夏が来ると思い出す詩がある。
私が18のときにであった谷川俊太郎の詩、以来ずっと最も好きな詩のひとつ。
俊太郎が可愛がっていた犬が死んでしまったときに作った詩だ。18才の私と18のときにこの詩を書いた俊太郎の気持ちが みごとに一つになって深く心の奥で共鳴した。
この詩の中にメゾンラフィットの夏 という言葉がでてくるが、これは、作家マルタン デュ ガールの小説「チボー家の人々」という、全5巻の長編大河小説に出てくる フランスの避暑地。そこで、チボー家のジャックはジェニーと出逢って、初めて、お互いに心を躍らせるという物語の中で、大事な場所。その後、フランスはドイツと戦争を初め、反戦活動家のジャックは戦争をやめさせようと、 兵士たちは、戦うのを止めて、国に帰れ、というビラを飛行機から撒こうとして、撃ち落とされて、殺される。
この部分が、当時の軍国日本の最中、若者に影響を与えるということで、当時、日本では出版が禁止された。私の父を含めて、当時の若い人たちは、ジャックの行く末を自分達の生き方と重ね合わせながら、出版を待ったが、敗戦後になってやっと、物語の結末を知ることになる。父が愛着をもっていたこの小説が、俊太郎の詩にもでてくるということで、私には、二重に 特別な詩になった。
ネロ 谷川俊太郎
ネロ
もうじき又 夏がやってくる
お前の舌
お前の目
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回ほど夏を知っただけだった
僕はもう18回の夏を知っている
そして今僕は自分のや 又自分のでないいろいろな夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウィリアムズバーグの夏
オランの夏そして僕は考える
人間はいったいもう何回くらいの夏を知っているのだろうと
ネロ
もうじきまた夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
また別の夏全く別の夏なのだ
新しい夏がやってくるそして新しいいろいろのことを僕は知っていく
美しいこと みにくいこと 僕を元気ずけてくれるようなこと
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろう
ネロお前は死んだ
誰にも知られないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
しかしネロ
もうじき又 夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春を向かえ さらに新しい夏を期待してすべて新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために