2021年4月24日土曜日

レボンヘルムの「プア オールド ダート ファーマー」

レボン ヘルムの「ダート ファーマー」を歌ってみた。
レボン ヘルム(1940-2012)は、「THE BAND」の5人の中で唯一のアメリカ人だった。生まれ育った南部アーカンソー土着のフォークソングやブルースをもとに作った曲を歌いバンドで活躍したが、喉頭癌で歌えなくなった。バンドは1976年「ラストワルツ」を最後に解散、再結成の過程を経て2007年に彼は奇跡的にカムバックして、アルバム「DIRT FARMER」で、この歌「プア オールド ダート ファーマー」を歌っている

泥にまみれて百姓は働いても働いても貧しさから抜け出ることができない。農耕はヒトが初めて集落社会を形成し余剰価値を作り出した、尊い仕事なのに、資本主義の市場経済は、百姓から情け容赦なく土地を取り上げる。百姓が土地を失うのは、日照りや豪雨などの自然災害のせいではなく、種を買うにも銀行が介在する経済システムゆえなのだ。年老いて百姓は借金で首が回らない一方で銀行だけが肥え太っていく。

Levon Helm(1940-2012)was only one American member of [The Band]. He was a drummer and a vocal singer but at 1998 he lost voice by Laryngeal cancer. However he came back 2007 as if it was a miracle, with album,' Dirt farmer'. He is singing; poor, old and dirt farmer is hard to survive by draught and get only debt from the bank. Farmer becomes the more poor the more work because of system of the capitalism.




2021年4月18日日曜日

映画 「ファーザー」

映画 :「FATHER]

監督 :フロリア セレール
キャスト:父=アンソニー ホプキンス
     娘=オリビア コールマン
2021年第93回アカデミー賞 作品賞、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞、美術賞などにノミネイトされている。
ストーリーは
ロンドン。エンジニアだった81歳の父親が、寡夫となり、一番可愛がっていた末の娘を交通事故で亡くしてから急に老け込んで、認識障害を起こしている。近所には上の娘が夫と共に住んでいるが、仕事が忙しくて父親の世話をすることはできない。しかし父親の日常生活に支障が出てくるようになると仕方なく、娘は父親を自分のアパートに引き取ることになる。父親は、物忘れが激しくなり、怒りっぽくなって、自分が置き忘れた腕時計を探すたびに、娘や息子の夫を泥棒扱いしたり、時も場所も思い違いが多くなり、家政婦に来てもらっても、衝突ばかり繰り返す。夫はたまらず出て行き、離婚することになった。娘は介護に疲れ、手のかかる父親を絞め殺したい衝動も起こるが、家庭思いだった父親との思い出は消しがたい。離婚後、娘は良きパートナーと出会い、ロンドンからパリに移る決意をする。父親はついに老人ホームに入居する。そんな悲しい選択をするまでに4年もかかったのだった。
というストーリー。

認識障害の老人役をアンソニー ホプキンスが演じた。素晴らしい役者。当然ながらアカデミー主演男優賞にノミネイトされた。映画音楽に、オペラが多用されている。まずマリア カラスが歌う「椿姫」を聴きながらホプキンスが料理をする場面で映画が始まる。次は、アルフレッド クラウスの唄う「真珠とり」のアリアだ。これをバックに、頭が混乱して苦しむ父親の姿が映し出される。繰り返しオペラが使われていていることで品の良い映画に仕上がっている。
最近では、CIVIDで自宅隔離を余儀なくさせられている世界中の人々のために、ホプキンスは、FBとYOUTUBEで、短いヴィデオを発信している。彼のテーマは、いつも「ピアノ」と「ねこ」だ。彼のピアノはプロ並みとよく言われていることだが、ねこを膝に乗せたまま、ノクターンやソナタを弾く彼の姿は、本当に心がなごむ。リラックスにもってこいだ。

