2019年12月29日日曜日

70歳、退化への道をまっしぐら爆進する



4年間公立病院に勤めたあと、15年間今の職場でフルタイムで働いてできて、年末、「チェッまたつまんねー仕事かよッ」と、不貞腐れ顔で出勤したら、70の形をした風船とチョコレートケーキが用意されていて、嬉しかった。
あとで写真を見てみたら、写っている職場の面々の出身国は、中国、東チモール、バングラデイシュ、ネパール、タイ、チリ、シオラレオーネと、全員異なる。いかにも移民で形作られてきたオーストラリアの姿を表している。国内紛争で避難民としてオーストラリアに来た人も、クーデターが起きて国を追われてきた人もいる。シラレオーネ出身の人は,、むかし親がダイヤモンド鉱山を持ち主だったが20数年前、外国資本の進出とともに暴力的に国をたたき出されたという。落ち着き先のシドニー郊外で、一家のために用意されたアパートには家具もあって、冷蔵庫にはミルクや食料が入っていて、戸棚には人数分の衣類まで入っていたそうだ。彼女は5歳だったが、その時の安堵と感動が忘れられないと言っていた。そのころは移民の受け入れも、とても良かった。ボスニアから赤ちゃんを抱えて亡命してきて、私と一緒にナースの資格を取った人も居る。オージー移民の話をひとりひとり聴いていると、地球規模の現代史が読み取れる。

オーストラリアの総人口は、2500万人。全人口に占める外国生まれは、人口の28.6%。オージーの4人に1人以上が外国生まれだ。私と娘たちが10年暮らしたフィリピンからオーストラリアに到着した1996年には、オーストラリア人口は、1500万人だった。 私たちがシドニーで勉強したり働いたり四苦八苦している間に1000万人の外国人が移民してきたことになる。政府が積極的に移民を受け入れてきた結果、激しい勢いで人口が増えて、街のインフラが間に合わず、遂に移民制限をしなければならなくなっている。

オーストラリアに来てナースの資格をもとに病院に勤めながら、政府の医療通訳に登録して、日本からの旅行者や在豪日本人が病気になったり怪我したときの医療通訳や、修学旅行の付き添い、搬送などのお手伝いをしてきた。自然、若い人達との交流もあり、今の日本の若い人について考えることも多い。

オーストラリアに、世界中からワーキングホリデイビザで来る若者の数は、毎年15万人。クイーンズランド州の農園では、フルーツピッキングに従事する人の90%が、ワーキングホリデイメイカーだ。オーストラリアの季節労働者は、ワーキングホリデイの労働力に依存していると言っても良い。去年オーストラリアを旅行した日本人旅行者は、47万人。ワーキングホリデイは5000人くらいだろうか。ワーキングホリデイは、18歳から31歳までの若者で農場で6か月以上働くと、最長3年間オーストラリアに居られる。最低賃金として決められているのは、最低時給20ドル、これに年金もつく。三寒四温で温暖な日本から、自然環境の厳しいオーストラリアに来ると病気も怪我も多いが、学ぶことは無限にあると言って良い。もっとたくさんの日本の若者が来て、オーストラリア人に触れて、しっかり働いて学んでほしいと思う。「とじこもり」の親は、そうした子供のポケットに1000ドルとパスポートねじ込んで、どんどん送ってもらいたい。

同時に日本でもワーキングホリデイビザを発行してもらいたい。31歳までの若い人々が世界中から来て、働くようになったら日本の労働市場も変わるだろう。研修生とか実習生と言う名の奴隷ではなく、中間斡旋業者を認めず、国と自治体が斡旋して外国から来た若者に職場を解放すれば、今のコンビ二業界や宅配業者は変わらざるを得ないだろう。年々人口が減り、経済が停滞し回復する見込みがない日本で、労働力不足を安価なアジアからの研修生でしのぐことは、かつて治安維持法と同時に中国と韓国から人々を拉致して強制労働させた国家的犯罪に通じる。世界中からワーキングホリデイビザで若者を受け入れるようになったら日本人の世界観も変わるだろう。

GAFAというグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの国境を越えたジャイアント企業が、世界中の富の半分以上を日々稼いでいる。資本主義世界のこうした構造を一挙にくつがえすことはできない。資本主義社会で労働者は、ほんの一部の資本家の奴隷にすぎない。しかし、生活レベルでは、圧倒的多数の労働者たちにとって、資本家には無いものがある。
それは人としての誇りだ。

70歳、COPDという治癒することのない呼吸障害がある。手指が変形してきて痛みもあり、曲げることができない関節もある。もうヴァイオリンは弾けないし、ギターも、そう遠くない時期に弾けなくなるだろう。記憶力が悪くなり、職場でポカもやる。PC操作では、問題が起こると娘たちの助けがないと解決できない。ヴィザの更新などPCで一人ではできない。70歳、退化への道をまっしぐらに爆進している。
しかし、人が誇りをもって働くということ。働くことによって生活の中に、喜びも哀しみも含めた人生に価値を作っていく。賃金を伴うかどうかに関わらず、人の為に働く、そのことが自分のために働くことになる。最後まで働く、ということで労働者としてのささやかな誇りをもっていきたい。そんなことを想った誕生日。
歌はクイーンの「LOVE OF MY LIFE」

2019年12月4日水曜日

2019年に観た映画 ベストテン

2019年に観た映画 ベスト10
第1位:フリーソロ
第2位:グリーンブック
第3位:ボヘミアンラプソデイ
第4位:たちあがる女
第5位:永遠の門ゴッホの見た未来
第6位:NEVER LOOK AWAY
第7位:ジョーカー
第8位:フォードVSフェラーリ
第9位:ワンス アポン イン ハリウッド
第10位:ホワイト クロウ

第1位:「フリー ソロ」
世界的な登山家で写真家のジミー チェンの作品。https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_22.html
登山家アレックス オニルドが、ザイルもカラビナもハーケンもいっさい使わずに、たった一人でカルフォルニア ヨセミテの1000メートルに近い絶壁を登頂したドキュメンタリーフイルム。このエル カピタンと呼ばれる岩壁を、ジミー チェンらチームが重い機材を持ってザイルで位置を確保しながら登山家と共に岩壁にはりつきながら撮影した貴重なフイルム。1インチに満たない岩の尖りに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。山の素晴らしさを見せてくれる最高のフイルムだ。



第2位:「グリーンブック」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_28.html
アフリカンアメリカンを受け入れるモーテルやレストランの案内書であるグリーンブックは、1936年から1967年までの間で、盛んに利用されていた。このガイドブックなしにアフリカンアメリカンが安全に他州へ移動したり旅行することはできなかったからだ。イタリア移民を演じたビゴ モーテンセンと、黒い肌をもった天才的ピアニストを演じたマーシャラ アリが素晴らしい演技を見せてくれた。アリがその長い指でショパンを弾いたときは、演技と思えない指運びに感動した。


第3位:「ボヘミアンラプソデイ」
2019年第91回アカデミー賞で、主演男優賞、編集賞など4つの賞を受賞した。映画はフレデイ マーキュリーが生きていた時代には、まだ生まれていなかった若い人々を魅了させクイーンが再び脚光を浴びるリバイバル社会現象を引き起こした。1986年8月に英国ネブワース公演で、30万人の観客の前でフレデイが絶唱したのが最後のコンサートになったが、この何十万人もの熱狂する観客が、フレデイの目に映るシーンがこの映画の最も興奮するところだ。彼は観客を熱狂の渦に巻き込むことにおいて天才だった。今だったらエイズでも死なないで済んだ。本当に彼の死が惜しい。



第4位:アイスランド映画「たちあがる女」(WOMAN AT WAR)https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_9.html
ハイランド地域に住む50歳の独身音楽教師が、近所の多国籍企業のリオ テントが所有するアルミニウム工場の垂れ流す廃液が環境を破壊することに腹を立て、たった一人で工場の送電線を切り、操業を妨害をする。それを批判しながらも手を貸す村の人々や、警察とのやり取りが、ユーモラスで、深刻な問題を扱っているのに、あたたかい。群れることなくどんなに孤立しても戦うおとなの女の強さ、それをとりまくおとなの成熟した社会に心動かされる。


第5位:「永延の門 ゴッホの見た未来」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/12/blog-post.html
ゴッホの目ではどんなふうに世界画見えていたのかという視点で、ジュリアン シュナベール監督によって作られたフイルム。ハンドカメラのズームアップ接写と、風景など遠くを映す手法とを交互に使ってゴッホに少しでも近付こうとしている。自然の中でも、人々の中でもゴッホはいつも孤独だった。絵筆と葡萄酒だけが友だった。

第6位:「NEVER LOOK AWAY」
https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/07/neverlookaway.html
ドイツの現代画家、ゲルハルト リヒターのバイオグラフィー。ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、画家として困難な時期を越えて西ドイツに逃れてから、シュールリアリズム、フォトリアリズム、フラットなどの概念で現代美術をけん引してきた。一人の若い画家の成長物語になっていて、絵を描く人にインスパイヤする力を持っている。作品も役者達も美しくて、とても良いドイツ映画。日本でも人気のある現代作家なのに、どうして日本で公開しないのかわからない。

第7位:「ジョーカー」https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_14.html
監督トッド フイリップ監督によって、DCコミックス「バットマン」の悪のカリスマジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。ホアキン フェニックスは、ジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだが、彼のおかしくないのに笑う表情の苦しそうな顔も、リズムに乗っていない動きで踊り狂う姿も真に怖ろしい。

第8位:「フォードVSフェラーリ」https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/12/vs.html
マット デーモンもクリスチャン ベール、二人の持ち味が適役で、とても良くできた映画だった。最後のどでんがえしが、泣ける。
第9位:https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_9.html
「ワンス アポン アタイム インハリウッド」
子供の時から映画を愛しハリウッドで育ったクエン タランテイーノ監督は、ハリウッドの歴史を書き換えたかったのだろう。余りにも凄惨なシャロンテート事件は、LSDとベトナム戦争で荒廃しきった1960年70年代のアメリカの姿を映し出した。歴史を変えることはできないがタランテイーノは自分のフイルムの中で、ハリウッドを愛する者として1969年を書き直したのだ。

第10位:「ホワイト クロウ」
シェイクスピア劇場出身の役者であるレイ ファインズが監督したロシア人バレエダンサー、ルドルフ ヌレエフの半生を描いた作品。ヌレエフがタタール出身のロシア人だったことを初めて知った。ムスリムの少数民族出身だったことが、どんなにレニングラードバレエでプリンシパルに抜擢されても、いつも部外者扱いされ、ついには亡命することにつながった。ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしいダンスを見せてくれる。セルゲイ ボルーニンも出てくる。跳躍力のある華麗な踊りが美しくて、いつまでも見ていたくなる。https://dogloverakiko.blogspot.com/2019/08/blog-post.html




