2011年5月25日水曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン4 生命の泉」




パイレーツ オブ カリビアンの第4作、「生命の泉」3Dくを観た。
監督が変わって ロブ マーシャルになった。「シカゴ」、「NINE」などのミュージカルを手がけた監督だ。137分。デイズニー配給のアメリカ映画。ハワイで撮影された。

第1作「呪われた海賊たち」、第2作「デッドマン チェスト」、第3作「ワールドエンド」の3作は、カリビアンの海賊首領のジャック スパロウが主役というよりも、ウィル ターナーと エリザベス スワンの恋がメイン ストーリーだった。

第1作で、子どもの時に ウィルとエリザベスは ボートで運命的な出会いをする。時がたち、大英帝国の総督の娘、エリザベス(ケイラ ナイトレイト)は大人になって 貧乏な鍛冶屋のウィルに 再び運命的な出会いをして、二人は恋に陥る。ウィル(オーランド ブルーム)は 貧しい天涯孤独な青年だが 父親から受け継いでいた彼の血が 海賊たちの狙う財宝を開ける鍵になる。
第3作で この二人はやっと結婚にこぎつけるが、ウィルは 「さまよえるオランダ人」の伝説どおりに永遠に海の上を彷徨い続け、7年に一度だけ上陸を許されて エリザベスに会う。
第3作のエンデイングロールが終わった後のフイルムでは、7歳になった子供と並んで丘に立ち ウィルの帰りを待つエリザベスの姿で終わった。伝説どおりで行くと 上陸を許された時の 心の行き違いでウィルの船は 沈んでしまい、女は身を投げて二人とも死ぬが、これによって永遠に二人は救済されるというお話がある。ともかく、ウィルとエリザベスのお話は 1-3作で終了した。もう、この海賊シリーズで オーランド ブルームとケイラ ナイトレイトに、会うことはできない。

第1作から第3作までの主役をウィルに譲り 舞台回しの役をやっていた キャプテン ジャック スパロウ(ジョニー デップ)が 第4作では文字通りの主演主役をやる。おなじみの登場人物、黒ひげ(イアン マグシェン)、キャプテン バルボサ(ジェフリー ラッシュ)、ジャックの父 キャプテン スパロウ(キース リチャード)、ギブス航海士(ケビン マクナリー)、も みんなみんな健在で 登場する。ジャックの昔の女で、黒ひげの娘アンジェリカ(ぺネロペ クルース)が 初登場する。

飲めば永遠の命を持つことが出来るという「生命の泉」を求めて 大英帝国も スペイン政府も キャプテン バルボサも、黒ひげも アンジェリカも ジャック スパロウも探索の旅に出る。
生命の泉から湧き出る水に 人魚の涙を1滴落とした水を 二組の銀の杯に入れて飲み干したものだけが 永遠の命を手に入れることができる。まず、人魚を生け捕りにしなければならない。
月夜にボートを浮かべて、若い男が恋の歌を歌う。歌声に誘われて 人魚達がやってくる。しかし人魚達は その美しさで、男達を魅了して海底に連れて行って沈めてしまう。キャプテン バルボサは 黒ひげの捕虜となったジャック スパロウを利用しながら、人魚を生け捕りにして、生命の泉まで連れて行く。探し当てた泉で、英国軍、スペイン軍、バルボサ、黒ひげ、アンジェリカとジャック スパロウの全員が 顔をあわせることになって、、、。
というお話。

監督が変わったが、音楽の素晴らしさ、映像の美しさは変わらない。これは海賊というお伽噺だから、画面が美しくなければならない。デイズニーが全力投球して 沢山お金を使って製作しているだけに映像は素晴らしく美しい。
ジャック スパロウは、海賊の首領なのに、片目がつぶれている訳でもなく 怖くもない、いつも英国軍からは追われ、バルボサ側や黒ひげ側にとっ掴まって 脅迫されて財宝までの道案内をさせられる冴えない首領、おまけに今回は彼の船を沈められているから、海賊船さえも持っていない親分。女たらしで へろへろしていて、もったいぶっていても、実は逃げ回ってばかりいる。ジョニー デップが作り上げたジャック スパロウに 魅了される。彼の役者としての 徹底した役作りのこだわりが 実に愉快だ。カリビアンの海賊は まったくもってジョニー デップが作り上げたおとぎばなしだ。

ぺネロペ クルースの舌足らずの英語が可愛い。子どもの時から役者よりもダンサーになりたかった と言っているが、彼女の健康で水みずしい姿が美しい。映画「帰郷」で 酒場で仲間達にせがまれて、ギターを抱えて民謡を歌った場面が忘れられない。スクッと姿勢を正して こぶしの効いた民謡を歌出だしたとたんに、スペインの乾いた大地が感じられた。彼女には強い女の役がとても似合う。

今回初登場の宣教師 フィリプを演じたサム クラフトンと、彼が恋の陥る人魚のシレーナを演じた アストリット ベルジェ フリスべが 印象に残る。人魚がたくさん出てきて、それがみんな美人。特にシレーナは人間に生け捕りにされて何度も死に絶え絶えになる姿が はかなくて、可哀想で、宣教師フィリップが何度死んでも 助けにもどって来い と祈らずにいられない。

第4作は このシリーズで初めて3D画面になったが、特に3Dで見る価値はない。どう観ても とてもきれいな画面で よくできている。前回沢山出てきた えぐい怪物や 生きていて戦う怖い骸骨も出てこない。安心してみていられる。筋も単純でわかりやすい。
この海賊シリーズはとても おもしろい。1作目から4作目まで、全部続けて観たら 見落としていたことがたくさん出てくるだろう。どうして ここに、というような 意味がわからなかったところなども、納得できるだろう。新しい発見も沢山ありそうだ。
長い長いエンデイングロールのあとの映像で、次の第5作も ぺネロペ クルースで続くことがわかる。今後も キャプテン ジャック スパロウに敬意を表して 見逃さずにちゃんと最後まで観よう。このシリーズ、何作続いても、おもしろい。

2011年5月24日火曜日

メトロポリタンオペラ 「カプリチオ」を観る




ニューヨーク メトロポリタンオペラ公演 リチャード シュトラウス作曲のドイツオペラ「カプリチオ」のハイビジョンフイルムを、巨大スクリーンで観た。
映画はビデオでなく 新作映画を映画館で観る。オペラはCDやDVDで観ず  オペラハウスで観る。コンサートはCDで聞かずに コンサートホールで聴く。本はIPADやPC画面で読まずに 印刷されたものを読む。30年余り そうしてきた。しかし、ニューヨークメトロポリタン オペラの作品が 映画館で ハイビジョンスクリーンで観られるようになって 誘惑に勝てず 上映するたびに足を運ぶようになった。シドニーで レネ フレミングや、プラセタ ドミンゴは 観られない。オペラオーストラリアの オペラハウスでの公演を10年あまり続けて観てきたけれど やっぱりもの足りない。

ハイビジョンフイルムで、オペラでは シュトラウスの「ばらの騎士」、ベルデイの「ドン カルロ」、「サイモン ボカネグラ」、や「カルメン」、「アイーダ」、トスカ」などおなじみの作品。バレエも、ボリショイバレエの「くるみ割り人形」、国立パリオペラバレエの「コッペリア」、ロンドンロイヤルバレエの「ジゼル」、「白鳥の湖」、キロフバレエの「ドンキ ホーテ」など観た。フイルムでは、踊り手の細かい表情まではっきりと見ることが出来て、舞台で観るのと違う、発見や楽しさがある。

今回観たのは、リチャード シュトラウスが 最後に作ったオペラ「カプリチオ」。もともと イタリアのフィレンツェで始まったオペラは 天才モーツァルトの活躍のあと、イタリアオペラの巨人ヴェルデイと、ドイツオペラの巨人ワーグナーの時代が長かった。二人とも悲劇ばかり書いた。
彼らの後に やってきたドイツのリチャード シュトラウスと、イタリアのプッチーニは 楽しいオペラを書いて 大衆の人気を得た。
シュトラウスの「ばらの騎士」は、当時の人々に大歓迎され、また「サロメ」では、オペラに 血のしたたる生首が出てくる斬新な舞台で観客達を驚かせ、興奮させた。テレビや映画のなかった時代、オペラは民衆の 大切な娯楽だったのだ。

「カプリチオ」とは イタリア語で「気まぐれ」の意味。1941年、ミュンヘンで上映された。パリが ナチスドイツに蹂躙されるころ、このような優雅なオペラが上映されていた、ということが、驚きだ。
3時間の舞台に、ほぼ主役のレネ フレミングが ずっと出ている。舞台は伯爵夫人の広間だけで物語が進行していき、舞台背景は全く終わるまで変わらない。

ルネ フレミングは1959年生まれのアメリカ人。ドイツに留学していて、ドイツオペラが得意な人。モーツアルトの「フイガロの結婚」の伯爵夫人、シュトラウスの「ばらの騎士」の伯爵夫人など、貴婦人の役を演じるために生まれてきたような気品あるソプラノ歌手だ。彼女に「カルメン」とか、「ボギーとべス」とか「ラ ボエーム」はできない。

