2021年8月24日火曜日

大叔父さん大内兵衛のオリンピック

大叔父さんの大内兵衛が治安維持法で逮捕拘禁される1年半前に、個人書簡で、オリンピックについて書いたものが見つかったので、シェアしてみる。1936年ベルリンオリンピックのときを、保田の家で夏休みを過ごしていたときの文。オリンピアンを馬や鳶に例えるなど、いつも達観していて、お茶目な彼らしい言葉に笑ってしまう。鳥にしても、鷹(タカ)でなくて、鳶(トンビ)に例えるところも、いかにも叔父さんらしい。わざと、時間ギリギリに家を出て、ドアが閉まる寸前に電車に飛び乗って、人をハラハラさせるのが好きな人だった。
「8月に入って保田の海岸の光景は一変した。小学生のラジオ体操がなくなって、若い男女の学生がたくさん森永のキャンプストアの前の砂の上にうずくまって物静かなラジオを聞いている。ベルリンの伝えるオリンピックの鼓動を彼らの若い血潮の心臓において再生産するのだという話だが、私見によれば走ることにおいては人は馬に敵わず、飛ぶことにおいては鳶にかなわない。だから本来西洋に発達したスポーツに日本がまけたとして悲しむに及ばず.勝ったからとて、そう喜ぶことはないはずで、僕はこの目前の現象がどうしてこうあるかについて全く理解するところがない。ただ、先頃の議会において外国人の真似をせぬほうがよい、という理由でメーデーの挙行を阻んだ、広田総理が、この外国にオリジンをもつオリンピック東京招致に歓喜し、その上巨額の国幣さえ投じようとしている点から考えると、オリンピックというものは何か非常時的ないし、国民神話的な効験をもつものではないかと察せられるのである。