映画 「フォード VS フェラーリ」

ところで車の話だ。
運転する人はみんな自分の車が好きだと思うけど、自分も車が好きだ。一体感が普通じゃない。動くものにはみな命が通っているような気がして、車を停めて何か用事で車を離れるときなど、必ず「ちょっと待っててね。」と言って車の鼻先を撫でていく。やっと長時間の仕事が終わって帰途に就くときは、「さあ、トヨタちゃんお家に帰ろうね。」と告げるし、渋滞に巻き込まれた時など「トヨタちゃん、へこたれるなよ。」などと言って励ます。車に話しかける人って、変だろうか。

25年前に、公的交通機関の未発達なシドニーに来て以来、運転しないで済む日はほとんどないが新車を買ったことがない。来たばかりの頃、地元のブローカーに中古車のオークションに連れて行ってもらった。クレジットカードなど通用しないと言われて、6000ドルの札束を抱えて行って、古いトヨタカローラを競りで落とした。車を生産している日本では考えられないだろうが、15年の中古でも50万円した。メカのことはなにもわからないから、「とってもきれいな空色の車」というだけの理由で車を選んだは良いが、運転席に座ってみても動かない。ギアをニュートラルにしないとキーを差し込んでも車は動かないことを、そのとき教わった。オートマチックカーが初めてだったのだ。でもそれでも動かない。ガス欠と言われ、隣のガソリンスタンドまで人に押してもらったが、さて、どのホースからガソリンを入れるのか知らない。めんどくさそうなガソリンスタンドのおっさんに無鉛ガソリンをどうやって入れるのか教えてもらってやっと、車を始動させることができた。右も左も地図がわからない来たばかりのシドニーで、付いてきてもらったブローカーの車の後を、命がけで必死で追って家に帰って来た。よく帰ってこられたと感心する。

その車がポンコツになったあと買ったのが、当時唯一オーストラリアで生産していたホールデン社のコモドール。塗装が悪いことで有名で、「ホールデンの中古車買ったの。」と言うと「へえ、何色だったの?」と過去形で聞かれる。スモーキーカラーというか、緑色だった時もあった、というか、迷彩カラーで、エンジンはデカいからすごい音がして、戦車を運転しているような気分だった。これも数年でボロボロになり最後の日、引き取ってくれる業者のところまで1時間近く運転して行った。着いたところで「これでお別れだよ。長い事本当にありがとう。」と言い終わらないうちに、車はギュルギュル シュ―!と返事をしてそのままエンジンが死んだのだ。業者が移動させようとしてキーを入れたが、その車は二度と動かなかった。忠実に私のために尽くしてくれた末、死んでしまったホールデンを思い出すたびに、車はやっぱり生き物なのではないか、と思うのだ。

ところで映画の話だ。
フランスで行われる24時間、耐久自動車レース「ル マン」の話だ。アメリカ人の自動車設計者キャロル シェルビーと、怖いもの知らずのイギリス人ドライバー、ケン マイルズの実話。
キャロルをマット デーモン、ドライバーにクリスチャン ベールという二人の大物役者が演じている。アメリカ映画界を代表するマットと、英国の誇りクリスチャンが共演するのも驚きだが、この映画で、マットとクリスチャンの二人がともにアカデミー賞に主演男優賞候補として名前を挙げられている。珍しいことだ。例えば「ワンス アポンイン ハリウッド」では、レオナルド デ カプリオとブラッド ピットの二人の大物役者が共演しているが、レオナルドが主演男優賞、ブラッドが助演男優賞の候補にされている。

監督:ジェームス マンゴールド
キャスト:
マット デーモン:キャロル シェルビー
クリスチャン ベール;ケン マイルズ
カトリーナ バルフ: モリ― マイルズ
ノア ジョブ: 息子
トレイシー レッツ: ヘンリーフォード2世
レモ ジローネ: エンツオ フェラーリ

ストーリーは
フェラーリは1960年代、「ル マン」24時間耐久レースに連勝し、スポーツカーレースの王座に君臨していた。しかしモータースポーツに過剰に投資し、イタリア共産党左翼政権による労使紛争が長引き、そのうえ創業者、エンリッオ フェラーリをはじめとする一家のお家騒動などによって、経営困難に陥った。一方、1963年、アメリカ自動車産業を代表するフォードは、自社には無かったスポーツカーレースに参入することで、ヨーロッパに事業を広げたいと、野心を抱いていた。フォード社は、フェラーリの運営するレーシングチーム、スクーテリアを買収しようとする。しかし、アメリカ勢の有無を言わせぬ強欲な態度と、ビジネスライクな交渉の仕方に、エンリッオ フェラーリは激怒して、契約寸前までいった交渉を一方的に破棄する。その後、フェラーリは同じイタリアのメーカーファイアットに合併される。

この仕打ちに怒ったヘンリー フォード2世は、何が何でもスクーデリアフェラーリを「ル マン」レースで打ち負かしてやる、と公言し、即座にスポーツカー専門チームを結成する。モータースポーツ界で史上最高金額といわれる多額の投資をして作られたチームの責任者には、キャロル シェルビーが抜擢される。キャロルは、優秀なフォード社の設計士で、大戦中は空軍の優秀なパイロット、戦後はカーレーサーとして唯一「ル マン」24時間耐久レースにドライバーとして参戦した経験をもっていて、フォード社から篤い信頼と期待を受けていた。

シェルビーは自分が設計したスポーツカーのドライバーには、粗忽で変人扱いされているケン マイルズを指名していた。彼のエンジニアとしての能力もドライバーとしての捨身の運転も他には代えがたい。しかしフォード社の車がいかにスポーツカーの分野で遅れているかをよく知っているケンは、フォードの欠陥や立ち遅れを激しく指摘し、笑いものにする。彼の傍若無人な態度は、フォード社のプライドの高い上層部には受け入れがたいものだった。ケンはフォード社のドライバーとして必要不可欠な「品格」というものがない。フォード社としてフォードの車を運転させるわけにはいかない。
フォード社上層部と、ケン マイルズの間に挟まれて、シェルビーは苦悩する。せっかくケンが指摘してくれた欠陥に改良に改良を重ねて製作しているスポーツカーを、ケンに運転させてやることができない。
遂に1964年、フォードは鳴り物入りで「ル マン」レースに初参加する。しかし24時間の過酷なレースに、フォードは完走することさえできなかった。完全な敗退だ。

シェルビーはいったん自分のもとから離れて、自動車整備工として働いているケン マイルズに会いに行って謝罪を繰り返し、再びフォード社に帰ってきてほしいと懇願する。シェルビーはフォード2世に会って、許可を取っていた。シェルビーの熱意がケンの少しでも早く走る車を作るという情熱に火をつけ、ケンのフォードへの復帰が決まる。新しいマシンを作るために、シェルビーが設計する。それをケンがダメ押しをする。改良に改良を重ねて、ケンがマシンを試みる。それでもスピードが出ない。さらに改良を重ねる。シェルビーとケンの二人三脚で血の滲む努力を重ねた結果、新しいマシンが出来上がる。
そして、1966年「ル マン」にフォードは遂に優勝を勝ち取った。
というお話。

カーレースに命を懸ける二人の男の友情物語だ。と一言で言ってしまえるが、誰もがクリスチャン ベイルに泣かされることだろう。マット デイモンの喜びも悲しみも希望も絶望も静かに受け入れるスポンジのような穏やかさが好ましい。
クリスチャン ベイルの尖った激しさ、過激な熱を持った男の表現には、いつも恐れ入る。ロットントマトでも彼の好演を褒める記事で溢れていた。彼の強い目つき、内にこもった狂気、ふつうじゃないヘロヘロな態度、反骨を生きる男の孤独。それを体現する役者としての能力は、他のどの役者よりも優れている。映画「インソミア」では神経病質の不眠症を演じるために餓死寸前でドクターストップがかかる体重が30キロちかくになるまで痩せ、最近ではデイック チェイニーの役になるために90キロを超える体重に増やしたり、「アメリカンサイコ」でみせた狂気が、彼の役作りにいつも付きまとっている。

「ル マン」24時間耐久レースでは、6キロにも及ぶに直線がありアクセルを踏み続け、時速400キロで走り続けるとタイヤが焼けて車に火が付く。ギアとブレーキを切りかえながらで発火を抑えなければならない。他のマシンと並行に走るときは、ギリギリまでギアチェンジせずに居て、相手がギアチェンジした瞬間に先に出て追い越すのが先だ。タイヤをバーストさせないために、ギアチェンジを繰り返す。瞬時の判断が勝利を導き、瞬時の誤りが死を招く。映画では車の走行場面が多く、臨場感たっぷりだ。自分が運転している気になって画面と一緒にアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んでフイルムと一体感になれる。

幼い息子と二人、クリスチャン ベイルが走行路に寝転んで、息子に「この直線の先のカーブが見えるか?ギアチェンジする瞬間が見えるか?」と問う。息子には見えると言い、それを聞いた父親は嬉しそうに「見える人はとても少ないんだよ。」と言う。父と息子の得難い会話だ。妻役のカトリーナ バルフもとても良い。冒険野郎の夫を、ちゃんと見ていて必要な時に支えてやることのできる妻。人はみな自分に無いものをもった人々を必要としていて、それらを補い合い助け合いながら生きるものなのだと言う、人間関係のあるべき姿を見せてくれる。
この映画、あらすじを書いたが、肝心なことを書いていない。
フォードが初めてフェラーリにスピードで勝った という成功物語がいまでも伝えられている。しかしその裏には信じられないような裏切りと、誰もが悔し涙にくれるような事実があった。最後に裏切られ、あっと驚く。それはここでは書けない。映画のストーリーとして書いてしまえないのは、推理小説を読み始めた人に真犯人を言えないのと同じだ。成功物語だと思って映画を観ている人は、最後に大泣きさせられる。

うまく期待を裏切ってくれた。
とても良い映画だ。
見なければわからない。だから観るしかない。
日本での公開は1月10日だそうだ。

2019年12月3日火曜日

映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」

邦題「永遠の門 ゴッホの見た未来」
原題:「AT ETAERNITY’S GATE」
監督:ジュリアン シュナベール
キャスト
ウィルム デフォー : フィンセント ファン ゴッホ
ルパード フレンド : テオ
オスカー アイザック: ポール ゴーギャン
マッツ ミケルセン : 療養所所長、聖職者
マチューアマルリック: ポール ガシェット医師
エマニュエル セニエ: ジヌー夫人