ストーリーは
若く美しい未亡人 マドレーヌの誕生日にどんな贈り物をして、彼女を楽しませるか サロンに集まる若い芸術家達は 議論に余念がない。作曲家、フラマンドと詩人のオリビエは どちらもマドレーヌに求婚しているライバル同士だ。マドレーヌを魅了するのは音楽か、ソネットの詩か、二人とも互いに負けられない。捧げたソネットを マドレーヌが褒めると、フラマンドはそれに曲をつけて マドレーヌの気を引こうとする。
マドレーヌの兄、伯爵は 妹の誕生日の贈物に、芝居を見せたいと考えて、女優のクラリオンを誘い出す。クラリオンは劇場主 ラ ロシェの協力を得て、さっそく芝居の練習を始める。そうしているうちに、マドレーヌを喜ばせようと、サロンにバレリーナが呼ばれ、イタリアオペラ歌手が呼ばれて、それぞれが パフォーマンスを見せる。楽しい見世物をみて、マドレーヌは、作曲家も詩人も役者もバレリーナも歌手もいる。ここで、新しいオペラを作って見せてください。と提案したところで、みんなが一致して、お話が終わる。

指揮:アンドリュー デビス
キャスト
伯爵夫人マドレーヌ :レネ フレミング
伯爵、マドレーヌの兄:モートン フランク ラーセン
作曲家フラマン   :ジョセフ カイザー
詩人オリバー    :ラッセル ブラウン
女優クラリオン   :サラ コノリー
劇場主ラ ロシェ  :ピーター ローズ

序曲が弦楽6重奏で始まる。
これから始まる物語が6人の男女のやりとりであることを予感させるような6重奏のハーモニーがとても良い。オペラのアリアが少なく、3重唱、4重唱、5重唱がたくさん出てきて楽しい。3時間あっても重くない 楽しいオペラだ。
さすがに今一番オペラで人気者のレネ フレミングだ。本当に柔らかい優雅なソプラノの声を出す。それと、伯爵のモートン フランク ラーセンのハンサムで甘い顔とバリトンの素晴らしい声に すっかりノックアウトされた。

ギリシャ悲劇をベースにした「大」悲劇や、人間に苦悩を描いた重い哲学的な物語りは、やはり劇場で観たい。役者達の呼吸に合わせて息を止めたり、ため息をついたり、涙を流したり、舞台と一体になって感動をもらいたい。
でも日曜日の午後、ブランチを食べたあとゆっくりと手足を伸ばすようにして 通いなれた映画館で 美しいソプラノを聴くと、心の底まで贅沢な幸せな気分になれる。そんな 素敵な日曜日だった。

2011年5月20日金曜日

映画 「恋人たちのパレード」




アメリカ映画「WATER FOR ELEPHANTS」、邦題「恋人たちのパレード」を観た。
原作サラ グルエンによる小説「サーカス象に水を」を映画化したもの。アメリカ映画。
監督:フランシス ローレンス
キャスト
サーカス団長 オーグスト:クリストフ ワルツ
サーカスの花形 マレーナ:リース ウィザスプーン
獣医学部学生 ヤコブ    :ロバート パテインソン

ストーリーは
1931年、アメリカは 未曾有の不景気に見舞われていた。
ヤコブは 実業家の一人息子で 大学で獣医学を学んでいる。東欧からの移民だったヤコブの父親は 自分の事業を起こして大恐慌の中でも、なんとか中流の生活を維持していた。
ところが ある日突然 両親が車の事故で亡くなる。担保に入っていた会社は銀行に取られ、住んでいた家からもヤコブは追われる。大学卒業を目前にしながら ヤコブは文字通り 路頭に迷うことになる。突然、両親を失った悲しみに浸る余裕もないまま、土地を追われ、ヤコブは仕事を探しに街に出ようと決意する。

ヤコブが飛び乗った貨物列車は、サーカス一座が移動する列車だった。一文無しのヤコブは 雇ってもらいたいばかりに、サーカス団員に混ざって動物達の世話をさせてもらう。動物の糞尿にまみれて 団員達と一緒に働くうち、ヤコブは すぐに美しいサーカスの花形マレーナに 心を奪われる。彼女は 団長の妻だった。
しばらくして ヤコブはやっと団長、オーグストの目にとまり 紹介されることになった。ヤコブは 自分は獣医だと名乗り 正式に雇ってもらうことになった。
しかし団長は酒癖が悪く、飲みだすと冷酷なサデイストになる。芸を教えても なかなか思い通りにならない動物に対して 厳しく鞭で芸を強制する。芸をする動物達と 心を通わせているヤコブには それはつらいことだった。マレーナは夫が暴力を振るうようになると、じっと夫の嵐が過ぎるまで待っている。しかし、ヤコブは団長がマレーネにまで暴力的になるのが許せなかった。ヤコブは益々、マレーネを慕うようになる。