映画に目新しいことは何もない。
父親が老人性痴呆状態になって娘が世話をしなければならない。夫より父親を選択した娘は夫に捨てられる。女が年寄りの面倒をみなければならなくなって、どれほどの家庭が壊れなければならないのか?
映画では結論は、娘が老人の認識障害は老人のせいではなく病気なのだという事実を認めて、施設で専門医によって処置されなければならないとして、老人ホームに入れて、パリに旅立っていく。妥当な判断で、それは今の現状で、どこでも誰にでも起きていることなのだ。

老人認識障害の初めは、物忘れから始まる。このごろ人の名前が思い出せなくて、、と中年になると自覚し始めるが、古い記憶より新しい記憶から忘れっぽくなってくる。徐々に悪化して、時と場所が混乱してきて、人の名前だけでなく自分のアイデンテイテイもわからなくなる。時、場所、名前で、混同が起こると、人との会話がとんちんかんになり、笑われたり、怒られたり、周りの態度が変化することで、怒りや逃避や悲嘆にくれるなど、情感にも支障が出る。症状の現れ方は、その人の生きてきたライフパターンによって千差万別だ。
認識障害の関するレポートや症例や小説が出ているが、一番すぐれた作品は、有吉佐和子の「恍惚の人」だと思う。時代を超えた名作だ。

脳に障害が起こるのは脳卒中、脳出血、癌、交通事故などの外傷が原因でも起こるが、アルツハイマー病のように脳神経のレセプターに変化が起きる。認識障害は一つの原因で起こるのではなくこれらすべてアルツハイマー、脳梗塞、躁鬱病、精神分裂病などすべてが併発していると考えた方が良い。家庭で世話しきれなくなった老人は、派遣看護体制で世話し、それができなくなれば施設で世話をする。癌ならば施設に入り完全治癒と退院帰宅もあるが、認識障害の場合は改善することはないので入所したら死亡まで退所することはない。家族は認識障害を病気と理解したうえで、年を取って人が変わってしまった、と嘆かず、ひんぱんに面会するなど、死ぬまでできるだけサポートすることだ。

国は医療と教育には責任がある。幼稚園から大学卒業までに、国が費やす17-18年間分の教育費にたいして、老人は障害がでてから長い人では老人ホームで10年も20年も生きる。24時間ケアが必要な老人にかかる人件費は、若い人の教育費をはるかに上回るだろう。
私は、医療通訳と病院のナースで8年、いまのエイジケアに勤めて15年になる。今の職場で3回ほど殺されそうになった経験がある。責任者なのでホームの出入り口や、モルヒネの入った棚などの鍵を首から下げている決まりになっている。夜になると鍵をかけてまわるが、急に家に帰りたくなった患者は鍵を奪って逃走しようとする。患者に家などもうないし、家族など音信不通、でも患者が家に帰りたい、と怒り出す家とは、自分が生まれた家で母親が待っていてくれる思い出の家なのだ。数人で興奮する患者を鎮めようとしてもうまくいかず、身の危険ゆえ、ポリスを呼んだこともある。
また看護者が腰を痛めるのはいつものことだ。家族から見捨てられ、だれも気にかけてもらえないと思い込んだ患者は、わざとベッドから落ちてみんなから注目されたい。何度でも、怪我をしてもそれを繰り返す。機材を使って床で伸びている患者をベッドまで引き上げる。どんなに機材を使っても腰への負担は大きい。タタミとオフトンの日本がなつかしい。世界一重いオージー。体重ではアメリカを抜いて肥満度世界一のオーストラリア、でかい、おもい、ちからもち、それでいて痴呆の患者をケアするのはたやすいことではない。
人権意識の高いこの国では、ベッドに落下防止柵をつけることも、手足を拘束することも、薬で暴れる患者を鎮静することも許されていないのだ。人権意識の高さゆえ、ドクターもナースも理学療法士も栄養士も薬剤師もリスクを負うことになる。