ストーリーは
1880年代パリ。
カフェで若い画家たちが、画商と交渉をしている。少しでも生活の糧になるような金額で絵を扱ってくれないと、生活が立ち行かない。貧しく若い画家たちは生活苦に喘いでいる。
しかし、ゴーギャンは作家たちが絵を描くことよりも、売ることに汲々としていることに腹を立て、席を立つ。自分は自由を求めてマダガスカルに行くつもりでいる。友人のフィンセント ゴッホには、ほかの画家たちとつるんでいるのを止めて、南の温かいところに行って絵を描くように勧める。彼の言葉に従って、ゴッホは南フランスに移り住むことにする。
底の抜けた靴、穴の開いて指が見える靴下、身なりかまわずゴッホは、田舎の景色のなかに身を浸し、風景を写し取る。陽光を浴び、風景を描き続ける。しかし教養の無い田舎の百姓たちにとって画家の姿は異質で、異様だ。田舎の子供たちは画家をからかい、写生する画家を妨害する。怒ったゴッホは子供たちを怖がらせたことで、警察によって精神病院に強制入院させられる。呼び出しを受けて、パリから飛んでやってきた弟のテオに、フィンセントは、じつはこのごろ幻覚が起きて、見えないものが見えたりするんだ、と告白する。しかしパリで画商をしているテオは、忙しくフィンセントにずっと付き添ってやることなどできない。送金の約束だけして彼は兄に、あまり悩まずに見えるものを描き続けるように励まして、自分はパリに帰る。

やがて、ゴーギャンがマダガスカルから、パリに帰って来た。ゴッホはゴーギャンと一緒に住んで、互いに活力を得て、画業に集中する。しかし強い個性を持った男同士の共同生活には、すぐに無理が生じて、ゴーギャンは出ていく。ゴッホは、ゴーギャンに謝罪の意味で、片耳を切り落とす。再び彼は精神病院に入院させられる。
しばらくして、病院長から呼び出され、どうして美しい絵を描かずに、醜い絵ばかり描くのか、と問われる。ゴッホには病院長の言う意味が解らないので、驚愕する。ゴッホは自分は神から才能を与えられた。自分にしか見えないものを人々に見せたい、という。二人の会話はかみ合わないが、ゴッホは退院を許されて、再びマダム ジヌーの世話になり宿屋に戻って絵を描き続ける。しかし田舎の地元では、精神病院に入退院を繰り返すような画家ゴッホを嫌う人が多かった。ワインを浴びるほど飲み、人と関わろうとせず、孤立しているゴッホは、ある夜二人の若者のトラブルに巻き込まれて、腹部を銃で撃たれ、その傷がもとで亡くなる。弟テオがパリから駆け付けた時、すでに彼は息を引き取っていた。
というおはなし。

モーツアルトのような耳をもち、ゴッホのような目を持てたらどんなに良いだろう。果てしない広がりを持った世界で、感性を思い切り自由に羽ばたかせながら生きることができるだろうか。
「ひまわり」を描くゴッホの目には、水々しいひまわりのつぼみが、やがて朝露とともに広がり、強い太陽に射すくめられた末についにしぼんでいく、そのすべての過程が見えていたのだろうか。「アルルの女」を描いているゴッホの目には、ジヌー夫人の強靭な精神に裏付けられた穏やかな人柄と、彼に対する同情、憐憫、母心、包容力や、死ぬまで世話を焼いてくれた友情までが見えていたのだろうか。「ガシェット医師」を描くゴッホには、ドクターの自信と誇りをもった、でもユーモアとウィットに富む田舎紳士のほがらかさや、人の善さが見えていたのだろうか。

ゴッホは精神医学的にいえば、精神病質に生まれて精神分裂症を発症した患者。社会学的に言えば、全く生活能力が無く、生活のすべてを弟テオの送金に頼っていた上、社交で人と関わることも出来なかった反社会的で、人格障害をもった人間だ。
しかし彼ほど切実に自分の見た物を描こうとして真摯に生を生きた画家はいない。人には見えない永遠の命を描いて人々に見せたい。自分は一生表現者として描くことが自分の使命だと信じて描き、その決意は死ぬまでゆるぎなかった。

ゴッホが好きだ。「ぺザント」(百姓)この絵に会いに行くためにしょっちゅう、近くの州立美術館に行く。この小さな絵はいつも入り口の右、セザンヌの風景画、モジリアニの裸婦、エゴンシーレの裸体が掛かっている巨大な部屋のすみにある。ゴッホの初期の作品。暗く、貧しく、虐げられて飢えた百姓の希望の無い絵。しかし重ね重ね塗り固められた百姓の姿から強い生命力が伝わって来る。暗いがぬくもりのある画だ。
この州立美術館には2点のピカソや、高さ3M幅10Mの村上隆の巨大な絵などを所有しているが、印象画はそれほど持っていない。1874年に建てられたオーストラリア最大の美術館で、天井が高く、大理石の床が磨き上げられていて、ロックスにある現代美術館よりも、メルボルンの州立美術館よりも、キャンベラの国立美術館よりも、内部は落ち着いていて、とても居心地の良いくつろげる美術館だ。

映画でゴッホを演じたウィルム デフォーは、この映画でベネチア国際映画賞で主演男優賞を受賞した。アカデミー賞主演男優賞の候補にあげられたが、「ボヘミアン ラプソデイ―」でクイーンのフレデリック マーキュリーを演じたラミ マレックに、賞を持っていかれた。ボヘミアン ラプソデイ―を切っ掛けに、クイーンが再び大爆発的な脚光を浴び、ヒットチャートを記録して大ブームを引き起こしたのだから仕方がない。第91回2019アカデミー賞会場でもクイーンの、71歳で依然としてかっこいいブライアン メイと、69歳のロジャーテイラーがパフォーマンスのトップを飾るなどして、2019アカデミー賞は、クイーンで始まってクイーンで終わった。彼らの電子音に比べると、フィンセント ゴッホの世界は何と繊細で孤独の世界だったことか。

監督ジュリアン シュナベールは画家でもある。監督した作品には「潜水服は蝶の夢を見る」(2007)と、「夜になる前に」(2000)などがある。
彼は、「ゴッホの伝記はすでにたくさんの監督によって製作されているが、ゴッホの目では世界がどう見えていたのか、という視点で映画を作りたかったのだ」と言っている。
映画は、ゴッホのモノローグで語られ、彼の目線で見たものが映されている。彼の目がカメラになると人との会話では、ハンドカメラで相手がズームアップされる。カンバスを背負って穀倉地帯や森や丘を歩き回る時は、カメラがずっと下がって大写しになる。ハンドカメラが接写と遠近を繰り返すカメラワークは、ゴッホの主観を接写で、客観を遠くで捉えることで表している。カメラの揺れで、映画を観ていて酔う人が出たそうだ。
ゴッホが南フランスの穀倉地帯や森や丘を歩きまわる。広々とした自然の中で風に吹かれ、光に身をまかせ、永遠を感じる。陽の上がるのを待ち太陽を全身に感じて心を解放させる、そうして描いてきた風景が、精神病院で療養するごとに、徐々にぼやけてくる。風景の半分がよく見えない。徐々に蝕まれていくゴッホの精神が、ぼやける映像によって事実になっていく。彼は見た物を描く。ぼやけていても見ればそこに真実がある。そうやって彼は最後に銃弾を受ける日まで絵を描いていた。

映画のシーンで、ゴーギャンがジヌー夫人を座らせてデッサンを描いている。そこにゴッホが帰って来る。するとやわらゴッホはカンバスを立て、いきなりオイルでものすごいスピードで描き出す。ジヌー夫人はさっさと去っていくがモデルが居なくなってもゴッホは記憶をもとに描き続ける。そんなふうに油絵を完成させてしまうゴッホを見ながら、ゴーギャンーは、「描くのが速すぎるよ。どうしてゆっくり描けないの。」と言い、さらに「君の絵は塗って、塗って、重ねて塗って、まるで彫刻をつくるみたいだ。」とあきれる。二人の天才画家の会話が興味深い。

1853年に牧師の子供として生まれ、1890年に37歳で若くして亡くなったゴッホは、2000点以上の作品を残したという。2016年に彼のデッサン帳が新たに見つかった。
宿屋でシェイクスピアの「リチャード3世」を読んでいたゴッホに、ジヌー夫人が、「そんなに本が好きなら本をあげるわ。でも何も書いてない本なのよ。」と言って分厚い本をゴッホに渡すところで、この映画が始まる。ゴッホはそれをデッサン帳にして持ち歩く。彼によって描きためられたこのデッサン帳が、彼が精神病院から退院したときに他の病院記録などと一緒に放置され、ずっとあとになって21世紀を生きる人々の手に渡る、そんなシーンで映画が終わる。ゴッホは永遠だ、とでもいうように。ミステリーが好きだと、映画の中でゴッホに言わせている。そんなミステリーっぽい終わり方がしゃれている。
とても印象深い映画だ。



2019年11月10日日曜日

州立美術館 ジャパンスーパーナチュラル展


NSW州立美術館で、ジャパニーズスーパーナチュラルと題した特別展が開催されている。江戸時代から今日に至る妖怪、幽霊、鬼、などをテーマにした作品展。
江戸時代の鳥山石燕、板谷広春、葛飾北斎、歌川国芳、月岡芳年などの浮世絵から、現代作家の村上隆、水木しげる、松井冬子、やなぎみわ、束芋、青島千穂までの作品、180点あまりが展示されている。

鳥山石燕(1712-1788)が200以上の妖怪を書いて解説した絵本と、1860年代に描かれた板谷広春による絵巻物「百鬼夜行絵巻」が、薄い絹の布に色鮮やかに描かれていて、今もなお色あせていないことに驚かされる。葛飾北斎(1760-1849)による浮世絵の「笑う鬼」、「お岩」、歌川国芳(1797-1861)による骸骨、月岡芳年による「お岩」(1892作)などの化け物が、繊細な筆使い美しい神秘世界を描き出している。このような日本の緻密で繊細な浮世絵が、当時のヨーロッパでは画期的な画法としてセンセーションを起こしたことが理解できる。ダンテによる地獄篇などの気味悪さと恐ろしさに比べると昔の日本の妖怪たちが、いかに高い美意識によって描かれていることか。構図にしても、色使いにしても、浮世絵が古いものではなく、全く新しい。写真は、トップが、村上隆。左が歌川国芳、右が月岡芳年の浮世絵。

水木しげるの作品は、6枚の「妖怪道五十三次」から、おなじみのゲゲゲの鬼太郎もあったが、浮世絵として完成していて、それぞれが愉快で素晴らしい。しげるは戦争中パブアニューギニアで米軍の被弾を受け、左腕を失い、敗戦後は貧困の中で紙芝居作家となり、漫画家として「ガロ」でデビュー、学歴こそ小学校卒だが、漫画の魅力は勿論のこと、幅広い知識と博学、叡智に富んだ文章が魅力だ。人間に対する深い愛情が底に流れる彼のエッセイを子供ときから愛読していた。