サーカス団に新しい動物、象が加わることになった。ヤコブは、この象を飼いならして マレーネが象使いとしてステージにたてるように調教する役を命じられる。象を扱いながら ヤコブとマレーネの間には特別な感情が芽生え始める。

ある日 団長に逆らったヤコブは 団長の怒りを買い殺されそうになる。マレーネは機転をきかせてヤコブを走る列車から逃がそうとする。その土壇場でヤコブはマレーネに 愛を告白してマレーネを抱いたまま 列車から飛び降りて、サーカス団から逃亡する。しかし、団長と彼のお抱えガードマン達は二人を追って、、、。
というお話。

これはラブストーリーだから、ロバート パテインソンとリーズ ウィザスプーンの二人が主役だが、三角関係で捨てられる方のサデイストのクリスト ワルツが断然輝いている。役者としての格がちがう。実に演技が上手で この人、とくに冷酷で血も涙もない男の役をやると輝きが増す。キラリと目が光り サドになる瞬間の表情など迫力があって他の人にまねできない。切れ味の良いナイフのようだ。
この役者、ブラッド ピットの「イングロリアス バスタード」でもサデイストのナチの将校をやって 82回 アカデミー助演男優賞を取った。この人が 普通の顔で日常会話をしている時が とても怖い。笑いながら どんなことでも冷酷なことができるからだ。ナチの将校役で英語もドイツ語もイタリア語も使っていたが、このオーストリア人役者は 実際5ヶ国語を自由自在に使えるそうだ。53歳。とても良い役者だ。若いときのピーター オツールのように見えるときがある。

主役のロバート パデインソンは 吸血鬼なのに人間を愛してしまう映画「トワイライト」シリーズで人気者になった。それなりに役をやっているが、どうしてもこの人の顔が好きになれない。だから「トワイライト」は どれも見なかった。

リース ウィザスプーンが、とても可愛い。サーカスの花形で、走る馬の上で立ったり、馬を 床に寝そべらせて その上に乗ったり、象に乗って行進したり 二本足で立たせたり 芸をさせて、本当のサーカス団員のようだ。本人も動物が大好きだそうだ。そうでなければ とてもできない役だ。シャープなアゴの線と大きな目、、、いくつになってもとても美しい女優だ。ロバート パデンソンと10歳くらい年が違うが、そんなに見えない。気が強くて気性が激しいが、案外もろいところのある女の役のぴったり。

話の筋は単純。
総じて役者では クリスト ワルツとリース ウィザスプーンが良かったが、しかし、何と言っても一番素晴らしい役者だったのは、42歳の象TAIだ。打たれて、うちしおれて哀しがったり、2本足でらくらく立ってみたり、音楽に合わせてステップを踏んだり、とてもよく訓練されている。鼻でコミュニケーションをとったりするところも 可愛くて微笑ましい。

野生動物を群れから離して、芸を憶えさせることは 動物の意志に反しているから 動物虐待ともいえる。サーカスではもう動物を使わなくなった。それでもなお、TAIは素晴らしい。畑正憲 ムツゴロウ先生も言っているが、象は最も知恵の高い動物だそうだ。
象が主役のラブストーリー。象が好きな人は 観て楽しい。

2011年5月17日火曜日

オーストラリアで見るユーロビジョン



普段は ニュース以外にテレビを見ないが、この週末は ユーロビジョン ソング コンテストがあったのでテレビ浸けだった。
ユーロビジョンは 60年の歴史を持つ 歌のコンテストで テレビの最長長寿番組であり スポーツを除いては ヨーローッパで最大の国境を越えた祭典だ。 今年は43カ国が出場した。
オーストラリアは ヨーロッパから遥かに離れていて、出場権も投票権もないのに、人々はこの番組が大好きだ。 ユーロビジョン コンテストを見ることは、ヨーロッパの現代史を見ることでもある。60年の間には 東西冷戦、軍による圧制、侵略、戦争 テロがあり、今でも平和とは言えない紛争が続いている。

日本にいるときは これを知らなかった。日本に居たときは 世界中の国の人が野球をやっているのかと思っていたが、野球はマイナースポーツで、「世界3大スポーツの祭典」といったら、オリンピックと サッカーワールドゲームと ツアー デ フランスだった。歌も、アメリカっぽいロックやヒップホップがメジャーかと思っていたら、ユーロビジョンが一番の人気だった。 こういうことは 日本を出てみないとわからなかった。

ユーロビジョンは 1950年代に 第二次世界大戦後の復興の一環としてヨーロッパの国々が共同でエンタテイメント番組を作るという目的でできた。最初に大会は スイスのルガーノデ開催、まだ 衛星放送はないからマイクロ波中継でテレビ放映された。参加国は それぞれ代表を選出し、視聴者からの投票数で優勝国を決める。
1国1歌手の代表。曲は3分以内。生で歌われ、バックトラックに声を入れてはならない。バックコーラスは3人まで許される。参加国のテレビ中継は その国の公共放送で放映される。視聴者は自国以外の国に票を入れなければならない。投票が最多得点を得た国が優勝、トロフィー以外に特に何も与えられない。
などのルールがある。