COVIDで去年からの累計、世界中で遂に300万人が亡くなった。命を失った医療従事者が沢山いる。オーストラリアでも死亡者の半分近くが医療関係者だ。
人は年を取る。自分で何もできなくなった老人の命は国が守ってやらなければならない。老人にかかる費用は若者への教育費や医療費をはるかに上回る。COVIDで、最大数の死者を出している米国が、サイバーアタックと、ウクライナへの敵対を理由に大使館から職員を引き上げる、、、中国をけん制するために大規模な軍事演習を繰り返す、、、日本からスガを呼びつけ中国、台湾間の緊急事態に備える、、、
一体なのをやっているのか。
日本では3人に1人は70歳代という時代に、痴呆老人に銃をもたせて、隣の国と戦争しろというのか。戦争どころではない。世界が戦わなければならないのは、資源でも、オイルでもミサイルでもない。国の財源を根こそぎ奪い取る「AGE」という人類永遠の敵なのだ。
「AGE」について、多くの人が関心を持つ切っ掛けになるのなら、この映画は良い映画だったと言うことができる。



2021年4月11日日曜日

映画 「ミナリ」

映画「ミナリ」
2021年アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞にノミネートされた。外国語映画賞ではない。一般部門で、これだけの候補作品となっている。
また2021年ゴールデングローブ、再優秀外国語映画賞を受賞した。2020年第36回サンダース映画祭でグランプリと観客賞を受賞した。
「それでも夜は明ける」などのブラッド ピットの制作会社、「PLAN B」と、「ムーンライト」などを手掛けたスタジオA24 とで制作された。

原作:アイザック リーチョンの半自伝
監督:アイザック リーチョン        
キャスト
父ジェイコブ:スチーブン ユアン
母 モニカ :ハン イエリ
娘 アン  :ノエル ケイト チョー
息子デヴィド:アラン キム
祖母スンジャ:ユン ヨジュン

1980年代、米国南部アーカンソー。
アーカンソーに移住した韓国人夫婦が、がむしゃらに働いて自分たちの農地を買った。学童期の娘と息子がいる。息子は先天的な心臓病で、走ったり運動することができない。夫婦は移民してきた5年間のあいだ、町でヒヨコの雌雄選別の仕事をしてきたが、やっとお金をためて念願の土地を買ったのだった。父親の望みは、自分の農地を持ち、そこで韓国野菜を作り米国在住の韓国人の間で流通させることだ。アーカンソーで韓国人はみな食べ物が自分たちの育ってきた国の食べ物と違うので苦労している。韓国人の要求に見合う作物を作れば事業として成功間違いないだろう。

大きな夢を抱いて購入した農地に家族でやってくる。草ぼうぼうの広い野原と、掘っ立て小屋。雨漏りはするし、水も十分ではない。電機はモーターの自家発電で使える時間が限られる。さっそく、何もかも気に入らない母親と大喧嘩だ。父親は、妻のために国から妻の母親を呼んでやることにする。畑仕事に明け暮れる両親に代わって、子育ては、韓国からやってきた祖母が担うことになる。そして祖母と孫たちとの交流が始まる。
というストーリー。


夫婦してヒヨコの雌雄判別作業を5年間した、ということがどんなショボいものだったか、想像できる。映画には出てこないが、卵から孵化したばかりの愛らしいヒヨコは、ずらりと並んだ移民たちの手で判別され、オスはベルトコンベアーに乗せられて、羽毛や手足など生きた姿のまま粉砕機に放り込まれて燃やされる。オスは肉が硬いので食べられないし、卵を産まないからだ。オスは孵化されても殺されるために生まれてきた。なんともやるせない。だからヒヨコの入った箱にいくらと決められたわずかなお金をためて土地を買ったときは、夫婦はどんなに嬉しかったことだろう。

ミナリとはセリのことで、水辺に育つ野草。匂いの強い、韓国料理に多用に使われる野菜で、どこにでも根を張り繁殖する。韓国人家族が米国に根着いて生きていく姿を、象徴している。韓国から祖母が種を持ってきて、繁殖させ、彼女が倒れた後、父親がいとおしそうにこれを摘む。