水木しげるの影響を受け、東京芸術大学で日本画を専攻した現代作家に、村上隆がいる。今回の特別展では、彼の埼玉県の工房から2体の赤鬼、青鬼のオブジェが運ばれてきた。それと高さ3メートル、幅30メートルの大作「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」と、同じく高さ3メートル幅10メートルのNSWアートギャラリーのために創作された新作のアクリル画の2作を観ることができた。
機会さえあればできるだけ現代美術の作品を見たいと思う。それは今日世界中で起こったニュースを、自分の生活に関わりはないが、見ておきたいので必ず夜6時半から1時間SBSのワールドニュースを欠かさず観るのと同じ感覚だ。世界で何が起き人々がそれに対してどう反応し時代というものの流れがどう変わっていくのか把握しておきたい。だから現代美術が好きでなくても観るし、村上隆の作品をあげるよ、と言われても遠慮しておくけど。

草間彌生が1960年代に裸になって、ペニスを形取ったオブジェで遊んで見せたりボデイーアートでみせた女の主張は、その時代にとって必然的に通過しなければならない過程だったと思うし、彼女の代名詞のような水玉もようは、彼女が幼少期からみてきた強迫概念から逃れるために必要なものだったかもしれない。が、それは私に必要なものではなくて、理解できるが、共鳴できない。

村上隆も1990年代という時代が生んだ必然的な時代の所産だろう。彼は現代美術の国際舞台で傑出した作家だが水木しげるの影響を受け、漫画やアニメのポップアートを日本画のベースに融合させた。日本でも人気のある東ドイツ出身のリヒテンシュタインが、浮世絵の影響をうけて、西洋絵画の土台である遠近法の奥行を、とっぱらった「フラットベッド」を言い出したので、その尻馬に乗るようにして、彼は「スーパーフラット」を言い出した。彼なりに西洋美術史を覆したかあったのだろう。
村上隆は、狩野一信の「五百羅漢図」にインスパイヤ―されて300人の彼の弟子と美術生とを使って、「五百羅漢図」(2007-2012)」を完成した。日本画家出身者に線を描かせ、洋画出身者に色塗りをさせることによって、日本画と洋画の融合をもくろみ、500人の仏陀の弟子たちのそれぞれ異なった姿を描いた。高さ3メートル、幅100メートルの巨大なシルクスクリーンを使ったアクリル画だ。キャンバスに光る素材を塗ってから絵を入れたので背景が、星のように光って見える。漫画のAKIRAや、NARUTOもいる大作だ。森美術館で展示されていた。

今回の展示会ではこの五百羅漢に似た、長さ30メートルの大作「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」は、東日本大震災のあとに描かれたもので、背景には彼が大震災のときに実際に見た雲が、下地に描かれている。中央に荒れ狂う海、木の葉のように波に翻弄される船、龍、虹、光、大きな黒い骸骨、左に青い服の男。右には国籍不明の人々と子供達。
もう一つの作品は、10メートルの長さの新作。激しい赤を背景に中央に寄り目の猫。猫の頭の上に小さな2匹の猫が鎮座して、両側には作者が影響を受けたという黒澤明と山田洋二の時代劇にでてくるサムライの戦闘場面が描かれている。背景が明るいせいで、サムライも猫もすっきりと際立っている。このアクリル画は、NSW州立美術館所有になったので、今後いつでも見ることができる。この絵の前に、彼の埼玉県の工房から持ってきた赤鬼と青鬼がそびえ立っている。こちらも迫力いっぱいだ。

松井冬子のフイルム作品で、毛の長い白い犬が印象的だった。それと、女が死に、肉が腐って蛆に食われ、骸骨になっていく日本画が美しかった。

総じて観る甲斐のある展示会だった。「ジャパンスーパーナチュラル」と聞いて、ジブリのアニメを思い浮かべるのか、若いオージーがたくさん見に来ていた。「ねつけ」と言って、おしゃれな武士や裕福な商人たちが帯に付けた小さな飾りものだ、と説明してもオージーには何のことかわからなかっただろうが、象牙や木製の彫られた骸骨や鬼を目を細めて見つめる若い人々の姿が印象的だった。展示ははじまったばかり、3月8日まで。観る価値はある。

モーツァルトを演奏したり、モーツアルトのオペラを観るごとに、どうして、どうして彼が極貧の内に、たった32歳で死ななければならなかったのかと思って、泣きたくなる。
重厚な宗教音楽が主流の時代に、彼は早く生まれ過ぎた。
前衛は常に叩かれる。芸術家の斬新さを人々は認めようとしない。今まで自分が親しんできた芸術作品になじんで快適だからそれを変えたくない。でも現代作家たちの作品をよく見ようと思う。新しい動きを好きになれなくても良いから。村上や松井の作品が100年先の人々にとって宝になるのか、ただの紙クズになるのか、それは私ではなく、100年先の若者たちが決めることだ。


1:始めの写真は:村上隆のねこ(NSW州立美術館所蔵)
2:左上:歌川国芳 骸骨の浮世絵
3:右上:月岡芳年「お岩」
4,5:2作:水木しげるの「妖怪道53次」
6,7:「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」:村上隆
8:寄り目の猫:村上隆
9:赤鬼:村上隆
10、11:白い犬、骸骨の女:松井冬子
12:骸骨のねつけ(木製)


2019年10月14日月曜日

映画「ジョーカー」


DCコミックス「バットマン」に登場する悪のカリスマ、ジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。第76回2019年ベネチア国際映画祭で最優秀作、金獅子賞を受賞。公開早々、主演のホアキン デニックスが今年のアカデミー賞男優最優秀賞に選考されること確実と予想されている。
激しい暴力シーンのために15歳以上でなければ見られない。映画の内容が2012年にコロラド州オーロラで、「バットマン リターン」上映中に乱射事件が起き12人の死亡者を出したことを思い起こす、として、上映拒否する映画館が出現したり、クリスチャン団体が映画の公開に反対するなどの社会現象が起きている。

原題;「JOKER」
監督;トッド フィリップ
製作;トッド フィリップ、ブラドリークーパー
キャスト
ホアキン フェニックス:アーサー
ロバート デ ニーロ :マレー フランクリン
フランシス コンロイ :アーサーの母親ペニー
ザジー ビーツ    :ソフィー アーサーと同じアパートに住むシングルマザー
ブレッド カレン   :トーマス ウェイン

ストーリーは
1950年代と思われるニューヨーク、というか、1980年代ゴッサムシテイー。
アーサーは、コメデイアンになることにあこがれて、いまは大道芸人としてエージェントに雇われている。身体障害のある母親を介護しながら、しょぼいアパートで暮らしている。子供の時から母親に、いつも笑顔でいなさいと言い聞かされてきたとおりに笑顔でいて、人を笑わせて喜ばせたいと思ってきた。しかし感情が高まると、笑い出してそれを止めることができなくなるという人格障害を伴った精神病を病んでいて、人間関係をうまく継続できない。またそのため薬を飲まなければならないが、生活が苦しく、薬代の捻出に苦労している。家に帰れば母親のために食事を作り、入浴させ、一緒にテレビを見ることが唯一の娯楽だ。二人ともコメデイアンだったマレー フランクリンのショーを楽しみにしてる。アーサーは以前、マレーに会って励ましてもらったことがあって、それが自慢でならない。

ピエロに扮して宣伝マンの仕事をしていた時に、悪ガキに絡まれてひどい目にあったことから、アーサーは、職場の同僚から護身用の銃を借りる。しかし小児病棟でピエロ訪問のショーで、うかつにもアーサーは持っていた銃を子供たちの前で落としてしまい、それを理由に職場を解雇される。気落ちしたまま地下鉄に乗って帰宅途中、3人の男達が酔って向かい側の座席に座っている女性をからかい始めた。それを見ていたアーサーは高まる緊張を抑えられず笑いだす。笑われて怒った男達は、他に電車の乗客が居ないことを良い事に、アーサーに殴る蹴るの激しい攻撃をかけてきた。アーサーはぶん殴られて足蹴にされされて、怒りを抑えきれず遂に3人を銃で撃ち殺して逃げ帰る。翌日のニュースによると、3人の男達はウェイン財閥のエリート証券マンだった。社長でゴッサムシテイー一番の実力者トーマス ウェインは、自分の会社の将来を約束されていた社員が殺されたことで怒って、記者会見で犯人を一刻も早く捉えることに協力するよう市民に呼び掛けた。

家に帰るとアーサーの母親がトーマス ウェインに手紙を書いていた。母親はトーマス ウェインの恋人だったことがある。アーサーの父親はトーマス ウェインだと信じている。アーサーは、ウェインの会社に忍び込み、ウェインに会って、母親の名前を言うとウェインは、「その女は精神病だ。」と言って相手にしない。ウェインの屋敷にまで行って、庭で遊んでいたトーマスの息子、ブルースに塀越しに話しかけるが、執事のアルフレッドに見つかって追い返される。
警察が訪ねて来て、母親のペニーが発作を起こして病院に担ぎ込まれる。アーサーは病院で、病歴室に行って母親のファイルを盗み出す。そこには母親がアルコール中毒で精神病を患い、同じような中毒者の男と暮らしていたが、孤児を養子にした。しかし養父が養子のアーサーに暴力を奮っていたために、頭の傷から子供も精神病を発病したという経過が書かれていた。今まで母親に言われた通りに何時も笑顔でいて、人を喜ばせようと努力してきたアーサーだったが、母親と自分は血がつながっていなかった。トーマス ウェインも父親ではなくて、自分は孤児だったという事実を突きつけられて、衝撃を受ける。

アーサーは自分が立っていた足場を失った。もう歯止めが効かない。母親を殺し、心配して訪ねて来てくれた昔の同僚を惨殺し、マレー フランクリンのライブショーに出かける。テレビカメラの前で、3人の証券マンを、ジョークで殺したと告白し、マレー フランクリンを撃ち殺す。アーサーは逮捕されるが警察による護送中、アーサーのテレビ生中継にインスパイヤされた暴徒によって救出される。ピエロのお面をかぶった暴徒たちで街は略奪、殺人、強盗の無法地帯となり混乱を極めていた。街は火の海で警察は手も足も出ない。アーサーは転覆した車の上に立ち、英雄として狂喜乱舞いする。
というお話。

ジョーカーが恵まれない酒と暴力の中で育てられた孤児で、精神を患い不毛な環境から逃れられずにいたために暴力で、はねかえさざるを得なかった、というジョーカーのバックグラウンドを描いている。本来だったら母親思いの心の優しい青年が、母親の望むようにいつも笑顔を絶やさず人に笑いを届けようと望んで生きて来た。孤独な時に、ベッドを共にする女性も同じアパートに住んでいる。そんなどこにでも居そうな青年が、自分が孤児だったと分かっただけで、壊れてしまうことをに理解する人も、出来ない人も居るだろう。
アーサーは子供の時の頭部外傷がもとで人格障害を持つ精神病患者になって、興奮すると笑いの発作が出てしまい自力ではそれを止められない。面白いから笑うのではなくて、笑いは彼にとっては発作であって、横隔膜のケイレンにすぎない。緊張するとてんかん発作を起こすてんかん患者と同様に発作をコントロールすることができない。だから人間関係をスムーズに続けるのは難しいし、定職について長く勤めることが困難で低所得のため薬代にも事欠く。年を取り精神障害と身体障害を持つ母親とアーサーとの生活では共倒れ必須だ。社会福祉の貧しい社会では生きていけない。