ここで生まれた世界のヒットソングがたくさんある。1956年の「ボーラーレ」。ボーラーレ ウオウオウオウオーーーという曲は日本でも流行った。1974年のアバ、「ABBA」の登場は たちまち世界中にセンセーションを起こした。また1974年の セリーヌ デイオンの登場も華々しい。

ドイツを隔てていた東西の壁は ぶち破られたが、それ以前は 東欧はユーロビジョンを見ることは規制されていた。しかし人々は「ユーロビジョン秘密パーテイー」をして、業務用や家庭用のアンテナを使って 政府が厳しく禁止するなかを テレビを見ることで抵抗していたのだ。
アイルランドは、ユーロビジョンで 7回優勝をして優勝最多国だが、1970年 毎日のようにダブリンで IRAの爆弾が爆発し、北アイルランドが火を吹いていたときに 優勝者ダナが 北アイルランドンに行って優勝歌を歌うことに、深い政治的抵抗の意味があった。ジョニー ローガンは2回出演して、2回とも優勝している。

フィンランドは スターリン圧政下のあっても、ユーロビジョンに代表者を送り続けた。1979年 ポーランドもブルジネフ体制になって出場。
1968年にはスペイン代表は 長きにわたるフランコ軍事独裁体制下、抑圧されていたカタロニア出身の歌手が、土地の歌を歌って、ヨーロッパ中の支持を得た。
1968年 英国のクリフ リチャードが出現して 当時ではかっこ良い、今では とても恥ずかしい身振り手振りで スローロックを歌った。

バルカンでは ユーゴスラビアは ボスニアヘルツエコビナと クロアチアとスロベニアに分かれ、それぞれが代表を送り込む。ロシアから分かれた エストニア、ラトビア、リトアニアも、それぞれが代表を送る。
参加国は毎年増え続けている。

独立国とは名ばかり、内政をロシアが牛耳っていたウクライナが、2004年には優勝する。これは感動的だった。
ウクライナ代表のルスラナは、闘士でもある。自分で作詞作曲した「ワイルドダンス」という歌を 編み上げブーツ、黒髪にバンダナ、スパルタカスのようなローマ戦士のいでたちでヘビーロックを 飛んだり跳ねたり ギタリスト達を足蹴にして肩に登ったり 広い舞台を自由自在に駆け巡り ものすごいボリュームの声量と激しいダンスのパフォーマンスで、文句なしの優勝をした。その後、彼女はロシアの繰り人形の大統領を拒否し ルシェンコ大統領を立て オレンジ革命の活動家として活躍する。

2006年のフィンランド代表 ローデイが優勝したときは おもしろかった。このときフィンランドは45回参加し続けていて、初めての優勝。スターリン影響下にあっても ユーロビジョンに代表者を送ることで ソビエト政府に抵抗してきた国。歌ったローデイは ヘビーロックグループで、当時話題の映画 指輪物語「ロードオブザ リング」に出てくる怪物の姿。ロックバンド「キッス」にも太刀打ちできない異星人の迫力。記者会見にも決して素顔を見せないバンドの面々だった。ヘビーロックの押しの強さでトロフィーを掻っさらって行って、痛快だった。

2009年のノルウェー代表者のアリャクサンドル ルイバークは史上最高の得点で優勝。歌いながらヴァイオリンを弾き、それが何とも民族的で土の香りのする激しく情熱的な曲だった。ヴァイオリンも美しい音。テレビの画像でもわかるほど、激しく弾く弓から 馬の尻尾の毛が切れて飛んでいた。彼はゲイ。本当にチャーミングな歌手だった。彼の優勝も痛快。

2010年はドイツのレナ マイヤー ランドリート。これにはびっくり。黒髪の19歳の女の子が ちょっと音程をはずしながらヒョロヒョロ歌う。どうしてこんな少女が優勝を、、、とあきれたいたら、2011年今年のドイツの代表でも彼女が出てきて 不安定な音程で歌って再びびっくりさせてくれた。
2011年今年の優勝者は アゼルバイジャンのエルダル ガスモフとニガル ジャマルの男女のカップル。可でもなく不可でもなく といったところか。女性歌手の方が イギリス在住とわかって、規約違反を問われている。

今年の代表で印象に残っているのは、フランス代表のアマルイ ヴァシリ。彼は コルシカ出身 ナポレオンが生まれたイタリア領にある小さな島。コルシカ独特の言語を持つ。長身、美形の彼が コルシカ語で素晴らしいテノールを聴かせてくれた。彼自身が魅力的だったがそのような少数民族の言語をもつ歌手を国の代表に送り出すということが嬉しかった。

