、モーツアルトの音楽の美しさが存分に発揮されている。特にこのオペラはモーツアルトの晩年(ああ35歳で晩年だなんて!!!)の最後の作品で宗教的な意味合いを強く持っている。ヒステリックな母親の自己愛に対立する 世間知らずで純粋無垢な王子と姫の一途な愛を描いただけでなく、宗教的な様々な意味合いが解釈されている。モーツアルトが 他のイタリア語で書いたオペラとちがって、ドイツ語でこれを書いたことにも、専門家のなかで様々な解釈がある。だからモーツアルトを英語で歌って欲しくない。
オペラをドイツ語から英語に翻訳したときに 言葉の行間からこぼれ落ちていく 訳しつくせない意味合いを大切にするべきでなないのか。常日頃英語で生活していても日本人の自分を語りつけつくせない、もどかしさを感じるように、モーツアルトのオペラを英語では、歌いつくせないのではないだろうか。原版どおりにドイツ語で歌ってもらいたかった。
それにしても、寒くて長い冬のザルツブルグでモーツアルトが、貧困と死への恐怖と戦いながら、指先を暖めるストーブの薪もない中で、こんなに楽しくて笑いに満ちたオペラを書いたのだと思うと ちょっと泣きたくなる。本当になんと偉大な天才だったろう。
良いオペラだった。
でも英語版でミュージカル演出家による「魔笛」よりは、3年前に観た正統派「魔笛」のほうが良かった。
2012年2月14日火曜日
映画 「ファミリーツリー」
映画 「ファミリーツリー」、原題「THE DESCENDANTS」(子孫、末裔)を観た。2007年に出版された、カウイ ハートへミングの小説「THE DESCENDANTS」の映画化。
監督:アレクサンダー ペイン
キャスト
マット キング:ジョージ クルーニー
長女アレックス:シャイレーン ウッドリイ
次女アメラ :アマラ ミラー
ストーリーは
弁護士で、大土地所有者のマット キングは、ハワイのオアフ島で妻と二人の娘達と暮らしていた。代々、受け継がれてきた広大な土地を、大規模リゾート地として開発する計画を持っている。ハワイ島の各地に住む親類、縁者、従兄弟達すべてを巻き込んだ 大規模な開発事業計画だ。
ところが妻のエリザベスが、スピードボートに乗っていて転落し、頭を打ったために、昏睡脳死状態に陥ってしまった。目を覚まさない妻を見守りながら、マット キングは、仕事に熱中していて、妻と会話を何ヶ月も交わしていなかったことを反省する。自分は、家庭を全く顧みていなかった。妻が目を覚ましたら、妻のために今度こそ二人で世界旅行をしたり、妻の望みを何でもかなえてやろう、妻のために生き直そう と心に誓う。
ところがある日、医師から妻は回復する見込みはない、と断言され、自動呼吸装置を切る為のサインを求められて、マットはあわてる。まず、私立高校の寮で生活をしている長女アレックスを、家に呼び戻さなければならない。
マットは、10歳になる次女のアマラと一緒に、アレックスを迎えに行った。父親として、アレックスとまともに話をしたのは どれほど昔のことだったか。むつかしい年頃の娘と共通の会話を持てない父親が、母親の呼吸装置を止める為の同意を 長女に求める。しかし、父親にいらだつアレックスは 腹立ち紛れに 母親が父のことを愛してなどおらず、浮気をしていたと告げる。動転したのはマットだ。
腹を立てるにも 妻の浮気相手が誰か わからない。妻と親しかった友人に問い正し、浮気相手の名前がわかる。しかも、よりにもよって、エリザベスは その男を愛していて離婚をしようとしていたと言うのだ。マットは 大いにあわてふためく。
マットは親類縁者、友人達を招待して妻の呼吸自動装置を切ることを告げる。皆、それぞれエリザベスにお別れを言って 去っていく。妻から機械は取り外された。しかし、しばらくは小康状態が続く。マットは、妻がそんなに愛していたなら、妻の相手の男も、お別れを言いたいのではないかと考える。
相手探しが始まった。
長女アレックスのうろ覚えの記憶をたどって、相手の居所がわかった。彼はマットたちが いま取り掛かろとしていたマットの土地リゾート開発の計画に関わっている不動産業者だった。