映画の最後のシーン。狂喜、乱舞い、放火。略奪、警察署襲撃、殺人といった混乱の一夜のあと、逮捕されたアーサーは警察病院で精神科の医師に向かって「いま新しいジョークを思いついた。」けれど「あなたにはわかってもらえない。」と言う。その次のシーンは、血を吸った靴の足跡を残しながら部屋を去るアーサーの後ろ姿で映画が終わる。
もう彼にとって人殺しはコメデイアンとしてのジョークでしかなくなってしまったのだ。
一人殺せば殺人犯、沢山殺せば英雄、全部殺せば神様だ、と映画の中で言わせたのはチャーリーチャップリンだが、アーサーは英雄をめざして一直線に走っている。
当時のブロードウェイの様子が出てくる。劇場や映画館にが集まる人々は、賑やかで華やかだ。チャップリンの映画が上映されていて、着飾った夫婦や正装した年配者で会場は上品な笑いに満ちている。チャップリンの「モダンタイムス」の画面に彼が作曲した「スマイル」ジミー デユランが「笑っていよう。今はつらくても明るい明日が必ず来る」と歌っている。

子供だったバットマン、ことブルース ウェインが両親と劇場から出てきたところで暴漢に襲われて両親を殺されるシーンも出てくる。ブルースは孤児となり、このあと執事のアルフレッドに養育される。この映画では、ウェイン一家が観ていたのは映画だったが、クリストファーノーランの「バットマン」では、オペラ「蝙蝠」だった。ブルースは幼い時に庭の古井戸に落ちて,暗闇のなかで蝙蝠の大群に襲われる。その時の恐怖感がブルースの「バット」への確執につながっている。その夜、おおみそかに上演することが習慣になっているシュトラウス作曲のオペラ「蝙蝠」をウェイン一家は見ていて、ブルースは蝙蝠が舞台に出て来てパニック症候を起こす。あわてた両親はオペラハウスにオペラ終演後迎えに来るはずの車を待たずに劇場を出てしまい暴漢に襲われる。こういったノーランの計算済みのストーリーの方が筋が通っていてわかりやすい。

どうしてもこの映画を観ていて、クリストファーノーランの「バットマン」と比べてしまう。彼の作ったバットマン3部作が強く印象に残っていて、ヒース レジャーのジョーカーが忘れられないからだ。断じて言うが、誰もヒースのジョーカーを越えられない。ホアキンがどんな努力をしても、ヒースに勝つことはできない。単純だ。もうヒースがこの世に居なくて記憶にしか残っていないからだ。
クルストファ―ノ―ランの3部作は、「バットマン ビギンズ」2005、「ダークナイト」2008、「ダークナイトライジング」2012、の3本を言う。クリスチャン ベールがバットマン、ブルースウェインを演じ、執事アルフレッドをマイケル ケインが演じた。製作費用の莫大さ、撮影のために世界中を舞台にし、スケールの大きさも出演俳優陣の豪華さも他のどの映画にも勝てない贅沢な映画だった。

3作目の「ダークナイト ライジング」プレミア上映中、米国コロラド州オーロラの映画館で、24歳の男が銃を乱射して映画を観ていた12人の観客が死亡、負傷者58人を数えた。殺人者はガスマスク、防弾チョッキにヘルメットをかぶり、拳銃2丁、ライフル、ショットガンで武装し、催涙ガスを2本投げガスが立ち込める映画館の中を逃げ惑う観客を、殺しまくった。コロラド大学、神経科学科専攻の博士課程の学院生だったジェームス イーガンホームズの単独犯で、彼はいま終身刑に服している。映画の暴力シーンが犯行を助長したのではないかと言われ、それが今回の映画「ジョーカー」の上演に反対するクリスチャン団体や自治体の声になっている。しかし映画の上演に反対するヒマがあったら、シリアやアフガニスタンでやっている本当の戦闘のほうを止めるのが先じゃないか。

地元シドニー北部の高級住宅地に戦前からある古い映画館で、幕間にピアノの生演奏が入ったりするおせっかいというか、オールドファッションで粋な館がある。そこでは最新映画だけでなく、定期的に名画を繰り返して見せてくれる。ピーターオツールの「アラビアのロレンス」とか、ヘップバーンの「ローマの休日」とか、一緒に歌おう「氷の女王アナ」とかなんだけれども、時々ノーランの「バットマンダークナイト」3部作も続けて7時間近くを一挙に見せてくれる。自分は、帰りが深夜になるのを覚悟で観に行くが、これが上映されると途中席を立つ人が居ない、シャンパンよりもビールのの売れ行きが良いという特徴がみられる。それほどオージーは、ヒースのことが好きで忘れられない。

「ダークナイト」で、訓練された強盗一団がピエロのお面を素早くかぶり銀行に押し入り、次々と警備を撃ち殺して現金を詰め車に積むと、今度は何と、強盗仲間が順番に撃ち殺される。こうして生き残ったたった一人のジョーカーが、高笑いしながら悠々凱旋する。映画が始まってワンショット、たった5分間の出来事だ。予想外の恐怖、驚愕、緊張であっという間に、ヒース レジャーのジョーカーに人々は引きずり込まれてしまう。
ジョーカーはゴッサムシテイの裁判長、警察署長、市長などと始末し、対決するバットマンを苦しめる為に片思いしているレイチェルとその恋人を一緒に拉致して、ひどく残酷な裏切り方で絶望させた上で、バットマンの目の前で惨殺する。病院を爆破し、橋に爆薬を仕掛け、一般人と囚人を乗せた船にそれぞれ互いに爆破スイッチを持たせて片方が吹き飛ばせば、もう片方は助かる、と言って人々の心理を懐柔して面白がって殺す。
ジョーカーは完全極悪な殺人狂であり痛みや悲しみや人間らしい感情を持たない愉快犯だ。ヒースがジョーカーの役に抜擢された時、どうしてこんなに若いオージー役者が??とブーイングする人も居た。でもヒースは、役作りに時間をかけて実に迫力ある前代未聞のジョーカーを演じた。そのためにロンドンのホテルに誰からも連絡を絶ち6週間、ひとり閉じこもって役を作ったというエピソードを持っている。ジャックニコルソンからあまり役にのめり込むと危険だから、と注意されたという話も伝えられている。
ヒースは撮影が終わり、映画の公開前に亡くなった。アカデミー男優最優秀助演賞を獲得したときは、パースからお父さんが駆け付けて賞を受け取った。弱冠28歳。ヒースの死は映画界にとっても大きな損失だった。短い彼の一生では、演じることが命を削るほど真剣勝負で、与えられた役を終えるまで役にはまり込む、その度合いが誰よりも深かった。だから彼が演じた作品では彼は、いつも輝いている。

ヒースは、くたびれていて次の日のために、深い眠りが欲しかっただけだった。軽い睡眠薬テマゼパンと、頭痛薬のエンドーンを同時に飲んで複合副作用のために、呼吸が止まってしまった。誰か横に居たら助かっていたかもしれないが、ホテルで一人きりだった。ヒースがメルギブソンの息子役で出演した「パトリオット」2000、「カサノバ」2006、「アイアムノットゼア」2007、「ブロークバックマウンテン」2005では、ジェイク ギレンホールとゲイのカウボーイを演じて、アカデミー主演男優賞の候補になっている。この時彼はたった25歳だった。「ドクターパルナサス」2009撮影中の事故だったので、この映画でははじめにヒースが主演しているが、そのあとを親友だったジョニー デップと、コリン ファレルと、ジュード ロウの3人が代役を務めていて、3人の出演料は、ヒースの残された娘マチルダに養育費として寄付された。
亡くなって10年近く経って「アイアム ヒースレジャー」2017が彼の自作のフイルムや、家族や友人たちのフイルムが編集されて映画になったが、上映中ずっと嗚咽する人や鼻をかむ音でうるさかった。そんなわけだから、どんな役者が出て来てもヒースのジョーカーに勝てる役者は居ない。

ホアキン フェニックスは、テイーンのアイドルで人気絶頂時にヘロインで亡くなったリバー フェニックスの弟だ。リバーが生きていたら二人とも40歳代の立派な役者兄弟だったことだろう。ホアキンはジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだ。彼の背中やあばらの浮きで体が痛ましい。おかしくないのに笑う発作が起きた時の苦しそうな笑い顔も恐ろしい。街の石段を下りながらピエロの化粧をして踊りまくるシーンは素晴らしい、それだけで立派なアートシーンになっている。ちゃんとリズムに乗っていないところなど、ホアキン フェニックスの役者の才能を感じる。ヒースの身も心も引きずり込まれるようなジョーカーとちがって、ホアキンのジョーカーは淡々としていて、悲しい哀しい笑いが死を予告している。彼の胸の苦しみを、弦楽器おもにチェロを使って延々と不協和音が奏でている。

1%の富裕層が99%の庶民の富を奪い独占しているこの世界で、「新しいジョークを思いついた。あなたがたには理解できないだろうけど。」と言ったあとで、血を吸った靴で歩き回るジョーカーたちで、街が溢れかえる。そんなことが明日起きても驚かない。
「ジョーカー」は1950年代の話ではなく、1980年代の話でもなく、今のいまの話だ。

上の4枚の写真はホアキンのジョーカー
下の2枚の写真はヒース レジャー




2019年10月7日月曜日

映画「ブレス しあわせの呼吸」

英国映画
監督:アンデイー サーキス
プロデューサー:ジョナサン カヴェンデイシュ
キャスト
アンドリュー ガーフィールド:ロビン カヴェンデイシュ
クレア フォイ       :妻 ダイアナ
デーンチャールス チャップマン  :息子 ジョナサン
ベンロイド ヒューズ    :ドン マクイーン医師
トム ホランダー      :ダイアナの双子の兄弟
ヒュー ホネベル      :テデイ ホール医師

荒涼たる冬の丘の上、海から吹き付けてくる風が冷たい。丘の上に立つと眼下に広々とした丘陵地帯が広がる。丘の上を青年が綱を引く。重そうに引いているのは父親を乗せた大きな車椅子。それを押す妻。3人の姿が逆光のなかでシルエットになって画面に映る。このモノクロの印象深いシーンが、尊厳死を望む父がそれを妻と息子に伝えるシーンにつながる。この美しい3人の印象的なシルエットを映画の予告編で観たとき、絶対この映画を見逃してはいけないと思った。