各国の投票数をみていくと興味深い。視聴者は自分の国には投票できない。すると 多くは隣の国々に投票するのだ。あれほど憎みあっているポルトガルが スペインに最多投票をし、スペインがポルトガルに。トルコがギリシャに多数票を入れ、ギリシャがトルコに票を。セルビアモンテネグロが スロベニアに票をいれ、クロアチアまでもが。

驚くのは、このあいだロシアが戦闘タンクで侵略した ジョージアが ロシアに多数票を入れたことだ。
政治を地図の上でしか理解できない わたしは これが 理解できなくて、混乱した。
親兄弟が隣の国に殺されて、政治的には、憎い。しかし同じ文化を共有し、同じ音楽を聴いて育った人々は、同じ音楽に歓び 哀しみを見出す。まさに、「音楽に国境はない」のだ。
歌に国境はない。それが ユーロビジョンを見て 改めて知らされて、衝撃を受けている。

写真は
フランス代表のアマルイ ヴァシリ

2011年5月15日日曜日

久坂部羊の小説3作を読む




医師でありながら物を書く人は多い。
医療現場に身を置くよりも 小説家として成功している人の中には 森鴎外、夏目漱石、北杜夫、斉藤茂太、なだいなだ、渡辺淳一、藤枝静雄、大鐘稔彦などが居る。
人の生と死に立ち会う医療従事者には 他の職種に就く人よりは、人生について言うべきもの、語らずにいられないものを 抱えることが多いからかもしれない。

久坂部羊の小説を読んだ。
1:「無痛」
2:「破裂」上下
3:「廃用身」2003年 デビュー作
以上3作。
作者は 大阪大学医学部卒、小説のほかにエッセイ「大学病院のウラは墓場」、「日本人の死に時」などがある。小説というかたちで、現在の日本の大学病院のかかえる問題、特定の教授が強権を持ち、医局で若い医師達が押しつぶされる姿や、患者をもとに教育、修練しなければならないため患者の人権が無視される医療状況などが 小説の背景に しっかり描かれている。
山崎豊子の小説「白い巨塔」が 発表されたのが1963年だが 未だに何ひとつ変わらないのが 大学病院の現状だろう。この作家は 益々厳しくなる 現状を背景にしながら「人間」が描かれている。とても 優れた力を持った作家だと思う。

1:「無痛」
神戸で幼い子ども2人を含めた一家4人が極めて残酷な方法で惨殺されていた。現場からは凶器のハンマーや 犯人のものと思われる帽子や靴跡など 遺留品が多かったが 警察の捜査は難航した。
事件から8ヵ月後 この事件は自分がやった と精神障害児童施設の14歳の少女が告白し、事件現場で発見された帽子には彼女の髪が残されていた。心を閉ざしている少女と会話できるのは 心理療法士の菜見子だけだ。警察は色めき立つ。しかし、菜見子が頼りにする 一見風采の上がらない街医師 為頼は、彼女を一見しただけで犯人は彼女ではない と考える。
ではこれほど 無残な殺人をやってのける人間は 何物なのか。 生来痛みを持たない特殊体質:先天性無痛症で、尖頭症の知的障害を持った 井原という男が大病院で 白神院長のもとで働いている。痛みが理解できないので 他人を思いやったり、人と共感したり同情したりすることがない。白神の命令に絶対服従するが 命令がどんな意味を持つものか、理解する知性はない。病気を持つ人は必ず 外見も変わってくる。注意深く観察すれば人がどんな病気をもっているかわかる、と断言する為頼は、井原が内包する素質を外見だけで見抜いて事件を追っていく。
というお話。
医学知識が豊富な人が書くミステリーは 持たない人が書くものよりも数段 おもしろい。

2:「破裂」
医師の誤診によって 一度は絶望の底に突き落とされたことのある新聞記者、松野は医療過誤を告発しようとして、聞き取り取材をするうち、若い麻酔医 江崎と出会う。江崎は硬直化した大学病院の独裁体制に嫌気がさしていた。心臓手術で父親を失くした娘 枝利子は 父親は手術のミスで死んだのではないかと疑い 手術を主導した香村助教授を訴えるために、松野と江崎に助けを求める。
香村助教授は いったん心筋梗塞で破壊された心筋を 活性化させて蘇生するという画期的なぺプタイド療法を開発していた。しかしこの画期的な治療法は 深刻な副作用を抱えていた。患者が治療を受けて、すっかり元気になったころに突然何の予告もなく心臓が破裂して死亡するのだ。
一方、厚生省の実力者、佐久間は 今後老齢化する日本の老人社会のなかで、老人が苦しまずに突然死する 香村のぺプタイド療法が老人の究極の望みだとして、香村を巻き込んだ老人対策を進めようとする。しかし、それをかぎつけたマスコミによって アイデアは潰される。
「日本はどうなっていくのか。佐久間のような非情なやり方以外に 日本を救う道があるのか。ひょっとして佐久間は日本の危機を回避する唯一の切り札ではなかったか。」で 終わる。