家族の喜怒哀楽が描かれていて共感できる。でもそれにしても、母親はどうして怒ってばかりいるんだろう。家がボロだとか、畑が荒れ放題なのは当たり前だったと思うけど、当たり散らして子供たちを怯えさせるのは、止めて。いったん怒るとその気性の激しさ、一歩も譲らぬ論理性、感情表現の一刻さに、彼女の子供でなくても怖くなる。どうでもいいことだけれど、何年も前、仲の良かった韓国人のカップルが口喧嘩していたのを思い出してしまった。学校の門の前で二人が喧嘩をしていた。どちらも良く知っている人たちだったが、無視して学校に入り、90分のミーテイングをして帰ることにした。門のところで、驚くことに二人は全く同じ格好で、同じように向かい合い口喧嘩を続けていた。90分ですよ。日本人の夫婦喧嘩なら、すぐ面倒になってゴメンナサイを早く言った方が勝ちで、すぐに和解して手をつないで映画にでも行っていただろう。イタリア人だったら、両手をプロペラのように振り回して大声で怒鳴りあい、皿を床にたたきつけたり、ドアを蹴飛ばしたり大音響の30分後に、どっちかが去ってチャオ。フランス人だったら互いに、きつい皮肉を言い合って、サッサと別れて、互いに別の相手とランデブー。アメリカ人だったら、銃で撃ちあって喧嘩は5分でジエンドだ。

アメリカ南部の農耕地帯の田舎町で教会を通して移民家族がコミュニテイーに入っていく様子が好ましい。牧師が模範的なキリスト者の態度で、片言しか話せない移民でも仲間として受け入れる。アーカンソーの自然の大きさ。自然災害の怖さもよく描かれている。
しかし、アメリカ人にとっての韓国人とは、どんな存在だったのかが、あまり描かれていない。どんな田舎に住んでいても、当時徴兵制のあったアメリカ人にとって、朝鮮戦争とベトナム戦争には関わらざるを得ないものだったはずだ。
私が1990年代にオーストラリアに移民したときでさえ、私が日本人だとわかると、親日オージーは、「ジャパン、ヨコスカ、ナハ、カデナ」など、米軍基地があって自分も行ったことがある場所の地名を並べ立てて、日本よく知っているよーと言ったものだ。反日オージーだと、「パールハーバー、ノーテイー、ヒロシマ、ワークリミナル」だ。オーストラリア兵が日本軍の捕虜になってビルマ鉄道建設で過酷な労働を強いられ大量死したことをオーストラリア人は決して忘れない。大西洋戦争の死者の半分がここで捕虜死したのだから。

その国のイメージは自分の父親や祖父から直接聞いた実話から印象付けられる。外国で自分の出身国を言うときは、外交官並みの歴史認識と知識が要求される。知識人の少ない田舎に行くほど、さらに努力と知識と社交術が必要とされる。アメリカ人にとって朝鮮戦争もベトナム戦争も自分たちにとっては何の利益もなかったにもかかわらず、犠牲ばかりの多い戦争だった。1960年代、韓国軍はアメリカ軍と共に参戦したベトナムで、最大時5万人の兵を送り5千人の戦死者を出している。今もなお、徴兵制のある韓国で、彼らがなぜ米国に移民しなければならなかったのか、日米関係よりも米韓関係のほうが、ずっと複雑で密接な関係があったはずだ。

リー チョン監督は小津安二郎が大好きで影響を受けたと言っていることが、うなずける。家族は大切かも知れない。でも人間は社会的な動物だから、社会状況に関わりなく生きていくことはできない。映画では、小津の映画のように、あまり大きなことは起こらない。平穏と小さな幸せ。この映画は家族の結びつきを強調するあまり、人がどんな心を抱えて、どんな社会で生きたのかが十分描かれていないのが、残念だ。小津にないものねだりをしても仕方がないんだけれども。


2021年4月9日金曜日

ステイングの「フィールド オブ ゴールド」

[フィールド オブ ゴールド] :

