2012年2月15日水曜日

オペアオーストラリア公演 「魔笛」



オペラオーストラリアの公演「魔笛」、(THE MAGIC FLUTE)を オペラハウスで観た。
1791年、モーツアルトが35歳のときに作曲した彼の最後のオペラ。初演は 1791年9月、ウィーン アウフデア ウィーン劇場。
ドイツ語、2幕、2時間半の作品を、ミュージカル「ライオンキング」を演出したジュリー テイモアーが、メトロポリタンオペラのために作った舞台を基にしたもの。台詞も歌もすべて英語で、英語字幕つき。

作曲:アマデウス モーツアルト
演出:ジュリー テイモアー
指揮:アンドリュー グリーン
演奏:オペラオーストラリア交響楽団
キャスト
タミーノ王子:アンドリュー ブラントン(テノール)
パパゲーノ :アンドリュー ジョンズ(バリトン)
パミーナ姫 :ハイセング クウォン(ソプラノ)
夜の女王  :スザン シェイクスピア(コロラトーラ)
ザラストロ :リチャード アンダーソン(バス)

ストーリーは
森で大蛇に襲われた王子タミーノは、夜の女王の3人の侍女に助けられる。侍女達から女王の娘、パミーナ姫が悪漢ザラストロに誘拐された、と聞いて、パミーナの絵姿を見て一目ぼれした王子は お守りの魔法の笛をもらって、姫を救出に行く。道行く途中で出会った鳥刺し男パパゲーノがお供になって二人はザラストロの館に行く。

館でパミーナは、母のお使いでパパゲーノが助けに来てくれたことを知って、一緒に逃げ出すが、簡単に捕まってしまう。しかしザラストロは悪漢ではなく、実は賢者で悪い母親から娘をかくまって保護していたことがわかる。パミーナ姫を愛するタミーノとパミーナは 二人が互いにふさわしい相手かどうか知るために、ザラストロの試練を受けることになる。「沈黙の試練」、「火の試練」、「水の試練」の3つの試練を無事に潜り抜けて二人はついにザラストロに祝福されて、結ばれる。パパゲーノも、素晴らしく美しいパパゲーナに出会い、結ばれる。
これに怒った夜の女王が襲ってくるが、ザラストロの力で太陽が輝き 夜の女王は撃退される。タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナはそろって 歓びにみちて神をたたえる。
というお話。

このオペラの見所は 天真爛漫な鳥刺し男、パパゲーナのおもしろさだ。真剣に命をかけて姫を救い出そうとするタミーノ王子に付きそう お気楽なパパゲーノが舞台まわし、ストーリーテラーの役割をもっている。パパゲーノが快活で魅力があって何より美しいバリトンで歌ってくれないと舞台が生きてこない。アンドリュー ジョンズのパパゲーノは、とても良かった。
恋人パパゲーナと互いに恋する余り「パパパパ パパゲーノ パパパパパパゲーナ」と、歌い合う場面も とても可愛らしくて良かった。

このオペラの聴き所は、タミーノのテノール、パミーナのソプラノのそれぞれのアリアの美しさだが、やはり、ハイライトは夜の女王のコロラトーラ、超高音のソプラノだ。この夜の女王の鈴を転がすような高音が美しい声で決まるかどうかに、オペラの成功がかかっているといっても良い。スザン シェイクスピアは とてもよく歌った。ものすごい体格だけのことはある。

また王子のテノール、姫のソプラノに対して、賢者ザラストロの超低音で、どっしりした風格ある声も大事だ。リチャード アンダーソンはびっくりするほどの低音をじっくり聴かせてくれた。作曲家のモーツアルトも、ひとつのオペラにこのような超低音と技巧的な超高音を組み込むなど、過酷な人だ。オペラ歌手の誰もが歌えるわけではない。ザラストロの役は 可憐な姫を私物化するエゴイストな母親に対して、親の愛を上回る父性愛で姫を見守る役だ。

むかしアマチュアの市の交響楽団でバイオリンを弾いていた時に、市の公民館でこのオペラをやった。最後のほうの舞台で、姫を取り戻そうと夜の女王がヒステリックに歌い、タミーノとパミーナが嘆いているとき、ザラストロが登場して朗々と歌うとき、突然彼はせりふを忘れてしまった。長いこと、、、本当に長いこと舞台が凍りついた。舞台下からちょっと背を伸ばして覗いてみたが、そのときの舞台の緊張と恐怖感は忘れられない。やがて、彼は歌い出したから その場は何とか済んだが、本当に、舞台で歌う人は大変だなあ と心から思った。

さて、ジュリー テイーモアの舞台演出だ。
たくさんの動物の張子が出てきて楽しい。日本の舞台の黒子のように、全身黒い衣装の者達が、動物たちを操っている。天井まで届きそうな3匹の熊が出てきたときは目を瞠った。バレエオーストラリアの面々によるフラミンゴのダンスや、不思議な鳥達が沢山出てきて楽しい。
「ライオンキング」は、ロンドンのコペントガーデンで見た。舞台の楽しさと若い役者達の豊な声量に圧倒された。歌い、踊るエネルギーに満ちた舞台に魅了された。しかし、ミュージカルの活気と若いエネルギーの爆発をオペラに求めるのは無理だ。オペラ歌手は全力エネルギーを腹にためて歌で表現しなければならない。発声方法そのものも、全く異なる。舞台の演出は成功だったし、とても楽しい舞台だった。しかし、英語でモーツアルトを歌うことには抵抗がある。

魔笛はオペラの中でも古典、モーツアルトの音楽の美しさが存分に発揮されている。特にこのオペラはモーツアルトの晩年(ああ35歳で晩年だなんて!!!)の最後の作品で宗教的な意味合いを強く持っている。ヒステリックな母親の自己愛に対立する 世間知らずで純粋無垢な王子と姫の一途な愛を描いただけでなく、宗教的な様々な意味合いが解釈されている。モーツアルトが 他のイタリア語で書いたオペラとちがって、ドイツ語でこれを書いたことにも、専門家のなかで様々な解釈がある。だからモーツアルトを英語で歌って欲しくない。

オペラをドイツ語から英語に翻訳したときに 言葉の行間からこぼれ落ちていく 訳しつくせない意味合いを大切にするべきでなないのか。常日頃英語で生活していても日本人の自分を語りつけつくせない、もどかしさを感じるように、モーツアルトのオペラを英語では、歌いつくせないのではないだろうか。原版どおりにドイツ語で歌ってもらいたかった。
それにしても、寒くて長い冬のザルツブルグでモーツアルトが、貧困と死への恐怖と戦いながら、指先を暖めるストーブの薪もない中で、こんなに楽しくて笑いに満ちたオペラを書いたのだと思うと ちょっと泣きたくなる。本当になんと偉大な天才だったろう。

良いオペラだった。
でも英語版でミュージカル演出家による「魔笛」よりは、3年前に観た正統派「魔笛」のほうが良かった。