3:「廃用身」
神戸の老人専門病院で働く医師、漆原は、麻痺して回復の見込みのない手足は切断するべきだ、と考えている。脳卒中などで麻痺して、いくらリハビリを続けても回復しない手足がなくなれば、本人にとっては、残った健康な手足だけで移動したり日常生活するのが楽になる。介護者にとっては 体重が減って 扱いやすくなって、介護が楽になる。いたずらにリハビリを続けて 動かない手足:廃用身を嘆くことよりも、物理的に楽になり 痺れやだるさから解放され、気持ちの上でも前向きになれる。
しかし廃用身の切断は、健康保険では認められないため、手術理由を 感染とか別の理由をつけて行わなければならない。しかし患者からも家族からも漆原の治療は信頼を得ていた。
患者にも家族にも好評だった、漆原医師による手足の切断が、しかし、マスコミに取り上げられて、老人虐待だと 断定される。
マスコミ主導の世論にたたかれて、漆原は「頭はわたしの廃用身」という遺書を残してレールを枕に横たわり 首を轢断されて自殺。妻も赤子を抱えて電車に飛び込んで亡くなる。
「このケアについて語れば 真近に迫った介護破綻に目をむけざるを得ない。彼が命を賭してまで問いかけたことを見過ごしてはいけない。彼は老人医療の先駆者だった。人々は漆原氏の慧眼をしるだろう。」
で終わる。

「廃用身」では、介護を必要とする年寄りと家族が少しでも楽になる方法を 漆原ドクターに語らせる。彼は「一般常識」を唱えるマスコミが操作した世論によって 破滅させられたが、彼の主張に矛盾はない。時代が変われば 新しい「一般常識」になり、認知されることではないだろうか。これが老人問題の ひとつの回答であることは、確かだ。
「破裂」では、現在はタブーになっている「安楽死」の問題が課題になっている。いずれ オランダのように、日本も安楽死を認めざるを得なくなってくるだろう。
そのうえ、生きる目的をなくした老人が、死ぬその日まで元気でいて、心臓破裂によって苦しむことなく突然死する という選択を望む老人も少なくないだろう。老人問題は年寄りの問題でも、若者の問題でもある。硬直した人権や クリスチャン的な人道主義を標榜しても始まらない。
おもしろい。
この作家の今後の活躍に期待する。

2011年5月11日水曜日

映画 「ミッション:8ミニッツ」




新作アメリカ映画「SOURCE CODE」、邦題「ミッション:8ミニッツ」を観た。なかなか おもしろい。
監督のダンカン ジョーンズの二作目の作品。最初の作品は、SFスリラーというか、ミステリー心理劇と言うか、人の心を描いた映画の「月に囚われた男」。
この監督の父親は 役者や映画監督もできるマルチで ロックの神様、デビット ボオイだ。
http://www.imdb.com/video/screenplay/vi1777835289/

キャスト
コルター ステイーブンス:ジェイク ギレンホール
キャプテン ゴッドウィン:べラ ファミーガ
プログラム責任者    :ジェフリー ライト
クリステーン      :ミシェル モナハン

ストーリーは
アフガニスタンに派遣されていた空軍パイロットの コルター ステイーブンスが あるとき目が覚めてみると シカゴに向かう列車の中に居た。前の座席にすわって 親しげに話しかけてくる女性は 自分の知り合いらしい。どうして自分が列車に乗っていて クリステーンという女性から ショーンと呼びかけられるのか、全く覚えがない。混乱して、列車の洗面所に駆け込むと、そこの鏡には 見た事のない男の顔が映っている。ポケットの中の財布には鏡に映ったショーンという学校の先生の顔写真が入っている。
その瞬間に列車は火を吹いて爆発。コルターは 吹き飛ばされて気を失う。目が覚めてみると 彼は鉄の箱の中で 座席に拘束されている。
鉄の箱の名は ソースコード。

奇妙な 電気コードばかりが張り巡らされている鉄の箱には、テレビのモニターがあり、キャプテン ゴッドウィンと名乗る軍人の女性が コルターに語りかける。キャプテンはコルターに 乗っていた列車に仕掛けられた爆弾と、爆弾犯を見つけるように命令する。

