アイルランド人でカトリックのジョンF ケネデイと、ジョーバイデンだ。アイルランド人を理解することなしに米国を理解することはできない。
昨年、ジョーバイデンは初めてアイルランドを訪問したが、人々からは、「よくぞ、故郷に帰ってきてくれた。」と大歓迎された。ケルト文化を持ちゲーリックを話すアイルランド人は、その不幸な歴史ゆえ、世界中に散らばっている。アイルランドから遠く離れて異国に移民したその子孫の数は、本国の人口の10倍に上る。
ケネデイは1960年11月に大統領に就任すると、すぐにグリーンベレー(米国陸軍特殊部隊)を発足させてベトナムに送った。表向きはベトナムの共産化を止めるというものだったが、ベトナム戦争を開始したのは彼だ。米軍は1961年11月から南ベトナム解放民族戦線を壊滅させようと、ゴジンジェム大統領を傀儡政権化し、枯葉剤散布、ナパーム弾など重火器攻撃を始め、ゴジンジェムの民族主義が邪魔になると、クーデタをおこさせて彼を殺害、グエンカオキに首をすげ替え、激しい北ベトナムへの爆撃を初め、戦線を拡大した。
1975年3月、北ベトナム軍の大規模な攻勢により南ベトナム政府は崩壊したが、大使館の屋上からヘリコプターで逃亡する米国人や軍関係者の、惨めな敗残者ぶりは記憶に新しい。この戦争で米軍は300万人のベトナム人を殺し、31万人のカンボジア人、6万人のラオス人を殺し、当時徴兵制だった米国の5万8220人の若者の命を奪った。
2001年9月米国同時多発テロが起きて、主犯のオサマデインラデインを匿っていると言う理由で、米軍は、アフガニスタンへの空爆を開始した。ガ二傀儡大統領を立て、米国主導の西側国家陣営にアフガニスタンを引き入れようとしたが、米国の政治目的は完全に失敗した。
米軍の「撤収」というよりタリバン軍が勝利して進軍し、首都カブールに迫ってきたため、米軍は慌てふためいて逃げ出した。彼らは早々航空基地を閉鎖してしまったため、民間人も米軍が訓練したアフガン軍人もすべてが置き去りになった。米国がアフガン戦争につぎ込んだ費用は、2兆ドル(220兆円)2400の戦死者、米国民間軍事会社の戦死者は3800人を超えている。「撤収」時に2000の軍用装甲車、8万の各種車両、4機の軍用機、100のヘリコプター、60万の自動小銃、2千万の小銃弾、900万発の機関銃弾なども置き去りにされた。この逃亡劇でバイデン大統領と、オースチン国防長官は米国内で批判にさらされ辞職を迫られた。
2人の米国大統領は、野望を持って他国に介入し、それが負け戦になると傀儡政権も国民も見捨てて逃亡して来た。米国の歴史はその繰り返しだ。
日本は米国追従を止めなければいけない。
沖縄を環太平洋の最前線の基地にしてはいけない。
軍拡を止めて、軍縮を!
I am singing 「YOU RAISE ME UP 」