ついに突き止めた男の家を訪ねていくと、男は必死で逃げ腰になって弁解する。マットには 男がエリザベスとはパーテイーで出会い 行き掛かりで関係を持ったが 彼には妻も子供達もいることがわかった。エリザベスは、男に妻子があることも知らなかったのだ。
マットに事情がわかってみると いま息を引き取ろうとしている妻に憎しみの感情は消え去り、自分が妻を放っておいたため妻子ある男の夢中になった妻に哀れみを覚える。そして自責の念にかられて妻を抱きしめて、息を引き取る妻を見守る。
妻の灰を海に返した日、親族達にマットは、土地のリゾート開発計画はなかったことにする、しばらくは妻の土地は手をつけずに置く と発表する。妻のことがあって、ふたりの娘達との離れていた間柄を縮めることができた。
マットにそれ以上、何を望むことが出来よう。
というお話。
コメデイータッチの家庭劇。
小品だが ジョージ クルーニーが、とても良くて 心に残る映画になった。主役が、クルーニーでなくて、他の役者がやっていたら全然ちがう映画になっていただろう。映画には、ものすごく悪い奴が一人も出てこない。家庭劇とは、そんなものかもしれない。
ジョージ クルーニーの妻の不実を知らされたときの あわてぶりが良い。人の善良、誠実の代表みたいな男が あわてふためく様子に同情と憐憫が集まる。肩を落としたクルーニーの後姿で、彼は全世界の女性を味方にしてしまった。かっこう悪い役なのに、クルーニーがやるとスマートでかっこうが良い。
音楽が良い。ジョージ クルーニーが間の抜けた夫を演じ、これまた間の抜けたようなウクレレとハワイアンが流れる。美しい海や自然をバックに、のんびりとしたハワイアンミュージックが流れてきて 心が癒される。
2012年2月9日木曜日
イーストウッドの映画 「J エドガー」
クリント イーストウッドが82歳で完成させた、新作映画「J エドガー」を観た。
48年間 アメリカ連邦捜査局局長を務めたジョン エドガー フーバーのバイオグラフィー。彼は、カルビン クーリッジからリチャード ニクソンまで8代の大統領のもとで、連邦捜査局長を務めたが、77歳で現職で死ぬまで、大統領よりも巨大な権力を維持した。「フーバーファイル」と名付けられた、政治家や実業家の個人秘密情報を持ち、いつ何時大統領の座を揺るがすこともできた。人種差別主義者で共和党最右派の立場から共産主義、社会主義、人種差別撤廃運動家、リベラリストなど、すべての活動家や政治家をアメリカ国家の敵をみなして弾圧した。
ストーリーは
1919年、24歳の若きジョン エドガー フーバーは、自分の上司である最高司法長官の自宅が、共産主義者によって爆破されるのを、目の当たりに目撃する。時に、ソビエト連邦国家建国の影響で、アメリカ社会もアナキスト、共産主義者による暴動が多発し、社会運動が活発化していた。弱体化した警察を横目に、エドガーはアメリカ政府を安全に導く為に 赤狩りを率先して行う。1日に4000人の共産主義者を検挙、活動家達を拘束するためには、非合法も手段も選ばず、殺人も厭わず、また理由をつけては国外追放し、徹底的に弾圧した。
その腕を買われて、彼は司法捜査局の責任者に、のし上がって行く。折りしも1932年に起ったリンドバーグ家の長男誘拐殺人事件がおき、州境を越えて、各州の警察権力を上回るパワーをもった連邦政府捜査局(FBI)の必要性を人々に認識させると 自分が局長の座に収まった。科学捜査の必要性を訴え何百人もの局員を配下に収めて事件解決のために指揮をとった。
1930年代、俳優ジェームス ギャグニーが エドガーをモデルにしたFBIとギャングの抗争を映画でヒットさせると、コミックでも盛んにFBIが登場し活躍するようになった。エドガーは服装にこだわり、部下たちにも上等な服や帽子を被ることを要求し、自分の心酔者だけを部下として大事にした。
私生活ではエドガーは自分のことを溺愛する母親に、頭が上がらない。母は女性に興味を持てないエドガーに、ことあるごとにホモセクシュアルが、いかに世間の物笑いになる滑稽で罪な存在であるかを言い聞かせた。そのため、エドガーは母親の期待に応えることだけが自分の生きがいとなり、自分の個人的な嗜好には目をつぶり 欲望を押しつぶして生きることになる。
