2010年5月26日水曜日
カストラート 男か女か
セシラ バルトリのDVDを買ってきて聴いた。1966年生まれのイタリア人 メゾソプラノの歌手。
DVDの題名は「SACRIFICIUM」、サクリファイは、生贄とか、犠牲にするという意味だから、いけにえとか、犠牲者達という意味だと思う。テーマはカストラートで、歌うために自分の体を犠牲にしてきた歌い手が歌った数々の歌を、彼女が男装して歌っている。
個人的には セシラ バルトリが生まれながらにして女性なのか、トランスジェンダーなのか、レスビアンなのか、両性具を持った人なのか知らない。自分がどの性を選択して生きるか 決めるのは自分だけだ。男か女かどちらの性を生きるか 社会的に人々の理解と認識の幅も 広がってきた。愛のあり方も、LGBT:レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人々が、どんな選択をしながら生きていくか 男女に関係なく人権問題として、とらえ、人として尊重されるようになってきている。 今後、生物学的に100%女でも 男として社会的に生きていく というようなことも そしてその為に戸籍を書き換えることも許容されるようになっていくだろう。世界の動きとしては ようやくそんな方向に向かっている。だから、セシル バリトリが男でも女でもいいんだけど、本人が女性であると認識しているから、それに従う。でもDVDを観ていると、肩のいかつさ、背の高さ 平たい胸など、男のようで、かつてのカストラートの姿を彷彿とさせてくれる。 転がるような軽やかで美しい声で、とても音符のたくさんある 教会音楽の難曲を歌っている。
カストラートとは、変声期を迎える前の男の子を去勢してボーイソプラノの高音を歌う能力を維持したまま成長した歌手をいう。
18世紀前の教会にとっても、オペラにとっても、なくてはならない存在だった。はじめは 変声期前のボーイソプラノの歌手が事故か病気で睾丸を失くしたために、その後も声変わりすることなく美声を持ち続けたことが切っ掛けだったと思われる。それがイタリアルネッサンスにより解剖学や医学の発達とあいまって 安全に睾丸除去する手術が行われるようになった。
ボーイソプラノは 歌い手の体が小さいので高音が美しいが、声量がない上、持久力もない。テナーは高音が出ない。ボーイソプラノとテナーのギャップを埋める歌手が必要だったのだ。
教会にカストラートが登場したのが1599年のローマ。その後、300年間。女がしゃべったり、歌ったりすることが禁じられていた教会で、カストラートは活躍する。オペラの世界では 約200年間存在したあと、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙運動や フランス革命による女性の進出などとともに、法的に禁止され、消えていった。
カステラートがもてはやされたピーク時には、毎年4000人もの10歳前後の男の子が 去勢されたと言われている。幼少のベートーベンは、ボーイソプラノの歌い手として類稀な才能をもっていたので、当時カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親は反対し、彼に楽器の名手になることを望んだ。
カストラートの中には 王家や貴族、大富豪のパトロンをもって 一代で財をなした歌手も多かった。カストラートのための音楽教育も盛んで、べカント唱法、バロック音楽のスピカート、コロラドーラなどを習い、文字通り天使の歌声といわれた。
現在私たちが発声練習に使っているソルフェージュは、カストラートを教育育成する為の教科書だ。
カストラートの第一人者は ナポリ生まれの カルロ ブロスキ(1705年ー1782年)で、彼はシニュール ファルネリと呼ばれていた。彼の音域は驚くべきことに 3オクターブ半あったといわれている。彼は 王侯貴族に愛されるだけでなく 女性からも愛された。歌うために睾丸除去されていても、性交渉には問題がなかったために、恋人もたくさん持っていたようだ。
題名は忘れたが 古い韓国の映画で、貧しい芸人の家に生まれた美声を持つ娘が 父親に薬で両目をわざと失明させられる というお話の映画を観た。健康な目を潰されたのは 見えないほうが 音楽に集中して、良い芸を身につけられるからだ。そんな風にして厳しい父親から芸を叩き込まれた娘が何年も何年も三味線をもって、旅をする。その旅の果てで同じように失明させられた弟と出会うという 哀しい哀しい話だった。
篠田正浩監督の「はなれごぜおりん」という映画も 思い出した。盲目で生まれた女達が集められ、唄と三味線を教えられて放たれる。芸を身につけた女達は 村からむらへと芸を披露しながら旅をして 一晩の宿のために身をひさぐ。叙情的な美しい映画だった。
音楽のために カストラートになったり、盲目にされたり、まことに、人々は美を求めてサクリファイしてきたものだ。
DVDの曲名は
Nicola Porpora
Come nave in mezzo all'onde
Nicola Porpora
Sinfonia
Francesco Araia
Cadro ma qual si mira
Nicla Porpora
Parto ti lascio o cara
Nobi onda
Usignolo sventurato
Riccardo Broschi
Son qual nave
Gerge Frideric Hndel
Ombra mai fu