猶予は8分間。
脳には死亡する直前の 8分間の記憶が死んだ後もしばらく残っている。その記憶に 別人の脳がトリップして入り込むと 死ぬ前の8分間を追体験することができる。ソースはコルターの脳だ。ショーンが死ぬ前の8分間の脳に コルターの脳が入り込むことが出来れば 爆弾犯を捉えて、次の犯行を未然に防ぐことが出来る とキャプテンは言う。
シカゴ警察は、シテイーの中心を走る列車に爆弾が仕掛けられている という予告を受けていた。第1発目の爆弾は シカゴに向かう列車で すでに爆破されていた。ショーンもクリステイも含めて 乗客は全員死亡していた。第2発目は 市の中心を走る列車に仕掛けられ 規模も大きな爆弾だと犯人は言う。もし爆発すれば 被害の大きさは計り知れない。是が非でも 爆発を止めなければならない。
爆破予定時間が迫っている。

コルターは 再び列車の中に送り込まれる。8分間で爆弾を見つけて 犯人を探し出さなければならない。コルターは必死で爆弾を探し出す。爆弾は見つけた。しかし犯人を捜す途中で8分間は過ぎ 爆発。コルターは 何度も 爆弾犯が見つかるまで 8分間ごとに 列車のなかに送りこまれる。
コルターは何度も失敗し、キャプテンと話すうちに 自分が すでにアフガニスタンの空軍戦で死亡していることを知る。しかし、軍は内密にコルターの脳だけを生存させておいて その脳をソースに死ぬ直前の他人の脳にトリップする技術を開発していた。キャプテンの命令は絶対だ。コルターは何度も何度も列車に乗せられて 8分間の爆弾犯探しをさせられる。

コルターは 父親をとても尊敬 敬愛している。自分の脳が生きていることを父親に伝えたいが、それはできない。
彼は、死に物狂いの犯人探しの末、とうとう犯人を捕らえる。ついにシカゴ市内で列車が大爆発することは 未然に防ぐことが出来た。しかしそれまで生かされ利用されていた コルターの脳は、、、、。
というお話。

サイエンスフィクションともミステリーとも言える。面白い映画だ。デ カプリオの「インセプション」同様に 観ている人が 自分なりの理解の仕方ができる。よくわからない映画は それだけ解釈が多様で どんなふうに理解しても許される。

反戦映画「ジョニーは戦争に行った」の先を行っている。手足体を失ったジョニーの脳は生きていた。同じように この映画では 戦闘で体を失ったコルターの脳は生かされていて 死ぬ人の8分前の脳に乗り移って 犯人探しまでやらされる。死んでも死ねない軍の新兵器だ。タイムスリップならぬ、ブレインスリップ。

しかし人の脳は 命令に従うだけのために あるわけではない。人はたった8分間にも 人を愛し 恋して 歓びも哀しみも感じることが出来る。それを、コルターを演じたジェイク ギレンホールは、とても上手に演じている。
人がこんなに悲しかったり、嬉しかったり、怒ったり 愛を求めたりする生きものだった ということが改めてわかる。
コルターが心から敬愛して慕っていた父に コルターの友達だと言って電話をするシーンがある。涙が出る。

最後に コルターが脳の生命装置を打ち切られると知っていて、クリステーンと笑いあって抱き合いながら死んで行こうとするシーンがある。自分だったら8分間だけ命を預けられたとき、何をするだろうと思って、とても切ない。
ジェイク ギレンホール、テイーンのアイドルだった可愛い子ちゃんから、人間の哀しみを体言できる良い役者になった。
おもしろい映画だ。「インセプション」が好きな人、「月に囚われた男」が好きな人ならば 絶対楽しめる。

2011年5月2日月曜日

アメリカに正義はない


CNNの緊急ニュースで、アル カイダのオサマ ビン ラデインが、パキスタンで 米軍の特殊チームによって殺された という。
これについて、オバマ大統領は これで正義が勝った と国民にむけて発表した。

アメリカに正義と良識はあるのか。
2001年9月11日の貿易センターなど、一連の爆発について、ビン ラデインは 犯行声明を出していない。ビン ラデインはあくまで 犯行容疑者であって、犯人ではないから 裁判にかけることなしに、有罪を判定することはできない。

3000人という沢山の人を殺したら 取調べや裁判なしに 殺しても良いのか。それではリンチを認めるようなものではないか。警察も裁判所も必要ないことになる。
そんなことでは市民社会は維持できない。民主主義はどこにいったのか。

「一人殺せば殺人者、沢山殺せば独裁者、皆殺せば神様だ。」

いまニューヨークのグランドゼロでは ものすごく沢山の人々が集まって ビン ラデインの死を喜んで 祝杯をあげ、叫び 涙を流して 遂に正義が勝った と口々に「正義」、「正義」と祝福しあっている。人の死が そんなに嬉しいか。
この人たちは 鬼より醜い。