出会ったその日に利発で美しいヘレン ガンデイーに心を寄せ、求愛するが その時に結婚よりも仕事を持ちたがった彼女を、生涯の個人秘書に抜擢する。そして、その後2度と彼女と結婚について話題にすることはなかった。
またエドガーは、長身、ハンサムな青年クライド トールソンが学生の頃から注目していて、半ば強引に自分の秘書官にする。やがて、FBI副長官に就任させ彼の右腕として、生涯の伴侶とする。二人は愛し尊敬し合うが、エドガーはクラウドの望みに応えることなく 生涯プラトニックな愛情を貫く。
FBI局長として絶大なパワーを持ち続け、エレノア ルーズベルトのレズビアン関係、ジョン、ロバート ケネデイ兄弟の女癖の悪い醜態やマフィアとの癒着、マーチン ルーサー キングの不倫、リチャード ニクソンの不倫など、スキャンダルな証拠をファイルに持っていて、関係者を震え上がらせていた。自分のバイオグラフイを口述していて、自伝を出版する気でいる。一向に引退する気はない。FBI副局長のクラウドが心臓発作で倒れるが、クラウドとの特別な関係は変わることなく生涯続く。
そんなお話。
印象深いシーンがふたつ。
一つは、初めて出会ったヘレン ガンデイーを夕食に誘い、その場でエドガーが、ひざまずいて求婚する、24歳の若さがはちきれんばかりのレオナルド デ カプリオの好青年ぶり。その場で求婚を断り、仕事をしたいと言ったヘレンが、10年後、20年後に忠実なエドガーの 個人秘書として仕事を一手にまかされてやっているが、ふと年をとっていく自分を省みて 2度と求婚しないエドガーの背に向かって深いため息をつくシーン。エドガーも年をとるが、ヘレンも白髪だ。そんなナオミ ワッツが エドガーの死を知らされるとすぐに、エドガー所有の個人ファイルを次から次へとシュレッダーにかける その背をまっすぐに伸ばした、毅然とした姿に心打たれる。
もう一つの印象深いシーンは、クライド トールソンの求愛のシーン。直裁で真摯な愛の求めに応じることが出来ないエドガー、、、それほどに強い母親によって「教育」され「抑圧」されてきたために、自分の心を解き放つことができないエドガーの痛々しい姿だ。自分の小児病的な「いびつ」さに 自から気が付かずに生きて死んでいく、そんなエドガーを心から慕い、愛してきたクライド ト-ルソンの これまた「いびつ」な愛の形、年をとり、もう働くことができなくなったクライドの額に 万感の思いをこめてエドガーがキスする。このシーンが とても泣ける。
エドガーがクライドに自分の右腕になってくれと頼むと、クライドは目を輝かせ、勿論ですと言い、条件がある、と言う。それは 良い日も悪い日も 二人の考えが合意できる日も出来ない日も、好きなときも好きでないときも、一緒にお昼御飯を食べるということだった。エドガーはこれに同意して、死ぬまでほとんど毎日、律儀にクライドとの約束を守って、クライドが倒れ、仕事ができなくなっても二人は一緒に昼食を取る。二人の関係は死ぬまで変わる事がない。
クライド役を演じたアーミー ハマーはとても良い。「ソーシャルネットワーク フェイスブック」で、ハーバード大学の エリート 双子のウィンクルボス兄弟を演じた役者だ。背が高く、美形。目が澄んでいて希望に燃える青年役にぴったり。彼の老い方も秀逸。足元がおぼつかなくなってエドガーよりも先に年寄りになってしまった姿も哀しくて、素晴らしい。
人間が描かれている。
8人の大統領に恐れられ 48年間休むことなく情報を手に入れアメリカの治安を思い通りに懐柔した怪物が 生身の人間として描かれている。結婚せず家庭を持たず、一生を仕事に捧げ、自分の信念を曲げようとしなかった。強いアメリカの中で、一番強い男エドガー。忠実な秘書と立派な右腕に支えられ生涯信念に生きた。そんな男が何と「もろくて壊れた心」を持っていたことか。 その姿が、ただただ 哀しい。
クリントイーストウッドの映画。タイトルを「フーバー」にせず、エドガーにしたセンスといい、このような怪物を映像化して、みごとに一人の人間を描き出した力量といい、やはり、イーストウッドは天才ではないだろうか。
いつもイーストウッドの映画を観ると、観た後で、ワンシーン ワンシーンが思い出されて、感動が深まっていく。いくつもの美しいシーンがよみ返ってきて、忘れられない。人間の喜怒哀楽をこれほど上手に映像で切り取って見せてくれる人は、他にはいない。
良い映画だ。
観てみる価値はある。
2012年2月2日木曜日
黒白無声映画 「アーチスト」
新作のサイレント映画「アーチスト」、原題「THE ARTIST」を、オープンエアシネマで観た。
オープンエアシネマは、近年大人気で、チケットが、発売同時に売り切れる シドニー夏の名物イベントだ。これは、真夏のこの時期、ハーバーブリッジとオペラハウスを目の前にした対岸に、臨時に建てられた大きなスクリーンで、風に吹かれながら映画を観るという粋なイベントなのだ。人から聞いてはいたが、初めての体験。予約が出来ない、ネットを通じての販売のみで、早いもの勝ちなので自分ではチケットが買えない。娘がチケット発売と同時に、キーボードを素早くたたいて、何度もコンピュータークラッシュを繰り返しながらも、買ってくれた。
当日、仕事が終わったばかりの娘と、日本食屋で鰻弁当を包んでもらって、シドニーの観光スポット ミセスマッコリーチェアに向かう。芝生の上には、組み立てられた500席ほどの椅子が並んでいる。最大手の銀行がスポンサーなので、無料の新聞やチョコレートが配られて、案内係も沢山居てサービス満点。バーとレストランも仮設されている。
8時過ぎ、海風に吹かれながら、お弁当を食べ終わり、シャンパンを飲み終わる頃、オペラハウスとハーバーブリッジに夕日が当たって輝きを増す。他の人々も、ピザなど持ち寄って食べていたのを片付け始め、レストランに居た人は椅子席に戻る。やがて、すっかり暗くなった海から、倒されていたスクリーンが立ち上がるのを見て、歓声があがる。私も暗くなった海から真赤なスクリーンが立った瞬間、思わず子供のように手をたたいていた。夜空に高層ビルのライトが光っていて、港に停泊する大型船も、輝いて美しい。
なかなか粋なイベント。とても素晴らしい。毎日、ハーバーブリッジなんか運転している、オペラハウスなんか、月に一度くらいの割りでオペラやコンサートを聴きに来ている それでも これらを背景に夜空の下でスクリーンを観られるなんて、素晴らしく贅沢なことのように思える。16年シドニーに住んでいても、いいなと思うくらいだから、初めてシドニーを訪れる人を連れてきてあげたら とても喜ばれるだろう。
http://www.imdb.com/video/imdb/vi2003082265/
さて、映画「アーチスト」。
監督:ミッシェル アザナヴィシウス
キャスト
ジョージ:ジャン デュ ジャルダン
ぺピー :ペレニス ぺジョ
21世紀、映画撮影技術が格段に高くなり、CGも、3Dも、モーションキャプチャーフイルムも 自由自在に使えるようになった今、何で今頃サイレント映画を作るんだ。しかも、白黒フイルムで、、、。それが、ゴールデングローブ ミュージカルコメデイ部門で最優秀映画賞を受賞した。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、など10部門でノミネイトされている。
ストーリーは
1920年代、パリ。
白黒サイレント映画が、人々の一番の娯楽だ。主演は人気のジョージ バレンテイン。人々は彼の演じる冒険物語や恋愛ものに夢中になっている。彼にあこがれて、たまたま偶然にダンサーとしてエキストラの役を得た 若いぺピー ミラーは、スタジオで出会った大先輩ジョージ バレンタインをますます恋慕うようになる。ぺピーの即興のダンスにタップダンスで答えてくれるなど、ジョージは気さくに、新人の力になってくれるのだった。一方、ジョージは、愛情の冷めきった妻との空虚な家庭生活をしている。