監督のアンデイー サーキスは、モーションキャプチャーの役者として第一人者。彼の素晴らしい演技力なくしてフイルムのモーションキャプチャーの技術は発展しなかった。「猿の惑星」シリーズ(2011-2017)ではシーザーの表情一つ、目つき一つに意味があって、憎しみも悲しみも恨みも悔恨も、彼は実際の動物を徹底的に観察することで学び演じた。「指輪物語」2001-2003のゴラム、「アベンジャーズ」2015、「ブラックパンサー」2018でも彼は活躍している。顔と体格だけで人気役者になるクズも居れば、彼の様に本当に映画技術を支える役者も居る。そんな、役を演じることを誰よりも理解している彼が監督をした。
この映画は、プロヂューサーのジョナサン カベンデイシュの両親の話で、実話だそうだ。映画の中でもジョナサンが親子として出てくる。映画の中でのエピソードは全部実際にあったことだそうだ。

ストーリーは
1958年英国植民地下のケニア。
兵役を終えたロビンは、その仲間たちとナイロビで茶葉の貿易商として生活をスタートさせる。ナイロビの英国社会では社交は最重要、、クリケット、テニス、お茶の会などで、英国人同士の親密な関係を築いていた。ロビンは美しいダイアナに恋をして結婚する。しかし幸せな結婚生活が始まり、ダイアナが妊娠したばかりの時に、突然ロビンにポリオの病魔が襲い掛かる。ロビンが28歳、ダイアナが25歳のことだった。
ロビンは、ポリオで首から下はすべて四肢麻痺し、自発呼吸も発語も嚥下も出来なくなり、余命わずかと宣言される。人工呼吸器が止まったら2分で窒息死だ。傷心のダイアナは出産後、英国にロビンと赤ちゃんを連れて帰国する。

首から下は麻痺して動かすことも感じることも出来ない上、自分で呼吸さえできないロビンは繰り返し妻と子に自分を見捨てるように頼む。それができないなら、家に帰って家で死にたい。病院でロビンの看護を見ていて、ダイアナは、電動の人工呼吸器を据え付ければ自宅でロビンを看護することができると思いつく。古い屋敷を買い取り、友人たちの手で家を改装する。電動呼吸器で命をつないでいるロビンの移動中は、手動の呼吸器で直接空気を肺に送ることができる。病院で医師の反対を押し切って退院したロビンのために、友人たちは、ベッドに車をつけて車椅子を発明(!)、さらに車椅子ごと移動できる大型自動車も改造する。このときの友人でもあったテデイ ホール医師はオックスフォードの教授であり車椅子の発明者とされている。当時の人工呼吸器つきの車椅子は、医学常識を覆し、先進的な医療機器の開発に貢献した。ロビンとダイアナ一家は外国旅行にも出かけ、ドイツなど医療界に、四肢麻痺患者として啓蒙活動を行った。

長年人口呼吸器を取り憑けていたロビンの肺へのダメージは大きかった。肺水腫から肺血腫を起こし、気管切開から失血するようになるともう治療法がない。ロビンが64歳になった時のことだ。しかし、妻子が人口呼吸器をとめることは、間接殺人になるのでできない。よくロビンを理解している医師は、妻と息子にアリバイを作るために外出させ、その間にロビンの希望通り投薬して去る。家にもどってきた妻と息子にロビンは笑顔でサヨナラを言ったとき、静かに呼吸が止まる。というストーリー。

最後の尊厳死。当時は違法だが、今ではこのような状態での尊厳死は多くの国や自治体で認められてきている。その「自治体に2年以上居住し、半年の余命であると2人以上の医師によって診断され、痛みの症状が耐え難い場合」という、条件付きでビクトリア州などでは尊厳死が許されている。しかしいまだにニューサウスウェルス州のように、尊厳死が違法の自治体も多く、早急な法整備が望まれる。いまやっと、医療界では生きるためのクオリティが、ただ延命させることよりも大切だという認識が広がってきた。病院の医療器具に縛られて延命させるより、患者の意志と尊厳を優先する、という人が生きる為のあたりまえの権利を、無条件で支持したい。

ポリオは全世界で猛威を振るった。急性灰白髄炎。ポリオウィルスは感染すると血流にのって脊髄を中心とする中枢神経を冒す。昔からあって沢山の人が死んだ。1960年は、日本でポリオが大流行した年だった。全国で報告された数だけで、6500人の患者が出て、日本ではまだ生ワクチンがなかったためソ連とカナダから緊急輸入されたワクチンを1300万人の子供達に一斉に投与された。並んでワクチンを飲んだこの時のことをよく覚えている。
小学校で一緒だった友達も両足に麻痺があり曲がった足で松葉杖をついていた。思い返してみると、私が知っているポリオ患者はみんなお金持ちの子供だった。高額の治療費、リハビリなど支払えないような患者は、みな成長する前に淘汰されて、生き残れなかったということだろう。恐ろしい時代だった。

戦後20年経ってやっと国産のポリオワクチンが定期接種されるようになって、日本では1972年を最後にポリオ患者は出ていない。予防注射がいかに大切か。予防接種を甘く見てはいけない。今年は米国など先進国で麻疹が大流行した。ベイカン、自然食、予防接種を受けない自由な子育て、などなど、、馬鹿を言ってはいけない。愚かな親は愚かな子しか作れないが、予防接種をしないでいた子供が予防接種前の小さな子供を感染させて殺すことを考えたら、予防接種しないことは殺人罪でもある。要は予防接種には必ず0.3%くらいの重篤な副作用の出る子供がいることだ。どんな良薬でも副作用は避けられない。そういった子供の診断を慎重に行い、国の責任で副作用の出た子供の治療を徹底することだ。それを避けるから予防接種を避ける親が出てくる。予防接種の副作用を訴える親達を否定する官僚どもも、接種を拒否する親も、みんな狂犬病予防接種を受けていない野犬たちの檻で1週間一緒に暮らしてから、そのあとでまだ生きていたら予防接種について話し合いのテーブルに付いて頂きたい。

映画に出てくる「鉄の肺」が多くの命を救った。鉄でできた棺桶のような、サブマリーンのような容器から頭だけ出して、中で陰圧と陽圧を交互に送り、自発呼吸できない患者の肺に空気を送る。高価な治療機械だから誰でも中に入って延命できるわけではない。映画の中で1970年初めにドイツの医療機器の最も整っている病院で何十台もの「鉄の肺」から頭を出している患者が整然と並んでいるシーンが出てくる。今では医療博物館でしか見られない。

ロビンは気管切開をしながらも、気道を塞げば会話ができて、口から飲んだり食べたりすることも出来るようになった。しかし電動呼吸器をとりつけるために気道切開している患者には、定期的に痰を吸引しなければならない。怠ると気道が塞がってしまって呼吸できなくなる。吸引はやる側とやられる側とのタイミングだ難しく、下手な人がやると窒息して死に至る。痰を吸い取り、そのチューブを清潔にしておくことは肺炎や誤飲を予防する為にも必須だ。麻痺患者の嚥下は、横を通る気道の邪魔になるから柔らかい流動食に近い者しか食べられない。だから便も柔らかい。麻痺で便通をコントロールできないから日に2回くらいは出る便を取り、尿を取り、臀部を綺麗にするだけで重労働だろう。老人介護をしている人は、食事の介助だけでなく、便と尿と痰の吸引で、身体的過労だけでなく心理的、精神的なダメージを受ける。一人二人でできることではない。こういった介助を文句言わずにやってきたダイアナの努力には驚かされる。仮に、妻は夫に従い、一生尽くすことが常識だった時代であったにしても、ダイアナの常識を超えた愛情には頭が下がる。

ケニアという植民地で商売をして暴利を得ていた富裕層だったことや、ロビンをとりまく妻や友人たちがケニアで自由な暮らしに親しんでいたために、保守的なイギリスの慣習に縛られずに済んでいた、という背景はあるだろう。それを差し引いても感動するのは、妻ダイアナの自由な発想だ。病院で死ぬより自宅で死にたいというわがままな夫のために手動呼吸器を抱えて家に連れ帰る勇気、生かすも殺すも自分の責任、と割り切って家に連れ帰るだけでなく外に連れ出し、夫と同じ車椅子を他の入院患者のために量産させ、外国旅行にも連れて行き、遅れた医療界の教育にも貢献する。こんな夫婦を理解する医師や友人たちとの心の交流、すべて感動につながる。

オール英国人スタッフと役者ばかりで、英国で撮影された映画で、ひとつもハリウッド文化が混じっていない。英国人らしいユーモアに満ちた会話の数々。アンドリュー ガーフィールドの首から下を全く動かせない演技が素晴らしい。友達に「おまえどっか動けるの?」と聞かれて、眉を上下させ次々と顔を動かしてみせる彼のひょうきんさと、その表情の豊かさ。生まれたばかりのジョナサンが顔の横に置かれたときの、うれしくて悲しい顔。大出血に茫然とするジョナサンに、「大丈夫だから、大丈夫。」と言い聞かせる父親の顔。さすがシェイクスピア劇団出身の役者。

28歳で死ぬはずだった夫が、25歳の妻に、「俺のことは忘れろ、君はまだやり直せる」といった言葉の方が真実に近かったろう。社会常識を破り、医療常識を打ち破り、法に逆らって、夫との愛に生きた強い女性ダイアナは立派だ。現実にこのような母親がいることを、映画プロデューサーのジョナサンは世界にむかって言っておかずにはいられなかったのだろう。これが僕のお母さんなのだ、と世界に向かって誇ってみせずにはいられなかったのだろう。心から同意する。
力強い、美しい映画だ。

2019年9月29日日曜日

映画「アド アストラ」


地球はソーラーシステム(太陽系)の惑星の一つで、太陽の重力に支配されて太陽の周りを24時間で1回転しながら公転している。地球のほかには、マーキュリー(水星)、ヴィナス(金星)、マーズ(火星)、ジュピター(木星)、サターン(土星)、ウラヌス(天王星)、ネプチューン(海王星)の7つの惑星が、ほぼ同じ平面状で、円形に近い円軌道にのって太陽の周りを公転している。学校の科学の時間に、太陽から近い順に、水、金、地、火、木、土、天、海、瞑、(スイキンチカモクドテンカイメイ)と記憶させられたが、最後のプルート(冥王星)は、サイズも質量もほかの惑星とは異なることが分かって、2006年に国際天文学連合会で、惑星の分類から外された。プルートは、アメリカで人気漫画の主人公の犬の名前になっているし、根強い人気のある惑星だったので、ソーラーシステムのプラネットの仲間ではなくなったことで随分と論争が続いた。
ウラヌス(天王星)も)、ネプチューン(海王星)も、氷でできた惑星だ。サターン(土星)には大きな輪が付いていて、輪の厚さは150メートル、小さなチリや岩石の混じった氷の粒子からできている。月は、地球のまわりを回る、唯一の衛星で、地球の3分の1の大きさだ。