家は大麦畑に囲まれていて、夏になるとたおやかに実った収穫前の麦に太陽が照り付ける。金色に輝く麦畑の上を、風がそよいで渡っていく美しい眺めは、まるで天国みたいだろう?
1993年に英国人ステイングによって書かれた曲。この曲を、ビートルズのポール マッカートニーは、「僕自身のハートを癒す曲で、僕の人生そのものを語ってくれている。」と言って絶賛した。「永遠の愛」を歌っているということで、結婚式に使われることが多いが、葬式にも使われるそうだ。

エヴァ カジデイ(EVA CASSIDY)というアメリカ人シンガーが、この曲を歌っていて、たった33歳で1996年に亡くなった。彼女の死後2年目に両親の手によってアルバムが出版され、グラミー賞を獲得した。彼女の印象深い歌は、ユーチューブで聞くことができる。ステイングは、「彼女が僕よりもずっとうまく歌ってくれている」と言っていて、そんな彼らしいコメントに心が安らぐ。

Singing ' Field of Gold" written by Sting on 1993. Once he lived a house surrounding by field of bally, which become golden shinning color in the Summer. The wind makes wave on golden bally that is beautiful like a heaven. American singer Eva Cassidy who died in young at 33 on 1996, loved this song. After her death her parents published her record album and it got Grammy award. Sting says," Eva is singing this song much better than me."



2021年4月6日火曜日

映画「ノマドランド」

  
ノマドランド
原題:NOMAD LAND
原作:「ノマド 漂流する高齢労働者たち」ジェシカ ブルーダー
監督: クロエ ジャオ
キャスト
ファーン:フランシス マクドーマンド
デイブ: デヴィッド ストラザーン

あらすじ
米国ネバダ州、60歳を超えて、夫を失ったファーンは、働いていた鉱山の資材会社が倒産し、職を失うだけでなく長年住み慣れた家まで失ってしまった。この機会にキャンピングカーに、大切なものをすべて積み込んで、「ノマド」(遊牧民)として生きることにする。年金などまったく当てにならない。移動する先々で仕事を探して働き、現金を得る。ときにはパートタイマーのアマゾンで箱詰めの仕事、時には掃除婦、時には季節労働者となる。同じノマド仲間同士の互助会もあり、そこには資本主義社会からドロップアウトした人々の貧しいながら助け合う集まりもある。ファーンは働く現場で知り合った人々と、ゆるやかな交流をしながら、淡々と移動を続けていく。
というストーリー。

2020年第77回、ベネチア国際映画祭、金獅子賞受賞。第45回トロント国際映画祭、観客賞受賞。2021年アカデミー賞、監督賞、作品賞候補。

主演のフランシス マクドーマンドが、とても良い。他の女優がやっていたら、ただの演技になっていただろう。彼女ほど孤独が似合う女優は居ない。彼女とデイブを演じた役者以外に役者を使わず、実際ノマドの生活をしている人々を使って、半分ドキュメンタリーのように撮影したそうだ。
自然がいっぱい。壮大な自然のなかで暮らす人々の小さな存在が映し出される。ファーンは、人よりも、自然を愛する。海沿いを走っている。車を止めて、ひとり大きな岩の上で波しぶきを浴びながら塩風を胸いっぱい吸い込んでみる。キャンプ地で、すべてのほかのキャンピングカーが立ち去った後、地平線に沈んでいく太陽をひとり、いつまでもいつまでも眺めている。そういったシーンをカメラが動かず、じっと捕らえる。
そんな彼女も、小さな恋をする。小さな町の観光ガイドの男に、心惹かれ一人で岩から岩に隠れてみて、相手が見つけだしてくれるのを待ってみる。そして男がちゃんと追ってきて、呼び戻してくれるのを見て満足する姿は、テイーンエイジャーのように可愛らしい。それでいて、男に求婚されると、迷いもなくサッサと立ち去るのだけれど。