しかし時代は変わり、映画産業はサイレント映画からトーキー映画の時代に突入していった。人々は映画の中で、美男美女が気の効いたせりふを言い、演技をする新しい映画の登場を歓迎した。新時代の波に乗ってぺピーは人々からもてはやされ、今や大女優になった。
ジョージ バレンタインは自分のサイレント映画のスタイルを捨てようとしない。頑固に映画はサイレントで、俳優は顔や体で感情のすべてを表現すべきだと考えている。そんな頑固が災いして、彼は映画会社から解雇される。意地で、自分で監督、俳優、演出、製作のすべてを手がけて映画を作るが、すでに時は遅く、観客はサイレント映画に見向きもしなくなっていた。納得できないジョージは 妻にも去られ、破産し、酒びたりの生活に落ち込む。忠実な運転手兼、執事にも給料が出せず、出て行って貰った。自分が気に入って、収集した家具や、映画で使った道具屋、自分の肖像画など、すべてオークションで手離して、得たお金も酒代になってしまう。ついに、自分が主役を勤めた何百本ものフイルムに火を放つ。火傷を負い 病院に送られたことを知った、ペピーは、彼を自宅に引き取る。
しかし、そこでジョージは オ-クションにかけられて最後のなけなしの酒代になった自分のコレクションが すべてファンによって買い取られたのではなく、ぺピーがジョージを助けようと思って買い取ってくれていたことを知ってしまう。自分は世間から すっかり忘れている。そんな時代遅れの自分が トーキー映画の花形女優の情けにすがって生きているのか と思って、絶望したジョージは、銃をもって引き金を引いて、、、
というストーリー。
白黒サイレント映画の良さを出し切った まさに「アート」な作品。撮影技術が進むところまで進化してしまった現在、映画の原点にもどるという意味で とてもチャレンジな映画だ。いま、こうしてチャーリー チャップリンなどの白黒映画を思い起こしてみると俳優達がいかに プロに徹して演技を見せてくれたか、いかに白黒フイルムに映えるように表現やしぐさをしっかり演技していたかが思い起こされる。
主演のジャン デュ ジャルダンの普段の姿を見るとブラウンヘアで青い目の 一見何の特徴もない青年にすぎない。そんな普通の男が 白黒映画の中では、ポマードですっきり、つややかな黒髪を後ろに流して、口ひげがおしゃれなクラーク ゲーブルを若くしたような美男子になり、堂々とした演技を見せて、文字通りの花形役者だ。まゆ一つの動かし方で、女心を揺り動かすし、食卓で目を伏せる姿で、妻との関係が冷えていることを現す。タップダンスもうまい。笑顔が実にチャーミングだ。クラーク ゲーブルが画面で大写しになり ウィンクするとドタドタと、ファンの女たちが卒倒するフイルムを見たことがあるが、そんな感じ。とても良い役者だ。
今年のアカデミー主演男優賞にふさわしいと思うが、この新人で無名のフランス人役者より、ハリウッドとしては、ジョージ クルーニーの「ファミリーツリー」も良かったので、クルーニーのほうが有力かもしれない。
助演女優賞はぺピー ミラーを演じた、ペレニス ぺジョーが獲得するだろう。大きな目、黒髪でボブ、ダンスが上手な可愛いフランス娘。彼女の演技も、とても良かった。新人だが35歳の2児の母。両親はアルゼンチンでピノチェト軍事独裁政権のときに、フランスに亡命してきたラジカリスト。3歳でフランスに来て、両親が何もかも失って他国で生活を一から築いてきた苦労する姿を見て育ったという。
脇役だが、ジョージの執事を演じた、マルコム マクダウェルの しぶい演技が冴えている。
ジャンも、ペレニスも サイレント映画を学ぶために 沢山のサイレント映画を観たそうだ。チャップリン、バスター キートン、ジーン ケリー フレッド アステア、ジョン クロフォード、メアリー ピックフォード、、、。何と豊かな映画の世界だったことだろう。こうした貴重な映画史があって、今日の映画が作られるようになったのだ。
白黒サイレント映画を、無名のフランス人新人が主演している、ということで、話題になっている。
とても良い映画だ。見る価値がある。
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