この映画の時代背景は「近未来」。宇宙飛行士ブラッド ピットが月から火星へ、そして木星、土星を通り過ぎて、父を探して海王星まで旅行する。浮遊感のある宇宙で、音のない空間に浮かんでいる惑星の姿が、それぞれとても美しい。赤い火星、輪のある土星、青い海王星がことさら美しく感動的だ。

原題:「AD ASTRA」(TO THE STAR)
監督:ジェームス グレイ
キャスト
ブラッド ピット  :ロイ マクブライド少佐
トミーリージョーンズ:マクブライド司令官
ドナルド サザランド:ブルイット大佐
ルス ネッガ    :ヘレン ラントス
リブ テイラー   :エバ マクブライド

ストーリーは
30年前、マクブライト司令官はクルーを率いて宇宙に生命体を探索に出たまま帰らなかった。16年前に彼らが海王星に到着したことまではわかっているが、その後消息が絶えてしまった。リマ計画とよばれるこのプロジェクトは、何かの事故で宇宙船乗務員は全員死亡したものと判断され、マクブライト司令官は国民的ヒーローとして尊敬され人々に記憶された。当時幼かった息子のロイは、父親のあとを追って自分も宇宙飛行士になった。

ある日、ロイが宇宙基地で訓練中、突然原因不明の電流(セージ)が襲い犠牲者が多数出たが、ロイは九死に一生を得る。怪我が癒えたころロイは、米軍本部に召還され、大佐から意外な命令を受ける。リマ計画の責任者だった父親は、16年前に姿を消し死亡したものと思われていたが、海王星で生きているらしい。突然地球を襲った殺人的セージは、海王星に居る父親が意図的に地球に送信しているらしい。それは宇宙に残っていた反物質(anti matter)のパワーを利用したもので、このエネルギーは途方もない破壊力をもち、制御不能な連鎖反応は、ソーラーシステムを全部破壊する恐れがある。ロイは火星まで行って、父親とコンタクトを取って欲しい、という命令だった。米軍首脳部は、マクブライト司令官が意図的に反物質を使って地球を攻撃していると考え、ロイを火星に派遣して父親をおびき出して殺して、彼のもくろみを破壊しようと考えていた。ロイは、亡くなったと思い込んでいた父親が生きていると言われて、半信半疑で命令されるまま父親探しに宇宙船、ケフェウス号に乗る。

ロイはかつての父親の親友だったというブルイット大佐とともに月の宇宙基地に行くが、月の資源を奪おうとする盗賊団に襲われてクルーのほとんどを殺される。ブルイット大佐も怪我をして一緒に火星まで行けなくなった。ロイは一人で火星に到着、軍に命令されるまま父のいる基地と交信し、軍に与えられたメッセージを読んだ。毎日それを繰り返されて、ロイは、とうとう自分が父親に向かって話しかけていると思うと、感情が勝って子供だった自分が父親にしてもらった思い出などを語り掛けることを止められなかった。それがもとでロイは軍の任務から解任される。ロイは基地の中でヘレンと言う娘に出会って、父親が写っている秘密のヴィデオをみせてもらう。彼女は父親が司令官だった隊員を両親のもった、火星生まれの女性だった。彼女の助けを借りて海王星に向かうケフェウス号に忍び込むが、船内でロイを排除しようとする3人のクルーを揉み合いになって、3人は死んでしまう。ロイは一人で海王星に行く。

海王星でロイを待っていたのは父親ただ一人だった。クルーは、司令官と意見の違いから反乱をおこして全員死亡していた。この争いのために損傷をうけた基地に反物質装置が発動して、地球にサージを引き起こしたのだった。宇宙に生命体は居ないことがわかった。ロイは父親を説得し宇宙服を着せて、海王星基地を脱出し、ケフェウス号に乗船しようとする。しかし父親は自ら命綱を絶ち宇宙空間に去っていく。
というおはなし。

ストーリーはメロドラマ。浪花節っぽい。息子が父の汚名を晴らそうと、父親探しの旅に出て一緒に帰ろうとするが、それがかなわない。哀しい息子の、父を慕う気持ちと、立派になった息子を見て、もう思い残すことはないと自ら去っていく父親。
ブラピが万感の思いで、口を閉ざしうつむく父に宇宙服を着せるシーンには泣ける。ブラピファンはここで号泣する。お父さん、あなたを尊敬していました。お父さんに誇ってもらいたくて今まで頑張ってきました。そう訴える息子の悲しみに満ちた目。ピットの感情を極力抑えた哀しい顔って、世界一哀しい顔だ。

それにしてもストーリーが、つっこみどころ満載。
宇宙船が損傷をうけたために反物質が発動して、海王星発、地球行きの、太陽系をまるごと破壊するほどのセージが襲う、それで人類全滅って、ちょっと無理な科学論理かもしれない。また最後にロイは、空気の無い宇宙なのに、宇宙に浮かんでいるケフェウス号で搭載していた原子爆弾の爆発波で、海王星から地球まで帰って来るって、いうのもちょっと無理っぽい。また、16年間たった一人で海王星で壊れた宇宙船で生き残っていた父親は、何を飲んで何を食べていたのだろうか。帰り、ロイは海王星から直接地球に帰って来たのに、行きは月に途中下車してクルー全員盗賊団に襲われて死んだりしたのは、まったく無駄な寄り道だったのか。月で襲った盗賊団はクルーを殺しただけで何も奪うものなど無かったうえ、自分達も全滅したが、それもただの無駄死になのか。なにか意味があったのか。また月に行く宇宙船で、殺人ゴリラが、飛行士の柔らかい体でなく宇宙服の強力なヘルメットを食い破り、顔を攻撃して殺しているがそこに意味があったのか。また殺人ゴリラ2頭は、なにを食べて宇宙船の中で生き残っていたのだろうか。それにしても殺人ゴリラの登場は、「エイリアン」の怖さに比べたら、全然まったく怖くなかった。

それと後ろ姿と横顔しか画面に出てこないロイの妻は、映画の初めのシーンで鍵を置いて出ていくところで始まって、映画の最後で戻って来るが、どうして? 別れようとしたり、もどってきたり、もうどっちでもいいからはっきりしなさい。
総じて、ストーリーに筋が通っていなくて、子供っぽくで、宇宙科学の知識に乏しい。役者は良い役者を使っている。しかし、84歳のドナルドサザランド、73歳のトミーリー、55歳のブラッド ピット、この映画の主役3人の平均年齢が70歳って、どうなんだろう。映画界は本気で若い優秀な役者を育てようとしていないのではないか。困ったことだ。

宇宙の画像は、「ゼロ グラビテイー」(2013)よりも、CGやモーションピクチャーの技術が進んでいるから、ずっと良い。でも同じように命綱で結びあってるブラピの鎖を自ら外して宇宙の藻屑として消えていくトミーリーよりも、「ゼロ グラフィテイ」で同じようにサンドラ ブロックの命綱を自ら切って、宇宙の闇に消えていったジョージ クルーニーを見る方が、はるかに悲しい。
この映画を「宇宙の旅」(2001)と「アポロ13号」(1995)と「インターステラ―」を足して割ったような映画だという人が居たが、私の目には、この映画は、人情っぽい中村宙哉の漫画「宇宙兄弟」と、ひとりきり宇宙で危機に立ち向かうサンドラ ブロックの名作「ゼロ グラビテイー」に限りなく近い。漫画「宇宙兄弟」も今や佳境に入って、太陽の異常フレアで、月に取り残されたNASAのムっちゃんを、ロシアクルーの弟ヒビトが救えるか、救えないのか、、、とても大事なところで、とてもわくわくして次作を待っているところだ。

空は無限に高い。宇宙は広くて大きい。宇宙の写真や画面を眺めるのが大好きな人、宇宙遊泳をしてみたい人は、この映画見逃してはいけない。月から眺めるブルーマーブル(地球)の美しさ。赤い火星、輪のある土星、巨大な木星。音の無い世界で確かに浮かんでいる蒼い海王星の美しさは、言葉に変えられない。美しい惑星の横で宇宙を浮遊するを飛行士の姿を映す映像で、ベートーベンの「月光」が静かに奏でられている。感動的だ。

2019年9月9日月曜日

映画「ワンス アポンアタイム イン ハリウッド」

ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD
監督:クエン タランティーノ
キャスト
レイナルド デカプリオ:リック ダルトン
ブラッド ピット   :クリフ ブース
マーゴ ロビー     :シャロン テイト
デイモン ヘリマン   :チャールズ マンソン
アル パチーノ   :マービン シュワーズ
ストーリーは
1969年 ハリウッド。
リック ダルトンはアクションヒーローもので売れっ子のテレビ番組の俳優だ。テレビの仕事がマンネリ化してきて、映画界で活躍したいと思っている。ヒーロー役ばかり演じて来たが、実はクソ真面目で、繊細で、泣き上戸。演技が上手くいかなかったと思い込んで落ち込んだり、台詞が上手く覚えられなくて自信を失ったり、不安神経病ともいうべき性格で喜怒哀楽が激しい。仲間と一緒にいると豪胆だが、一人きりになると頼りない。落ち込んで8歳の子役に肩を抱かれてなぐさめられて、やっと立ち直れたりする愛すべきキャラだ。有名俳優の邸宅が立ち並ぶ高級住宅地ベルエアの高台に住んでいるその隣には、ロマン ポランスキ監督と女優のシャロン テイトが住んでいる。リックのスタントマン兼、運転手のクリフは唯一無二の親友だ。

クリフは9年間余り、リックのためにスタントマン、運転手、ガードマン、付き人として働いてきたが、リックと反対に感情を表に表さないクールな男だ。スタントマンとして撮影ごとに移動できるようにトラクターで生活している。いっこう家を買って定住したり、結婚するわけでなく、人気役者になりたいわけでなく、愛犬のピットブルと一緒に気楽な生活をしている。もっぱら腕力が強く、関係者の間では、妻を殺したことのある男として、ちょっと有名だ。体に自信があるから怖いものなし、失うものもないので不安も不満も持たない。リックとの友情に篤く、クールな男の中の男だ。リックとクリフは二人、泣き笑いを共にして夫婦や兄弟よりも強い絆でつながれていた。

ある日、クリフは待ち時間に、ブルース リーと口争いをしたすえ格闘技で喧嘩する結果になってしまって、スタントマンの仕事を会社から解雇される。そんなクリフは、リックを撮影所に車でドロップしたあと、ヒッチハイクしていたヒッピーの少女を拾う。彼女はジョージと言う名の男が主催するコミューンに住んでいるという。ジョージはむかしクリフと一緒にスタントマンをやっていた仲間だった。しばらく顔を見なかったが、昔使われて、廃墟になった撮影場所に住み着いて、家出少女を集めてコミューンを作ったらしい。会いに行くとジョージはすでに盲目になっていて、クリフのことを覚えても居なかった。