自分による、自分のための、自分だけの人生を、しっかり生きている。自然と一体感を持ち、だれにも優しく、窮地に陥ると助けを求めるが、助けを押し付けず、すべての人と間隔を置く。徹底し個人主義だ。それもとても強い個人主義。誰にも決して嘆きや、苦情や、身の上に起こった不幸などを打ち明けたり、ぶつけたりしない。だから自分が情けないなどとは感じない。自分がホームレスや、社会的落ちこぼれだなどとは信じていない。自分の人生を自慢したり、人と比較して、自分が不幸かどうかなどと測ってみたりしない。淡々と自分に与えられた状況そのものを、楽しむ。執着心のない、透明な人格。

キャンピングカーが、もう修理に時間も費用もかかるので、買い替えるように勧められるが、「この車は私なの。私の家、家以上の存在なの。」と言って、修理に修理を重ねる。車が死ぬときは彼女が死ぬ時だ。思い出の深い皿が割れてしまうと、新しい皿を手に入れようとせず、接着剤で直して使い続ける。どんなに気に入っているものが大切か、それだけは譲れない、自分のものを持っている。映画にはヒッピーも出てくる。家出少年も出てくる。彼らとの交流も互いに尊重しあいながら、決しておせっかいをせずに優しい。

人生は自己満足。人と比べず自分の価値観に従って生きれば。それが一番幸せな人生だ。
他人には何も求めない。他人に何かを期待すれば、執着心が出てきて期待がかなえられないと自分が傷つく。他人から与えられれば受け取るが、それ以上は期待しない。彼らの生き方は、托鉢で与えられた食べ物だけで命をつなぐ修行僧のようなストイックな生き方を思わせる。
孤独という、何にも代えがたい自由の喜びに満ちた生き方だ。とても勇気付けられた。孤独は怖くない。何という豊穣な世界か。

高齢化社会の日本にも同じような家を失い、漂流する老人たちが増えていくことだろう。


2021年4月2日金曜日

サイモンとガーファンクルの「スカボロフェア」

SCARBOROUGH FAIR:

戦争で命を失った兵士が、故郷に残してきた恋人が忘れられなくて、スカボロフェアの市に行こうとしている旅人に、恋人への伝言を頼む。「針を使わないでシャツを縫って水のない井戸で洗ってくれ、海辺の波と陸の間に広い土地を見つけてコショウの種を撒いて皮の鎌で収穫してくれ。」無理難題をふっかけてくる兵士の悪霊に魂を抜き取られてしまわないように旅人は、匂いのきついローズマリー、タイム、と魔よけの呪文をとなえている。
中世のころから英国ヨークシャーで吟遊詩人によって歌われてきた古いフォークソングを、自分たちのバージョンで, サイモンとガーファンクルが歌っている。

このアルバムが発表された1966年は、ベトナム戦争が泥沼化していた。若者たちは、参戦する意味を疑いながらも徴兵制のために、国に命を差し出すことを強制されていた。この歌は、戦争で命を失った兵士たちの悲しみを歌っている。1966年ダステインホフマン主演映画「卒業」のサウンドトラックになった。

SCARBOROUGH FAIR :Make me a shirt without seams, nor needle, and find me an acre of land between the salt water and the sea strands,,, Dead soldier askes to a traveler impossible desire and rob his spirits. The traveler was scared and tried to evil spirits away. This song was written by Simon & Garfunkel 1966, and used for sound track for the movie,[Graduation]、 but it is ordinated old English folk song titled [Elfin & Knight]. We can read this song means anti- war resistant song during Vietnam War1960-1970.

2021年4月1日木曜日

韓国のドラマ「愛の不時着」




娘がNETFLIXを見られるようにしてくれたので、さーて!何を見てみようか、とプログラムを見渡してみた。長いことテレビはニュースだけ、本気でテレビドラマを見たことがなかった。が、ドラマ「愛の不時着」が、「2020年NETFLIX日本で最も話題になった作品のトップワン」、欧米でも人気となり「NETFLIX最高の国際番組ナンバーワン」に選ばれた、またROTTEN TOMATOSで、97%を記録している、とある。
それならば、とクリックして見始めたら、これがおもしろい。第1話から第16話まで、24時間余りのフイルムを、3日で見終えた。やれやれ。