6か月経った。リックはイタリア人監督の強い勧めで、ヨーロッパに渡りマカロニウェスタンのヒーローとして映画に出演し、そこそこに成功して、ハリウッドに帰って来た。共演したイタリア女優フランチェスカと結婚していた。クリフに空港で迎えられ、家に戻ったリックは、クリフに苦しい心の内を打ち明ける。イタリア映画界で作ったお金で結婚生活を続けることはできると思うが、ハリウッドの一等地で今まで所有してきた家を維持するほどの力はない。まして昔の様に、クリフをスタントマン兼、運転手として給与を払っていくことができない。9年間の二人の友情と結びつきが、役者として落ち目になってきたリックには限界に達していた。そこで二人の男達は、お別れに、昔からよくやっていたように飲み明かそうということで一致した。1969年8月9日のことだった。

二人はレストラン食事をしたあとリックの家に戻り、飲み直す。武装した3人の男女が家に押し入った時、リックはプールに浮かんで飲みながら、イヤホンで音楽を聴いていた。クリスは犬の散歩から帰ったところで、昔ヒッピーからもらったマリファナを吸っていて、物が二重に見える状態だった。クリスに向かって、男が銃を構え、2人の女たちがナイフを持って飛び掛かって来る。彼らは、カルトの主、ジョージから、昔テリー メジャーが住んでいた家に行き、家にいる住人をすべて殺してくるように命令されていた。クリスとピットブルは、強盗達に立ち向かい、男と女ひとりを始末するが、クリスは重傷を負い倒れる。一人の女は何も知らずにプールで浮かんでいるリックをアタックした。リックはとっさの判断で映画で使ったことのある火炎放射器で狂った女を始末する。救急車と警察が到着し、怪我をしたクリフを病院に搬送する。

警察も救急車もすべて立ち去った後、となりの家からポランスキーの友人、ジェイ セバングが出て来て、リックになにが起こったのか問う。リックの家に強盗が入ったことを知って、シャロンはリックを自分に家に誘い入れる。シャロンと、その友人夫婦とリックの5人がにこやかに、ポランスキー邸に入る後ろ姿で、映画が終わる。1969年8月9日深夜のことだった。
というストーリー。

人々はこの日、シャロン テートの家で彼女を含む5人が惨殺されたことを知っている。それを前提として映画が作られている。

クエン タランテイーノの9作目の監督作。彼自身の思い出と郷愁のつまったハリウッド物語だ。1969年、彼は、ロスアンデルスに住む6歳の子供だった。映画好きな母親に連れられて映画を子守唄代わりに育てられたそうだ。1969年あの時代が再現されている。60年代の車、大型のキャデラックやフォードやムスタングが走り、映画館には制服を着た売り子と、正装した支配人がちゃんと居る。ハリウッドの撮影所も規模は大きいが、すべて手造りで劇場を大きくしたようなものだ。スターたちが使うトレーラーも、キャンピングカー程度の出来だ。スターたちのあこがれの坂上の高級住宅 ベルエアの邸宅も今アメリカ映画に出てくる豪邸とは比べ物にならない、普通の家よりちょっと大きめ、という感じだ。当時からセレブが集まったプレイボーイハウスも、それほど派手ではない。すべてが60年代のアメリカの姿で、リバイバルされている。この時代のハリウッドを知っている人にとっては涙ものだろう。

この映画は言うまでもなく1969年8月9日深夜に起きたシャロン テート事件を核にしている。この事件はあまりにもおぞましく、この50年間人々は誰も口にしたがらなかった。思い出したくもなかった。でもこのとき6歳だったタランテイーノにとっては、ハリウッドで生活してきて彼なりの解釈とおさらいをしておきたかったのだろう。彼はシャロンについて取材し、誰に聞いてもシャロンのことを悪く言う人は一人として見当たらなかった、と言う。文字通り天使のような女性だったシャロンが、監督と結婚して妊娠して人生のもっとも美しい喜びに満ちた日々を送っている姿に、新たに命を吹き込みたかったのだろう。
現実では当時、ポランスキーは仕事で海外に居た。シャロンは3人の友人と、通りすがりだった男の5人が一緒に、チャールズマンソンを盲信するカルト信者の3人の男女によって惨殺された。当時26歳で妊娠8か月だったシャロンはナイフで16か所刺されシャンデリアからつるされ、血でPIGと書かれた床には、生まれることのなかった男の胎児が落下してる姿で発見された。

チャールズ マンソンは音楽家だった時もあり、自作の曲を何度もメジャーデビューさせようとテリー メルジャーに頼み込んでいたが、成功しなかったことで、テリーを恨んでいた。テリーが以前、住んでいたのが、ポランスキーとシャロン テートが移り住んできた家だった。犯行の動機はそれ以外には考えられない。マンソンはまともな教育を受けおらず、子供の時から犯罪行為で警察と矯正施設を行き来していたが、自作の曲、数曲はレコーデイングされていて、ビーチボーイズやほかの音楽家との交流もあった。家出少女やヒッピーを集めてコミューンを作り、LSDで信者を洗脳し、聖書を自分流に作り直しカルトを作り出した。1969年の無差別殺害を首謀したことで収監され、2017年に83歳で獄死した。
シャロン テート事件はあまりに凄惨な事件で、LSDと、ベトナム進駐で汚染されていたアメリカの姿を映し出した。歴史を変えることはできないが、タランテイーノはハリウッドを愛する者として1969年を描き直したかったのだろう。

さすがにレオナルド デカプリオとブラッド ピット2大スターの息がぴったり合って居る。演じているリックとクリフと、本人たちの性格がかぎりなく本物に近いそうだ。レオナルドのくそまじめで、喜怒哀楽が激しいところと、ブラピのクールなところがそのまま映画でも表現されている。リックが、映画で何度も「おまえ俺の親友だろう?」と、確認するように言うたびに、クリフが、鷹揚に「I WILL TRY。」と答えるところなど、二人の性格の違いががよく表れている。インタビューで、「二人は本当に実生活でも親友なの?」と聞かれて、レオナルドが、生真面目に言葉を選んで言葉に詰まっているところを、ブラピが、即座に「撮影中8か月も一緒だったんだぜ。トイレもシャワーも食堂も8か月間、一緒に使ってたんだから、当然でしょ。」と答えていた。こんな自然なやりとりも映画のようで興味深い。

リックはテレビシリーズでいつもヒーローだが、映画界で成功したい。にも拘らず監督が持ってくるのは、マカロニウェスタンの悪役だ。すっかり落ち込んで泣き顔のリックを家までクリフが送る。その二人の目の前で、ポランスキーとシャロンが幸せそうにスポーツカーで去っていく。途端にリックが「おい、見たか?ポランスキとシャロンだぜ。おい、おい、本物だぜ」と、高校生のようにはしゃぎだして元気になるリック。落ち込んだ親友の慰め役だったクリフが、すっかり鬱から回復したリックを見て「やれやれ」と、リックの肩をたたいて別れるシーンなど、笑わせてくれる。

リックが西部劇でメキシコ国境の酒場での撮影中、台詞を忘れるところもおかしい。リックが、トチっても全く表情を変えずにいるカウボーイを前に、忘れた台詞が出てくるまで大汗かいてシーンのやり直しを繰り返す。こういうデカプリオの一生懸命なとき、役者魂が乗り移ったような 凄みのある演技をする。良い役者だ。
クリフは、リックの頼みで屋根に上って、裸になってテレビアンテナを直すシーンがある。50代になっても贅肉ひとつついていない、引き締まった青年のような体が美しい。また、格闘技のすばやい身のこなしも素晴らしい。背も体格もデカプリオの方が大きいが、ブラピのアクションのキレは、日々の厳しい鍛錬の結果だろう。立派な役者だと思う。

シャロン役のマーゴ ロビーがフォックススタジオの映画館で自分がデイーン マーチンを共演した「THE WRECKING CREW」(サイレンサー第4破壊部隊)19868が上映されているのを見て受付嬢に「私この映画に出てるのよ。」と思わず嬉しくて言うシーンがある。映画のためにポスターの前でポーズをとったり、上映中人々がおかしくて笑うところで、その反応を喜んだり、上映が終わってルンルン気分でアニストンを運転して帰る姿など愛らしい。タランテイーノ曰く、「天使のような子」が、光り輝いている。「ミスターロビンソン」の音楽に合わせて膝上20センチのミニスカート、ブーツ姿で歩く様子も生きている喜びに溢れている。このシーンのモチーフは、タランテイーノ自身がこんなふうに、自分が脚本を書いた映画を上映している館を見て、思わず案内嬢に「この映画の脚本は僕が書いたんだ。」と気が付いたら言っていた、という経験かたきている。自分がつくったものが、世に出て自分の手から離れて、人々を楽しませていることを知って嬉しい。そんな気持ちがわかる。

テレビは長い事アメリカでも日本でも、メジャーエンタテイメントだった。人々は仕事から家に帰ると食事をして家族そろって連続ドラマや、古い映画を観たものだった。この映画でも何人もの人に、日曜は、「FBI]と、「ボナンザ」を見る予定、と言わせている。自分も「ボナンザ」が好きだった。「ローハイド」、「ララ三―牧場」、「ルート66」、「サーフサイド6」、「シュガーフット」、「パパは何でも知っている」、「ベン ケーシー」、「キルデイァ先生」なんかもあった。

さて1969年は良い時代だっただろうか。自分はベトナム反戦のデモで逮捕されたのが、前年の1968年。大学1年で未成年だった。逮捕されたらしい、と家に赤電話に10円を入れて父に伝えたのは、明治で救対をやっていた重信房子と遠山三枝子だった。女もののジーンズなど無かった時代。二人ともスラックスというものを履いていて、限りなくダサかった。赤いヘルメットなど被ってアメリカ大使館に石を投げるよりは、三上治の考えていたベトナム義勇兵としてベトナムに飛んで、米軍と戦うことが本当のサヨクなのではないかと思っていた。沢山の大切な友人が拘留され、沢山の友人が自殺したり殺されたりした。良い時代ではなかったし、それに伴う胸の痛みを一生抱えていくしかない。

タランテイーノは自分なりの1969年を描いた。しかし現実は1969年には、深刻なベトナム戦争による弊害で、アメリカ社会は潰れそうだった。まだPTSD(戦争後遺症)といった概念はなかった。それにまだアメリカには徴兵制があった。血を見たこともなかったような子供みたいに純真な若い人々が徴兵でベトナムに送られ、ベトナムの女子供を殺すように教育されたのだ。LSDなどのドラッグが、あっという間に蔓延するのは当然だった。おかげで今では銃も、ドラッグも自由に手に入る。1969年が良い時代だったかどうか、答えはひとつではない。

現実の話ではない。だから楽しい映画だ。