主要登場人物
ユン セリ:ソン イエジン(韓国実業家、財閥令嬢)
リ ジョン ヒョク:ヒョン ビン(北朝鮮第5中隊隊長)

私が感心したのは、人を愛するということは、その人と学びあい、一緒に愛を育てるということだ、ということが上手く描かれていたことだ。はじめに愛があるわけではない。愛は育てて初めて愛になる。パラグライダーで、竜巻に巻き込まれて韓国から国境を越えて北朝鮮に「空から落ちてきた」ユン セリは、若い実業家で頭脳明晰、ビジネスの実績をもち、美貌に恵まれているが、父と愛人との間に生まれた娘のため、継母から憎まれ、2人の血のつながらない兄たち夫婦からも嫌われていて、その孤独感から自殺を図ったこともある。ビジネスのために外面は華やかな社交をこなし、メデイアにもてはやされているが、内面は自分の殻に閉じこもり余計な会話をスタッフとすることもなく、スタッフに厳しく会議では雑音一つ、口答え一つ許さない。無能な兄たちをおいて、父親から後継者として指名され、さらに誰にも心を許さないでいる。

一方、北朝鮮の中隊長、ジョン ヒョクは人民軍政治局長の息子だが、優秀な軍人で父親の後を継ぐはずだった兄を事故で失い、ピアニストとして生きる道を自ら閉じ、留学中だったスイスから帰国して、兄の代わりに父親の望む軍人になった。一番仲が良く、大切にしていた兄を失った心の傷が大きすぎて、以来、人に感情を表したり、余計な会話をしたり親しい人間関係を作るのを拒否して、孤独でいることを自分に課している。しかし誠実な人柄で、4人の忠実な部下からは全幅の信頼を置かれている。

ユン セリがパラグライダーで落下したのは、韓国と北朝鮮の国境非武装中間地帯、それを警備中だったジョン ヒョクが発見する。そんな2人が出合い、ユン セリは生き延びるために、ジョン ヒョクは義務感から仕方なく自分の家にユン セリをかくまい、韓国に帰してやるために、尋常ではない努力をする。
2人とも傷つきやすい心を奥に秘め、外面は上手に社交できる大人だ。ユン セリが見つかった時、第5中隊の隊員が、韓国ドラマを見るのに夢中だったり、酒を飲んでいて警備を怠ったことで、ユン セリに弱みを握られジョン ヒョクは否応なくユン セリを匿うことになるが、検閲で問いただされて、あろうことか婚約者だ、とまで言って彼女を庇う。韓国から密入国すればスパイ容疑で、ただちに射殺か厳しい尋問をうけなければならないことをジョン ヒョクは良く知っているからだ。
そんな状況に陥っても、ユン セリはジョン ヒョクとその部下たちを自分の保護者としてちゃっかり利用するだけでなく、隊員一人一人の性格や望みを的確に読み取って、それぞれと堅固な人間関係を構築してしまう。唯一敵の陣地に入り込み、まわりの人々を自分の味方に引きずり込んでしまう手法といったら、みごとというほかはない。


ジョン ヒョクの部下4人の描き方が実にうまい。憎まれ口の言いたい放題、皮肉屋で粗野、酒に弱いのが弱点のピヨ チス曹長、無口で隊長に全幅の信頼と最大の尊敬を示すパク グアン軍曹、韓国ドラマに夢中のキム ジュモク中級兵士、極貧の田舎に親兄弟を残してきた17歳のクム ウンドン初級兵士。それぞれが純朴で魅力ある青年として描かれる。

しかしいよいよユン セリを韓国で行われるスポーツ大会に招聘された選手団に混じって逃がそうと空港に向かう途中、邪魔がはいりジョン ヒョクがユン セリの身代わりに銃弾に倒れると、ユン セリは怪我人の手当のために北朝鮮に留まる。ジョン ヒョクの犠牲的な態度にユン セリの心のなかに芽生えてきたものが愛情だったことに気付く。家族に愛されたことがなかったユン セリは、しかし自分の感情を表す方法を知らない。

一方、北朝鮮軍備にはびこる腐敗や、事故で死んだと思われていた兄が実は密輸グループによって殺されたという事実が浮かび上がってきたり、ロシアに留学していたジョン ヒョクの婚約者が現れたり、ユン セリの兄から巨額の資金を盗み取って国際警察から追われている詐欺師が北朝鮮に潜伏していたり、さまざまな出来事が起き、それを経て二人は少しずつ愛を育てていく。互いの自己犠牲を重ねていくことによって、それぞれがのっぴきならないほどに互いになくてはならない相手になっていく。一人で愛を育てることは出来ない。様々な局面で試される犠牲の積み重ねが、確かな愛情関係を築いていく。その描き方が秀逸だ。

それにしても二人が時間をかけて育てた愛がどんな細やかな形で相手に伝えられていくか、それぞれの描写が驚くほどだ。ユン セリが、使っていないジョン ヒョクの部屋で夜を明かした朝、彼の本棚の本を並べ変えて、タイトルを横から読むと「ジョン ヒョク愛している」のメッセージを残していく。ジョン ヒョクがユン セリの家を去る時、水しか入っていなかった冷蔵庫を食料で一杯にしていき、料理の仕方を残していく。睡眠薬なしで眠れないユン セリのために自分がピアノを演奏してその録音を枕元に置いていく。1年先までメッセージを予約できる携帯で、毎朝毎晩メッセージを送り続ける。その日ごとの暦を語り、メッセージを残し彼女の健康を気使う。
長さ80キロメートルの、いつ崩れて生き埋めになるかわからない古い坑道を、酸素のなしに這って通り抜け、北朝鮮から韓国にユン セリを救うためにやってきた男だ。ハリウッドばりのカーチェイスや、銃の打ち合い、カンフー的格闘もかるーくやってのけて、ユン セリの命を守り切る。フイルムをみながら、たくさんの女性たちのため息が聞こえてきそうだ。

韓国製ドラマの優れたところは、そういったメロドラマの見せ方の秀逸さだけではない。涙と感動の間に、上手に「笑い」を入れるところだ。失敗なしの完璧男ジョン ヒョクが地雷を踏んでしまったり、彼の部下たちの生き生きとした純粋で、まじめなだけに滑稽な姿、村の女たちの虚栄心、韓国セレブたちの競争心のおかしみ。ジョン ヒョクが韓国に潜入しているあいだ、刑事たちは北朝鮮のスパイとして街頭カメラや尾行で追うが、カメラでとらえた映像が、ジョン ヒョクが年寄りを助けたり、荷物を持った女性に手を貸したり、泣いている子供を世話したりする映像ばかり。模範的市民を表彰するためのデータ集めているわけじゃない、と刑事部長がキレるところなど、笑える。
主役並みにハンサムな、詐欺師とジョン ヒョクの婚約者との淡い恋なども、たくさん笑わせてくれて、最後に泣かせる。

笑いの後に深刻な涙っぽいシーンがあり、再び笑わせる、といった切れ目のない物語の抑揚が実に上手につけられていて、エンタテイメントとして成功している。笑わせて、しかしその笑いの裏にしっかりと描き出されるあたたかい人間性。悪い人がいない。素直な心で笑えて、気持ち良い。それはドラマに血が通っているからだ。人間社会には欲があり、悪がある。それをブラックユーモアで笑う醜悪な文化がある。しかしこのドラマは、人の心は育てあうことができる、と言っている。トマトの苗に10の誉め言葉を毎日言って育てると美味しい実がなる、とみんなが信じて小さな苗に声をかける。実直で、信じれば育つ、という確信が底辺に流れている。あたたかいドラマだ。

1話から16話まで、24時間余りを、ひきずられるようにして一挙に3日で見た。さすがにくたびれたけど、時間を無駄にしたと思わない。あなたは何日かけてこれをみるだろうか。